東京・浅草は、私がもっとも好きな町のひとつです。地下鉄から地上に出ると、なんとなくなごんだ、ゆったりとした気持ちになり、ふるさとに帰ったような気分で、空気まで暖かく感じます。
そんな浅草に出たら、私が必ず寄るジャズ喫茶があります。寄り始めてもう10年くらいになるでしょうか…。
(写真は「雷門」)
金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)が浅草観音の正式な名称ですが、歴史は1500年にも及ぶ古寺で民寺(官営でない)としては最古の歴史をもつお寺で、日本の神社、仏閣のなかで最も参詣者(見物?)の多いお寺でもあります。本殿は大戦で消失しましたが(戦前は国宝)、本殿に向かって右側にある二天門は、二代将軍徳川秀忠の寄進になるもので、消失を免れて国の重要文化財に指定されています。
雷門の斜め左向こうに(道路を挟んで)浅草文化観光センターがあります。ここの正面入り口上のカラクリは、一時間おきにお祭りの囃子とともに披露されます。多分、ふるさと創生資金の一億円で作られたと聞いています。写真はそのカラクリです。何回見ても動きが楽しめますし、結構リアルな祭囃子なのです(音響的にも)。
友人たちとの待ち合わせには、このセンターが便利です。冷暖房も完備して、トイレも設置されています。意外と皆さんご存知ないのです。観光案内所兼休憩所といったセンターです。
今度は、雷門を背にして右側の道路向こうを見ますと、ジャズ喫茶「がらん」の看板が見えます。看板を頼りに道路を渡り、ビルの狭い階段を地下へおり始めると直ぐにジャズのサウンドが飛び込んできます。
店は狭くて、15席くらい(内カウンター3席)です。しかし、整然としていて、全てに行き届いた雰囲気です。各テーブルの上には灰皿が置かれ、中に「がらん」のマッチがキチンと置いてあるのも今頃では珍しい心遣いです。入るとお絞りがまず出るのも嬉しいことです。灰皿とマッチの事と云い、昔の喫茶店ではみんなそうだったのですが、最近では少なくなりましたし、灰皿にマッチを置いてある店には殆ど行き当たりません。しかし、‘50年代〜’60年代のジャズを聴くには、このような昔並みのサーヴィスも一層ジャズを楽しく聴かせることにもつながると思っています。もっとも‘60年代のジャズ喫茶は、余り綺麗な店は少なくて、灰皿に缶詰の空き缶を無造作に置いてあったりした店もありました。薄暗いのもジャズ喫茶の定番でした。しかし「がらん」は清潔で明るく、トイレには必ず季節の花が一輪飾られています。マスター(里井幸康氏)のこだわりです。
さて、ここのオーディオの音が、最近では特筆に価するほどのサウンドになっていますので、そのことをご紹介して、「音を良くする本当のテクニックとは…」ということにも触れてみたいと思います。
「がらん」のシステムは、アンプは「マッキントッシュのセパレート型」、スピーカーは、「JBLのエヴェレスト」です。ソースは殆どアナログが主流でCDは滅多に掛かりません。カートリッジは、ジャズ喫茶の定番と云って良い「シュアーのV−15タイプV」です。
ここのレコード・コレクションは素晴らしく、そこにもマスターのこだわりを感じます。殆どのジャズはメインストリームの、コンボが中心ですが、私が10年も通っていながら、見たことのあるジャケットには数枚程度しかお目にかかっていません。私は、15年間ジャズ・ロック・クラシックのレコード専門店を経営していて大抵のジャズはジャケットを覚えています(輸入レコードも扱っていました)が、それらが殆どお目にかからないのです。ということは、国内発売になっていないレコードが殆ど全てということになります。全てが外国盤ということです。それほどのコレクションを集められたマスターの努力にも脱帽したい気持ちになります。それらのレコードの演奏が素晴らしいことも特筆に値します。まだまだジャズを聴いていないなァ!ということを実感させられて恥ずかしい気持ちになるほどです。兎に角素晴らしいコレクションです。ジャズの傾向が一貫していることもマスターのジャズへの造詣の深さと、経験の深さ、さらにジャズへの並々ならぬこだわりも強く感じさせられます。
