お名前:
てんとうむし
天狗さん
>これが愛と呼ばれる気持ちでしょうか、でもこういうことは、どこかの
文献をみれば書いてあるような気がします。私はどうして人間(生き物)には
こういう気持ちがおこるのかと考えています。
----------------------------------------------
文献に多く書かれて残って来ているという事は、大切なものだからで、
しかし、この考え方を行動する事ができていない、様に私は、思っています。
でも、独自の「どうして人間(生き物)には、こういう気持ちがおこるのか」と
考えているのは、宜しいんじゃないでしょうか。
自分の言葉で納得できないと人は理解が進まないし、行動ができないと
思うのです。いろいろな、人の語るものから、自分の言葉で納得すること
は、とても大切な事だと思います。
ただ、根源の神から別れたのかどうかは、私には、判りません。
私は、現状に現れている、人間の性質を、観察して、自然界の動物たちとも
くらべてみて、人間は、どういう状態かと考えてみるとき、
動物は、たやすく、種族保存のために無償の愛のような行動を
とれるが、人間は、個々の発達が、動物とは、ちがった形になり、
行動せずとも脳内であたかも行動したような判断ができるようになった。
動物の側面を持っていながら、この人間の他の動物と比べると特殊な
発達、それがあるので、無償の愛の必要性を説く様な気がします。
[2000年7月25日 1時20分7秒]
お名前:
天狗
愛について、私も考えていることを少々。
友達や隣人、さては自分と関係の薄い人にまでも見返りを求めず施す気持ち、又は
自分を殺害しようとする者さえ許す気持ち。
これが愛と呼ばれる気持ちでしょうか、でもこういうことは、どこかの文献をみれば
書いてあるような気がします。私はどうして人間(生き物)にはこういう気持ちがおこる
のかと考えています。
これは、私達って大昔、神(根源の意識)の意識から個別に分かれ分かれて、それぞれ
又、経験を積み神を目指してがんばっているわけですよね。(だと思うんですけど・・
向上の行き着く最終地は神だと・・・)
それで、皆がもっと安心してがんばれるための作用そのものが愛ではっと考え中です。
愛した結果がどうなるのかということから類推して行ったのですがいかがなものでしょう?
神も又、発展して行きたいのであろうと思いました。
意識としては全く別物であるかのような感のある私と皆様方ではありますが、意識の根っこの
部分ではつながっており、意識していない部分ではお互いの向上や発展を喜ぶ気持ちがあり、
その助けになればと愛をそれぞれが発現しているのではないでしょうか?
その結果、それぞれが、それぞれ発展し向上し根っこを意識できるようになりやがて、自分自身
も神であったと気がつくのではないでしょうか?
そして、愛もその神の持つ属性のひとつのような気がする今日この頃なのでした。
(だれか、うまくまとめてくれないかな)
[2000年7月24日 19時23分1秒]
お名前:
ロジュ
http://www.geocities.com/Tokyo/Flats/2847/flag.htm
私が大分まえに作った↑このページをみて、ハリウッドに住む小学2年生の女の子が
メールを送ってくれました。(^^)
なんでも、学校で日本の国旗のレポートが宿題にでたそうで、
私のあの国旗サイトをみつけたそうです。
で、リンク先とか参考にしてレポートを書いたらしく、そのお礼のメールでした。
(この子は日本に大変興味を持っていて、少々の日本語のほかに、柔道の歴史と
かも学んだそうです。柔道の歴史に関しては私が負けるでしょう。)
実は、あの「英語版国旗サイト」は、米国人に
http://www.geocities.com/Tokyo/Flats/2847/index2E.html
(千乃正法精神)を読んでもらうための「つなぎ目サイト」で、
どうでもいい存在だと思っていましたが、
こういうふうに役立つこともあるんだなあ、と我ながら感心しています。
