デジタルの発展は音楽文化に貢献するのか?

 先日(2006年1月)NHKの「クローズ・アップ現代」(総合:夜7時半〜55分)を見ていましたら、今はクラシック・ブームだそうです。私には実感としては全く感じられませんが、おまけに今年はモーツアルト生誕250年とあって今年1年はモーツアルト・イヤーとして色々な催しもあるらしい。

 クラシックの有名曲を集めたCDのセット物が大ヒットだとのことでした。それはそれで悪い事では決してないと思いますが、上滑りのブームに終わらなければ慶賀の至りだと思っています。未だ克ってそのようなブームが定着した話は聞いたことがありません。テレビでも云っていましたが、「聞き流し的に聞くのにモーツアルトは良い」みたいな話でした(ヤッパリ)。作曲家の池辺晋一郎氏(N響アワ−の司会者・解説者)も登場していてモーツアルトの音楽の親しみやすさについて「ハーモニーが殆ど定番のド・ミ・ソで出来ているので心地よく感じる」と云っていました(この辺は私が「モーツアルト・セラピー」に書いた事と同じです)

 特にモーツアルトの曲は長調が多いことも特徴です。長調にはリラックス効果はあると思いますが、ベートーヴェンの「英雄」交響曲(変ホ長調)のようにダイナミックさが多用されるとモーツアルトとは違ってきます。項目「モーツアルト・セラピー」を序に少しフォローしますと、モーツアルトの交響曲で短調は、アノ第25番・K183(ト短調)とそれ以降は第40番・K550(ト短調)のみで、あとは協奏交響曲も含め全て長調です。協奏曲の場合は、ピアノ協奏曲も第20番・K466(ニ短調)と第24番・K491(ハ短調)のみで、他のヴァイオリン、フルート、ホルン、ファゴット、クラリネット、フルートとハープ、またピアノと管弦楽の為のロンド、2台のピアノのための協奏曲も含め全ての協奏曲は長調です。この辺が原因でセラピー効果があると私は思っていて、決して高周波が原因では無い!とここでも申し上げておきましょうか。その考えでいくと、ベートーヴェンの「田園」交響曲(ヘ長調)や、二つの「ロマンス」(ヴァイオリンと管弦楽:ヘ長調、ト長調)なども同じ効果が期待できると思っています。

 話がそれましたが、デジタルのことをお話するつもりでした。

 CD時代になって一時期レコード業界は過去最大の売り上げを記録したこともありました。判らないではありません。以前は、200枚もLPレコードを保有しておればマニアの部類に近かったのです。それがCD時代になると、高校生でも200枚や300枚のCDを保有しているのが当たり前になりました。レコードは(CDも含め)、ここ何十年も価格は変わっていません。むしろ安くなっているほどです(シングル盤は上がっています)。それで安易に保有数が増えたのですが、だからといって音楽文化が比例して発展したと考えて良いものか疑問に思います。若者の可処分所得が、簡単に携帯電話に奪われてレコード業界が不況になったことはご存知の通りです。

 LP時代は、所得との比較で、レコードはやはり高い買い物で(SP時代は滅多に買えませんでした)、そのため大事に保管し、大事に使用していました。また、不要・不急のレコードを購入することは無かったのです。それだけに大事に取り扱い、真剣に音楽も聴きました。CDが出て、取り扱いへの気遣いが薄くなり、再生もトレイに放り込み、リモコンでポン!と鳴らせるようになり、取り扱いの面からも安易になったように思います。それは一種の「音楽軽視」の面もあるように感じます。克ってのLP時代のジャケットやライナー・ノートなどを見ますと、製作者の情熱のようなものが伝わってきます。CDになってその面も大いに失われたように思いますが如何でしょうか?。CDが出た当初から「カセット・テープと同格だ!」と思い、妙に納得したことを思い出します。

 1966年に日本コロムビアがブルーノ・ワルター指揮・コロンビア交響楽団の演奏した「ベートーヴェン交響曲全集」を出しました。これはマスター・プレス盤で2500部限定で、愛蔵家ナンバーを付したものです。通常のプレスにはラッカー盤を使用します。

