ギリシア神話に見るミケーネ王国

 ミケーネ王国は、ドクターヘルの配下であるあしゅら男爵が生身の人間として生きていた時代であり、また、ミケーネ王家の血筋を引くと言う闇の帝王のミケーネ帝国の前史にもあたる。
 永らく、この時代については伝説に過ぎないと思われていて歴史として認定されていなかったが、近世に入ってシュリーマンがトロイの発掘に続いてミケーネの城砦を発掘したことにより、ようやくその実在が認められるようになったものである。
 神話上に現れたミケーネに関する説話が、必ずしもすべてが実際にあったこととは云い難いのだが、現在では一半の真実もまた含まれているものと考えられている。ギリシア神話に見るミケーネ王国の歴史を把握しておくのもまた一興と思うので、ここに記そう。


【ミケーネ第一王朝】

初代国王−ペルセウス
 アルゴス地方を治める王アクリシオスには、世継の男子がいなかった。そのため、彼は息子を授かるには如何したら良いかと神託を乞う。ところが、神託では彼の息女のダナエに将来生まれる男の子が、アクリシオスを害するであろうと告げるのだった。アルゴス王・アクリシオスはこれを恐れ、娘のダナエを青銅の塔に閉じ込めて、男性との接触を一切絶つこととした。男性と会う機会がなければ子供が生まれることはないだろうとの考えからである。だが、王の双子の弟でアルゴスの王位を争ったプロイトスが、塔に閉じ込められたダナエに近づき、子を産ましめた。(注:別説では、神々の王であるゼウスがダナエを見初めて、黄金の雨に身を変えて青銅の塔の中に易々と入って、ダナエを身篭らせたという。というか、こっちの説のほうが有名ではある。)その男の子こそが、ペルセウスである。
 これを怒ったアルゴス王・アクリシオスは、弟プロイトスを追放し、ダナエとその子ペルセウスも箱に詰めて海に流したという。しかし、ダナエとペルセウスは死ななかった。運良く(注:別説では、ゼウスに護られて)二人はセリポス島に流れ着いたのだった。
 ダナエ・ペルセウス母子はセリポス島で親切な漁夫・ディクテュスに養われて、月日を過ごした。やがてペルセウスが成長したとき、ディクテュスの兄でありセリポス島の王であるポリュデクテスがダナエに恋慕し、結婚を迫ってきた。しかし、ダナエ・ペルセウス母子はこれを拒絶する。これを恨んだセリポス王・ポリュデクテスは、ペルセウスを害してダナエを手に入れんと思うようになったという。折から、ピサの国でペロプスとヒッポダイメアの婚礼があり、セリポス島からもお祝いの品として馬を贈ることとなった。セリポス王・ポリュデクテスは、ペルセウスにも馬を差し出すよう命令したが、赤貧の身の上だったペルセウスには献上する馬がない。そこでペルセウスは、馬以外のものであれば王の為に献上することを約束した。するとその言質を取ったセリポス王・ポリュデクテスは、メドゥサの首を持ってくるようにと所望したのだった。メドゥサは神の眷属の一人であり、その姿を見た者はみな石にされてしまうという恐ろしい怪物でもある。かつてメドゥサを退治しようとして討伐に行った勇者たちは、ことごとく石にされて生きて帰ってきた者はいない。セリポス王・ポリュデクテスの狙いは、将にペルセウスが返り討ちに合って命を落とすことを期待してのものだった。
 ひとたび、王に望みのままの物を献上することを誓ったペルセウスには、この所望を断ることはもはや出来なかった。覚悟を決めてペルセウスはメドゥサを討ちに出発する。ところが、このメドゥサとは不仲だった戦いの女神・アテナは、ペルセウスの追討が上手くいくように力を貸すこととした。即ち、アテナはペルセウスに青銅の盾を貸し与え、行くべき道を指し示したのであった。ペルセウスはそこで、アテナの指示に従ってニンフたちから身体を隠すことの出来る帽子(兜とも言う)と、空を歩くことができる靴と、メドゥサの首を入れるための袋を譲り受けた。また、旅人の神・ヘルメスが、ペルセウスの美丈夫ぶりを気に入って、特性の剣を贈った。こうした神々の恩恵もあって、ペルセウスは首尾よくメドゥサを討ち果たしてその首を取ることが出来た。
 メドゥサを討ち取ったペルセウスはその帰路、海辺の岩に全裸で縛り付けられた美少女の姿を発見した。少女の名はアンドロメダ、イオッペ国の王女であった。話によれば、アンドロメダの母親がアンドロメダの美貌を自慢したことが神の怒りに触れ、アンドロメダを海の怪物の生贄に要求したのだという。アンドロメダの美しさに惹かれたペルセウスは、事件に介入することとした。すなわち、怪物を退治するかわりにアンドロメダを妻に申し受けたいと要求するのだった。アンドロメダの両親のケペウス王とカシオペア王妃はこの申し出を受け入れる。そしてペルセウスは持ち前の武勇で、見事、怪物を倒す。
 だが、アンドロメダには婚約者がいた。彼女には叔父にあたる、父の弟ピネウスであった。しかしケペウス王は、アンドロメダが生贄として選ばれたときにピネウスがアンドロメダを救おうとしなかったことをから、その時点で婚約者たる資格を欠いていることを弟のピネウスに告げ渡した。これを逆恨みしたピネウスは、ペルセウスとアンドロメダの婚礼を邪魔しに乱入した。ペルセウスは、メドゥサの首を突きつけてピネウス他一党を全て石に変えたという。
 やがて、ペルセウスとアンドロメダの間には一子・ペルセスが生まれる。ペルセウスは、ペルセスをイオッペ国の後継ぎとして残し、自身はアンドロメダを連れてセリポス島の母の元へ帰っていった。この時、既にペルセウスは死んでいたと思っていたセリポス王・ポリュデクテスは、ダナエに結婚を強要していて、為にダナエは祭壇に避難していた。神の祭壇にいるものは、罪人と言えども匿われるのが通例だったからである。しかし、セリポス王・ポリュデクテスはそれすらもお構いなしに祭壇に踏み込んでダナエを連れ出そうとしていた。これを知ったペルセウスは怒り、メドゥサの首を向けてセリポス王・ポリュデクテスを石にした。
 神々の道具を神に返し、ペルセウスはセリポス島の王位に自分を養育してくれた恩人のディクテュスを推して、かの地を去った。今は世間に英雄として名を馳せた自分を、祖父のアルゴス王・アクリシオスが受け入れてくれるのではないかとの希望を抱いて、妻と母を伴ってアルゴスに向かったのだった。しかし、アルゴス王・アクリシオスはペルセウスがアルゴスにやって来ると知って、自分を殺しに来ると思い込んでアルゴス国を放棄してテッサリアに亡命した。その主不在のアルゴス国は、不仲の王弟・プロイトスが奪い取る。一方、純粋に祖父を慕うペルセウスは、アクリシオスを追ってテッサリアに姿を現した。テッサリアではちょうど、その地の王が亡父の供養のため葬礼競技を催しているところであった。ペルセウスは腕試しにと、円盤投げの競技に参加した。そして将にペルセウスが投げた円盤が客席にそれて――――――円盤は祖父・アクリシオスに当たった。祖父・アクリシオスは、即死したと言う。
 嘆き悲しんだペルセウスは、祖父をその地に葬って、今はアルゴス王国を横領しているプロイトスを石に変えて王国を取り戻した。(伝承が真実ならば、ペルセウスは祖父の仇を討つために実父を殺害したこととなる。)しかし、祖父を殺してしまった自分がアルゴス王国を継ぐことは憚られるとして、王国を従兄弟(プロイトスの子)のメガペンテスに譲り、自分はメガペンテスの支配していた小国のティリュンスを貰い受けたのだった。
 やがて、ペルセウスはミケーネとミデアにも城塞を開く。伝説には、旅をしていたペルセウスが咽喉の渇きを覚えたときに、ミュケースという名の茸を見つけ、そこを掘ると泉が湧き出たという。彼はそこに堅固な城塞を築いたのだという。それが後に言う「ミュケナイ(英名:「ミケーネ」。以後マジンガー界に馴染ある「ミケーネ」で表記する。)」の国だった。ペルセウスの努力により、やがてミケーネは富裕な一大強国となった。
 またある伝説では、ペルセウスはその後ディオニュソスとその教団一派と抗争したという。そして両者は後に和解したとも、ペルセウスがディオニュソスを殺害したとも言う。
 ペルセウスは多くの子に恵まれた。その最期は分明の限りではないが、メガペンテスに殺されたともいう。

二代国王−エレクトリュオン
 ベルセウスには多くの子女がいた。そして彼の死後、その王国はティリュンス国はアルカイオスが、ミデア国はステネロスが、そしてミケーネ国はエレクトリュオンがと、三人の息子がそれぞれ分割統治することとなった。
 エレクトリュオンは姪(兄のアルカイオスの娘)のアナクソと結婚をする。そして六男一女を得たという。ところが、このエレクトリュオン統治下のミケーネ王国に戦争が起こった。それはタポス国のプテレラオスとの戦争だった。
 もともと、プテレラオスはペルセウスの子のメストルをその祖としており、メストルの娘・ヒッポトエーが海神ポセイドンに略奪され、タピオスを生んだという。そのタピオスがタポス国を創建し、その子がプテレラオスである。
 プテレラオスの子らは、その家筋から自分たちがミケーネの領地を受け継ぐ権利を持っていることを主張して、領土を分譲することをエレクトリュオンに迫る。しかし、エレクトリュオンはこの理不尽な申し出をはねのけたのだ。プテレラオスの子らはそれを怒り、代価としてエレクトリュオンの領する財産である家畜の牝牛たちを奪い去ろうとした。これを阻止せんとしてエレクトリュオンの子供たちは得物を取ってこれに対する。かくして、彼らは戦いを挑み互いに殺しあったのだ。
 結果、彼らエレクトリュオンとプテレラオスの双方の息子たちは、戦闘に参加しなかったそれぞれ一人ずつの息子を残して、全て戦死してしまった。そしてタポス国の軍隊は敗走して、川辺に待機していて独り生き残ったプテレラオスの子のエウエレスは、エレクトリュオンの牝牛たちをエーリス国に売り払ってタポス国に引き上げていった。
 エレクトリュオンに残された子は、奴隷だった女性から生まれた庶子のリキュムニオスと息女のアルクメネのみとなった。しかし、庶子のリキュムニオスに後を継がせることは出来ないため、エレクトリュオンは甥であり(ティンリス国のアルカイオスの息子)妻の兄弟であるアムピトリュオンをアルクメネの婚約者とし、王国をアムピトリュオンに委ねることを決定したのだった。アムピトリュオンは早速エーリス国に出向いて牝牛たちを買い戻してきた。そして、エレクトリュオンは王国とアルクメネとリキュムニオスをアムピトリュオンに託して、自分は息子たちの仇のタポス国に攻め入ることを決定した。
 エレクトリュオンはタポスへと軍勢を進め、途中で牝牛たちを買い戻して帰路に就いていたアムピトリュオンに行き会った。しかし、牛の群から一頭の牛が列を乱して飛び出したため、アムピトリュオンは牛を押さえようとして棒を投げつけた。その棒は、牛の角に当たって跳ね返り、エレクトリュオンの頭に直撃した。
 エレクトリュオンは事故とはいえ、未来の娘婿によってその命を絶たれたのだった。

