台湾事情−台湾の半導体産業とその動向−

台湾の半導体産業
エネルギー
熱の仕事当量

台湾事情−台湾の半導体産業とその動向−

1.台湾の半導体産業
台湾の半導体産業は1966年に高雄へ台湾通用電子公司がトランジスター組立工場を設立したことから始まる。その後、1967年から70年にかけて、外資商社が台湾に工場を設立し、ICパッケージ技術とテスティング技術を持ち込んだ。この頃、IC生産の後工程としての産業基盤が台湾に形成された。1974年、台湾政府は工業技術院電子研究所(ITRI:Industrial Technology Research Institute)を設立、政府経済部の委託を受けて「ICモデル工場設置計画」を実施した。1976年、米国RCA社から7μmCMOSICの設計と生産技術を導入、研究開発を推進し、その成果を民間部門へ移転して具体的に事業化を進めた。当初は部分的な研究開発で商品化まで至らなかったが、技術者を米国RCA社へ派遣、研修経験を積み重ね、数年でICの国内生産を可能にした。1980年、ITRIの技術者の共同出資と政府の資金投入により、最初の台湾ICメーカー聯電公司(UMC:United Manufacturing Corp.)が設立され、4インチウエハーの生産を開始した。これは台湾のスピンアウト方式と呼ばれ、台湾の半導体産業を育成する基盤となった。

 台湾政府は1979年から83年にかけて「電子工業研究発展第2計画」、1983年から87年にかけて「VLSI生産計画」を実施した。この間、小規模な半導体生産工場の設立申請と工場建設に伴う政府補助金申請が急増した。台湾積體電路(TSMC:Taiwan Semiconductor Manufacturing Co. Ltd.)が1987年に設立され、6インチウエハー工場を設置した。TSMCは、VLSI化が進む中で、大規模な生産設備で多くの小規模生産を共同で行うことができる受託生産専門の工場として、オランダのフィリップス社との合弁によって設立された。この時、台湾の半導体産業は、商品化プロセスにおいて、分業化と専業化の道が拓かれた。その後、TSMCは世界有数の受託生産(ファンダリー)企業に成長した。1980年代は、台湾にICメーカーが急増し、IC設計の専門企業が生まれた。90年代以降、パッケージテスト専門企業、マスク専業など、半導体産業の川上から川下までを網羅する企業が相次いで設立され、水平分業の産業基盤が形成されていった。

 台湾の場合、政府主導の工業技術院や電子工業研究所が中心になり、スピンアウト方式によって半導体産業を設立・育成した。この時、台湾半導体産業の基礎を築いたのは、米国企業とシリコンバレーで活躍して帰国したエンジニアである。事実、1990年代に米国のシリコンバレーで活躍した半導体技術者の約3割は台湾人であった。彼らは米国企業より高収入の得られる台湾企業へ就職し、台湾で起業するために帰国した。そこで、シリコンバレーで培った技術が発揮できる産業基盤を築き、シリコンバレーの最新技術を迅速に入手する体制を築いた。台湾政府は、世界の半導体産業の後発参入を意識し、ファンダリー・ビジネスに注力、半導体産業を工程分野別に、設計・製造・パッケージング・テスティングに区分して育成した。台湾でファンダリー・ビジネスが成功した背景には、資源の集中、政府の優遇税制と技術サポート、優秀な技術者の存在が挙げられる。台湾の受託生産(ファンドリー)企業は、パソコンのマザーボード、チップセットやグラフィック、DRAMなど、生産品目を台湾が得意とする数百品種に限定し、資源の集中と効率的な生産を可能にした。政府はハイテク産業の育成政策により、設備投資の一定範囲内の利益に対して非課税の優遇政策を実施した。この結果、投資に余裕が生まれた。さらに、設立5年以内の半導体企業に法人税を免除し、半導体製造プロセスの開発と民間への技術移転をサポートした。そして、米国のシリコンバレーから帰国した優秀な技術者が存在した。また、台湾企業は、設備の稼働率を低くし、生産する製品の種類を抑え、工程間の待ち時間を減らし、工程の遅れを最小限に食い止め、生産LTの短縮を実現した。このことから、超特急品をより高い値段で受注可能にし、稼働率を上げるよりも高い収益が得られるようになった。顧客からの受注製品は、現在どの工程にあるのか、インターネットで確認できる体制を整えた。生産ラインの定型プロセスは顧客に公開し、自社で生産可能な製品の受注獲得を目指し、プロセス変更やライン新設の無駄を省き、迅速な生産を可能にして、顧客満足を提供した。資金面では、政府の税制優遇以外に、株式市場からの資金調達が容易であり、華僑ネットワークが豊富な資金と巨額の設備投資を支え、企業の自己資本率は平均50%程度である。


