兜甲児の生年月日に関する一考察
(1) 兜甲児の誕生日について
兜甲児の誕生日については、ファンの間では一般的には、甲児の誕生日は映画『マジンガーZ対暗黒大将軍』(昭和49年7月25日封切り 東映アニメーション・ダイナミック企画)の公開日の日を取って、「7月25日生まれ」と認知されている。
しかし、実際のところ映画『マジンガーZ対暗黒大将軍』においては、その劇中において二日間が経過しているのである。そうなると、その二日間のうちどちらが7月25日であるか特定をしなければ、甲児の誕生日が7月25日であるとは断言はできない性質のものであることは論を待たない。
そこで、甲児の誕生日を特定するためには、まず、劇中の事実を整理しなければならない。以下にその内訳を整理したく思う。
一日目:ボスたち三人組が海水浴を行っていたあと、豪雨に会い、謎のロボット(グレートマジンガー)と預言者(兜剣造)に遭遇する。その当日は甲児の誕生日であり(さやかの劇中での言葉「なに言ってるの、今日は甲児くんの誕生日じゃない」より)、また、世界の各都市にミケーネ帝国の戦闘獣が来襲し、東京ではマジンガーZが交戦する。光子力研究所にも被害が及び、シローが重傷を負う。夜、甲児たちは再度姿を現した預言者に遭う。
二日目:獣魔将軍が戦闘獣軍団を引き連れて日本を強襲。マジンガーZはこれを迎え撃つが、危機を迎える。その時、グレートマジンガーが来援し、マジンガーZと協力して戦闘獣軍団を壊滅させる。
以上のように、この二日間のうちどちらが7月25日であるのか特定する必要があるのだが、今まであまりに単純に映画『マジンガーZ対暗黒大将軍』公開日=甲児の誕生日とされていて、検討が全くされていなかった経緯があるのだ。
そこで、きちんと当時の文献を紐解くと、一つの資料に突き当たる。それが『増刊テレビマガジン3大ヒーロー大百科号』(昭和50年4月15日発行 講談社刊)である。
この書の54頁『グレート・マジンガーのひみつ大百科』によると、
「昭和49年7月25日 グレート、Zをたすけるため登場!」
とあり、その口絵にはZが戦闘獣アルソスを、グレートが戦闘獣ブルンガを倒しているものになっている。
ここで、
「『昭和49年7月25日グレート Zを助けるため登場!』というのは、(登場とはある場所事件に人物が現れる事。)すなわちタイトルのすぐ後(1日目)にボスたちが見たサンダーブレークを放つグレート・マジンガーの事だ」
という反論があるかもしれない。
「『1グレートがたおした戦闘獣 2たおした日』の番号が付いているのは9月8日以降で7月25日には番号は付いていない為、『来襲』(せめてくること=二日目)結果として戦闘獣をたおした日ではない」
というのがその論のようだ。
だが、まず、史学において、「書かれていることは字義のとおりに解釈することが鉄則であり、拡大解釈はしてはいけない」という決まりがある。
翻って、この主張する1日目にグレートがサンダーブレークを放つシーンを、これを以って昭和49年7月25日グレート
Zを助けるため登場!」とするのはかなり拡大解釈が必要となる。
実際、あの件については、「Zを助けるために登場」したと言う割には、直接はグレートは助言をして助けていないのだ。それに、登場というよりは、たまたま隠れて裏舞台で作業をしていたところを目撃されてしまったというほうが、より正しいと言えよう。
また、預言者=剣造が危機を知らせるための主導的役割を演じていて、グレートはその演出の補助を務めたにすぎない。「剣造がZを助けるため登場」というならまだしも、舞台づくりの補助をしただけのグレートが「Zを助けるため登場!」というのは、やや強引すぎると言えよう。
それに、「助言」と、「助けるため登場」とは、やや字義の解釈の拡大が必要であり、「助けるため登場」=「助言」とはならない。「助けるため登場」≧「助言」といったところである。そして、目的にしても「光研に警告を与えるために助言した」と解釈も出来るし、「Zに警告を与えるために助言した」ともとれ、やや曖昧であることは否めない。
