経済思想の歴史

経済思想
経済史
経済学史

経済思想の歴史

 古代は狩猟で生活資源を獲得していた。やがて、ナイル、チグリス・ユーフラテス、黄河などの大河の辺に人々が定着、共同で耕作活動に従事するようになった。そこでの生活資源の大半は共同作業で獲得、その生産手段は労働、共同体が所有する土地を必要とした。そして、共同体は生活必需品のすべてを補っており、自給自足の経済を前提とした。しかし、自然環境によっては、そのすべてを自給することができない。農耕民族は、水産物や鉱物、塩など、不足する生活必需品や特産物を他の共同体と交換した。交換が盛んになると、一時的な物々交換から、貨幣経済が生まれ、専業的な商人が出現して活躍した。

 ギリシャ、ローマでは、共同体の中に私的土地所有が芽生え、その拡大によって、大規模な土地所有者が出現した。そして、大規模な土地所有者は、奴隷を使用することで、生産活動から解放された。共同体の上層貴族は都市に在住し、貴族都市を形成した。城壁に囲まれた都市の周辺に広がる農地を耕作したのは奴隷であった。貴族は都市の市民となり、戦闘に従事する義務が存在した。しかし、その豊な生活や豊な文化の経済的な基盤は、土地所有の大きさとそれを耕作する奴隷の数に依存していた。このため、都市の市民は戦争によって所有地を拡大し、敗者の民を奴隷として労働に使役した。つまり、都市国家は市民による戦士の共同体であり、組織的な戦争に従事する準備がなされた。

 同時に市民は他の共同体の特産物や奢侈品およびあらゆる物資を貨幣経済を手段として交換した。その商業活動の成果である果実は、生産手段の所有者の長たる王侯貴族などの支配者が独占した。中世は封建的な武力による富の獲得競争、そこに宗教が絡み、絶え間ない戦争が繰り返された。やがて、国民国家が形成され、国家が必要とする二種類の階級、国を運営する官僚とその資金を生み出す商人が台頭した。そして、重商主義による国家運営が進められ、商人の持つ富と国家の持つ力の共生関係が生まれた。

 重商主義は、国家の産業として、特に商業を重視した経済思想および経済政策の総称、商売が繁盛すれば、収入が増えて国力が増大する。国力が増せば、利益の多い交易ルートを確保でき、商人の望む独占が与えられた。交易が活発化すると、富が(商人にとっても国にとっても)増え、富が増えれば経済活動が活発化した。この場合、事業発展の基本的な前提は、収益機会の存在と柔軟な資金供給にあった。

 当初、重商主義者は、物価が上がれば利益が増え事業活動が活発になり、金利が下がれば資金が容易に入手し易くなると考えた。これは国にお金の量が増えた時に可能になり、当時のお金は金と銀、国力の増大は国富を増大させること、富とは金や銀あるいは貨幣の蓄積と考えた。そして、国を豊にするには、より多くの金と銀を国に持ち込み、国から出て行く量を少なくするように主張した。それは絶対主義体制の王権国家を常備軍や官僚制度で維持するために不可欠であった。

 重商主義者には重金主義と貿易差額主義がある。重金主義は、貴金属のみを国富とし、その対外取引を規制して流出を防止する。同時に対外征服や略奪、鉱山開発を推し進め、国富たる貴金属を蓄積させる政策である。これは16世紀のスペインやポルトガルの代表的な政策、後にフランス王ルイ14世に仕えた財務総監コルベールがとった経済運営(コルベール主義)が有名になった。貿易差額主義は、輸出を進めて輸入を制限することで、国内産業を保護育成し、貨幣蓄積をはかる政策である。イギリス東インド会社の係官トマス・マン(1571−1641:「東インド貿易論」1621、「外国貿易によるイングランドの財宝」1664)が主張、イギリス重商主義の中心的な政策となった。

 ウイリアム・ペティ(1623−1687:「租税貢納論」1662、「政治算術」1690)は、富を貿易という流通で考えるのではなく、労働にその実体を求め、労働価値説(この概念はアダム・スミスやリカードが発展させ、マルクスが確立し、古典派経済学の基礎となる)を唱えた。特に、土地を重視し、労働の能動的な要素と関連付け、土地を富の母、労働を富の父と称した。しかし、当時の社会は地主が支配的、産業資本は成長していない。このため、公収入の源泉は地代、利潤の概念は曖昧のまま、剰余価値は地代で生み出されていた。重要な点は、フランスより小国であったイギリスが産業政策によって、労働による資本の蓄積力が大国を上回る可能性があることを指摘した点にある。

 ジョン・ロー(1671−1729:「貨幣とトレイド」1705)によると、貨幣(金銀)が価値を持つのはその交換性、貨幣そのものに価値はない。国富を増強するには国内外の交易を活発化させること、貨幣(金銀)を蓄積することそれ自身に意味はないとした。通貨の信用性を初めて強調し、フランス領ミシシッピー開発を担保にした不換紙幣の発行を提案、ルイ14世が生み出した多大な財政赤字の解消に寄与した。真手形主義や稀少価値論を提唱、信用の創造が重要と考え、フランス王立銀行の設立(1716)に寄与し、貴金属のみを国富とする重金主義すなわちフランスのコルベール主義を批判した。

 フランソワ・ケネー(1694−1774:「借地農論」1756、「穀物論」1757、「経済表」1758)は、富の唯一の源泉が農業であるとの立場から、農業生産を重視した。当時、フランスは農業国、それがコルベールの重商主義によって、都市ギルドの保護、奢侈品生産の奨励、穀物の輸出禁止、人為的な穀物価格の設定など、都市の商工業に対する一連の保護政策が農業活動を阻害すると考えた。つまり、国富の増大は、農業の繁栄にあると主張して、重商主義を批判した。ケネーなどの主張する経済思想およびそれに基づく政策は重農主義と呼ばれた。その主張は、租税は過重ではなく収入の増加に見合う適正であること、収入は貨幣や商品として国内経済の循環に投じられるべきこと、国富を増大させるためには農業生産力の増大が必要であり、大規模農業経営が不可欠であること、農業や工業の発展を阻害するような保護政策や国家による干渉を停止すべきであることなど、具体的な提言をした。また、社会的資本の再生産過程の仕組みを図式化した。これは経済表と呼ばれ、経済循環の発見となった。

 ジェームス・スチュアート(1712−1780:「経済学原理の研究」1767)は、利子、貨幣、流通など、商業活動の諸側面を中心に分析を進めた。そして、農民や手工業者による生産活動が富を生み、それを積極的利潤、商品交換によって生じる富を譲渡利潤として区別した。また、強制労働と産業労働を区別し、商業の発達による産業を刺激する政策の必要性を提言した。さらに、商業社会を動かしているのは利己心、このために公益などが犠牲になり易く、それを補う国家の法や経済政策が必要と考えた。

 社会の封建制から資本主義への移行は、貨幣経済による商業の発展、人口の増加や資本の蓄積、私有財産権の成立など、幾つかの前提と理由が存在した。特に、商品生産とその経済活動、労働を商品化した資本と賃労働の関係、商業資本から産業資本への移行とそれによる富(貨幣)の蓄積、農業や工業の効率的な生産と技術の進歩を無視することはできない。

