水素原子のモデル化
●水素原子
●原子構造
●スペクトル線
水素原子のモデル化
1.水素原子の分光学的なスペクトル
原子の気体を低圧にして放電させた時、その発光が原子から直接に発する電磁波である。これを分光学的に調べれば、原子の構造を解明できる。この場合、分光学的なスペクトル線の波長(振動数)を精密に測定すると、ある系統的な関係(系列)が見出される。
水素原子の場合、1885年にバルマー(Johann Jakob Balmer)が線スペクトルの系列をを可視光の領域から見出した。その波長は、「656.28nm」「486.13nm」「434.05nm」「410.17nm」であった。その後、リュードベリ(Johannes Rydberg)が1890年に実験式を次のように整理した。
1/λ=ν/c=R{(1/n2)−(1/m2)}
ここで、Rはリュードベリ定数、λは波長(メートル)、νは振動数(ヘルツ)、cは光の速度(メートル/秒)、nとmは整数(m>n)である。なお、水素の場合、リュードベリ定数Rは、
R=me・e4/(2π・c・h3)=1.0973731534×107(/メートル)
の関係が近似的に成立する。但し、me=9.1093897×10-31(kg)は電子の静止質量、e=1.60217733×10-19(クーロン)は素電荷、c=2.99792458×108(メートル/秒)は真空中の光速度、h=6.6260755×10-34(ジュール・秒)はプランク定数である。
また、リュードベリの実験式において、n=1,2,3,4,5の場合、
n=1: ライマン系列 (紫外線領域) ・・・1906年に発見
n=2: バルマー系列 (可視光領域) ・・・1885年に発見
n=3: パッシェン系列 (赤外線領域) ・・・1906年に発見
n=4: ブラケット系列 (遠赤外線領域)・・・1922年に発見
n=5: プント系列 (遠赤外線領域) ・・・1924年に発見
の系列の存在が知られている。水素原子の原子状態は、最も安定な基底状態から、電子が飛び出して自由電子になり、原子がイオン化されるまでの間に飛び飛びに無数に存在する。これらの系列のスペクトルの意味は、飛び飛びのエネルギー準位間で電子が遷移する時に放出される光である。
この場合、ライマン系列は水素原子の基底状態への電子の遷移による光(電磁波)である。バルマー系列は、基底状態よりひとつレベルの高いエネルギー状態への、より高エネルギー状態からの電子の遷移である。パッシェン系列は第三準位のエネルギー状態への電子の遷移であり、ブラケット系列は第四準位のエネルギー状態への電子の遷移である。このように、より高いエネルギー準位への電子の遷移が、それよりもさらに高いエネルギー状態にある電子が低いエネルギー準位へ遷移する時に、光が放出することを意味する。
2.水素原子のボーア・モデル
ニールス・ボーア(Niels Henrik David Bohr, 1885-10-07〜1962-11-18)は、水素原子の構造にマックス・プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck、1858-04-23〜1947-10-04)の量子論を用いて、分光学的なスペクトルの実験結果を説明した。
いま、水素原子は、原子核(陽子)を中心にして、1個の電子が周囲を円運動するものと仮定する。この系では、原子核の陽電荷と電子の陰電荷との間にクーロン力による引力が働く。クーロン力はシャルル・ド・クーロン(Charles Augustin de Coulomb,1736-06-14〜1806-08-23)が1785年から1789年にかけて発見した。その力の大きさは二つの粒子の電荷(q1とq2)の積に比例し、粒子間の距離rの二乗に反比例する。
また、この系は、電子の円運動によって、遠心力が働き、電子は原子核から離れ去ろうとする。この時、陽子の質量は電子の質量に比べて十分に大きい(電子の静止質量me=9.109534×10-31,陽子の静止質量Mp=1.6726485×10-27)ので、水素原子の原子核は空間に固定されていると考えることができる。
