セミナーに参加された皆様のご感想

第三者的に見ることで分かることが大変多かったのです...

結果としては、見学で大正解!第三者的に見ることで分かることが大変多かったのです。

皆さんが一生懸命やっているのに見学は失礼かなとも思いましたが、セミナー参加者の感想文に、見学の人からも良い意見をもらったとの一文があり、ちょっとホッとしました。

「脱力」と言われると、どうしても攻撃(あるいは受け技)の箇所だけに意識がいってしまいますが、身体(と意識)全体が「脱力」しなければならないことが、遠くから見学することでよく分かりました。もうこれは理屈ではなく、スワイショウや基礎的練体を通じた意識や感覚の練磨が必要なのだと強く感じた次第です。これからも日々研鑽するつもり(お酒はやめられませんが)ですので今後ともよろしくお願いします。

長野峻也の回答

拝復、●●●様。

御感想、ありがとうございます。

50代でスパーリングをするということ自体、たとえばボクシングだったらあり得ない話でしょうし、本当に頭が下がりますよ。でも、不可能かというと、そうでもないだろうと思うんですね。そのヒントになるのが“脱力して動く”ということだろうと思います。すぐに息が上がってスタミナが続かなくなるということは、無意識のうちに呼吸を止めて踏ん張ったりしているからなんですね。これが意外に自分では気づかなかったりするんです。

筋肉を締めて力を入れるのは、それだけでエネルギーを使ってしまう訳なんですが、寝ていても無意識のうちに身体の局部的に力が入ってしまう場合があって、それは布団や枕が合わないとか原因がいろいろ有ります。寝違えるというのもそれが原因なんですね。姿勢が悪い、骨格に歪みがある、動き方が偏っている・・・といった事柄も、ただ立っているだけでも健全な人とはエネルギーの消費量が変わってきます。で、中でも身体の支柱になる背骨・骨盤がちょっとでも歪みがあると、全身はバランスが狂い、それを補うために筋肉が緊張して支えていなければならない。私も、もともと骨格の歪みが先天的にあったので、自覚しないままに身体に負担がかかっていたみたいです。

武道・格闘技・スポーツ一般も、「運動するから身体にいいだろう」と思われるでしょうが、それは程度問題なんですね。昔の武道家は身体のメンテナンスに関する知識がありましたけれど、今は少なくなっています。そのくせ、欧米から入ってきたトレーニング理論は手放しで採り入れている。良い悪いの判別がつかないのに、専門家が言うことだから・・・と、無批判に飛びついてしまう人が多いのは危険だと思いますね。

それに、何かの理論を一つ知ったら、それだけで全てに通用するみたいに考える人も多いように思えます。そんな簡単にいくんだったら、誰も苦労しませんよね。

さて、見取り稽古って、いいでしょう? 観察して要点が判別できるようになったら、手取り足取り習う必要が無くなるんです。私が見学を断る意味がお解りでしょう? 観の目のある人には技の原理を見抜かれて通じなくなってしまうし、逆に観る目の無い人には誤解を与えてしまうだけだからです。実際、私は手取り足取りして教わった経験はそんなに多くないんです。ある流派の技は取材で見学しているだけで全部覚えてしまった・・・ということもありますが、見取り稽古に慣れてくると十分に可能なんです。

今、会員として残っている人達は、見取り稽古ができるようになってきているので、あまり細かく教えなくなっていますけれど、以前は、私が何回やって見せて説明していても、まったく覚えようとしない人が多くて、正直、「習う態度じゃないよな〜」と、内心、腹をたてていたりしましたよ。やっぱり、尊敬する気持ちがなかったら真剣に観察して技の動きをトレースしようとはしないんですね。私は習っている時は先生の日常動作すら真似したもんですよ。だから、本気で学ぶ気持ちがあるかどうかは一目瞭然で判るんですよね。口でどんなうまいこと言っていたって、その人の本心は態度に現れるし技に反映してくるんです。「考えの甘い人には教えたくない」と、私が言い続けているのは、教えたところで体得できないのが判っているからなんですよ。

最近の稽古会では回し蹴りとか足刀蹴りとかも教えるようになっていますけれど、こうした蹴り技は、“位取り(ポジショニング)”ができないと居着く原因にしかならないので、これまで教えてこなかった訳です。

游心流の戦闘理論は、1に交叉法、2に歩法(蛟龍歩)なんですが、以前は1だけをメインにして教えてきましたが、実際に戦う場合は2と組み合わせないと使い物にはなりません。

今、ようやく1と2を融合した練習段階に入ったところで、これを学ぶための対練型で絶招(必殺技)の『蛟龍十八式』というのを整理編纂している最中です。先日は、このうちの最後の秘伝技“風雷掌”という技を教えました。

これらの技は一般には教えないつもりです。教えてもできないだろうし、文字通り、“絶招”に相応しい技を選んでいるからです。従って、「蛟龍十八式を知らないと游心流ではない!」という免許皆伝技にするつもりです。

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