「泡盛の会」
酒と料理と・ジャズもクラシックも

 他の項目でも少し触れております「泡盛の会」「楽々会」は、私がコーディネートしているレコード・コンサートの名称です。

 この二つのコンサートには共通点もありますが、雰囲気の違いもありますし、取り上げる音楽、中でもクラシックの部に少しの違いがあります。

 共通点としては、どちらもお酒を頂きながら料理を楽しみ、良い音で音楽を楽しむ!という事です。

 また、ソフトには一切CDを使用せず、全てアナログ・レコードに限定されていることも共通の特徴です。オーディオは、どちらの会場も私がセットしたエール・ホーンによる大型マルチ・チャンネルの5ウェイ・システムがセットされています。どちらの会にもイケダ・サウンドの池田勇氏が参加されますので、カートリッジは、その時点での最新の試作機を使用します。(毎回、常に最新のサウンドが楽しめることになっています)

 相違点としては、「泡盛の会」の方は参加者が約60名で、広い会社ホールですので、熱気に溢れ、またおしゃべりも盛んで、「鑑賞!」という雰囲気よりも「楽しむ!」といった感じになっています。名称の通り、泡盛(古酒)を中心に、ビール、ワインなどを楽しみます。このホールの「広さ」がオーディオの再生には独壇場のメリットを提供します。

 一方「楽々会」は、個人宅の小ホールで、現在のところ10人〜15人程度の出席者で、日本酒を中心に、焼酎、ビールなどで、しかも日曜日の午後開かれます。人数が少ないので、奥様手作りの料理(奥さんは料理上手なのです)ジックリと音楽の話などを交えながら、家庭的な雰囲気で、こちらは「鑑賞する!」雰囲気が強く、クラシックもタップリと1時間聞きます。そのためプログラムも入門者のための解説書的な内容になっています。

 「泡盛の会」
 このホーム・ページで度々登場している、東京・駒込で定期的に行っているレコード・コンサートの名称が「泡盛の会」なのです。

 駒込に本社を置く会社の社長が音楽ファンで、当時タンノイのGRFメモリーを自宅でお使いでしたが、たまたま、私にツイーターの追加を依頼されたのが発端で意気投合し、社長の提案で、ホールを利用して何か出来ないかという事からこの会が発足しました。

 1998年10月を第一回として、以後毎偶数月(年6回)に催されています。

 社長は、当初CDオンリーでしたが、私と知り合い、アナログの本格的なサウンドに魅せられて「泡盛の会」は、とことんアナログに拘ろうということで、アナログのみによるコンサートが実現しました。

 会の趣旨は、極力良い音で、良い音楽を聴きながら酒と料理を楽しみ、尚且つ知り合いの輪を広げていこうというものです。今年の10月で8年目に入りますが、現在は60人の参加者で、これ以上増やせない状態になり、完全に定着してきました。(写真は会場風景)

 音楽の内容は、ジャズとクラシックが中心ですが、時には演歌もあり、ラテン特集あり、またオールデイズの特集があったりと多彩です。今までに特例として、「映像に見るジャズの名手たち」や、「クラシックの名演」を映像で紹介したことも2回ほどあります。

 オーディオは現在は、オール・エール製品の大型5ウェイ・マルチ・チャンネル・システムで、スケールの大きな演奏会ホールさながらのサウンドを実現しております。この会場のオーディオ・システムの変遷はアンプはそれほど重要ではないに説明してあります。この会は、社長の並々ならぬ奉仕精神と社員上げての協力で成り立ち、しかも飲み放題の食べ放題で¥2.000−という完全なボランティア精神によって成り立っています。独特の熱気とサウンドで一度出席するとクセになるほどです。

 現在、満員札止めですので、新規の参加者は募っておりません。申し訳ありませんがお誘いが出来ません。 下の写真は「泡盛の会」会場のアンプ群とスピーカーです。

  「楽々会」

 「楽々会」は「音しむを略した名称で、埼玉県の狭山市で「泡盛の会」と同様のコンサートを行っているものです。こちらは個人のお宅の小ホールを使い、奥様の手料理とお酒でゆっくり楽しみます。25名程度の収容は可能です。内容は、主にクラシックとジャズで、両方とも一時間ずつで、タップリと聴きます。解説プログラムも特にクラシックに多くを費やして、入門書を兼ねるように私が作ります。こちらは年3回で、日曜日の午後2時から休憩を挟み大体5時頃まで色々と話し合いながら続きます。こちらも参加費は¥2.000−なのです。ここのオーディオもエールの大型ホーンによる5ウェイ・マルチ・チャンネル・システムがセットされています。(発端はツィーターの追加で、それ以前のシステムは、アルテックの620)