このように、なんでもない行動が自分の知らないところで予想もつかない影響を与える
ことがあります。ここで、議論するだけでなく、各自がホームページで積極的な自己主張
を始めることが最優先されるべきなのかもしれません。
[2000年7月24日 14時24分12秒]
お名前:
ロジュ
>まだ私が落ち込める所までの指摘は受けていませんので、
>そのご心配には及びません。
やっぱり、人はそのくらいでなくちゃいけません!(^^)
ちょっと私が何か反論するとすぐに怒ったりいじけたりする人が過去に
何人かいたものですから。
[2000年7月24日 14時2分32秒]
お名前:
てんとうむし
天狗さん、heheheさん
愛について思うところを書いた後、少し、考えて見ましたが、
愛は、「見返りを期待しない。無償の愛」という本質を考えれば・・・
お姑さんに対してとても嫌いでも面倒をみるときの自分の心が問題だと
いうことに気づきました。たとえば、お姑さんが財産を持っていて
いずれ、それが手にはいるのだからとか・・そういう見返りを少しでも
意識していたらもう、それは、愛では、ない。
マザー・テレサのエピソードの場合。
売名行為の金持ちは、見返りを期待しているので愛では、ないですね。
マザー・テレザの金持ちが来たことを受け入れた姿勢は、さて、
どうでしょうか・・・自分の見返り、ではなく、子供達の為を
考えて、汚い金でも受け入れた、目的のために手段を選ばない
ところも見えます。しかし、自分のためでは、ないので愛。
ただし、マザーの教会の存続のためという見返りの期待が
マザーのこころに少しでもあれば、もうそれは、愛ではなくなる。
さて、「人その友のために己の命を捨つこれより大いなる愛はなし」
このイエス様の発言も、友への見返りを期待しない、無償なら
大いなる愛。「親」の友とは、自分への見返りよりも、許せる(慈悲)ところ
があり、その友の幸せのみ考えることができる、親兄弟ですと
情が育っているので簡単に無償の行為をしやすいが、友は、なかなか
できにくいところもある。だが、それができれば大いなる愛となる。
ということでしょうか・・・
曾野綾子さんがおっしゃった「理性的な愛」は、無償の愛のこと
だと思いますが、理性は、ガブリエル様がおっしゃるには、
「物事を如何なるものか、正しく認識しよう、理解しようという姿勢」
ですから、無償の愛の行為がなせるのは、大きくものごとを見れていないと
できない、そのためには、理性的な判断の働きが必要となる・・・
これは、しかし、お姑さんの例では、たやすいのですが、
大きな問題のときは、同じようにできるかどうか・・・生死を持って人を
救わなければならないときなど。
「理性の判断に勇気を持ってのぞみ、人として相応しい行為をする」
なかなか、できないのが人間ではないでしょうか。
理性的判断は、たやすいが、こんどは、その判断にしたがって行動する、
それができないと思うのです。
昔の、武道家を思い出します。日頃の稽古は、いざというときの命を
かけられる、つまり、行動できる、そういう状態をつくりだすために
あったことを・・・。
現代の私達は、勇気ある行為ができる状態を日々どうやって培って
いったらよいでしょうか・・・
こんな事を前回書いたあと、考えました。
[2000年7月24日 11時24分51秒]
お名前:
天狗
成る程、いろいろと参考になります。
あと、私の文章(思考)大川さんの霊言集の高橋信次さんのものに似てますか?
・・・・あの本面白かったからなぁ。私は、余り誰の本とか関係なく読んでいるので、言われてみてそうなのかも知れないと思いました。
今でも、内容は余り思い出せませんが・・・。
愛については、いろいろな側面があるようですね。これが愛だというのはなかなか難しいですよね。
もう少し、皆様の意見を参考にしたいと思っています。
中には、落ち込まないで云々という話もありましたが(笑)、まだ私が落ち込める所までの指摘は受けていませんので、
そのご心配には及びません。
しかし、「天狗」というだけでもかなりその言葉にたいする認識が違うのですね?
