先週の17日から23日の一週間パリにおりました。世界の企業が参加する展示会に出展していたのです。滞在中、米英枢軸がイラク攻撃を始めたニュースを、ホテルのテレビの唯一の英語チャンネルBBCで知りました。パリのコンコルド広場でも反戦デモが行われたようですが、もちろん一日中ホールの中の私はその様子を見ることはありませんでした。会場はいつもと変わりない空気です。
ところが、そこに参加していたある日本企業だけは、違ったようです。なんでも、航空機を利用する出張を全面的に禁止したというのです。日本発着の便のことを言っているのかと思ったら、ヨーロッパの域内でも飛行機には乗るな、ということでした。その当の企業の方と知り合いになったのですが、彼はドイツへ動くのに列車を使うことになったそうです。ちょっと考えられないことなので、現地ヨーロッパの人たちから呆れられていました。
さて、そんな日本企業は例外かと思いきや、帰国するとなんと私の勤務する会社もアメリカやヨーロッパへの出張が自粛気味となってしまいました。私は、テロに限らずリスクはいつでも、どこでも、だれにでも、つまりユビキタスに存在していると考えるもので、エアラインを選ぶとか、ルートを変えるとか、自分でできるリスク対策をとればいいという主義です。リスクを恐れていてビジネスができるか。
個人の考えはどうあれ、ニッポンの会社がこのような判断をくだすのはひとつに責任問題があるのだと想像します。海外出張を「命じた」のに、社員がテロの犠牲になったら、会社の責任が問われてしまうのが今の日本の現状です。クラブ活動で子供が軽いけがをしたくらいで、学校の先生の責任を追及してしまう過保護ママとも共通するものがあります。危ないこと、というより「責任を問われ」そうなことはやめておくのが一番の解決策になって当然です。でも、そうは言えないですから、「人命尊重」とか「安全重視」いう大義名分で蓋をすることになります。
それで思い出したのが、去年実現しかけてパーになった、高速道路のバイク二人乗り規制解除の顛末です。某国会議員が土壇場で反対したので結局見送られたと聞いています。最大の理由は、二輪の高速二人乗りが危険である、つまり「安全でない」ということにあったといいます。議員の支持団体の中には「安全であることが証明されないかぎり反対」という意見さえあるそうです。
二輪の高速二人乗りは果たして安全なのか危険なのか、もちろん議論は可能でしょう。答えは一人ひとりのバイク歴にもよるでしょうし、タンデム走行したいかしたくないか、にもよるでしょう。しかし、よく考えてみると、「高速道路のタンデム走行は安全かどうか」という問題の立て方そのものに問題がありそうです。事故を起こさないという意味では、何もしなければ事故は起きない、という結論になりそうです。高速道路に限らず、バイクに乗らなければバイク事故は起きようがないのは道理です。バイクに乗る限り、事故のリスク、または可能性、はいつもある。当たり前のことです。それが「安全ではない」と結論づけることなのかどうか。
問題はむしろ、「高速道路を安全にタンデム走行するためにはどうしたらいいか」ではないかと思うのです。
ケネディは1961年、60年代のうちに人類を月に着陸させて安全に帰還させる、と宣言した。彼は、人類を月に着陸させて帰還させることが「安全にできるかどうか」という問題を提起したのではなかった。「安全に帰還させる」という目標を提示したのだ。そして実際に帰還した。今では、それが危険と隣り合わせだったことを誰もが知っている。いつのまにか、日本人は危険の赤信号よりも「安全」の御紋に怯えるようになっていないでしょうか。石橋を叩いて渡る、ということわざがあります。本来は「用心の上にも用心するたとえ」(広辞苑)の意味ですが、ちょっと現実的に考えると、もうひとつ類句が生まれそうです。それは、石橋を実際に叩こうとする人がいたら、たぶんその人は渡るために叩くのではない。壊れるまで叩くのだ。「ほら、壊れたでしょう」渡らないでいて良かった。石橋も 叩いて壊して 身の保き