企業の中の学校と企業内教育

企業内教育
企業内技術者教育
技術者研修
企業経営と事業運営の普遍的なモデル




企業の中の学校と企業内教育

企業内教育について
 企業内教育とは、従業員に対して、企業の業務に求められる能力を向上させ、従業 員に内在するものを引き出すために行なわれる。
 基本的には、自己啓発、OJT、集合研修に代表されるが、その内容は多岐に渡り、 社会人のマナー、自社の概念教育、仕事上で必要な技能教育など、仕事の場面に 対応した知識や昇進・異動に伴う教育が必要とされる。
 最終的には、企業が従業員に教育を行うことで、自社に利益を与えてくれる人材あ るいは企業の経営を担う人材を育成するために行われる。
 特に、最先端のビジネス情報や技術情報の共有化により、自社の企業競争力を高 め、同時に、訓練や習熟により、その知識や技能を国際的に通用するもの、さらに は他社を凌駕するものを引き出すことにある。
 また、企業内教育は教え合い学び合う場でもあり、人は教師と生徒の両面を持ち、 相互に能力を高め合う仕組みが存在する。
 企業内のキャリア別教育を考えると、若手層、中堅層、経営層に大別でき、必要とさ れる能力に大きく違いがある。
 若手層は新入社員を含む若手集団、比較的に能力が低く、仕事を遂行するため に、多くの教育や上司の指導が必要になる。
 教育や仕事を通じて、企業での自分の役割を見出し、結果を一人で出すようになる と、中堅層としての教育が必要になり、専門職か管理職かの教育が求められる。
 ここで重要なのは、上層部との意思疎通であり、一方的にキャリアコースを決め付 けられると、本人に挫折や嫌気が生まれ、優秀な人材を失うことになる。

企業内教育の環境変化
技術開発が飛躍的に進展する環境
 バブルや大不況が次世代の技術を大きく飛躍させ、新しい産業を生み、産業構造を変える。 進んだ技術は実用化されないものもあれば、単なる思い付きが膨大な市場を生み出すこともあ る。
 私が20歳を過ぎた頃、レーザーホログラムで3次元画像が実現していた。数年後には実用化され ると思った。それがいつまでたっても市場が形成されない。最近(10年ほど前)になって、シンガ ポールで日本の技術だといって実用化されている場面を見た。30年以上も昔を思い出して、懐か しく感じた。技術開発の進展や事業化には情報の共有化が欠かせない。
 例えば、シリコンバレー、ハイテク企業は内部情報を隠そうとしたが、半導体技術が飛躍的に進展 した背景には、企業内教育ではなく、レストランなどでの技術者間の情報交換(共有化)があった。 日本でも酒席は貴重な情報交換の場であった。ある時、これからの技術に薄型テレビが話題に なった。40年以上も昔のことだ。液晶が使えるとか、プラズマでも実現可能、画像走査回路はIC 化が必要など、この技術は日本で誰が専門に研究しているなど、それが数年後には現実になっ た。
 ある程度の最先端の技術開示は重要、人々を活性化させる。昔、学会での研究発表会の後に数 人で会食した時のこと、先輩の研究者から「7:3」の構えが大切と教えられた。何のことかと思った ら、研究成果の70%は公開すべきだ。しかし、30%は1年後の独自の研究成果の糧にして温存 する。この毎年の繰り返しが切磋琢磨の研究と技術の社会を生み、進歩するという。
 企業内教育も研究や技術の成果を公開する場、優れた技術を後世に残す手段でもある。最近は 大学などの教育の専門機関がその責任を負っているように思われるが、満足な成果が得られて いないようだ。特に、日本企業に眠る貴重な技術情報は陳腐化される傾向があるように感じる。
 多様な法的制約や情報の囲い込み、顧客の囲い込みを含む隠された情報があまりに多くなり過 ぎた。さらには今後の情報爆発も無視できない。技術情報のオープン化が不可欠である。