これらのことから、第1日目が「昭和49年7月25日グレート Zを助けるため登場!」とするにはかなりの拡大解釈が必要となってしまうのだ。
それに比べて、第2日目の、実際にマジンガーZが大ピンチに陥っているときに「Zを助けるため登場!」した、というほうがより字義に素直な解釈となり完全に等記号が成り立つ。(「Zを助けるため登場!」=「Zを助けるため登場!」)
この時点で、かなり「昭和49年7月25日グレート Zを助けるため登場!」が2日目であることのほうが無理の少ない解釈となりうるのである。
「オッカムの剃刀」の定理に従えば、よりifの少ない「2日目が25日である」という考察のほうが優れていることになるのだ。
第二に、「昭和49年7月25日グレート Zを助けるため登場!」と書いてあるその記事の口絵には、まさしく第2日目のダブルマジンガー共闘の姿が映画のシーンそのままに描かれているのだ。しかも、「考察とは資料を基に根拠を述べつつ、論理的に答えを導き出す作業」をするということを考えれば、その口絵を無視するのは都合の悪い資料は切り捨てるということになってしまうのだ。実際口絵には倒した戦闘獣も第2日目の戦闘獣ばかりなのである。
甲児ファンというフィルターを外して素直に見れば、世間の大多数は「ああ、2日目が7月25日なんだな」と感じるものになっているのだ。
もし、これで、「いや、1日目にボスたちが見たサンダーブレークを放つグレート・マジンガーの事だ」と主張するとなると、それはつまり説明文と口絵が合っていない=間違っているということになる。
1日目が「昭和49年7月25日グレート Zを助けるため登場!」したのであれば、口絵もそれにあわせて岩山で影のシルエットでサンダーブレークを放っているシーンにしなければおかしいのだ。
より素直な考察としては、やはり第2日目が「昭和49年7月25日グレート
Zを助けるため登場!」とするのが正しい在り方であろう。
そうすると、その前日である「一日目」は「昭和49年7月24日」であり、その「一日目」は「甲児の誕生日」でもあるわけなので、必然的に「甲児の誕生日」は「7月24日」となるのである。
なお、この該当記事である『グレート・マジンガーのひみつ大百科』は、当時設定製作を担当していたダイナミック企画の永井隆氏の構成による記事であり、資料としては一等資料に該当するものである。
巷間に流布されていた「甲児、7月25日誕生日説」は歴とした根拠のない単なる憶測レベルの説に過ぎなかったことがここに判明するのである。
ここに、一つの結論として「甲児の誕生日は7月24日である」ということが確定されるわけである。
(2)甲児の生まれ年について
甲児の年齢については、アニメ版は当初は高校三年生の設定であったことは近年DVD−BOXで復刻された『新番組案内』により、判明する。
また、実映像においても、『マジンガーZ第3話』(昭和47年12月17日放映 東映アニメーション・ダイナミック企画)で、東京から光子力研究所付近さへ引越しをする際に甲児が車を運転していた件(当時の道路交通法においても、普通自動車の免許は満18才以上とされていた)や、『マジンガーZ第4話』(昭和47年12月24日放映 東映アニメーション・ダイナミック企画)で転校してきた甲児が「東城学園3−A」に編入していることから、やはり当初は甲児の年齢を18才として取り扱っていたことがわかる。
また、昭和48年の初め頃に発売された『ロッテガム マジンガーZ』にも、甲児の年齢関係について「高校三年生」としており、同じく昭和48年初めと思われる『カルビーマジンガーZカードNo.103』にも、「ムチャ 甲児と同じ高校の三年生」とあり、当初の設定に準じて記載されていたことが分かる。