2.台湾の新興産業政策
 台湾政府は、半導体産業を含む重要なハイテク産業を10大新興産業と位置付け、関連政策を適用して、ハイテク産業の育成に注力してきた。10大新興産業とは、通信、情報処理、民生用電子、半導体、精密機械、航空宇宙、先端素材、バイオ製薬、医療、環境の分野である。台湾の産業政策は、直接介入と間接介入に大別され、産業レベルが低い場合に直接介入によって業界再編や規制を通して産業発展を促進する。産業が発展すると、投資環境を整備し、人材の育成や外資企業の誘致など、産業のインフラ整備を政策の主眼に置き、間接介入に移行して直接介入を抑制する。直接介入では、産業毎の詳細な政策を縦割りにして展開する。間接介入では、個別企業への介入でなく、産業連関に基づく産業群に対して、横断的な政策を展開する。特に、直接介入による政策は、供給と需要の側面に分けて政策が展開される。供給面の政策には、投資促進のための土地取得免税や低金利融資がある。また、研究開発を促進するために、技術導入や共同研究による技術移転、国際的な技術提携をサポートしている。より詳細な介入としては、「主導的な新製品開発指導計画」や「計画的な技術応用、普及と技術指導」、「民間における事業開発と新規商品製造奨励法」など、援助と融資を供与し、技術開発の成果を確実に民間企業へ移転させて、その活用を徹底させている。そして、開発コストの削減と新技術開発を積極的に進め、投資や生産の際、開発基金や交通銀行を通して、新規産業への投資を促進させ、低利融資や設備投資を支援している。需要面の政策には、社会資本の充実を通して、公共建設や軍事機器などを発注し、新興産業の発展に有用な市場を確保する。国営事業には国産品の優先購入により、国内産業の発展を促進させる。さらに、産業基盤を整備するため、開発促進と投資環境に関する間接介入の政策を展開する。間接介入としての環境面の政策は、土地、電気、水道、通信などのインフラ整備、知的財産権の保護、新興産業を重要科学技術事業と捉え、株主の投資に対する減税、企業の超過利潤の留保などを認めている。

 半導体産業に対しては、既に政府主導によるスピンアウト方式により、半官半民の企業として、TSMCやUMCを設立した。その後、TSMCとUMCは世界的な企業に成長し、世界市場の激烈な競争に勝ち残り、台湾の半導体産業を担ってきた。現在、半導体産業は、外国企業との提携強化や合併などによるグローバル化が進められ、台湾政府の政策転換が求められている。つまり、台湾の民間企業が市場競争力を持ち、十分な情報を入手できるようになり、政府主導によるサポートを必要としなくなってきた。この結果、台湾政府はスピンアウト方式を抑制する方向に政策を変更した。また、半導体産業を含め、通信機器や情報処理の産業分野に対して、産業連関を重視し、包括的な産業政策を導入する方向にある。


