火の神々の中で、クトゥグアに次いで重要な存在といえるのがリン=カーターの創造したアフーム=ザーである。この神の初出はカーターが1976年に発表した「ゾス=オムモグ」(1)で、そこでアフーム=ザーはクトゥグアの子という地位を与えられた(2)。またルリム=シャイコースはアフーム=ザーの従僕であるとカーターは述べているが、これらの事実はフォン=ユンツトの『無名祭祀書』に書かれているそうである。
カーターは1980年にC.A.スミスとの「合作」として短編「極地からの光」(3)を発表した。この作品はいわばスミスの「白蛆の襲来」の後日談であり、ファラジンというヒューペルボリアの魔道士を主人公としている。以下にその粗筋をかいつまんで述べる。なおファラジンという名前はカーターの知人トーマス=コックロフト(4)がニュージーランドのファラジン通りに住んでいたことに因んだものだが、クトゥルー神話ファンらしい遊びといえるだろう。
ルリム=シャイコースは滅んだが、真の脅威である極地の帝王アフーム=ザーが復活しようとしていた。ルリム=シャイコースの主であるアフーム=ザーは旧神によってヤラク山の下に封印されていたが、ルリム=シャイコースがエヴァグを下僕としたようにファラジンを下僕として己を解放させようとする。ファラジンは下僕となることを拒み、自らの喉を掻き切ったのだった。
以上である。あまりにもあっさりした話だと思われるかもしれないが、続いて1985年に発表された「焔の侍者」(5)でアフーム=ザーは実力を発揮することになった。「焔の侍者」は末期のヒューペルボリアを舞台とした作品で、その語り手であるアスロクはナコト同胞団の文書館員である。カーターの設定ではイースの大いなる種族が『ナコト写本』を著したということになっているのだが、ナコト同胞団は大いなる種族の知識を後世に伝えることを目的とする組織で、『ナコト写本』をヒューペルボリアからロマールそしてヨーロッパにもたらしたのも彼らだそうだ(6)。
ファラジンを服従させそこなったアフーム=ザーは相変わらずヤラク山の下に封印されていた。封印されていてもアフーム=ザーの力はすさまじく、ヒューペルボリア大陸はじわじわと氷河に侵食されていく。アフーム=ザーは炎の大帝クトゥグアの子であるにもかかわらず、一切を凍りつかせる冷気の神なのである。ある日、同胞団の書庫で古文書を閲覧していたアスロクは奇妙な予言を発見した。それはヴーアミ族の祭司によるもので、炎の形をした灰色の痣が胸にある「解放者」がいつの日か現れるだろうと告げていた。アスロクの胸にはその痣があった。
自分こそはアフーム=ザーの脅威からヒューペルボリアを救う解放者に違いないと確信したアスロクはバイアクヘーに乗ってヤラク山を訪れ、地底に降りていく。アフーム=ザーが幽閉されている奈落に臨む断崖にアスロクがとうとう辿り着くと、そこには巨大な旧神の印が安置されていた。奈落の底から放射されるアフーム=ザーの意志に支配されたアスロクは旧神の印を粉々に打ち砕いてしまい、巨大な灰色の炎が奈落の底から飛び出してくる。それこそはアフーム=ザーに他ならなかった。アスロクは確かに解放者だったが、それはアフーム=ザーにとっての解放者という意味だったのだ。
アスロクはそこで命を落とすこともなく発狂することもなく地上に逃げ戻り、辛抱強く待ってくれていたバイアクヘーに飛び乗って、同胞団の本部がある南方の都に引き返した。解き放たれたアフーム=ザーは存分に力を振るい、ヒューペルボリア全土はたちまち氷河に覆い尽くされる。大寒波の襲来を生き延びたわずかな人々にできたのは、より温暖な南の大陸に移住することだけだった。同胞団はアスロクを処罰しようとはせず、代わりに事の顛末を子細漏らさず記録に残すよう彼に命じた。かくしてアスロクが書いた文章が『ナコト写本』の一部として今日まで伝わっているのだ。アスロクは次のように自分の話を締めくくっている。
ああ麗しの南国ロマールよ、汝の舗道はいつまで灰色の焔の猛襲を免れていられるだろうか? 今朝方、私は尖塔の頂から景色を見渡し、緑なす谷に大氷河の塁壁が容赦なく迫るのを目の当たりにしたばかりなのだから!
旧神は何をしているのだと思われるかもしれないが、カーターの神話における旧神は大宇宙の支配者ではあっても人類の擁護者ではない。人類が危機にさらされたからといって旧神がすぐさま駆けつけてきてくれるわけではないのだ。旧支配者が自由の身になるのを旧神はもちろん認めないが、旧神がアフーム=ザーを再び封印するために降臨するまでには相当な時間があり、その間アフーム=ザーはたっぷりと暴威を振るうことができたのである。現在アフーム=ザーは北極に幽閉されている模様だが、その封印が破れる日はいつ到来しないとも限らない。そのとき、人類は何にも頼れないのだということは心得ておくべきだろう。