セミナーに参加された皆様のご感想
先日は『格闘技に活かす武術』について...
先日は『格闘技に活かす武術』について講義していただきありがとうございました。
何度も言ってしまいますが、合気道をやる者にとって今回の逆技から逃れる方法には衝撃を受けました。
これを知ることで中途半端な技がいかにリスクが高いかが分かりました。と同時にその程度の技なら返せることが分かり安心しました。
また、あれから練功法を家で少しやってみたところ、以前より転身がスムーズに行えるようになった気がします。
最後に、先生が秘密トレーナーになって発頸を教えれば、格闘技界にワンインチパンチと言う名でその技か広まると思うのですが、どうでしょうか?
長野峻也の回答
拝復、●●様。
いつも感想文、ありがとうございます(・・・っつうか、今回、誰も感想書いてくんないのは何で? 結構、好評だった手ごたえあったんだけどな〜?)。
逆技から逃れる技は、私は98パーセント決まっていても逃れる自信があります。まだ実験はしていませんが、多分、寝技系の関節技からも逃れられると思いますし、絞め技なんかにもかなり通じる筈だと思います。
と言うのは、この技は実際に技を掛け合う中から考えた技ではなくて、「力が働く仕組み」から逆算して、「こうすれば力が作用しない筈だから、この原理を利用すれば関節技とか合気技、絞め技なんかは全部封じられるだろうな。タイミングさえ合わせられれば打撃技にも通用する筈だ」と、純粋に理論から考えて具体的な技法を実験して確認していったからです。
具体的な技術として工夫するのに、やや時間を要しましたが、アイデア自体は何年も前から自家薬籠中でしたし、だからこそ、あの“合気の遣い手?”と言われている人物も私に合気がかけられなくなってしまった訳です。
御承知のように私は合気道を修行した経験は、ほぼ0です。古流柔術にしろ中国武術にしろ、齧った程度で、十分な修行はしていません。
でも、それは道場に通って修行しなかったという話であって、日々の修行という意味では一年365日、脳みそがフルスロットルで武術のことを考えているので、そりゃあ、脳神経系に焼き付けられる武術の技と動きに関しては誰にも負けないでしょう。
練習というのは、要は神経に動きを覚えさせることであって、クタクタになるまで同じ動きを繰り返して、頭で考えなくても身体が自動的に動けるようになるくらいまで練習する必要があるんですね。
でも、その仕組みを利用すれば、実際に無駄に練習しなくとも極端になると私みたいにほとんど練習しなくとも見ただけで体得できたりする。
特に、武術は肉体を効率よく使う技能に特徴があるので、体力を養成することにはあまり意味がありません。その点に気づいている人は非常に少ないですね。鍛えなければならないと頑なに思い込んでしまっている。
けれども、ただ無目的に身体を動かして練習する方がある意味、ずっと簡単ですよ。頭使わないから、簡単。ただ、神経に覚えさせる能率は悪いから無駄に時間がかかるし、見かけ上のパワーやスピードは衰えるから、せいぜい十年くらい維持するだけで精一杯ですけどね。
あのですね。人間の肉体で最もエネルギーを消費するのは脳なんだそうです。だから、頭脳労働者の方が代価が高いですよね。何となく誰もが解ってるのかもしれませんね。
武術の研究をしてきて思ったのは、「これは絶対に頭のいい人達が考えてきたものだ。馬鹿には絶対につくれない」と考えるようになったんですね。
でも、現代では武道や格闘技、武術をやりたがる人は頭の悪い人が多いですよ。理知的な人は少ない。だから、名人や達人が生まれてこないんじゃないかな〜と思う。
頭のいい人が取り組んだらどんどん上達すると思います。
私は技の正当性とかに対する拘りが全然ないので、効果的なら何でも採り入れるし、採り入れたら自分の使いやすいようにアレンジして変化させますから、流派の優劣なんかほざいているヤツは頭が悪いとしか思わないんですよ。どんな流派だって、ビックリするような遣い手や、唖然となるようなヘボいヤツがいるもんです。
ダメなところだけ見て、ダメって決めつけるのは近視眼的でしょう?