さて、原子核および電子の質量をMpおよびme、それぞれの電荷を+eおよび−eとする。そして、電子は中心から半径rn の距離の所を角速度ω で回転しているとすれば、
クーロン力=(1/4π・ε0)・e2/rn2
遠 心 力=me・rn・ω2
となる。ここで、ε0=1/(4π・c2)×107 (ファラッド/メートル)は真空中の誘電率である。この両者が釣り合っていれば、
me・rn・ω2 =(1/4π・ε0)e2/rn2
ω2 =c2・e2/(me・rn3)
となる。この関係は質点の力学から得られたものであり、rnとω は、この関係を満足するならば、いかなる値を採ることができる。
しかしながら、荷電粒子が回転運動すれば、電磁波エネルギーの放射を伴って、粒子(電子)の回転半径を縮めてしまうことになる。ニールス・ボーアは、この矛盾を量子化条件によって解決した。
円運動する電子の運動量をp、微小変位をdqとして、
p・dq=n・h (n=1,2,3,・・・)
の関係を満足する時にのみ、電子は安定に軌道運動を続けることができる。この条件はブランクの量子化条件と呼ばれる。
この場合、積分記号は、電子が原子核の周りを一回転する間の積分を意味する。また、hはプランク定数(h=6.6260755×10-34 ジュール・秒)である。nは1から始まる整数であり、量子数と呼ばれる。
半径rnで回転する質量meの粒子(電子)は、p=me・rn・ω の運動量を持ち、dq=rn・dθ として、周積分を施すと、
2π
∫me・rn・ω ・rn・dθ =2π・me・rn2・ω =n・h
を得る。ここで、慣性モーメントI=m・rn2 として、角運動量I・ω を考えると、
I・ω =me・rn2・ω =n・(h/2π)
ω =n・h/(2π・me・rn2)
となる。このことは、角運動量が不連続な値をとることを意味し、(角)運動量の量子化と呼ばれる。これらの関係から、ω を消去して、半径rnについて整理すると、
rn=n2・h2/(4π2・me・c2・e2)
を得る。量子数nは、1,2,3,・・・の整数値を採るので、
r1=h2/(4π2・c2・me・e2)
r2=4r1
r3=9r1
・・・
・・・
となる。この結果、r1 は電子の最小軌道半径を与えている。この半径はボーア半径(a0=5.29177249×10-11メートル=0.529177249 Å)と呼ばれている。
結局、水素原子中の電子が存在可能なエネルギー状態は、
En=−me・e4/(2π・n2・h2) n=1,2,3,・・・
で与えられる。この時、n=1が水素原子の最低エネルギー状態(基底状態)を表している。
電子がエネルギー状態を変える時、エネルギーの放出や吸収が起こる。放出された輻射(電磁波)の振動数νは、エネルギー状態EnとEmとの間で、スペクトル線として、
h・ν=En−Em
で表され、振動数νについて、整理すると、
ν=−me・e4/(2π・h3)・(1/n2−1/m2)
を得る。この関係はバルマーの実験によって示された系列を意味する。
次に、基底状態の水素原子から電子を取り去る電離エネルギー(n=1,m=無限大)を求めると、
E1=e・V=−me・e4/(2π・h2)
V =−me・e3/(2π・h2)=−13.6 (eV)
となる。この時、エネルギー差凾d=En−Em (基底状態での電離エネルギーは、凾d=E1−0=E1)は、
凾d=h・ν=e・V=k・T=m・c2 =(1/2)m0・v2 +・・・
の関係があり、エネルギー差凾dは、振動数ν、ポテンシャル(電圧)V、絶対温度T、質量mなどに換算することができる。ここで、hはプランク定数、eは素電荷、kはボルツマン定数、cは真空中の光速度、m0 は粒子の静止質量である。特に、質量がエネルギーと等価であることはアインシュタインが発見した。
なお、厳密に考えれば、水素の原子核は、電子と同様に、水素原子の重心の周りを回転運動する。この場合、電子の質量meの代わりに、換算質量として、me・Mp/(me+Mp)を用いると、半径rnは、
rn=n2・h2(1+me/Mp)/(4π2・me・e2)
