私の人生物語その10
人生は旅、時空の足跡、歴史から学ぶ知恵

10. 私の人生物語・その10
人生は旅、時空の足跡、歴史から学ぶ知恵

 私のサラリーマン時代は、約3/4を技術者として過し生活の糧を頂戴してきた。 子供の頃の生活環境は、父を生後2ケ月半で亡くし、母一人子一人、多くの人々に助けられて生きてきた。 しかし、何が正しく、どのように生き抜くか、心の拠り所がなく、書物から得られる知の情報を大切にするようになった。 その心の拠り所となったものは、多くの人々が生きてきた証、その歴史から得られる人々の知の源泉にあった。 その集大成として、大切にしてきた幾つかの格言や指針がある。

 歴史を考えると、日本人の心「武士道精神」、中国歴史の華「三国志」、「古代ローマ帝国」に魅力を感じる。 武士道精神は、人間一人一人を考えた時、心の拠り所になる。私は幼年時代に祖母の家で育てられた。 その時の思い出は、躾が厳しく、寝る前に正座して手を付き「おやすみなさい」といって布団に入った。 喧嘩で負けて泣きながら帰ると、勝つまでもう一度喧嘩して来いといって家に入れてもらえなかった。 小学校入学後は、それまで母のお膳に付いて食事をしていたが、一人前のお膳が出されて感激した記憶がある。 その背景に武家の風習が少し残っていたようだ。

 三国志は、組織やクループなど、集団生活の基礎になるあらゆるドラマが入っている。 人と人との付き合い方や駆け引きなど、多様な人間模様が描かれ、中国文化の基礎はこの三国志までに確立したという。 また、古代ローマ帝国は、国家概念を考えた時、国のあり方に関する基盤が凝縮されている。 この個人と組織と国家をテーマに人間の歴史を振り返ってみたい。

 最後に、科学技術、この中に隠されている知、知の源泉の根底、それを紐解いていくと、情報というものに辿り着く。 これからは情報社会、そこでどんなことが起こっているのか、何が問題になるのかを考えてみたい。

1)幾つかの格言と指針
 最初に、幾つかの格言と指針、江戸時代の学者「佐藤一斎」から、

少にして学べば壮にして試すこと有り
壮にして学べば老いて衰えず
老にして学べば死して朽ちず

 上杉鷹山(治憲)の残した言葉から、

為せば成る 為さねば成らぬ何事も 為さぬは 人の為さぬなりけり

 これらは大切にしてきた好きな言葉である。やはり、学問は大切、自分がやりたいこと、常に追い求めれば人は何でもできる。

 世話になった伯父の家に掲げられていた「福沢諭吉の心訓」、ある時、店頭で見つけて、手に入れた。福沢諭吉の著書には無く、 生前の教えを整理したのかもしれないが、何か心に響くものがある。

  • 世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つと云うことです。
  • 世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です。
  • 世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です。
  • 世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です。
  • 世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。
  • 世の中で一番美しい事はすべての物に愛情を持つ事です。
  • 世の中で一番悲しい事はうそをつく事です。

 我が家に掲げる「日常生活の15ケ条」、戦前戦後に政界・財界の日本のリーダーが薫陶を受けたという 「安岡正篤」の著書から引用修正して作った。

  1. 適正な飲食、腹八分。
  2. 安眠と熟睡に心掛け、惰眠するな。
  3. 良い習慣を身に付け、悪い習慣を無くせ。
  4. 自分自身に適当な運動をせよ。
  5. 自己に主体性を持ち、感情を乱すな。
  6. 激せず、操がず、競わず、随わず、驕らず、平常心で仕事せよ。
  7. 絶えず仕事への打込みを反省し、修養せよ。
  8. 自分の能力を計り、適正を見つめよ。
  9. 一生涯の仕事への工夫と努力をせよ。
  10. 人生の冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、貧に耐え、孤に耐え、時を無駄にするな。
  11. 追求する問題を持て。
  12. 人に誠実であれ。
  13. 教養に努めよ。
  14. 知識技術を修め、一芸一能を持て。
  15. 信仰、信念、哲学を持ち、不滅な心を養え。