 アダム・スミス(1723−1790:「道徳感情論」1759、「国富論」1776)は、社会の豊かさは分業による生産力増大の結果と考えた。人間は本能に導かれて生産活動に従事する。その過程で、神の見えざる手に導かれて、調和のとれた分業関係を展開する。その結果、自らの利潤を追求する生産活動が結果的に公共の利益になる。国富論では、国家による干渉はこの調和のある自然の活動を歪曲し、自由な競争を阻害すると指摘した。このことは国家が不要だということではない。国家の役割は防衛や治安および司法や公共事業に限定すべきだと主張した。

 国富は、単に金銀を蓄えるのではなく、貿易差額や農産物に限定されるのでもない。スミスは、毎年の生産活動で生み出される生活必需品や便益品など、労働生産物が国富であると考えた。また、その生産物の価値の大きさは生産のために投入された労働量にあり、商品の価値は労働者や資本家や地主に支払われる賃金・利潤・地代にあるとした。社会の年々の収入はその社会の生産活動の全生産物の交換価値に等しく、各人が個人の利益を最大にするように投資や生産活動を行えば、必然的に社会の総収入は最大になるというのである。なお、生産力の向上には、労働力の再生産だけでなく、資本の蓄積とその支出、土地所有者からの土地の提供が不可欠であり、そこに商品の価値が付加されると考えた。

 ジェレミ.ベンサム(1748−1832:「立法と道徳の諸原理序説」)は、多くの法的社会的な改革を提案し、その改革の根底となる道徳的原理を考案した。立法の原則として、人々の快楽を増進し、苦痛を減退させるという単一の原理に基づき、合理的で首尾一貫した法体系を生み出すことができると考えた。つまり、人間の持つ道徳は、理性によるものでなく、快楽と苦痛に基づくものと考え、その源泉は「有用であるか」「心地よいか」であり、それは「自分にとってなのか」「他人にとってなのか」であるという。ベンサムによれば「最大多数の最大幸福」が正しい行為の基準となる目標であり、功利主義の考え方を説いた。

 トマス・ロバート・マルサス(1766−1834:「人口論」1798、「経済学原理」1820)は、当時、人口増加率が食糧供給増加率より大きいことを指摘した。このことから失業や貧困などの問題を説明しようとした。つまり、人口の増加は等比級数的に変化し、食糧は等差級数的にしか増加しない。この結果、過剰人口となり、食糧不足による貧困が発生する。これが自然の摂理であり、人口の増加を道徳的に抑制しなければならないと考えた。

 ジャン.バティスト.セイ(1767−1832:「政治経済学概論」1803)は、フランスの経済学者であり実業家、自由主義的な見解を持ち、競争と自由貿易を重視、事業上の制約をできるだけ無くすこと主張した。商品販売などによって得られた収入(利潤、賃金、利子)は、生産者のための同価値の所得を生産することを意味し、それが経済に再注入されて、その財を購入するのに十分な需要を創造する。つまり、セイの法則「供給はそれ自身の需要を創造する」を主張した。生産量は需要より財の供給量で決定され、失業または土地やその他の資源の遊休はありえず、さもなくば取引上に何らかの制約があると考えた。国の経済は、支払いうるだけの販路を提供するのであり、より多くの支払いは追加的な生産品に対して行われる。この時、貨幣は相互の交換を一度におこなうための仮の穴埋めであり、交換が終われば生産品に対してはそれに見合う生産品が支払われている。

 デビッド・リカード(1772−1823:「経済学および課税の原理」1817)は、イギリスの経済学者、古典派経済学の経済学者の中で最も影響力のあった一人、自由貿易を擁護する理論を唱えた。そして、各国が比較優位に立つ生産品を重点的に輸出する事で経済厚生は高まるとし、自由貿易により貿易参加国すべてが得なるという比較生産費説を主張した。また、同一の労働時間でも価格は異なるとする労働価値説の立場で、経済学の体系化を試みた。

 フリードリッヒ.リスト(1789−1846:「政治経済学の国民的体系」1841)は、ドイツの経済学者、歴史的かつ実践的な経済に関する議論を展開した。リストによると、経済の発展段階は、未開状態から牧畜状態へ、そして農業状態を経て、農工状態へ進み、農工商状態になったと捉える。この場合、すでに他国が農工商状態になっていると、自国の飛躍的な発展に対して、阻止的な影響を受けることがあるという。このため、自国市場の保護が必要になり、国家による保護政策が国民的利益に寄与するようにすべきと提案した。具体的には、保護関税政策による自国の産業育成、自国の国内市場の開発と整備が必要とした。つまり、自由主義に基づく政策や夜警国家的な政策は、イギリスのような世界に先駆けて産業革命を達成し、その高い生産力を誇る国が採用する政策であり、後進国の論理ではなく、外国貿易の拡大よりも、国内市場の開発や産業の育成発展により、自国の富を作り出すことを優先すべきであるとした。

 オーギュスタン・クールノー(1801−1877:「富の理論の数学的研究」1838)は、経済学を数学化することの利点を示し、計量経済学の基礎を生み出した。特に、独占と複占の均衡解、企業数が無限に増加すると完全競争の均衡解になることを示した。また、偶然に関する考え方において、偶然とは決定論の中で起るそれぞれが独立した因果関係の系列における出会いと結合だと捉え、客観的な偶然の存在を明らかにした。それは決定論を把握できないという人間の無知と無能力に由来する主観的な偶然と対立する。このことから、理論的に捉えることのできない歴史の偶然性が理解可能になった。

 ジョン・スチュアート・ミル(1806−1873:「経済学原理」1848)は、基本的に自由放任政策の支持者、生産が自然の法則によって与えられ、人口の影響を考慮し、分配は社会が人為的に変更可能であることに着目した。そして、政府の再分配機能によって、漸進的な社会改革を行うことに期待した。この時、ミルは急激な革命による社会改革でなく、穏健な処方箋を提示した。

 カール・マルクス(1818−1883:「経済学批判」1859、「資本論」1867−1894)は、近代経済学に対するマルクス経済学として、富の不平等是正や弱者保護の社会主義の理念など、その歴史的な役割が大きい。資本主義はカール・マルクスが定義した。資本主義とは、経済の仕組みで資本の運動が基本原理となる体制のこと、社会に投下された貨幣が社会で運動してより大きな貨幣となって回収される。この貨幣が資本と呼ばれ、資本が利潤や剰余価値を生む社会システムが資本主義である。マルクスは、資本主義そのものを社会の生産性が高まる必要な時期と捉え、資本主義が成熟し、やがて共産主義へと移行すると考えていた。

 マルクス経済学は人間の社会的な労働そのものが人間の消費する財貨の価値の実体であるする労働価値論に基づいている。商品経済は必然的に貨幣を生み、機械などの生産手段や貨幣がそのまま資本になるのではなく、生産手段の独占、労働力の商品化、労働者には労働力商品の再生産費分(労働力価値)だけを「労賃」として等価交換し、資本はその労働力価値分を超えて価値を生み出すように働かせる。この搾取による剰余価値が資本となり、等価交換という商品経済の原則を守りながら、生産過程の中で新たな価値を生み出すという。社会の合理的な規制の下で、人間が生活していく上で必要な富を作りだす生産のための拘束的な労働は要る。しかし、その時間は次第に短縮され、余暇時間が拡大され、人間は発達して解放されると主張した。

