各国事情



フランス

 フランスにおけるマジンガーシリーズの放映は、1978年7月3日に始まった。放映作品は「UFOロボ グレンダイザー」、フランス番組名「ゴルドラック」である。データによると国営テレビ「チャンネル2」での放映。伝えられるところによると全52話の契約で放映されたという。放映三ヶ月目には既に最高視聴率100%に達したと言うから、フランスでの「ゴルドラック」の熱狂振りが窺い知れる。
 ただし、日本での「ゴルドラック視聴率100%伝説」は多分に脚色され過大に評価されたきらいがないでもない。当時、フランスにテレビ放送局は三局しかなかったというのだから。もちろん、それであっても視聴率100%は偉業ではあるのだが、それにしても日本の大都市圏のテレビ放送局の数の感覚で推し量るのは「ゴルドラック」人気の本質を誤るものと云えよう。「ゴルドラック」は子供たちの間で絶大な支持を得たというが、反面大人たちには「暴力的」であるとか「日本の経済侵略」として反発も多かったそうである。しかし、本来の視聴者層である子供たちの熱意が、こと「ゴルドラック」に関しては大人たちを駆逐したといって過言なく、「ゴルドラック」は確実にフランスに根付いていった。
 驚異的なのは、「ゴルドラック」こと「UFOロボ グレンダイザー」は本元の日本においてよりも爆発的に受け入れられて、商業成功を収めたことである。例えば、敵役であるガンダルやブラッキーの人形・マザーバーンの玩具など、日本ですら発売されなかったようなアイテムが山のように出ていて、この人気の凄まじさを思い知らされるのである。また、現地の作家独自のコミックも多数発売されており、中にはオリジナルエピソードのコミックの数も決して少なくない。「ゴルドラック」という新聞も数号発行されて売り上げが高かったとか。
大好評のうちに翌1979年1月18日放映を終了した「ゴルドラック」は、ファンたちの要望が放送局に殺到したことにより、翌週より再び放映が行われたという。こうして、繰り返し繰り返し放映が為され、全72エピソードが放映され、いつしかフランスは一大ゴルドラック国の様相を呈することとなる。現下において「UFOロボ グレンダイザー」への愛着の深さは日本を上回ると言って過言なかろう。
 OPやEDは、日本の原曲をアレンジしたものになっている。
 その後、1988年に「マジンガーZ」が放映されることとなる。全部で24話分が放映されたようである。しかし、「マジンガーZ」に関しては「ゴルドラック」ほどの人気は得られず、一部の熱狂的マニア以外には「マジンガーシリーズ」としては認識されずに「別の作品」として受け取られたそうである。また、「グレートマジンガー」の放映は為されなかったとのことで、「真のマジンガーシリーズ」の醍醐味というものを知らずに終わってしまったのは、「ゴルドラック」にあれだけ熱狂した国としては勿体無いところではある。



イタリア


 イタリアでのマジンガーシリーズの放映は、読売新聞によると1978年4月、「UFOロボ グレンダイザー」ことイタリア番組名「アトラスUFOロボット」で始まったという。放映局は国営テレビ「RAY」で、国営放送「2チャンネル」で放送したのだという。放映が終了したのが1979年1月12日、視聴率は70〜80%を超えたというから、イタリアでのフィーバーぶりもフランスに劣らず凄まじく、このブームを「ゴールドラキズム」と呼んでいたということである。
 ただし、追調査によると国営テレビRAI2 (RETE2)にて1978年4月4日〜1978年5月6日の毎週火曜日から土曜日まで午後6時45分から放送して、全部で24話分が放映され、次に同テレビ局で別の24話分が1978年12月11日〜1979年1月12日まで、月曜日から金曜日までの午後6時50分から放送、そして更に別の19話分が三度同テレビ局で1979年12月10日〜1980年1月5日の月曜日から金曜日まで午後6時50分から放映されたのだという。
 なお、再放送情報は、国営テレビRAI2 (RETE2)にて、1979年7月9日〜1979年7月21日の毎日、12話分が午後7時から放送、二回目が、同放送局1980年10月6日〜1980年11月28日で午後2時50分から、三回目にして現在のところ最後の再放送は、同放送局1983年の終わり頃から1984年の始め頃まてで午後4時からの放送だったらしい。
 また、テレビエピソードの再編集版もいくつか劇場版として1978・9年ごろ上映されており、東映まんがまつり版も、独自の編集が施されて上映されているようだ。「闘将ダイモス」すらもが劇場版再編集でゴールドラックの息子として続編のような扱いで上映されたほどである。
 その熱狂の経過はやはりフランスとほぼ軸を同一にしており、地理的状況からも商品の製造販売においてはフランスとイタリアは相当部分を共有していたようで、同じく独自のコミックやら日本人から見ればマニアックなキャラクターの玩具などの商品が目白押しであった。その意味においてはイタリアはフランスと双璧を為す「ゴールドレイク王国」であった。OPは日本とは異なった軽快な音楽で画像をほとんど日本版のものを流用しているが、受けるイメージはまた別のものとなっている。本編は概して日本版より10〜20秒ばかり尺度が短いようであり、主に日本語で表記されるサブタイトル部を省略しているように見受けられる。BGMは主に日本の「UFOロボ グレンダイザー」のものを使用しているが、シーンによっては違う音楽に差し替えられている。物によってはその差し替えBGMの選定が、日本版に慣れきってしまった者にとっては違和感を憶えないでもないが、世界一美しい言語と豪語するだけのことはあってイタリア語で吹き返られた「ゴールドレイク」はその世界観に非常に似合う。
 また、イタリア独自で作られた挿入歌も多く、それらがBGMがわりに使用された部分もある。

