
○日々の指針(白光誌2006年02月号P1より 西園寺昌美会長著)
1.誰もが予期せぬ出来事を恐れている。未だ現れてもいないことを・・・・・・。これらの不要な不安や恐れ に自らの生命エネルギーを注ぎ込むことほど愚かなことはない。
1.願望を引き寄せる力は、自らが期限を設定することで強化される。
1.いかなる状況に立たされても必ず選択の余地はある。
1.自らを進化創造させることこそ人類一人一人に与えられた天命である。
1.真実の自分(我即神也)を素直に受け入れなさい。
1.自分の周りの至るところに答えは存在している。
1.自らの平安、幸せのみを追い求めるのではなく、まずは人類に貢献することを学んでゆくべきである。
○日々の指針(白光誌2006年01月号P1より 西園寺昌美会長著)
1.内より生ずるいかなる疑問をも、自らが真理に沿って解決できたら最高である。
1.人のために生きることこそ至福なり。
1.出来るか否かを自分に問うのではなく、どうすれば出来るかのみを真剣に問うことである。すると不思議 なもので、自分でも出来る方法がひらめいてくるものである
1.すでに今生での天命を果たし終えた肉体の死を大袈裟に嘆き悲しむのは無知である。
1.絶体絶命の最後の一瞬までも人類即神也を祈れる人こそ神人なり。
1.人生の転機は人の何気ない一言であったり、一冊の本、一本の映画であったりする。中でも人々に最大 の転機を与えるのは「白光」である。
○日々の指針(白光誌2005年12月号P1より 西園寺昌美会長著)
1.人類の多くは突然何か自分にとって善きことが起きることを願いつつも、決して自分からは何も起こそう とせず、ただ待っているだけである。これでは何も起こりえない。
1.まじめな人は、毎日毎日その場限りの努力に追われて生きているが、一番肝心なこと、「自分にとって 一帯何のための努力なのか」が解っていない。それではエネルギーの無駄使いになってしまう。
1.大いなる自己は、深い洞察力を秘め、自分自身の将来を確実に見通す眼力と叡智を備えている。それを 引き出すのは祈りと印である。
1.宇宙神は創造主である。あなたの願いが何であろうと、祈りや印を組むことにより具現化される。
1.自分の創造力を信じること、それは自分の内にある。
1.自分の運命の主人は「我即神也」だ。
1.高き魂の人は高き道を志す。
○日々の指針(白光誌2005年11月号P1より 西園寺昌美会長著)
1.今の瞬間はもう終わっている。
1.真理を歪めて自らを誤って導いてはならないし、ましてや他を誤って導いては決してならない。
1.自分は無限なる可能性を持っているのだと、その真理を信じている自分をさらに強く信じつづけること。
1.我々はあらゆる瞬間の現実を意識的に創造している。
1.自分を制限するものは唯一、自分自身の観念である。
1.自らの思考が無から有を物質化する。
1.我々があえて選ばない限り分離などない。
○日々の指針(白光誌2005年10月号P1より 西園寺昌美会長著)
1.真理の道の探求に時間を割かない人は、神についても、自らの運命についても全く無知のまま人生を 閉じることになる
1.究極の真理について語ることは、宇宙神に対する最高の奉仕である。
1.誤った手段によって正しい目的に達することは出来ない。
1.あらゆる瞬間が自分にとってのグッド・タイミングなのである。
1.自らの貴重な生命エネルギーを欲望達成、他との対立、無意味な論争、感情想念の爆発などに使って は勿体ない。
1.人は自分の無知を認めようとしない無知なる者なのだ。
1.人は「もっと」「もっと」という絶え間ない欲望のため、すでに充たされているものさえも失ってしまう。
○日々の指針(白光誌2005年09月号P1より 西園寺昌美会長著)
1.無分別に欲望を追い求め、自分自身のエネルギーを無駄使いしてはならない。
1.不健全な自己愛や自己憐憫に耽ってはならない。
1.自らが自らを統治する人間たれ。
1.自らの無限なるパワーやエネルギーを自己破壊に用いてはならない。
1.自分の可能性を100パーセント信じつづけること。
1.偽善は自らを裏切る行為。
1.人のことはどうでもよい。まずは己の心を磨き高めあげることのみ。
○日々の指針(白光誌2005年08月号P1より 西園寺昌美会長著)
1.自らに内在せる無限なるパワーを否定する人は、不幸にして苦悩多き人生を辿らなければならない。
1.いかなる不幸も、自らの感情想念でつくり出さない限り存在しない。