今後は気を付けて言葉を選ぶ事にいたします。
[2000年7月23日 1時48分21秒]
お名前:
ロジュ
ヒラクリティーさんて誰ですかね?(^o^)
私にとって鬼門のような感じを受けますが。
JUBILOSOさん、こんばんは。
聖徳太子の件、失礼しました。お許しを。江戸時代のサツマイモの大家「青木混陽」
といった素朴で身近な存在を挙げるべきでした。(ってそういう話じゃないだろう!)
(自分でつっこみ。(*^_^*))
>清純で心身の美しいお方がお好みですか?
そうですね。可憐な感じで、やや、子供の目をした女性が好きです。
>女性といえば、私は最近どういう訳か釈由美子さんと篠原ともえさんが
>気になってます。
釈由美子さん、かわいいですよね。
篠原ともえさんは、友人にするなら、最高でしょう。私も結構あの雰囲気に同調しやすい
ところがあるんです。
私も実生活では結構軽いノリだったりして。
人のこと言えません。
「夜明け」サイトを読んでる人には、もうバレてるか。(^_^;)
[2000年7月23日 0時47分15秒]
お名前:
てんとうむし
自分の書いたものをちょっと読み返して、ふっと
思いついたのですが、
友の「情」は、親兄弟よりも、人への情、人類への情に
近くなっているということなのだろうか・・・
[2000年7月22日 12時34分39秒]
お名前:
てんとうむし
heheheさんが、ちょっと、ふと、思われた、
「愛」ということで、ちょっと、捉え方を新たにした事がありました
ので、書いてみますが・・・
いま、毎週月曜日(東京・埼玉では)の教育テレビで
曾野綾子さんがイエス・キリストについての講義をやっていますが、
そこで、「愛」の概念について説明していました。
イエスのおっしゃる「愛」は、
例えば、相手が嫌いでも、自分と合わなくても、
構わないので、人としてやるべきことをやってその方と
接していくこと。嫌なお姑さんがいても、そのお姑の
面倒を嫌いでもみていく・・・その行為・・・それが、
つまり、理性的な「愛」です、イエスが、おっしゃった愛です・・・
というようなことをおっしゃっていました。
私は、自分が嫌いな相手でも自分の心を成長させて、人全体へのあるべき
姿勢を自覚し、その嫌いな相手もおおきな心を持った自分で嫌いという
意識が変わり、「本心」から、とらえられるときに「愛」がある
と思っていましたが、
自分の心持ちが未熟でも、相手を恨む気持ちがあっても「理性での人を
助ける行為」になっていれば、「愛」があるということで、
ちょっと、当たり前のことかもしれませんが、気持ちを新たにしました。
これは、偽善ではないかとも思ったりしますが、どうなんでしょうか・・・
人類のためには、この行為で確かに助かりますよね・・・
マザー・テレサがおっしゃっていたそうですが、
金持ちが、マザーのところに売名を目的として、慈善的な活動を
しにくるが、それでも良い。子供達が助かるのだから・・・と。
この場合は、どうなりますか。
「その友のために己の命を捨つ、これより、大いなる愛はなし。」
という、イエス様の教えは、友であるということは、嫌な面も見えるし、
長所も見える・・・でも、それを丸ごと受け入れられる・・・ここには、
理性が働いているんでしょうね、やっぱり・・・
しかし、ここで考えてみたいと思ったのは、友達を丸ごと受け入れるという
のは、「情」では、ないのだろうか・・・
親兄弟のような情がでてきたもの、その友のためにでは、ないのか。
皆さんどう思われますか。
[2000年7月22日 11時22分29秒]
お名前:
JUBILOSO URL
皆様、こんばんは。
ここ2、3日掲示板に書き込みできない日が続きましたが、もう少しこの状態が続き
そうです。(ドテッ!)((((((((((((((((((((((^^;