さて、初めて「がらん」に入ったときは、全く、無心で入り、スピーカーの正面に座りました。「やはりJBLか」というのが偽りの無い感想です。「それもエヴェレストだ!」と。
「エヴェレスト」は、発売当時メーカーが試聴会を催し、聞きに行ったことがあります。当時としては最高級のアンプとして評判のマークレビンソンのプリ(LNP−2L)と、同じマークレビンソンのパワー・アンプを使用してのものでしたが、とても聞けた代物ではありませんでした。例の4343が全盛を極めた少し後の時期です。当時は4350もまだありました。4343や4350は4ウェイなので、まだ調整(チューニング)次第では追い込める部分もありますが、エヴェレストは3ウェイです。内部は、ホーン部を少し内側に向けて定位を計ろうとしています。ユニットの構成は、丁度「パラゴン」と同格です。パラゴンも見かけのデザイン以外には音質的にはメリットの少ない製品ですが、エヴェレストの音のひどさはそれ以上でした。パラゴンは折角のステレオを、あのユニットの取り付けはモノーラルにして出すように作られています。ステレオの揺籃期に考え付きそうな設計ですが、エヴェレストは随分後の製品です。「エヴェレストはやはり使えない」というのが私の実感でした。しかし、「がらん」で初めて聞いたときには「音の荒さはあるが、エヴェレストで(あのジャジャ馬で)この音なら合格だナ」というのが私の実感でした。実際今まで聴いた何処のエヴェレストよりまとまったサウンドでした。
暫くして、私の顧客が上京して来ましたので案内しました。この人は5ウェイが完成したばかりでした。スピーカーの前に座るなり「ナンデスカ、この音は!」と云います。アマチュアはこの人に限らず出て来た音のみを評価します。私は、エヴェレストの素性を判っていますので、「この音を出せれば此処の音は合格!」となる訳です。それで「エヴェレストでこの音を出せれば立派ですよ」と云いました。
今思えば、その時のサウンドはセッティングして2年くらい経っていたようです。(「がらん」の創業は1994年9月)
「がらん」が5周年記念のパーティーを開く頃には、大分音がまとまってきはじめました。8年目くらいになりますと、特にベースの音が実にリアルに響くようになってきました。ベースがリアルであれば、他の楽器もリアルに聞こえます。
2・3年前から特に音が全体的にもリアルになり、全く申し分の無いサウンドになり、開店12年目の現在は、全く素晴らしいサウンドとして出来上がりました。特にベースの音は特筆ものです。このページで「既製品システムに万能完璧なものは一本も無い!」と云い続けておりますが、「がらん」のシステムは例外のひとつに数えられます。勿論「万能完璧」だとは申しません。「ジャズを聴く限りにおいては…」との但し書きがつきます。どのように素晴らしいかといいますと、ジャズの真髄を感じさせる、或いは「ジャズそのもの」を感じ取ることが出来る!とでも申しましょうか…。音がどうのこうのと言う前に、音楽的な(ジャズとしての)訴求力が凄いのです。時に唸りたくなるほどに感動を覚えます。勿論、HI−FI(或いは原音)という観点からかけ離れていることは事実です。しかし、ジャズを聴く上でこれ以上の音は必要ないと感じます。
何故「がらん」のサウンドがこれほどにグレードを上げることが出来たのでしょうか?
