(FAは少し触れたことがあるだけで、使い込んでいたとは言えません。使い込んだ機種について語るというこのページの趣旨からすると外れてしまうのですが、FAだけは当時から非常に強い印象を持っていて、書かずにいられないので番外編として書くことにしました。)
FAはDAの後継機として1992年1月に発表されました。定価は45万8千円。98ノーマル機種初の486搭載マシンでした。
最新機種FAですが、PC/AT互換機との性能差はさらに顕著になっていきます。米国におけるPC/AT互換機の主力が386/33MHzから486/33MHzへと続々と進化して行くのに引き換え、日本の主力機種であるFAは、なんと486/16MHzというスペックでしかなかったのです。ベンチマーク上では、DAの386/20MHzよりFAの486/16MHzの方が2割程度速く、RAからDAの時のように、CPU性能据え置きというわけではありませんでした。しかし、クロックという分かりやすい指標が下がってしまったことによる性能の頭打ち感、出し惜しみ感、価格の割高感は如何ともしがたいものがありました。このような98主力機種の足踏みはパワーユーザー達の98離れを促進し、誕生しつつあったDOS/Vへの流れを加速してしまったのです。パワーユーザー達が「まだ98使ってるの?」というセリフを口にしはじめたのは、この頃からだったでしょうか。
NECがそれに気づき、PC/AT互換機になんとか対抗できるようになるのは、98Mate、Fellowを発表した1993年になってからです。しかしそれはもう後の祭でした。その数ヶ月前の1992年10月、コンパックが386/25MHzマシンを破格値の12万8千円、486/66MHzマシンを43万8千円で国内販売を開始し、98の価格性能比の悪さが日本中に知れ渡ってしまったのです(俗に言うコンパックショック)。これらコンパックPCが98のシェアを落としたとは言えませんが、「先進のDOS/V機」「世界に取り残された時代遅れの98」というイメージはしっかり定着し、時代の流れはDOS/V勢の方に向かい始めてしまいました。
FA以後、98はDOS/V勢の後を追いつつ次第にPC/AT互換機化していきます。FAはまさに98衰退のターニングポイントに位置づけられる機種といえましょう。
歴史に安易なifは禁物ですが、もしDAが386/25MHz、FAが486/25−33MHzで、98MateのAp(486/66MHz)につながっていたなら、先進の98シリーズというイメージももっと長く保たれ、生まれたばかりのDOS/V勢を勢いづかせることはなかったのではないでしょうか。
ただ、そうなれば良かったのに、とは言えません。DOS/V勢の参入により、日本のパソコン界にも市場原理が働くようになり、98を含む各社のパソコンの価格性能比が高くなっていったのは明らかだからです。