江戸重通(えど・しげみち) 1556?〜1598?

常陸江戸氏の嫡流。江戸通政の子。従五位下・但馬守。常陸国水戸城主。
元亀元年(1570)頃に家を継ぎ、結城晴朝の妹を娶った。
小土豪から発展した常陸国江戸氏は、形式的には常陸守護の佐竹氏に属したが、永正7年(1510)より『一家同位』の待遇を受け、重通も天正3年(1575)に勅命を受けて国内の真言・天台両宗の争論停止を命ぜられるほどの実力を有していた。
天正4年(1576)に叙位、任官。
天正5年(1577)9月、佐竹義重と共に下野国小山で北条氏政と対陣した。天正中期には常陸南郡へ進出、府中城主・大掾清幹と衝突した。だが、天正18年(1590)の小田原征伐に先立って北条氏の重臣・松田康秀と盟約を結び、関白・羽柴秀吉の動員令を無視した。このため、豊臣政権下の公認領主となった佐竹義宣の父・義重に天正18年11月に水戸城を攻め落とされ、下総国の結城氏のもとへと逃れて頼った。
なお重通の息女は結城晴朝の養女となっており、結城秀康の室となった。