付録1・私の人生物語(海外旅行記)
−果てしなき時空への旅−

付録1・私の人生物語(海外旅行記)
−果てしなき時空への旅−

(まえがき)

 現実の生活空間の中で、人は多くの旅を体験する。旅は空間を移動し、多くの人との出会いと変化がある。 この時に思うことは、私が住み体験している普段の生活空間とは、別の世界が存在し、同時進行で時間が流れ、 全く異なる生活空間が旅先に存在するということである。そして、この不思議な体験に心が躍り、旅行が趣味の一つになった。 特に、海外旅行は視野を広げ、地球規模の人間社会の生活空間を知ることができる。その大半は私達夫婦と友人夫婦の旅物語となった。 次にそれぞれの旅先で、見たこと、聞いたこと、感じたことなど、人との出会いやエピソードを綴ってみたい。

 インターネットや電話などが無かった頃、地域と地域を結ぶ情報の伝達手段は、人と人を介して情報が結ばれていた。 狼煙や手旗信号などの視覚により、遠方に情報を送る方法もあった。飛脚や郵便の制度が発達すると、 封書や葉書が遠方との情報交換の手段になった。やがで、電信や電話が普及し、瞬時に遠方の情報を確認することができるようになった。 そして、人と人あるいは地域と地域が情報で結ばれ、それぞれの人々の行動を決定してきた。人が旅に出る時は徒歩や舟が用いられたが、 交通機関の発達で、その時間的な距離は急速に縮まった。この場合、情報の伝わり方には時差があり、 その情報の扱い方が歴史の流れと共に変化してきた。例えば、東北地方で安く入手できる特産物を、関西地方に持ち込み、高値で売る。 関西地方の特産物を安値で購入して、関東地方や東北地方で、高値で売る。商売や商取引は、情報の持つ、 伝達の時差と情報の非対象性を利用して成立していた。やがて、情報の伝達が早くなり、人や物の流れがスピードを増すにつれて、 国内の地域間に物価や情報の差が無くなってきた。その後、この考え方は国内から国際の舞台に拡大した。 世界は広く、多種多様な文化や国家が存在していた。このため、人と人との争いと同様に国家間の戦争が繰り広げられた。 次第に相互の暗黙のルールが生まれ、部分的には一定の秩序が確立した。しかし、現代においても、戦争は無くならない。 むしろ、国家と国家の見える社会を相手にした戦争だけでなく、ゲリラやテロなどの見えない組織を相手にする戦争が生まれた。 国境のない戦争が現実的になった。その背景には、情報を伴う激しい知の戦いが存在する。

 知識や知恵を扱う情報の世界において、情報を入手して理解するまでの時差の問題は消えない。最新の技術を用いても、 遠方の惑星探索の人工衛星や人工惑星を制御する場合には、宇宙通信の時差制御が重要な課題になっている。 つまり、地球からの信号が軌道上の人工衛星や人工惑星に届くまで、数秒から数時間あるいは数日から数ヶ月、 さらには数年という長時間を要する。この場合、信号が届きその応答が確認されるまでの間、 その間に起こりうるあらゆる事象を予測して、自律的に対応できるようなシステムを考慮しなければならない。 もしかしたら、人間の一人一人の行動はこのような仕組みの中で、それぞれが一定の有限な生命の時空をある程度は自律的に 判断して行動できるようなプログラムがDNAの中に組み込まれているのかもしれない。 いずれにしても、自分の目で、耳で、肌で、舌で、匂いで、五感をフルに働かせて、それぞれの地方や地域で自らが体験することに、 時空を超えた知の魅力が存在する。それはその土地の歴史を知り、文化を知り、 人の生活を知ることから得られる豊富な情報に基づいているようだ。 そこには天が自らに与えた自律的なプログラムによって予測的な行動を促しているようにも思われる。

(文責:yut)


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