 この会場のオーナーは、本業は一級建築士です(ですから思い通りの設計で、集会所的な小ホールを作られたのです)。ご本人はあらゆるボランティア活動にも熱心で、その中心的な場所として自宅を提供されています。以前は、玄関口に「Free・Space」と表示があり、何方でもどうぞ!という家でした。この家のホールの奥に陶磁器の為の大型のガス窯もセットされて、陶器の教習室も催され、また陶芸展示即売会もこのホールで行われます(ご本人は陶芸家でもあります)。そんなところでのコンサートですので十分に楽しめる雰囲気が整っています。

 写真は同会場のある日の「楽々会」のものです。

 写真の右上部にあるのが右側のスピーカー・システムです(ここは天井が高いので、このセッティングでも問題は無いのです)。

以下に「泡盛の会」と「楽々会」のある日のプログラムを掲載致します。

    第二十九回 「泡盛の会」 プログラム 2003・8・29

第一部    有名アルバムのB面を聞く

 当然のこととして、CDにはB面はありません。アナログ・ディスクには、表の面と裏の面があります。特に有名なアルバムでは、お目当ての曲が入っている面は良く聞く事があっても、他の面は意外と聞くことが少ないものです。そこで、今夜は、そのB面にスポットを当ててみます。

1) エアジン / マイルス・デイヴィス

 この曲は、マイルス・デイヴィス(tp)とセロニアス・モンク(pf)の“因縁の対決”・・として名高いクリマスマス・セッション(1954年12月24日録音)のB面1曲目です。A面のセッションより半年前の演奏で、メンバーが少し異なります。ピアノがモンクからホレス・シルバーに代わり、ミルト・ジャクソンの代わりにソニー・ロリンズが加わっています。
 タイトルの「エアジン―AIREGIN」は、アフリカのナイジェリアを逆綴りにしたもので、ソニー・ロリンズのオリジナル曲です。ロリンズの代表作の一つ。

マイルス・デイヴィス(tp)  ソニー・ロリンズ(ts)  ホレス・シルバー(pf)  パーシー・ヒース(b)   ケニー・クラーク(ds)

  バグス・グルーヴ より    1954年6月       ※     <プレステッジ>

2) ジャスト・ア・メモリー / デューク・エリントン&ジョニー・ホッジス

 A面1曲目の「ストンピー・ジョーンズ」がお馴染みと思いますが、この曲とは録音年が違います。
このアルバムのA面1・2・4は、1959年2月の録音で、メンバーも大幅に違います。この曲の録音には肝心のエリントンは入っていません。ピアノはビリー・ストレイホーンです。

  ジョニー・ホッジス(as)  ベン・ウェブスター(ts) ロイ・エルドリッジ(tp)
 ローレンス・ブラウン(tb) ウェンデル・マーシャル(b) ビリー・ストレイホーン(pf)
 ジョー・ジョーンズ(ds)

     サイド・バイ・サイド より   1958年8月       <ヴァーヴ>

3) ブルー・セヴン / ソニー・ロリンズ

 ソニー・ロリンズの代表作のみならず、モダン・ジャズ・アルバムの金字塔と云っても過言ではない  このアルバムに限っては、A面・B面ともに良く聞かれるものです。A面1曲目は余りにも有名なロリンズの代表作「セント・トーマス」があり、B面1曲目はロリンズの人気を高めた、これも代表作の「モリタート」が収録されているからです。仕方がありませんので、B面の2曲目を聞きます。
 ロリンズの歴史的名盤の名演をこの曲でも十分に味わって頂けます。なにしろ約半世紀前のロリンズ。

 ソニー・ロリンズ(ts) トミー・フラナガン(pf) ダグ・ワトキンス(b) マックス・ローチ(ds)

     サキソフォン・コロッサス より  1956年6月    ※  <プレステッジ>

4) ワン・フォー・ダディ・オー / ジュリアン“キャノンボール”アダレイ

 A面1曲目のマイルスのミュート・トランペットが印象的な「枯葉」が、このアルバムの代表的な人気曲だと思います。このアルバムは、キャノンボールのリーダー・アルバムとなっていますが、それは、契約上のことからそうなったらしく、実質上のボスはマイルスという二重構造の人気作です。ジャズ・ファンによってマチマチですが、収納にはマイルスのところに収納している人が多いようです。
 このアルバムのB面1曲目に、このアルバムのタイトル曲「サムシン・エルス」が入っていますので、2曲目を聞きます。キャノンボールの弟ナット・アダレイの作曲です。

