のど切り農場(Cut Throat Farm)
/ ジョン・デイヴィス・ベレズフォード(Jojn Davys Beresford)
/ 鈴木 清太郎 訳
「ああ、儂ら彼所は、のど切り農場って呼んでるね」と御者は言った。
「そりゃまた、何でかね?」私は薄気味悪くなって、尋ねた。
「まあ、向こうへ行ってみりゃ、分かるよ」
これが御者の口から聞き出せた情報の全てであった。ズブ濡れのこの悪天候で、御 者も虫の居所が悪いのだろうということにして、私は激しく降る雨から緊張した目を 離すことなく、ムッツリと黙り込んだ。
モーズレーを後にして約二マイル近く、かなり平坦な道が続いたが、今土砂降りの 雨飛沫の中から見える限りでは、道はどうやら暗い木立に覆われた谷間へと下って行 くらしく、馬車は轍の深く抉れた細い道を、ガタコト揉まれるように揺れながら下っ て行く。深い谷の底は、豪雨に濡れしょびれた樹木の緑で、昼なお暗かった。道はそ れでもなお下る一方で、車の左側に見える目よりも高い、雑木の生えた暗い斜面が、 雨でボーッと霞んで、何か巨大なものが頭の上から伸し掛かってくるように見えた。 やがてその細い道は、さらに険しい坂道になって、真っ暗な森の中へと突入した。私 はもう一刻一刻が、この世の終わりになりそうな気がして、波のように揺れ動く馬車 の横っ腹にしがみついていた。上から伸し掛かってくるような辺りの暗さと、必死の 思いで闘いながら、ロンドンから高々百マイルと離れていない比処が、一夏「谷間の 農場」で快適に暮らそうと思ってきた比処が、これでも我が大英帝国の国なのかと、 何度も私は自問自答した。しかし、いくら頑張ってみても、この谷間の不気味さは、 私をしっかり掴んで放さなかった。私はいつの間にか、「死の影の谷」という言葉 を、バカみたいになって呟いていた。
森は突如として尽きた。そして我々は、丁度谷間の平たい底のところへ出た。「ほ れ、彼所だ」と御者はコクリと一つ頷いて言った。帽子の雨滴を払って見てみると、 なるほど、つい向こうの斜面の麓の開墾地に、木の切り株みたいな一軒の朽ちかけた 家が這いつくばっているのが見えた。見ているうちに、何だか私はその家が、真っ直 ぐ空に向かって聳え立っている樹木の、果てしない樹海の波に乗って滑り下りてき て、其処へやっと腰を落ち着け、そのまま今も其処に独りぼっちでポツンと立って困 り果てている・・・そんな風に思えてきた。
これが「のど切り農場」へ来た時の私の第一印象であった。それから後の私の体験 と、どうにも弁護の余地のない発ち際の臆病さが、もしも病的な変なものに見えると したら、そもそもこの第一印象が、後になっても拭いきれなかった不吉な暗い予感を 私の心に植えつけたのだ、という言い訳が見つけられていい筈である。
とにかく、ひどい痩せた土地であった。飼っている家畜も貧弱なもので、オルダ ニー種にしてはいやに骨のゴツゴツした乳牛が一頭、ボロ布を散らかしたような脛の 長い何羽かの鶏、ヨタヨタの家鴨が三羽、皮の弛んだ真っ黒けな年寄り牝豚が一匹。
何ともたったこれっきりで、他に「うちのちび助」と私が呼んでいた子豚が一匹い て、こいつはこの谷間で一番元気な、愉快なやつだった。しょぼくれた中に、お道化 たところがあって、始終ブーブー文句を言っている、おかしなやつだった。今になっ て考えると、この子豚のお道化ぶりは、死の目前で茶化しながら、短い生涯を精一杯 短くする目論みとしては大成功だったように思われる。
あるじ夫婦は、まるで閻魔みたいな夫婦であった。亭主の方はズングリした、色の 浅黒い、見たこともないような毛むくじゃらな男で、頬骨まで髭に埋まり、長い髪の 毛が額にボサッと垂れ下がり、眉毛なんか太い毛虫みたいだった。かみさんは背の高 い精悍な女で、骨張った鉤っ鼻に、貪欲そうな目が狡猾そうに光っていた。こっちは 痩せていて、さっき述べた骨と皮ばかりの乳牛に負けないくらいである。汚い庭先 で、陰気臭く何か考えごとをしている格好なんざ、まるで骸骨が慌てて着物を引っ掛 けたようであった。