企業内教育の環境変化
 1990年代頃から、企業内教育の環境が急速に変化してきた。グローバル化が進み、職務主 義から成果主義が重視され、人材育成ではなく、即戦力になる優秀な人材が求められた。
 大半の人々が大学に入学できるようになり、教育は企業から大学や専門学校あるいは外部委 託へ移ったようだ。特に、教育のアウトソーシングが顕著になった。民間の競争が激化し、企 業の体力も無くなりつつあった。米国企業・米国化は企業内教育を軽視する傾向がある。
 団塊世代の早期退職、極端な省力化や無駄の排除が技術の伝承・伝達に障害となったようだ。 企業の人材育成は、社会全体のメリットではなく、自企業の利益が優先されるようになり、長期 雇用を前提としない教育に変化した。私の世代は企業内教育の恩恵を最大限に受けようだ。
 企業のトップも官僚も政治家も狭い視野で物事を判断するように変化してきたように見えた。 私が定年退職する頃、技術情報のセキュリティがより厳しくなった。特に、日本国内への技術 情報の流出が厳しく、中国や発展途上国への技術情報の流出が甘かったように思う。
 技術の粋は製品や設備に埋め込まれて海外に輸出され、国内での技術の進歩が急速に停滞 し、法的規制も厳しくなり、優秀な研究者や技術者は海外へ流出する傾向が増したようだ。
 「eラーニング」なる企業内教育ツールが普及し、定型的なバーチャル教育や教材コンテンツの 標準化が進み、最先端の技術情報が見えにくくなってきた。
 私達が第一線の技術者時代、製造現場と研究開発室や実験室が身近にあった。理論と実験 が車の両輪のように、常に対比されながら進歩・進行していたように思う。
 シミュレーションも現物があり、現象や事象が事実として確認されて意味を持つ。それが製造 現場は地方工場や開発途上国に移り、理論面のみを日本(本社)に残した。それで研究の第 一線は確保していると豪語する企業もある。
 内容を見ると基本の技術に進歩があまりみられない。ややもすると、世界標準にも参画できな い。日本は、唯我独尊のガラパゴス症候群の技術発展になっているようだ。

環境変化の背景(1990年代以降)
 グローバル化はアメリカ化、ビジネスは生きるか死ぬかの生存競争、国際競争が激化し、企業内 で人を育てる環境が次第に崩壊しつつあった。
 日本企業は終身雇用を前提に社員を家族のように大切にしてきた。アメリカ企業は社員をすぐに レイオフする。バブル崩壊の中で企業のアメリカ化が急速に浸透した。
 アメリカ企業は人の重要性に気付いてはいたが、人は組織が効果的に活用する取替え可能な資 産としての認識が強く存在した。
 日本は、出生率低下による人口の減少、少子化・高齢化が急速に進行し、労働力の減少傾向が 顕著になり、国内市場の縮小と構造的変化が生まれ、企業の研究開発能力が低下し、価値観や 働き方が多様化しつつあった。
 企業内では、指導者の人材不足、人材育成の時間がなく、大切に育てた人材はすぐに辞め、人を 育てる金銭的余裕がなく、素質ある人材確保が難しくなり、頻繁な技術革新の変化が人材育成を 無駄にする傾向(習得技術の陳腐化)が見られた。
 特に、若手の人材育成(企業内教育)が手薄になり、企業の実質的戦力が急速に低下し、雇用の 確保が益々困難になってきた。企業内教育の熱意喪失は若年失業者の増加と無関係ではない。
 情報社会、IT化が進みつつあり、ライフスタイルの多様化が顕著になってきた。一方、国家の財政 制約により、社会資本の拡充が見込めなくなってきた。
 企業は自社保有の資産が重荷になり、土地や建物あるいは設備や事業の一部を売却し、外部資 産をいかにうまく使うかが問われるようになった。
 企業の海外進出が積極的になり、海外需要を積極的に取り組むようになった。
 ビジネスや組織のあり方が問われ、効率重視の階層型から適応重視のネットワーク型へ、破壊的 な再構築、企業文化や価値観の再設計が求められるようになった。