   
マイルス・デイヴィス(tp) キャノンボール・アダレイ(as) ハンク・ジョーンズ(pf)  サム・ジョーンズ(b)  アート・ブレーキー(ds)

     サムシン・エルス より    1958年3月     <ブルー・ノート>

5) ザ・マン・アイ・ラブ / ジャスト・ジャズ・オール・スターズ

  あの伝説のスターダストを生んだパサデナ・コンサート(1947年8月4日)での実況録音盤。このアルバムは、A面の「スターダスト」が余りにも強烈なため、その他の演奏の影が薄く感じられますが、実際は、優れた演奏が収録されています。メンバーは、「スターダスト」からライオネル・ハンプトンが抜けたジャスト・ジャズ・オールスターズです。
  このアルバムには、スターダスト以外にはライオネル・ハンプトンは登場していません。しかし、当日のコンサートを収録したもう一枚のアルバム「ジーン・ノーマン・プレゼンツ・ライオネル・ハンプトン」GNP・vol・15には、ハンプトンが縦横に登場し、バイヴ・ピアノ・ドラムスを披露しています。ただ、この場合は、ピアノがトミー・タッドではなく、ミルト・バックナーになっています。(日本ではキング・レコードから発売されていました)


  当日のハンプトンの出番は、「スターダスト」だけではなかった訳です。曲はガーシュインの作品。

   ウイリー・スミス(as)  チャーリー・シェーバース(tp)  スラム・スチュワート(b)

   バーニー・ケッセル(g)  トミー・タッド(pf)   ジャッキー・ミルス(ds)

   コーキー・コーコラン(ts) * A面では、(ds)は リー・ヤング

     スターダスト より   1947年8月        ※       <MCA>

6) カウント・プレース / カウント・ベイシー

 カウント・ベイシーのビッグ・バンド・アルバムにも有名なものは枚挙に暇が無いほどですが、このアルバムを第一に挙げる人も多いのです。ベイシー・ファンを自他共に認める、一ノ関(岩手)の「ベイシー」のオーナー菅原正一氏も真っ先にこのレコードを私に聞かせたものです。A面は、特に優れた演奏が続きますが、B面1曲目のこの曲は、勿論ベイシーのオリジナル。ベイシー得意のオール・アメリカン・リズム・セクションに始まり、ディクソン(ts)、サッド(tp)、フォスター(ts)の順。

    サッド・ジョーンズ(tp) フランク・フォスター(ts) エリック・ディクソン(ts) カウント・ベイシー(pf) フレディ・グリーン(g) エド・ジョーンズ(b)

    ソニー・ペイン(ds)

     カンサス・シティ・セヴン より  1962年3月        <インパルス>

 7) シッピン・アット・ベルズ / ソニー・クラーク

   ハード・バップ・ジャズの代名詞とまで云われる人気アルバムで、まず知らない人はいないと云っても過言ではないでしょう。内容もさることながら、ジャケットの有名さも特筆もので、良くジャズ喫茶の看板でも見かけたものです。この曲はB面1曲目のもので、アート・ファーマーのトランペットに注目。

    アート・ファーマー(tp) ジャッキー・マクリーン(as) ソニー・クラーク(pf)  ポール・チェンバース(b) “フィリー”ジョー・ジョーンズ(ds)

     クール・ストラッティン より   1958年1月      <ブルー・ノート>

                              ※印はモノラル録音です。

―― 休  憩 ――
 

第二部     暑い夏はモーツアルトで爽やかに。

8)交響曲 第四十一番 ハ長調 K551 「ジュピター」 (全)

   ウォルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756年〜1791年)は、早くから音楽の才能を発揮して、8才で交響曲を、10才でオペラを作り、僅か35年の生涯に600曲余りを作曲しました。我が国で最もファンが多く、また演奏されることの最も多い作曲家と云えます。その音楽は、最近では病に対する治癒効果の有効性が指摘ないし確認され、セラピストによって「治癒師モーツアルト」「モーツアルト・セラピー」「モーツアルト効果(イフェクト)」なる用語まで用いられるに至っています。酒の発酵中にモーツアルトを鳴らすとまろやかな味の酒になる・・とか、鶏に聞かすと鶏の産卵率が高まる・・とか、牛に聞かすと乳牛の乳の出が良くなる・・とか云われますが、ハッキリしていることは、モーツアルトは、鶏や牛の為に作曲をしたのでは無い!・・と云うことだと思います。