>天狗さん、ヒラクリティーさん、そして招き猫さん
いらっしゃいませ。
当掲示板は天狗さんも龍さんも子ギツネちゃんも大歓迎です。
一緒に正法を学びましょう。はじめは誰だって初心者なんです。
ところで天狗さん、霊的現象のお話が時々この掲示板では話題になりますけど、それは
決してメインの話題ではなく、また霊的能力があったからといってその人の人格が即立
派という意味でもなかったりします。
霊的現象、あるいは霊的能力と人格は無関係です。
そう言えば今朝(といってももう昨日ですが)茨城を中心に結構大きな地震がありまし
たけど、どういう訳か地震の前に身が目に見えない何者かに包まれた状態になり、睡眠
から覚め、気持ちが良くて安堵に満ちていましたけれどもなんとも不思議な感覚になり、
目が妙に冴えてた状態になりました。(この時、意識はしっかり起きていました。夢で
はありません。)
そして地震がきても余裕かましてました。
もしかしたら睡眠中に大地震が起きてもこうなるかも知れません。不思議といえば不思
議です。
でも、この現象と私の人格とは何ら関係ありません。
人格面は、私はまだまだ改善していかねばならないことがいっぱいあります。当掲示板
の読者の方々からも学ばせていただいております。
>ロジュさん
私の弱点ですが、おっしゃる通りの弱点があります。(軽い性格)
ただ、聖徳太子といきなり来られたら信じる前に笑い飛ばすかも知れません。
(やはり軽い性格)
ところでロジュさんは清純で心身の美しいお方がお好みですか?
女性といえば、私は最近どういう訳か釈由美子さんと篠原ともえさんが気になってます。
>てんとうむしさん
ロジュさんと天狗さんは全く別人ですね。思考の働かせ方にかなり違いがあります。
天狗さんご自身はご自分には合わないとお書きですが、天狗さんには幸福の科学の思
考が見られます。ロジュさんはこのような文章はお書きにならないです。(招き猫さ
んからご質問が出る前に私には分かってました。)
というか、天狗さんの文章は大川隆法氏による高橋信次先生の霊言集の思想に酷似し
ているのです。それも隠しようがないくらいに。
ロジュさんと天狗さんの個性の違いは、例えば別スレッドで紹介させていただいたHP
を運営されてるNOBさん等の方々ならば一発で見抜かれることでしょう。
(ただNOBさんの場合、高度に精神的な面までは精度に「?」がつくかも知れませんが。)
>koujiさん
ええっ!?そんな・・・頭をお上げになって下さいな。
謝るなんてこと全くありませんよ。確かにあの時、私はぶっとんでましたから。
・・・という訳で、今日はもう寝ましょう。他スレッドへのカキコはまた明日(今日だけど)
[2000年7月22日 2時47分32秒]
お名前:
ロジュ
今日、TV映画の「天使にラブソング」をみて久しぶりに感動してしまいました。
あの、教会の雰囲気には強い愛着を覚えるのです。
(前髪たらした若い修道女役の女性、よかったですね。
ああいう人が現れたらすぐにアプローチするのにな。)
私が通っていた幼稚園は、キリスト教系でしたからでしょうか。
(幼稚園の時の帽子がベレー帽だったのが自慢!(^^))
お寺には何も感じないけど、キリスト教会的なものには強い愛着を覚えます。
ところで、大分前、エンカルタで「イスラエル」の国歌を聞きましたが、
初めてきいたはずなのに、前に聞いたことがあるとしか思えませんでした。
日本の替え歌とかあるのでしょうか。
すごい日本的なメロディーで、君が代と同じくらい私にとっては
イムプレッシブです。
なんか、「こぎつねコンコン、山の中、山の中・・・」って歌にもにてるし、
だから、聞いたことがあるように感じるのでしょうか。
みなさんは、どうですか。
[2000年7月22日 1時8分22秒]
お名前:
ロジュ
koujiさんへ
>いろんな立派な教えというものを一旦捨てて楽になりたいと思っています。