 1979年には「グレートマジンガー」こと「イル・グランデ・マジンガ」が放映。1980年には「マジンガーZ」の放映が果たされる。ちょうど日本とは放映順が逆になってしまったわけだが、それでも「マジンガーシリーズ」3作を放映したことは嬉しい限りである。但し「マジンガーZ」は前半部のエピソードのみの放映だったようで、後半は未放映だそうである。そのため、3作がシリーズものだとは理解されなく、別々の作品と認識されていたようだ。
 「イル・グランデ・マジンガ」のOPとEDは同じ曲が使用されており、こちらも独自の主題歌に変更されている。
 一方、「マジンガZ(ゼータ)」は、OPとEDは同じ曲で、日本の主題歌を少しアレンジしたような感じになっている。
 「イル・グランデ・マジンガ」と「マジンガZ(ゼータ)」は、「アトラスUFOロボット」ほどの驚異的な人気は得られなかったものの、それでもかなりのファンは獲得したようである。やはり現地の作家によるコミックが多数発売されている。そのコミックについては、どうやらスペインで掲載されたテレビエピソードに忠実な漫画版が、イタリアでも発売されたようである。また、イタリア独自のオリジナルエピソードの漫画も数多く出ている。
 思えば、「ゴールドレイク」の人気の過熱ぶりがむしろ異常すぎたといってよく、「イル・グランデ・マジンガ」「マジンガZ(ゼータ)」については普通にアニメーションとして普通に受け入れられたと考えたほうが良さそうだ。日本における「マジンガーZ」がロボットアニメの金字塔とされているのに対して、「グレンダイザー」の認識度が割りと普通程度と同じ感覚で受け入れられているといったところではないだろうか。

 なお、三作全てで、兜甲児の名前がリオ・コウジ・アルコールとそれぞれ違ったものになったのは、「アトラスUFOロボット」が国営放送「2チャンネル」、「イル・グランデ・マジンガ」民放放送局、「マジンガZ(ゼータ)」が国営放送「1チャンネル」と、それぞれ別の放送局による放映だったためだとか。
 そのこともあって、「日本のアニメは同じようなキャラクターばかりで没個性だ」と批判されたこともあったとか。

 また、日本のコミックスも形を変え数度に渡って出版されている。
 今でもゴールドレイクは根強い人気を持っており、時折新しい玩具なども販売され続けている。



大韓民国


 大韓民国におけるマジンガーの情報というのは、実は初めてテレビに放送されたときには正式に契約して放送がされたわけではないため、不透明な部分が多い。
 いろいろな情報を紡ぎ合わせてゆくと、「マジンガーZ」は1975年から韓国のMBCで25回分が放映されて結構人気を博したのだという。しかしその時の韓国は朴正煕大統領による軍事政権下で、準戦時体制を取っていたため禁欲政策を実施しており、1980年まではテレビはカラー放送ができない状況だったという。「マジンガーZ」は、白黒放送で流れていたようだ。言わば、違法な海賊放送だったわけである。

 
また、別の情報によると、「グレートマジンガー」以降の東映アニメはその製作にあたって、韓国の大元動画へ下請けをしていたのだという。そして、「グレートマジンガー」が韓国で放映されたのはTBC で1978年から一年間放送されたのだという。これも正式な契約は経ておらず、違法な海賊放送だったようだ。
  更に、1979年12月から約3ヶ月くらい、「UFOロボ グレンダイザー」もMBCで放映されたということである。

 当時から既に反日感情の高まっていた韓国では、日本の文化を輸入することを認めていなかったため、このマジンガーも日本のものとして紹介されたわけではなかった。そのため、マジンガーを自国の韓国製アニメと思っていた人が多く、自称「マジンガーZの原作者」を名乗る人物まで現れたということである。そして永井漫画や桜多漫画の海賊版が横行し、韓国作家が描いた漫画も数冊発行されたことが確認されている。(ちなみに、どの国でもある程度海賊版が出回る現象はあるのだが、中韓の海賊版の流通規模はケタ外れである。)
 現在は、裁判によりマジンガーが日本の、永井豪とダイナミックプロと企画が原作者であることが韓国においても認知されている。そして、一時期海賊版が横行していたのだが、近年では正式な契約を経た上で漫画やDVDが販売されるようになってきている。