   モーツアルトは、宮廷音楽家であった父レオポルド・モーツアルト(オモチャの交響曲を作曲した)によって才能を見出されました。モーツアルトの書簡には父への相談事が頻繁に出て来ますので、父親を尊敬していたようです。飲んだくれのベートーヴェンの父親とは大分違います。

   モーツアルトは勉強もしましたが、何より天分に恵まれた人で、あたかも果物をもぐように、天に手を伸ばせばメロディが出てきた・・と云われます。作曲の場合は、ただ楽譜に、すでにあった物を写すように書いた・・そして訂正することも無かった。最初に書いた楽譜がそのまま清書だった。などといわれます。本当の天才だったようです。

   モーツアルトは「交響曲」を41曲作っています。(他に協奏交響曲もありますが)中でも、最後の3曲、39番、40番、41番は3大交響曲と呼ばれ、最高の作品と云われます。特に今日聞きます41番は、モーツアルトの作品中、最高、最大の作品として評価されています。

   モーツアルトが如何に才能に恵まれていたかの証拠として、この3大交響曲が極めて短期間に完成した!という一事で分かります。即ち、39番は1788年6月26日に、40番は同年7月25日に、この41番「ジュピター」は8月10日に完成しています。僅か1ヶ月半にこのような傑作を次々と作曲した作曲家は音楽史上ありません。その期間、他の曲も作っていたのですから驚くほかありません。

   題名の「ジュピター」は後世の人が名付けたもので、この曲の誉め言葉として、ギリシャ神話における最高の造物神の名を冠したもので、この曲の力強い創造的な壮大さに対して全く相応しい名称と云えます。曲は、4つの楽章から出来ていて、今日はその全曲を通してお聞き頂きます。

     演  奏   管弦楽 : フィルハーモニア管弦楽団

            指 揮 : オットー・クレンペラー

           1962年録音                        <EMI>

フィルハーモニア管弦楽団1945年、ロンドンに創設されたイギリスのオーケストラ。カラヤンとの一連の録音や、演奏会で評価を高め、59年にはクレンペラーを終身指揮者に任命。64年〜76年まではニュー・フィルハーモニアを名乗り、自主運営となりましたが、77年からニューを外し元の名称になりました。現在はクリストフ・フォン・ドホナーニが首席指揮者。

オットー・クレンペラー:1885年〜1973年。ドイツの指揮者。1906年指揮者デビュー。大戦中はアメリカに逃れ、ロス・フィルを指揮。戦後はブダベスト・オペラの指揮者、54年からフィルハーモニアの常任指揮者。フィルハーモニア管弦楽団の終身指揮者。重厚で、スケールの大きい指揮でファンも多く、ベートーヴェンの交響曲全曲録音など多くの録音を残しました。      以上

