古代と近代の社会思想

ギリシャ思想
ヘレニズム思想
エピクロス哲学

古代と近代の社会思想

・社会思想
 人間は孤独でなく、協力して生産したり消費するように、必ず他の人間と一定の関係を結び、集団的な社会生活を営んでいる。特に、社会思想は、生産関係によって規定される社会体制が重要な意味を持ち、生産のための協力関係や分業の発生や生産する人々の結合の仕方等が問題になる。そして、原始共産社会、奴隷制社会、封建制社会、資本主義社会、社会主義社会等の体制が生れたり滅びたりしてきた。思想は、思ったことや考えたことであり、絶えず変化して人の言動に影響を与え、一人一人の人間の一挙手一投足を支配する原理原則として体系化できる。

 社会思想は、社会に対する見方や社会観であるが、現実に生活して行動する人間が生活感情や意見を持ち、人生観や道徳律を作り、世界観や歴史観及び哲学や宗教を生み出し、科学や芸術に関係する。また、思想は主体的で断片的で直観的であり、科学は客観的で体系的で理論的ともいえる。

 社会思想の評価規準は、創造的な主体の確立の程度、幅広い領域や範囲の包括性、実証性と論理的密度を持つ科学性、社会の矛盾に変革を与える革命的な実践性、多くの人々や後世に対する影響力等に基づいている。そして、その歴史的な背景は、思想家の教義を時代順に並べた教義史、民衆思想史や農民運動史や革命運動史等の社会問題史、哲学史や経済学史や政治学史や文学史や宗教史等の個別思想史、自然法や自由主義やアナキズムやナショナリズムや社会主義等の各思想史に基づく観念・精神史が構成される。

 したがって、社会思想を歴史的に捉える方法は、思想を社会の経済的構造に制約される上部構造と捉え、階層的に理解する唯物史観、思想を生み出す過程に宗教や理念の役割を追及する方法(ウエーバー社会学)、知識の諸形態を社会的諸条件と関連付けて研究する知識社会学などがある。

・古代の社会思想
 紀元前二千三百年頃、古代エジプトでは神の御言葉による世界の創造が語られていた。その後、エジプトでは魂の不死の思想が説かれた。バビロニアの「ハンムラビ法典」が成立したのは紀元前千七百年頃、神々および神となる君主を敬いながら人間関係の秩序を保証する法規が存在していた。ここに「目には目を、歯には歯を」という同害刑法が見出されている。

 インドでは、紀元前千五百年頃、インドの伝統文化の基礎となる「ヴェーダ」が存在した。これは予見者に与えられた絶対的な神の言葉、世界の恒久的な秩序を形成する永遠の真理を表現する。「ヴェーダ」は、神々、儀式、犠牲を強調するが、唯一の原理を求め、存在や非存在を超越する概念、聖なる言葉、人格なき絶対者、宇宙そのもの、あらゆる実在の根底となるものと考えられた。

 インドの「ヴェーダ」は哲学的に発展し、賢者の認識の眼差しが自分の内部に向けられ、生命の原理を自分自身の内に悟るようになる。そこで、輪廻転生の教えやカルマ(業)の教えが登場した。そして、この世の生は苦しみであり、悲観的な考え方が生まれ、その解脱への願望が論理的に展開された。その結果、禁欲的な手順で自らを浄化し、そのことで自己のこの世の生起から救い出すことが必要とされた。

 この頃、エジプトでは、神をほぼ単一のものと見なす思想が生まれ、創造神(アモン)と太陽神(ラー)の融合、さらに太陽神のみを信仰する一神教の概念が芽生えた。旧約聖書のモーセがヘブライ人をイスラエルの民としてまとめ、エジプトから砂漠を通って連れ出した「出エジプト記」では、彼らに政治的・宗教的な法を与え、神の言葉を授け、神はモーセを通して、神との契約(シナイ契約)を結んだとされている。この神は一般的な神でもなく、運命に服従するオリンピアの神々でもない。あらゆるものを超越した宇宙の創造者、唯一神の概念である。また、聖書に書かれている道徳的な戒律は、人間に語りかける神の言葉として、絶対的・無条件的・実践的なものとなった。

・古代ギリシャ思想
 ギリシャに都市国家が出現したのは紀元前八百年頃、ギリシャ人の聖書はホメロスの「イリアス」と「オデュセイア」である。トロイ戦争を題材にユートピアの描写がオデュセイアの叙事詩にある。ヘシオドスの人類発展の段階は、黄金時代、銀の時代、青銅時代、英雄時代、鉄の時代に区分して、人類が黄金時代から次第に堕落したと考え、ヨーロッパ文学最古の歴史哲学が知られている。アリストパネス(紀元前446−385)は、ギリシャの大喜劇詩人であるが、軽薄な民主主義や女性の進出を非難するための女の議会で共産主義の描写がある。また、貴族制から民主制への過渡期におけるソロンの改革に始まるアテナイの民主主義制度、民会や評議会や官僚機構や裁判機能を持つペリクレス時代の民主主義制度がある。

 古代ギリシャの経済構造は、奴隷制生産様式であり、市民が分割地所有者となり、2〜3人の奴隷を所有して、戦時に重装兵として軍に参加する権利と義務を持っていた。つまり、直接参加と平和主義を建前にした民主主義は限られた市民についての話であった。その背景には、都市国家を中心に、地縁に基づく共通の利害関係や宗教と倫理を同じくする共同体の基盤があり、生活感情や行動目的が同一の同質社会があった。そして、経済活動が盛んになり、多数の外国人や奴隷が流入して、同質社会が崩れると、ペリクレスは両親がアテナイ市民に限り市民と認め、多くを市民リストから除き、市民は、2年間の軍事教練を義務付け、国家に忠誠を誓った。

 古代ギリシャ民主主義社会の背景には、アテナイで活躍したソフィスト(賢い人)があり、町から町へ巡回して弁論術などの知識を授けて謝礼を受け取る人々がいた。そして、ソフィストは、智者を自任して、教える人となり、道徳の相対性を主張し、論争に勝つことを目的に、名声を博して利益を得た。また、ソクラテス(紀元前469−399)が出現し、無知の自覚に基づき、たずねる人となり、普遍的道徳の存在を確信して、無知を自覚させることを目的に行動したが、誤解されて刑死した。

 ソクラテス以前の思想家として、タレス、アナクシマンドロス、ピタゴラス、ヘラクレイトス、パルメニデス、クセノパネス、レウキッポス、デモクリトス、プロタゴラス、ソフィストなどが知られている。しかし、その詳細な思想内容を直接知ることは困難である。その多くは、自然と宇宙を自ら思索の対象とし、それまでの擬人的な神話による説明を排除し、より一般化された非擬人的な説明を求めた。特に、説明を試みようとしたものに「すべてのものはどこからくるのか?(事物のはじめは何か?)」「すべてのものは何から作られているのか?」「自然の中にあるものが多く存在するとはどういう事か?」「なぜ数というひとつのものでそれらを説明できるのか?」などがある。