3.台湾のファンダリー・ビジネス
 受託生産(ファンダリー)企業は、生産工場を持たないファブレス企業が製品の回路設計やレイアウト設計を行って、前処理工程が委託生産されるビジネス形態であり、顧客の委託に基づき前処理を施した製品をウェハー形態で納品する。このようなファンダリー・ビジネスは、従来の日本では付加価値の高いビジネスとして捉えられていなかった。日本の半導体ビジネスは、垂直統合型企業(IDM:Integrated Device Manifucturer)の資金力と総合的な機動力、高度な生産技術を背景にして、世界一の半導体の生産と消費を可能にしてきた。しかし、1990年代以降、半導体の市場構造は劇的に変化し、垂直統合型企業の硬直的な構造問題が顕著になった。例えば、垂直統合型企業のIC設計は、自社の高度な生産技術に頼り、余裕の少ない回路設計になり易く、歩留改善に要する期間が長くなり、コスト高になっていた。水平分業型企業の場合、設計と生産の会社が異なり、高度な生産技術に頼ることができない。この結果、生産を委託されるファンダリー企業は高い歩留を達成できる。さらに、水平分業の産業構造は外部との競争が激しく、短期間での設計開発、より高品質・高歩留の生産が求められる。つまり、企業のコア・コンピタンスが分業の高度化を可能にし、他社に提供でない利益を顧客へもたらすことを可能にする。それは企業内部に秘められた独自のスキルや技術の集大成であり、企業間競争を介して、市場で主導権の獲得を可能にする。分業が経済を飛躍的に発展させたように、企業のコア・コンピタンスは、組織内に分散する個々の暗黙的な知識や知恵、個人個人のスキルやノウハウを生かすことが大切なのである。それはリストラやダウンサイジングによる省力化や効率化が企業の競争力を高めるのではなく、産業構造の変化が求められることを意味する。垂直統合型企業の企業内分業を水平分業型企業による社会的分業に組替え、コア・コンピタンスによる比較優位性を発揮して、市場経済での社会的な競争力強化を可能にする。

 半導体業界の水平分業は組立工程のアウトソーシングからスタートした。その後、組立専業の業者が最終検査工程まで請け負うようになり、一部の大手業者は新しいパッケージ開発まで行うようになった。これらの下請け業者は、「サブコントラクター」「サブコン」(外注業者)と呼ばれた。代表的なサブコン企業にはアムコー・テクノロジー社(本社:米国ペンシルベニア)や台湾のASE社がある。その後、設計だけを請け負うデザイン・ハウスが数多く誕生した。台湾のファンダリー・ビジネスは、設計開発や販売とマーケティングを行うファブレス企業、主に拡散工程の委託生産を行うファンドリー企業、組立やテスティングを主体とするアッセンブリー企業に区分される。ファンダリー・ビジネス・モデルは1980年代に確立されたが、当初は「ファブレス」ビジネスで資金調達が困難なベンチャー企業の選択する道であった。そして、台湾のTSMCやUMCに代表されるファンダリー企業は、最新のプロセス技術を導入し、業界をリードする最先端の水準を確保した。半導体技術の微細化には巨額の設備投資が伴う。2001年の半導体不況の時、垂直統合型の大手の半導体メーカーは、インテルを除き、設備投資額を大幅に削減した。しかし、TSMCやUMCは、減額の幅を少なくし、総額でインテルやサムソンに次ぐ高い投資額を維持した。

 1990年代になると、IPプロバイダーと呼ばれる新しいビジネス・モデルが登場した。IP(Intellectual Property)は設計資産であり、プロセッサを含む大規模な回路ブロックのコアや特定の設計技術のライセンス販売を行う。代表的な企業として、ARM社(本社:英国ケンブリッジ)やラムバス社(本社:米国ノースカロライナ)などがある。IPプロバイダーは、携帯電話用のMPUコアの提供など、検証済みIPブロックの再利用を通して、複雑化、高集積化するシステムLSIの設計を短期間で完成させる。このビジネス・モデルは、デザイン・ハウスやファブレス半導体メーカーとは異なる。顧客は、半導体メーカーだけでなく、半導体ユーザやファンダリーまでの広い範囲を対象にでき、比較的小資本で開業可能であり、ビジネスのリスクが低い。このような半導体業界における水平分業の進展は、新たなビジネス・モデルを生み、多くの巨大企業を誕生させた。