 これは掲げてはみたが、実行は難しい。しかし、何かの時には心の支えになり、時々これを見ては反省している。

2)歴史を考える
 歴史は時空の姿を探ること、宇宙の歴史は約137億年、物理的にこれ以上の過去は存在しない。 地球の歴史が約46億年、生命の歴史は約38億年、動物は約5億年、哺乳類は約1億年、類人猿になると約1千万年の歴史がある。 人類(ホモサピエンス)は約17万年、最近、北京原人が火を使用していたという痕跡を見つけたようだ。 文明の歴史は約5千年、長く見積もってもその倍程度であろう。

 歴史は過去との対話、時空を遡るロマンの世界である。ここに世界人口の推移がある。 数千年前の地球上の人口は1億人程度、この頃の平均寿命は20〜25歳と推測される。 現在、日本人の平均寿命が約82歳、開発途上国では平均寿命40歳以下の国もある。 この百年の間に爆発的な人口増加、現在の世界人口は約70億人、有限な地球を考えると、いずれ人口は飽和する。 しかし、約5千年の間、数千億人の人々がこの地球上に生き、その証として固有の歴史を生み出した。 この間、何らかの記録として、絵画や文字や建造物など、後世に残したものがある。


出典:http://www.unfpa.or.jp/p_graph/

 今日、私達が使用している知的情報の大半は先人達の生きた証としての経験と努力の成果である。 あらゆる知的情報は過去の遺産、歴史の足跡、自分で生み出したものは皆無に近い。 その典型が言葉や文字、著作権なども生きる権利を認めるためのもの、そこに自分が生み出したものはほとんどない。

 歴史に学ぶ活学とは、先人達の残した知の源泉を正しく理解して取捨選択し、現代と未来に活用することにある。 知識はある事柄を知ること、理論と結び付き智慧になる。見識は知識に体験や人格、ある悟りのようなものが身に付いたもの、 物事の判断基準になる。胆識は決断力と実行力を持つ知識あるいは見識、節操と深みのある器量や度量を持つ人を作る。 活学は知識・見識・胆識を生かすこと、道を志す者の七見識(人情の識、物理の識、事体の識、事勢の識、 事変の識、精細の識、潤大の識)と物事を見る眼力(五眼:天眼、肉眼、法眼、彗眼、仏眼)、 徳の智慧を磨き、修業を積んで備えることが大切である。

 福沢諭吉は、次のような言葉を残している。

学問の本趣旨は読書のみに非ずして、精神の働きに在り(学問のすすめ)
至善を尽くして之に達せんことを勉む(福翁百話)

 この意味はただ本を読めばよいというものではなく、目的を持って挑戦することにあろう。

 歴史から何を学ぶか、歴史は人間が実践してきた経験的事実、先覚者達の教訓・教え・智恵に学ぶ。学問は人間を変える。 物事を見る目を養う。目先で見る場合と長い目でみる場合、一面的な見方と多面的な見方、物事を枝葉末節で見ても、 根本的に深く掘り下げて考える。問題の捉え方や議論の仕方を区別する。歴史(時間軸と空間軸)の中から、 普遍的な事象やルールを抽出して、現在と未来への対応を明確にする。実践(なすべきこと)と当為(あるべきこと)、 自分(主観)と他人(客観)、自己の問題・独自の問題として考える。肝心なのは実践にある。歴史は現在と過去との対話、 夢を描くことは未来との対話、歴史は歴史家の描く理想の姿、正しい歴史観を求め、時代の変化を読み取る。

3)日本人の心、武士道精神
 日本人の心、武士道精神、武士道は封建時代に日本で武士階級の倫理及び価値基準を体系化した思想、 初期の武士道は「主君に対する倫理的な忠誠」でなく、「奉公は御恩の対価」契約に基づく主君と郎党間の主従関係であった。 仁義、忠孝などの儒教的倫理は江戸時代に朱子学の影響を受けて変化した。武士道の忠義は三国志からの影響大、 朱子学では諸葛孔明を義の人として高く評価している。朱子学とは、南宋の朱熹による儒学、 性即理に基づき社会との関係を重視する。一方、陽明学の基本的な考え方は、陸象山の心即理、個人の自己修養を強調する。

