本には、告知を受けることによって「ALSと共に生きよう」とか、「ALSと仲良くつき合おう」なんて書いてあるが、私には絶対ありえない言葉であって。私にとって一番の敵で、絶対に共に生きて行こうとは思わないし仲良くも出来ない。これだけは始めに言っておきたかった事です。
私が告知を受けた時、「ALSとはなんだ。告知を受けたって何を言っているか、さっぱりわからない。」それが本音でした、「ただの筋肉痛で親指の動きが、悪いのではないか。」という、そんな安易な気持ちでまるで他人事のように感じていました。
このあと主治医からは、「進行は人によってそれぞれ違うが、いずれは人工呼吸器を着けないといけない。もし付けないと言ったら、死を迎えることになる。」と言われても、そんな究極な選択は、誰でも選べといわれても選ぶことは出来るわけありません。
余りにも失うものは多いから、「それを代償に生きていく価値はあるのだろうか。」と、ふと頭をよぎることもありました。それでもなぜ人工呼吸器を選んだかというと、それは家族のためでした。
私は楽なほうの死を選べば済むことでも、残された家族はどれだけの悔いを残すかと思うと、いくら頼りにならない父親であろうと、生きていれば妻と子供のために何か出来るのではないか?そんな思いがあって生きようと決めました。私は20歳のときに父親を病気で亡くして、何回生きていて繰れたらと思ったか。今死んだ父と同じ年になって同じ立場になってよくわかることがあります。
誰でも家族に未練はあるし、こんなせつない世の中なんかに家族を残して自分だけ別の世界に生けなかった、こんな中途半端では人生を終わらせたくはない。私はこの体が老いるまで生きよう。
世界に1つしかない花だから、妻という小さな花と寄り添いながら天命をまとう。決してあきらめることなく。生き抜こう。