となる。また、そのエネルギー状態Enは、
En=−e3・{me/(1+me/Mp)}/(n2・2π・h2) n=1,2,3,・・・
を得る。
3.水素原子の波動力学的な解析
定常状態の波動現象は、波動関数ψ、波長λ、として、
∇2 ψ + (4π 2/λ2 )ψ = 0
で表せる。これは波動方程式と呼ばれる。ここで、∇2 はラプラシアンである。
いま、運動量p=m・vを持つ粒子がド・ブロイの関係で波動性を示すと、プランク定数hとして、
p=h/λ
が成立する。この時、粒子の全エネルギーEは、運動エネルギーと位置エネルギー(ポテンシャル・エネルギー)との和で表され、
E=p2/(2m)+V
となり、pを消去すると、
1/λ2=(2m/h2)(E−V)
を得る。これを波動方程式に代入すると、定常状態のシュレディンガー方程式、
∇2 ψ + (8π2・m /h2)(E−V)ψ = 0
が求められる。
水素原子の場合、ポテンシャル・エネルギーVは、原子核と電子とのクーロン力によるものと考える。
V=−e2/(4π・ε0・r)
また、波動関数ψは、微小体積dvを考えると、直交座標系において、規格化直交条件として、
∫ψm*・ψn dv=δmn
が成立する。ここで、δmnはクロネッカーのδ記号と呼ばれ、m=nの時はδmn=1、m≠nの時はδmn=0である。
ラプラシアン∇2 は、極座標系表示(r,θ,φ)を用いると、
∇2 =(1/r2)∂(r2・∂/∂r)/∂r+{1/(r2・sinθ)}∂(sinθ・∂/∂θ)/∂θ+{1/(r2・sin2 θ)∂2/∂φ2
と表示される。
この場合、極座標系の波動関数ψは、
ψ(r,θ,φ)=R(r)・T(θ)・S(φ)
とおいて、変数分離を行うと、
(1/S)・∂2 S/∂φ2 =−ml2
{1/(T・sinθ)}・∂(sinθ・∂T/∂θ)/∂θ−ml2 /sin2 θ=−l(l+1)
(1/R)・∂(r2・∂R/∂r)/∂r+(8π2 m/h2 )・(En+e2 /(4π・ε0・r))・r2 =l(l+1)
となる。
この時、エネルギーEnは、飛び飛びの固有値となり、En>0の場合、
limR(r)=0 , limR(r)=有限
r→∞ r→0
の条件が与えられ、
En=−me・e4/(2π・n2・h2) n=1,2,3,・・・
を得る。
また、n,l,ml は量子状態を表し、
主量子数 : n= 1, 2, 3, 4,・・・
方位量子数: l= 0, 1. 2. 3,・・・,(n−1)
磁気量子数: ml=0,±1,±2,±3,・・・,±l
である。なお、量子状態には、第4の量子数として、スピン量子数s=±1/2の存在が確認されている。ここで用いたシュレディンガー方程式は、相対論的な量子力学に基づいていないので、スピン量子数が考慮されない。相対論を考慮したディラック方程式を用いれば、スピン量子数は自然に導出される。
次に、量子状態n,l,ml に対する波動関数ψn,l,ml(r,θ,φ)を考えると、
ψn,l,ml(r,θ,φ)=Rn,l(r)・Tl,ml(θ)・Sml(φ)
で表すことができ、任意の点(r,θ,φ)の規格化された電荷分布ψ*・ψが与えられる。
この時、R*・R,T*・T,S*・Sは、それぞれr,θ,φ についての確率密度分布となり、規格化された波動関数は、
Rn,l(r)=−√{(n−l−1)!/[(2n)!・{(n+l)!}3]}・{2/(n・a0)3/2}
・{2r/(n・a0)}l・exp{−r/(n・a0)}・Ln+l2l+1{2r/(n・a0)}
Tl,ml(θ)=(−1)(ml+|ml|)/2 ・ √{(2l+1)(l−|ml|)!/{2(l−|ml|)!}}・Pl|ml|(cocθ)
Sml(φ) =exp(i・ml・φ)/√(2π)
となる。ここで、a0 はボーア半径であり、
a0 =r1 =h2/(4π2・me・c2・e2)
である。また、Pl|ml|(cocθ)はルジャンドルの陪多項式、Ln+l2l+1{2r/(n・a0)}はラゲールの陪多項式である。
この場合、それぞれの電子状態に対するルジャンドルの陪多項式の関数型は、
