脳死と植物状態

生命現象
脳死
植物状態

脳死と植物状態

 すべての生命現象には必ず終わりがある。人類にも死の宿命があり、古くからの一般的な死の判定は「息をひきとる」「脈がふれない」「冷たくなる」と表現されており、医学的には「呼吸停止」「心拍停止」「瞳孔散大・対光反射消失」の三徴候が死の判定基準である。しかしながら、医学の進歩により、人工呼吸等の種々の生命維持手段を応用すると、脳の活動が停止しても心臓は止まることなく肺を動かし、息をひきとらずに脈もふれて体もあまり冷たくならない状態をある程度維持できる。すなわち、脳機能が活動停止して脳幹反射がない瞳孔散大・対光反射消失の徴候のみを示す脳死状態になる。しかし、いったん脳死状態になると、絶対に蘇生しないので、やがては心臓や肺等の他の臓器も必ず停止する。

 神経細胞が集まっている中枢神経系には脳と脊髄がある。背中の長く伸びた脊髄の先に脳幹があり、基本的な生命活動を制御し、呼吸や血液循環等の生きていくのに必須な働きを維持している。その上を大きな大脳が覆っており、主に大脳は大きく二つに分けられ、食欲・性欲等の原始的な本能や感情をつかさどる古い大脳と、人間特有の高度な運動・知覚・精神活動の場となっている大脳皮質と呼ばれる大脳の外側の部分がある。脳幹の後側には小脳があり、身体の運動や行動を微調整し、平衡感覚を保ちスムーズな動きができる働きをする。

 脳死とは脳の全ての部分が死んだ状態をいい、大脳のみでなく小脳、脳幹を含む全脳髄の不可逆的な機能喪失状態である。脳死の原因の大部分は、くも膜下出血や高血圧性脳出血等の脳血管障害、交通事故等で脳そのものが傷つく脳挫傷や硬膜下血腫等の頭部外傷、転移性の癌等の脳腫瘍などの一次的な脳障害である。この他に心臓の停止や窒息で脳への酸素供給が一時的に止まり、脳細胞が広範囲に障害を受ける二次的な脳障害でも脳死を起こすことがある。これは水に溺れた時、土砂や雪に埋没した時、気管に何かつまった時、首を絞められた時などの事故によることが多い。神経細胞は酸素の欠乏に弱く、脳への血流が5−10分止まれば障害が起こり、30分以上の酸素不足で脳細胞が死んでしまって生き返らない。いったん脳死状態になると、自己融解を起こし、脳機能はもとへ戻らず、個体の死につながる。自己融解とは、脳循環の停止により、脳細胞の中で酸素を使わない代謝が進み乳酸が増えて酸性血症になり、神経細胞、栄養細胞、間質細胞の酵素系が乱され、浮腫が生じて自然に細胞又は組織の構成成分が分解することである。

 脳死の問題は、1967年12月南アフリカのバーナード博士の世界で初めての心臓移植手術、さらに1968年8月札幌医大の和田寿郎博士の我が国初の心臓移植等、臓器を提供する側の死の判定条件として注目された。脳死の判定のもとに、その人を死者とみなして、生きた臓器の移植を行なえばその成功率(生着率)は高い。しかも、死者の身体の一部が他の人の生命を救うことになる。また、回復の見込みもなく心停止を迎える人に人工呼吸器をつけて心臓・肺だけを機械的に動かすことは、当人のためにもならず身内の人の精神的・肉体的・経済的負担を増すだけという背景がある。問題は脳死の判定基準であり、世界的統一基準は無く国によって異なるが、我が国の新しい脳死の判定基準は 1) 深い昏睡、 2) 自発呼吸の消失、 3) 瞳孔の固定、 4) 脳幹反射の消失、 5) 平坦脳波、 6) 時間経過、の六項目が考えられている。

 植物状態とは脳に何らかの重い障害を受けて意識を失い昏睡状態となり、外界からの刺激に反応せず、呼吸活動や眼の対光反射などの生命徴候だけが戻って、外部との意志疎通が通じない状態が続くことを指す。植物状態の人は、思考・知覚・運動等の動物的機能が失われ、心臓・肺などの生命維持に必要な植物的機能が維持されており、人工呼吸器の助けが無くても生命活動が保たれる。植物状態の人の具体的な症状は次のようである。

 1) 寝たきりで自分で身体の姿勢を変えたり移動したりできない。
 2) うめき声等を出すことはできるが、意味のある言葉をしゃべれない。
 3) 簡単な指示や命令には応じることもあるが、それ以上に複雑な意志の疎通ができない。
 4) 動く物を追う眼の動きはあるが、それが何んであるか認識できない。
 5) 自分の力だけで食物を摂取できず、空腹や満腹感を訴えることもない。
 6) 屎尿の失禁がある。

 この六項目が当てはまり、できる限りの治療を加えても効果がなく、この状態が3ケ月以上続いた場合を植物状態といい、植物状態の人を植物人間と呼ぶ。しかし、痛み刺激を与えると手足を動かしたり、時には食物だけを自力で食べたり、家族をみて涙を流す人もあるなど、かなりの幅があり厳密には定義できない。

 植物状態は脳の何らかの障害が原因であり、直接的には脳腫瘍、脳外傷、脳出血、脳梗塞など、間接的には窒息、一酸化炭素中毒などで起り、脳死の原因と似ている。根本的な違いは、脳死がすべての脳の非可逆的な機能喪失であるのに対して、植物状態では脳の一部だけが障害を受けて植物的機能を支配する脳幹下部の障害が無く健全なことである。障害を受けている脳の部位についてはかなりのばらつきがある。一番多いのは大脳新皮質の広い範囲にわたって病変がある場合であり、大脳の下の間脳付近に障害が認められることも多い。しかし、大脳新皮質のごく限られたところの障害で植物状態になることもある。脳内で神経機能の連絡路が種々の場所で遮断されて起ると考えている専門家もいる。

 植物状態の事例としては米国のカレン事件がある。1975年4月に21才の女性、カレン・クインランさんが急性薬物中毒で倒れて意識を失った。療養施設に運ばれ人工呼吸器をつけて懸命の治療が行なわれたが、意識は戻らず呼吸だけの状態が何ヵ月も続いた。その後、両親は人工呼吸器で生かされている娘の苦しみに対して、人工呼吸器を外して自然に死なせたい考え、死ぬ権利を認めてほしいと高等裁判所に提訴した。高等裁判所は両親の訴えを退けたが、承服しない両親は最高裁判所に上告した。最高裁判所は両親の訴えを認め、人命尊重の大原則よりも死を選ぶ個人の権利が優先されるべきとし、治療を続けても回復の見込みが無い場合は人工呼吸器を止めてもよいとした。こうして、人工呼吸器は倒れてから約1年後に外されたが、以外にも自力呼吸で生き続けたのである。そして、カレンさんはこの状態で約9年間も生き続けて肺炎による呼吸困難で死亡した。当初から医師団はカレンさんを脳死状態とはみなしていないが、このカレン事件は脳死状態と植物状態の違いを示してくれた。

 現在、日本全国で約7000人が植物状態と闘病中といわれている。この人々の看護は家族と病院など診療側の犠牲によって維持され、多くの人達が苦闘している。特に、植物状態になっても、日々の適切な看護と管理を行なえば安定状態を持続できる。しかし、物心両面の負担は極めて大きい。最近、一部の自治体で看護に公費の補助を出すところも出始めたが、この問題は近代医学の進歩によって生まれており、核家族時代とも関係して現代社会の大きな課題である。

(文責:yut)

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