 G・J・ゴッシェン(1831−1907:「外国為替相場の理論」1861)は、資本主義経済において、重商主義以来の為替理論を集大成した。その中で、為替の需給は国際貸借の状況により決まると考える理論、国際貸借説または国際収支説と呼ばれる学説を唱えた。国際貸借説では国際貸借の状況を一定期間の経常収支から捉える。円ドル相場の場合、経常収支が黒字になると、日本が受取った外貨を円に交換するため、外貨を売って円が買われ、為替レートを円高・ドル安に動かす。経常収支が赤字になると、外国に外貨を支払う必要が生じて、円を売って外貨が買われ、為替レートを円安・ドル高に動かす。国際収支は、一定期間に生じた国際間の経済取引の明細と帳尻の記録、経常収支と資本収支からなる。経常収支は物の売買の帳尻を示す貿易収支、サービスの売買の帳尻を示す貿易外収支、贈与などの移転収支を合わせたもの、資本収支は、国と国との貸し借り、つまり借款や対外投資などのことである。国際貸借は一時点の対外投資と投資や借入金の残高の状態を意味するが、国際貸借説でいう国際貸借は、一定期間のお金の動きである経常収支のことを指す。国際収支説は、短期的な為替レートの動きを説明する場合に適している。

 レオン・ワルラス(1834−1910:「純粋経済学要論」)の業績は、理論的で数理的、経済の一般均衡理論の理論図式を確立した。ワルラスの理論は、多数の市場の相互関係を同時的に分析する一般均衡モデル、その背後に、消費者の効用最大化が存在する。需要と供給で価値が決まり、需要の背後に希少性の理論がある。基本的なミクロ経済モデルは完全競争市場のモデル、消費者の効用最大化や企業の利潤最大化に基づき、神の見えざる手の数学モデル化に成功した。ワルラスによる希少性の理論は限界効用の概念により、ジェヴォンズも見出していた。消費者は、予算制約の下で、効用すなわち自己の満足度を最大化しようとする。これは予算制約の下で、効用という目的関数の最大化問題として、数学的に定式化できる。ワルラスは、数学が苦手、この消費者需要の理論を展開するために、制約付きの最大化問題の数学的解法を物理学教授のポール・ピカールに教わったという。また、生産の理論の定式化と解法は、同僚の数学者ヘルマン・アムシュタインに教わった。

 ワルラスの経済学体系は、純粋経済学、応用経済学、社会経済学からなる。これは希少な物、つまり利用がありその量に限りのある物の総体が社会的富となり、それが価値を有して交換でき、産業によって生産することができ、それを専有できるという事実に基づいて構成される。すなわち、社会的富を交換価値の観点から、産業的生産の観点から、専有に基づく所有権の観点から、それぞれについて研究するのが純粋経済学、応用経済学、社会経済学としている。

 ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ(1835−1882:「経済学の理論」1871、「通貨と金融の研究」)は、ワルラスと独立して、限界効用理論を発見した。それは、人が消費しなければならない任意の財、例えば日常の食料品など、数量が増加するにつれて、使用される最後のものから得られる効用は、その度合いに応じて減少するという効用の法則である。また、交換の理論において、二個人および二財の交換方程式を定式化した。いま、個人aが財Aの一定量、個人bが財Bの一定量を持ち、市場でこれらを交換する場合を考える。市場が完全競争状態にあり、二人は自分の効用を最大化しようとする限り、交換の均衡点は、各財の限界効用の比が交換比率である二財の価格比に等しく、二人の間で取引される二財の需要量が一致する条件を満たすように決定される。つまり、費用が供給を決定し、供給が最終効用度を決定し、最終効用度が価値を決定するという。

 カール・メンガー(1840−1921:「国民経済学原理」1871、「貨幣論」1892)は、オーストリアの経済学者、限界効用理論の創始者の一人とされている。古典派経済学の価格決定についての理論と実際の市場での値動きとの不一致に気付いた。また、オーストリアの通貨制度を改革し、貨幣経済における貨幣理論を革新しようとした。限界効用の概念は、経済学上の価値理論の基本、水とダイヤモンドを比較すると、水は有用だがふんだんに使用できるので、その限界効用は僅かである。ダイヤモンドは有用ではないが、その希少性のために高い限界効用を持つと考える。経済学上では、論理的手順として、限界効用を出発点とし、ワルラスの一般均衡論をその終着点と捉えられる。しかし、メンガーは市場の交換プロセスを重視しており、一般均衡論ではなく、双方独占の市場プロセスから多数の参加者による均衡価格への収縮を考えていたようだ。交換や競争はこの市場プロセスのこと、様々な駆け引きや思惑が入り混じり、相手を出し抜くプロセスをメンガーは重視した。

 限界効用の概念に基づき、消費者は効用の極大化を求め、生産者は利潤の極大化を求める。そこには希少性の価値の存在がある。消費者の効用の満足度を満たす価格の存在に気付き、消費者は商品価格が安くなると買い増しするが、高くなると買い控えする。一方、生産者は価格が安いと売り控え、高くなると売り増しする。消費量に比べて商品の数量が多いと価格は下落し、少ないと価格は上昇する。このことから、需要と供給が均衡し、価格と数量が決定する。つまり、生産者の労働にのみ価値(価格)の根拠を求めていた古典派経済学から、生産者と消費者の存在を前提に、商品の希少性と限界効用の概念に基づき、労働の投入量に関係なく、希少資源をいかに最適に配分するかという市場の価格決定メカニズムを明らかにし、新古典派経済学(ミクロ経済学:資源の有限性と希少性の認識)が確立されていった。

 アルフレッド・マーシャル(1842−1924:「経済学原理」1890)は、市場の需要と供給が均衡するように動き、その均衡点で市場価格と取引数量が決定されるという命題を、商品以外の生産要素にも適用できると考えた。すなわち、賃金水準と労働者の雇用量は労働者に対する需要と供給の関係から説明でき、利子率と投資額および貯蓄額も資金の需要と供給の関係から説明できるとした。さらに、経済活動の推進力として、経済主体の行動と革新的な企業家の活動が無視できないことを指摘した。例えば、同じような商品をできるだけ低費用で生産するとか、新機能や新たな付加価値を提供するとか、従来とは異なる革新的な生産方法を採用することによって、経済的進歩が実現すると考えた。

 F.Y.エッジワース(1845−1926:「数理心理学」)はゲーム理論の基礎的な概念を築いた。さらに、競争市場の均衡解と交換市場の均衡解の関係を最初に明らかにした。そこでは、二人が二財を交換するバーター経済を無差別曲線で表し、そのから契約曲線を導き、バーター経済の取引がこの契約曲線上で行われることを示した。そして、このバーター経済に参加する経済主体の数が無限に多くなれば、価格を媒介とする競争市場の均衡解と一致することを証明した。