 武士道の本質は、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義など、義は武士の掟の中で最も厳格なる教訓、義は勇の相手にて裁断の心、 死すべき場所に死し、討つべき場所に討つ。勇は敢為(物事を押切り)堅忍(我慢)の精神、義しき事をなすこと、 仁は惻隠(哀憐)の心、王者たる者の不可欠要件、柔和なる徳、人を治める王者の徳、礼は作法、他人に対する思いやりを表現、 寛容にして慈悲、妬まず、誇らず、驕らず、非礼をせず、己の利を求めず、憤らず、人の悪を思わず、礼道の要は心を練ること。 誠は信実と誠意のこと、言と成との表意文字、物事の終始、名誉は最高の善、人格の尊厳と価値の明白な自覚、恥を知り、 苦痛と試練に耐え、寛容と忍耐強さの極致、忠義は武士的名誉の掟、服従と忠誠が重みを持つ、信実と誠実をなくしては、 礼儀は茶番であり芝居である。

4)中国歴史の華、三国志
 中国歴史の華、三国志は壮大な人間ドラマ、人間の行動、思考や議論、考えられるあらゆることが劇的に展開される。 本当の漢民族、本当の人間、本当の文明、本当の中国文化がある。三国志は人間学の宝庫、人材の変化に富み、 人の見識や信念を培う上で楽しく、教訓や真理が豊かで、何度学び直しても魅力があり、有意義に感ずる。革命・創業の英傑には、 学ぶという精神的修練、優秀な人材、運に恵まれるという三条件が必須である。魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権が代表される。 乱世の時代、夢と希望、人を動かす極意、己の信ずる正義、天運と才覚、広大な中国大陸を縦横無尽に駆け巡った人々の歴史がある。

 三国志から学ぶ知恵、トップの選択と決断、責任ある地位に立つ者(曹操、劉備、孫権など)の選択と決断、対立と機会、 敵と味方の区別、状況判断など、組織の論理とリーダーの条件を学ぶ。人間関係の妙味、人の生きざまとけじめや駆引き、 人の心の揺れ方と行動様式、部下の掌握と人材育成、信義と背徳、誠実と公正のあり方など、人材の生かし方、人望と人の和、 虚名と実力、多彩な登場人物による出処進退を見る。

 勝者の条件、己を知り敵を知る。敗者から学ぶ教訓、勝者と敗者の違い。地形や自然環境の把握の重要性を知る。 栄枯盛衰の理法、歴史と人物に学び、人間学と治乱興亡の法則、草創と守成、興隆と衰退、 トップの資質から組織の原理原則を明示している。

 諸葛孔明の智謀、天下三分の計、正確な現状分析、その知謀と計略、現実的に実行可能な事業遂行の青写真、 提示した計画は現代企業の見本にもなる。赤壁の戦い、天に応じ、地に合せ、人に処る。 必勝の戦略、呉の孫権を説得、周瑜との綿密な作戦計画、地形や天候を読み、敵の状況を把握し、 基本的な大構想の実現に第一歩を踏み出した。

 七縦七禽(しちしょうしちきん)、用兵の道は心を攻めるが上策、城攻めは下策、南中の指導者の孟獲を心服させた。 泣いて馬謖を斬る、私情を捨てた処断の大局観、軍律の厳しさを守り、蜀の国体維持を優先させた。 諸葛孔明の兵法、統率者のあり方を論じた将苑(心書:孫子・呉子・六韜三略・春秋左氏伝の集大成)、 政治論・兵法論の便宜十六策「治国」「君臣」「視聴」「納言」「察疑」「治人」「挙措」「考黜」「治軍」「賞罰」「喜怒」「治乱」「教令」「斬断」「思慮」「陰察」、 これらは現代の企業経営などに通じるものがある。

 司馬仲達との宿命の対決、陣立比べ、食糧不足による撤退、死せる孔明、生ける仲達を走らすなど。 孔明の遺書・出師表、数限りなき戦いの世、人々の心を打ち、共感を引き起こす。 孔明の思想・哲学、その人生と仕事への気迫あふれる魂が込められている。

5)古代ローマ帝国
 古代ローマ帝国は試行錯誤の世界、自主独立で自由な精神をギリシャ都市国家の哲学や文化から学び、 独特の共同体(市民権政策)に基づき、現実的で優れた政体と広大な普遍帝国を生み出し、 文化や宗教の異なる多種多様な周辺民族を帝国の一員にした。