「eラーニング」の普及
 「eラーニング」は電子的な情報技術を用いて行う学習のこと、使用機器にパソコ ン、CDやDVD、デジタルTV、携帯端末などが用いられる。
 CAI(Computer Assisted Instruction)やWBT(Web Based Training)の発展型であ り、情報化の進展に伴って、企業や大学などに普及した。
 基本要素は教材(コンテンツ)と受講者であり、一方向だけでなく講師との双方向コ ミュニケーションも可能、学習成果などを管理する機能もある。
 「eラーニング」の利点として、受講者が同時間・同一場所に集まる必要がなく、自 由な時間と場所で学習でき、学習の達成度は自分のペースで進められ、講師は 必ずしも必要でなく、成績管理の自動化が可能である。
 欠点としては、学習意欲の持続が難しく、質疑応答など、その場で講師との交流 がとりにくい。講師は受講者の状況をデータからのみで、直接把握ができない。教 材(コンテンツ)の作成工数も大きい。
 企業内では、会社の端末を使用する限り、業務の一環として、就業時間中に行う ことになる。 「eラーニング」を自己啓発のためのものとして社外学習にすることも できるが、受講者主体のため、強制力は低い。
 今後の教育は、「eラーニング」(オンライン)と対面型教育(オフライン)の組合せ、 効率だけでは効果は期待できない。人と人との直接対話は重要、情報の共有化、 刺激的な切磋琢磨は欠かせない。

企業内教育の歴史的変遷
 日本は幕末までに庶民に読み・書き・算盤を教える寺子屋が存在していた。
 明治期には徒弟制度があり、明治の中頃、一部企業で見習工制度が設けられた。その多 くは見よう見まねの伝習というべきもの、他に伝える渡り職人も存在した。
 大正・昭和初期から戦中には、実業教育が発達し、企業内養成工制度が生れた。これに は伝統的な徒弟制度、技能者養成、熟練工養成など、多様な形態があった。
 戦後、職業訓練や企業内教育が次第に整備され体系化されていった。また、TWI (Training With Industry)やMTP(Management Training Program)が導入され、 定型的な監督者訓練が広まった。
 職業訓練法が1958年に制定され、公的職業訓練の充実や企業内訓練の積極的奨励がみら れ、国家の技能検定制度が創設され、多くの研修所や訓練校が新設された。
 1985年に職業訓練校は職業能力開発促進法に改編され、生涯学習が掲げられ、公的な職 業訓練は転職訓練や在職者訓練の傾向が強くなっていった。
 経済・産業構造の変化や国際競争の中で企業が存続して成長するには、製品・サービス の高付加価値化が不可欠である。その製品・サービスの中に新たに開発し、工夫した知 恵を組み込むことのできる人材が求められた。このような人材の育成と蓄積に向けて行 う企業活動の一端が企業内教育・研修となり、公的規制の影響を受けない企業内で独自 の多様な人材育成の手法がみられるようになった。
 歴史的変遷の中で企業内教育は、企業固有の職業能力の習得や管理者養成に向けての階 層別教育を中心に展開されたが、時代の進展と共に企業が求める人材像・能力像は変化 し、働く側の意識にも変化を与え、大きな変化をもたらしつつある。

日本の企業内教育の特徴
 当初は集団規律教育、その後、OJT・OffJT・自己啓発による職務遂行に必要な知 識やスキル形成が中心になり、定型的集合教育は階層別・職能別研修を主体に、 短期的な視点による職務遂行教育が多く見られた。
 日常業務を通じては、OJT(On the Job Training On the Job Training On the Job Training)、TQCサークルなどの小集団活 動や昇進制度と結合した自己啓発など、総合的に体系化されていった。
 しかし、経営戦略や人事制度との連動や個々の従業員に対するキャリア形成の視 点が欠け、専門家や経営者が育ちにくい面があった。また、教育・研修の場が企業 内という狭い領域、内部労働市場に限定されている。
 投資効率の視点から、企業内教育は教育と研修の選択と集中を進める方向に歩み だした。これまでは社員の能力を全体的に高める底上げ教育、それが特定の社員 を選抜して教育する方針へ転換した。能力開発の責任主体は企業責任から個人の 自己責任へと変化した。能力開発、キャリア開発の自己責任化に伴って、教育研修 の外部化・専門化が進展し、教育訓練機関と企業、個人のあり方が変化しつつあ る。WBT(Web Based Training Web Based Training)・CBT(Computer Based Training)・eラーニングなど )・eラーニングなど パソコンの活用が進み、学習の方法や手段の多様化をもたらした。産学連携による 大学と企業の交流や共同研究、大学が企業の人材育成を支援する傾向もみられ る。
 企業の教育研修費に減少傾向がみられる。団塊世代の定年や熟年労働力の減少 が到来、産業競争力を強化するために、モノづくり技術の伝承など、人材投資促進 政策および企業内教育・研修投資の活性化が急務であろう。