 タレス(紀元前624−546)はフェニキア人、政治活動に従事したが、後に自然の研究に携わり、天文学に通じて、日食を予言した。特に、この世に存在するもの、生きるものすべて、これらを説明する根源あるいは原理を明確にすることを命題とした。そして、万物の根源を水と考え、大地は水の上に浮かんでいるとし、存在する全てのものがそれから生成し、それへと消滅していくものと考えた。

 アナクシマンドロス(紀元前610−546)はタレスの親類かつ弟子であったという。自然に注目して、万物の根源は無限なもの、有限なものはこれより生じ、寒熱を持ち、罪によって滅び無限なものに再び帰するとすると考えた。雷、稲妻、雷鳴を空気中の単なる現象として扱おうとし、日時計を考え、黄道(天球上における太陽の見かけの通り道)を見出し、地球を宇宙の中心と考えた。そして、宇宙は無限、絶えず現れては消えていく、無限に多くの世界を含んでおり、動物は太陽が湿り気を蒸発させることで発生し、人間は魚に似た動物から生成されたと考えた。

 ピタゴラス(紀元前582−496)は、古代ギリシアの数学者であり哲学者、ピタゴラスの定理等で知られている。物事の根源を数と考えた。例えば、男は2、女は3、結婚が6(=2×3) という。線は極小の点の有限個の集合、無理数の存在を否定していたが、ピタゴラスの定理から求められる√2は無理数、この考えは後に修正された。ピタゴラスの思想には輪廻を説くインド思想が入り込んでいるように思われる。

 ヘラクレイトス(紀元前540−480)はギリシア人、万物は流転し自然界は絶えず変化していると考えた。変化と闘争を万物の根源とし、火をその象徴とした。燃焼は絶えざる変化、一定量の油が消費され、一定の明るさを保ち、一定量の煤がたまり、変化と保存が同時進行する姿を示している。そして、この火が万物の根源、水や他の物質は火から生ずると述べた。政治に関しては民主制を軽蔑し、貴族制の立場を取った。

 パルメニデス(紀元前500or475頃−?)とクセノパネス(紀元前570頃−?)はエレア派の哲学者、エレア派は感覚的な経験による認識論的な妥当性を拒絶し、数学的な明快さと必然性を真実性の基準とみなした。パルメニデスによると、哲学は真理に従うものと思惑に従うものがあり、理性(ロゴス)が真理の規準、感覚は精確なものではない。「あるものはある、ないものはない」という論理命題を出発点とする。クセノパネスによれば、存在するものの構成要素は4つ、世界は数において無限であるが時間が変化することで無限になるわけではない。神の本性は球状、人間と少しも似たところがなく、全体が知性であり思慮であって永遠なものという。

 レウキッポス(生没年不詳:紀元前440−430年頃に活動)とデモクリトス(紀元前460−370年頃)は原子論者、レウキッポスの学説によると、事物の総体は限りがなく、互いに他へ変化する。すべては空なるもの(ケノン)と充実したもの(アトム)から成る。世界はアトムが空に落ち込み他のアトムと絡まり合うことで生じる。また世界は空とアトムへと分解する。アトムは一箇所に集まると渦を生じ、その渦の中で形の似たもの同士が結びつき、物体を生ずるという。デモクリトスの学説は、原子は不生・不滅・無性質・分割不可能な無数の物質単位、それは常に運動し、その存在と運動の場所として空が前提にある。無限の空には上も下もなく、形・大きさ・配列・姿勢の違う無数の原子の結合や分離の仕方によって、すべての感覚で捉えられる性質や生滅の現象が生じる。また、倫理の世界では、政治の騒がしさや神々への恐怖から解放された魂の安らかさが理想の境地とする。

 プロタゴラス(紀元前500−430)はデモクリトスに学び、トゥリオイ(アテネの植民地)の法律を作った。「万物の尺度は人間」という言葉で相対主義を唱えた。人間それぞれが尺度、このために相反する言論が成立するという。この主張は詭弁とされ黒を白と言いくるめるとみなされた。ソフィスト(紀元前492−449)は、ギリシアのアテナイを中心に活動、金銭を受け取って徳を教えるとされた弁論家・教育家である。代表的なソフィストにはプロタゴラス、ヒッピアス、ゴルギアス、プロディコス等がいる。

 プラトン(紀元前427−347)は、ソクラテスの教えを受け、イデア論に基づく哲学体系を形成した。イデアとは、多様な中の共通、普遍的、恒常不変なものを意味し、原理、原型、典型、模範、理想である。特に、国家においては、最高で究極なイデアが考えられ、すべてのものが善のイデア(=神)に向かうべきものとして、現実の世界を少しでも善のイデアによって支配される理想に近付けることが賢者の使命とした。

 プラトンの国家論は、国家が人間の欲望の複雑化によって分業が起こり、農・工・商の階級、武人階級、統治者階級に分かれ、それぞれが人間の魂の持つ欲情部分、気力部分、理性部分に相当するとして、それぞれに節制、勇気、知恵の3つの徳が存在し、それぞれの徳を完全に発揮することを正義とした。そして、生産者階級を参政権から除外して、財産の私有と私的な結婚を許可したが、武人階級と統治者階級に厳重な国家統制を加えることを主張した。つまり、私有財産を禁止して必需品を国家から支給、個室や家庭を禁止した共同生活、人口の制限と生殖の国家統制及び妻子共有制等である。特に、統治者階級を重視して、情操教育と性格教育が重要であり、文芸と体育の成績優秀者を年齢別に、算数や幾何及び天文学と音楽理論、対話術と哲学、実務経験を教え、さらに成績抜群のものに哲学を研究させ、哲学者が交替で国家を統治すべきとした。

 プラトンによる国家のイデアは、私有財産批判、共産主義、哲人統治、家族制度の批判、国家の結婚への干渉と優生学的政策、国家による教育重視等、後世の社会思想に影響を与えた。しかし、個人を軽視した全体主義や反民主主義、生産関係や生産階級を無視した支配階級の共産主義、分業の固定化と既存体制の強化、科学技術の発展による社会変革を考慮しないため生産力向上のない後向き改革等の批判がある。

 アリストテレス(紀元前384−322)は、プラトンに学び、古代ギリシャ最大の思想家である。アリストテレスの弁証法は、すべての存在が質料と形相の結合であり、その発展・生成過程を質料が形相に転化する過程として理解した。つまり、銅像を例にすれば、質料が銅であり、形相が像となり、質料と形相が一体化しなければ存在しない。そして、質料は形相と結びつく可能態であり、形相と結びついて現実態となる。これらは、生成と消滅、性質の変化、量の増減、場所の移動に適用され、すべてが可能態から現実態への運動と考えた。

 アリストテレスの国家論は、人間の共同体が男と女、支配者と被支配者等、生命の保存のために2種類が結合するものであり、その組合せが家庭、村落、国家へ発展すると考えた。すなわち、国家は、共同体が最も発展したもの、人工的に造られたものでなく、自然に生まれたものと考えた。そして、個人のために国家があるのでなく、国家のために個人があるとして、全体主義的な理解に基づく国家観であった。