1.自分が体験する種々さまざまなることのすべてを善なるものとして捉えるならば、何故不幸が生じようか 。
1.常に光明なる言動を為せば、輝かしい人生が創造されてゆく。
1.人は目の前に現れた険しい道を見るのではなく、その延長線上に必ず見え隠れしている希望と光に満ち た道を目指して歩むべきである。
1.愚か者とは、悪いのは常に他者であると信じてやまない人のことを言う。
1.否定的感情想念を根こそぎ切り捨ててこそ、自らの人生は好転する。
○日々の指針(白光誌2005年07月号P1より 西園寺昌美会長著)
1.人は誰もが、大きな徳性、品性、叡智を持った人に接し、変わりたいと言う願望を抱いている。
1.我々は真理を聞く時、語る時、理解できることと理解できないことの間に誤解が生ずることを極力避けな ければならない。
1.宗教を狂信的に信仰している人々は、真理を真に理解しているのではなく、誤解している人々が多いの である。
1.人間は、大自然の営みの中で、森羅万象が語りかけるひびきを理解するよう努めなければいけない。
1.善悪も喜怒哀楽も、すべては結果(我即神也)に至るまでのプロセス。
1.この世には、本来言葉なんて必要ない。
1.観念こそが自らの悩みを増幅させ、決定づけている。
○日々の指針(白光誌2005年06月号P1より 西園寺昌美会長著)
1.その人の意見を退けても、その人自身を退けてはならない。
1.すべての物事において、結果だけを見るのではなく、結果に至るまでのプロセスにおいて、その都度、間 違いのない選択、決定が下されたか否かを知ることである。
1.物事の結果を受け取って喜んだり、悲しんだりするのではなく、その結果から何を学んでゆくかを認識して ゆくことである。
1.人は間違いを犯す。そのことを恐れてはならない。むしろ、同じ過ちを繰り返さないことに留意すべきで ある。
1.善い結果であれ、悪い結果であれ経験こそがすべてを上回る。
1.何事も時期を逃せば得られるものも得られない。今までに費やしてきた時間、金、労力、勉強、努力が 無駄になる。この時期を自分のものにするか否かは、常に祈り、印を組み、自らの内なる直観力を磨き高 め上げてゆく以外にない。
1.何事も、意志決定する際には、自らが期待する将来をすべて完璧に予測することはなかなか難しい。だ が、常に軌道修正を行うことによって、自分の選択、決定は間違いないと確信できると、何事も完璧に成 就してゆく。
○日々の指針(白光誌2005年05月号P1より 西園寺昌美会長著)
1.いかなる人も、他の人を支配することは(親が子さえも)出来ない。
1.いかなる人も、他の人の自立や独立を阻むことは出来ない。いかなる人も尊重されるべきである。
1.自らの行為や発言が、いかに真理に沿った愛そのものであったとしてさえも、人の自由性を奪うことも、 人の自由なる決意に干渉することも出来ない。
1.究極的に、人は皆自らの力に頼るしかない。
1.人はみな、自らが自らの支配者にならなければならない。
1.感情想念の法則。それは、同じものは引き合う、違うものはぶつかり合うということである。
1.われわれの実体は、個であると同時にすべてのものとつながって生きているということである。
○日々の指針(白光誌2005年04月号P1より 西園寺昌美会長著)
1.二十一世紀、これからは与えることのみを意識して生きるべきである。
1.人類一人一人が究極の真理、我即神也の真の自己を知り得た時、宗教はこの世から必要とされなくなる 。
1.自分の中に神を見つけ、自分の中に神に出会うことこそが、二十一世紀の真の宗教のあり方である。
1.文句や不平不満を言う暇があったら即、祈る。祈ることで意識が変わる。
1.すべてはプロセスと思う意識があれば、差別はなくなる。
1.不幸も幸せも同じ状態でとどまりつづけることはない。すべては必ず変化してゆく。
1.言葉それ自体は生き物である。
○日々の指針(白光誌2005年03月号P1より 西園寺昌美会長著)
1.我々が恐れを抱くこと、それ自体が恐れである。
1.嫌な予言にエネルギーを与え、実現に至らしめているのはあなた自身である。
1.環境破壊、いや自然災害に対しても、今や人類一人一人が責任を取るか取らないかの問題ではない。全 人類がみな、責任を取る時代が来るのだ。
1.何事においても即謝れる人は、後々に決して後悔をしない。
1.後悔とは、勇気を持って謝罪できなかったがための自分への悔い、責め裁き、反省である。
1.二十一世紀、スピリチュアルな時代においては、何を欲するかではなく、何を与えるかである。