 ヴィルフレード・パレート(1848−1923:「経済学提要」)はエンジニアであった。パレートの功績は、無差別曲線を分析することで、社会資源が最も望ましく配分される状態を定義したことにある。それは他の個人の満足を害することなく、ある個人が自己の満足を増加できない状態である。つまり、この状態からの移動はある人々にとって快適になるが、他の人々にとって不快となるような状態であり、この状態をパレート最適と呼ばれ、新しい厚生経済の基礎的な概念になった。

 オイゲン・フォン・ベーム(1851−1914:「資本および資本利子」)は、オーストリアの経済理論家、限界効用価値論に基づき、交換における財の価格形成を判り易く説明した。利子を異時点間の交換上のプレミアムと見なして、搾取ではない利潤論を展開した。つまり、利潤(本源的利子)は時間のかかる生産過程(迂回生産)の収益であり、資本の本質は生産における時間的な要素であると考えた。

 クヌート・ヴィクセル(1851−1926:「価値・資本および地代」「利子と物価」)は、資本理論や一般均衡理論をベースに、分配による限界生産力説を展開した。限界生産力説によれば、それぞれの生産要素は限界生産力に基づいて報酬が与えられる。しかし、各生産要素に支払われた報酬の総計は生産物の価値全体と等しくなるかという完全分配問題が存在する。収穫不変の生産関数を仮定して、完全分配を証明したのは、ウィック・スティード(1844-1927)である。この場合、生産関数が収穫不変であることは、必要条件ではないが十分条件である。ヴィクセルは、これを一般的な生産関数を用いて、完全競争の仮定と生産関数に規模の利益を導入して証明した。

 マックス・ウェーバー(1864−1920:「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」「社会科学および社会政策の認識の客観性」)は、経済学の方法論において、歴史学的な経済学(ドイツ学派)と限界効用理論に基づく経済学(オーストリア学派)の対比にの中で、前者の立場から、社会科学方法論を展開した。それは多様な現象を支配する法則を追究する学問としての経済学でなく、現象の意味を解明する経済社会学的なもの、理論研究と歴史研究の新たな総合を課題とした。

 ウェーバーは、経済学の基本となる資本主義について、営利行為による企業活動が人々の欲望を満たすと捉え、それはその時々の歴史的条件によってその形が決定されるという。例えば、商人資本主義は交換の行為や貨幣の貸与などによる営利の追求であり、古今東西数千年の間みられた。政治が寄生する資本主義は、政治活動に資金を援助して、その見返りを求めるものであり、植民地支配などの独占的な権益や強制的な物資の確保などによる営利の追求でであり、官僚や政府や国家の力を背景にした営利活動を含み、数千年の歴史がある。そのような歴史的な背景の上に、近代資本主義が生まれた。近代資本主義は、自由で継続的な市場取引と資本に基づく継続的な財の生産による営利行為であり、商品や有価証券の投機的な取引、公債投資や企業の起債引受け、企業や経済団体への投機的な融資など、すべて営利に基づく行為である。そして、その条件として、固定資本が私有財産となり、市場は身分的な拘束から解放され、労働者は労働力を市場で売ることができ、法の支配と合理的な技術、流通経済と資本市場の成立などが必要になる。

 アーヴィング・フィッシャー(1867−1947:「価値と価格の理論の数学的研究」1892、「利子の理論」1930)は大学時代にキブスに学び数学と物理学を専攻した。経済学の統計的手法はギブスの影響、その実証分析の狙いは物価(貨幣価値)の安定にあったようだ。特に、貨幣数量説の交換方程式「MV=PT」は、貨幣数量の変化が一般物価水準をほぼ比例的に変化させるとした。ここで、Mは貨幣数量(現金と要求払いの預金)、Vは貨幣の流通速度、Pは物価水準、Tは実質の取引量である。本来「PT」はすべての取引量について、それぞれ個別の価格を掛けて足し合せ、その総和が経済全体の名目取引量となるが、交換方程式では「P」と「T」のマクロ的な積で表示する。また、貨幣の流通速度Vは、一定期間内の名目取引量が貨幣ストックMを何回繰り返して人手を変えたかを意味する。つまり、実質取引量Tは貨幣数量Mから独立に、実体的な需要と供給で決まり、貨幣の流通速度Vをほぼ一定であるならば、交換方程式から貨幣数量Mの変化が比例的に一般物価水準を変えることになる。また、フィッシャーは「利子の理論」において、利子率を一つの価格とみなした。それは「今日の財」と「明日の財」の間の相対価格という異時点間の価格であるという。貯蓄と投資、需要と供給、消費と生産を考えると、貯蓄は未来の需要であり、明日の消費である。投資は未来の供給であり、明日の生産であるという。

 ウラジーミル・レーニン(1870−1924:「帝国主義論」1917)は、本名がウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ、レーニンとはレナ川の人という意味のペンネーム、資本主義に帝国主義の段階を設定し、その資本の運動を解明しようと試みた。その特徴として、生産と資本の集積と高度な発展による独占の形成、金融資本と金融機関の寡頭化の形成、商品輸出に対する資本輸出の比重の増大、国際的な資本家組織による世界の分割、列強国による世界の領土的な分割(植民地化)の完了を挙げている。この頃、英米仏独が世界の大半を支配し、独占資本が金融機関と結び付き、国の経済と政治を支配するようになっていた。後進国も植民地支配に乗り出し、植民地の再分配問題や植民地の人民と資本主義国の労働者との連携が指摘された。その後、レーニンは、史上初めての社会主義革命(ロシア革命)を成功させ、ソビエト連邦の建国した。また、レーニンは資本主義の最終段階が共産主義になることを信じていたようだ。

 R.ヒルファーディング(1877−1941:「金融資本論」1910)は、19世紀から20世紀への資本主義の変貌について、産業資本が金融資本に転化したことに結び付けて説明を試みた。重工業の発展には巨額の固定資本投資が伴う。この多額の資本は銀行の信用に依存した。特に資本蓄積の小さいドイツでは、その必要性が高く、先進国との経済発展の競争が厳しく、企業の大規模経営を実現するために、産業と銀行との密接な取引関係が生まれた。銀行は貸出金を回収するために、企業の株式を引受け、その引受額と現実の発行額との差額すなわち創業者利益を手にした。その差額の大きさは企業業績によって異なり、銀行は企業に役員を派遣し、企業経営の実態的行動を監視した。その結果、互いに緊密度が増し、産業の独占化が進み、この金融資本が新たな資本主義の発展段階を生み出す形態と捉えた。