そう思えるなら、いったん立派な教えを捨てて楽になるのがいいですよ。
自分にうそをついて立派そうにしている人より、よほどいい人になれるのでは
ないでしょうか。(^^)
これまで、あまり言いませんでしたが、
私も不思議な体験はするのです。体の一部が暖かくなるという現象が続いています。
特に、正法的な活動をネット上でしているとき激しいですね。
天狗さんへ
「自己卑下・・・」の件ですが、
天狗さんが自己卑下をしているという意味ではなく、私が天狗を名乗ると
「自己卑下になる」という意味です。
千乃正法では、天狗界の霊団はほめられた存在ではありませんので。
天狗の概念が異なる人が「天狗」を名乗っても必ずしも自己卑下にはならないと
思います。
天狗さんが「愚かな天狗」を名乗って初めて自己卑下してると断定できます。
>私はここや他のログでの特定の人を非難してはいないのですが、
>むしろそういった風潮自体を非難したい気持ちがありました。
ならば、この掲示板は場違いですよ。(^^)
霊能万能主義者はいないですから。むしろこの点天狗さんと共鳴する方が
ほとんどです。
今回はてんとうむしさんの件があったので、天狗さんのことを書きましたが、
本当は、てんとうむしさんの誤解がなければ、天狗さんの言動を私は
何も言わずあたたかく見守っていたことでしょう。
天狗さんは、いい人だと思います。今回の件でどうぞ落ち込まないでください。
[2000年7月22日 0時56分21秒]
お名前: kouji
●ロジュさんへ
>私は、JUBILOSOさんやheheheさんやkoujiさんが、潜在意識でも「自分が劣っている」とは>思ってないということを知っています。
実は最近、自分の人格が非常に低くなっていることに気づいて落ち込んでいます。(^^;
人を見たときのギャップ、理想とのギャップにつぶされそうになっていて、
いろんな立派な教えというものを一旦捨てて楽になりたいと思っています。
名言が、私を脅迫するのです。「こうあらねばならない」と。
前向きな人はそういうことはないのでしょうが、私は今は一休み〜という感じです。
>彼らは、単に、「俺はもう2千円札見たぞ」といった程度の話をしているのであり、
これは全くズバリ!!な喩えですね!!!(^^)
(2千円札に印刷のうっかりミスがあったそうです。プレミアムつくんだろうな〜)
>今回は、私の名誉にもかかわることでしたので、でてきたました。
別のスレッドで、ロジュさんについての私の無意識的な先入観を書いているのですが。
この場でお詫びします。ごめんなさい。m(__)m
(あくまでも無意識的な先入観ですので・・・って言い訳になってないや(^^;ヾ)
●JUBILOSOさんへ
現在、私は性格だけでなく思考力のほうも低下しています。
2chで、酒の入ったJUBILOSOさんの言葉を(雰囲気も手伝って?!)かなり怒ったのですが、
現状、酒の入っていない私も同様の状態です。
JUBILOSOさんへも謝らなければなりません。
ごめんなさい。m(__)m
●天狗さんへ
>どなたかが、おっしゃっていましたが私は幸福の科学の会員です。(除籍されていなければ)
高橋信次さんの本を読んだかただと思っていました。(^^;
>とりあえず、今、考えているのは、キリスト教が何でこんなに広まったのか?
>という事です。輪廻も説かず、悟りの段階論や方法論も体系的には説いていないのでは
>と思うのですが(ここの部分でも教えて下さい)
>どうしてなのでしょう?
・内容は仏教よりも一般的で、わかりやすい。
・西洋人が世界進出していた際に、一緒にキリスト教も広めた。
(または、キリスト教を進出の手段に使った?!)
・愛を説いている。(隣人愛)
「目には目を」と「片方をたたかれたらもう片方も差し出せ」(だったかな?)