この谷間の農場での第一日目の朝は、まず一つの出来事で印がつけられた。出来事 自体は、別に困るというようなものではなかったが、それでも十分に象徴的なもので あった。今にして分かるが、あれは警戒を込めた出来事だったのだ。朝食はすでに済 んでいた。今でも覚えているが、私はその時、比処の家でのもてなしの全部を賄う費 用としての、週三十シリングという額にしては、いかにもお粗末な、お寒い食事だと 思った(後で思い出すと、あれで十分だったが)。広告を見て応募した時には、まず まず格好な値段だと思ったのだが。
朝食が済んで、私は窓のところへ立った。窓は床のところが開くようになってい て、窓枠の上の部分は固定されていた。窓の外には、のろまな雛っ子が五、六羽、ピ ヨピヨやかましく鳴きながら、窓の敷居から糸みたいな首を細く伸ばして、部屋の中 を覗き込んでいた。「可哀想に、腹が減っているんだな」と呟きながら、何だかひど く哀れになって、私はパン屑を取ってきて投げてやった。すると、どうだろう、いく らもないそのパン屑を、雛っ子たちはみんなして大騒ぎで奪い合いをしているではな いか。私は朝食に食べ残したパンを取りに食卓へ引き返しながら、振り返ってみる と、痩せた一羽の若鶏が、必死の勇気を奮って敷居の上に飛び上がって、私の後を 追ってきた。その音を聞いて、やっこさん、どのくらいまで歩いてこられるかなと、 私は面白半分に部屋の奥の方へそっと引っ込んだ。途端に若鶏は、いきなりテーブル の上にバタバタと飛び上がると、大皿からパンの大切れを引っ掴んで、けたたましく コケッコココココと雄叫びながら、部屋から飛び出し、たちまち仲間の奴らが一斉に 後から夢中で追ってくるのを引き離そうとして、ピョンピョン大股で飛び跳ねるよう に、庭を突っ切って逃げて行った。途中、若鶏は、子豚の側を通らなければならな かった(私はその時初めてその子豚を見たのだが、どこにもいる典型的なやつだっ た)。丁度子豚は、庭木戸の方へ向かって歩いていたところだった。このちび助は、 根っからの剽軽者である。緊張した若鶏が側へ駆けてくると、いきなり彼はそっちへ クルリと向いて、頃合よく、ブーと唸った。自分の後ろからやってくる空きっ腹の連 中にばかり気を取られていた若鶏は、その声にびっくり仰天して、自分の嘴にはちと 大きすぎる強奪品のごちそうを、思わず落としてしまった。今でも私は、その時パン 切れにありついた子豚のいかにも嬉しそうな目の輝きが、ありありと目に浮かぶ。恐 らく子豚のちび助は、その時パン切れを食べながら、この農場共通の世界言語(エス ペラント)で、脅かされて恨み骨髄の若鶏を、せいぜいからかってやったことだろ う。
午前中は、他にこれといって取り立てて言うほどのことは起こらなかったが、た だ、宿の亭主がしきりと包丁を研いでいるのを見かけた。あんなものを研いで、一 体、殺すものがあるのかなと、不思議に思ったことを今でも覚えている。
翌朝、パン屑を目当てに、窓の下で待っている五羽の鶏の中に、昨日の若鶏はいな かった。その代わり、夕食の膳で、私は彼に再会した。肉の乏しい彼の骨ガラから栄 養を掻き集めながら、この鳥が我がちび助君に出っくわした時のことを思い出して、 私はもう一度微笑した。なかなか要領を心得た、洒落たやつだよ、あのちび助は。 我々はほんのチョッピリの食べ物の屑で仲良くなったけれども、まだ今のところ、彼 の自由は許されていない。 この谷間の農場に滞在中のメモを見てみると、次のよう な記述がある。以下引用するが、その中には、かなり色々思い当たる節があるように 思われる。
「家畜の姿、消えつつあり。残るは年寄り牝鶏一羽である。この鶏は毎日鶏卵一個 を自分に提供してくれた。察するに、彼女は産卵するために、最後まで飼われていた のだろう。私の言う通りだった。今朝は家鴨が二羽だけいる。家鴨、ついに全部 いなくなる。何だか自分で自分がひどく不安になってきた。乳牛が消えてしまった。 かみさんは売ったのだと言う。その売った代金で、かみさんは、今自分が生命をつな いでいる、このボソボソの筋っぽい牛肉を買ってきたのだろう。牝豚が見えなくな り、それで得た代金で、かみさんは豚肉を買ってきた。