協 力 : エール音響研究所   (有)イケダ・サウンド・ラボ

選曲・解説・レコード提供・オーディオ調整 : 大重 善忠


第十ニ回「楽々会」プログラム     2005・11・20        

第一部  有名交響曲の終楽章を聴く

1)メンデルスゾーン作曲 交響曲第三番 イ短調 作品56 「スコットランド」 第四楽章

演奏  オットー・クレンペラー 指揮   フィルハーモニア管弦楽団

メンデルスゾーンのフルネームは、ヤコブ・ルートヴィッヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルデイ(1809〜1847)という大変長い名前です。彼はユダヤ系の富豪の銀行家の家に生まれました。音楽家としては珍しく恵まれた環境で育ち、母に音楽を習い、9才でピアニストとしてデビューしています。彼は、短い生涯に関わらず作曲家としても重要ですが、音楽界に尽くした業績も無視できません。ライプチッヒのゲバントハウス管弦楽団(世界最古の歴史をもつといわれる。1743年創立)の指揮者として同楽団を一級のオーケストラに育て、また一般には忘れ去られていたバッハの復興運動の中心人物として活躍しました。一方、イギリスでは特に評価されて、イギリスには10回も訪問しています。最初の訪問は、ロンドンフルハーモニーの指揮と独奏をするためのもので、1829年、彼が20才の時でした。このとき、スコットランドの首府エディンバラの旧王城ホルリード宮殿の遺跡を見てこの曲のイメージを得て、スケッチを残したと云われます。ここは1566年スコットランドの女王メリーの寵臣リジオが一群の貴族たちによって殺されたという事件があり、のちに物語や詩、絵、劇になり歴史に残りました。それから実に13年後の1842年にこの曲は完成し、同年3月、ライプチッヒで自身の指揮により初演されましたが、その6月イギリスに招かれ、ロンドン・フィルハーモニーの演奏会でこの曲を指揮し、その時、この曲を当時のイギリス女王ヴィクトリア陛下に献呈しました。このヴィクトリア女王こそが、かの女王メリーの九代の末孫だったのです。
  メンデルスゾーンは生涯に番号のついた交響曲を5曲作っていますが、この3番は最後の作品です。4番(イタリア)と5番(宗教改革)は以前に作られたものですが、楽譜の出版が3番の後になりましたので作品番号も曲の番号も後になっています。
フィルハーモニア管弦楽団:1945年、ロンドンに創設されたイギリスのオーケストラ。カラヤンとの一連の録音や演奏会で評価を高め、59年にはクレンペラーを終身指揮者に任命。64年〜76年まではニュー・フィルハーモニアを名乗り、自主運営となりましたが、77年からニューを外し元の名称になりました。現在はクリストフ・フォン・ドホナーニが首席指揮者。
オットー・クレンペラー(1885年〜1973年)ドイツの指揮者。1906年指揮者デビュー。大戦中はアメリカに逃れ、ロス・フィルを指揮。戦後はブダベスト・オペラの指揮者、54年からフィルハーモニアの常任指揮者。フィルハーモニア管弦楽団の終身指揮者。重厚で、スケールの大きい指揮でファンも多く、ベートーヴェンの交響曲全曲録音など多くの録音を残しました。  1960年録音 <EMI>
      

2)ブラームス作曲 交響曲第一番 ハ短調 作品68 第四楽章

     演奏  シャルル・ミュンシュ 指揮  パリ管弦楽団           
 ヨハネス・ブラームス(1833〜1897)のこの交響曲第一番は、有名な指揮者ハンス・フォン・ビューローによって第十交響曲と名づけられてより、そのような呼び方もあります。その意味はベートーヴェンの不滅の九曲に次ぐもの、ということです。実際にブラームスはベートーヴェンを大変に尊敬し、崇拝もしていましたので、作曲に対してはベートーヴェンを相当に意識しました。「あの九曲の他に作曲をするものがあるのか」という考えまで追い詰めたようです。そのため、この曲は作曲に着手してより(1855年)完成までに実に21年を費やしています。初演は1876年でブラームス43才のときです。40才を過ぎて初めての交響曲を発表した作曲家は例がありません。それからは毎年のように作曲し、‘77年に第二交響曲を、’83年に第三交響曲、‘85年に最後の第四交響曲を作りました。ブラームスは、シューマン(1810〜1856・・ドイツの作曲家)に評価されて作曲を続けることが出来ましたが、シューマンの死後夫人のクララ・シューマン(1819〜1896・・ピアニストであり教育者)を援護して助けました。クララの没した翌年にはブラームスも他界しています。ブラームスは、クララに理想の女性像を感じて一生を独身で通したとの見方をする人もいる位です。(年令は大分違いますが)
 この曲のこの第四楽章の主題は、あのベートーヴェンの第九交響曲の第四楽章の主題(喜びの歌)とソックリのテーマが出てきます。やっぱり意識したのでしょうか。
シャルル・ミュンシュ(1891〜1968)フランスの指揮者。(生地のストラスプールは当時はドイツ領)ヴァイオリニストとしてスタート。フルトヴェングラーのもとでゲヴァントハウス管弦楽団のコンサート・マスターを務める。1933年パリで指揮者デビュー。ボストン交響楽団の常任指揮者を務めたあとパリ管弦楽団の初代指揮者に就任。
パリ管弦楽団:パリ音楽院直属の管弦楽団として1828年に創設されたパリ音楽院管弦楽団が発展的に解消し1967年に創設されました。フランス国家とパリ市が財源を保障し、初代音楽監督にシャルル・ミュンシュが就任。デビューと同時に国際的な名声を獲得。アメリカ樂旅中にミュンシュが急逝後、カラヤンが音楽顧問を受諾。その後、ショルティ、バレンボイム、ビシュコフをへて2001年現在エッシェンバッハが音楽監督。(満津岡信育氏)