 日本の場合、現時点で世界的なデザイン・ハウスやIPプロバイダーは存在しない。日本にはUMC傘下の企業もあるが、世界的なファンダリー専業企業が存在しない。一時、0.35μCMOSプロセス全盛時代に米国のファブレス・ベンチャー企業が日本の半導体メーカーをファンダリーとして使用していた。しかし、主力製品が0.25μのプロセスになると、米国のファブレス半導体企業は生産の委託先を台湾のファンダリーへ移行させた。例えば、世界最大のファブレス・メーカーであるザイリンクス社(本社:米国サンノゼ)は生産委託先をセイコー・エプソンからUMCへ、アルテラ社(本社:米国サンノゼ)はファンダリー先をシャープからTSMCへシフトした。日本の半導体メーカーは、設計開発、拡散工程、組立や選別・検査をそれぞれに子会社を設立し、系列内での分業を行っており、最新の設備が導入されていてもファンダリーとしての量産工場ではない。この結果、各工程を担当するそれぞれの子会社は同業他社との競争にさらされない。また、地方の子会社のトップは親会社からの天下り、人事面での緊張感に欠けるという問題もある。つまり、相互の「もたれあい」が世界的な市場での競争力を失う危険性がある。一方、組立/テストの後工程に目を向けると、日本の半導体メーカーは各地方子会社工場の整理統合を進め始めた。最終的に、これらの子会社は系列外からの仕事を請け負う独立した会社に移行させる必要がある。さらに、今後は拡散工場を保有する日本の半導体メーカーも汎用品のウェハー・プロセスや後工程を海外企業にアウトソーシングする比率が高まると予想される。最近、ファブレス企業が日本にも設立され始めたが、台湾や上海等に設立された中国企業に生産をアウトソーシングすると見込まれ、このままでは半導体産業も日本の空洞化が進むと思われる。このためにも、生産を担当する各地方子会社工場や設計専門子会社を完全に自立させ、系列外からの受注を可能にした厳しい市場競争での生き残りを賭けた水平分業の促進が欠かせない。従来の垂直統合型企業モデルの解体が日本の半導体産業に求められているのである。


4.中国大陸および海外市場との関係
 台湾の国土は面積約3万6千kuで日本の九州とほぼ同規模、人口約23百万人、名目GDP約9兆7千億台湾元(約2900億ドル:2003年)、1人当り名目GDP約13千ドル、輸出額約5兆台湾元(約1500億ドル、内対日輸出額約120億ドル:2003年)、輸入額約4兆4千億台湾元(約1100億ドル、内対日輸入額約330億ドル:2003年)である。日本との輸出入関係はこの10年間大きな変化がみられない。但し、対日貿易上の特徴および問題点として、90年代以降、対日赤字が拡大傾向にある。このため、対日批判も見られたが、全体で貿易黒字を確保しており、IT分野などを日本から輸入することで、生産技術の導入が進められ、批判は下火になっている。むしろ、中国大陸との輸出入推移に注目すると、2001年(輸出/輸入=47.5/59.0億ドル)、2002年(99.5/79.5億ドル)、2003年(214.2/109.6億ドル)と高い伸びを示している。その他の国との貿易取引額は、米国(輸出/輸入=259.4/168.2億ドル:2003年)、欧州(204.5/162.4億ドル)、ASEAN(144.1/169.8億ドル)などである。特に、香港(輸出/輸入=283.5/17.3億ドル)との取引(輸出入差)に注目する必要がある。これは三カ国間貿易の仕組みが前提に存在する。