これですと2万枚程度はプレスできますが、マスター盤はラッカー盤を作る為に使用するものです。従って多くのプレスは出来ません(大体3000枚が限度と云われます)。それで2500部限定となったのです。しかし、マスター盤はラッカー・プレスの通常のレコードに比べれば2行程前の状態になりますので、音質的にロスが少なく、より忠実な音になります。当時私の月給は2万2千円でしたが、この全集は、1万7千5百円でした(当時は消費税みたいな馬鹿な税金はありません)。私が勤務していたレコード屋は、九州でもトップ・クラスの大型店(レコード、楽器、ステレオ等の総合販売店)でしたが、私以外の購入者は3人でした。その全てが開業医でした。一般の人は誰も買えなかったのです。学卒初任給より高いわけですから…。

 それと、今と大きく違うのはエンゲル係数(収入に占める食費の割合)が非常に高く、コーヒーでさえ簡単に飲める状況ではありませんでした。割賦方法もやっと一般に知られるようになりましたが、それらは大型家電が殆どでしたし、カードがあるわけでもありません。私は、社員価格で買えるのと、給料引きの割賦が可能でしたので辛うじて買えました。レコードは7枚組みで、カートン・ボックスに入っており、解説書は別冊になっていて(この両方を大きなカートン・ボックスに収めてある)、これに交響曲全9曲の総譜(スコア)がついています。解説書の内容は、写真やベートーヴェンの自筆楽譜、その他の資料を豊富に掲載しています。解説書は、レコードのジャケットと同じサイズで厚さは2cmを超える重厚なものです。

 その内容を紹介しますと、大木正興氏の「ブルーノ・ワルター論」(2ページ)、大宮真琴氏の「ワルターの歩んだ道」(2ページ)、同じ大宮真琴氏の「ベートーヴェンの生涯」(5ページ)、この項は、「ボン」「ハイリゲンシュタットの遺書」「不滅の恋人」「ウイーンの栄光」の4つの細目に分かれ、それぞれに関係の写真を豊富に載せています。そのあとに各交響曲の解説が8ページに亘ります。そして全九曲の楽譜(総譜)が付されています。まさに永久保存版といえる内容で、表紙は黒い布張りで、レコードのカートン・ボックスと同じ装丁です。表紙を開けると、その第1ページに、デラックスシリーズ、ブルーノ・ワルター指揮、ベートーヴェン交響曲全集、特別限定頒布2500部のうち第669号と記されています。数字はペンによる手書きです。これらを見るだけでもこのレコードを掛ける時の気持ちを引き締めてくれます。レコードの方もズッシリきますし、解説書は更にズッシリと感じます。購入して40年になりますので、装丁も少し傷みましたが、レコード自体は今でも愛聴盤の筆頭です。余談になりますが、購入2年後、オーディオ専門店を開業しましたが、当時はテープ録音が普及し始めて、FM放送やレコードをテープに録音するのが流行していました(2トラック・38センチ/秒もこの頃)。この全集は、音が良い事で評判になり、一部オーディオ・ファンから「テープに録らせて欲しい」と頼まれるので数人に貸しました。要求もしないのに、各人が2千円ずつ謝礼を支払いましたので、半分くらいは取り返せました(笑)…。

 CDのコンパクトさは音楽までコンパクトにしてしまった感じを持ちます。ケースの中に丸め込まれたような小さな、申し訳程度のライナー・ノ−トが薄っぺらな紙に書いて入っているだけです。その分芸術までもが薄っぺらになったように感じます。CD全盛になって、私自身は中古のレコード屋で中古のレコードを求めますが、クラシックは300円〜800円程度です。中には前の使用者のカートリッジが悪いのか溝が傷んでいるものもありますが、300円ですから諦めれば良いのです。それでもジャケットの写真を飾りとして室内に使うことは出来ます。
 もっとも困ったことは、クラシックの新録音が殆どなされなくなったことです。これがCD時代のもっとも大きな弊害だと思っています。結局、著作権の切れた演奏のものしか無い状況です。クラシックの、特に一流の演奏家の演奏を録音しても採算が取れないので、このような状況になったようです。