こんな具合に、消えた動物で 授かった肉を連想するのは、連想するこっちがいけないのかもしれない。売った家畜 と同じ動物の肉を買う・・・このことに、何か迷信じみた考えと、感傷的な愛情みた いなものが、果たしてあるものか?この説にはいくつかの論拠があるだろうが、それ にしても比処の亭主は、何だってああ四六時中、包丁ばっかり研いでいるんだろう? どうも自分には信じられない。今朝、亭主は留守だが、しかし、いくら十六世紀のス ペイン人征服者だって、あの子豚のちび助、あのお天気屋でお道化屋の私の小さな友 だち、この呪われた谷間で、運命の神の前へ出てニッコリ笑える唯一の生き物である あのちび助を、バッサリ殺るほどの残虐性は持ち合わせてはいまい。またぞろ食卓に 豚肉が出る。きっとこれは、あの年寄り牝豚の肉に違いない。だが、あの牝豚は、何 故ああ突然おとなしくなったのだろう?ここ何週間かの間に、初めて満足な食事らし い食事を、あの牝豚から自分に与えられるのは、一体、これはどういうことなのか? 自分にはどうしても信じられない。かみさんには聞かないことにする。豚肉がおしま いになるまで、自分は信じないだろう。あのちび助もすでに売られたに違いない。自 分は確信している。この上は、あのちび助が、今までよりいくらかでも幸せな、腹の 減らない住処を見つけていることを望むばかりだ、可哀想なちび助よ。今朝、朝食に 鶏卵が一個ついたが、それを割ったら、ポンと音がして消えてしまった。自分は不思 議な気がした。それ以来、転生、輪廻というものが信じられなくなった代わりに、そ の瞬間、あの子豚のちび助の魂がその鶏卵の中に入ったのだという直感が、自分に起 こった。ポンといって消えてしまうとは、さすがにちび助らしい、一風変わった冗談 だ。それはいいが、こっちは腹がペコペコだ。自分は今小説を書いている。二人の男 が一艘の小船に乗せられて捨てられる内容だが、いわゆる地方色の濃い、なかなか感 動的な話だ。二人は空腹にひどく苦しむ。年寄り牝鶏がとうとういなくなった。そし て亭主は相変わらず包丁をゴシゴシ研いでいる。何故だろう?私のために野菜を切り に行くのかな?野菜がどこへ行ったらあるのか、自分は知らない。今書いている小説 では、一方の男が空腹のために自棄糞になる。夕食にパンとチーズが出た。嵐の前の 静けさ、というところかな?今日、昼過ぎに、自分は亭主の目の中に奇妙な表情を見 て、驚いた。何かこっちを値踏みするような目つきで、ジッと睨んでいた。どうも亭 主は、自分の書いている小説の筋を霊感みたいなもので辿って、力の強い方の男にな りそうな気がしてならない。今朝は、亭主が朝食にパンとバターを出してくれた。か みさんは加減が悪くて、今朝は起きられない、と亭主は言う。そして・・・後は何を 言ったのか、さっぱり分からない。結局、とどのつまり、自分には、とてもじゃない がそんなことは出来もしないし、する気もないし・・・(ここでメモは終わってい る)」
最後の朝食を済ませた後、私は裏庭へブラリと出た。すると、亭主が納屋で包丁を 研いでいるのを見た。私はあの子豚のちび助の無頓着さを装って、裏木戸の方へさり げなくブラブラ歩いて行き、其処から森の方へと、いかにも退屈そうな足取りで、ブ ラリブラリと散歩して行った。そして、駆け出した。いやもう、駆けまくったの何 のって!
本作品の作者、ジョン・ディヴィズ・ベレスフォード(1873〜1947)は、今では創元推理文庫怪奇小説傑作集第二巻の中の「人間嫌い」という本作品と同じく不気味な 短編(楳図かずおの「魔性の目」、高橋葉介の「触角」という漫画はこの短編の焼き 直しです)で知られています。しかし、私としては本作品を子供向けの例の本とはい え、先に読んでしまったので、「のど切り農場」が発散する、異常な迫力に圧倒さ れっぱなしのまま、ベレスフォードといえば即「のど切り農場」と頭に焼きつけられ ました。本当に何といいますか、本作品の持つ不気味さは、あのロバート・ブロック の「サイコ」さえ霞むくらいです。こんなに短いのに、長編に優る第一級の恐怖を表 現出来るのですから、全く驚嘆することこの上なしであります。