 アーサー・セシル・ピグー(1877−1959:「富と厚生」1912、「失業の理論」1933、「雇用と均衡」1941、「厚生経済学」)のテーマは厚生経済学、富は生産論、厚生は分配論である。ピグーによれば、厚生とは原理的に比較可能な満足および不満足という人間の意識に関するものである。経済的厚生とは、この厚生の内、直接または間接に貨幣の尺度と関係付けられるもの、実質的に国民所得(分配分)の増大・均等・安定の条件に依存する。国民所得(分配分)の平均量を高めるすべての要因は、それが分配を損なわずに、その変動を助長しないならば、経済的厚生は増進する。貧者の受け取る分配分を増加させるすべての要因は、それが所得の縮小を導かずに、その変動に不利な作用を及ぼさないならば、経済的厚生は増大する。国民所得(分配分)の変動を減ずるすべての要因も、それが所得を減ぜずに、またはその分配を損なわないならば、経済的厚生を増加させる。この命題が成立するための条件は、社会的厚生は個人的厚生の総和、実質所得は効用の逓減法則に従って、個人間および異時点間の比較が可能である。

 ピグーのこの考え方について、個人間の効用の比較は価値判断、厚生経済学は倫理的研究であり、経済学ではないという批判がある。しかし、各個人は相似た人間とみなすことで、効用の比較は可能とした。つまり、二人の人の効用を直接比較するのでなく、平均化すれば、人の効用は一つの尺度になると考えた。古典派経済の考え方によれば、貨幣賃金の引き下げは物価を下落させ、実質貨幣量の増加により、貨幣利子率が低下し、投資を刺激して、雇用量を増大すると捉える。しかし、ケインズ経済学では、流動性トラップ(利子率の最低限度)が存在すると、実質貨幣量が増加しても利子率は低下せずに、貨幣賃金を引き下げても雇用量は増加しない。これに対して、貨幣賃金の低下が物価下落をもたらせば、実質現金残高が増加し、貯蓄意欲の減退で、消費支出の増大になる。この結果、賃金や物価が下方に伸縮的ならば、ケインズ政策をせずとも完全雇用が実現できるという。これはピグー効果と呼ばれ、日本のストック経済の分析に有効な側面を発揮した。

 J.M.ケインズ(1883−1946:「雇用・利子および貨幣の一般理論」1936)は、政府による財政政策と金融政策を通したマクロ的な有効需要の管理という考え方を提唱した。つまり、総需要を管理して深刻な不況を回避する。これを単なる思想としてではなく、経済学として展開したのが「雇用・利子および貨幣の一般理論」である。

 ケインズ経済学の特徴は有効需要と乗数効果にある。雇用量を決定するのは生産物の有効需要の大きさであり、有効需要が生産規模(供給量)を決定すると考えた。ケインズは、不況時において、一定賃金以下で働くことを拒否する自発的失業以外に、働きたくとも働くことのできない非自発的失業の存在を重視した。多くの遊休設備と大量の失業者の存在、豊富な生産物の中に貧困がある。この事実は理性的に合理的な政策によって、大量の失業者の解消が急務であると考えた。つまり、有効需要による投資増によって、所得増が期待でき、それが消費増と貯蓄増に結び付き、さらなる雇用増と投資増を生むと考えた。

 この場合、投資増がどの程度の雇用増をもたらすか、限界消費性向と限界貯蓄性向の大きさで異なる。限界消費性向とは、可処分所得の増加分の内、消費に充てられる額の割合である。また、可処分所得は、大部分が消費に充てられるが、その一部は貯蓄に回され、可処分所得の増加分の内、貯蓄に充てられる額の割合が限界貯蓄性向である。

 乗数効果とは、一定の条件下で投資が消費の増加を喚起し、それがさらに消費の増加につながり、最終的に投資の何倍も国民所得が増加する現象である。政策的に生産者(企業や政府)が投資を増やすと→国民所得が増え→消費が増え→国民所得が増え→さらに消費が増え→さらに国民所得が増加→さらに消費が増加→・・・という経済現象が起る。経済学的な数式処理を行うと、この増加のサイクルは投資の伸びに対して乗数(掛算)的な伸びとなることから、乗数効果と呼ばれている。

 結局、投資を誘導する政策として、貨幣の供給量を調節して利子率を引下げ、財政支出(政府支出)を増加させて有効需要を拡大させる必要がある。しかし、財政支出の増加は国債の発行、それは国民からの借金、結果的にインフレを起こす懸念がある。インフレは物価を上昇させ、実質賃金の価値を引下げる。このことは相対的に生産コストの引下げを意味し、利潤の増加で生産が刺激される可能性があり、雇用の増加や失業者の減少となる。したがって、雇用の増大と失業の解消のためのゆるやかなインフレは望ましいとも考えられた。

 J.A.シュンペーター(1883−1950:「景気循環論」1939、「経済分析の歴史」)はイノベーション(革新)を追求する企業家が資本主義の原動力と考え、その資本は創造的破壊を行うための道具と考えた。市場経済は利潤ゼロの均衡状態に向かう傾向がある。このため、過去のものとは異なり、他人とも違うことをして成功させなければならない。この革新活動は、新製品、新生産方式、原材料調達の新しい方法、新市場開拓、新組織の導入など、常に創造的破壊を行う企業家が重要である。この場合、企業家に必要な労働や生産設備や原材料などを調達するための資本は、必ずしも個人の資本家に依存する必要はなく、新事業の成功を見込んだ銀行などが与える信用がその役割を担うと考えた。

 K.G.ミュルダール(1898−1987:「福祉国家を越えて」「経済学説と政治要素」)は、スウェーデンの理論経済学者、経済学は科学とはいえないとの持論を持つが、貨幣と経済変動の理論と経済理論と社会理論の統合に関する業績が認められた。石油危機後のスタグフレーション(景気後退下のインフレ)において、社会保障費など政府支出の拡大が続くと、国民所得に対する税金と社会費用の負担(国民負担率)が上昇して財政赤字が拡大する。この場合、国家の役割はある段階から後退すると考え、ケインズ的経済政策と福祉国家的社会政策は政府の役割と主張していた。しかし、現実はより官僚的・中央集権的に動き、十分に計画された平等主義的な社会政策に疑念を抱くようになり、福祉国家の官僚主義化を批判した。事実、スウェーデンでは、人口の高齢化により、公的部門の雇用者が増加、1990年には国民負担率が77%にも達した。その後、公的資金を金融市場に投入、累積的不均衡への政策介入など、福祉国家スウェーデンの経済社会政策の基盤を構築した。

 フリードリッヒ.A.ハイエク(1899−1992:「価格と生産」「自由の条件」「法と立法と自由」)は個人の自由を資本主義に結び付け、分散された人々の知識を利用する仕組みとして、市場経済を捉えた。つまり、人々は価格を見て、商品を生産したり購入したりする。その選択が需要と供給を介して価格を形成する。このことは生産のための技術的な知識や各個人の好みや必要性に関する知識について、各人が保有したままで、その成果のみを利用する仕組みを市場経済と考える。市場経済は合理的にかつ意図的に設計・構築されたシステムではなく、人々の行動と慣習の中から自然に生まれた自生的な制度と捉える。すなわち、財産制度や取引ルールや貨幣制度など、自分の利益を追求する人々の行動の結果として生まれてきた。したがって、これらの秩序に適合した法的な整備が必要であり、その法の支配を確立することが政治的な課題となる。資本主義の弊害のほとんどは、国家権力や政治と結び付いた結果であり、知識を集中して計画的に経済を運営しても決して成功しない。自由な市場経済に社会主義的な精神を持ち込むことは全体主義的な道を行くことになると主張した。