技術・技能の伝承
 技術は常に変化する。技術は、整理されて知識化され、時空を超えて伝達され る。それは人々の創造的な能力によって生み出される。
 技術と技能を学ぶことは、真似ることから始まり、目に見えるものと目に見えな いものを含め、ハード(モノ)とソフト(サービスと情報)のやり方や方法を極める ことで、その論理とノウハウが伝達・継承される。
 伝達・継承されるモノは、知識と技能と行動であり、そこに価値観の共有や相 手への信頼感や自分に対する責任感を含み、組織の文化や価値判断や行動 基準などが伝達される。
 技術の本質は、先例に学び、先人を尋ね、今ここで必要な本当の技術を求め、 技術を活用して、何かを造り、何かをすることにある。
 本来の技術や技能は極めて属人性が強く、個人が持つ能力に負うところが大 きく、個性的傾向があり、他者に伝えることが難しい。
 技術や技能には、表現可能な形式的な部分と属人的なノウハウ(暗黙知)があ り、この属人的なノウハウの伝承が最も重要である。
 一般的な技術や技能の伝承は、マニュアル、フォーマット、プログラム、設計 図、方法論(仕様書)など、形式的な手段(形式知)が用いられる。
 いま重要と思われている技術や技能は陳腐化する可能性があるが、新しい技 術や技能を学習する能力は陳腐化しない。

教育による効果と発想の転換
 教育により期待される効果は、生存リスクの低減と人間の持つ能力の増強 にあり、人間の持つ心身の働き 『感覚→認知→思考→(記憶)→意志→(情動)→決定→計画→行動』 をより迅速にすることである。 』をより迅速にすることである。
 生存リスクの低減とは、環境、健康、安全、資源など、生存の保障に関する 障壁を低くすることであり、その知恵を獲得することにある。
 人間の持つ能力の増強とは、知的、技術、生産、社会、協調、先見、感性、 倫理などの能力を高めることである。
 特に、日本は、乏しい天然資源、高い人口密度、特殊な言語国であり、少 子高齢化の中で、次世代を育成するため、徳育、知育、体育の向上、人的 資源の最大活用が欠かせない。
 画一的教育から個性的教育へ、分析的な問題解決型から創発創生的な創 造思考型へ、あるべき姿からありたい姿へ、原因と結果から目的と手段へ の発想の転換が必要になる。
 多くの異分野を結合・融合して、新科学技術や新産業や新分野を創生する ことで、知覚と言動による学習を介して、自己意識の創造思考力を高める。
 教育は容器に水を満たすようなものではなく、火を付けて燃やしてやること である。ひらめきは価値観の異なる人との激論から生まれることが多い。

教育の本義(安岡正篤「人生の大則」より抜粋)
 一般に、職業教育は、生活水準を構成する衣食住および必需品や生活手段の生産を効果的に 貢献できる知識と技術の習得を第一義的に考え、芸術・言語・哲学・歴史などは第二義的とされ る。しかし、独創性の根源や人間の行動行為の出発点は常に内面に隠れた個性的なもの、時 代や環境の変化に応じて、どんな仕事にも謙虚にかつ俊敏に習熟して対応できるような人材を 養成する必要がある。
 人間は成長後よりも幼少年期の教育が大切、人間の基本要素は性格と能力と慣習にある。
 性格は感情的要素が作用して、道徳的感情は4〜5歳頃から発達し、7歳頃に性格の型が決ま る。人間の本質的な個性には、明朗・清潔・正直・同情・勇気・義侠・反省・忍耐などがある。
 能力で最も大切なのは知能、徳性に対して枝葉のものとされるが、人間の脳細胞は生れた時に すでに全量を具備しているという。脳髄は3歳で大人の80%程度が発達し、理解力・判断力・推 理力・記憶力・想像力・注意力など、早くから発達し、修練しなければ衰退する。特に、記憶力は 7歳で十分に働き、13〜14歳で著しくなり、その後次第に弱まる。注意力は10歳頃に完全にな り、16〜17歳ですべて成熟する。技能も同様、すぐれた技術は幼少の時から仕込むのが望ま しい。
 習慣は第二の天性、人生は習慣の織物、躾は良い習慣を養うこと、幼児は環境に敏感、恐れや 怒り、憎しみや冷淡に感じやすく、自分が好かれているとか、嫌われているか、自分の占めてい る立場を覚り、親の精神状態や生活状態はすぐに子供に反応し反映する。
 特に、家庭教育は大切、感情の異常な表現や原因不明の行動・行為に影響する。小中学校で の学校教育は人格形成期であり、道徳教育や基礎的な知識・技術を習得させるべきである。こ の時、教師の人格や性行が生徒に多大な影響を与える。
 教育の本義は、目先の功利的なものや一部の偏狭・独断的なものであってはならない。