 しかし、むしろ韓国におけるマジンガーの影響はその後と言うことができる。

 すなわち、その一つが韓国製作のアニメ映画「テコンV」シリーズである。
 ところが、大ブームとなったこの「テコンV」、その姿はマジンガーZとグレートマジンガーのパクリとしか言いようがなく、また、頭部に乗り物が収容されるというアイディアといい、その乗り物がほとんどホバーパイルダーのパクリとしか見えないデザインだったりと、現在に至るまで韓国の製作者やアニメファンと日本のアニメファンの間で物議を醸している。
 ところで、このデザインが似通っているのも道理で、「テコンV」は「グレートマジンガー」時代以降東映動画(現、東映アニメーション)が下請けに出していた「大元動画」が製作したものなのである。そういえば、テコンVの武器である手の甲からのミサイル発射も、「UFOロボ グレンダイザー」のそれとまったく同じなのである。
 これらのことから、日本のアニメファンたちは、テコンVのことを「パクリアニメ」として蔑視してきた。そして、それに反発するかのように韓国側では、「テコンVは初めて格闘技を使ったロボットであり、日本では格闘技を使うロボットアニメはその2年後の1978年の『闘将ダイモス』からだから、パクリではない。」との理屈を出してきている。
 が、いささか反論を許されるならば、格闘技を使ったのは1974年の「ゲッターロボ」ですでにゲッター3が柔道技(?)の大雪山おろしを使っている。・・・いやまぁ、アレを柔道といいきれるかどうかはとても複雑な気がするのだが、それでも、その次に1975年には「グレートマジンガー」がバックスピンキックやニーインパルスキックといった、「キックボクシングを参考にした」格闘技を使っているので、その論は崩れる。
 いや、更に遡れば、1974年に「マジンガーZ」で敵のロボット・サイガO3が拳法を使っているのだが・・・

 いずれにせよ、「テコンV」の原作者までが、「ロボットの外見が似通っているのは車の外観が似通っているのと同じレベル。それなのにパクリとは心外」といった発言をし、かつ「テコンVとマジンガーZが戦えばテコンVが勝つ」などと発言しているのはいささか呆れる。現実の機能性を追及していった上でデザイン枠が狭ばまり、その結果似通ったものになっていった車と、純然たる創作であり、限りなく自由な発想が出来る架空のロボットのデザインとを同列に語ることなど許されるものではない。また、他人の創作した作品について、「自分の作った作品のロボットのほうが強いんだ」などと発言するにいたっては、著しく無礼である。

 ただし日本側も、「テコンV」の内容そのものを評価せず、その姿のみをもってパクリ呼ばわりし続ける態度は涼とはいえないであろう。
 確かに、そのデザインはマジンガーのパクリであったが、ストーリーとしてはなかなか斬新であり、また、敵の首領にも悪に走った悲しい事情があったりと、その内容は十分に誇れるものを持っており、少なくともストーリーに関しては「パクリ」呼ばわりされる謂れなどない。
 それに、日本だって、アメリカ映画などで人気を博した作品などのデザインやストーリーの真似をしたものなどゴロゴロあるのだから、あまり他国のことを言える立場ではないのは確かだ。
 日本側は、あまりテコンVのことを声高にパクリ呼ばわりするのは控えたほうがいいと思う。そして、韓国側は、デザインに関しては大いにマジンガーを参考にしたことを認めて、その上で正当なストーリーの評価を求めるようにしたほうがよいのではないだろうか。
 そして、個人的には、私は「テコンV」は好きであるし、評価もしている。ほかの日本の皆さんもぜひ「見てから批評」して欲しい。
 なお、下記の表がテコンVの劇場公開リストである。

公開年月日 題名
1976.07.24 ロボットテコンV
1976.12.13 ロボットテコンV宇宙作戦
1977.07.20 ロボットテコンV水中特攻隊
1978.07.26 ロボットテコンVと黄金ナルゲの対決
1979.07.26 飛べ!宇宙戦艦亀船(テコンV外伝)
1982.07.30 スーパーテコンV
1984.08.03 84テコンV
1990.07.28 ロボットテコンV

 だが実は、もう一つ韓国におけるマジンガーの影響の潮流がある。
 「テコンV」のデザインがマジンガーを参考したように、その他にもマジンガーのデザインを大いに参考にした作品群が数多く存在するのだ。しかも、それらの作品群は、その姿を模倣しただけではなく、タイトルまで「マジンガ」を使用しているものが多いのである。
 以下