のように教えの比較があり、素晴らしいと思えやすい。
また、昔の教えとは一味違った実践方法が語られている。
というのが思いつきます。
・奇跡が多く語られている。
というのも要因の一つかもしれません。
[2000年7月22日 0時7分34秒]
お名前:
hehehe
>そして自らを省みて、反省をなさった方が宜しい方・・・結構たくさんいますよ。
>私は今、愛を勉強しているのですが・・・・・・。
ところで、「愛」って、何だと思います?
天狗かあ。
というより、法力をもった人は会ったことがある。
守護霊というか、取り巻きの霊が、その人が望むと、相手に影響を与えるという
ことが出来る人。いるように思います。
[2000年7月21日 23時13分6秒]
お名前:
天狗
えー。・・・何から話せばいいのでしょう?
私の発言をめぐって他の人を傷つけてしまっていたのなら謝ります。
私はここや他のログでの特定の人を非難してはいないのですが、むしろそういった風潮自体を非難したい気持ちがありました。
あと、天狗というのは自己卑下しているつもりは全くありません。今の自分の人格の状態(うまく言えないが)が
幸福の科学で言うところの天狗と似ていたし、自分の天狗に対するイメージと重なったのでそう書きました。
ここの皆さん程、言葉に対して鋭敏ではないので誤解を受けるかも知れませんが、私の言葉には裏も嫌味もありませんので
そのまま単純に受け取ってくださって結構です。ですから、私の言わんとしていることは一語で捉えずに文全体で捉えていただくと
助かります。
どなたかが、おっしゃっていましたが私は幸福の科学の会員です。(除籍されていなければ)
あまり、まじめな会員ではありませんが、会の出す本は読んでいます。
「天狗」というのも会の霊言集のなかから見つけた認識です。正直に見栄も張らず、卑下もせず自分を見たときに自分を一番
端的に表しているなと思い、そう自分を呼んでいます。もちろん、こんな私ですから会(幸福の科学)の他の信者とは
あまり話も合いませんでしたが。
こんな私ですが、天狗は天狗なりに天狗よりもう少しましになりたいなんて、密かに考えています。
そういう訳で、ここに書き込みました。天狗としての考え方をここに書いて、皆さんの批判を仰ぎ、時には批判もしながら
もうちょっと、リコウになりたいなんて考えています。
とりあえず、今、考えているのは、キリスト教が何でこんなに広まったのか?
という事です。輪廻も説かず、悟りの段階論や方法論も体系的には説いていないのではと思うのですが(ここの部分でも教えて下さい)
どうしてなのでしょう?
[2000年7月21日 22時34分34秒]
お名前:
ロジュ
てんとうむしさんへ
いま、てんとうむしさんの新しい書き込みを読みました。
わかっていただければそれでいいのです。
今回は、私の名誉にもかかわることでしたので、でてきたました。
それに、私がわざわざ「天狗」という不自然な自己卑下を
するタイプに見えましたか。(^o^)
私は、名前に「愚」をつけるお坊さんは好きになれないタイプです。
そういう名前は、「自分は自己の愚かさを知ってる立派な人間だ」ということを暗に
アピールしているようなもので、そこに自己のイメージにこだわる小人さと他者への
優越感を感じ取ってしまうからです。
[2000年7月21日 14時34分17秒]
お名前:
ロジュ
てんとうむしさんが天狗さんを私だと誤解していることが判明しましたので、
私と天狗さんのちがいをここで明らかにし、わたしのスタンスをてんとうむしさんに
明示したいと思います。
てんとうむしさんは、正見正思ができていないということを自覚し、
人の評価は今後慎重を期するべきでしょう。
「違い」
天狗さん曰く「通常の社会生活の中で人より、劣っている自分を認めたくないから、
そう思うことで・・・」
私の見解
私は、JUBILOSOさんやheheheさんやkoujiさんが、潜在意識でも「自分が劣っている」とは思ってないということを知っています。