人間教育と職業教育
 ややもすると、企業は手っ取り早く役に立つ人間を求め、近視眼的な便宜主義に基づ き、(企業内)職業教育を実施する。
 科学や技術の進展は自然を破壊してきた一面がある。人間が自然を征服したと思い 込むのは誤り。化学肥料や農薬の普及は土地を荒らし、作物を痛め、人間の健康を も害した。都市化や工業化は排煙や粉塵さらには廃棄物、地球温暖化など、地球環 境に多大な悪影響を与えた。
 現在、企業倫理や技術者倫理が問われている。知識と技術の進歩は人間の機械化 を強めた。組織と大衆の社会は人間の個性と自由を忘却した。その背景には、人間 教育の重要性が存在する。学生時代には人間としての品性・態度・教養・行動の基本 を習得すべきである。単なる知識や技術だけでなく、徳力や叡智や力量が重要にな る。
 特に、人間としての本質、東洋思想の道の概念など、幼少期での家庭教育や学校教 育において、その基本的な人格形成を身に付けることが重要であろう。学校教育で は、あまりに実用的・功利的・職業的な見解で、間に合せ主義の教育をするのは弊害 が大きいとも考えられる。
 徳性は人間の本性、知識や技能は属性、習慣は徳性に準じ、この三者が相まって人 間は大成する。学ぶことは、徳性を養うこと、良い習慣を身に付け、知識を修め、技芸 を磨くことにある。
 これからの日本は、経済の繁栄・金づくりよりも、人づくり・新たな生活文化の創業創 造にある。気概・気力・骨力(矛盾を処理する力)・元気のある人材育成が求められ る。

企業内の人材教育は何故必要か?
 最大の理由は社会と環境の変化にある。わが国はいままで高度経 済成長を遂げ、地球規模の大競争社会へ入っている。
 この背景には、@市場が、国内も海外も成長を遂げ、拡大したこと。 A金利が政策的に低めであり、これが先行的に設備投資を可能に したこと。Bこれまでの終身雇用制が比較的安価なコストで安定に 人材を確保できたこと。なとが主要因にある。
 しかし、バブル経済が崩壊して、社会状況が従来と大きく変化した。 市場が成熟化し、終身雇用の崩壊が人材を流動化させ、同時に、科 学技術の進展が地球環境に顕著な影響を与えた。このような変化 が人材教育をより一層必要にしてきている。

人材教育の基本的な考え方
 経営理念に基づく人的資源の価値向上を図るため、環境の変化や 技術革新への対応にある。同時に、労働者から人間としての欲求充 足を追求する幸福感にある。

人材教育に求められているもの
 いま企業内の人材教育に求められているものは、変革する組 織や環境への対応、人材としての適正な評価による適材適所、 中長期的なビジョンに基づく適切な人材開発にある。
 人材教育に最も重要な役割を担うのは管理職である。トップか らの意思やポリシーを明確に伝え、さらに企業と個人とを信頼 関係の軸として結びつける役目、人材としての個人の能力の適 正な評価者としての役目を負う。
 これからの人材教育のあり方として、変化の激しい社会環境の 中で、新しい組織や機構に適合した人材が必要不可欠である。
 このために、@学ぶ意思のある個人に対して時間や費用を惜し むことなく支援する仕組み作ること。A自ら意思決定する能力、 問題を発見し解決する能力、現状の変革や発想を転換する能 力、これらを発揮できる個人を育成すること。B人材を適正に 評価し、活用できる管理職の教育を強化することである。

