国内旅行記
(九州横断旅行:阪急トラピックス キャンペーン九州3日間)

10. 国内旅行記(九州横断旅行:阪急トラピックス キャンペーン九州3日間)

国内旅行記(九州横断旅行:阪急トラピックス キャンペーン九州3日間)

 定年退職後に1年間契約の嘱託での継続勤務が満了、1月末日に退職して自由の身になった。最初の国内旅行は九州を横断する旅、ハウステンボスから長崎へ、福岡の柳川を経て別府温泉、湯布院の散策と富貴寺と宇佐八幡宮を私達夫婦と友人夫妻で巡ってきた。

 羽田発8:00のJAL1707便、早朝にタクシーで平塚駅へ、横浜から京急で羽田空港に向った。福岡空港に10時少し前に到着、九州自動車道から長崎自動車道を経由して佐世保市のハウステンボスに到着した。一旦はホテル日航ハウステンボスにチェックイン、歩いて近くのハウステンボス正門から入園した。ハウステンボスは大村湾に面した総面積152万平方メートルの一大テーマパーク、博物館や劇場などアメニティ施設が並ぶ新市街地である。高さ105mのドムトールンを中心にオランダの宮殿や街、田園風景を再現し、約30万本の花の中に風車が回り、運河にはクルーザー、クラシックバスやタクシーが街中を走っている。園内には宿泊できるホテルやコテージもあり、各種テーマパーク館のほかに別荘や分譲住宅、消防署、郵便局などの公共設備も整っている。地下に共同溝が張り巡らされ、電気、水道などのライフライン、水の循環装置、海水淡水化装置、環境汚染防止機構などを備え、次世代の都市を先取りしたモデル先進都市でもある。

 最初に運河をまわるカナルクルーザーに乗り込む。幾つかの橋桁を潜り、運河からの眺めは異国情緒が漂っていた。ユトレヒトと呼ばれるカナルステーションで下船、ハウステンボスのシンボルタワー・ドムトールンに向った。昼食時であり、悟空という店に入り、中華点心が付いた長崎チャンポンや皿うどんのセットを注文する。食後、その近くで中国南京雑伎団が公演中、入場は無料とのことであるが開演時間に間がある。ドムトールンの展望台に昇り、ハウステンボスの全貌を上から眺めることにした。その全貌は以外に広く、人影は少なかった。また、来園者は、中国系と韓国系が多く、中国語と韓国語と日本語が混ざり合った会話が飛び交っていた。中国南京雑伎団は、片手で多数の皿を回しながら前転し、団員の頭上で倒立しながらの皿回しなどは素晴らしかった。また、椅子を高さ高く積み上げ、その上で倒立をする「椅子積み倒立の技」、ラケットや帽子を使ったジャグリングなど 多くの演目を披露していた。ハウステンボス内を散策、橋を渡りアレキサンダー広場と呼ばれる周辺で記念撮影、ギヤマンミュージアムに入り、暫しの間、ガラス工芸の美を鑑賞する。園内を周遊するクラシックバスがあるというので、早速近くのビネンスタッドバス停から乗り込み、宮殿内に幻の庭園やドーム壁画などのあるラグジュアリーリゾートゾーンへ向った。スパーケンブルグバス停で下車、散策しながらパレスハウステンボスへ、ここはオランダ女王の宮殿を再現したとのこと、内部の一部は美術館であり、多くの絵画や各種のコレクションがあった。また、その洋式庭園は日本庭園とは異なる幾何学的な美しさを備えていた。宮殿を出ると、周囲は薄暗くなり、多様なイルミネーションが輝き、夜のハウステンボスを映し出していた。再びクラシックバスに乗り、ドムトールンのタワーから夜のハウステンボスの全貌を眺めることにした。街下を彩る眩い光の波は華麗な幻想の世界のようであった。花火があるというので、近くの波止場に行ってみた。花火は比較的に短く、期待していたような感動はなかった。夕食は宿泊するホテルで予約していた。ホテルへ戻り、夕食のステーキ御膳を舌鼓、食後に大浴場の風呂へ入った。

 翌日は長崎市内観光、新米のバスガイドさんの案内で、平和公園とめがね橋を見学するという。長崎は鎖国時代に唯一外国との貿易港となった街、出島やオランダ坂やグラバー邸など 異国情緒を持つ多くの遺跡がある。また、昭和20年には太平洋戦争で広島に続き原爆が落とされた場所、長崎の平和公園には高さ9.7メートルのブロンズの平和祈念像が右手を上げて建っていた。天を指す右手は原爆の脅威、水平に伸ばした左手は平和を示し、閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈る姿という。公園内には、水を求めてさまよった少女の手記が刻まれた平和の泉があり、世界各国から贈られた平和の像が並んでいた。原爆で亡くなった人々は約7万5000人という。ここで毎年8月9日には慰霊祭と平和記念式典が行われる。水を求めて犠牲になった人々への冥福を祈った。近くのカステラの和泉屋へ立ち寄り、長崎の中心部を流れる中島川に架かるめがね橋へ向った。中島川には11基の石橋があったが、1982年の長崎大水害で6基が流出、3基が半壊して今では石橋を模したコンクリートのアーチ橋になっている。長崎は西洋文化の発信地、我国最古の石橋があり、石橋文化の源でもある。特に、めがね橋(眼鏡橋)は、我が国最古の石造アーチ橋、2連のアーチの川面に映る姿が眼鏡のように見えることからこの名があり、国の重要文化財である。1634年(寛永11年)に架けられ、長崎大水害で一部崩壊したが、流された石を集めて修復された。めがね橋の近くにある鼈甲細工品の店に立ち寄った。