 アリストテレスは、プラトンの共産主義的な共有制を誤りとして、妻子共有制や財産共有制を非難した。一方、奴隷制を積極的に擁護した。つまり、宇宙には支配と従属の法則が存在し、この法則が生物界や無生物界等すべてに適用されると考えた。そして、家族は主人と奴隷の結合、奴隷は独立した人格を持たずに、生命ある財産であり、物を言う道具と考えた。

・ヘレニズム思想
 アレクサンドロス(紀元前356−323)は、アリストテレスに学び、ペルシャ、エジプト、インドを攻めて大帝国を築いた。この時、ギリシャ文化と東方文化の融合がみられ、排他的なギリシャ文化に代わり、新しい文化が生まれ、都市国家から世界国家の時代になった。

 キュニコス(犬のような)哲学は、アンティステネス(紀元前444−365)によって開かれ、ソクラテスに感銘して、よく生きることを求めて、禁欲的な苦行生活を始めた。賢者は、制定された法(慣習、制度、礼儀を含む)に従って国家生活をするのでなく、徳の法に従うとして、徳さえあれば何もいらないという生活態度を実践した。そして、虚栄、うぬぼれ、形式主義を皮肉り、何も求めずに、何も恐れずに、誰にもはばからぬ、自由人であろうとした。つまり、徳への集中と世俗的価値からの離脱を求めるソクラテスの教えを受け、すべての文明を批判して、平等を主張し、反世俗的な生活態度を主体的に果敢に実行した。

 ストア哲学は、ゼノン(紀元前335−263)によって開かれ、その多くの後継者によって補足完成された。自然法思想に基づき、宇宙を構成する根源物質は、プネウマ(気息)であり、永遠の活ける火の神であり、宇宙の形成者であり、万物の父であるとした。そして、この気息は、造化の火、神のロゴスで全宇宙を満し、すべてを支配して、消滅と再生の循環が神の意図とされ、火の運動の自然法則に基づくとした。

 人間は、地上最高の存在であり、宇宙理性の分身であるから、真に幸福であるために、宇宙と人間の自然本性に従わなければならないとした。つまり、自然と理性と徳は同一であり、自然法則が神の意志であって人間の理性の命令であるとした。

 この自然思想に基づき、平等思想が展開され、人間はロゴスの分身であるので、理性を持つことにより、神の摂理に参加して一つに結びついているとした。すなわち、人間である限り、性や階級や人種の差は問題でなくなるとして、人類愛、人道主義、平和主義を生み出した。また、人間の根本的衝動は利己心であるが、利己心を調整すべき社会性が神から与えられており、自然に共同社会や国家を形成するとした。したがって、裁判、警察、学校、寺院、結婚、貨幣等は不要であり、理想的な国家は国家であって国家でないとして、ストア学派の人々は現実の国家を否定したアナキスト達であった。

 エピクロス哲学において、エピクロスの自然学は、デモクリトス(紀元前460−370)の唯物論に基づいており、宿命や目的や摂理を説くプラトンやストア哲学と明確に異なっていた。デモクリトスによると、真に存在するものは、不生、不滅、無性質、分割不可能な無数の原子と空虚な空間からなっており、すべての現象がこの原子の機械的な結合と分離により、物質の生成と消滅及び性質等が生まれると考えた。

 エピクロスによれば、最大の善は、幸福に生きることであり、肉体的や一時的な快楽でなく、精神的・理性的な過去未来の考察に基づく快楽であり、一切の不安動揺から解放された平静心が最上の快楽で人生の終局目的であるとした。つまり、デモクリトスの物質的自然をエピクロスが精神的自然との総合として考えた。

 ストア哲学との違いとして、ストアの自然法思想が、ロゴスによる自然法、人間性は本来社会的、自然状態は黄金時代、自然本性によるアナキズムであるのに対して、エピクロスの自然法思想は、人間の自然本性による自然法、人間性は自己保存欲、自然状態は闘争状態、社会契約による国家形成としていることにある。

 エピクロスの思想は、個人主義的で消極的であり、処世術として人間の生き方を説き、私有財産制度に肯定的であったが、社会制度に関心を持たずに社会批判として消極的であった。つまり、社会制度は快楽追及に役立つ限り意義があり、国家は人民の生活安定のみを目的にすべきであり、賢者は政治生活から遠ざかるのが望ましいと考えられた。

 エピクロスの唯物論的社会観は、後世に大きく影響しており、快楽主義が功利主義に結びつき、ストア思想の禁欲主義と異なる質素な生活が求められ、後のホッブスの思想とも結びついた。

・ローマ思想
 ローマは都市国家であり、周囲の種族を征服・併合して大国家になった。このために利害関係を異にする種族を包含しており、ギリシャ思想のような正義や善のような抽象的な理念でなく、法律に基づき個人の権利義務の観念を明確にした統制が必要になった。この法意識と個人主義は、平等と平和主義に基づき、ストア哲学がローマ法に取り入れられた。

 その統治形態として、初期のローマは君主政治であったが、次第に民主政治に移行して、紀元前5世紀頃に共和政治の形態が取り入れられた。政治機構は、元老院と平民会議及び護民官が重要な役割を持ち、奴隷制の大土地所有者の貴族と商工業者や農民等の平民との政権争いが中心になった。

 支配地域が拡大するにつれ、軍の指揮権を持つ元老院が変質して、カエサル[シーザー](紀元前100−44)の時代には皇帝の専制政治に移り、辺境地域の防衛を軍の有力指導者に委ねたので、皇帝の軍に対する発言権が増大した。しかし、交通が未発達であり、中央集権制が物理的に不可能なため、地方の住民が政治に参加せずに、最小の税金で国王の保護や私的権利の保証等の要求のみがなされた。

 キケロ(紀元前106−43)は、共和政治末期のローマ司法界の第一人者で統領となり、元老院の栄誉回復に専念して、ギリシャ的学問とローマ市民の政治意識を結合させ、ストア思想による理想の世界国家をローマに結びつけ、支配階級内部での自由主義思想に基づくキケロの思想を展開した。

 ローマ時代は、大量の奴隷が用いられ、大土地所有制の農業が行われた。しかし、生産技術が高まると、強制労働による奴隷制が非能率的になり、奴隷の団結が可能になってしばしば奴隷の反乱が起こった。

 また、大土地所有者や商業資本や高利貸資本と農民や手工業者等の自由民との間の矛盾が激化した。ローマ市民は戦争のための租税の負担と兵役に服しており、中小土地所有者や手工業者が没落したので、ローマの軍事力が低下して、安価な奴隷獲得の征服戦争が成功しなくなった。この結果、奴隷制の利点が薄れ、没落市民や解放奴隷による小作人が生まれ、奴隷制度が崩壊した。

・ユダヤ教とキリスト教
 キリスト教はユダヤ教を土壌として芽生えた。旧約聖書はユダヤ教の聖書、大きくモーセの律法と預言者と詩篇なる諸書とに3区分される。特に、モーセの律法の十戒は、人生において優先させるべき3つの大事な事を人に教えている。 最初の4つの戒めは神と人間とのあるべき関係について、5番目の戒めは家族と適切な家族関係の重要性について、最後の5つの戒めは人とその同胞との関係を規定している。