今後の人材育成
 定年退職後、人材育成の場面から、日本機械学会の人脈を経由して、母校 の高校に生の最先端の技術を紹介したく、大学院の教授に話を持ちかけた ことがあった。これからの技術は高校の生徒が何を考え何に興味を持つか が重要とばかりに、自らが特別講義をしてくれた。基本のカリキュラムでな く、最先端の技術の世界に生徒は目を輝かせていた。次世代への知の伝承 と刺激が大切である。
 定年後の技術者(人材)の活用、若手技術者とのコミュニケーション、理論と実験ある いは現実との対比など、これからの企業や日本が抱える課題や問題点は多いが、い ずれも次世代の人材育成が鍵を握っている。学会活動も、知的蓄積や技術的な情報 交換だけでなく、次世代の人材育成により積極的に関与すべきである。
 人材開発の基本は、最低限の知識や情報の共有化も必要だが、良質な善なる個性 を育成・開花させることにあり、善なる夢を描き、善なる社会を構築するような次世代 の人材育成が重要になる。
 これからの人材育成は、企業の求める人材育成だけでなく、答えのない課題(善なる 夢、善なる目標)に対して、地球上のあらゆる知的情報を活用し、自らが最善の回答 を導き出し、それを実現する訓練を次世代の人材に施す必要がある。
 伸びる人材の共通点は「素直である」「好奇心旺盛である」「忍耐力を持ちあきらめな い」「準備を怠らない」「几帳面である」「気配りができる」「夢を持ち目標を高く設定す る」にある。

人を活かす企業の特徴
 人こそ企業競争力の源泉、それは企業内部の人や組織に依存する。
 企業経営には、トップダウン型、リーダー型、ボトムアップ型が見られる。
 経営者が考え社員が実行する企業から社員が考え自発的に行動する企業へ進化し てきている。人材育成の基本は、研修でなく、経験にある。
 企業も組織も人も成長しなければ敗者になる。時代の風を肩で感じ、常に挑戦して前 進しなければならない。企業存続に必要なものは自由意志を持つ人にある。
 超えていくべき目標、破るべき殻を明確にする。その殻に向かって挑戦する情熱を刺 激する。殻を破るべき支援と手助けをする。
 どんなに優れた人材でも、同じ仕事だけをしていたのでは、成長が止まる。未知の領 域に取り組む必要がある。優れた人材を育て活かす企業は組織環境が良く、良い組 織環境を作れる企業には優れた人材がいる。
 企業内教育は実務との一体化が基本、意図・目的・使命・方向性を持ち、組織として の課題が存在し、多面的視点から、物事の本質を議論できる環境がある。
 数多く生まれるアイデアを売上向上やコスト削減に結びつけるスキルが大切である。
 経営理念(企業の存在理由、人材育成の目的)を軸に、情報の共有化が重要、情報 の共有が組織力を強化し、信頼関係を築き、優れた判断力を持つ人材を育てる。この ためには、情報を理解し、人材を活用するための教育が必要である。
 人材モデルに基づく研修プログラム、OJTベースの人材育成、指導員制度などのサ ポート体制の充実、キャリアパス・ローテーションなどを活用する。
 企業内教育の基本は「人を創り」「人を活かし」「人に任す」にある。