三代国王−ステネロス
 ステネロスはペルセウスの子であり、父の死後はミデア国を相続して治めていた。彼はピサ王ペロプスの娘・ニキッペを妻に迎え、二女をもうける。
 ステネロスはかねてより、富裕の国であったミケーネを狙っていたといい、兄弟のエレクトリュオンが甥のアムピトリュオンの過失により殺されたとき、これを口実にアムピトリュオンをアルゴス全土から追放した。また、エレクトリュオンの息女のアルクメネと庶子のリキュムニオスはアムピトリュオンに付き従ってミケーネから去った為、相続者のいなくなったティリュンス国とミケーネ国の両国を、血縁の濃さをたてに併呑して自己の手中に収めた。ここに、ペルセウス以来の大領土の王国が復活したのだ。
 ステネロスがミケーネの国王となって少し後、前王・エレクトリュオンを苦しめたタポス国のプテレラオスを、テーバイ国に亡命したアムピトリュオンが、将来の妻となるアルクメネの兄弟たちの仇討ちにとこれを打ち倒している。ステネロスは労せずしてミケーネ王国を狙う敵国の脅威から脱した形である。そして7ヶ月後には、待望の嫡子・エウリュステウスが生まれる。また、その前後には妻の兄弟であるアトレウスとテュエステスが「異母弟殺し」によりピサ国を追放となったためこれを迎え入れて、ミデアの館を与えている。
 ステネロスは、息子のエウリュステウスが成人する頃に死亡したようである。

四代国王−エウリュステウス
 ステネロスの嫡子。彼の生涯はその出生から死に至るまで英雄ヘラクレスとの確執に彩られており、いわばヘラクレス伝説の影の部分を担っているといえよう。
 まず、その出生においてエウリュステウスは、ヘラクレスとの競争を神から課せられていた。
 前述のアムピトリュオンは、ミケーネ王国二代国王エレクトリュオンを誤って殺害してしまったため、ステネロスにより追放に処せられてテーバイ国へと亡命した。そのとき、婚約者だったアルクメネはアムピトリュオンに従ってミケーネを去って一緒にテーバイ国へやってきた。しかし、婚約者とはいえ実父の仇でもあるアムピトリュオンに対して、アルクメネはせめてもの贖罪にと、自分の兄弟たちの仇であるタポス国のプテレラオスを討ち果たすまでは結婚はしないことを宣言する。これに対してアムピトリュオンは篤実にこれを認め、全力をもってプテレラオスを討ち取ったのだった。意気揚揚として凱旋するアムピトリュオンだったが、アルクメネの美貌に惹かれた大神ゼウスはアムピトリュオンに変身してまんまとアルクメネと情事を楽しむ。一日遅れでアムピトリュオンは帰国し、アルクメネのもとへと走るのだが、アルクメネは昨日夫婦の契りは交わしたとしてアムピトリュオンの態度を不審がるのだった。
 一方、アルクメネが自分の子を妊娠したことを知った大神ゼウスは有頂天になり、「次に生まれるペルセウス一族の男は、全アルゴスの王となるであろう」と通告した。だが、これを知った妻のヘラは、ゼウスの浮気を大層怒り、アルクメネに生まれる子をミケーネ王にさせじとばかりに、お産の神であるエイレイテュイアに命じて、同じくペルセウスの血を引くステネロスの胎児の出産を早めて、7ヶ月で出産させたのだ。こうして、ゼウスの予言の果実を横取りして生まれた子こそがミケーネ四代国王となったエウリュステウスだったのである。なお、アルクメネの子は遅れて生まれてきた。この子が後の名高いヘラクレスである。
 エウリュステウスは、ミケーネ王国三代国王ステネロスの子として不自由なく育てられる。やがて、エウリュステウスが成人する前後のころ、父のステネロスが亡くなったためエウリュステウスはミケーネ王国の王位を受け継いで第四代国王として登極した。一方のヘラクレスは、女王神ヘラの嫉妬によりしばしば狂気に襲われ、我が子すらも発作で殺すなどの狂行が相次ぎ、苦悩していた。デルポイの神託を伺ってこの狂気から逃れる術を問うたヘラクレスに、神託はミケーネ国王エウリュステウスに奴隷として仕え10の命令を遂行することを告げた。そのためヘラクレスはエウリュステウスの元へ伺候し、奴隷となるべくことを誓うのだった。
 だが、エウリュステウスはヘラクレスと謁見して、彼が尋常ならざる英雄の器量を持つことを感じ、あわせて、血統から言えば自分よりもミケーネ王に相応しい血筋であることから、ヘラクレスが自分の王位を脅かす者であると感じた。そのため、エウリュステウスがヘラクレスに課した命令はどれも命の危険の伴う難行となった。
 その第一は、ティリュンス西北の山中にあるネメアの谷の怪物ライオンの退治だった。弓矢を寄せ付けないライオンに、ヘラクレスは素手で勝負を挑んでこれを絞め殺した。ヘラクレスはミケーネ国に戻り、エウリュステウスに課題の獲物を差し出したのだが、エウリュステウスは怪物の死骸に恐怖し、かつ怪物をも仕留めたヘラクレスの強力に恐れを為して、以後課題を果たしてもヘラクレスには城内に入ることを禁止して、門の外で報告を為すことを命じた。そして、以後も「レルネの水蛇ヒュドラ」「黄金の角を持つケリュネイアの牝鹿」「エリュマントスの大猪」「アウゲイアス王の家畜小屋」「ステュムパロスの鳥」「クレタの牛」ディオメデスの牝馬」「アマゾンの女王ヒッポリュテの帯」等々の難業を命じてゆく。しかし、そのうちいくつかの難業にエウリュステウスはケチをつけて、無効とした。そのため「ゲリュオネスの牛」「ヘスペリデスの園の黄金の林檎」「冥府の番犬ケルベロス」と、計12の難業をエウリュステウスはヘラクレスに押し付け、のちにこれは「ヘラクレスの十二の功業」として伝わる。
 冥府の番犬ケルベロスさえもねじ伏せたヘラクレスに、エウリュステウスはすっかり意気消沈し、デルポイの神託は全て果たされたとしてヘラクレスを解放することを宣言。しかしその実は、ヘラクレスの神がかった力に恐れをなして、体よくミケーネから追っ払いたかったのだという。
 晴れて自由の身となったヘラクレスは、ドーリス王アイギミオスを助けて数度の遠征をしたり、トロイアを下したり、また、十二の功業の中で不実を為したアウゲイアス王を討ちに遠征をしている。その報復の矢がいつ自分に向けられるかと、エウリュステウスは日々恐怖していたという。だが、彼には運良くこの不死の英雄ヘラクレスが、妻の嫉妬心からネッソスの毒を受けて肉体が削げ落ち我が身を火葬壇に焼いて地上から滅すという事態がおこる。(伝説ではヘラクレスはその後オリュムポスに迎えられて神の一員として復活したという)
 畏怖の対象だったヘラクレスが死ぬとエウリュステウスは、ヘラクレスの子供たちを公然と迫害し始めた。ヘラクレスの子のヒュロスたちは、これを避けるためにトラキスへと逃げ込んだが、エウリュステウスはトラキス王を圧迫してヒュロスたちの引渡しを迫った。大国のミケーネに敵うべくもないトラキス王は、ヒュロスたちを保護することを拒んだので、ヒュロスたちはアテナイのデモポンを頼って逃走した。この地でもエウリュステウスはアテナイ国に威圧を加えてヒュロスたちの引渡しを迫ったのだが、英雄王テセウスの息子・デモポンはこれを敢然と拒否する。いよいよ両国に戦端が開かれようとしていた。
 デモポンはエウリュステウスと対決するに当たって神託を伺ったところ、「高貴な者の乙女を神に捧げるべし」との神託が下った。だが、自らの娘を犠牲に捧げることは躊躇われた。デモポンが迷っている中、ヒュロスの姉のマカリアは、弟たちとアテナイのために自ら犠牲となることを申し出て身を捧げた。これにより士気の上がったアテナイ軍はミケーネ軍を散々に打ち破り、エウリュステウスの息子たちは全員討ち死にをし、エウリュステウスは戦車に乗って逃れるところをスケイローニスの谷において追いすがってきたヒュロスに討ち取られた。エウリュステウスの首はヘラクレスの母であるアルクメネに筬で目をくりぬかれ辱められたという。
 異説にはエウリュステウスはヒュロスの従兄弟のイオラオスに捕えられ、デモポンたちの前に引き立てられてアルクメネに罵倒されて処刑されたとも言う。ヘラクレスを苦しめた卑怯者の割には、その死に際しては助命を乞うなどの醜態もなく正々堂々としていたという。
 いずれにせよ、ここにペルセウス家によるミケーネ支配は終わりを告げた。