公開年月日 題名
1978.12.09 走れ!マジンガ]
1982.12.18 スーパーマジンガ3
1983.07.30 スーパー特急マジンガ7
1990.08.15 スーパーバットマンとマジンガV
1994.07.23 スーパーチャイルド

といった具合である。
 これらの作品も、マジンガーのデザインや名を使用しているものの、内容はマジンガーとは違うものが多い。(ただし、その分他の日本アニメのアイディアを取り入れたものが多いが。)
 が、一つだけ決定的にマジンガーシリーズの模倣以外の何者でもない作品があるのだ。
 そのアニメは「走れ!マジンガ]」。
 主役ロボはグレンダイザーとそっくりで、並べて見てもほとんど「間違い探し」レベルしか違わない。主役のパイロットスーツはマジンガーZの兜甲児のものに非常に似ているし、他の仲間の戦闘服もグレンダイザーのダイザーチームの戦闘服にとても似ている。
 正義側の基地はグレンダイザーの宇宙科学研究所そのままだし、チーム編成もほとんどダイザーチームの4人を役割・容姿ともに模倣している。そして、出てくる子供はグレン第57話のキヨシ少年そのままである。
 敵ロボットはグレンダイザーの円盤獣そのままだし、敵幹部はマジンガーのゴーゴン大公やグレンのダギル隊長、鋼鉄ジーグのイキマである。(あと、私見ではゲッターロボGの敵キャラらしきものやガイキングの敵キャラらしきものも出ている)
 極めつけに、ストーリーは、「UFOロボ グレンダイザー」のほとんどダイジェスト版といった感じである。国内の「宇宙円盤大戦争」がグレン第72話を中心としたダイジェスト的内容と言い表すならば、「走れ!マジンガ]」はグレン第70話を中心としたダイジェスト版といったところである。

 だが、ここまでグレンダイザーをリスペクトしていると、もうくだらない感情は湧かず、かえって不思議な爽快さがある。これも、グレンダイザーが偉大な作品だったが故と思えば、それもいいのかもしれない。
 グレンダイザーファンは一度は見ておいて損はない作品である。
 なお、「グレンダイザー」の放送が1979年ということなので、韓国の人は当時は、「マジンガX」のテレビアニメ版と受け取った可能性が伺える。

 また、「サイコアーマーゴバリアン」も「マジンガーZ」というタイトルでビデオが発売されている。

 総括として発言すると、フランスやイタリアなどは、グレンダイザーを通して若者たちが日本に親しみを持ってくれたのに対して、韓国ではマジンガーを通して、険悪な状態が続いているのは大変残念なことである。


スペイン 


 スペインでの放送は、「マジンガーZ」が1977〜8年ごろに初放映が為されたようである。
 この時の放映エピソードは、主に前半部を中心として飛び飛びの全24話分の放送であったようである。追調査しているのだが、どうやらスペインでの放送は、この24話分のみだったようである。このスペイン版を中心に、南米で放映されて、そのときにスペイン系のラテン語で、Z・グレート・グレンも放送したようである。
 スペイン版は、南米版と違ってOPやEDに歌詞がついていて、日本版と同じ歌をアレンジして歌われているのだ。
 どうやら、スペインでは「マジンガーZ」のみの放送で、「グレートマジンガー」および「グレンダイザー」の放送はされなかったようだ。ヨーロッパ圏では、最も早いマジンガーシリーズの放送だったらしく、当時のスペインで絶大な人気を博して視聴率も70%を記録したという。また、その人気を受けて当地での作家によるオリジナル漫画が出版されるほどだった。
 なお、このスペイン版コミックスが後にイタリアやフランスでも流用されてコミックス化したものであり、スペイン版こそがヨーロッパでのマジンガーコミックスの原本となったものである。

 そして、このスペインでのヒットにより、同じラテン圏の南米にマジンガーシリーズが広まっていったということを考えれば、スペインでの放映の成功こそが、マジンガーを世界的に有名にした一番の要因だったと言えよう。
 地理的な位置から、ヨーロッパのマジンガーコミックスに影響を与え、語圏から、南米にヒツトを飛ばし、さらにその位置関係からアメリカにも影響を及ぼしたという点において、スペインでの興行がマジンガーの知名度を上げたことは疑いを得ない。

 スペインでは、古典的名作とでもいう位置づけで、1991年にはテレビ版マジンガーZ全24話がビデオで発売され、1995年には劇場版マジンガーシリーズがビデオになっていたり、また、2002年には初めて永井豪版のコミックスも出版されている。
 タラゴナのサンタ・マリア広場にはマジンガーZの巨大な像が町の有志によって建造されていることでも有名である。

 また、放映当時にはカード類や玩具類も沢山作られており、その数は把握できないほどである。