むすび
 企業競争力の源泉は、人材の確保と育成にある。人・モノ・金・情報など、企業を支えるすべて は人的資源に依存する。実力と人格、個人の持つ個性ある技術・技能の力は無視できない。
 自分の夢の実現、自分の実力の獲得、世の中への貢献、企業活動は自己満足の手段、成果 主義に基づく金銭的報酬だけではない。
 企業内教育は、ややもすると、視野の狭い企業人を育成する危険性がある。これを補うため に、広い意味での支援教育(生涯教育など)と個人の自発的な努力が不可欠である。
 人は学ぶことを楽しむ生き物、あらゆることに興味を持ち、聞くもの見るもの、すべてが自分に とってどんな意味を持つのかを考えることが重要である。
 企業の成長は人の成長にあり、人の成長は教育と学習が車の両輪、環境と歴史の変化に対 応する力を備えなければならない。
 効果的な教育と学習は、目的を持つこと、アンテナを高くして情報を得ること、アウトプットを意 識してインプットを変えることなどが大切である。
 技術は環境と時代の変化で取捨選択される。また、各企業に潜む膨大な技術情報の多くはい づれ陳腐化して廃棄処分される。次世代に残すべき有用な知的情報を残し、その集大成を教 育(知の伝承)の場に還元すべきである。
 暗黙知を形式知に変換し、その伝承が技術の陳腐化を防ぐ鍵となる。そこに新たな創造的価 値を付け加えて組合せることが求められる。技術と環境は常に変化する。
 企業の活力は人材を重視した創造的な経営風土と情報のオープン化にある。さらに、成長へ の努力と環境の変化に対応した活動が欠かせない。
 国家予算も企業経費も最終的にはすべてが人件費、資源採掘、モノづくり、研究開発など、人 に配分される。ならば、人を育成・活用することを主眼に予算や経費を配分すべきである。

情報の世界
情報の世界の多様性−1
 俳句は「五七五」僅かに17文字、日本語の表音文字「あいう・・ん」 「がぎぐ・・ぱぴぷ」「きゃきゅきょ・・びゃびゅびょ」など、 仮に125種類とし、「五七五」の文字のならびをすべて、厚さ80ミクロンの文庫本の紙に、1頁 あたり18首ずつ印刷する。その厚さは104兆光年になる。その重量 は、文庫本の厚さ1センチメートル当りを125グラムとすれば、6 ×1021トンとなり、地球の重さ205万個に相当する。
 この内、ほとんどは無意味、人の心を動かす俳句の創出、それは作者 の心身を刺激する体験、僅かに17文字に凝縮する創作創造の活動が 求められる。

104.3×1012=12517×80/18/2/1000/1000/光が一年間に進む距離
光が一年間に進む距離=300,000×60×60×24×365×1,000m
情報には宇宙の大きさを遥かに凌ぐ多様性の世界がある。

松尾芭蕉
夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあと
閑さや岩にしみ入る蝉の声
五月雨を あつめて早し 最上川

小林一茶
我と来て遊べや親のない雀
春風や牛に引かれて善光寺
あの月をとってくれよと泣く子かな

情報の世界の多様性−2
情報化の本質
 情報の最小単位は2進数、言葉・音声・文字・記号・画像・動画な ど、あらゆる種類の情報が0と1あるいはオンとオフの組合せで表 現される。ネオダマ(ネットワーク化、オープン化、ダウンサイジ ング化、マルチメデァ化)が進み、インターネット化が飛躍的に普 及し、事象のモデル化、情報利用の目的化、情報の処理と表現が求 められる。
 情報は、ある事象の単なる表現としてのデータ(資料)を変換処理 し、特定の時期と場所において、一定の価値を持った知識体系であ る。人間の行動のための意思決定に用いられ、その結果が行為にな り、成果として評価される。
 情報には、量と質、新規性、精度と信頼性、応答性や適応性、その 評価と費用などが重要になる。
 歴史の記録は過去との対話、夢を描き夢を実現することは未来との 対話、多様な情報が時間軸と空間軸を越えてコミュニケーションを 可能にする。
 情報化とは、与えられる情報でなく、求めて得る情報が不可欠かつ 大切な時代になることを意味する。受動的な人間から能動的な人間 にならなければならない。

情報社会への歴史
 社会の大局的な変動は、狩猟社会から農耕社会へ、工業社会 を経て情報社会へ。
 社会の情報化は、言語から文字(表意文字、表音文字など)を 生み、紙やグーテンベルグによる活版印刷技術の発明から、マ スコミニュケーションの発達を経て、インターネット社会へ。
 情報化の歴史的背景は、マスメディアの発達の歴史、それは表 現の自由の制約とそれへの抵抗の歴史、技術の発達が時代を 変化させた。日本でも江戸時代に新しい事物の出現を禁止(享 保の新規御法度)していた。
 情報の量と質の変化が人類の歴史を形成、情報通信技術や情 報社会の発展に伴って、社会が生成・管理する情報量が急速 に増え、情報の蓄積・検索・整理・アクセスなどについて、より効 率的な手法や技術が求められ、意味を持ち価値ある情報を抜 き出すことが重要になる。

