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あのように体に直接響くような感覚を受けたのは...

長野峻也様

突然メールをお出しして失礼いたします。私は長野様の著書やDVD、BLOGの愛読者です。

私自身は現在、少林寺拳法を修行しておりますが、長野様の著書等で有益な示唆を頂いただけでなく、日々の鍛錬にDVDの方法を試行しているところです。まだ結果が出るには至っておりませんが、続けていく所存です。間接的ではありますが、たいへん勉強させていただき、ありがとうございます。また、近いうちに游心流の稽古 (シダックスかセミナー) に参加させて頂きたく存じます。

さて、長野様のBLOGの「"気合当て"とは?」を読みまして、私の米国での体験を思い出しました。

もう10年近く前になりますが、米国のサンディエゴに出張したことがありました。ここは米国海軍の町で、港の周りには海軍関係の施設が多いところです。休日に観光をしているときに、岬にある公園にいきました。町に引き返す途中で忘れ物に気づき、夕方5時過ぎに再び公園に向かったのですが、その岬の付け根の地域は海軍の住宅地で、一般人は5時を過ぎると立ち入り禁止だったのです。それに気づかず、ゲートを車で通りすぎた矢先、「Stop!」という、腹に響く大音声の叫び声に打たれ、思わずブレーキを踏んで急停車していました。その声は通過したゲートの米兵が発したものでしたが、大声が耳ではなく、体に直接作用してブレーキを掛けさせたという実感でした。物理的な力のようにさえ思えました。他武道を含め、いろいろな気合を聞き慣れていると思っていたのですが、あのように体に直接響くような感覚を受けたのは、この米国での体験と、示現流の立木打ちの演武を拝見したときだけでした。

気合当てとはまた違うのかもしれませんが、BLOG の読了後にあのときの雷に打たれたような感覚が蘇り、ついメールさせて頂いた次第です。

乱筆乱文をお許しください。

今後も長野様のますますのご活躍をお祈りさせていただきます。

長野峻也の回答

拝復、●●●●様。

メールありがとうございました。 

確かに、それは気合当ての原理と同じですね。予測していない時に突然、大声を出されたから身体が竦んでしまったんでしょう。

でも、そこで無視して走っていたら銃撃を受けたかもしれないので、良かったですね。国境付近の観光地、金剛山で韓国の観光客が北朝鮮の兵士に射殺された事件がありましたけれど、ああいう場合は問答無用で撃ってくるから怖いですよね。

物理的な力のように感じられたというのも、身体の反射作用として感じるものなんですが、例えば、私が「●●●の▲▲▲は気合当てと同じものだ」と言ったら、●●●をやっている人から、「全然違う。もっと違う脳に響いてくるような実感があるから」と言われたことがあるんですが、実は、この“実感”というのがクセ物なんですよ。

幻痛というのがあるでしょう? 失って腕が痛むとかいう脳神経の錯覚です。

被暗示性の高まっている人間は、こういう具合に具体的に物理的な感触として実際に感じてしまうんですね。要は、催眠術と同じなんです。

武術を学ぶ人は、「名人に技をかけてもらった時の感触を頼りに・・・」と言う人が多いんですが、これって大きな落とし穴なんですよ。

客観的に技の原理を解析しないで自分の実感に頼っていても、似て非なる技を自己満足でしつらえてしまったりするんですよ。感覚に頼り過ぎると実体の無い技を追求して武術ならぬカルト教団になってしまうものです。

武術の団体では、そういうところが多いですよ。

もったいないことだと思いますが・・・。

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