 ローマ人はリストラの名人、柔軟な社会改革を何度も遂行し、幾度もの帝国の危機を乗り越え、その都度、 社会構造と国家体制を変質させてきた。古代ローマ帝国の残した文化的遺産は、土木や建築(道路・水道・公共浴場、etc)、 ローマ法とキリスト教など、その歴史には「人間とは何か」を知るヒントがある。一定のルールと現実的な法による統治、 紀元前5世紀頃、最初の成文法である十二表法が成立した。529年頃、東ローマ帝国でローマ法大全が編纂された。 これらのローマ法は後世の法体系に多大な影響を与えた。

 ローマ法の思考様式、一般的な法概念や法命題を様々な要素に分析、これを再度組み直すことで、 ケース毎に具体的な判断基準を獲得する。これは判例法的な思考と基本的に同一のものである。 ルネサンス(古典古代文化の復興再生)の基幹としてのローマ帝国、都市再生、文化・教育・芸術、過去の成果を模倣し、 新たな人間社会の生まれ変わりを引き起こし、欧米文化に残した痕跡は大きい。

 ローマ人の知恵、代表的な指導者が残した名言録の一部を紹介したい。

  • ローマは英雄を必要としない国家、ローマ人の伝統は、敗者さえも許容し同化するところにある。 敗者の絶滅は、ローマ人のやり方ではない(ファビウス)。
  • 人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。 どんな悪い事例とされていることでも、それが始められたそもそもの動機は、善意によったものであった(カエサル)。
  • 賢明であることが、正しく書くことの基礎であり、源泉である(ホラティウス)。
  • 善なるものが善き人を作る。生きることが重要なのではない。重要なのは立派に、思慮深く、勇敢に死ぬことなのだ(セネカ)。
  • 最善なるものを選びたまえ。そうすれば、慣習がそれを快適に、かつ容易にしてくれるであろう(プルタルコス)。
  • 自然はこのように命ずる。家庭における悪徳は、ひじょうに速く、かつすみやかに我々を堕落させる。 健全な精神に健全な肉体があるように祈るべきである。死の怖れを持たざる強い心を求めよ(ユウェナリス)。
  • この地においては、良き習俗がほかの地における良き法律よりも有効なのである(タキトゥス)。
  • 肉体であろうと、国家であろうと、頭から広がる病気が最も重症なのである(小プリニウス)。

 近代以降、議会が決議すれば何でも法になる。最近は良い法を作る努力が不足しているのではと思う。 共同体と古代ローマの国家構造(ローマ帝国の意味すること)、人間は一人では生きていけない。 素手で猛獣と戦っても勝ち目は薄い。人間は自然との戦いに群れを作り協力し、力を合わせて生命の再生産をする。 その中で言語が発達、脳力を磨き、高度な知性を獲得、集団で食糧を採取、あらゆる生活物資を自らの手で作った。 弱い人間が集団(共同体)を形成し、家畜を飼育、大地からの食糧を獲得、社会生活の規律を作り、他の共同体と対立、 強い共同体が生き残った。

 共同体の発展は内部の不平等化を増大させる。共同平等の所有から、専有個別の所有への変化がある。 共同体は民族ごと種族ごとに発展の仕方が異なる。地理的・自然的・風土的条件、歴史的・人間的条件など、 様々な条件により、個性ある共同体が生まれた。

 古代ローマ帝国の基本は都市国家、周囲の種族を征服・併合して大国家へ、法律に基づき個人の権利義務を明確にした統制、 徳の実践と理性を最善とするストア哲学をローマ法に持ちこむ。初期は王政、民主政に移行し、紀元前5世紀頃に共和政の形態へ、 政治機構は元老院と平民会議及び護民官、軍を統制する複数執政官から終身独裁官(後の皇帝)へ、王政の王が執政官、 貴族政の評議会が元老院、民主政の民会が平民会議(三権分立の原型)へ移行したとも考えられる。

 中央集権制を基本にして、属州制や皇帝直轄州など巧妙な分権制を導入、柔軟な対応と法解釈により統治した。 平民を指導者層へ、敵対した属州の部族にもローマ市民権を与え、優れた指導者を輩出する仕組みを形成した。 ローマ市民の直接税は軍役義務、組織力と技術力が武器、道路網などの社会資本を充実させた。経済基盤は牧畜と農業が中心、 激しい貧富の差のある社会、奴隷制が存在、狩猟と周辺の属州からの税収や異民族からの略奪で補った。