答えは、ひとことで云えば「いじらなかったから・・・」です。ホンネを云えば「いじれないから…」です。マスターは、オーディオに対しては全く野心がなく、ご自分でアレコレいじろうという気持ちがさらさら無くて、ひたすらジャズを鳴らし続けて12年来ました。これがナマジッカな知識があってアレコレいじりますと絶対にこんにちのサウンドは得られていない筈です。ただし、一般の家庭でのオーディオに比べて、営業用は鳴らしている時間が長いので有利に働いていることも事実です。「オーディオはいじらない」の項参照
それともう一つ、マスターのジャズに対する並外れた造詣の深さと、敬虔な気持ちがこの音を作ったのです。「オーディオの音は、鳴らす人の心を写す鏡である!」「オーディオの音は、鳴らす人の音楽に対する感性と決して無縁では無い!」とは私の持論です。「がらん」の場合は、マスターのジャズに対する思いがこの音を作り出したと断言できます。是非序の折、浅草へ出られたら「がらん」に立ち寄ってみて下さい。素晴らしいジャズが出迎えてくれます。月曜定休。午後3時〜。コーヒー・ビール・ウイスキー他・700円〜。
ジャズ喫茶といえば有名な岩手県一関の「ベイシー」を思い出される方も多いでしょう。「ベイシー」の菅原オーナーとは何回か話しもしておりますが、菅原氏は、兎に角JBLへのこだわりが凄いのです。「JBLをJBLで良く鳴らす!」ことに腐心した人です。氏は逆にオーディオに対するこだわりが半端ではありません。どうすれば音がどうなるかをキチンと弁えていろいろアレンジされます。ただ音を良くすれば良い!のではなくて、それはJBLでなければならないのです。そのこだわりは、氏の著書「ジャズ喫茶ベイシーの選択」(講談社文庫)に詳しく記されています。
「がらん」の場合は、システムとしては単純明快、アンプとスピーカーを繋いだだけ!のものです。「ベイシー」とはその点で対極にあると云えるかもわかりません。 どちらもジャズに対する一方ならぬ愛情が音楽を楽しめるサウンドを表現していると思います。
お知らせ、 残念ですが 「がらん」 は2008年9月に閉店しました。
ついでにもう一軒紹介しておきましょうか。
今度は鹿児島です。約30年前に私がセッティングしたジャズ喫茶で、こちらはアルテックのA−7です。こちらも9坪ほどの小さな喫茶店で、夜のみの営業です。一階の喫茶店は朝から営業しており、二階がジャズ喫茶です。ここのマスター(日高氏)もオーディオのことは全く知らないし、知ろうともしません。ただし、システムの音の調子が悪いと些細なことでも音で分かる人です。30年にもなりますが、カートリッジ(オルトフォン・SPU−AE)、アンプ(管球式・ラックス)、スピーカー(A−7)は最初と基本的に変わりません。A−7としてはもっとも良い音で鳴っていると自負しています。ジャズへの愛着と、全くいじら
ない(いじれない)オーディオがここの音の原因です。鹿児島中央駅を出て電車道を右に折れると直ぐに目につく5階建てのヨーロッパの城門を思わせる建物がそれです。ビルの壁面に「JAZZ門」と大書してあります。
以上述べましたように「オーディオの音を良くする要因」は、「イジラナイこと」、と「音楽を十分に理解して鑑賞する」ことに尽きます。音楽を深く鑑賞しようともせず、オーディオにいつも不満を持っているようでは決して良い音にはなりません。音楽に対するリスナーの心構えがそのままオーディオに反映されるのです。そしてオーディオを愛して使うと云う事です。こちらから愛さなければオーディオにも愛されない道理とお考え下さい。
更に少し付け加えますと、「がらん」で12年。「ベイシー」は37年(一昨年お会いした時、このツィーター・・075・・は開店以来35年使っていると云っておられました)。また鹿児島の「門」も約30年です。営業用は、鳴らす時間が一般家庭に比べて問題にならないほど長時間になります。それも毎日ですから、先ず、一般の方の数倍の時間を費やしています。つまり、家庭用の100年分に匹敵する駆動時間です。ここまでやって初めてオーディオは唯我独尊的(ワン・アンド・オンリー)サウンドになるのです。それを1年や2年で買い替えたり飽きがきたりします。そんな心構えで良い音になる筈がありません。真剣な提案です。
写真は私と談笑中の菅原正二氏(右)…一関「ベイシー」にて(2004年9月10日)
お断り:菅原氏は有名で、雑誌や本に多く写真も掲載されておりますので、この写真は、菅原氏に特にお断りすることなく掲載させて頂いております。