 R.F.ハロッド(1900−1979:「国際経済学」1933、「景気循環論」1954、「動態経済学序説」「経済動学」)はケインズ理論の国際化と動学化に寄与した。国際経済学に乗数理論を取り入れた。ケインズ理論では投資増加分に乗数(限界貯蓄性向の逆数)を掛けたものが国民所得の増加になる。ハロッドはこれを拡張して、輸出を含む理論を展開した。また、ハロッドによると、景気循環の最大の原因は、加速度原理と乗数効果の相乗作用だという。加速度原理は、消費財が増加すると、その数倍の大きさで資本財の需要が増える性質である。加速度原理と乗数効果の結合で景気循環が生じる現象は、後にサムエルソンが証明した。

 ハロッドは経済成長の理論展開において、現実の投資が生産量を拡大するのは資本ストック量に依存する点に着目した。資本の生産性として資本係数を導入し経済成長を考えた。これは「ハロッドとドーマーのモデル」と呼ばれ、その基本方程式は「経済成長率=貯蓄率X資本の生産性(資本係数の逆数)」となる。成長率は貯蓄率に影響され、安定的な資本の増加率(保証成長率)が労働力の増加率(自然成長率)と別個に規定され、その関係が均衡に向かわずに、両者の不均衡は慢性的な経済の停滞やインフレを導くとされ、安定的な成長率の実現が非常に困難で、ナイフ・エッジの均衡とも呼ばれる。

 S.クズネッツ(1901−1985:「生産と物価の長期的変動」「国民所得とその構成」「現代の経済成長」)は、経済成長の実証分析を通して、経済・社会構造とその発展過程に新たな見通しをもたらした。景気循環には、短期のキチン波、中期のジュグラー波、長期のコンドラチェフ波がよく知られている。クズネッツは20年前後の周期の成長率循環が存在することを明らかにした。これは約10年周期のジュグラー波より長く、約60年周期のコンドラチェフ波より短い。そして、この周期は米国において、住宅建築や鉄道建設、移民や資本移動に関連する人口学的な波であることが指摘された。

 J.v.ノイマン(1903−1957:「ケームの理論と経済行動」1943、「一般経済均衡の一モデル」1946)は計算機の生みの親、プログラム内蔵型の逐次処理方式のデジタル・コンピュータはノイマン型と呼ばれている。経済学の分野では、ゲーム理論の確立、人間の合理的行動を前提とする経済主体の最大化行動に基づき、生産において、産出と投入とが比例すると仮定した比例的拡大再生産経路(ノイマン経路)の存在およびそれに基づく生産価格体系の存在を数学的に明らかにした。

 ジョーン.ロビンソン(1903−1983:「不完全競争の経済学」1933、「資本蓄積論」1956、「経済学の考え方」1962)は、イギリスのケンブリッジ学派の女性の経済学者、「不完全競争の経済学」において、米国チェンバリンの「独占的競争の理論」と独立に、完全競争とも単純独占とも異なる新たな市場形態の下での企業と産業の均衡分析に成功した。その後、ケインズ理論の構築にも関与したが、資本主義経済の長期的発展過程を通じて資本と所得の累積的成長に着目、その過程で賃金と利潤との間にどのような分配が成立するかを論じた。その特徴は、資本蓄積率と利潤率との間に、蓄積率が利潤率を決定し、利潤率が蓄積率を誘発するという二重の関数関係が存在することを想定した。前者は、賃金所得者が貯蓄を行わないと仮定すると、利潤率が資本蓄積率と利潤所得者の貯蓄性向との積に等しい。後者は、投資関数の関係であり、貯蓄率は利潤率が高ければ高いほど促進され、利潤率を独立変数とし貯蓄率を従属変数とする増加関数が得られる。ロビンソンはこれらの問題に詳細な考察を加えた。

 ジョン.R.ヒックス(1904−1989:「価値と資本」「資本と成長」「資本と時間」「貨幣と市場経済」「経済史の理論」「貨幣理論」)は、一般均衡理論の発展と厚生経済学に対する貢献し、ケインズの「一般理論」を体系化して、IS−LM曲線の枠組みを構築した。IS−LM曲線の理論は、利子率の関数である投資Iと国民所得の関数である貯蓄Sの均衡によって描かれるIS曲線と、貨幣の需要量Lと貨幣の供給量Mの均衡によって描かれるLM曲線から、その交点として利子率と国民所得の値を導出できることを示した理論である。

 W.レオンチェフ(1906−1999:「産業連関分析」)は、現実の統計データから、部門間の投入と産出の流れを行と列に配列し、産業連関表を作成した。そこから単純な計算(割算)により、投入係数を算出した。この投入係数は、部門間の相互依存関係を実証的に操作可能な数値を表現した重要なパラメータであり、安定的に一定であると仮定すれば、個々の経済問題を産業連関表の需給バランスに従って、連立一次方程式を解く数学的操作に置き換えることができる。この投入係数は、経済循環の中間財取引で、産業連関モデルの中心的な役割となる。これは最終生産財に着目したワルラスの一般均衡モデルに対して、新しい経済モデルを提供した。

 ジェイムズ.E.ミード(1907−1995:「国際経済政策の理論」「変動為替相場論」)は、イギリスのケインズ学派の国際経済学者、国際貿易と国際資本移動の理論に先駆的な貢献をした。特に、ケインズのケインズ経済学とヒックスの一般均衡理論を国際経済学の分析に適用し、国際経済政策の理論を構築した。また、ミードは、一般均衡理論の幾何学的考察や代数学的考察を行って、イギリスの自由主義的な政策論を展開した。

 J.K.ガルブレイス(1908−2006:「ゆたかな社会」1958、「新しい産業国家」1967、「不確実性の時代」)はカナダ生まれの米国の経済学者、その手法は経済制度論や経済体制論の分析、当時のアメリカ経済を伝統的な自由経済でなく、大企業や労働組合あるいは大規模な商業組織など、産業界の各領域で競争を制限し、政府の干渉が広がっていると捉えていた。近代的な大企業の発達で米国経済は競争が著しく不完全になり、競争価格が成立しないので、大企業を中心に独占や寡占の経済制度に注意すべきとした。企業の生産活動が消費者の嗜好や選択によるとする消費者主権の考え方にも疑問を投げかけた。企業は宣伝や販売術を通じて消費者の欲望を積極的に創り出しており、自立的に決定された消費欲望ではないと指摘した。

 ケネス.J.アロー(1911−:「社会的選択と個人的評価」「組織の限界」)は、一般均衡理論の数学的な解明などで新しい厚生経済学を樹立した。効用を極大化する多くの消費者と利潤を極大化する多くの企業からなる競争的市場において、競争的均衡は存在し、パレートの意味で最適(効率的)だという厚生経済学の基本定理を証明した。

 ミルトン.フリードマン(1912−2006:「消費の経済理論」「資本主義と自由」「選択の自由」「貨幣の悪戯」「実証的経済学の方法と展開」1971)は、消費分析、貨幣史、貨幣理論などで貢献した。貨幣数量説を主張、ケインズ経済学の問題点(貨幣の役割の軽視)に立ち向かった。消費は長期的な所得に依存するという恒常所得仮説を唱えた。