 マキャベリの「君主論」から、君主政と共和政の考察、君主政が堕落すると僭主政に、貴族政が堕落すると寡頭政に、 民主政が堕落すると衆愚政になる。共同体の発展と衰退およびローマ帝国の興亡、共同体は内部の結束力の強さが弱まると衰退する。 貧しい共同体から裕福な共同体に発展すると、獲得した土地や物資は共有物から部族毎あるいは家族ごとに占有し、 個別的な所有の割合が増加する。

 個別的所有の不平等化が次第に拡大すると、共同体は分解する。共同体の発展とは所有の不平等の拡大を伴う分解のこと。 それは周囲により結束力の強い共同体が存在することで、共同体の中心と周辺との力関係が逆転する。ローマ帝国が次第に豊かになり、 女性の道徳が弛緩し、子供を産むのを嫌がり、強健にして聡明なローマ人が次第に消えた。

 ローマ帝国の場合、ゲルマン諸国が西ローマを次第に侵略、ガリア地域にフランク王国の発生など、 ローマが現実的な政治の中心で無くなり、新たな中心は周辺へ移った。 ローマ帝国の衰退は元老院議員達の超上流社会での生活様式の変化から発生、周辺と中心の共同体の結束力が逆転した。 巨大財産は労働で獲得したものでなく遺贈、富豪者の利殖法は貸付け、金銭欲は底無し、 所有する奴隷の数が人間の価値を決定した。

 質朴な生活から、浪費的な過度の奢侈(しゃし)と美食、悪徳者が栄え、貧乏人を軽蔑した。空虚な快楽と倒錯した欲望、 食卓の贅沢は精神を堕落させた。食べるために吐き、吐くために食べ、不正によってかき集めた富を無駄に浪費した。 また、ワインに鉛を入れると味が良くなる。ローマ人が愛飲し、次第に体格が悪くなり、知能は下がり、 剛健で聡明なローマ人が消えていった。性道徳の頽廃、女性のみだらな生態、許されぬ快楽が社会に蔓延した。 家令は解放奴隷、女主人の持参金や貴金属や什器、葡萄酒や奴隷に至るまで管理、時には法律上の顧問や話し相手にした。 男性社会が崩壊し、解放された女性は性の自由を謳歌、教養ある女性も上品な慎みを失い、恋愛は一種の戦い、 愛欲は文化となった。

6)科学技術と情報社会
 科学技術と情報社会を考える。科学(science)は、ラテン語の知識(scientia)が語源、科挙之学の略語、 個別学科、分科の学の意味がある。科学とは、一定の原理に基づき、知ることから生まれ、組織化された知識の体系。 知識の組織化には一定の法則に基づく細分化と分類化が必要。知識を科毎に分け、知識全体を組織化する学問が科学である。 科学的方法には、観察対象の事実や現象の再現可能性が不可欠、明確に定義可能な概念の記述、一定の規則に従っての推論、 変化の事象を区別・整理、普遍的なものを抽出する人間の行為が伴う。

 技術(technology)は、ギリシャ語のτεχνη(テクノ)が語源、技は手業(てわざ)、術は道筋あるいは手段の意味、 人の能力・機能・動きを表す概念である。技術は英語のmechanical artの訳でもあり、技能(スキル)と区別され、 サイエンスとエンジニアリングによって生み出された。技術は知識そのものが目的ではなく、 科学によって人間が理解(経験や勘を含む)した自然界の現象や構造を用いて、人間のため又は人間が意図する目的のため、 自然界に人工的な変化を与え、作ることから生まれた人間の活動である。

 科学は真理の探求により知識を求め続け、技術は役立つ物を作り出すのが目的で、その手段を求め、設計する方法の知識でもある。 自然を人間が理解する学問が科学、人間の考えたことを自然に対して、問い掛ける学問が技術、科学は自然を理解し、 技術は自然に対処する。

 科学的思考法と科学文明、科学的探究(知識の探求)は、未知への好奇心あるいは既存の常識や権威に対する懐疑心から、 自由な発想を前提にして、真理を理解しわかるための方法や内容に、改善改良工夫を積み重ねてきた。 科学的な好奇心は事物の変化によって引き起こされる。科学はその変化の本性や原因を明らかにする。 また、その変化の様相を明らかにする試みに対し、対立する見解や類似の思惑が繰り返し登場してきた。 変化と不変を表現して理解するために、言語、論理、数学などが使用される。変化するものを経験的に集積し、 実験や観察を通して、その不変(普遍)性を理性的かつ合理的に見出す行為が科学でもある。

