私の人生物語その11
夢とその実現に向って

11. 私の人生物語・その11
夢とその実現に向って

 生あるものはいずれ死を迎える。生の源はどこからか、この世に生まれ出てくる。DNAによってプログラム化され、あらゆる生物はそれぞれに与えられた自然環境の支配下に生かされる。海の水が蒸発して、雲になり、雨を降らせ、川の水となって、再び海の水に戻る。自然の循環はこの世の必然、生命の新陳代謝も万物の逃れることのできない宿命である。生命は、生と死の必然的な繰り返し、自然のエネルギーによって生かされている。人間は決して一人では生きられない。大切なことは、不断の努力を積み重ね、有意義な価値ある人生を過ごすことにある。生命とは何か、生きるとは何か、いのちの謎を考えつつ、歴史は、人類の夢とその実現に向って、歩み続けていると信じたい。

 約38億年前、最初の生命が海の中で誕生したという。永い年月を経て、多種多様な生物が出現し、長い進化の旅路が始まった。生命を構成する基本単位は、アミノ酸、糖、塩基、脂質などである。有機分子が宇宙で生まれ、宇宙の塵や彗星などの衝突で、地球上に蓄積したとも考えられる。単純な有機分子が濃縮され、生物学的なデンプン、コラーゲン、セルロースなどの高分子が形成され、タンパク質や核酸塩基など、生命に特有な特別な化学反応が起こり、その微小環境が外膜(泡)で保護されるようになった。そこでエネルギーや物質を供給するメカニズムが発達し、転写や翻訳など、細胞の複製を可能にする情報の伝達経路が形成されたようだ。

 生命の最小単位は細胞、すべての生物は細胞からなる。細胞には固有の生命プログラムを遺伝物質DNAに保存している。DNAは四種類の文字で表示され、ヌクレオチド塩基(A、T、G、C)が二重らせんの階段上に暗号のように並び、必要に応じて、生物が生きるためのいろいろな指令を発している。DNAは分子の指紋、親から子へ引き継がれ、性質や才能や潜在能力を決定付け、最新の科学技術でその情報を辿ることができる。地球上に残された地層の化石や分子の痕跡などを丁寧に調べ、その歴史は組み立てられる。DNAにも生命の歴史の痕跡が存在し、生物の共通祖先が存在する。人類の祖先は約20万年前のアフリカに発するという。現生の人類はアフリカで進化し、約8万年前以降にアフリカからアジアへ移動した。そこで突然変異が現れ始め、多くの種族に派生したようだ。

 人類の進化・発達は、猿人(約400万〜300万年前に存在した化石人類)から原人(北京原人やジャワ原人)、旧人(ネアンデルタール人)と新人(クロマニョン人)、そして、現生人類が約20万年前から15万年前にアフリカで誕生した。その後、アフリカのイブを祖先とする現生人類は、アフリカにニグロイド(黒人)を残し、アフリカからヨーロッパやアジアへ移動して、コーカソイド(白人)とモンゴロイト(黄色人)に別れたようだ。アジアへの進出は、海岸採集ルート、内陸ルート、河川ルートが考えられている。地球の最終氷期は、約7万年前に始まり1万年前まで続く、人類がインドネシアのスンダランドに進出したのは、最終氷期の前半までと思われる。やがて、人類は石材を用いて道具や武器を造り、紀元前2万年頃の旧石器時代(打製石器)を経て、新石器時代(磨製石器)になる。さらに、土器の発明や農耕と牧畜が加えられ、食料採集から食料生産へ転換した。人類の定住化が進むと、集落が生まれ、都市が形成され、国家が成立する。

 四大文明は、エジプトのナイル川流域、メソポタミアのチグリス川とユウフラテス川流域、インドのインダス川流域、中国の黄河流域とされる。メソポタミア文明は、シュメール文明を引き継ぎ、紀元前3500年前ごろにつくられた。シュメール文明は、人類史上初めての文字を持った文明と言われている。数万点の粘土版が残っている。エジプト文明は、紀元前3000年頃からナイル川流域で栄えた古代エジプト王国。約2500年続き、古代王国は、巨大なピラミッドや高度な学問など、独自の文明を生み出した。太陽暦や象形文字なども使われた。インダス川流域のインダス文明は、紀元前2600年から紀元前1800年の間、東西1500km、南北1800kmに、多くの遺跡を残している。黄河文明は、原始的な農耕文明や石器文明まで含めると、その年代は紀元前5000年ごろくらいまで遡る。近年、長江(揚子江の上流)にも、紀元前6000年から紀元前5000年頃のものと推定され、大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見された。