十戒とは、
1.あなたはわたしほかに、なにものをも神としてはならない。
2.あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。
3.あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
4.安息日を覚えて、これを聖とせよ。
5.あなたの父と母を敬え。
6.あなたは殺してはならない。
7.あなたは姦淫してはならない。
8.あなたは盗んではならない。
9.あなたは偽証してはならない。
10.あなたはむさぼってはならない。

 旧約聖書の思想は、神の意思による平等、神は自分の姿に似せて人間を造った。したがって、人間の姿をしたものは、階級や人種や性別に関係なく、神との特別な関係にあり、神に対して直接の個人的な責任を負うことで、人格の尊厳がある。しかし、この平等観は、必ずしも徹底されたものでなく、イスラエル民族が選民となることで、他の民族と区別され、女性は男性のあばら骨一本から創られたとして、男性より軽視された。

 この平等観に基づき「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。」という隣人愛の精神が必然的に生まれた。神の子である隣人の尊重は、神の無条件的な命令であり、隣人の価値や善意によるものではない。隣人を虐げるものはそれを造った神を侮るもの、人は神によって結ばれ皆兄弟姉妹と考える。

 また、旧約聖書は労働の尊厳を教えている。奴隷制は存在していたが、権利の資格を持つ人格を認め、主人は奴隷の所有者でなく、単なる管理者と考えられ、奴隷の休息のための安息日が律法で制定されている。貧者も神の前では平等であり、貧しい者や虐げられた者は、敬虔な者、尊敬すべき者、善良な者とほぼ同義に解釈できる。また、神は万物の絶対的かつ唯一の所有者であり、神との契約によって、神の意志を守るという条件で、すべての財産の使用収益やその処分が許されるという。そこには貧しき者は誰でも豊なる者に対しての請求権を持ち、豊なる者はこれを救済する義務がある。それは慈善や施しではなく、権利と義務の関係にあるとされる。

 なお、メシア思想のメシアとは「油を注がれたもの」という意味のヘブライ語からの言葉、帝王などを意味し、待望された未来の理想王、理想の聖天子、苦難から民衆を救う救世主がメシアと呼ばれる。

 キリスト教は、仏教、イスラム教と並び、世界三大宗教の一つ、約二千年の歴史を持ち、世界に約八億人の信徒数がいる。そのイエス・キリストの教えや思想、メシア思想や神への服従などはユダヤ教とほとんど変わらない。但し、キリスト教は形式化した旧約聖書と堕落したユダヤ教に新しい精神を吹き込み、旧約聖書の救世主メシアがイエス・キリストであるとし、それを行動で示した。

 ユダヤ教とキリスト教の違いは、イエス・キリストを救世主として認めるか否かである。このため、両者は激しく対立したが、キリスト教は、ギリシャ哲学を取り込み、ローマにおいて、国教的な権威を獲得した。しかし、キリスト教のイエス伝は、その奇蹟と行動に合理性がなく、神話と伝説の世界であるとされている。一方、理想的な人間像がイエス・キリストに託されており、宗教的な心理や立場から、神の国を地上に建設するという根本思想に基づき、キリスト教は広く世に伝えられてきた。

 イエス・キリストとその教えに従うものたちの書が新約聖書、それらは紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた。特に、イエス・キリストの生涯およびその死と復活の記録や言葉は福音と呼ばれ、マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝がある。伝承上、マタイ伝は税吏であった使徒マタイによって書かれたとされている。マルコ伝は使徒ペトロの同行者であったマルコがペトロの話をまとめたものであるという。ルカ伝は使徒パウロの協力者であった医師ルカによって書かれたとされている。また、ヨハネ伝はイエスに最も愛された弟子ヨハネが著者であるとされてきた。しかし、近代以降の聖書研究では、これらの伝承が著者を示すものではなく、後代の人々によって加筆修正されていることもわかってきた。つまり、新約聖書は多くの著者によって書かれた書物の集合体である。

 なお、新約聖書には、使徒言行録や多くの書簡などが含まれており、キリスト教思想の発展経緯を伺い知ることができる。特に、キリスト教思想の中核を為すものとして、山上の垂訓(八福の教え)がある。

山上の垂訓(八福の教え)
1.こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
2.悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
3.柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
4.義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
5.あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
6.心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
7.平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
8.義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

 この聖句は完成へと導く原則に従って、熱心に生活する過程をも意味し、その報いとして「完全」がもたらされることを示している。

 キリスト教は唯一絶対の宗教、理想社会のモデル、多くの社会思想や経済思想を巻き込み、世界的に伝播した。一時はローマ帝国の国家権力による激しい迫害を受け、多くの殉教者や離教者を出したが、キリスト教は発展し、西暦313年にローマで公認され、さらに国教となり、異教礼拝を禁じ、貧者の宗教が支配階級の思想に取り込まれた。同時に、ローマ教会が宗教的に主導権を握り、政治への圧力を強め、数々の特権を獲得し、ローマ法典や道徳律に影響を与えた。

 キリスト教は人類の歴史上で最大の影響を及ぼした宗教である。しかし、キリスト教の教えが正しいものなのか、その役割は社会的にどのようなものだったのか、キリスト教の持つ意義を冷静に科学的に検討しなければならない。

 中世のヨーロッパは、キリスト教の権力に支配されていたが、ルネサンスの到来により、その崩壊とともにキリスト教批判に晒された。特に、聖書は信徒の絶対的な真理の書であるが、それは信徒が書いたもの、その記述はそのまま事実ではなく、信仰に駆り立てる脚色が施され、科学的検討に耐えられるものではない。また、その社会的な役割は、貧民のための宗教であり、抑圧からの解放を意味していたが、自らの力で神の国を造るのではなく、与えられるのを待つのみで、非政治的な性格が強かった。それが国家権力と結び付き、教会は富裕な財産を獲得し、上流社会の社交場に変化し、俗化した権力が封建社会を支配した。このことが宗教改革を引き起こした。

・キリスト教の影響
 キリスト教は、仏教やイスラム教と並ぶ世界三大宗教の一つ、ヨーロッパの近代思想の土壌になった。キリスト教はユダヤ教を前提としており、メシア思想や神への服従の思想等に基づき、イエスが新しい精神を吹き込み、堕落した祭司やユダヤ教を改革し、自らの行動で示した。メシアとは、貴い人や帝王等を意味し、待望された未来の理想王、理想の聖天子、苦難から民衆を救う救世主のことである。つまり、ユダヤ人が待望していたメシアはイエスであり、イエス・キリストから出発して、その人格と教えを根本的・最終的なものと考える信仰がキリスト教と呼ばれた。したがって、キリスト教で重要なのは、イエス・キリストという人間(神の子)の存在、その意味、その教え、その行動であり、その基礎資料が「新約聖書」である。特に、イエス自身は何も書き残さなかったが、イエスを救世主と信じた人々によるイエス伝説や説教等が、マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝の4福音書に残された。