 ポール.A.サムエルソン(1915−:「経済分析の基礎」1947、「経済学」1948)は、静態的および動態的な経済理論の発展と分析水準の向上に貢献した。特に、アダム・スミスやリカードの経済学(投下労働価値説)に、マルサスの支配労働価値説、ミルの生産費説などの「古典派経済学」にケインズのマクロ経済学的分析を組合せ、新古典派総合と呼ばれる経済学の分野を切り開いた。それは、不況時に公共投資を実施することの有効性を指摘し、景気の過熱や過度の後退を避けることで、前進的経済成長を維持できるとした。

 フランコ.モジリアニ(1918−2003:「生産計画、投資および労働力」)は、イタリアのローマ出身の経済学者、貯蓄と金融市場に関する先駆的な分析を行った。個人の消費と貯蓄の在り方(消費関数)について、「ライフサイクル仮説」を提示した。合理的な消費者は、生涯所得を考えた場合、生涯の効用の総和が最大になるように現在の消費と貯蓄(将来の消費)に配分する。退職後に所得がないと仮定すると、消費者は若年期に貯蓄をして、退職後にそれを取り崩して消費に充当する。この仮説は、将来所得と消費水準を想定して、現在の消費を決定しており、視点を過去から将来への時間軸で捉えることに特徴がある。これはケインズが消費はその時点での所得に規定されると考えたのに対して、生涯所得の予想としての恒常所得が現在の消費を規定するという。また、消費は過去の最高所得にも依存する相対所得仮説を主張した。

 その後、マートン・ミラーとともに定式化した企業財務に関する「モディリアーニ=ミラーの定理」を1958年に発表した。これはある条件の下では、企業価値がその資本構成(資金調達が株式の発行によって行われるか借入によって行われるか)に影響されないことを証明した。いま、同じ利潤を得る2つの企業を考える。一方は自己資本のみ、他方は自己資本と負債、自己資本のみの企業が過大評価されているとする。株主は過大評価されている自己資本のみの企業の株式を売却して、自己資本と負債を持つ企業の株式を購入して売買利益を得る。この取引は両者の企業価値が同じになるまで続けられ、結果的に両者は同じ企業価値になる。

 J.トービン(1918−:「マクロ経済学の再検討」「インフレと失業の選択」「国家経済政策」)は、金融市場と財政支出、雇用、生産、価格との関係を分析した。特に、資産選択理論を貨幣需要、そして金融資産の保有行動に応用した。株式投資にはリスクがつきもの、分散投資でリスクを少なくする。トービンは、リスクのない資産(貨幣)を導入して、ケインズによる貨幣の流動性選好説に合理的基礎を与え、貨幣経済における資産市場のストック均衡と財市場のフロー均衡の関係を明確にした。ここで基本的な役割を果たすのが「トービンのq」、これは株式市場で取引される株式価格とその企業の資産価値との比、厳密には平均のqでなく、限界のq、このqが1を超える時は企業が株式を発行して資金を調達し、それを投資に向けて利益を上げることができる。つまり、qが1より大きい企業は投資活動が株式発行利益を生み出すといえる。また、国民経済で投資が円滑であれば、qは大幅に1から乖離しないはずといえる。

 J.M.ブキャナン(1919−:「公共財の理論」「公共選択の理論」「自由の限界」)は、公共選択理論の創始者、経済や政治の意思決定理論の総合化と体系化に顕著な貢献をした。ブキャナンによれば、個人の存在から超越した国家とか公共的利益は存在しない。国家の構成員は個人、個人の主体的な役割と行動が重要である。この場合、集団としての意思をどう集約するかにあり、個人の選好を優先しその効用の極大化を目標とすると、必然的に個人間の衝突は避けられない。この衝突を避けるためには、その組織の制度やルールを全体的な枠組みの中でしっかりと確立しておく必要がある。国家も市場も個人間の協力で存在するので、それらは相互に独立し相反する利害を持つ個人間の交換や取引を介して、妥協によるその仕組みを作り上げなければならない。このための経済理論が公共選択論である。

 ローレンス.R.クライン(1920−:「計量経済学入門」)は、ケインズのマクロ経済モデルに基づき、アメリカの経済変動を計量経済モデルで分析した。そして、マクロ経済学及び計量経済学を飛躍的に発展させた。その結果、マクロ経済モデルの作成と政策への応用の道を切り開いた。特に、シカゴ大学のコールズ経済研究委員会で経済予測のシステム開発と経済政策のビジネスへの影響を研究した。1951年には6本の方程式から成る計量経済モデル(クライン・モデル)を構築し、直近20年のアメリカ経済を概観してみせ、朝鮮戦争後の軽微な経済後退を予測した。なお、クラインは、大不況について、企業家が投資に弱気になり、所得決定のための財市場で市場が機能しない状態であると考えていた。景気変動・経済政策を分析する上での経済的なモデル・手法の開発に対して、1980年にノーベル経済学賞を受賞した。

 ロバート・ソロー(1924−:「」)は、ハロッドの経済成長理論に対し、不変と考えられた資本係数を変化するものとした。それは「ソロー・スワンのモデル」と呼ばれる。基本的な考え方は、資本増加が人口増加を上回った時、資本1単位当りの生産効率が次第に下がり(資本量が2倍になっても生産は2倍にはならない)、資本の増加量が鈍化して、人口増加率に追いつき、逆に人口増加が資本の増加を上回ると、資本1単位当りの生産効率が上昇するので、資本増加率は人口増加率に追いつくことになる。一時的なショックで資本と人口の増加率が乖離しても、長期的な資本の増加は人口増加率に収束し、資本をより効率的に使えるような新技術が登場しない限り、一人当りの国民所得は増加しないことになる。このモデルの問題点は、技術進歩と貯蓄率が外生的に与えられていることにある。その後、技術進歩を経済活動の成果として取り込んだ内生的成長モデルが生まれた。

 ジョン・ナッシュ(1928−:「」)は、非協力ゲームの均衡の分析に関する理論の開拓を行った。非協力ゲームとは、プレイヤーが提携しないゲームのこと、そこにはナッシュ均衡と呼ばれる非協力ゲームにおける均衡解に関する定義と特性が含まれていた。ナッシュ均衡とは、他のプレーヤーの戦略を所与とした場合、どのプレーヤーも自分の戦略を変更することによって、より高い利得を得ることができない戦略の組み合わせ、言い換えれば、どのプレーヤーも戦略を変更する誘因を持たない状態を意味する。その事例に囚人のジレンマがある。囚人のジレンマは、個々の最適な選択が全体として最適な選択とはならない問題、非ゼロ和ゲームの代表例でもある。この問題自体はモデル的であるが、実社会でもこれと似たような状況(値下げ競争、環境保護など)が頻繁に存在する。

