シューマンの「流浪の民」

――横田めぐみさんのことーー

  国家犯罪として、北朝鮮による拉致、誘拐ほど卑劣な犯罪は存在しないし、まず、国家としての常識の中では考えられることではありません(勿論、人間個人の常識の中にもありません)。幼い子女を拉致、誘拐して、自国の為に働かせる…。どんな独裁者にでも許されるものではありません。30年近くもの間、ひたすら無事を祈って探し続けた横田滋さん夫妻を始めとする家族の方々の苦衷は察するに余りあります。最近、アメリカのブッシュ大統領まで動かして、新たな展開が期待される状況になったことは、遅まきとは云え一抹の光を見出した感じを持ちます。

 横田めぐみさん(感覚的には「めぐみちゃん」の方がシックリしますが…)のことを、母親の早紀江さんは、米国の公聴会でも「歌の好きな明るい娘」と紹介しています。きっと何も心配する必要の無い、明るくて優秀な娘さんだったに違いなかったと思います。

 そのめぐみさんに対して、私はもう一つの感慨をぬぐい切れないことがあります。

 めぐみさんが歌ったシューマン作曲の「流浪の民」(作品29−3)の録音テープが残されています。

「流浪の民」は、シューマン(−ロベルトー1810〜1856)が30才の時の作品で、原曲は四重唱曲です。現在では一般的には混声四部合唱で歌われます。歌詞はガイベルの詩によりますが、この詩が名作とされました。日本語訳は石倉小三郎で、この訳詩は原作を凌ぐ名訳と云われました。ロマ(ジプシー)の夜の酒盛りの情景を描写した内容になっています。この曲は、以前は、合唱コンクールなどでは定番の曲でしたが最近では滅多に聴けなくなりました。

 この曲の演奏には、合唱の合間に独唱(ソプラノ・アルト・テノール・バスの4人)が入ります。この独唱部分のソプラノを歌っているのがめぐみさんです。つまり、メンバーの中で、声と歌唱が秀でていた証左となります。実際にシッカリとした歌唱と声をもって歌っています。

 私がひとつの感慨を禁じえないのは、めぐみさんが歌った歌詞にあります。

 「なれし故郷を放たれて、夢に楽土求めたり」(独唱部分)とあります。皮肉と云えばこれほどの皮肉も無いと思って、強い感慨を覚えるわけです。

 夢に楽土を求める必要が全く無い幸せな家庭で十分な両親の愛に育まれて育っていた「めぐみさん」を、こともあろうに地獄とも云える北朝鮮に拉致して行ったとは……。

 私は、テレビでめぐみさんの歌うこの部分を聞くたびになんとも云えない胸の痛みを感じます。詩が余りにも皮肉に聞こえてきます。

 一日でも一時間でも早く救出されることを祈りたいと思います。

以下に全部の歌詞を掲載します。

流浪の民
  シューマン作曲  ガイベル作詞  石倉小三郎 訳詞

(合唱)ぶなの森の葉がくれに 宴ほがい賑わしや
    松明あかく照らしつつ 木の葉しきて仮居(うつい)する
    これぞ流浪のひとの群 眼(まなこ)ひかり髪きよら
    ニイルの水に浸されて 煌煌(きららきらら)かがやけり


Bas 燃ゆる火を囲みつつ 強く猛き男(おのこ)息(やす)らう
Ten 焚火を囲みて  男息らう
Alt 赤き焔  めぐりめぐり
Sop 焚火  かこみつ


(合唱)女(おみな)たちて忙しく 酒をくみてさしめぐる
    唄いさわぐそがなかに 南の邦恋うるあり
    厄難(なやみ)はらう祈言(ねぎごと)を
    語り告る嫗(おうな)あり


Sop 可愛(めぐし)少女(おとめ)舞い出でつ
Alt 松明あかく照り遍る
Ten 管絃のひびき賑わしく
Bas つれたちて舞い遊ぶ


Sop 既に唄い疲れてや
Ten 眠りを誘う夜の風
Sop なれし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり


(合唱)なれし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり
    東(ひんがし)空の白みては 夜の姿かきうせぬ
    ねぐらはなれ鳥鳴けば 何処往くか流浪の民
    何処往くか流浪の民 何処行くか流浪の民
    流浪の民

2006・5・9