 イエスの根本思想は、神の国(天国)を地上に建設すること、神の支配が広く行き渡り、神の本質と意志が完全に実現され、あらゆる悪から救われた神の子(人間)達と神との交わりにおいて、永遠の限りなき幸福と善の世界を実現することにあった。特に、隣人愛の精神は、社会思想として重要であり、神の愛が強調されて愛の精神が強く打ち出された。この背景には、利己主義的な風潮及び社会的地位が高くても精神的に頽廃した支配者や祭司者への痛烈な批判を含んでいた。そして、神の愛と隣人愛は一つになり、人類愛としてのキリスト教の社会的性格を得て、偏狭な利己心や民族主義、国家主義に対抗して、幾多の革命的運動を生み、社会主義にも大きな影響を与えた。

 また、イエスは、貧しい人、賎しい人、悩める人、虐げられた人々に語りかけ、権力者や富者を相手にせずに、恵まれないものだけが救われるとした。つまり、イエスや弟子達は、誰一人として上流階級に属する者はなく、民衆の中で無産者の生活を知り、彼らに深い同情を持って、支配階級の暴虐を憤り、貧者のために説いたのである。しかし、イエスは、私有財産を罪悪視したのでなく、財産獲得欲が人の心を神から離反させることを強く戒め、貧者には貧しいままで救われる道を教えて、富者に対しては自然的な所有を是認しつつ、蓄積欲を非難して隣人愛に基づいた施しをなすように説いている。そこには、神と人との出会いがあり、愛や友情や交わり等、人格的なものが実在の根底にある。このことは、仏教の禅の悟りの境地のように、自分一人で悟るというような思想とキリスト教の神と人との出会いの思想と根本的に異なっている。

 生命観については、人間が造られた存在であり、始めがあり終わりがある有限な存在であることを教えている。人間の見方に対しては、身体と精神及び霊と呼ぶものを認め、人間の肉体的な働きと文化的な働き以外に、神の呼びかけによって心が開かれ信仰の世界へ導かれた霊的な生命を重要視している。そして、すべての生命が神から与えられ、神が生と死の真の支配者であるとして、神と結びついているすべての生命をおろそかに扱ってはならないと教えている。このキリスト教の生命観は、生命の尊厳を意味しており、基本的人権の考え方に結びついている。

 信仰生活の基準としての十戒は、旧約聖書に基づく神の規律として考えられており、これを犯すことが人間としてだけでなく神への罪であると教えられ信じられてきた。十戒には、神についての戒めとして、唯一神教、偶像の否定、神の名をみだりに唱えることの禁止、安息日があり、社会倫理としての、父母への畏敬、殺人の禁止、姦淫の禁止、盗みの禁止、偽証の禁止、貪欲への戒めがある。これらのことは、神への愛と隣人への愛の根源となり、道徳的な価値や世俗法への適用等に分離していった。イエスの福音によると、隣人愛の背景には、血縁関係を否定するところがあり、神の救いによる新しい霊的共同体が考えられており、平等な人間と孤立した個人がみられ、神のもとでの自由と平等の概念や個人主義の土壌が存在している。さらに、アダムとイヴか誘惑されて犯す罪として、すべての人間に通じる原罪が考えられており、性欲に基づき遺伝するものとされている。この原罪は、仏教の業(カルマ)に対応するものであり、人間が持つ根の深いものとされている。しかし、仏教の業は必ずしも罪でなく漠然としており、キリスト教の原罪はもっと厳しく根の深い罪として、人間自身で解決できずに、キリストの十字架の救いによってのみ解決されるとしている。政治との関係からみれば、キリスト教は、国家の権を認めているが、背後に神の権を考えており、国家の法秩序を究極的なものと考えていない。一般的には、法律の網の目が粗いので、法律だけ守ればよいのでなく、人の心に働く良心が重要になる。そして、罪に対する罰は、苦難の問題として捉えており、神の教育的な訓練や神の鍛練とされている。

 結婚観や職業観については、プロテスタントの解釈が、宗教改革以後の社会思想に大きな役割を果たしている。キリスト教は、一夫一婦制を主張しており、結婚と家庭を大事に考えている。しかし、カトリックの見解には、一方で結婚しないことが、神の御旨に叶っているというような考えがあり、他方で一般の人々の結婚を認めているので、二重道徳が存在している。プロテスタントの解釈によれば、結婚しないことが罪だということはないけれども、結婚が人間を豊かにして高めるものであり望ましいものとしている。また、職業や労働について、ギリシャ時代には、身体をもって働く労働をいやしめるものとする思想があり、頭を使う哲学者のような生活を高い生活と考えていた。プロテスタントの考えでは、召命としての職業、労働の神聖、勤勉に地上で働くことが、神の栄光をあらわすとされた。しかし、ウェーバーによれば、イエスの教訓に職業労働を重視して、職業生活を積極的に追求する教えが見られないとしている。むしろ、この考えはカルヴァンやルターによるものであり、原則的に悪い商売等が無く、キリスト教が職業に対する見解を変えたことにより、資本主義が生まれたといえる。

 最後に、近代科学の出現に対しての、キリスト教の影響を考察する。キリスト教の世界観は、宇宙の中のすべてのものが、神によって創造され、神によって支配されているとしている。この宇宙や自然についての考え方は、私達の目前で繰り広げられる様々な現象や種々の変化に何か一貫した秩序があるとされ、一つ一つの事象に壮大な一般原理が存在するという見方が生まれた。この世界観が、中世のヨーロッパに深く刻み込まれて、近代的な科学研究を可能にしたと考えられている。つまり、宇宙や自然の研究は、その根底にある深遠な原理や見事な秩序を見出だして、神の御業の素晴らしさとして、人々に知せることが神の栄光に帰することになると考えたと思われる。また、近代科学の飛躍的な進歩や発展に対して、プロテスタントの影響を無視することができないように感じる。すなわち、自然の研究が、神の創造の御業を知ることになり、聖書を学ぶことと同等に意義の深いものであること。科学を人間に役立て活用することが、神の知恵と力と善とを賛美することになり、宗教的に優れた行為であること。理性的や科学的な訓練が、子弟の教育に必要であり、宗教的な教育要素と考えられていたこと等が上げられる。この考えは、イギリスやアメリカのピューリタンにもみられ、神の創造との関連で生まれた科学的概念に基づいている。このことは、東洋的な自然への見方、つまり、自然と一体になって生活して接していく考え方から生まれなかったと思われる。

・中世の思想
 アウグスティヌスは、神の国において、神の意思と結合した神を愛する天上の国と利己心と傲慢な堕落した地上の国に分けて、善と悪の2元解釈を行った。そして、教会は神の国ではないが、地上における神の国の代表であるとした。この神の国の思想は、数世紀にわたりキリスト教を支配して、法王権等の教会権力を基礎付けた。

 スコラ哲学のスコラとは学校の意味であり、9世紀から15世紀にかけて、緻密な論理と体系を持ち、キリスト教の教義に説明と論証を加えた。

 スコラ哲学の代表的な思想家はアクゥイナス、アリストテレスのギリシャ思想とスコラ哲学を結合させ、宇宙の秩序に対して、神と理性と政治的権威を同列に考え、人間の政治生活は必然であるとして、アリストテレス的な不平等観で支配と従属の関係を是認した。そして、君主政治を擁護し、全体の目的の中に個人の目的があるとして、アリストテレスとキリスト教の理念に基づき、中世の法や政治理念を体系化した。