 三カ国間貿易とは、台湾A社は、香港B社の注文により原材料を同社へ輸出し、香港B社の親会社である日本のC社にその原材料代金を請求するような事例である。この場合、B社は原材料を加工し製品として日本の親会社C社に納入し、B社とC社間では、その原材料の代金決済を行わない。つまり、原材料は「台湾A社→香港B社」、製品は「香港B社→日本C社」の流れになる。しかし、原材料の代金は「日本C社→台湾A社」の流れであり、製品の加工費は「日本C社→香港B社」の支払いになる。この応用として、ドロップシップ(転廠制度)と呼ばれる新しい委託加工のビジネス・モデルがある。ドロップシップは、第4の外国企業D社が最終顧客になり、製品を「香港B社→外国企業D社」へ直接納品する事例であり、製品代金は「外国企業D社→日本C社」で支払われる。このようなビジネス・モデルで重要な点は、物品と代金の流れが必ずしも相対関係でないということである。従来の古いビジネス・モデルは物品と代金の流れが相対関係にあることを大原則にしていた。新しいビジネス・モデルでは、さらに情報技術が加わり、地球規模で市場競争が比較的容易に展開される。三カ国間貿易の場合、契約と代金決済関係は、B社がA社と原材料供給に対する契約を締結し、B社が確実に製品の生産を行うために、A社の原材料供給の納期と品質の確保が最重要条項になる。また、C社はA社からその原材料代金の請求を受け、B社へ確認後に支払を実行する約定が不可欠である。さらに、必要とあれば、C社が原材料代金の支払をA社に行う旨の契約を締結し、C社によるB社の信用補完が求められる。B社とC社の間は、B社が原材料を加工して製品をC社に納入すること、その代金は原材料の輸入経費・加工費・梱包費・製品の輸出経費など、C社がその費用をB社に支払う旨を契約する必要がある。このような海外生産調達の契約形態は、C社側から見ると、「逆委託加工貿易契約」「製造委託契約」となる。なお、台湾から香港へ原材料を供給する場合、この2国間での輸出入上の規制を無視できない。C社が製品を日本へ輸入するための規制(特に関税など)の有無も大切である。例えば、親会社C社が子会社B社の生産した製品を日本へ輸入するとなると、その特殊関係(親子関係)が輸入取引価格に影響を与える可能性がある。C社がA社へ支払う原材料代金も問題になる。B社がC社向け製品の生産に使用した工具や生産設備品などの費用および消耗品代などが製品の取引価格に含まれるのかも問題になる。つまり、それらの物品がC社から無償提供され、価格操作されていると、その費用及び代金に課税される可能性がある。B社がC社から技術指導および設計図面や各種の役務提供を受けている場合、それらも課税評価の対象になる。したがって、これらの課税評価の決定は、微妙な点もあるが、具体的な実例に基づいて税関へ確認すべきである。

 台湾と中国大陸との経済的関係は、1991年2月に中台交流によって生じる問題を処理する民間仲介機構「海峡交流基金会」が設立され、92年7月に中国大陸と台湾との交流に関する基本法「台湾地区と大陸地区の人民関係条例」(両岸地区人民関係条例)が公布された。その後、93年4月に両岸民間交流機構のトップがシンガポールで会談、96年8月に中国「台湾海峡両岸間航運管理弁法」が公布され、福州とアモイの2港を両岸直航の実施港として指定した。そして、97年4月に中国船「盛達輪号」が台湾の高雄港に入港し、両岸「直航」が半世紀ぶりに再開された。99年9月に台湾中部を中心にM7.6の地震が発生して多数の犠牲者を出したが、2000年9月に両岸関係の金融業務の往来が解禁され、華南、彰化、中国国際商銀、土地、合作金庫、世華、中国信託商銀の8銀行が中国に事務所を設立した。そして、11月には両岸関係の業務往来が解禁され、OBU(海外金融機関)と中国の銀行との直接為替が緩和された。2001年1月は、馬祖、金門と中国本土との通商、通航、通信のいわゆる「小三通」を解禁した。11月に台湾政府は、中国への投資に対するこれまでの「戒急用忍(急がず忍耐強く)」から「積極開放、有効管理」に政策を変更し、従来禁止していた中国への5千万ドル以上の投資を解禁、ノートパソコンや携帯電話など、122品目の投資が認可された。この時期、WTO閣僚会議(第4回)で台湾加盟が承認され、2002年1月に台湾はWTOに正式加盟、第144番目の加盟国・地域になった。2月には中国から輸入を禁止していた2058品目を解禁、台湾と中国の銀行間の直接送金を部分的に開放(財政部の許可必要)した。3月に行政院は8インチウエハーIC工場の中国における建設を部分的に解禁すると発表、4月に立法院は「台湾地区と大陸地区人民関係条例」修正案を可決、これまで禁じていた大陸資本の台湾での不動産投資を認可するように修正し、科学工業園区や工業団地などを含め、中国へ開放した。8月になると、保険業の中国での支店または子会社の設立を許可し、「在大陸地区従事投資或技術合作許可弁法」が修正され、中国への直接投資を解禁した。2003年1月には、春節(旧正月)時に限り、両岸に初のチャーター便が就航した。そして、10月に両岸関係条例が修正され、両岸の経済交流、中国の台湾投資、金融保険分野の先物取引の直接往来、中国の商品および労務に関する台湾での販促広告、両岸住民が少額の人民元を携帯し入国することなどが大幅に緩和された。このように、最近、台湾と中国大陸との経済関係は積極的に交流が展開されている。