【ミケーネ第ニ王朝】

二代国王−アトレウス
 アトレウスは、ピサ国を治めるペロプスの子である。もともと、母のヒッポダイメアはピサ国の王女だったものが、ペロプスが入り婿の形で王国を受け継いだものである。そのため、アトレウスは王の正嫡として王国継承の第一資格を有していた。
 ところが、父のペロブスは妾腹のクリュシッポスを溺愛し、為に母のヒッポダイメアは王国をクリュシッポスに奪われるのではないかと懸念するようになった。そして母のヒッポダイメアは、我が子のアトレウスとテュエステスに命じてクリュシッポスを殺害するよう奨めたのだった。母と同じく王国の継承権について危機を抱いていたアトレウスは、同母弟のテュエステスと語らって、異母弟のクリュシッポスを殺害する。
 だが、この殺人は父・ペロブスの知るところとなった。アトレウスは、母のヒッポダイメアと弟のテュエステスとともにピサを脱出する。
 ピサを追われたアトレウスたちは、姉妹のニキッペの嫁ぎ先であるミケーネ王国の第三代国王・ステネロスを頼って亡命した。ステネロスはこの頃、従来の支配地のミデアの他にミケーネ・ティリュンスを併呑しており、この妻の兄弟・母たちを快く迎え入れた。そして、自国のうちミデア国をアトレウス兄弟に譲ったのだった。
 アトレウスとテュエステスの兄弟は、二人でミデア国を統治した。やがて国は富み、二兄弟は富を蓄えていった。ある時、アトレウスは市で奴隷として売られていた女性・アエロペを買った。アトレウスは、やがてアエロペに手をつけ始めたのだが、そのときアエロペがクレタ王の娘で、子に殺されるという神託に恐れた父・カトレウスに奴隷として売られてしまったことを知る(奴隷と関係したため、父に追放されたともいう)。アエロペが高貴の出と知ってアトレウスは正式にアエロペを妻として迎え入れた。やがて沢山の子宝にも恵まれ、アトレウスはミケーネ王国の重臣として公私ともにそれなりに恵まれた生活を送っていたと言えよう。
 富に恵まれた生活を甘受していたアトレウスは、一方で神への感謝を怠らなかった。自分の所有する家畜の内で、その年に生まれた子羊のうちの最上のものを狩猟の神たるアルテミスに供物として捧げることを誓い、毎年これを実行していたのだ。しかし、アトレウスを試そうとしたアルテミスは、ある年、アトレウスの家畜から黄金の毛を持つ子羊を生まれさせる。欲に目がくらんだアトレウスは、アルテミスへの誓いを破りこの黄金の子羊を供物に捧げず、その皮を剥いで隠し持ったのだった。
 一方、妻のアエロペは何時の頃からか義弟のテュエステスと姦通するようになっていた。あるいは、アエロペは奴隷としてアトレウスに買われて館に奉仕していた時から、テュエステスと愛し合っていたものかもしれない。
 とまれ、この妻の不貞は後のアトレウス家の悲劇の全ての発端となった。折から、ミケーネ王国では既に義兄弟のステネロスは亡くなっており、彼らには甥にあたるエウリュステウスが国王となっていた。そのエウリュステウスはアテナイとの戦争に敗れ、ヘラクレスの子のヒュロスによって子供たちともども殺害されてしまった。王とその一族が死に絶えてしまったミケーネ王国では、その重臣たちが協議をしてデルポイの神託を仰いだ。そして下った神託は、「ペロプスの子から王を迎えるべし」というものだった。重臣たちは、アトレウスとテュエステスのどちらを選ぶべきか協議したが意見はなかなかまとまらない。その時、テュエステスは姦計を働く。すなわち、かねてより姦淫を通じていた兄の妻のアエロペに、密かに兄の所有する黄金の子羊の毛を盗み取らせ、重臣たちや兄には「黄金の子羊の毛を所有する(ほどの有徳の)者が、ミケーネ王国の王に相応しいであろう」と提案したのだった。
 これを聞いたアトレウスは、当然自分が黄金の子羊の毛を所有していると信じ込んでいたため、この弟の提案を喜んで受け入れた。だが審判の時、アトレウスは当然自分が所有するはずの黄金の子羊の毛を(盗まれたため)提出することが出来なかった。そして、あろうことか弟のテュエステスが、兄から盗み取った黄金の子羊の毛を提出したのだった。ここにアトレウスは、弟に謀られたことを悟る。だが、それも後の祭りで、重臣会議はテュエステスをミケーネ王に迎えることに決定した。こうして、弟であるテュエステスがミケーネ第二王朝の初代として王位に就いたのだった。
 だが、これを天上から見ていた大神ゼウスは、テュエステスの詐欺的な手段を嫌悪した。そしてゼウスはアトレウスに告げる。「群臣に向け宣言せよ。太陽がその軌道を逆さまにし、西より出でて東に没する時、アトレウスが王位に立つものなり」と。
 アトレウスは新王テュエステスと群臣に対して、これを告げた。テュエステスは、太陽が西から出て東に沈むことはありえないと感じたので、兄が狂ったのだと思いこの提案をすんなり受け入れて宣言したのだった。だが、翌日驚愕天地の事態が起こる。アトレウスの申し入れのとおり、太陽が西から出て、そして東に沈んでいったのだ。ここに至って、群臣たちはテュエステスが姦計を働いたことを悟り、神々が立腹していることを思い知ったのだ。
 即刻、ミケーネの王位はアトレウスに移ることとなった。そして、テュエステスは国外追放となる。だが、暫くしてアトレウスは黄金の子羊の毛をテュエステスが手に入れた経緯を調べているうちに、妻のアエロペがテュエステスと不義の密通をしていたことを知るのだった。これを知ったアトレウスは烈火の如く怒る。そして、テュエステスの国外追放だけでは生ぬるいと考え、残酷な復讐を思いつく。すなわち、アトレウスは一計を立て、テュエステスに対して和解したいことを持ちかけ、晩餐会に彼を招いたのだった。そして、テュエステスの三人の子供を殺害して、その肉を晩餐会の料理に出したのだった。それとは知らぬテュエステスは、我が子の肉を食した。その時、アトレウスは子らの首を示して料理の中身を知らしめたのだ。これを知ったテュエステスは、呪いの言葉をもって逃れ、復讐を誓う。逃亡したテュエステスは、デルポイの神託を伺うと、「自身の娘のペロピアと交わって子を得よ」と出る。これによりテュエステスは娘のペロピアと交わるのだった。
 この頃、ヘラクレスの子のヒュロスは、自分こそはミケーネの王になるのに相応しいと主張して、ミケーネに攻め入った。だが、間もなくペロポソネス半島一帯に悪疫が流行する。神託にはヘラクレスの後裔が原因であるとされたため、ヒュロスたちはアルゴス地方から立ち去ってマラトンに退いて行った。
 一方、アトレウスの行き過ぎた復讐行為は、これも神々の忌むところとなった。そのため、国内は飢饉に見舞われる。この外憂内患にあわてて神託を求めたアトレウスに、お告げはテュエステスの国外追放を解くようにと出たのだった。アトレウスはこれを受けてテュエステスを訪ね歩く。その道中、アトレウスはエピロスのテスプロトス王の王宮でペロピアに出会い、これを気に入り妻に申し受けた。テスプロトス王はペロピアの出生を偽り、自分の娘としてアトレウスに与えた。この時すでにペロピアはテュエステスの子を宿していたのだが、自分を犯した男が父親とは知らないペロピアは、子供が生まれるとこれをアトレウスに知られないようにとこっそり棄てた。子供は牧夫に拾われてアイギストスと名づけられる。
 一旦はミケーネから撤退したヒュロスだが、彼はミケーネへの帰還を諦めたわけではなく再度の侵攻を図っていた。神託を乞うヒュロスに、デルポイの神託は「第3の果実を待て」と告げる。これを「第3の収穫を待て」と間違い、ヒュロスは3年後に進軍を開始してしまった。迎え撃つアトレウスは、連合軍を率いてこれを散々に破り、ヒュロスはテゲア王エケモスとの一騎打ちに敗れて討ち死にした。ヒュロスの子クレオダイオス他は、退いてアッティカ地方のトリコリュートスに引き篭もった。
 こうして覇権を確立したアトレウスは、後に妻のペロピアに隠し子がいたことを知り、アイギストスを我が子として迎え入れて引き取って育てた。
 月日は流れ、アイギストスが成人した頃、テュエステスが捕えられ牢につながれた。アトレウスは、アイギストスにテュエステスの暗殺を命ずる。だが、テュエステスを殺害しにいったアイギストスは、自分の持つ剣からテュエステスが自分の真の父であることを知った。その剣を見咎めたテュエステスが、ペロピアに会わせるようせがんだのだ。真実を知ったペロピアは、父と交わって子を為した罪に慄き、その剣で胸を突いて自害した。全てを知ったアイギストスは、アトレウスにテュエステスを命令どおり殺害したと偽りの報告をする。アトレウスはそれを喜び、神々への感謝の祭壇をしつらえたところを、アイギストスに刺されて死んだ。