 G.ベッカー(1930−:「差別の経済学」1957、「人的資本」、「経済理論」)は、人的資本論の構築など、ミクロ経済分析の領域を人間の行動様式や相互作用といった非市場分野まで広げた。最初に、ベッカーは人種や宗教や性など、偏見や差別が現実の所得や雇用において、格差を生み出しているかの解析を試みた。その結論は差別する側もされる側も双方の経済状況を悪化させる可能性があるという。犯罪や刑罰にも経済理論を適用し、国家の最善の選択は、有罪判決の確率を下げ警察や裁判の関連支出の低下、犯罪に走ろうとする人々が刑罰を逃れる危険性、この二つをバランスさせるべきとした。家族の問題にも触れ、子供をどれくらい持つかを耐久財への需要理論を類比させて定式化し、家計で家族の成員がどう時間を配分するか、どのような合理的計算で配分と分業が決定されるかを一般的モデルで明らかにした。家族の経済理論では、家族の形成(結婚)と消滅(離婚)、家族内部の分業と資源配分を取り上げ、基本的に結婚が生物的差異に基づく交換契約、男女双方の効用を高めることで成立するという。特に、人的資本論では、学校教育や企業内訓練を人間に対する投資行動と見なし、それが教育への需要や生産性および賃金構造にどのように影響するかを論じた。この人間行動の経済学は、人間を機械と同一視するとの反感がある。しかし、労働市場で観察される多くの規則性に汎用的な枠組みを与え、労働経済学の一つのベースになっている。

 ロバート・マンデル(1932−:「」)は、カナダの経済学者、さまざまな通貨体制における金融・財政政策(「マンデル・フレミング・モデル」)と、「最適通貨圏」についての分析をした。

 アマルティア・セン(1933−:「」)は、ミクロ経済学の視点から貧困のメカニズムを説明した。特に、途上国の購買力と飢餓の関係を説明し、貧困は単純に生産性の問題だけでなく、競争における市場の失敗によってもたらされたことを明らかにした。また、センの経済学は、高度な数学を使う厚生経済学や社会選択理論において、適応選好や潜在能力アプローチ、人間の安全保障などの概念、経済の数理解析や厚生経済学への貢献によって、1998年にノーベル経済学賞を受賞した。

 ロバート・エマーソン・ルーカス(1937−:「」)は、 合理的期待仮説の理論を発展、応用し、1970年代以降の財政・金融政策などマクロ経済理論に大きな影響を与えた。合理的期待形成の仮説によると、経済政策の実施と効果が情報の発達で予めほぼ正確に予測できるため、既に生産主体の行動に反映され、政策の効果が極めて短期的にしか生じない。つまり、財政や金融の政策は、国民がその実施を全く予期していなかった時にのみ効果を持つと考えた。

 マイロン・ショールズ(1941−:「」)は、金融派生商品(デリバティブ)価格決定の新手法(ブラック-ショールズ方程式)を完成させた。ブラック-ショールズ方程式とは金融工学におけるデリバティブ(金融派生商品)のヨーロッパ型コールオプション(満期日にのみ権利を行使できるコールオプション)のオプション・プレミアムに関する無裁定価格理論(ブラック・ショールズモデル)に現れる偏微分方程式の境界値問題のことである。このモデルは、1973年にフィッシャー・ブラック(Fischer Black)とマイロン・ショールズ(Myron Scholes)が共同で発表した。

 ジョセフ・E・スティグリッツ(1943−:「スティグリッツ公共経済学」)は、情報の非対称性を伴った市場の分析をした。経済学では、市場における各取引主体が保有する情報に差がある時、その不均等な情報構造を情報の非対称性 (asymmetric information) と呼ぶ。情報の非対称性は、人々が保有する情報の分布に偏りがあり、経済主体間において情報格差が生じている事実を表している。情報の非対称性を最初に指摘したのはアメリカの理論経済学者ケネス・アロー、医者と患者との間にある情報の非対称性が医療保険の効率的運用を阻害するという現象を指摘した。スティグリッツの業績は、ある経済主体が他方の私的情報を得るために使用されるスクリーニングに関する技術である。スクリーニングは、入学試験や入社試験あるいは資格試験など、商品の品質を保証する。例えば労働市場において企業が労働者を雇用しようとする場合、労働者に対して入社試験を課し、これによって企業は労働者の能力を確保する。

 フィン・キドランド(1943−)は、動学的マクロ経済学へ貢献し、経済政策における動学的不整合性を指摘、リアルビジネスサイクル理論を開拓した。リアルビジネスサイクル理論は、景気循環の要因を生産技術や財政政策などの実質変数(実物的要因)に限られるとするマクロ経済学の理論、リアルとは実質的(実物的)を意味し、モノに関連した要因を意味する。ビジネスサイクルは景気循環のこと、実物的景気循環理論と訳されることもある。

 リアルビジネスサイクル理論は、ジョン・ミュースのアイデアに基づき、ロバート・ルーカスが最初に定式化したマクロ経済学のモデルである。この理論の主張点は、マネーサプライや物価水準などの名目変数の変動が景気循環を引き起こすのではなく、生産技術や財政政策などの実質変数(実物的要因)のみが景気循環の要因となるというもの、その前提となる仮定は、合理的期待を形成する代表的個人の存在、このモデルでは1人の「異時点間を最適化する」個人を用いて表現され、この個人の行動は構成員全員、さらには経済全体を代表しているように見ることができる。また、貨幣の中立性も暗黙のうちに仮定され、合理的期待から導かれている。

 ルーカスは、生産性ショックがあるという条件下で、モデル内部で景気循環が現れることを示した。古典派経済学では、個人の生産性が低下したとすると、実質所得もまた低下する。代表的個人がすべての生産を担っているとすると、完全に競争的な労働市場では個人は限界性産物に等しい賃金が支払われる。異時点間の最適化行動の下で、生産性ショックが消えて実質所得が再び上昇することが合理的に期待できる場合、代表的個人は最適化行動の結果として次の期まで働くことを留保し、代わりに余暇を消費する。その集計の結果として、負の生産性ショックは自発的失業と経済活動の低下つまりGDPの低下をもたらすことになる。したがって、このモデルの主要な結論は、景気循環は市場経済の効率的な働きに完全に合致したものとなる。これは経済の動きが常にパレート効率的であることを意味している。このモデルでは非自発的失業は一切存在しない。

 さらに、経済に対する財政的、金融的介入は常に無益である。政策ルールに基づくあらゆる行動は合理的期待を形成する個人に完全に予想され、個人が利用可能ではない情報を政府が握っていたとしても、政府は市場の結果を改善できない。仮にそれができたとしても、政府は単純に情報を開示してしまうことになり、各個人をパレート効率的な結果に至らせる。問題は合理的期待や代表的個人に関する仮定にある。但し、欠落した市場が全く存在しないと仮定すれば、完全に競争的な財・資産市場の場合と同様に分析ができる。

 リアルビジネスサイクル理論は、多くの人が非現実的とするような結論を導いている。例えば、非自発的失業の存在を否定したり、短期であっても貨幣の中立性を課している点である。さらに、長期にわたる不況は世界のほぼすべての国で確認されているが、これを説明するに当たり、生産性ショックは十分に大きくないかあるいは十分な持続期間を持っていないという議論が行われている。

       (この項は書き掛け、未完の状態のままです。)

(文責:yut)

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