情報爆発時代の到来
 人類が1999年末までの30万年間に蓄積した情報量は 約12エクサバイト(120億ギガバイト)である。とこ ろが2002年1年間だけでネットワーク上に流れた情報 は約18エクサバイト(180億ギガバイト)である。
 全世界で電子データとして創出あるいは獲得される蓄積情 報量は、2006年161エクサバイト、2010年98 8エクサバイト、 2015年10ゼタバイトを超える。
 一人の人間が一生涯で獲得できるデジタル化された情報量 は約1テラバイト程度(多くてもこの数倍が限度)、現在 世界中に電子データとしてデジタル化されて存在する蓄積 情報量は数ゼタバイトとされる。

1エクサ(Exa)バイト=1018バイト
1ゼタ(Zetta)バイト=1021バイト


情報社会は巨大数の世界


情報社会の構造と課題
 情報社会の社会基盤は、電子経済の発展、物流や人流のモニタリング、人間活 動の電子化、情報資源活用・異文化交流などのヒューマンコミュニケーショ ン、エネルギーの情報化などにある。
特に、電子経済の発展は実世界の価値と情報の電子化との連動が重要、貨幣や 証券の電子化は保証・信用(認証・セキュリティ・価格評価など)が不可欠、 リーマンショックの発生はこの実社会との対応概念の乖離に原因がある。
情報ネットワーク社会と実世界との関連付けが鍵、情報ネットワーク社会は法 律や規則あるいは約束を守る社会、実世界は自然科学等の物理法則に従う世 界、この二つの世界を結び付ける仕組み(情報の信憑性)が問題になる。
 一方、科学技術の知的情報は媒体や装置あるいはシステムに集積され、ブラッ クボックス化する傾向にある。これらの緻密に集積された膨大な知的情報につ いて、何をどのような形で次世代に伝承するのかが問われている。
 一人一人が一生涯で必要とする情報を、ネットワーク上でより合理的に効率的 に管理し、必要な情報をすばやく提供する仕組み作りが不可欠となる。
 同時に、増加する膨大な情報から、ゴミ情報や有害情報を除き、安全・安心、 簡便で的確な信憑性のある情報提供を可能にするシステム化が求められる。
 情報の寡占と独占、情報の地域格差や個人格差の問題を意識しながら、自由な 精神に基づく、文化的創造やあそびの精神が求められる。
 法制度(個人情報保護、著作権、不正競争防止など)の枠組みの
再構築が必要 となる。情報の排他的権利の運用に問題点が存在する。

最後に
 知識や情報のほとんどは人類の歴史の遺産、歴史なくして知の源泉は存在し ない。科学技術の基盤は感性に基づく好奇心と理性に基づく探究心にある。
 歴史は時間軸と空間軸の織り成す人間のドラマ、歴史を学ぶことで過去との 対話が可能になり、夢を描き実行することで未来との対話が可能になる。
 人間の歴史には栄枯盛衰の必然性がある。組織の退廃・堕落には共通の筋 道がある。支配階級からの頽廃と堕落が、知識階級へ拡大し、一般民衆に影 響する。企業も同様であり、トップの資質とあるべき人材育成が大切である。
 歴史から人間は「どんなことをするか」を知り、「どんなことをすべきか」を学ぶ ことが大切である。個人、組織、国家のあり方が常に問われる。
 科学技術は万能ではない。人類社会の発展には、心ある人々の知力の結集 が不可欠、持続可能な社会を常に意識すべきである。
 現代企業は夢を実現する場となる。「T(Target)→P(Plan) →D(Do) →S(See) →C (Check) →A(Action)」に基づき、企業の存続と目標に向かって、戦略的マネジメ ントを展開し、社会の情報化と結び付けて夢を実現すべきであろう。
 文明の発展は、自己の健全化、人間交際の改良と人類の智徳の進歩にあり、 人間の持つ欲望と感情と理性の調和が鍵となる。そして、さらなる学問のすす めが、国家の独立と文明の進歩に必要不可欠である。
 善なる夢を描き、善なる智慧で、善なる社会を実現させたいものだ。

(文責:yut)


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