 日本の歴史は、縄文時代が紀元前約1万3千年前から紀元前約3百年前まで、その後、弥生時代が約500〜600年間続き、古墳時代を経て飛鳥時代に入った。縄文人と弥生人は人種が異なるようだ。縄文人は、狩猟採集民族、オーストラリアの先住民(アボリジニ)と祖先が同じ、氷期にインドネシアのスンダランドにいた人々が約4万年前から3万年前に日本へ辿り着き、一部は琉球諸島を経由し、あるいは北東アジアに進み、沿海州からサハリンを抜け、北海道に渡り、日本に住み着いたという。弥生人は、北方系の農耕民族、シベリア周辺に住み着いた人々が寒冷地に適応して、北方アジア人の特徴を獲得し、中国東北部や黄河流域さらには江南地域に住み着き、農耕社会を形成して、さらには朝鮮半島から日本に入ったと推定される。当初は縄文人との間でかなりの軋轢があったようだ。現在の日本人は、主に弥生人のDNAを引き継いでいるという。

 農耕民族は、定住生活が中心、狩猟採集民族と比較して、人口増加が著しい。弥生時代に普及した水稲栽培は、紀元前1000年頃に九州北部で始まり、次第に近畿地方に広まり、関東南部に広まるまで、700〜800年を要したようだ。さらに、道具も飛躍的に進化し、大陸から青銅器や鉄器が伝わり、国内でも生産するようになった。農耕の本格化は、生産性を高め、余剰作物の備蓄が可能になり、貧富の差を著しくした。大規模集落が生まれ、部族間では、水利権を巡り、周囲との争いも発生した。やがて、各地に政治的な集団が存在するようになり、部族間の連合国家が生まれ、宗教的権威を持つ王権が成立した。当時の中国は漢の時代、卑弥呼の頃は三国志の魏との交流が記録に残されている。日本は中国文化の影響を受けて発展した。

 日本国内は、古墳時代から飛鳥時代を経て、奈良時代、平安時代へ、常に、生死を賭けた権力闘争が休みなく続いた。この間、貧富の格差は次第に拡大し、富める者は富み、貧しき者は貧しくなり、権力の集中と共に国家の基盤が形成された。また、耕地面積の拡大と農耕器具の改良が進んだ。やがて、武家社会が台頭し、鎌倉時代を経て、南北朝時代から室町時代へ、応仁の乱を契機に、戦国時代へ突入した。その根本は武力による土地と人民の支配権を巡る権利の獲得競争であった。江戸時代には一時的な平安を取り戻したが、幕末に西洋文化の洗礼を受けることになる。

 日本の近現代史を振り返ると、幕末から昭和初期までが約60年、この間、日本は劇的な変化を駆け抜けてきた。明治時代は、廃藩置県から西南戦争を経て、新しい文明国家を創出させ、日清戦争から日露戦争を体験した。多くの優れた国家の指導者がそれぞれに夢を描き、戦い続けた歴史でもあった。大正時代は民主化の気風が起こり、政党政治の基盤が生まれたようだ。しかし、昭和に入ると、政治と軍事の独立性という歪んだ思想が軍国主義を助長させた。昭和初期から終戦まで約20年、国家の指導者はどのような夢を描いていたのだろうか、結果的に、冷静な判断能力を失っていたようにも思う。その根底にある歪んだ情報の存在も無視できない。多くの悲惨な戦争の犠牲を招き、広島と長崎への原爆投下が終戦を決定付けた。日本はポツダム宣言の無条件降伏を受け入れた。戦後の約60年、新憲法の施行や講和条約など、一連の終戦処理を終えると、日本は日米安保条約の傘の下で平和国家を維持し、市場経済を土俵にして、高度経済成長期などを背景に、経済大国を築き上げた。

 国力の評価基準は、武力(軍事力)から金力(経済力)の時代を生み、さらには知力(情報力)の時代に入ったようである。地球規模での有限な資源や環境を管理する能力が問われているようだ。地球上で起こり得るあらゆる事象を情報の力で正しく導くことが求められ始めた。今や国家が滅びるどころではない。人類や地球の存続が問われ始めた。情報は人の行為が伴って価値を生む。情報の正しい価値判断が重要となる。しかし、テロ行為などによる国境のない形を変えた戦争が生まれ、多くの人々の貧困との戦いなどは旧態依然として続いている。知力の時代に入ったとしても、インターネットの世界のように、ウイルスやスパイウエアや不正侵入やスパムメールなど、悪意の行為は存在する。また、今後とも軍事や経済が不必要な時代になるわけではない。軍事や経済の基盤の上に情報の重要性が存在する。

 私は、運命の糸に導かれ、一本の人生の道を歩いてきたようだ。現代の企業は昔の大名、サラリーマンは大名の家臣、足軽から侍大将へ、平社員から中間管理職、さらに企業の経営者、どのような組織でも、幾つかの階層構造が存在する。一方、現代の企業は人の夢を実現する場、就職は理想を実現する手段でもある。学問を積み職に在り付くのは、家計を支えるためでもあるが、より大きく考えれば、良き社会創りに貢献しつつ、理想を実現するためでもある。この理想の実現には、時の運にも恵まれる必要がある。苦心して身に付けた教養や学問も使い道が無ければ、何の役にも立たない。この世は人と人との集まり、人との付き合い方を心得ていなければ、いかなる学問も知識も空論に終わる。人と人との交際も学問のひとつ、智とは人を知ること。しかしながら、人の存在は、はかなく、つかみにくい。疑いが過ぎれば力を引き出せずに、たやすく信ずれば禍を引き起こす源になるかもしれない。