つまり、「自己逃避の結果、霊能の話をしている」「霊能で自分を偉いと思っている」という天狗さんの意見は、的外れです。
彼らは、単に、「俺はもう2千円札見たぞ」といった程度の話をしているのであり、そういう
一種の娯楽的な発言まで目くじらを立てるのは、やりすぎです。
JUBILOSOさんは、悪霊から「あなたの守護霊は実は聖徳太子だ」「あなたこそ、正法の
後継を仲介する者だ」と言われると、余り疑うわずに信じてしまいやすい、
脆弱さはあるかもしれません。
JUBILOSOさん、反論がありましたらおっしゃってくださいね。(^^)
天狗さんいわく「身の回りの人から嫌われない人になりなさい。」
私の見解「イエスキリストは磔にされるくらい嫌われたことを考えれば、もっと深い
場合わけをして、善を定義しなければなりません。」
天狗さんいわく「非常に偉そうな書き方ですよね、人を見下した。これが天狗の特徴です。
自分の能力を伸ばす方には無限とも見える努力をしますが、他人への愛には欠けたる者。
調和の取れない者。非常に険しい、人を寄せ付けない山のような者です。」
私「これなど、私への批判かと思いました。(^o^) 「人を見下す」の定義が確立してないと
正当な批判と見下しの判断もつかないということになります。天狗さんは、残念ながら、
人を見下してはおりません。見下しなら、あれほど、改心させるような説明をながながと
はしないでしょう。鼻で笑っておしまいです。
天狗さんの心理は、実は、てんとうむしさんと共通するもので、気持ちは真摯なのだけれども、
判断が浅いため、的外れな批判をしてしまい、他者を不当に傷つけてしまうのです。
てんとうむしさん、おわかりになりましたか。
天狗さんと私とでは、スタンスがまったく異なるということを。
[2000年7月21日 14時11分39秒]
お名前:
てんとうむし
ロジュさん
ごめんなさい。
わたしは、天狗さんがロジュさんかと思っていましたよ。
ロジュさんに嫌がらせするつもりはないですよ。
ロジュさんは、そう感じていたの?そのうち、
また、何かのテーマで、話しましょう。
天狗さんがわたしの別ファイルを読んで、触発され、書いたと思っていましたから・・・。
私がいろいろ経験した。虹や、霊言の奇跡のようなものみた、千乃様ともやりとりを
した、などと書いたら、このファイルでの発言でしたので。
私が天狗になっていると思ったのではないかとちょっと前のファイルで
書いていた内容から思いましたので・・
[2000年7月21日 9時46分12秒]
お名前:
招き猫
はじめまして。
天狗さんは、もしかして幸福の科学の方ですか?
天狗観が似ているようにおもえますが……
[2000年7月21日 5時28分44秒]
お名前:
ロジュ
天狗さんへ
天狗さんの記述に「我々、天狗達なんです。」とありますが、
どうして、「天狗」になったのでしょう。(^^)
[2000年7月21日 2時5分12秒]
お名前:
ロジュ
てんとうむしさんへ
もう、嫌がらせは、いいかげんにしてください。
私のことをいってないじゃないですか。天狗さんは。
もっと、大人になってください。
[2000年7月21日 1時59分46秒]
お名前: kouji
>通常の社会生活の中で人より、劣っている自分を認めたくないから、そう思うことで
>自慰しているのでは?
ぼくのこと〜かな。きっと。
確かにそういう意識もあったかもしれません。頭のどこかにあったような気もする。
けれども、優れているとか劣ってるとかよりもむしろ「超常現象・すごい」という
感覚で書いてました。
それに対する警告も込みなのでしょうね?
現在(まで)の聖書(キリスト教)には、輪廻転生は説かれていないと思います。
キリスト教者のエドガ・ケーシーが、リーディングから出てきた輪廻の思想を
受け入れるのにかなり悩んだらしいので。
[2000年7月20日 22時38分8秒]
お名前:
天狗
副題「霊の好きな方・宗教好きの方へ」と付けておいた方が良かったでしょうか?