5.台湾の半導体企業
 台湾の半導体企業は、製造部門が過半数を占め、ファンドリー・DRAMファンドリー・DRAM専業に分けられる。そして、ファンドリー市場が拡大し、台湾のシェアが世界のファンドリー市場の過半数を占めている。特に、その中核になるのが「TSMC」と「UMC」である。台湾の半導体企業は製造工程別に企業が存在する。開発設計・マスク作成・ウェハー・製造・化学処理・リードフレーム・組立(バッケージング)・選別検査などである。さらに、これらの企業を支援するCAD/CAM・原材料・設備・人材派遣・金融・物流・税関処理・工業団地管理などの小さな企業群が存在する。企業数からみると、設計部門が最も多く百数十社はあると推定され、次いで選別検査部門や組立(バッケージング)が数十社はある。特に、半導体製品の開発設計段階において、回路設計・素子設計・プロセス設計・量産化などに分業化されるが、量産化段階では設計と製造の統合関係が重要であった。しかし、最近の技術力では、最先端プロセスでない限り、これらの統合関係をほとんど考慮することなく、分業関係が形成し易くなっている。なお、台湾の半導体産業は効率性を追求するために水平分業を推進したのではなく、広範囲に存在する知的財産(IP)に対し、顧客獲得に必要な知的財産を持つ企業との関係構築の過程で必然的に水平分業型の産業構造が形成されたと考えられる。現在、台湾の半導体メーカーには、ファンドリーの「TSMC」と「UMC」以外に、設計・生産・販売システムなどの総合的な計画・運営システムをサポートする華邦電子(Winbond Electronics Corp.)、不揮発メモリーとシステム統合ICの製造専門の旺宏電子(Macronix International Co. Ltd.)、パッケージとテスティングを専門とするWAE(Walsin Advanced Electronics Ltd.)やSPIL(Siliconware Precision Industries Co. Ltd.)やOSE(Orient Semiconductor Electronics Ltd.)などがある。また、デザイン・ハウスとして、凌陽科技(Sunplus Technology Co. Ltd.)やEMC(Elan Microelectronics Corp.)やICSI(Integrated Circuit Solution Inc.)、チップセット供給メーカーのSIS社(Silicon Integlated Systems Corp.)、メモリー・ロジック・ASIC設計のファブレスICメーカー宇慶科技(Utron Technology Inc.)、ICデザイン・ハウスの瑞豊半導体(Realtek Semiconductor Corp.)、パソコン用ICの開発設計専門のITE(Integrated Technology Express Inc.)などが代表される。

