水泡の中に.番外編

 

 窓から溢れ出す光は暖かく
 風は穏やかで
 空は抜けるように蒼く澄んでいた

 木漏れ日が彩る小道は
 柔らかな草の香りで満ちていて


 その中を
 舞い踊るように
 軽やかなリズムで

 銀の髪が揺れる
 長い巻き髪を
 誇らしげに輝かせて


 今から一月前
 俺は家族全てを失った
 激しい孤独感と

 怒り
 悲しみ

 俺はそれに耐え切れずに
 森の泉に身を投げた

 だが
 そんな俺を
 一人の人魚が
 泉の底から引き上げてくれた

 お世辞にも
 第一印象は最悪であったが

 それでもその後
 俺は時折
 泉へと向かうようになり

  人魚との逢瀬を繰り返し
 それなりに親睦を深めていった


 そして今日
 初めて人魚と
 街へと出かけることとなった

 人魚は今まで
 人里へと足を運んだ事は無かった

 人魚もまた
 暗い森の泉で

  一人きりの孤独な生活を繰り返していたから
 俺以外の人間と話した事も無い

 人魚にとっては
 あの泉が世界の全てだったから


 だから

  だから

 
 ゆで卵を殻ごと食ってても
 仕方が無いのかもしれない

 
 ぼりぼりぼり……

 俺がランチにと持参したゆで卵は
 とてもよい音を立てて噛み砕かれている

 ばり ぼり ごり

 
 とても卵を食べてる音とは思えねぇ

 
 ここは友達として


 殻を剥くのだという事を伝えるべきか


 それとも
 

 面白いからこの際、黙って観察するべきか

 
 ……。

 
 まぁ、いっか

 

 通りすがりの町民も
 見てみぬフリをしてる事だし

 
「ねぇ、ランチが終わったらどうします?」

「どうしたい?」

「もっと人間のたくさんいるところに行ってみたいです」

「そうか わかった」

 
 ……頼むから

 
 問題起こすなよ


 俺は人魚を連れて海沿いの市場へと向かった

 ここはそれなりに人通りも多い
 それに至る所に屋台が立ち並んでいるから
 きっと人魚にも気に入ってもらえるだろう

 メインストリートでは
 屋台の店主が威勢良く客引きをしている
 市場は今日も活気に満ちているようだ


「おネェちゃん、お一つどうだい?」

 屋台の店主が人魚にも声をかけた
 新鮮な魚介類の炭火焼を売る店のようだ

 しかし人魚はその声にも気付かずに
 ただ一点に気をとられていた


「ねぇ! この辺、
 土が石になってるよ!?」

 
 大音声


 人魚よ
 これは石ではなく

 

 コンクリートだ

 
 屋台のおっちゃんが苦笑を浮かべる
 俺は思わず

 
 言い訳していた


「すみません、こいつ、田舎育ちで……」

「ははは都会に出てきたばかりかい。
 俺も地方出身でなぁ〜……若い頃を思い出すよ」

 豪快に笑うおっちゃん
 何気に好印象

「ほら、焼きたてのエビだよ。おじさんの奢りだ。お食べ」

 紙皿に乗った二匹のロブスター
 こんがりと焼けて美味しそうだ
 俺は店主に礼を言うと人魚に一匹差し出した


 そして

  ばり ぼり

 豪快に殻ごと噛み砕かれるロブスター

 笑顔のまま固まってるおっちゃん


 …やべぇ



「あ・あの、こいつの故郷は
 固いものを好んで食べる習慣が……

 

 苦しすぎる言い訳
 一体どれだけ硬いものを喰う種族なのだ
 

「……はは……は……包丁、貸すよ……
 せめて切ろうな?


 俺もそう思う
 人魚は笑顔で

 
「包丁って何ですか?」

 

 おっちゃんの手から包丁が落ちた

「おネェちゃん……普段、どうやって食材を切ってるの?」


 まったくだ

 

「えっと……蟹の殻とか硬いものは
 その辺に転がっている岩石を投げつけて砕いてました


 お前はどこの原住民族だ

 
 おっちゃんは無言で遠くを見つめている


 聞かなかった事にするつもりらしい



 賢明だ

 
 俺もそうしたかったよ
 でもこのまま人魚を放置するわけにもいかない
 俺は人魚を肩に担ぐと

 全速力でその場を
 逃げ去った


 

 夕暮れの砂浜は
 人通りも疎らで
 ただ静かに
 波の音がたゆとうだけ

 風に運ばれてくる
 冷たい潮風も
 二人で居れば暖かい


「今日は楽しかった〜」

 人魚は人間の町にご満悦
 うっとりと今日の出来事を振り返っているようだ

 
 俺の苦労も知らないで

  何か、くらくらする
 今日一日でどっと疲れたようだ

「もう帰って寝たほうがいいぞ。疲れてるだろ?」


 俺の方がたぶん疲れてるだろうけど


「……うん……
 でも、その前に一つ聞いて欲しい事があるの」


「ん?」


 人魚は真っ直ぐに俺を見つめてきた

 いつになく真摯な瞳で
 交差する視線

 縮まる二人の距離
 触れ合う肩
 薄く開かれた唇

 互いの吐息が頬をかすめて……


 

「ねぇ、一緒に魔界に行かない?」

 

 

 ……あ?


「私、魔界に子供を残してきてるの」

 …………は?


「ぜひ、紹介したいんだけど
 子供はまだ人間に変身できないから……」


 子持ちかよ!?


「……子供って……あの……」

「うん、私のね」

 
「……あの……まさか……
 もしかして、人妻……?」



「いや、女房は子供を生んですぐに他界しました」

 
「あ、そう……」

 

 …………。

 
 

 ちよっと待てぃ

 

 男!?


 頭のくらくらはエスカレートした

「あの沼は魔界へ繋がる扉なの。
 あ、この辺の海とも繋がってるからすぐに行けるよ」

 俺がショックで石化しているのをいいことに
 暴走した人魚は


 俺を海へと引きずり込んだ

 
「何か私、人間界へ来たら容姿が女っぽくなっちゃったんですよ。
 でも、魔界へ行けば本当の私の姿でお出迎えしてあげれますね〜♪」



 ぶくぶくぶく

 
 気がつけば俺は海の底
 人魚の魔法なのか
 海から沼へと周囲が変貌してゆく

 周囲は衣類からこぼれた空気で
 雪のように水泡が舞い踊っている



 そして
 
 水泡の中に見えたのは

 

 ごっつい姿へと変わり果てた人魚の姿だった

 
 

 天国の父さん、母さん、兄さん
 お元気ですか?

  俺は辛うじて元気です

  毎日半魚人に囲まれて魚臭い生活を送ってますが

 魔界の生活も慣れればそれなりに快適です

 岩石を落としての調理にも

 ようやく開き直る事が出来ました

 
 これから近所のドラゴンのところに
 魚を焼いてもらいに行ってきます
 それではまたお便りします


 追伸
 人魚って実は



 全長3ートルを越す巨大生物だったんだね