だが、アニメにおいて、この設定は早々に変更されることとなる。
映画『マジンガーZ対暗黒大将軍』(昭和48年7月18日封切り 東映アニメーション・ダイナミック企画)のシナリオによると、甲児は「高校二年生」とある。通常、劇場用アニメーションは、4~5ヶ月前にはシナリオが出来ているものなので、昭和48年2~3月ごろには出来上がっていたものであろう。
が、まだこの頃は設定変更の過渡期であったものであろう。その前後の『テレビマガジンS48.4』(講談社刊)では甲児の年齢関係に関して「東城学園高等部の一年生」とされている。『テレビマガジンS48.11』(講談社刊)にも「高校一年」とあり、昭和48年度においての甲児の年齢が16歳に変更されたことが判明する。共に、ダイナミック企画による一等資料である。
次に出てくるのは『増刊テレビランドS49.7.15』(徳間書店刊)の「16才」というものである。これは、映画『マジンガーZ対暗黒大将軍』(S49.7.25上映開始)において甲児が誕生日を迎えていることを考えれば、その誕生日の10日前にはまだ16才であるので錯誤はない。
問題なのは『増刊テレビマガジンマジンガーZ大百科号S49.7.15』(講談社刊)の「マジンガーZ人物集」に記載のある「年齢16さい。東城学園高等部一年。」という記載になる。昭和48年度と49年度にわたって甲児の学年が変わっていないのである。
ここで『増刊テレビマガジンマジンガーZ大百科号S49.7.15』の資料批判を行うと、該当の記事は田村浩一氏が担当している。田村氏は、当時ダイナミックプロに在籍していたというので、資料としても一等資料と言うことができる。
ここでいささか推測を許されるならば、当時においては『マジンガーZ(5)』(昭和55年10月15日 立風書房刊)の223頁の永井豪氏のインタビューによると「このシリーズは、あくまでもTVと連動していましたから、その連載期間はどうしてもTVのサイクルと関係してきます。普通、TV番組の寿命は、ほぼ一年ですから。「グレート・マジンガー」も「マジンガーZ」の一年後をねらって、企画を進めていたのです。しかし、「マジンガーZ」は予想をはるかに超える人気を獲得し、TV放送は一年十カ月も続きました。その間、「グレート・マジンガー」は十カ月も眠ることになったのです。」とのことであり、グレートマジンガーの企画当時は「Zの一年後」の世界と定義されていたことから、そのままその設定が流用されつつも、一部においては放映年に合わせた年齢表記がされたものであろう。
その事実を裏付けるかのように、同記事のドクター=ヘルでの記載は、「年齢七十二さい」とあるのである。しかしドクター=ヘルは一等資料である『テレビマガジンS49.2』(講談社刊)では、「生年月日 一九〇二年九月六日」とあり、同じく一等資料の『テレビマガジンS49.9』(講談社刊)では、ドクター=ヘルの死亡は「昭和四十九年八月二十五日」であるとしている。
とすると、ドクター=ヘルの亡くなったのは誕生日の7日前であり、厳密には「マジンガーZ人物集」にある「年齢七十二さい」は誤りであり、71歳で死亡したわけである。
だが、健康診断などでは満年齢を記載せずにその年度末時点での年齢を記させる事例も多いことから、あながちこれは間違いとは言えない部分である。むしろ、注目すべきは、甲児の年齢がテレビ放映に合わせて加齢していないのに対して、同書のドクター=ヘルにおいては適正に加齢しているという点にあるだろう。この書も、過渡期における設定の最終決定にいたっていなかった時期の書であることが推測されるのである。
こうなると、甲児の年齢に関する設定が幾度か修正されている事実を考えれば、最も後に発表されている『テレビマガジンS49.10』(講談社刊)の設定こそが最終設定と見なして、優先されるべき性質のものであろう。
そこには、「昭和37年 剣造博士夫妻、(中略)事故のため爆死。(中略)サイボーグとして蘇るが(中略)姿を隠す。甲児5歳・シロー1歳であった」とある。