        ミュンシュの死の10ヶ月前(1968年1月)の録音        <EMI>

3)ドヴォルザーク作曲 交響曲第九番 ホ短調 作品95 「新世界より」 第四楽章

   演奏  イシュトヴァン・ケルテス 指揮  ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団

アントニン・ドヴォルザーク(1841〜1904)については、この会でも紹介していますので詳しくは述べませんが、チェコを代表する国民学派の巨匠で、同じチェコの作曲家スメタナ(1824〜1884)と並び称されます。この交響曲は、ドヴォルザークが1892年からニューヨークの国民音楽院の院長に招かれ4年間滞在しましたが、渡米の翌年1893年に完成していて初演もその年の12月に行われています。アメリカの黒人霊歌などに題材を求めるほか、故郷のボヘミアの雰囲気も加え、彼の代表的な作品となりました。
 他には交響曲としては第八番「イギリス」や、第五番が良く演奏されます。他にはアメリカ滞在中の作品で弦楽四重奏曲「アメリカ」があります。        
 イシュトバン・ケルテス(1929〜1973)ハンガリー生まれのドイツの指揮者。リスト音楽院でヴァイオリン・作曲・指揮を学ぶ。1956年のハンガリー動乱後故国を離れ、‘58〜’63年アウスブルグ、‘64年からケルンの音楽監督。’65年〜‘68年はロンドン交響楽団の主席指揮者、輝かしい将来を嘱望されましたが、73年イスラエルでの公演中、休みを利用してのテルアヴィヴでの遊泳中に大波のため水死した。この「新世界より」は発売当時、決定的な名演として大変な評判になったレコードです。  (多分70年〜71年頃の録音)    <デッカ>
 ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団:今更説明の必要も無い1842年創立のオーストリアが世界に誇る第一級のオーケストラで、常任の指揮者を置かず、自主運営している独特の楽団。音色は優雅で、ホルンやオーボエは独特の響きをもつ古いタイプの楽器を使用。団員はウイーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーを兼ねますが、国立歌劇場の団員を経て、優秀な人材のみを入団させる方式をとっています。客演した指揮者には世界の一流の殆どが名を連ねます。

4)チャイコフスキー作曲 交響曲第四番 ヘ短調 作品36 第四楽章

   演奏  ロリン・マゼール 指揮  クリーヴランド管弦楽団       

ピヨートル・イリイッチ・チャイコフスキー(1840〜1893)は生涯に6曲の交響曲を書いています。一番から三番までは素朴な民族的表現が中心(なかなか楽しめる曲です)ですが、四番からは、単に民族的なものだけでなく西欧的なものも踏まえ全く個性的な音楽を確立しました。理屈は抜きにして聴いて頂けば分かりますが、全くチャイコフスキーの独自の世界がそのオーケストラ手法にも感じられます。今日は特に録音に定評あるテラーク盤で、十分なダイナミックさを味わって頂きます。四番、五番、六番「悲愴」の3曲はコンサート・プログラムの常連曲です。特にロシアのオーケストラは必ずと云って良いほど取り上げます。
ロリン・マゼール(1930〜 )アメリカの指揮者。わずか9才でオーケストラを指揮。1953年から世界的な活動に入り、60年にはバイロイト音楽祭に登場。ベルリン放送交響楽団、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団、ウイーン国立歌劇場などの音楽監督を歴任、現在もっとも多忙な指揮者の一人。
クリーヴランド管弦楽団:アメリカのオーケストラ。1918年設立。初代指揮者はニコライ・ソコロフ。1946年から70年までの長きにわたって主席指揮者を務めたジョージ・セルの時代に世界的評価を高めた。セルの没後はマゼール、ドホナーニが主席指揮者を務めた。2002年からウェルザー・メストが後任。精確なアンサンブルと透明な響きが特徴的。                    1979年録音           <テラーク>

5)ベートーヴェン作曲 交響曲第七番 イ長調 作品92 第四楽章

     演奏  カール・ベーム指揮  ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)の42才の時の作品です。(1812年・完成)ベートーヴェンの交響曲は一番を例外として、偶数番のものは軽快優美であり、奇数番のものは豪放雄大であると云われます。この七番も例外ではありませんが、その上に大変にリズミカルです。そのため後のリスト(1811〜1886・ハンガリー生まれのドイツのピアニスト、作曲家、指揮者、教育者)はこの曲を「リズムの神化」と呼び、ワーグナー(1813〜1883・ドイツの劇詩人、作曲家)は「舞踏の神化」と呼びました。また、クララ・シューマンの父フリードリッヒ・ヴィーク(シューマンの恩師に当たります)は、「これは酔っ払ったときに作曲したのではあるまいか(特に第一楽章と第四楽章)」と云っているそうです。前の六番「田園」から4年後の作品で、次の八番とは第五番「運命」や六番「田園」のように双生児であるといわれます。
    1972年録音        <ドイツ・グラモフォン>
 カール・ベーム(1894〜1981)オーストリアの指揮者。ウイーンで学び、1917年に指揮デビュー。ワルター(ブルーノ・1876〜1962・ドイツ生まれのアメリカの指揮者)とムック(カール・1859〜1940・ドイツの指揮者)の薫陶を受け、R・シュトラウス(1864〜1949・ドイツの作曲家、指揮者)とも親交を結ぶ。ドレスデンとウイーンの国立歌劇場の音楽総監督をつとめたほか、各地でオペラ、コンサート活動を活発に行なった。特にウイーン・フィルと密接な関係を続け、67年に名誉指揮者となっている。(梅沢敬一氏)

