備後國分寺寺報 [平成十三年正月] 第一号
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備後國分寺だより
新しい世紀を迎えて
いよいよ二十一世紀を迎えます。
一昔前であれば、様々な夢を現実のものにしてくれる期待をもって待たれていた二十一世紀。しかし、いまその現実に立ち会っている私たちには、不安や焦燥、または無力感を内に抱えつつこの時を迎えているというのが実感ではないでしょうか。
政治への不信、景気の低迷、生活環境の悪化、凶悪事件の増加と低年齢化、社会保障に関する不安等々。二十世紀末に私たちの身に起こった様々な事件や事故が今世紀も繰り返されない保証は何もありません。
一人一人の心の中の争いが、引いては国同士の争いに発展するように、それらの一つ一つも実は私たちの内に抱えた不安定な心の反映と言えるのかもしれません。
バブル経済崩壊以降特に自己の利益に執着して他を顧みず、個々がバラバラになり、心の繋がりを失ったかに見える昨今であります。
しかし、お大師様が即身成仏義の中で「重々帝網なるを即身と名づく」と述べられていますように、すべての生き物や物質は決して他と無関係に存在しているのではなく、互いに照らし合い関係し合っています。
遠い国の環境問題も、たちまち私たちの生活に何かしらの影響があるように、私たちはすべてのものと影響し合い、他との関係の中に生かされています。
個の利益や自己実現を求めるあまり、他との協調、融和、慈愛を失ってしまっては、本来的には私たち自身のためにはなりません。
他の人々、すべてのものたちとの関わり、調和を感じつつ、一人一人が心の落ち着きを取り戻し、社会が、そして世界が変わる世紀でありたいと思います。
●お薬師さまの話●
お薬師さまは多く國分寺の本尊として祀られているように、古くから我が国に伝えられ信仰されてきました。
もとのお名前をバイセージャ・グル(Bhaisajya.Guru)といい、バイセージャとはインドの古い言葉で良薬、薬草、治療の効果という意味があり、グルとは、尊敬すべき人、先生、尊者という意味だといいます。易しく言うと、良い薬をお授け下さる尊いお方ということになりましょうか。
現代に暮らす私たちにとっては、薬など珍しいものでもありませんが、二千五百年前のインドでは薬といっても薬草や木の実、または油などしかありませんでした。
その当時、お釈迦様の侍医でジーヴァカという有名な医者がおりました。彼は出家者しか診療しなかったので、病人が治療を受けるために出家をし、治ると還俗してしまうという問題を引き起こす程であったということです。
そして、そのジーウァカのことを出家者たちは先生と呼び尊んでいたと言われています。このような医療によって人々の尊敬を受けるジーウァカのような人がお薬師さまのモデルであったのかもしれません。
しかし、お薬師さまの本当のありがたさは、身体の苦痛に対してばかりか、広く心の痛みに妙薬を授けて下さるところにあります。病は気からと申すまでもなく、私たちにとっての最も切実な問題は精神的な煩悶、苦悩ではないでしょうか。
であるからこそ、お薬師さまは古からいまもって厚く信仰されて来ているのではないかと思います。・・・つづく。
仏教ってなに-一
私たちが日常読誦する般若心経は、観音様の説法を高僧・舎利子が拝聴するという構成になっています。その舎利子は、お釈迦様の十大弟子の一人で、智慧第一といわれ賞されたサーリプッタ尊者の漢訳名です。
仏教は心の教えではありますが、とりわけ智慧の教えである点が他の宗教にない勝れたところと言われています。智慧第一といわれお釈迦様のおられる場でも、ときに代わって弟子たちに法を説かれたサーリプッタが般若心経の聞き手として登場するのも、とても意味深いことであります。
ところで、そのサーリプッタも、はじめからお釈迦様の弟子であった訳ではありません。人として生きるこの世の真理を知りたいと思い、本当の師を求めていたある日、ラージギールの町でアッサジという仏弟子の托鉢する姿に出会ったことが、そのきっかけでありました。
その托鉢僧のただならぬ清らかさと落ち着きを感じ、托鉢が終わるのを待って話しかけ、その師を尋ねたのでした。そのときはじめてお釈迦様の名を知り、その教えを問うと、アッサジは「すべてのものは原因から生ずるのであって、如来はその原因を説かれる。またその滅をも説かれる」と、後に縁生偈といわれるこの有名な偈文を唱えました。
すると、サーリプッタはたちまち、お釈迦様の説かれる縁起の法を理解してしまったと言われています。そして、法友であったモッガッラーナ尊者、この方はお盆のお経に登場する神通第一と後にいわれる目連尊者のことですが、彼らと共にお釈迦様の元に馳せ参じたということです。
当時誰もが宿命や神の意志によって物事が決められるといった迷信を信じ、神々への献供を欠かさなかった人々の中にあって、お釈迦様は正に科学的、理性的、現実的な教えを説かれていたのでした。
お釈迦様の言葉-一
他人の過失を見るなかれ、他人のなす事
なさぬことを見るなかれ。
ただ、自己のなす事なさぬことのみを
見るが良い。(法句経第五十偈)
法句経(原本はパーリ語のDhammapada)は、お釈迦様が実際に語られた法話の中で、それを締めくくる際に、記憶にとどめやすいように法話を要約し、偈文の形で唱えられた短いお経の集成であります。
難しい言葉を用いることもなく、冒頭に掲げた偈文も、読んでそのままに理解することが出来ます。
お釈迦様の教えには、「私たちはいかに生きるべきか」ということが常にその根幹にあります。けれども私たちの日常は、実際には、自分のことを省みることなく、人のことばかり鵜の目鷹の目に注目し、何かに付け避難中傷をしやすいのです。
それに引き換え、自分自身を見ること、客観的に自己を知ることがいかに難しいことであるか、大切なことであるかをこの偈文は教えてくれています。
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