 その後、観光バスは福岡の柳川へ向った。途中にNECセミコンパッケージ・ソリューションズ鰍フ工場が見えた。ここは1979年5月に福岡日本電気鰍ニして設立された半導体LSIの組立基地である。柳川は水郷の町、その昔、戦国時代に豊臣秀吉の九州平定の際、豊後大友氏の先陣として活躍した立花宗茂は、その功によって筑後十三万石の城主となり、柳川を城地と定めた。その後、関ヶ原の戦いで秀吉への恩義から西軍に味方した立花宗茂は、柳川を追われたが、20年後の1620年i再び立花宗茂が城主となり、以後、明治維新時の13代立花鑑寛まで、立花藩の城下町として栄えた。特に、立花家4代目の立花鑑虎は、1697年(元禄10年)、当時「花畠」という地名のこの地に、四方に堀を廻らせ、「集景亭」と名付けた別邸を構えた。このことから、柳川の人々は、この別邸あるいは敷地など全体を「御花」と呼び、柳川城の堀割を愛し、水辺の歴史を活かした町づくりに取り組んできた。中庭には仙台の松島にみたてた松濤園と呼ばれる庭園があり、昭和53年に国の名勝に指定されている。春には雛祭りを彩る「さげもん」の飾り付けの伝統がある。「さげもん」はお雛様と一緒に天井から部屋いっぱいに下げ飾る沢山の色鮮やかな鞠や人形といった飾り付けのこと、御花の松涛園に面した大広間に二対の雛壇と供に所狭しと下げられていた。ここでの昼食にうなぎの柳川を食した。  大分自動車道を経由して別府温泉に入ると、白い湯煙が立ち上っていた。最初に案内されたのは明礬温泉、明礬は薬・火薬・染物・鍛冶溶接・絵画など多方面に使用される。湯の花から明礬ができる工程を紹介していた。次に海地獄へ案内された。別府温泉の地獄の中で最も広く、温泉の湯の池はコバルトブルーの色をしていた。ここは夏になるとハスの花が咲き乱れ、ハスの葉には小さな子供を乗せることが出来るという。時間があれば、別府温泉の地獄巡りも楽しいが、今回はここで時間切れ、今夜の宿のホテル風月ハモンドへ向った。ここは鉄輪温泉、「男はつらいよ」の寅さんシリーズ第30作「花も嵐も寅次郎」でこの鉄輪の町にやってきたという。

 最終日はオプショナルツァーで湯布院散策を申し込んでいた。天気はやや雨模様、湯布院に到着すると、金鱗湖へ案内され、遠くに由布岳が見えたが、自由行動となった。足の向くまま気のままに、湯布院の町並みを散策、1件の小さな酒屋へ入った。そこで土産物を物色、お茶をサービスされ、さらに周囲を巡り、途中で小さな店で煎餅やソフトクリームを所望、勝手気儘な一瞬の散策であった。昼食は別府温泉に戻る途中で弁当を頂いた。その後、富貴寺と宇佐八幡宮へ向った。富貴寺は国東半島にある国宝、九州最古の和様の木造建築物、萱の素木造りで美しい勾配を持つ宝形造りの屋根に特徴がある。中尊寺の金色堂と平等院の鳳凰堂と並ぶ日本三大阿弥陀堂の1つとされている。内部には本尊の阿弥陀如来坐像と極色彩の壁画がある。これらは国の重要文化財であり、雨天時は保護のために見学できないというが、この日は見学させて頂けた。宇佐八幡宮は、全国の八幡宮の総本宮、上宮、下宮、亀山神社、若宮神社など、広大な土地に朱色の見事な神社である。本殿は国宝に指定されており、切妻造りを2つ前後に並べて1つの建物にした八幡宮の代表的な建造物である。一の御殿、二の御殿、三の御殿と連なり、社殿の他に西大門や南中楼門や呉橋などがある。帰りの福岡空港へ向う途中には、日本一の仁王像と呼ばれる巨大な仁王様が道路の両脇に鎮座していた。途中で土産物店に立ち寄ったが、福岡空港では博多ラーメンを食し、福岡空港発19:35のJAL1734便で羽田に向った。

(文責:yut)

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