   第二部 楽団演奏特集

   1)ビリー・ヴォーン楽団

1960年代に大ブームだった頃のビリー・ヴォーン楽団の楽しい演奏です。

 A 浪路はるかに  ビリー・ヴォーン楽団のテーマ曲です。

 B 峠の幌馬車  1961年にビリー・ヴォーン楽団の演奏でミリオン・セラーを記録しました。その時と同じデル・カッチャーのギターをフィーチャーしています。

 C 夕陽に赤い帆  ナット“キング”コールやプラターズが古くから歌いヒットさせたジャズ、ポップス両方のスタンダード曲です。1935年、ジミー・ケネディ作詞、ウイル・グロス作曲。
 ビリー・ヴォーン:1919年アメリカ・ケンタッキー州グラスゴー生まれ。6才からウクレレ、中学時代にはピアノ、サックス、ヴァイヴ、クラリネットをこなし才能を発揮。のちにコーラス・トリオを結成、その時ミリオンセラーを記録。オーケストラ結成後のヒット曲は、56年「愛のしらべ」、57年「浪路はるかに」、61年「峠の幌馬車」65年「真珠貝の歌」などなど。ドット・レーベルの看板オーケストラになりました。       <ドット>

2)ザビア・クガート楽団

  A ジャングル・ドラムス  「シボネイ」「マラゲーニア」「マリア・ラ・オ」「ラ・コンパルサ」など数々の名曲でお馴染のキューバが生んだ作曲家エルネスト・レクォーナの1933年の作品。
  B シボネイ  
同じレクォーナの初期の作品。1929年アメリカに渡りルンバ流行のきっかけになった曲。 

 ザビア・クガートはヴァイオリンで生計を立てていましたが、あの偉大なオペラ歌手エンリコ・カルーソー(1873〜1921・イタリア)に認められこの世界に入ったそうです。絵の才能もあり、新聞社で漫画なども描いていたそうです。       <フィリップス>

3)ペレス・プラード楽団

 A ベサメ・ムーチョ  メキシコ生まれの女流ピアニストで作曲家のコンスエロ・ヴェラケスの曲で彼女自身の弾いたレコードを始め、およそラテン・バンドでこの曲を演奏しない楽団は無いといえる程です。プラードも何回と無くレコーディングしていますが、私はこの演奏を大推薦します。

   1956年録音(モノラル)「新編ハバナ午前3時」より <ビクター>


 B セレソ・ローサ  
ペレス・プラードの最大ヒット曲です。原曲はシャンソンで、原題は「バラ色のサクランボと白いリンゴの木」。ジャック・ラリュ作詞、ピエール・ルイギー作曲で1950年発表。翌51年アメリカに渡り、英詩が書かれ、53年にレオナルディのアレンジでプラードが演奏。55年に映画「海底の黄金」に挿入され爆発的大ヒットとなり、同年のビルボード誌で4月30日〜7月2日の連続10週間トップでミリオン・セラーを記録しました。

    「ラテン・デラックス」 <コロムビア>


 4)エドムンド・ロス楽団とテッド・ヒース楽団(英国)

ラテン・バンドとジャズ・バンドの競演です。左がロス。右がヒース。

 A グラナダ メキシコの作曲家アグスティン・ララが1932年に発表したラテンの名曲。        

 B マーディ・グラに出ておいで  1937年マックス・ブルホウスとミルトン・デォリヴィエラによりブラジルで作られた曲。マーディ・グラとは謝肉祭の最後の日のお祭りの事。ここでのヴォーカルはエドムンド・ロス本人。

 C ビギン・ザ・ビギン  
知らない人はいないほどの名曲。コール・ポーターの最大名曲で1935年のミュージカル「ジュビリー」の主題歌として登場。ビギンのリズムの元祖となった曲。