 近代科学は、仮説による認識論的予想の検証、数学的言語によるモデル化、矛盾の無い合理性、論理的な解釈により、 自然界の現象や事象などを人々が理解できる知の発見にある。科学文明は、技術と密着し、人間社会にプラス面をもたらしたが、 マイナス面も顕著に与えた。

 日本の科学技術は、中国文化を模倣してきた伝統や日本語化した教育の普及等もあったが、 タイミング的に非常に恵まれた近代化であった。しかし、近代科学の基礎的で系統的な側面は日本であまり育たなかったようだ。 自然科学の歴史はギリシャ時代の遺産が大きく、その世界観や物質観、仕組みの追求、体系化、論理性、 数学的概念に多くの特徴がみられる。

 科学文明発展の課題、科学は人間の主体的かつ社会的な活動の産物、科学の発展はその実験設備の大規模化を求め、 科学の組織化が進み、巨大科学が出現し、科学技術は管理社会に埋没する傾向が見られる。 また、近代科学の導入は産業や軍事などへ利用され、軍事や産業と結び付き、国家権力の支配下に置かれ、 軍事大国・戦争への恐怖と背中合せにある。科学技術に対する個人と国家の倫理の確立が極めて重要になっている。

 科学技術の発展は、都市化や情報化など、個人の理性や個性あるいは私生活を奪う傾向にあり、自然環境や生態系を破壊し、 世界の距離を消滅させ、核の脅威を含め、有限な地球全体の大きな課題となる。すべての問題が科学で解決できるとは限らない。 現代科学は、科学に適した問題を抜き出して、それを解決しているに過ぎない。科学は知ることから生まれた知識の体系、 技術は作ることから生まれた人間の活動、倫理は人間の行為に対する反省、科学技術にも理性的な必然の選択が求められる。

 情報の世界はその多様性にある。典型的な事例として、俳句を考える。俳句は「五七五」僅かに17文字、 日本語の表音文字「あいう・・ん」「がぎぐ・・ぱぴぷ」「きゃきゅきょ・・びゃびゅびょ」など、仮に125種類とし、 「五七五」の文字のならびをすべて、厚さ80ミクロンの文庫本の紙に、1頁あたり18首ずつ印刷する。 その厚さは104兆光年になる。その重量は、文庫本の厚さ1センチメートル当りを125グラムとすれば、 6×1021トンとなり、地球の重さ205万個に相当する。この内、ほとんどは無意味、人の心を動かす俳句の創出、 それは作者の心身を刺激する体験、僅かに17文字に凝縮する創造活動が求められる。 情報には宇宙の大きさを遥かに凌ぐ多様性の世界がある。




 情報化の本質、情報の最小単位は2進数、言葉・音声・文字・記号・画像・動画など、 あらゆる種類の情報が0と1あるいはオンとオフの組合せで表現される。ネオダマ(ネットワーク化、オープン化、 ダウンサイジング化、マルチメデァ化)が進み、インターネットが飛躍的に普及、事象のモデル化、情報利用の目的化、 情報の処理能力と表現力が求められる。

 情報は、ある事象の単なる表現としてのデータ(資料)を変換処理し、特定の時期と場所において、 一定の価値を持った知識体系である。人間の行動のための意思決定に用いられ、その結果が行為になって、成果として評価される。 情報には、量と質、新規性、精度と信頼性、応答性や適応性、その評価と費用などが重要になる。 歴史の記録は過去との対話、夢を描き夢を実現することは未来との対話、 多様な情報が時間軸と空間軸を越えてコミュニケーションを可能にする。情報化とは、与えられる情報でなく、 求めて得る情報が不可欠かつ大切な時代になる。受動的な人間から能動的な人間にならなければならない。

 情報社会への歴史、社会の大局的な変動は、狩猟社会から農耕社会へ、工業社会を経て情報社会へ。 社会の情報化は、言語から文字(表意文字、表音文字など)を生み、紙や活版印刷技術の発明から、 マスコミニュケーションの発達を経て、インターネット社会へ。情報化の歴史的背景は、マスメディアの発達の歴史、 それは表現の自由の制約とそれへの抵抗の歴史、技術の発達が時代を変化させた。 日本でも江戸時代に新しい事物の出現を禁止(享保の新規御法度)していた。