初代・三代国王−テュエステス
 テュエステスは、ピサ国王ペロプスの第二子にしてアトレウスの同母弟となる。ピサ国では第二王位継承資格者だったのだが、父のペロブスが妾腹のクリュシッポスを溺愛していたため、母のヒッポダイメアが継子のクリュシッポスに王位を奪われるのではないかと懸念してアトレウスとテュエステスを唆してこれを殺させた。
 この凶行を知った父・ペロブスは、ヒッポダイメア・アトレウス・テュエステスを追放した。三人は、姉妹のニキッペの嫁ぎ先であるミケーネ王国の第三代国王・ステネロスを頼って亡命する。ステネロスに迎えられたニ兄弟は、ミデアの統治を委託され、これを治めた。
 暫くして、兄・アトレウスが市で奴隷女のアエロペを買うのだが、テュエステスはアエロペと深く愛し合うようになる。だが、所有者であるアトレウスに気兼ねしているうちに、アトレウスがアエロペを妻に娶ってしまった。やがてアエロペにはアトレウスとの間に子が出来るのだが、テュエステスはアエロペを諦めきれずその後も二人は密通を犯してしまうのだった。
 おそらく、テュエステスはこの密通が兄・アトレウスに露見することをずっと恐れていたものだろう。そんな折、ミケーネ王国の国王エウリュステウスがアテナイとの戦争に敗れて族滅してしまった。突如空位となったミケーネ王国の王位に対して、群臣たちは協議のうえデルポイの神託を仰ぐ。神託は、「ペロプスの子から王を迎えるべし」と告げたのだった。重臣たちは、アトレウスとテュエステスのどちらを選ぶべきか協議したが意見はなかなかまとまらない。その時、テュエステスの心中によぎったのは、あるいはミケーネ王位に就けば堂々とアトレウスからアエロペを奪うことが出来るという思案だったのかもしれない。
 とまれ、テュエステスはここで詐欺的な行動に出て、兄・アトレウスの秘蔵していた黄金の子羊の毛を密かにアエロペを使って盗み出させ、群臣たちや兄には「黄金の子羊の毛を所有する(ほどの有徳の)者が、ミケーネ王国の王に相応しいであろう」と提案したのだった。
 これを聞いたアトレウスは、当然自分が黄金の子羊の毛を所有していると信じ込んでいたため、このテュエステスの提案を喜んで受け入れた。だが審判の時に当たって、アトレウスは盗まれたため黄金の子羊の毛を提出することが出来なかった。そして、テュエステスはおもむろに兄から盗み取った黄金の子羊の毛を提出する。これにより重臣会議はテュエステスをミケーネ王に迎えることに決定した。こうして、弟であるテュエステスがミケーネ第二王朝の初代国王に迎えられて王位に就いたのだった。
 だが、これを天上から見ていた大神ゼウスは、テュエステスの欺瞞を憎み、アトレウスに知恵をつけて「太陽がその軌道を逆さまにし、西より出でて東に没する時、アトレウスが王位に立つものなり」と告げさせた。
 テュエステスは、太陽が西から出て東に沈むことはありえないと感じたので、兄が狂ったのだと思いこの提案をすんなり受け入れることを宣言してしまう。だが、神の言葉により行動するアトレウスの言うとおりに、翌日、太陽は西から昇り、そして東に沈んでいったのだ。これにより、群臣たちはテュエステスが邪まな手段を用いて不正に王位に就いたことを悟り、為に神々が立腹していることを知ったのだ。
 ミケーネの王位は、即刻テュエステスからアトレウスに移ることとなった。テュエステスが王位にあったのはわずか数日だったという。
 テュエステスは新王となったアトレウスの命により国外追放となった。だが、暫くしてアトレウスは、妻のアエロペがテュエステスと不義の密通をしていたことを知る。これを怒ったアトレウスは、テュエステスに対してもっと大きな復讐を敢行することを決めた。テュエステスの三人の子供を攻め、彼らがゼウスの神殿に逃げ込んで命乞いするのも無視してこれを殺害し、四肢を切り裂いて調理したのだ。そしてアトレウスは、テュエステスに対して和解したい旨を持ちかけ、晩餐会に彼を招いたのだった。テュエステスはなにも知らないまま、我が子の肉を食してしまった。これを食し終わったとき、アトレウスは子らの首を示してテュエステスが食べたものがなんであるかを知らしめた。テュエステスは、自分が我が子の肉を食させられたことを知ると、食べたものを吐き出して食卓を足でひっくり返した。そしてアトレウス一族を呪詛し「この食卓と同じく、貴様の一族も覆るがいい」と呪いの言葉を吐いて遁走していった。
 テュエステスは再び追放の身となり、各地を転々とする。だがテュエステスは今度は、アトレウスへの怨念に凝り固まっていた。アトレウスへの復讐を敢行すべく、テュエステスはデルポイに赴いて神託を乞い伺う。託宣は、「自身の娘のペロピアと交わって子を得よ」というものだった。
 これによりテュエステスは娘のペロピアのいるシキュオーンへと向かう。テュエステスがシキュオーンに着いた当夜、そこではアテナへの祝祭が繰り広げられておりペロピアは乙女たちの輪舞のリーダーをつとめていた。ところがペロピアは足を滑らせてしまって、その衣服を生贄の獣の血で汚してしまった。そこで彼女は衣服を洗うために輪舞の輪から外れて河へ向かった。河で血に汚れた衣服を脱ぐペロピア。と、そこへ茂みの中に隠れていたテュエステスが、顔を隠してペロピアに襲い掛かり犯した。自分を犯した男が父とは知らないペロピアは、この時こっそりとテュエステスの剣を抜き取ってそれをアテナ神像の下に隠したという。
 こうして神託を実行したテュエステスは、再びいずくかへと行方をくらました。
 一方、テュエステスの行方を捜索していたアトレウスは、その道中、エピロスのテスプロトス王の王宮でペロピアに出会い、恋をした。テスプロトス王はペロピアの素性は告げずに、自分の娘と称してアトレウスに与え、二人は夫婦となったが、この時すでにペロピアはテュエステスの子を宿していた。やがて子供が生まれるとペロピアは、これをアトレウスに知られないようにとこっそり棄てた。その子供は牧夫に拾われてアイギストスと名づけられる。しかし後にこの棄児のことはアトレウスの知るところとなり、アトレウスは妻の隠し子であるアイギストスを我が子として宮廷に迎え入れて引き取って育てる。
 月日は流れ、アイギストスが成人した頃、テュエステスは復讐の次なる方策を伺うために再びデルポイに赴いた。だが、奇しくも、アトレウスの子(孫とも言う)のアガメムノンとメネラオスがテュエステスの行方を尋ねるためにデルポイに来ていた。テュエステスは二人に捕えられ、ミケーネの城塞の牢に入牢された。アトレウスは更に、アイギストスにテュエステスの暗殺を命じてペロピアの剣を渡す。だが、テュエステスは自分を殺害しにきた若者が持つ剣を見て、アイギストスに剣の出所を尋ねた。アイギストスは、その剣が自分の母の持ち物であることを告げる。それを聞いたテュエステスは、その母という女性に会わせるよう頼み込んだ。テュエステスの執拗な要望に根負けしたアイギストスは、母のペロピアを連れてくる。二人が対面したとき、全てを知ったテュエステスは自分こそがアイギストスの父であることを告げ、これまでのいきさつを語ったのだ。だが、真実を知ったペロピアは、父と交わって子を為した不義を恥じて、その剣で胸を突いて自害した。アイギストスは、テュエステスを殺害することを放棄し、自害した母の血のついた剣を持って、アトレウスにはテュエステスを命令どおり殺害したと偽りの報告をする。アトレウスはそれを大いに喜び、神々への感謝の祭壇を海岸にしつらえたが、祭壇の横に立っているところをアイギストスに刺されて死んだ。アトレウスの子(あるいは孫)のアガメムノンとメネラオスは乳母に護られて王国を脱出したという。
 アイギストスによって、再びテュエステスはミケーネ王国の王となった。だが、スパルタに逃れていたアガメムノンとメネラオスは、やがて頑健な青年へと育ち、スパルタ王のテュンダレオスの助力を得て大軍を率いてミケーネに攻め入って来た。この勢いにテュエステス父子は当たることが出来ず、テュエステスは敗れ、子のタンタロスも子供もろともアガメムノンに殺害されてしまう。テュエステスは、ヘラの祭壇へと逃れた。通例では、神の祭壇に逃れた者は例え罪人といえども匿われ、また、攻める側もこの命を奪ってはいけない仕来たりであった。そのため、アガメムノンとメネラオスも迂闊に攻め入ることは出来なかったので、テュエステスに、キュテリアに隠棲するならばその命を救うことを約束した。万事休すと感じたテュエステスはその申し出を了承し、ミケーネを明け渡してキュテラ島に赴く。
 やがてテュエステスは、そこで客死した。