 孫子の兵法には「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」とある。あらゆる事の成否は人を知ることにある。企業はある意味で万能な人材を求めている。最終的には、個人の能力が試される。これまでに蓄積した数千冊の書籍は私の宝、個人の能力の一部を担ってきた。また、科学や技術の進歩は、自由な発想と思考に依存する。ところが、人の行為は、時空の許す環境と社会に制約される。日本は法治国家、法律も情報のひとつ、人の行為を制約する。法の網に縛られると、法の迷路に入り込み、身動きが出来ずに、責任を取ることもできない。人の価値は社会的地位によるものではない。勉学や仕事に注ぎ込む熱意による。職業には貴賤がない。常に自らを厳しく律し続けることが大切である。

 これからは情報社会の時代、個人情報保護法や少年法など、情報を閉鎖的に取り扱う法的な制約は、社会の進歩や平和を損なう危険性がある。既に、社会的に有効に機能してきた多くの組織の会員名簿すら作成が困難になっている。この結果、会員相互の善なるコミニュケーションはより阻害される傾向が強まると考えられる。特許法などは閉鎖的な技術情報を公開させることが本来の目的である。権利者の利益を保護するのはその代替的な手段であった。それでなくとも、企業はノウハウや企業内秘密を理由に、多くの情報の囲い込みを促進させ、情報を閉鎖的に扱う傾向がある。問題は情報を閉鎖的に扱うのではなく、悪意を持つ行為や行動を制限すべきである。この場合、悪意を持つ行為や行動の判断基準は歴史的な変化や地域の違いによって異なることを考慮する必要がある。

 いま最も興味を持つ事柄は、歴史の変遷経緯にある。この一瞬の時代に誰が何をどのようにして変化を起こしているのだろうか、インターネットの背後に隠された新しい社会の出現はどのような意味を持つのか、などに対して客観的に捉えてみたいとも思う。時代は、IT(Information Technology)からICT(Information and Communication Technology)へ、さらにIoT(Internet of Things)を経てAI(人工知能:Artificial Intelligence)の時代に突入すると思われる。特に、経済の仕組みと法的な枠組みに論理的かつ科学的な必然性は存在しないのだろうか、そして、その仕組みと枠組みをどのように変化させ変更しようというのだろうか、そこには企業の組織的な集団行為を無視することができない。同時に、立法や行政などを含む各国の政治的な動向が介在する。社会は人と人との約束事や一人一人の持つ道徳的規範に依存する。個人の善と悪の判断が社会の正義と不正を形成する。人々の消費行動や事業意欲やボランティア活動などに起因する行動や判断が社会変革に多大な影響を与えていることも確かである。その切り口として、組織的な企業行動と環境問題を中心に、一人一人の社会行動に着目し、注目したい。

 最も大切なことは、一人一人が志を持つことである。志とは、この世で世のため人のために何かをやろうと思うことである。そして、それに向かって努力することである。また、その出発点は不動の心でありたい。身分や貴賤や職種は問わない。国を知り人を知りやるべきことをやる。日々の精進で迷いを捨て、自らの力で立ち上がる。正しい判断と決断を持って、出来ることをやる。問題の本質は根本にある。物事の根本を求め、問題の根本を知る。不屈の精神で、失敗を恐れず、ストレスを楽しみに変え、心に張りを持ち、継続的に挑戦する。自らの命を大切にし、一日生き長らえば一日分の成長がある。広く情報を集めて判断を間違えないように心掛ける。実力ではなく、やる気が求められる。先人の言葉で心を磨き、古きに学び、今に生かす。科学的思考を身に付け、基礎の基礎をモノにする。そして、行動せよ、知識も使わなければ、無能と同じである。志は時空を超え、伝えていくべきもの、生きた証を残し、信じる道を歩むのみだ。

 新しい時代の息吹は、一人一人の個人が担っている。その思考と行為に着目したい。それが小さな組織から、大きな組織へ、そしてこれからの社会を形成する。人生は、常に、真剣勝負、一瞬の隙も油断もできない。平常心で生きる。これからの社会は、有限なエネルギーの利用、廃棄物の処理と再生、効率的な物流ロジスティクス、あるべき法的規制など、人類のあらゆる行為が問われている。そこに善なる夢を描き、善なる社会を求め、その夢の実現に向って、人類が歩み、善なる歴史を形成すると信じたい。

(文責:yut)

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