 5)ベニー・グッドマン楽団  

 ベニー・グッドマンは1938年1月16日、クラシックの殿堂カーネギー・ホールで史上初のジャズ・コンサートを開きました。それから40年、1978年、40周年を記念して「カーネギーギー・ホール・コンサート」を再び開きました。期日が会場の都合で一日ずれましたが、超満員で、グッドマン自身の家族のチケットが買えなかったと云われています。その実況録音盤

 A キング・ポーター・ストンプ 1935年バニー・ベリガン(tp)のソロをフィーチャーしドマン楽団のビクター盤が最高傑作といわれましたが、そのオリジナル・アレンジで演奏していま   す。作曲はジェリー・ロール・モートンでアレンジはフレッチャー・ヘンダーソン。
 B ロッキー・ラックーン  ビートルズ・ナンバーで驚かせます。ヴォーカルはジャック・シェルドン(tp)で、ルビー・ブラッフの役かと思ったらハリー・ジェームスの役とは・・とグッドマンにカラんで笑わせたあとジャズっぽく歌います。なかなか良いのです。

 「カーネギー・ホール40周年コンサート」1978年1月17日 <ロンドン> 

6)ハリー・ジェームス楽団 次のレイ・アンソニーとは同じレコードからのものです。

コットン・ピッキン ジャンプ・ナンバー。この演奏には、あの「スターダスト」で有名なパサデナ・コンサート(1947年)のライオネル・ハンプトン・オール・スターズのメンバーであった、ウイリー・スミス(as)とコーキー・コーコラン(ts)が参加しています。         

7)レイ・アンソニー楽団

 愚かなリ我が心  映画音楽の巨匠ビクター・ヤングの代表作。
 この曲をテーマに映画まで作られた程です。

       以上2曲は「ビッグ・バンド・ステレオ」より       <キャピトル>

 8)ジョニー・グリフィン楽団

 ソー・タイアード  ジョニー・グリフィン・オーケストラの演奏から一曲。ボビー・ティモンズ(「モーニン」、「ジス・ヒアー」の作曲者で、アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズのピアニスト)の作品で、編曲はノーマン・シモンズ。珍しいバンドと思いますが?

 1990年 「ザ・ビッグ・ソウル・バンド」 <リバーサイド>

9)ルイ・ベルソン・ビッグ・バンド

 白人ドラマーで、特にビッグ・バンド・ドラマーとして輝かしい経歴を持つ、ルイ・ベルソン率いるビッグ・バンドの演奏です。
 メンバーも一流を従えています。トランペットにブルー・ミッチェル、スヌーキー・ヤング、キャット・アンダーソン他、キー・ボードはナット・ピアスです。ドラムスは勿論ルイ・ベルソン。

A イン・ティマシー・オブ・ザ・ブルース  デューク・エリントン
バンドのビリー・ストレイホーン(「A列車で行こう」の作曲者)の作品です。ストレーホーンの生存中にはエリントン・バンドによる録音はされませんでしたが、‘67年に追悼録音されました。ハイ・ノート・トランペットは、エリントン・バンドのスター、キャット・アンダーソン。
 B クワイエット・ライオッツ  ベルソン、及び彼の良き協力者であるジャック・ヘイス、それにビル・ホールマンの3人が共同で書いたアップ・テンポ・ナンバー。トランペット・ソロはブルー・ミッチェル。サックス・ソロはピート・クリストリーブ。


10)サド・ジョーンズ&メル・ルイス楽団

 プログラムの最後はサド・メル楽団です。超一流のメンバーを集めての演奏を最後に送ります。
 アフンク・アフンク  説明書がないので曲の意味も判りませんが、多分、サド・ジョーンズのオリジナル曲です。この頃の演奏は一部を除き殆どがオリジナルです。
 演奏は、ピアノがローランド・ハナ、ギターはデイヴィッド・スピノーザ。ベースはリチャード・デイヴィス。フリューゲル・ホーンはサド・ジョーンズ。ドラムスは当然メル・ルイス。その他全てが一流揃いです。

     1970年  「コンサメーション」より          <ブルー・ノート>

以上

  今回は、ビッグ・バンドの定番、エリントン、ベイシーを外しました。何れまた計画致します。

    協力 : (有)イケダ・サウンド・ラヴ    エール音響研究所

    選曲、解説、レコード提供、オーディオ調整 : 大重 善忠

私事で恐縮ですが、音楽とオーディオに関するホーム・ページを開設致しましたのでご案内申し上げます。

  オーディオの全てが読んでわかる「AUDIOの決めて」

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      泡盛の会は平成23年4月15日第66回をもって終了しました。楽々会は継続しております。