四代国王−アガメムノン
 アガメムノンは、アトレウスの子、あるいは孫とも伝えられている。ミケーネの王族として生まれた彼は、また、将来のミケーネ王国継承者の資格を誰よりも濃く有していた。
 神話上に表れるアガメムノンの最も最初の活動は、前述の、テュエステス逮捕のためにデルポイへ赴いたことである。アトレウスは、自分の王位を脅かす最大の敵として、テュエステスの命を絶つことを狙っていた。そのため、アガメムノンとメネラオスに命じて、デルポイの神託を伺ってテュエステスの行方を探ろうとしたものだった。アトレウスの命により、アガメムノンとメネラオスはデルポイへ赴く。と、そこには、運良くテュエステスも神託を聞きにやって来ていたのだった。アガメムノンとメネラオスはテュエステスを捕えると、意気揚揚としてミケーネに帰国した。
 テュエステスはアトレウスの命により牢に繋がれた。そしてアトレウスはテュエステスの暗殺をアイギストスに命じた。だが、アイギストスは自分の本当の父がテュエステスだと知り、逆にアトレウスを殺害する。そして、ミケーネの実権を手に入れたアイギストスはテュエステスを王位に就けた。このため、アガメムノンとメネラオスはミケーネから脱出するのだが、ある説によればアガメムノンはまだ成人しておらず、弟のメネラオスにいたっては幼少の身だったという。そのため、アガメムノンとメネラオスは乳母に救い出されて脱出したという。(こちらの説が真実ならば、前述のデルポイでのテュエステス逮捕劇は虚構なのかもしれない。二人の父でアトレウスの子であるというプレイステネスをこの役に当てはめたほうが良いかもしれない)
 アガメムノンとメネラオスは、乳母に連れられてシキュオーンのポリュペイデスの元に避難した。そしてポリュペイデスはカリュドンのオイネウス王のところへアガメムノンとメネラオスを送って、二人はここで匿われた。だが、オイネウスの治める国も内戦が激しかったようで、オイネウス自身も後には国を追われることになったほどである。時期的にこの頃であるかどうか不明ではあるが、やがてアガメムノンとメネラオスはスバルタのテュンダレオス王を頼って、ここで青春期を過ごしたという。あるいはこの時、アガメムノンはテュンダレオスの娘のクリュタイムネストラを見染めていたものかも知れない。だが、やがてクリュタイムネストラはアガメムノンの宿敵・テュエステスの息子のタンタロスに嫁いでいった。強国ミケーネに迫られた時、テュンダレオス王もこれを拒みきれなかったのであろう。
 この頃の出来事と見られることに、天上界では一つの事件が持ち上がった。海の女神テティスとプティア王ペレウスの婚姻に、神々が祝宴を張ったのだが、この時神々の王ゼウスは不和の神エリスのみは結婚式には不似合いとしてこれを招かなかったのだ。このことに立腹したエリスは、祝宴の場に乗り込んで一同の前に「一番美しい女性へ」と書かれた黄金の林檎を投げ入れた。この林檎の所有をめぐって、結婚の神にして神々の女王であるヘラと、戦いの神アテナと、美の神アプロディアの三女神が諍いを始めた。仲裁に困惑したゼウスは、この判定を然るべき時に然るべき者に委ねると宣言して、林檎を預ったのだった。
 月日は流れ、アガメムノンもメネラオスも頑健な青年へと成長した。頃は善しと見たテュンダレオス王は、アガメムノンとメネラオスを助けるために軍を起こし、テュエステスが治めるミケーネ国に攻め入った。テュンダレオスに、クリュタイムネストラを妻に申し受ける内諾を得ていたアガメムノンは、テュエステス軍を破ると城館に攻め込みこれを落とす。そしてタンタロスを斬殺して、タンタロスとクリュタイムネストラとの間に出来ていた幼い子供たちをも殺害して、クリュタイムネストラを奪った。また、宿敵のテュエステスは、敵し難しと見るやヘラの祭壇へと逃れた。神の祭壇に逃れた者を殺害することは出来ないので、アガメムノンとメネラオスはテュエステスに対して、キュテリアに隠棲するならばその命だけは救うことを約束する。テュエステスはその申し出を了承し、降伏する。だが、この乱戦のさなかアイギストスのみは巧みに脱出を果たしたのであった。
 ミケーネを奪還したアガメムノンは、晴れてミケーネ王国の王となった。そして、約定に従ってテュエステスをキュテラ島に追放し、かつ、クリュタイムネストラを自分の妻としたのだった。
 この少し後、アガメムノンの妻の妹であり、恩人テュンダレオス王の娘であるヘレネは絶世の美女に育っており、各地から求婚者が殺到するようになっていた。アガメムノンは、弟メネラオスのためにヘレネ求婚の手助けをしたという。当初、テュンダレオス王は求婚者の数があまりにも多いことから、誰か一人を選ぶと暴動が起こるのではないかと恐れて返事を渋っていたが、求婚者の一人であるオデュッセウスの入れ知恵により、ヘレネ自身が選んだ婿を求婚者全員が助けるという約束をさせて、ヘレネ自身に結婚の相手を委ねた。ヘレネが選んだのはメネラオスだった。メネラオスの贈り物が一番豪勢だったためとも云うが、あるいは二人はアガメムノンとメネラオス亡命中は一緒にスパルタで過ごしていたため、ほのかに想いあっていた可能性も否定できない。
 これによりメネラオスとヘレネは結婚をし、やがてメネラオスは義父のテュンダレオスの後を受けてスパルタ王となった。ここにアガメムノン兄弟はペロポソネス半島の大部分を領有する最強の王となった。他のギリシア諸国の王に対しても、一種の宗主的な存在となって権力を掌握したのだ。
 更に月日は流れる。
 ゼウスは、かねて約束していた林檎の所有権について裁定を下すべく、トロイア王国の王子で、その出生の不吉ゆえに野に下されていたパリスを審判者に任じた。パリスの前にヘラ、アテナ、アプロディアの三女神が好餌をちらつかせる。ヘラは全世界の覇権を、アテナは全ての戦いにおける勝利を、そしてアプロディアは世界一美しい女性を与えることを申し出たのだった。その結果、パリスが選んだのはアプロディアだった。アプロディアはその約束を履行すべく、パリスをトロイア王国の王子に復し、使節としてスパルタへ赴くよう仕向けた。ここでパリスはメネラオス夫妻に歓待を受けるのだが、メネラオスはすぐに所用によりスパルタを留守としてしまった。留守を預ったヘレネは、アプロディアの力により心を惑わされ、パリスと駆け落ちしてトロイアへ去っていってしまう。
 これを知ったメネラオスは、怒りに震えながら兄アガメムノンに訴えた。弟の受けた恥辱は自分の恥辱であるとしたアガメムノンは、全ギリシアの諸侯に命じてトロイア征討の軍を起こした。その顔ぶれは、イタカのオデュッセウス、サラミスの大アイアス、ロクリスの小アイアス、アルゴスのディオメデス、アテナイのメネステウス、クレタのイドメネウス、ピュラカイのプロテシラオス、ピロクテテス、マカオン、ロドスのトレポレモス、等等であった。そしてその中には全身が不死の身の英雄アキレウスもいた。
 アガメムノンを頭とするギリシア軍は大船団をアウリスに集結した。だが、海は暴風雨が幾日も続いて、船を進めることが出来ない。困り果てたアガメムノンは、予言者カルカスにこれを尋ねた。カルカスの占った結果は、かつてアガメムノンが狩猟の折に狩猟の女神アルテミスを侮辱するような言動をしたこと、およびアトレウスが黄金の子羊を差し出さなかったことに対して怒っているためだということであった。そのため、アルテミスはアガメムノンの娘のイピゲネイアを犠牲の供物に望んでいるという。これを聞いたアガメムノンは苦悶しつつも、イピゲネイアを犠牲に差し出すことを決断した。国許へイピゲネイアを迎えにやる使節を派遣し、言葉巧みに、イピゲネイアを英雄アキレウスの嫁にやることが決定したと偽ってこれを呼び寄せたのだ。だが、この時妻のクリュタイムネストラも、娘の婚姻に出席しようと期待に胸を弾ませて同行してきてしまった。アガメムノンはクリュタイムネストラに責められながらも、強引にイピゲネイアを生贄に差し出して殺害した。これにより、ギリシャ軍は無事出航が叶った。だが、傷心で帰国したクリュタイムネストラは、以前アガメムノンに元の夫と幼子を殺され、今また娘のイピゲネイアを殺されたことを深く恨むようになった。
 トロイアに行き着いたギリシア軍とトロイア軍は、互いに争って戦争は長期化した。そしていつしか戦争は戦端が開かれてから10年が経とうとしていた。
 その10年目、アガメムノンは些細なことからアキレウスと諍うこととなった。その発端はアガメムノンが戦利品として分捕った神官の娘クリュセイスが太陽神アポロンの神殿の娘だったため、アポロンが激怒してギリシア軍に悪疫を流行らせたことにあった。お告げによりこの悪疫の原因がアガメムノンの捕虜にあると知ったアキレウスは、アガメムノンにクリュセイスの返還を迫った。だが、このアキレウスの態度に怒りを覚えたアガメムノンは、クリュセイスを返還するかわりにアキレウスの戦利品の奴隷を引き渡すよう要求した。諸将がこれを承認したため、アキレウスは奴隷女をアガメムノンに引き渡したが、面目を潰されたアキレウスは激怒して以後の戦闘を放棄してしまった。
 勇将アキレウスのいなくなったギリシア軍は劣勢に立たされる。神託ではアキレウスが参戦しなければ、ギリシア軍の勝利は覚束ないという。ここに我を折ったアガメムノンは、アキレウスに対して謝罪をし、かつ莫大な贈り物と奴隷の返還、そして自分の娘のうち任意の者をアキレウスに嫁がせることを申し出た。だが、アキレウスはそれでも怒りを納めず戦争に参加しなかった。戦況は益々ギリシア軍に不利となり、これを憂いたパトロクロスは、親友のアキレウスの鎧を借り受けて戦場に向かい、そしてトロイア王子ヘクトルに討ち果たされた。親友パトロクロスを討たれて報復の念に燃えたアキレウスは、ついに出馬して勇将ヘクトルを討つ。だが、その後の戦闘でアキレウスはパリスの矢を、その唯一の弱点である踵に受けて絶命した。
 アキレウスを失ったものの、最も手強いヘクトルがいなくなってギリシア軍は勢いづいた。そして、ギリシア軍一の知将・オデュッセウスの計略により、木馬を築いてその中に兵を忍ばせて撤退するふりをした。これを見たトロイア国は、ギリシア軍が去っていったことを喜び、この神への供物の木馬を城内に入れることとした。その際、木馬が大きすぎたため、トロイア城の門の梁まで壊してしまったという。まんまと城内に入ったオデュッセウスたちは、城外のギリシア軍を引き入れ瞬く間にトロイア城を陥落させ、ついにトロイアは滅亡した。世にこれを「トロイの木馬の計」という。
 トロイアの王女カッサンドラを戦利品として妾にしたアガメムノンは、莫大な財産を携えてミケーネに帰国した。これを后のクリュタイムネストラが迎える。だが、夫の行跡を憎んでいたクリュタイムネストラは、あの復讐者・アイギストスと情を通じていた。アイギストスの指示によりクリュタイムネストラはアガメムノンを歓待する振りをして入浴を勧め、袖が閉じられた下着を渡してアガメムノンが難儀しているところを、アイギストスと二人で刺し殺した。妾のカッサンドラもこのとき一緒に殺害されたという。