個人への攻撃はしたくなかったのですが、余りにもひどい人様がいたものですからあえてテーマを変えて作ってみました。
もとより、皆さんからの批判は覚悟の上ですが、もう少しましな意見の交換をしたかったので・・・・。
脆弱な悪霊(まぁ死に損ないのことです)とコンタクトを取れたと、何を勘違いして自慢をしているのかわからない人様が
余りにもこの世界(宗教界)におおいものですからつい、書いてしまったのです。
話は違うのですが、キリスト教には輪廻転生という概念はあるのでしょうか?私の不勉強かも知れませんが
どうも無いような感想を持っているのです。
もし輪廻を説かずに人々を導いているのであれば、その方法論はすごいなぁと感心してしまいます。
やはり人間は自己の向上よりも、愛を唱えられた方が入りやすいのでしょうか?
[2000年7月20日 21時54分11秒]
お名前:
hehehe
>そんな者ですら、上記の条件は満たします。そうしないと、程度の本当に低い
>人間の向上を邪魔する者たちが、ちょっかいを出してくるのです。
一言言っておくと、イエスや仏陀にも悪魔が現れ、邪魔したという話はある。
高橋信次にも、悪魔が現れたということを本に書いてある。千乃は共産党系の霊らしい
ものに攻撃されてきたと主張している。
私には、残念ながら、何を言いたいのか良く分からないですな。
[2000年7月20日 16時10分18秒]
お名前:
てんとうむし
heheheさん
天狗さんは、このファイルでは、ないところで語っている
人のことをいっているんですよ。きっと・・・
[2000年7月20日 15時9分24秒]
お名前:
ヒラクリティー
どなたへおっしゃっているのですか。
なんとなくわかりますけどね・・・
全然、わかっていなですね。愛、変わらず・・・
「他人の心がわかるようになること」
これが、一生の課題です。
[2000年7月20日 15時2分56秒]
お名前:
hehehe
>まさか、それが「自分が特別なもの」の証とでもいうのでしょうか???
>自分が他の人間よりも優れているとでもいうのでしょうか?
そんなこと言っている人は、いまのとこ、ここには、いないと思っているけど。
[2000年7月20日 14時21分32秒]
お名前:
天狗
一般の人に見えないものが見えた。聞こえないものが聞こえた。
・・・だから何ですか?????
まさか、それが「自分が特別なもの」の証とでもいうのでしょうか???
自分が他の人間よりも優れているとでもいうのでしょうか?
通常の社会生活の中で人より、劣っている自分を認めたくないから、そう思うことで
自慰しているのでは?
通常感じられないものを感じたいのなら、一般的な社会生活のなかでまず
自分の人格を向上させなさい。(愛の部分は余力があれば努力しなさい)
人格がある程度(この程度も結構な高い所にあるのですが)まで向上すれば自然と
感じて来るでしょう。
少なくとも、一芸(社会的に認められた)に秀で、身の回りの人から嫌われない人、
となれば最低条件は何とか満たせそうな気がします。
貴方、社会の中で認められていますか?友達付き合い偏らずにしてますか?
元来、通常感じにくいものを、感じるというのは我々、天狗達なんです。
ただ、その天狗達ですら、上記の条件はクリアーしているのです。
私の文章を読んでお気づきの方のいるかと思いますが(なるべく素のままの書き方をした)
非常に偉そうな書き方ですよね、人を見下した。これが天狗の特徴です。
自分の能力を伸ばす方には無限とも見える努力をしますが、他人への愛には欠けたる者。
調和の取れない者。非常に険しい、人を寄せ付けない山のような者です。
そんな者ですら、上記の条件は満たします。そうしないと、程度の本当に低い
人間の向上を邪魔する者たちが、ちょっかいを出してくるのです。
天狗程度ですらこの位の条件を満たし努力をするものだということを、お知りおきください。
そして自らを省みて、反省をなさった方が宜しい方・・・結構たくさんいますよ。
私は今、愛を勉強しているのですが・・・・・・。
[2000年7月20日 11時14分28秒]
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