 アクゥイナスの財産論は、神のみが万物の絶対的所有権を持ち、人間の所有権は神の意思に依存するとして、所有権を封建的所有形態に適合させようとした。そして、神の本源的所有権と人間の自然的所有権に分け、人間の所有権は、使用権、管理・経営権であり、共同利益を重視して、貧者救済のために分け与える心掛けで所有すべきであるとした。

 しかし、財産所有者の擁護論に転化したキリスト教に対して、搾取に苦しむ農民や手工業者が反乱を起こし、農民戦争や階級闘争を展開した。教会改革や革命的な平等を説き、やがて、ルネサンスや宗教改革となり、ユートピア思想等を生み、近代化へと進んでいった。

・近代の社会思想
 マキアヴェリ(1469−1527)の君主論は、統一的な国家の確立と保持に目的があり、指導者がなく、秩序がなく、打ちのめされ、掠奪され、引裂かれ、踏みにじられ、外蛮の残酷専横から救いだすことのできる人を求めた。君主と国家を同一の存在と考え、強力なイタリア統一国家の形成を君主に期待した。マキアヴェリは、人民の幸福が君主の能力にゆだねられ、君主にイタリア統一に必要な支配と統治の方策を授けることで、自分自身の能力が生かされ、イタリア人民の幸福に資するという三位一体の視点がある。

 マキアヴェリによる君主の存在理由とその価値は、君主はひたすら国を獲得し保持することに成功しなければならない。また、それに至る手段方法は、それによって常に是認され、万民から賞賛されるとしている。つまり、寛大、慈悲、約束を守る等、古い宗教倫理は国家を守り獲得するという目的に適合的な手段といえなくなることにある。そして、国を保持するために、君主は時に冷酷であり、約束を守らず、けちが必要であるとしており、非情なまでのリアリズムが要求されている。

 マキアヴェリによると、政治の目的は国の維持にあり、そのために最も重要なのは良き法と良き軍隊だとする。この場合、良き法よりも良き軍隊が重要でり、良き軍隊なきころに良き法は育たないという。また、国は民兵になる市民の力と同盟国という二つの友をもたなければならない。国のリーダーたる君主は力量が不可欠であり、君主自身もその力量を知り、民衆も君主の力量を判断すべきとする。君主は必要とあれば、悪の人間にもなるべきであり、善悪の判断は状況や歴史の流れでどうにでもなる。最後に、これらすべてを包む力として、運命や宿命が重要になる。

 マキアヴェリの歴史と人間のかかわりに対する考え方は、歴史や社会の動きを必然的な法則性の支配する領域と見ずに、暗く予測しがたい運命の手の中にあると見ている。一方、運命や神のはかり知れない力を認めつつ、これに対して諦めることなく、力強く対決して、運命と闘う自律的で主体的な能力のある人間の姿がある。しかし、君主論では、自律の個人が人間や大衆の全体でなく、例外的な特殊な人間であることに注意しなければならない。つまり、君主という例外者だけが、拘束されずに自由になり、古い世界から離脱した人間の解放を得たといえる。また、力強く、雄々しく、運命の暗黒の力と闘う自律の個人は、あくまでも戦争、支配、統治する個人であり、生産や労働等の日常的な職業活動の個人でなく、政治的人間であり経済的人間でないルネサンスの過渡期的性格が読みとれる。

・ルターとカルヴァンの出現
 マルティン・ルター(1483−1546)は、ギリシャ語の新約聖書をドイツ語に翻訳したり、旧約聖書をヘブライ語からドイツ語に訳したが、世俗的な職業労働に積極的な道徳的価値を与えた。そこで、日常労働の遂行こそ隣人愛の実践であり、神の喜ばれる唯一の道であるとしたのである。つまり、カトリック的な修道院の非世俗的生活は、神の目から見て無価値であるばかりでなく、冷たいエゴイズムの現われであり、義務からの逃避であるとした。また、ルター自身は、利潤追求を自己目的とした資本主義の精神に基づいているのでなく、神への服従を与えられた政府や社会的身分や職業への服従であると考えた。

 カルヴァン(1509−1564)は、神がその栄光を示すため、人々の永遠の生命や死を予定して、すべてを決定しているとした。つまり、すべてが神の決定に基づくものであり、決して人間の信仰や善行等によって左右されるものでないと考えた。これがカルヴァンの予定説であり、地上の正義の尺度で神の至高の指図を計ることが無意味であるとして、人は神の威厳を犯すことができないという非人間的な考え方を持っている。

 この魂の救いだけを問題とする非人間的な教義は、各人がその運命に向かってたった一人で道を歩まねばならないという内面的孤独化を導き出し、イギリスのピュウリタン革命等の個人主義の源泉の一つになつている。また、この教義は、非自由意志的で奴隷的な教義にみえるが、権威や身分や魔術的方法等を否定しており、神との交わりが内面的で孤立的なため、人間社会の一切の権威が神の権威の前に崩壊して、自由と解放の教義となっている。そして、いかなる世俗権力や国家権威が無視され、むしろ、国家は教会に奉仕する神の道具とみられ、神の意志を無視すれば神の名で国家を弾劾して、国家への抵抗の権利を持つと考えられた。さらに、神に選ばれた現世の職業労働に倫理的価値を与え、分業に基づく職業労働への専念が隣人愛とされ、生活全体が積極的に合理化・組織化された。

 ウェーバー(1864−1920)によれば、カルヴァニズムに代表される禁欲的なプロテスタンティズムの職業観は、神に喜ばれる程度を決定する職業の有益度が、道徳的標準、生産財の重要性、経済的な収益性によって決定するとしている。そして、利潤の追求が社会全体への貢献度を示す標識となり、資本主義の精神を形成していった。

 トマス・ホッブズ(1588−1679)の思想は機械論的世界観に基づいている。その背景には、マニュファクチュア(工場制手工業)の生産形態があり、自然科学の発展の時期にあらゆる自然現象を力学的な過程から説明しようと考えられていた。つまり、労働の完全な量的化により、有機的な労働の質や個性を同質化・平均化して生産量と結び付けられた。

 ホッブズの国家論は、旧約聖書の巨大な海に住む怪獣リヴァイアサンによって表現され、人間や社会を人工的生命を持つ自動機械に置き換えていると考えられる。すなわち、国家をその構成要素の人間に分解して、その人間をさらに機械として物質に還元している。そして、ゼンマイ時計を人工の生命を考えれば、生命は時計のように運動する物質となり、物質と生命と社会の区別を無くし、人間や社会を法則的な科学の立場で理解することを可能にしたといえる。