たしか1958年頃だったと思いますが、ベートーヴェンの「第九交響曲」が初めてLP一枚に収まったとしてビクターとコロムビアから同時発売になりました。それまでは一般の人達は自宅で第九を聞くことは殆どありませんでした。それが一枚で済むなら少々の無理をしても購入しようと話題になりました。ビクターの方は、アルテュール・トスカニーニ指揮のNBC交響楽団、コロムビアの方は、ブルーノ・ワルター指揮のニューヨーク・フィルハーモニック(だったと思います。この頃はコロンビア交響楽団は、まだ組織されておりませんので‥)です。発売前から寄ると触ると「どっちにする?」というのが合言葉でした。その時代ですから「二枚とも」と考える人は相当なブルジョアです。一枚の価格は¥2.300−です。1958年は、すでにステレオ・レコードは作られておりましたが、まだ日本では発売されていません。何しろまだSPレコードも店頭には一部有った時代ですから…。私は初めからトスカニーニと決めていました。そのレコードを持って帰るときの胸のトキメキは半世紀近く過ぎた今でもハッキリ思い出します。「おれの腕の中にトスカニーニの第九が入っている!!」宝物のように大事に抱えて自宅へ急いだことでした。勿論、今も手元にありますが、発売年が書いてありませんので、1958年頃とあいまいですが、その頃です。このような感動をCDでは味わったことはありませんが、あの、ポケットに入ってしまうCDをたった一枚買って胸をときめかせながら家路を急いだ経験をお持ちの方がどれだけあるでしょうか?

 最近の音楽事情は、このような時代と異なり、海外の演奏家がひきも切らず来日し、居ながらにして聞くことができます。しかし、それらは東京や大阪などの大都市の話で、地方都市ではそうも行きません。また、最近の入場料の異常な高さは、簡単に聴きに行ける状況にありません。やはり、レコードに頼らざるを得ない現実があるのです。なのに、新録音はされず、業界自体の元気も無いように思えます。CDの出現が音楽文化を堕落させたことは間違いない!と思っています。現状を真剣に眺めた時にそのように断ぜざるを得ません。
 しかし、デジタルの技術そのものを否定するほどワカラズヤでも無いつもりです。特に映像を含む電送系にはデジタルの優位さは十分に認識しています(他の産業分野でも)。ただし、映像が入りますと人間の聴覚は視覚によって誤魔化されます。人間の五感の中で、聴覚はもっとも少なくて、7%程度と何かの本で読んだ記憶があります。テレビの場合は、映像(視覚)と共に音楽を聴きますので、映像の無い聴覚だけの場合ほど音に不満を感じません。これは一種の錯覚です。

 私が、CDでは音楽が聴けなくて、LPでなければいけない…と云っているのは、映像の無い、聴覚だけで音楽を鑑賞する場合は、聴覚に異常なまでの集中をしますので、その段階ではCDでは音楽が楽しめないのです。LPの雰囲気とかジャケットの問題とか「アノ頃は良かった!」みたいな懐古主義でLPを礼賛しているのでは決してないことだけは誤解の無いようにご理解下さい。

 結局、デジタルの為に音楽人口が増えた事実は全く無く、逆にアナログの音の素晴らしを再認識して(CDに比べて)音楽ファンになった人が、少なくとも私の周囲では圧倒的に多いことを報告しておきます
 CDでのデジタルサウンドを当たり前と思って、なんの不満も感じないで、音楽を楽しんでいる人は幸せと云うべきか、或いは「音楽鑑賞」が「コンパクト」になったのかどっちでしょうか?…。

ブルーノ・ワルター指揮「ベートーヴェン交響曲全集」解説書に添付の楽譜(楽譜部分で228ページ)