この記事だけで単純に計算すると、甲児の生まれ年は昭和31年7月24日か昭和32年7月24日のどちらかということになるのだが、先の『テレビマガジンS48.4』と『テレビマガジンS48.11』、『増刊テレビランドS49.7.15』の記載と照らし合わせると昭和32年7月24日が甲児の誕生日であることが分かってくる。
そして、それに準じる形で、『テレビマガジンS50.6』(講談社刊)で、アメリカに留学中の甲児は「アメリカの学校にかよっています。(中略)たのしいハイスクール生活をおくっています。」とあり、昭和50年6月時点で高校(ハイスクール)に通う年齢であることがわかる。当時のアメリカでの留学事情については、9月を新学年として進級する決まりになっており、日本のような4月が進級の月としている国からの留学者に対しては、基本的に高校二年生の者は高校三年生として編入されることになっていた。これはつまり、マジンガーZの放映が終わった昭和49年9月時点では甲児は17歳であり、『テレビマガジンS50.6』時点では高校三年生で卒業前後の時期であったことを意味してくる。
このことからも、甲児の生年月日が昭和32年7月24日に対応することがわかる。
また、資料としては5等資料ながら、『マジンガーZ大全集』(昭和63年1月15日発行 講談社刊)の153頁にも「最終的に鉄也の年齢が甲児より一歳上の十八歳にまで落とされることになった」とあり、それはすなわち、『グレートマジンガー』開始時の昭和49年9月1日時点での甲児の年齢が17歳であることの証ともなっている。
そして次の『UFOロボ グレンダイザー』においては、『企画書UFOロボ グレンダイザー』(昭和50年8月29日発行 8JOCX−TV発行)において、甲児の紹介文には「18才」とあり、
『UFOロボ グレンダイザーシナリオ1』(昭和50年10月5日放映分 上原正三著)、
『UFOロボ グレンダイザーシナリオ2』(昭和50年10月12日放映分 上原正三著)、
『UFOロボ グレンダイザーシナリオ4』(昭和50年10月26日放映分 上原正三著)、
『UFOロボ グレンダイザーシナリオ6』(昭和50年11月9日放映分 上原正三著)、
『UFOロボ グレンダイザーシナリオ7』(昭和50年11月16日放映分 上原正三著)、
『UFOロボ グレンダイザーシナリオ12』(昭和50年12月21日放映分 上原正三著)、
『UFOロボ グレンダイザーシナリオ13』(昭和50年12月28日放映分 上原正三著)、
『UFOロボ グレンダイザーシナリオ16』(昭和51年1月11日放映分 上原正三著)
それぞれについても甲児の年齢について「18才」としている。
これらのすべての一等資料のデータにおいても、甲児の生年月日が昭和32年7月24日に対応しているのである。
『オリジナル・サウンドトラック盤 マジンガーZ』(昭和53年4月発売 日本コロムビア株式会社発売)には、「高校三年生(年令十七才)」とあるが、これは五等資料であり、また、当初の設定をそのまま誤流用してしまったきらいがある。
もう一つ、『冒険王S49.4 マジンガーZ』(秋田書店刊 桜多呉作氏著)の35頁には、「出席日数がたりなくなりもう一度高校二年にとどまる」とあり、これに従うと甲児は昭和31年度生まれになってしまうのだが、ご承知のようにこれはあくまで桜多呉作氏の漫画においてであり、東映アニメーションマジンガーシリーズとは別物である。この件だけに関して言えば、桜多呉作氏の漫画は五等資料となり、採用するには及ばない物であることは論を待たない。
結論
このように並べてゆくと、年齢変更後の一等資料では一貫して甲児の生年月日が昭和32年7月24日であることを示している。
以上によって、アニメ版の甲児の生年月日は昭和32年7月24日であると結論づけて良いだろう。