 ホッブズの人間論によれば、あらゆる思考の始原を感覚に求め、感覚を人体の諸器官や内部諸部における運動と考えた。そして、想像は感覚の後に残った運動の残骸、映像は衰えゆく感覚として、理解とは言葉やその他の意志の徴候による人間の中に生じる映像であり、人間が言葉によって概念や思考を理解でき、推理を諸部分を加算して総額を考えたりある額から他の額を減算して残高を考えることにほかならないとした。この結果、人間的な感情や神秘性のすべてをはぎとり、愛を人間の感覚が意欲するもの、憎を人間の感覚が嫌悪するものとして、善悪の倫理的な概念を感覚の吸引と反発に対応付けた。

 このことから、社会論において、人間は物質として平等なものであり、平等そのものから人間相互の不信が生じて、この不信が相互の戦争となるとした。つまり、人間の能力の平等から、目的達成に関する希望の平等が生まれ、希望の平等が相互への侵略が由来するのであり、人間の本性のままの自然状態は戦争状態にあるとした。この戦争状態には、正義や不正義等の観念が存在せずに、国家という共通の力がなければ法がなく、法のないところに不正義がありえないとしたのである。このため、戦争状態から免れるには、人々が相互に契約を結び、本来の自然権を国家というコモンウエルスに委ねることだと考えた。すなわち、ホッブズは、自己保存を目的に合理的行動をする人間像を確立して、その人間像の一般化から平等なものとしての人間把握により、平等な人間相互の契約に基づく国家を成立させ、人間の基本的人格を前提にした国家権力の概念を作ったのである。

 本来のキリスト教は人間中心の思想、聖書に「神は人間を自らに似せて造った」とある。イエス・キリストは人間の姿でこの世に現れ、神と人との仲介者として、この世の罪ある人間に接するために神人たる人間になった。それは汚れた人間の肉体ではなく、その魂たる知性に天使の霊的なものを求めたのである。ルネサンスはその人間の尊厳と人間中心の思想を強く意識した動きであった。特に、デカルトはこの人間中心の思想を主張した。

 デカルト(1596−1650)は「我思う、故に我あり」という哲学命題の真理に到達した。そこでは人間の理性、つまり良識の存在を前提にする。良識とは、人間の欲望に左右されることなく、正しく判断し、真なるものを偽なるものから区別できる能力のことである。そして、この良識は、人間に生まれつき備わっていて、この世で最も公平に配分されているものとされる。そこでデカルトは、この世にあるものないもの、ありとあらゆるものをすべてを疑って、すべてを捨て去り、その根本から新しい学問を構築することを試みた。

 この時、デカルトは計画的にかつ故意にありとあらゆるものを疑うという方法的懐疑の手法を用いた。その結果「我思う、故に我あり」の真理に到達し、その過程で人間の精神的実体と物体的実体の区分、ものごとのすべてを小部分に分け、それらを結合して統合的に捉える概念を生み出した。デカルトのいう実体はもの、実存在するために他のいかなるものも必要としないような仕方で実存在しているもの、それは思惟するものとしての精神と延長するものとしての物体、それに神の存在を加え、実体の数は3つある。そこに神の模倣としての人間の尊厳と自覚に基づく人間中心の思想を明確にした。

 スビノザ(1632−1677)は合理主義の哲学者、自然汎神論など独特な思想の持ち主、自然汎神論は神を自然の働き・ありかた全体と同一視する。神こそ自然、神即自然 (deus sive natura) の概念、非人格的な神の概念と伝統的な自由意志の概念を退ける徹底した決定論を展開した。特に、代表作「エチカ」は、副題「幾何学的秩序によって論証された倫理学」とされ、ユークリッドの「幾何原論」のような定義・公理・定理・証明の一大体系で神の必然的存在という論証を試みた。

 また、人間精神を構成する観念の対象は身体であるとし、精神の変化は身体の変化に対応しており、精神が身体から独立にあるわけではなく、二つは同じものの二つの側面に他ならない。この考え方は、デカルトによる精神=観念(内部)と延長=実在(外部)という区別と異なり、同一存在における心身平行論とされ、心身の合一という現実的な在り方を説明した。

 さらに、スピノザはデカルトとは異なり、個々の意志は自由でないとし、自由な意志によって感情を制御する思想(デカルトの「情念論」)を認めていない。人の感情は感情によって、欲求はより強い欲求によって制御されると考え、よりよい有用な状態になるように能動的かつ理性的な認識が可能と考える。この場合、欲求の源泉は個々の自己保存の衝動にある。したがって、この衝動は万人の万人に対する闘争になりかねない。このため、この不十全な衝動をより良い方向へ導くため、全体としての自然(神)の必然性を理性によって認識することが要請される。そして、その具体例として、社会契約による民主的な国家の創設が提案された。

 フランソワ・ケネー(1694−1774)の自然的秩序の思想は、人間が享受する物との関係の概念に基づいており、人間が労働によって獲得した諸物に対する自然権が基本にある。経済表の範式によれば、経済的再生産の秩序は神が定めたものであり、永久不易の絶対的な法則で人間の意志がその運行にかかわれないとしている。経済表の前提は、封建的階級関係において、生産階級と地主階級及び農業以外の労働に従事する不生産階級に分け、権力の支配や従属の関係でなく、商品間や商品と貨幣等の一物一価の法則に基づき、等価交換の関係により成立している。但し、純生産物が地主階級の収入に転化する過程のみ対価がなく、収奪的で不合理にみえる。このことが、絶対王政を自明として擁護しており、政治的前提と経済的内容の矛盾を生み、フランス大革命によって解決された。

 一方、ルソー(1712−1778)は文明の進歩が人間としての堕落をもたらすと断言した。人間不平等起源論によれば、ルソーの人間観は、自己保存と憐憫の二重の把握から成り立っており、理性に先立つものとして、自己保存に基づく功利主義的な効用と倫理的存在としての憐れみに基づく正義の2つの原理を認めている。つまり、人間を効用追求者として一義的に規定するのでなく、正義や憐憫の原理による道徳的存在を考え、自己保存や幸福追求能力のための文明や技術や科学の進歩がそのまま人間の進歩となるのではなく、人間の道徳的な倫理的存在が人間の進歩につながなくなるとした。そして、人間の自己保存能力に基づく発展とともに、人間本来の憐憫や正義の感情の回復を主張した。

 社会契約論では、人間は自由なものとして生まれているが、いたるところで鉄の鎖でつながれているとしている。つまり、自由な人間同士の約束や契約を前提に社会状態の秩序が存在すると考えた。このことは、市民社会の本質であり、人間の自己保存が人間本来の自由の保持となり、正義と効用が分離せずに、法が許すことと利害の命ずることを結びつけ、結社形式の共和国あるいは政治体が成立する。そこでは各構成員が自己とその力を共同体に全面的に譲渡して、この共同体の意志が一般意志となって、市民社会又は国家という社会構成体が契約によって成立すると考えた。