どんなヤツだって、取り柄ってものは一つや二つはある。頭悪いけど走るの早いとか、頭悪いけどケンカ強いとか、頭悪いけど顔がいいとか・・・(全部、頭悪い人が基準なんだ?)、でも、それは武術も武道も同じですよ。
私は、いろんな流派の良い部分を採り入れて貪欲に吸収していけるシステムを作ったので、当然、いろんな流派の技も遣いますし、いろんな流派の人と戦う場合を想定して各流派の技を破る工夫もこらしてきました。
対伝統空手・対フルコン空手・対太極拳・対合気武術・対剣道・対少林寺拳法・・・等々から、もっと具体的に、対ナイフ・対日本刀・対チェーン・対ヌンチャク・対手裏剣・対ピストル・対ショットガン・対通り魔・対暴走族・対ストリートギャング・対テロリスト・対某国特殊部隊?・・・等々。
普通に武道や武術やっている人は、習ってる流派を絶対視して、技なんかも長年の修行の果てに体得しないと気が済まないみたいですね。
私は、そういうのはアホらしいとしか思わない。悠長に修行やってるヒマもなく、突然、命を守らなくちゃならなくなる場合もある・・・という観点が無くては武術として失格ですよ。
習ったその日から遣える効果的な技を教えるカリキュラムが必要だと思うし、それと同時に日々の修行で培う地力によって生涯、高めていける内容もなくてはならないと思っています。両方必要なんですよ。
その意味では、逆技を封じて返す技は、体得すれば誰もがすぐに遣える技です。それも、ものすご〜く単純な話で、「力が作用するから技が極まる」のなら、「力が作用しなければ技は極まらない。ならば、力を作用させなければいい」と考えただけの話ですよ。
誰もが強いか弱いか?でしか判断しようとしませんが、武術に関しては、この論理は間違いです。圧倒的に自分より強い戦力を持つ相手をどうやれば倒せるか?と考えるのが武術だからです。
そのための(力を制するための)技であり、漠然とした強さ(威力)ばかり頼るのは初心者に過ぎません。「理解し駆使できるかどうか」が技の成否を決めるし、勝負を左右する訳なんですね。
うちの基礎錬体も、ただ無目的に練習していてもただの体操にしかなりませんが、動きの意味をきちんとイメージしながら練習すれば、具体的な技の上達に繋がります。
動作を覚えたら、今度は、動いている最中に目前に敵がいてパンチを出してきた様子をイメージしながら捌いて反撃するとか・・・そういった具体的な攻防に反応することを考えながらやる訳です。
発勁も体得するのは実に簡単で30秒でできますが、それを具体的な攻防の中で技としてどう駆使するか?というのはなかなか難しいですよ。相手は立ち止まって受けてくれませんからね。
でも、知っているか知らないかでは雲泥の差がでますし、その意味でも武道や格闘技をやっていて行き詰まりを感じている日本人選手に役立ててもらいたいな〜と思ってはいます。
いろんな武道や格闘技の試合を見てみると、やっぱりね〜、日本人に勝って欲しいと思うんですよ。日本武道の技が外人の糞力に粉砕されるところは見たくないんですよ。
だから、実際、攻略法はメチャメチャ考えてますよ。逆技返す方法も日本人の格闘家に教えてあげたいくらいなんですよ。
けれども、いくら私がそれを言ってみたところで、実際に謙虚な気持ちで習いに来る方はまだまだ少ないでしょうね。悪意のある人間が嘘を吹聴するから、私は業界的にメチャメチャ評判が悪いし、自分で言っても聞いてくれる人は少ないでしょう。
だから、「あ〜したらどうか?」と、いつもアドバイスしてくれますが、無名なうちは、私にはどうしようもない。いくら、やりたいと思っても、自分でどんなに宣伝したって、胡散臭いと思われるだけですよ。現時点ではね。
しかも、DVD見たって解らない人も多いだろうし、実際に教えても頭の悪い人にはチンプンカンプンかもしれない。それでも、真面目に続けてくれれば、確実に上達させられると思うんですけどね〜。
うちに限っては、こっそり習って自分だけ強くなりたい・・・という人が多くて、「先生の技は広まらないで欲しい。自分たちだけで習いたい」なんて、あからさまに言う人もいました。
普通は、「あの先生はすごく教えて上手いよ」って、口コミで広がるものなのに、うちに限っては誰もそれをやろうとしないんですよね〜(苦笑)。
私がもともと、広める気持ちが薄いから、これは致し方がないかもしれませんが、私は“迂闊に技だけを広めたくない”だけで、それは第一に、技が危険過ぎるのと、第二に、他流との軋轢が起こって恨みを買ってしまうのが嫌だからなんですよ。
だから、なるべく道場の掛け持ちはして欲しくないし、他の団体をのぞき見して歩くような人は会員にしたくない。
大体、判断力の無い人間がいろいろ見て歩いても何もならないんですよ。
武術は自分で体得しない限り、絶対に解らない。自分ができなきゃ意味がない。
私は尊敬する武術家は何人もいますけれど、崇め奉る趣味はないので、「どうすれば、あの先生を超えられるか?」と、いつも考えていますよ。敬意を持つのと崇めるのは全然別のことです。
できない人間に限って、いろいろ見て回りたがるし、できる人の技を見たがるものですが、そんなに他団体が気になる人は、うちには来ないでそっちに行ってくれた方がいい。
継続的にやる気のない人が、あちこち回って「游心流はあ〜だこ〜だ」と喋くられるのは迷惑だし、団体間のトラブルになる原因だからです。
これは団体持っている人は皆、同じ思いだと思いますよ。「習う気がないなら来るな!」というのが本音でしょう。
やる気のある人、謙虚に学びたいと思う人には誠実に応えたいけれど、そういった真摯さが態度に見えない人はまともに相手する気はありません。無駄なエネルギーは使いたくありませんからね。
私は、“最高の武術”を目指して研究しているので、その気持ちを共有してくれる人しか相手したくないんです。やっぱり研究が第一で、指導普及は二の次。やる気のない人は相手しない。
だけど、誤解されては困るんですが、私は秘密主義ではありませんし、技を隠すのは戦術上の心得であると同時に「素手で簡単に人殺しできるテクニック」をやたらに誰彼構わず教える訳にはいかないと考えているからです。
これは健康法や活法であっても同様です。下手なやり方では逆効果になる場合がある。万人に安全な健康法というのは、実は何の効果もないということです。
まともに武術の意義を考えて自己修養に役立てたいという気持ちのある人だったら、一人でも多く伝えていきたい。
でも、ちょっとできるようになると物凄く舞い上がって天下の達人になったみたいに錯覚する人も何人か出てしまった。責任を感じています。自惚れを許したのは私の責任ですよ。「自分たちだけが頑張っている訳じゃない」という現実をきちんと理解させなければいけなかったと思っています。
いやはや・・・難しいもんです。