 世界の半導体産業は1990年代に入り急激に市場が拡大した。市場拡大に呼応して、半導体各社の設備投資額も急増させた。しかし、94年以降になると、供給過剰傾向が顕著になり、DRAM価格の暴落を招いた。この時、韓国や日本のDRAMメーカーは余剰設備を利用してファンドリー事業に参入し、受注獲得競争を繰り広げた。台湾企業は、ファンドリー・ビジネスの将来性は高いと意識していたが、従来のビジネス手法に限界を感じ、分業による付加価値を高めつつ、生産とサービスを融合した新たなビジネス・モデルを模索していた。それは「フル・ターンキーサービス」と呼ばれ、製造部分だけの受託に加え、システム・ソフトの提案やその開発および検査工程を含む広範囲のサービスを請け負うものである。例えば、TSMCは、製造工程以外の分野の専業企業と提携し、受注から納品までの全工程を一括で請け負うターンキーサービスを開始した。このサービスの特徴は、在庫を抱えないので、コスト削減ができ、受注価格を抑制できる。受注から出荷までの窓口を1ケ所にすることで、責任の集中と明確化ができる。開発設計および拡散投入から出荷までの流れがスムーズにでき、納品までのトータル・リード・タイムを短縮できる。柔軟な受注体制が構築でき、品質保証体制がその責任の明確化によって容易に確立できる。また、台湾のTSMCは、新たな技術者養成や設備投資をすることなく、様々なサービスを顧客へ提供でき、より多くの多様な顧客を獲得できるようになった。顧客から見れば、生産委託だけでなく、設計から製造・検査および納品まで、台湾のTSMCへ発注し、アウトソーシングの幅を広げることが可能になる。

 この「フル・ターンキーサービス」は、工程別に存在する専業企業と分野の異なる企業が提携し、企業グループが形成される。従来の垂直統合型企業との違いは、部門間の調整や部門間のもたれ合いを排除でき、経営スピートやコスト競争力などの水平分業の強みが発揮でき、トータルサービスを提供できることである。事実、TSMCは「ワン・ストップサービス」と呼ばれる顧客サービスを提供、自社の仮想ファブ機能の広報活動をしている。その内容は、インターネット情報へのアクセスサービスに始まり、IPプロバイダーやシステム専門のベンダーとの提携、ASIC設計の提携、ベンダー・パートナー・リストを提供して広範囲の製品群に対応した何段階もの階層毎のサービスを可能にしている。すなわち、従来のファンドリー企業から脱皮し、日本の垂直統合型企業に十分に対抗できる市場競争力の強い総合半導体メーカーの様相を示し始めた。なお、台湾の半導体メーカーの企業グループにはTSMC系とUMC系があり、TSMC系の中核企業はVanguard社(製造)・Walsim Advanced社(組立)・FICTA社(組立)、ASE社(選別検査)など、UMC系の中核企業はSiliconware Precision社(組立)・Sigurd社(選別検査)などがある。また、このような台湾の仮想垂直統合型企業の課題は、知的財産権の問題、高額なライセンス料、市場からの低価格化要請、継続的な設備投資とそのタイミングにあるとされる。しかし、今後、注目すべき点は台湾と中国本土との経済関係の緊密化であり、政治的な軋轢がある中で、台湾から中国本土への直接投資が進み、台湾企業が中国本土へ積極的に進出している。そして、顧客、IPプロバイダー、デザイン・ハウス、ファンダリー企業、組立検査専業企業との相互関係が重視され、ファンダリー・ビジネスやフル・ターンキーサービスなど、グローバルな市場競争力を持つビジネス・モデルが展開されると考えられる。さらに、新たなビジネス・モデルが生まれる可能性も秘めている。

(参考資料)
1.日本貿易振興会海外経済情報センター著、東アジア半導体産業市場調査報告書、1999年7月.
2.伊藤宗彦著(http://www.cisrep.jp/)、ファンドリー企業の競争力分析−台湾半導体産業における水平分業化とアライアンス−、2004年6月.
3.JETRO(日本貿易振興機構)、http://www.jetro.go.jp/biz/world/asia/tw/、台湾.

(文責:yut)

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