電子状態 l ml Pl|ml|(cocθ)
s 0 0 1
p 1 0 cos(θ)
1 1 sin(θ)
d 2 0 (cos2(θ)−1)/2
2 1 3sin(θ)・cos(θ)
2 2 3sin2(θ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で与えられる。また、ラゲールの陪多項式の関数型は、
電子状態 n l Rn,l(r)
1s 0 0 (1/a0)3/2・2exp(−r/a0)
2s 1 0 {1/(2・a0)}3/2・(2−r/a0)・exp(−r/a0)
3s 1 1 {1/(2・a0)}3/2・{r/(a0・√3)}・exp(−r/a0)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で与えられる。
結局、電子は主量子数n=1,2,3,・・・に対応して、K,L,M,N,・・・のエネルギー状態で殻を形成している。また、方位量子数l=0,1,2,3,・・・,(n−1)に対応して、s,p,d,f,・・・の電子状態が存在する。このことから、n=1,l=0,ml=0を1s状態と呼び、最低エネルギー状態(基底状態)を示している。そして、この他に、2s状態、2p状態、・・・などの励起状態が存在する。
これらのエネルギー状態を表す原子の波動関数は、原子軌道関数と呼ばれている。各種のエネルギー状態における波動関数は次のように整理される。
1s状態:n=1,l=0,ml=0
ψ1s=(1/√π)(1/a0)3/2・exp(−r/a0)
2s状態:n=2,l=0,ml=0
ψ2s=(1/4√2π)(1/a0)3/2・(2−r/a0)・exp(−r/2a0)
2pz状態:n=2,l=1,ml=0
ψ2pz=(1/4√2π)(1/a0)3/2・(r/a0)・exp(−r/2a0)・cosθ
2px,2py状態:n=2,l=1,ml=±1
ψ2px=(1/4√2π)(1/a0)3/2・(r/a0)・exp(−r/2a0)・sinθ・cosφ
ψ2py=(1/4√2π)(1/a0)3/2・(r/a0)・exp(−r/2a0)・sinθ・sinφ
3s状態:n=3,l=0,ml=0
ψ3s=(1/81√3π)(1/a0)3/2・{27−(18r/a0)+2(r/a0)2}・exp(−r/3a0)
3pz状態:n=3,l=1,ml=0
ψ3pz=(1/81√3π)(1/a0)3/2・{(6r/a0)−(r/a0)2}・exp(−r/3a0)・cosθ
3px,3py状態:n=3,l=1,ml=±1
ψ3px=(1/81√3π)(1/a0)3/2・{(6r/a0)−(r/a0)2}・exp(−r/3a0)・sinθ・cosφ
ψ3py=(1/81√3π)(1/a0)3/2・{(6r/a0)−(r/a0)2}・exp(−r/3a0)・sinθ・sinφ
3dzz状態:n=3,l=2,ml=0
ψ3dzz=(1/81√6π)(1/a0)3/2・(r/a0)2・exp(−r/3a0)・(2cos2θ−sin2θ)
3dxz状態:n=3,l=2,ml=±1
ψ3dxz=(√2/81√π)(1/a0)3/2・(r/a0)2・exp(−r/3a0)・cosθ・sinθ・cosφ
3dyz状態:n=3,l=2,ml=±1
ψ3dyz=(√2/81√π)(1/a0)3/2・(r/a0)2・exp(−r/3a0)・cosθ・sinθ・sinφ
3dyx状態:n=3,l=2,ml=±2
ψ3dyx=(1/81√2π)(1/a0)3/2・(r/a0)2・exp(−r/3a0)・sin2θ・sin(2φ)
3dxx,3dyy状態:n=3,l=2,ml=±2
ψ3dxx-yy=(1/81√2π)(1/a0)3/2・(r/a0)2・exp(−r/3a0)・sin2θ・cos(2φ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(文責:yut)
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