 情報の量と質の変化が人類の歴史を形成、情報通信技術や情報社会の発展に伴って、社会が生成・管理する情報量が急速に増え、 情報の蓄積・検索・整理・アクセスなどについて、より効率的な手法や技術が求められる。 情報爆発時代の到来、人類が1999年末までの30万年間に蓄積した情報量は約12エクサバイト(120億ギガバイト)である。 ところが2002年1年間だけでネットワーク上に流れた情報は約18エクサバイト(180億ギガバイト)、 全世界で電子データとして創出あるいは獲得される蓄積情報量は2006年161エクサバイト、2010年988エクサバイト、 2011年1.8ゼタバイトとなる。一人の人間が一生涯で獲得できるデジタル化された情報量は約1テラバイト程度 (多くてもこの数倍が限度)、現在世界中に電子データとしてデジタル化されて存在する蓄積情報量は約1ゼタバイト弱とされる。 膨張する情報量、情報社会は巨大数の社会となる。

  • 1テラ(Tera)バイト=1012バイト
  • 1エクサ(Exa)バイト=1018バイト
  • 1ゼタ(Zetta)バイト=1021バイト

 読書をする場合、人が一生涯で読める本の量は数千冊が限度、その間に何を読むか、本の内容と質が問われ、読む本によって、 人格の一部が形成される。 情報社会の構造と社会基盤、ネットワーク社会と実世界との関連付けが鍵、情報社会は法律や規則あるいは約束の社会、 実世界は自然科学等の物理法則に従う世界、この二つの社会と世界を結び付ける仕組み(情報の信憑性)が問題になる。 情報社会の社会基盤は、電子経済の発展、物流や人流のモニタリング、人間活動の電子化、 情報資源活用と異文化交流などのヒューマンコミュニケーション、エネルギー利用の情報化などにある。 特に、電子経済の発展には実世界の価値と情報の電子化との連動が重要、 貨幣や証券の電子化は保証・信用(認証・セキュリティ・価格評価など)が不可欠、 リーマンショックの発生はこの対応概念の乖離が原因である。

 情報社会の課題、一人一人が一生涯で必要とする情報を、ネットワーク上でより合理的に効率的に管理し、 必要な情報をすばやく提供する仕組み作りが不可欠になる。増加する膨大な情報から、ゴミ情報や有害情報を除き、 安全・安心、簡便で的確な信憑性のある情報提供を可能にするシステム化が求められる。

 情報の寡占と独占、情報の地域格差や個人格差の問題を意識しながら、同時に、自由な精神に基づく、 文化的創造やあそびの精神が求められる。法制度(個人情報保護、著作権、不正競争防止など)の枠組みの再構築が必要になる。 現代企業は夢を実現する場、T(Target )→P(Plan)→D(Do)→C(Check)→A(Action)に基づき、企業の存続と目標に向かって、 戦略的マネジメントを展開し、社会の情報化と結び付けて夢を実現したい。善なる夢を描き、善なる智慧で、 善なる社会を実現させたいものだ。人間の持つ欲望と感情と理性の調和が鍵となる。

7)むすび
 知識や情報のほとんどは人間の歴史の遺産、歴史なくして知の源泉は存在しない。歴史は時間軸と空間軸の織り成す人間のドラマ、 歴史を学ぶことで過去との対話が可能になり、夢を描き実行することで未来との対話が可能になる。

 人間の歴史には栄枯盛衰の必然性がある。組織の退廃・堕落には共通の筋道がある。支配階級からの頽廃と堕落が、 知識階級へ拡大し、一般民衆に影響する。 歴史から人間は「どんなことをするか」を知り、「どんなことをすべきか」を学ぶことが大切である。 個人、組織、国家のあり方が常に問われる。

 科学技術は万能ではない。人類社会の発展には、心ある人々の知力の結集が不可欠、持続可能な社会を常に意識すべきである。 文明の発展は、自己の健全化、人間交際の改良と人類の智徳の進歩にある。慶應義塾の精神である独立自尊に基づいて、 さらなる学問のすすめが、国家の独立と文明の進歩に必要不可欠である。

(文責:yut)

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