五代国王−アイギストス
 テュエステスの子。母はテュエステスの娘のペロピア。アイギストスが生まれた時、母のペロピアはミケーネ国王アトレウスの妻に迎えられていたが、ペロピアは誰とも知れない男に犯された果てに出来たアイギストスの存在を夫に知られるのを怖れて、アトレウスに知られないようにとこっそり棄てた。子供は牧夫に拾われてアイギストスと名づけられる。その後間もなくアトレウスが彼を発見して、アイギストスがペロピアの子であることを知ると自分の実子と思い込んで、アイギストスを宮廷に迎え入れて育てた。
 アトレウスの子として育ったアイギストスが成人した頃、アトレウスの敵のテュエステスが捕えられてきて獄に繋がれた。アイギストスはアトレウスの命を受けて母の剣を託されて、テュエステスを刺殺しに牢に入っていった。だが、アイギストスの持つ剣を見たときテュエステスは顔色を変える。そして執拗にその剣の出所をアイギストスに尋ねるのだった。アイギストスは、その剣が自分の母の持ち物であることを告げる。するとそれを聞いたテュエステスは、今度はその母という女性に会わせてくれるよう頼み込んできた。テュエステスの執拗な要望に根負けしたアイギストスは、母のペロピアを連れてきてこれを逢わせた。二人は対面して、一目でそれが娘であり父であることを認め合った。そして、全てを知ったテュエステスは驚愕の事実をアイギストスに告げる。それは、自分こそがアイギストスの父であるというものであった。テュエステスは語る。兄のアトレウスが自分の子供を料理してそれを食べさせたこと、デルポイの神託によってペロピアと交わってアイギストスが生まれたこと。これを聞いて母のペロピアは実父と交わって子を為した不義を恥じて、その剣で胸を突いて自害した。そして、テュエステスは今こそ定めに従ってアトレウスを討つようにと、アイギストスに告げるのだ。
 実父がテュエステスであることを知り、かつ父の受けた数々の仕打ちを聞いたアイギストスは、義父のアトレウスを討つことを決意する。そして、自害した母の血のついた剣を持って、アトレウスにはテュエステスを命令どおり殺害したと偽りの報告を為す。アトレウスはその報告を聞いて大いに喜び、神々への感謝のために祭壇を海岸にしつらえた。アトレウスが祭壇の横に立っているところを、アイギストスは近づいて、そしてアトレウスを刺し殺した。アイギストスの軍はたちまちのうちに王宮を制圧する。この騒動の中、アトレウスの子(あるいは孫)のアガメムノンとメネラオスは乳母に護られて王国を脱出したという。
 こうしてミケーネ王国はアイギストスの手に落ちた。アイギストスは父のテュエステスを王位に就け、実権を握った。
兄タンタロスはスパルタ王テュンダレオスの娘のクリュタイムネストラを妻に強要して奪い取るなど、一族の専横が続く。
 だが、スパルタに逃れていたアガメムノンとメネラオスがやがて頑健な青年へと育つと、スパルタ王のテュンダレオスの助力を得て大軍を率いてミケーネに攻め入って来た。奢るテュエステス父子は、国内の支持を失っていたのであろう、アガメムノンとメネラオスの軍勢に当たることが出来ず、敗れさる。兄タンタロスは幼子もろともアガメムノンに殺害され、テュエステスも、ヘラの祭壇へと逃れてアガメムノンとメネラオスに囲まれ、キュテリアへの隠棲を条件にミケーネの王位を明け渡した。キュテラ島に赴いたテュエステスは、後にそこで客死した。
 一方、アガメムノンとメネラオスの軍勢から逃れてミケーネを脱出したアイギストスは、以後暫く消息を絶つ。
 それから約20年の歳月が経った。当時ミケーネに君臨していたアガメムノンは、トロイアとの戦争に出かけミケーネを不在とした。その好機を捕えアイギストスはミケーネに舞い戻ってきた。アイギストスはかつての兄嫁だったクリュタイムネストラを頼る。クリュタイムネストラもまた、先にアガメムノンに先夫と幼子を殺され、また今回には娘のイピゲネイアを生贄に殺されたことを深く恨むようになっていたのだ。この心の隙に乗じてアイギストスはクリュタイムネストラと姦通する。そしてクリュタイムネストラの心を捕えたアイギストスは、アガメムノンの子供たちが幼いのを良い事に、ミケーネを影から操るようになったのだ。
 10年の激闘の後、国王のアガメムノンは勝利を収めて帰国してきた。そのアガメムノンを、アイギストスは姦計を用いて風呂場にて二人で刺し殺した。続いて、将来の敵となるであろう王子のオレステスを共に殺害しようと図るのだが、姉のエレクトラの機転によりオレステスは守役に護られて落ち延びていった。王殺害の凶行を捕虜のカッサンドラの責として罪をなすりつけたアイギストスは、クリュタイムネストラをして王不在の空位を埋めるため再婚した者を王にすると宣言させた。そして、自分がまんまと結婚相手となり、ミケーネの王となったのだ。
 ミケーネ国王となったアイギストスは、クリュタイムネストラとともになにかと反抗的なエレクトラを迫害し続けた。だが、9年の後(7年後ともいう)成人したオレステスが、アガメムノンの仇を討つために密かに帰国した。商人に扮装したオレステスは、オレステスが異国で果てたためその遺骨を持参したと偽って参内し、喜んでアイギストスとクリュタイムネストラは形だけの弔意を見せて商人を目通りさせた。だが、オレステスと親友ピュラデスによりアイギストスとクリュタイムネストラは討ち果たされてしまう。
 復讐者は復讐者によってその命を絶たれたのだ。

六(七?)代国王−オレステス
 オレステスは、アガメムノンとクリュタイムネストラの子である。アガメムノンの嫡子として、ミケーネの社稷を継ぐ身だった。早くから、従姉妹(父の弟メネラオスの娘)のヘルミオネとの婚約が父たちの手によって約されていた。ところが、生まれてわずかの時に父王アガメムノンはトロイアとの戦争に出かけて行ってしまい、以後ずっとミケーネを留守にしていた。その際、父は神への生贄に長姉イピゲネイアを差し出したため、母クリュタイムネストラはアガメムノンを深く憎むようになった。そんな母に、一族でありアガメムノンを憎むアイギストスが近づいたため、母クリュタイムネストラはこれと情を通じるようになり、オレステス姉弟を顧ることがなかったという。そのためオレステスは、次姉エレクトラに養育されたということである。オレステスはクリュタイムネストラよりもエレクトラに懐き、ニ姉弟は寄り添うように生きてきた。
 未だオレステスが年少な折、父アガメムノンはトロイアとの戦争に勝利を収めて凱旋してきた。長年トロイアと戦い抜き、そしてギリシア軍を勝利へ導いた父はオレステス姉弟の誇りだった。だが、父を憎み愛人と通じていた母のクリュタイムネストラは、愛人のアイギストスと謀って、アガメムノンを歓待する振りをして入浴させ、袖が閉じられた下着を渡してアガメムノンが何も見えずに難儀しているところを、アイギストスと二人で刺し殺したのだった。クリュタイムネストラは、我が子オレステスをも、生かしておいては将来の災いと見て殺害しようと考えた。だが、これをいち早く察したエレクトラは、守役にオレステスを託して父の義弟にあたるポキスのストロピオスの元へと落ち延びさせた。
 ポキスに逃れたオレステスは、ストロピオスの子で自分には従兄にあたるピュラデスと親友となって育った。国許からは折々に姉のエレクトラから日用品が届いたという。また、その届け物のなかには決まって「何時の日にか父の仇を討ってほしい」との手紙が添えられていたという。オレステスはその薫陶を受けて、父の仇を討つべくピュラデスともども武技に勤しむ。だが、ピュラデスの父のストロピオスは、復讐には消極的で二人を押さえていた。
 ある時から、姉のエレクトラからの便りがなくなった。なにかと反抗的なエレクトラに対し、国王を僭称していたアイギストスとクリュタイムネストラは王女の身分を剥奪し、奴隷の身分に落としてこれを酷使し始めたのだ。だが、国許のことを伺い知ることのできないオレステスは、便りのないことを心配しながらもなにも出来なかった。
 焦燥のうちにようやく成人したオレステスは、いよいよ復讐に動き始めた。ストロピオスは相変わらずミケーネ王国と事を構えるつもりがなく、二人をたしなめるばかりだ。オレステスとピュラデスはアポロンの神託を伺うと、「復讐すべし」と出たため意を決し、ポキスを出奔した。二人の計画は、商人に扮装してオレステスが死んだと偽りの報告をして、城に潜り込んでアイギストスとクリュタイムネストラを斬るというものだった。ミケーネ入りした二人は、まず父アガメムノンの墓に参って、復讐の誓いに己が髪を切って墓前に供えた。と、そこへ身分の卑しい奴隷女がやってきて墓に額ずいた。オレステスとピュラデスは草叢に身を隠すのだが、奴隷女は墓の髪に気づき周囲を見渡したため、二人は止む無く姿をあらわした。奴隷女はしきりに墓に捧げられた髪の持ち主のことを聞いてくる。そのため二人はかねての計画どおり、オレステスが客死したためその遺骨を王宮に届けるところであると告げるのだった。その言葉に泣き崩れる奴隷女は、遺骨はぜひ自分に下げ渡してくれるよう懇願した。それを断る二人だが、奴隷女は自分はこの遺骨の主のオレステスの姉のエレクトラであり、菩提を弔うのは自分をおいて他にはないことを力説してきた。この言葉を聞いて驚いたオレステスは、奴隷女の顔をもう一度見つめた。そしてその顔には幼い日に生き別れた姉エレクトラの面影が確かにあったのだ。
 ここに至ってオレステスは自分の正体を姉に明かした。エレクトラは弟オレステスの帰還を驚喜して、王宮への先導役を買って出た。アイギストスとクリュタイムネストラは、エレクトラからオレステス客死の報を受けてこれを喜んだ。しかし、表向きは弔意を示して、オレステスが死んだことを告げた商人の目通りを許してその報告と遺骨を受け取ることとした。報告に赴いたオレステスとピュラデスは、眼前にアイギストスとクリュタイムネストラがいることを確認して、先ずアイギストスを切り殺した。オレステスの面体を確認して母クリュタイムネストラは必死に命乞いを始める。その姿に躊躇いを感じたオレステスではあったが、エレクトラとピュラデスの励ましもあって、オレステスは自ら母を斬り捨てる。オレステスの復讐はここに成就したのだ。
 だが、このオレステスの母殺しはいくら父の仇といえども、群集の忌み嫌うところとなった。祖父のテュンダレオスは娘のクリュタイムネストラを殺害したオレステスたちを死刑にすべきだとして民衆を煽動する。折から、船が難破して帰国が大幅に遅れていた叔父メネラオスが、ミケーネに立ち寄った。オレステスたちはこの叔父を頼って救助を依頼したのだが、群集たちの勢いを見たメネラオスは怖気づいてオレステスたちを見捨てようとする。斯なる上はとオレステスたちは、メネラオスの妻子のヘレネとヘルミオネを人質に取る。これは太陽神アポロンの仲裁で和解がもたらされるが、オレステスは国外追放となった。このころから、オレステスは母殺しの罪により狂気に陥り、復讐の女神エリニュスたちに追いまわされるようになったという。
 オレステスたちは各地を彷徨う。婚約者だったヘルミオネは、叔父の不実によりアキレウスの子のネオプトレモスと結婚させられていた。だが、ネオプトレモスはトロイアで捕虜にしたヘクトルの后のアンドロマケを妾として寵愛して、ヘルミオネを顧ることがなかった。嫉妬に狂うヘルミオネはアンドロマケを殺害しようと企てるが、企みは呆気なく露見。ネオプトレモスに知られれば身の危険を招くとして恐怖に襲われていた。その折にオレステスがエペイロスを訪れ、ヘルミオネを連れだした。そしてオレステスはデルポイに赴いていたネオプトレモスを神殿にて殺害したという。
 一方、狂気の続くオレステスはこの狂気から逃れるべく、デルポイの神託を仰いだ。すると、アレスパゴスの裁判を受けて無実を勝ち取るように神託は下った。このアレスパゴスの裁判で、オレステスはアテナを裁判長に、アポロンを弁護人に、エリニュスたちを検事に回して裁判を戦った。結果、有罪無罪の票は同数だった。そこで裁判長のアテナも一票を投じたので、オレステスの無罪が決定した。
 だが、その後もオレステスの狂気は止まない。これに対してアポロンはタウリスのアルテミス神像を持ち帰ってミケーネに安置することを告げる。オレステスとピュラデスはタウリスへと赴くが、この地は外来者は全てアルテミスへの捧物として殺すことになっていたため、二人は捕えられる。だが、ここで巫女の一人が、ミケーネのアガメムノンへ手紙を届けてくれるなら二人を助命すると持ちかけてきた。不思議に思ってこの巫女の素性を問いただすと、彼女こそは去るトロイア戦争の出航に当たって供物として犠牲にされた長姉イピゲネイアだったのだ。イピゲネイアは、供物にされたときアルテミスの慈悲により鹿とすり返られて、このタウリスの地でアルテミスの巫女となっていたのだという。イピゲネイアに助けられてオレステスとピュラデスは首尾よくアルテミス神像を持ち帰った。その帰還の途中、ズミンテ島でオレステスとイピゲネイアはもう一人の一族にめぐり合う。それはクリュセイスがアガメムノンとの間にもうけたクリュセスだった。タウリスの王トアスがオレステスを追って攻め寄せて来たところを、オレステスと異母弟クリュセスは力を合わせて返り討ちにした。
 いよいよオレステスがミケーネに帰還する日が来た。一説にはこのオレステス不在のミケーネは一時的に叔父のメネラオスが預っていたともいい、またある説にはアイギストスとクリュタイムネストラの息子であるアテレスが支配しており、オレステスはこの異父弟を討ち滅ぼしてミケーネに入ったとも云う。ここにオレステスは正式にミケーネ王国の王位を継いだのだ。
 オレステスはここでヘルミオネを后に迎えたとも、アイギストスとクリュタイムネストラの娘のエリゴネを娶ったともいう。やがて、王不在となったアルゴス国や叔父メネラオス亡き後のスパルタ国も併呑して領有するようになったという。そしてアルカディアの大部分を征服して治めたということである。
 姉のエレクトラは親友ピュラデスと結婚して二子を設け、イピゲネイアは再びアルテミスの女神官になったという。オレステスは長くミケーネを支配して、老齢になったとき、蛇に噛まれて死に、アルカディアのテゲアに埋葬されたということである。