 契約による社会状態ないし国家が成立すると、人間が自然状態を離れ、人間が獲得するものと失うものがあるとした。そして、自然的自由と欲求に基づく獲得できるすべてのものに対する無制限の権利が失われ、代わりに、市民的自由と保持できるすべてのものに対する所有権が手に入れられ、さらに、体力や天分による肉体的不平等の代わりに道徳上及び法律上の平等を打ち立てられるとした。その結果、社会契約によって、市民的自由と私有財産と平等という3つの市民的基本権が定式化された。ここで、ルソーは、一般意志が十分に表明されるためには、国家の中に部分的社会が存在せずに、各市民が各自の立場でしか意見を述べないようにすることが肝要とした。

 アダム・スミス(1723−1790)は国民の労働が富の源泉であるとした。つまり、富を蓄積や貯蔵されたものとはみずに、年々の生産活動とその成果を富と考え、農業労働だけでなく人間の労働一般に拡大した。この時、富の大きさを決定する要因は、労働の熟練と技巧及び判断(労働の生産力の改善)、有用な労働に従事する者の数と有用な労働に従事しない者の数との割合であると考えた。そして、分業が諸国民の富の決定要因でもあり、労働の生産力を改善し、熟練と技巧と判断を高める最大の原因であると考えた。

 人間を分業に導くものは、人間の本性に物と物の取引・交易・交換の性向があり、商品交換が人間社会で一般的に行われる唯一可能な自然の生産社会であると考えたのである。そして、人間は常に他人の助力を必要としており、交換と分業を人間の本性とすることで商業社会を自然で不易な社会とし、交換・分業・契約が人間だけにみられる労働の社会性・共同性にほかならないとした。また、分業への動機は、人間の自愛心や利己心にあり、他人に対する同情や仁慈ではなく、自分自身の利益にたいする欲望に求められると考えた。つまり、社会は、利己心を原理とする人間が私益の追求に刺激され、人間の交換性向にうながされて分業を作り出し、分業が労働生産力を増大させ、その結果が諸国民の富を増大させるとしたのである。なお、スミスの分業論では、職業分化の意味の社会的分業とマニュファクチュアの中での工場内分業が区別されずに両方が含まれ、資本制生産の巨大な生産力を見抜いている。

 初期未開の社会では、労働の生産物がすべて労働者のものであり、富の尺度が財を生産する労働の量と一致していた。しかし、社会の進歩は、資財の蓄積が土地の占有を生み、商品価格が資財の利潤と土地の地代と労働の賃金に分解された。スミスは、賃金と利潤と地代がすべての交換価値の本源的源泉であるとして、その自然率を追求して資本制社会の階級構成を把握した。しかし、労働がすべてを生産するとしたが、何故に労働生産物が賃金と利潤と地代に分解され、労働者が労働の果実のすべてを生産しながら生活維持費しか受け取れないのかを理論的に一貫して説明できなかった。

 カント(1724−1804)は、批判が哲学のための準備・予備学であり、批判の上に真の哲学が築かれるべきと考えた。そこで、「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」の三批判書を発表し、批判哲学を提唱した。カントは、従来、人間外部の事象、つまり物体について分析を加えるものであった哲学を、人間それ自身の探求のために再定義した。

 カントによれば、人間の認識能力には感性と悟性の二種の認識形式が先天的に備わっており、感性には純粋直観である空間と時間、悟性には因果性などの純粋悟性概念が含まれる。この場合、純粋悟性概念は現象を経験として読み得るように文字にあらわすことに役立ち、時間限定たる図式によってのみ感性と関係する。また、意識は感性と悟性に従ってのみ物事を認識する。この認識が物事の経験である。すなわち、カントは、観念論に基づき、認識論を展開した。

 ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(1762−1814)は、ヘーゲル、シェリングと並ぶドイツ観念論を代表する思想家、息子のイマヌエル・フィヒテ(通称:小フィヒテ)も哲学者、知識学をその主眼としてカントの批判哲学を継承し、カントの哲学からヘーゲル哲学への掛け橋を担った。

 フリードリヒ・シェリング(1775−1854)は、神学から哲学へ、特に観念論的な自然哲学であり、その中心概念となるのが、機械論的な自然観に対抗する有機体的な自然の観念論である。また「人間的自由の本質」において、人間は悪を行う自由をもっており、それが人間的自由の本質であるとした。

 ヘーゲル(1770−1831)哲学は理念から出発する。人間の現実的な諸関係から出発するのではない。理念や精神が歴史や世界の実体であるとする。この理念の実現あるいは現象が現実の人間の諸関係と考える。そして、現実的かつ理想的な哲学を展開し、その優れた論理性から現代の哲学研究も含め、後世にも多大な影響を与えた。

 特に、ヘーゲルの精神現象学は、精神の経験の体系とも呼ばれ、経験を知の生成過程と捉え、意識から自己意識を経て、理性を獲得して精神を形成する道程の歴史と考えた。意識は別ものを区別することから始まり、その対象と意識が同じものとなり、確信と真理の一致に至る。ここに他を知ることが自分を知るという意識、つまり自己意識が生まれ、自分の内なるものへ還元され、個の意識が絶対の存在となり、理性を獲得する。

 すなわち、理性とは、自分がものとして存在することの現実そのものという意識である。さらに、このことが物の世界すべてに行きわたっていることを知り、理性の確信が真理となり、その理性が自分自身の世界として意識するに至ったときに、理性は精神となる。この時、他の精神が見える精神、社会の中で振舞う精神は真の精神として、共同体の精神に達する。また、自分自身の何たるかを知る「絶対知」、知がもうそれ以上に進む必要のない地点の知、人がいかなる方法でも到達できない知、そこに絶対的存在なる神の知性を見出すが、その精神は真に完成することはできない。

 カール・マルクス(1818−1883)の理念は、人間の解放にあり、人間本来の共同性と共同体の精神を取り戻すことにあった。つまり、人間社会は、本来共同体生活をしていたが、近代社会と近代思想の発展過程が、各個人の自己保存の関係、私的利益の追求の関係、利己的なエゴイズムの体系に分解している。そこで、マルクスは市民社会を利己主義の支配する社会と認識して、本当の人間共同体は、政治の世界でなく労働の世界でエゴイズムを克服して、私有財産と利己主義及び私益と私権を否定した共同体を実現することにあると考え、社会主義の立場(私有財産の否定)を結びつけたのである。

 エンゲルス(1820−1895)は、資本が蓄積された労働であり、資本を含むすべての富が労働の生産物でありながら、労働者の手に渡る労賃がその一部しかないという矛盾を私有財産に由来するとして、共産主義の立場をとった。マルクスは、さらに、労働者がすべてを生産するのに生活維持に必要な一部の労賃しか受け取らないのは、労働によって作り出された物が労働を支配する資本として蓄積され、労働生産物の疎外であるとした。そして、自由な活動による人間能力の発揮が労働者のものでなく強制労働になり、労働に喜びを見出だせない苦痛になって労働の疎外が生まれ、本来の労働の共同性を失って奴隷的労働になり、他の人間と対立する人間の疎外になっているとした。すなわち、マルクスは、私有財産の産出過程の批判が疎外された労働の批判となり、私有財産が非人間的な原因でなく結果であり、人間をアトム化した市民社会を批判して、労働共同体を実現することで人間解放を実現しようとした。

       (この項は書き掛け、未完の状態のままです。)

(文責:yut)

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