七(八?)代国王−ティサメノス
 
オレステスの子。詳しい伝はほとんど伝わってないが、恐らくはオレステス死後、ミケーネ王国を継いだものであろう。このティサメノスが王位にある時、ヘラクレスの子孫たちがヒュロスの曾孫のテメノスを頭として、ドーリア人を引き連れて来襲した。テメノスは、ヒュロス以来のミケーネへの帰還を夢見てデルポイの神託を仰いだ。だが、神託は曽祖父ヒュロスの受けたものと同じく「第3の果実を待って後、ペロポソネスを征服するであろう」というものであった。この神託に腹を立てたテメノスは、神託が間違っているとして非難する。しかし、プティアの巫女は、間違っているのは彼らのほうである、なぜなら「果実」とは「年」を意味するものではなく、「世代」のことを指すのだから、と告げた。これを聞いてテメノスは、ヒュロスから数えて三代目たる自分がペロポソネスを征服する運命にあることを確信し、多くの一族を率いてミケーネに攻め入った。
 ヒュロスの受け取った神託の一つに、「狭き所より渡れ」というものがあったため、これをコリントス地峡のことだと解釈したテメノスの父・アリストマコスは、コリントス地峡より攻め入ったが、敗死した。
 次にテメノスは、この「狭き所」を狭い海峡であるコリントス湾のことであると解釈して、艦隊を調えて攻め入った。だが、遠征の始めにデルポイの神託に伺いをたてるのを怠ったため、弟のアリストデモスは雷に打たれて死んだ。また、軍の一員のヒッポテスは、予言者を敵のスパイと勘違いして撃ち殺してしまったため、艦隊は難破してしまった。
 だが最後の試みでなんとかコリントス湾を越えたテメノスは、リオンに辿り着いて軍を進めた。ここでテメノスは、「三つ目の男を案内者として使うべし」とのデルポイの神託に従って、三つ目の男を捜した。そこへ、隻眼のロバに跨った男・オクシュロスを彼らは見つける。テメノスはオクシュロスを道案内に仕立ててミケーネに迫った。
 ここでティサメノスはテメノスたちの軍に散々に打ち破られた。テイサメノスはアカイアに避難をしたが、その後テメノスと戦って戦死したともいう。またある一説では、テイサメノスはアカイアに避難をしたのち、その地のイオニア人と争い死んだともいう。
 こうして、ミケーネを始めとするペロポソネス地方は、ヘラクレスの子孫たちとドーリア人の支配するところとなった。そしてそれは幾世紀にも渡って栄えたミケーネ文明の崩壊でもあり、後の世にいう「ギリシア暗黒時代」の始まりでもあった。
 


ペルセウスに至るまでの家系

 天空神ウラノスと大地の神ガイアが交わり、たくさんの神々が誕生した。彼らをティタン神族と称す。そのなかの大洋神オケアノスとテテュスが結婚をし、河神イナコスが誕生する。
 イナコスは、ポセイドンとヘラがアルゴスの地を争ったとき、その審判者となってイナコスはヘラに軍配を上げたという。以後、イナコスは最初のアルゴスの地の王として君臨する。姉妹のメリアを娶り、子にポロネウスとアイギアレウス、イオが生まれる。だが、娘のイオはゼウスに犯され、怒ったイナコスはゼウスを呪ったのだが、逆にゼウスにより発狂させられてしまい、ハリアクモン川に飛び込んだという。その川は以後イナコス川と呼ばれるようになったという。
 アイギアレウスは子がなく死んだが、ポロネウスはアルゴスの地の王国を受け継いでペロポソネス半島(後の名称)全域を支配した。そしてニムフのテディレケと結婚し、アピスとニオベが生まれた。ポロネウスは火を発見したといい、また、アルゴス市近辺にヘラを祭ったヘライオナ神殿を創建したという。
 アピスは、ポロネウスの死後アルゴスの地の王となった。だが彼は暴虐な君主で、それが為に殺害されたということである。
 アピスには子がなかったため、姉妹のニオベの子のアルゴスが継いだ。アルゴスは大神ゼウスの子であるという。アルゴスは自分の名をとって初めてこの国を「アルゴス国」と名づけたのだ。エウアドネを妻として、エクバソス、ペイラス、エピダウロス、クリアソスをもうけた。
 アルゴの後を継いで王となったのは、クリアソスだ。クリアソスの伝はほとんど伝わってなく、恐らくはクリアソス死後はアルゴス王家は断絶して別の氏族の王が立ったものであろう。
 彼の兄弟のエクバソスからはアゲノルが生まれる。
 アゲノルの子にはアルゴスが生まれる。このアルゴスは、多くの目をもつ巨人だった。アルカディア地方を荒らしまわっていた牡牛を退治したり、アルカディアで家畜を奪って人々を難儀させていたサテュロスを倒したりした。また、通行人をさらって喰らっていた蛇の怪物エキドナを眠っている隙に捕えてこれを撃ち殺してアルカディアを救っている。アルゴスはイスメネと結婚して、イアソスをもうけた。彼には孫にあたるイオがゼウスに見初められ、ヘラの嫉妬から逃れるときにイオは牝牛に変えられてヘラに下げ渡された。ヘラはアルゴスを番人に任命した。アルゴスは目が多いため、ある目が寝ても他の目は起きているため、24時間中見張ることが可能だったのだ。イオの身を案じたゼウスは旅人の神ヘルメスに命じてアルゴスを殺害してイオを解放した。ヘラはアルゴスを哀れんでその目を自分の鳥の羽に移植した。それが孔雀なのだという。
 アルゴスの子のイアソスは、娘イオをもうけた。一説にイアソスはアルゴスを治めたともいう。
 イオは、先述のとおり、ゼウスに見初められヘラの嫉妬から逃れるためにゼウスによって牝牛に変えられてしまった。ヘラはアルゴスを番人に任命してイオを見張らせた。アルゴスはゼウスの命を受けたヘルメスによって退治されたがイオの受難は続き、ヘラは虻を差し向けたため。イオは逃亡してエジプトまで逃げたということである。エジプトでイオはゼウスに人間の姿に戻してもらい、セラ゛ウスがイオに触れると息子のエパポスが生まれたという。だがまだ諦めないヘラは、クレスたちに命じてエパポスをさらう。イオは息子を探してシリアを回り、ようやくエパポスを取り戻す。そしてエジプトの王テレゴノスと結婚した。
 エパポスは、義父テレゴノスの死後王位を継ぎ、エジプト王となる。エパポスはメムピスを娶って娘リビュエをもうける。
 リビュエは海神ポセイドンと婚姻し、アゲノルとベロスが生まれる。アゲノルはフェニキアに去ってその地で王になり、アゲノルの子孫からはミノア王家とテーバイ王家が出る。
 ベロスはエジプトに留まり、エパポスの後を継いでエジプトを支配した。アンキノエを娶って、アイギユプトスとダナオス、その他多くの子が生まれた。
 ベロスは、アイギユプトスにはアラビアを、ダナオスにはリビュアを与えた。アイギユプトスはメラムポデスを征服し、自分の王国を「エジプト」と名づけた。だが、アイギユプトスは勢いが盛んになると今度は兄弟のダナオスの領土を狙い始めた。アイギユプトスには50人の息子が、そしてダナオスには50人の娘がいたため、アイギユプトスは50人の息子すべてをダナオスの50人の娘と結婚させて王国を相続しようと謀る。これに気づいたダナオスは50人の娘をつれて国を棄てて逃亡する。この時、ダナオスはアテナの助けを借りて船の最初の建造者となったという。船に50人の娘を乗せて逃亡したダナオスは、やがてアルゴスの地に着く。当時アルゴスには別の氏族の王がいたが、ダナオスは自分の血統をたてに王位を要求する。アルゴスの人たちはこの要求を討議したが、ある夜、一匹の狼が牛の群のボスの牡牛を殺すという事件があった。これを「外来者がやってきて栄える」前兆であると考えた人々は、ダナオスを王に迎えたという。あるいは、ダナオスは水に乏しいアルゴスの地に井戸の掘り方を教えたので人々に推されて王になったとも言う。アルゴスの王になったダナオスのもとへ、アイギユプトスの50人の息子がダナオスの50人の娘に求婚にやって来た。彼らは父のアイギユプトスに、「ダナオスが生きているうちは帰ってくるな」と厳命されていたため必死だった。その気迫に負けたダナオスはこれを拒むことが出来ず、彼らを迎え入れることを余儀なくされた。しかし、ダナオスは50人の娘に「彼らを初夜の日に刺し殺せ」と命令した。娘たちはダナオスの言葉どおり、花婿たちを刺し殺す。だが、ただひとりヒュペルムネストラのみは、夫となったリュンケウスが自分を労わって処女性を守ってくれた為、これを愛するようになり逃がした。ダナオスはヒュペルムネストラを裁判にかけたが、裁判は無罪放免となったという。後にダナオスはリュンケウスと和解してこれを受け入れたという。残りの49人の娘を競技の優勝者たちに娶らせ、王位を娘婿のリュンケウスに譲ったと言う。また別の説では、兄弟を皆殺しにされたリュンケウスに他の49人の娘ともども殺害されて、地獄のタルタロスに落とされたともいう。
 リュンケウスは、エジプト王アイギユプトスの息子だが、父が兄弟のダナオスの領地も欲したためダナオスの娘たちと結婚すべくアルゴスまでおしかけていった。そしてヒュペルムネストラと結婚するが、彼の他の兄弟たちはみなダナオスの娘たちに殺されてしまった。リュンケウス自身もヒュペルムネストラに殺されるはずだったが、リュンケウスの優しさに触れたヒュペルムネストラに命を救われ、逃亡することを進められる。リュンケウスは無事逃亡し、リュルケイアの丘から狼煙を上げて逃亡成功をヒュペルムネストラに告げたという。だが、ヒュペルムネストラはダナオスに捕えられて裁判にかけられた。裁判はアプロディアの仲裁により無罪が確定したという。ここにダナオスはリュンケウスを娘婿として迎え入れ、娘夫婦と和解した。だが、兄弟を皆殺しにされたリュンケウスはダナオスと49人の娘をことごとく殺したと言う。そしてアルゴス王を継いだ。
 リュンケウスにアバスが生まれる。アバスはリュンケウスの後を継いでアルゴス王となった。アグライアと結婚して、アクリシオスとプロイトスが生まれた。
 アクリシオスとプロイトスは双子の兄弟である。仲がひどく悪く、母の胎内にいるときからお互いに争っていたという。成人してからも父の遺鉢を受け継ぐことに関して争い、この戦いにおいて二人は人類で始めての楯の創始者となったという。アクリシオスにはダナエという娘がいたが、神託には「ダナエの産む子がアクリシオスの命を奪う」とあったため、アクリシオスはこれを怖れてダナエを青銅の塔に幽閉した。この時、プロイトスは密かに忍び込んでダナエと交わったということである。その結果、ダナエは妊娠してやがて子を産む。その子こそは後のミケーネ王ペルセウスである。アクリシオスはダナエを誘惑したプロイトスを追放する。そしてダナエとペルセウスを木箱に閉じ込めて海に流した。一方のプロイトスはリキュアへと逃れ、その地のイオバテス王に迎えられ息女のステネボイアを娶った。そして義父の援助により軍を興し、エピダウロスの地でアクリシオスと一戦交える。だが、戦いは膠着し、アクリシオスとプロイトスの一騎打ちをもってしても決着はつかなかった。そこで二人は協議の上王国を分割することにした。すなわち、アクリシオスは南半分を領しアルゴス城に引き続き居住し、プロイトスは北半分を取り、そこに新しい城を築いてティリュンス国を創建したのだ。酒神ディオニュソスがティリュンスを訪れたとき、プロイトスの三人の娘たちはこれを崇めなかったため、発狂させられた。そこでプロイトスは予言者メラムプスに頼んで娘たちの狂気を治してくれるよう頼んだ。ところがメラムプスは、報酬に王国の1/3の領土を要求した。この法外な申し出をプロイトスは拒否する。ところが、その後病気は更に蔓延し、国中の女が狂人となってしまった。困り果てたプロイトスは、以前の要求を呑むので病気を治してほしいとメラムプスに懇願した。だがメラムプスは条件を王国の2/3の領土の譲渡に吊り上げた。背に腹は変えられないとしてプロイトスはその要求を呑んだ。メラムプスは三王女のうちニ王女を救うことに成功し、報酬どおりに領土を割譲させて弟ビアスにも王国を与えた。そしてメラムプスとビアスはプロイトスのニ王女をそれぞれ娶り、ティリュンス国は三分割された。一方、アクリシオスの孫のペルセウスはゴーゴン退治と海獣の退治により今や英雄として名を馳せていた。ペルセウスはアクリシオスと和解するためにアルゴスへ向かうが、これを怖れたアクリシオスはアルゴス国を放棄してテッサリアに亡命した。その主不在のアルゴス国をプロイトスが奪い取ったという。一説ではそのはるか以前にプロイトスがアルゴスを攻め取ってアクリシオスを追放していたともいう。プロイトスはアクリシオスを追い払ってアルゴスの南半分も領したため、アルゴスの地には三つの王家が分立した。プロイトス家とメラムプス家、そしてビアス家を指して以後「アルゴスの三王家」と称する。一方、祖父を慕いペルセウスは、アクリシオスを追ってテッサリアに姿を現した。テッサリアではちょうど、その地の王が亡父の供養のため葬礼競技を催しているところであった。ペルセウスは腕試しにと、円盤投げの競技に参加して、円盤を投げるとそれは客席にそれてアクリシオスに当たってアクリシオスは即死したと言う。嘆き悲しんだペルセウスは、祖父をその地に葬る。そしてアルゴス王国を横領しているプロイトスを石に変えたということである。





ペロプスの家系

(1)大神ゼウスとティタン神族のプルトの間に一子タンタロスが生まれる。タンタロスはリュディアを支配し、大変な富に恵まれていたという。また、彼はゼウスの子という特権からしばしば神々の宴会にも呼ばれて神々の食事をともに食していたため、不死となったという。
 だが、神々の恩寵に狎れたタンタロスは、神々の食卓から神の食物と飲み物を盗み出して友人に与えたり、神々を試すために自分の息子のペロプスを殺害して料理に供して神々に食べさせようとしたという。この不敬な行為に神々は不快を感じたという。更には、パンダレオスがゼウスから黄金の番犬を盗み出したとき、パンダレオスは黄金の番犬をタンタロスに預けたという。それを知ったゼウスはヘルメスを使わしめてタンタロスに黄金の番犬を返すよう要求をするのだが、タンタロスはシラを切り通した。しかも、パンダレオスが黄金の番犬の返却を求めたときまでこれを預ったことなどないと虚言して返さなかったため、ゼウスは激怒した。
 タンタロスはゼウスによって地獄のタルタロスに落とされた。彼はそこで首まで深く水につけられ、頭上には糸で大石が吊るされていたという。水を飲もうとすると水は引き、果実をとろうとすると果実樹は遠ざかる。こうしてタンタロスは永遠の餓えと渇きに苦しめられているということである。
(2)ペロプスはリュディア王タンタロスの子として生まれる。タンタロスはゼウスの子であることを鼻にかけ、神々の全知ぶりを試してやろうと目論んで、ペロプスを殺害して切り刻み、その肉をシチューに煮込んで神々の食卓に供したという。しかし神々はそれがペロプスの肉であることを察知してこれに手をつけなかった。ただ一人、豊穣の女神デメテルだけは娘のペルセポネが冥界の王ハデスに攫われて心痛の状態にあり、これに気付かず食してしまったという。神々はタンタロスの行為に眉をひそめ、ペロプスを蘇らせた。その際、デメテルの食べてしまった肩の一部に関しては象牙をもってそれに充てたという。そのため彼の肩は白く、以後彼の子孫も白い肩を持つようになったとのことである。
 タンタロスは罰せられることになり地獄のタルタロスに落とされた。その後をペロプスは治めることとなり、神々に送られて出立する。その際ポセイドンは有翼の馬を一組贈った。
 リュディアに戻ったペロプスは、しかしトロイアのイロスに国を奪われ逃亡する。ペロプスはピサの地に辿り着く。そこではピサの王が、自分に戦車の競争で勝った者には娘のピッポダイメアを娶らせることを布告していた。ペロプスはこれに応募した。だが、王の馬は軍神アレスから贈られた馬で、この馬の前に今までの挑戦者はことごとく敗れて殺されていたのだ。
 ペロプスは、ピサ王オイノマオスの御者のミュルティロスを買収して車輪の楔を抜かせた。これにより勝負の当日、オイノマオス王は地面に叩きつけられて死んだ。死の間際、オイノマオス王はミュルティロスに謀られたことを悟り、ミュルティロスに呪いの言葉を吐いて死んだという。これによりピッポダイメアと結婚したペロプスは王位を継ぎ、ピサ国を統治した。だが、ミュルティロスとの約束を履行するのが惜しくなりミュルティロスを海に突き落とした。ミュルティロスはオイノマオス王の呪いのとおり死ぬこととなった。だが今度はミュルティロスがペロプスおよびペロプスの子孫に対して呪いをかけた。これを怖れたペロプスはミュルティロスの霊を鎮めるために記念碑を建てたという。
 ペロプスはエリス全土を収めると次はアルカディアを狙う。この地のステュムパロスと仲良くする振りをして、油断したところを殺して、アルカディアを傘下に収めた。そしてその他の地方をも併呑して強大な国を打ち立てた。その勢威は凄まじく、その半島全体を後の人はペロポソネス半島(ペロプスの島)と言い習わしたほどである。
 ペロプスにはたくさんの子がいた。娘の多くはミケーネ王国のペルセウスの子息たちに嫁いでいった。そして数いる息子の中でも、ペロプスは特に美貌のクリュシッポスという息子を溺愛していた。だが、ペロプスがあまりにクリュシッポスを可愛がるため、正妻のピッポダイメアとその子のアトレウス、テュエステスは王国をクリュシッポスに奪われるのではないかと危惧して、これを殺害した。このことを知ったペロプスは激怒し、為にピッポダイメアとアトレウス、テュエステスは逃亡していった。
 晩年のペロプスについて伝わるところはない。