お名前:
てんとうむし
おっしゃるように私も、地球人の意識に、全体がなれば、ベストだと思います。
ただ現状は、国単位ですからね・・・それを冷静にみていかないと。
国に属していないと、まず、国際的には、はじまらないと思いますのでね。
修身の意味が、「国家(歌×)への忠誠心を身につけさせるもの」という
表現が強制的なものを感じていやなのでは・・・
これは、忠誠心では、なく、愛国心と変えたらどうでしょうか?
昔の修身の復活でなくてよいと思うのです、いろいろ変えていけば・・・
また、私のイメージしているマナー教育というのは、
いままでの高校の倫理とは、違ったものです。
単に知識を授業で教えるというものでないようにしたいですね。
たとえば、ダンスパーティをやる。その時にどういうエチケットを
守るか・・服装、言葉づかい、など、実践で教える。
お茶を教えてその作法をやらせる。
食事のテーブルマナーを実際にならべてやる。
冠婚葬祭の服装を実際やってみる。挨拶の仕方をやる。
など、そういうことをやりながら、相手を思うという気持ちや
歴史的な作法から、人の心を学んだりするものです。
これは、ロスチャイルド家のマナーの本などがでていますが
それを見ていて、殆ど、服装や、食事の仕方、冠婚葬祭のマナーが
書かれていますが、そこに、心の持ち方が少し、触れられていたのです。
それをみて、思いついた考え方です。
マナー教育の体系は、いろいろな人の案を併せて、検討していけばいいので
倫理の授業のようなものは、私も、嫌ですね。
[2000年7月27日 1時17分7秒]
お名前:
kouji
日本(の一部)は、国歌国旗を反対します。
その代わり、「どこそこの国に属している」という意識よりも、
「地球の人」という意識が取って代わっていると考えられないでしょうか?!
・・・と言ってもそういう意識ってあまりないですね。(^^;
あのきびきびした感覚は、非常に大切だと思うのですが、
「国歌への忠誠心を身につけさせるもの」
が必要なのかどうかは疑問です。
>私は、「修身」の復活を臨むより、「国際人としてのエチケット・マナー教育」を
>体系化して教えたら、良いのでは、ないかと思っているのですが、
>どうでしょうか・・・
お堅い学問・受験に走り回るよりも、こっちのほうが大切ですね!
ただ、
>マナー教育の体系は、きっと学ぶものも楽しいものになるんじゃ
>ないかと考えているんですが・・・
というようにはならないと思います。
私の経験では、小学校の頃に学んだ道徳という勉強は、よくわからなかったし、
(記憶がないだけなのかも・・・)
高校1年のときに倫理の先生が授業をしていたときは、
生徒全員(私を除く)机にうつ伏せになって寝ていましたし、
先生は先生で、独り言のように独りしゃべってました。
(ちなみにその先生は次の年 定年でした。)
大学の時も、倫理の時間はほとんどの学生が寝てました。
先生もやはり独り言を言うように講義していました。
・・・すると、人はどこで道徳倫理観を学ぶんだろう?
親からだろうか?
[2000年7月26日 23時10分38秒]
お名前:
てんとうむし
koujiさん
躾と兵役は別ですね。
私が考えている「修身」は、しつけよりももう少し、成長した人間としての
心得のようなものでしょうか・・・
ちょっと修身を辞書で調べてみます・・・
「・・・個人生活・社会生活乃上で必要とされる道徳観や、国歌への
忠誠心を身につけさせるもの。」
とあります。
国を考えられれば当然そこに住んでいる人に対する愛情がそだち
その隣人への接し方がちがってくるのでは、ないかということです。
「兵役につくこと」より、つまり、「軍隊(自衛隊)の人間教育」に、
期待するということですね。
表現が、ちょっと違っていたかも・・・
ただ、徴兵制は、いまの日本では、むずかしいでしょうね。
有事になり、生死が国全体での問題になれば、やるでしょうが・・・
日本人は、刹那的で、前もって危機管理を理性的に用意しておく
ということには、真剣にとりくまない民族ですから・・・
私は、「修身」の復活を臨むより、「国際人としてのエチケット・マナー教育」を
体系化して教えたら、良いのでは、ないかと思っているのですが、
どうでしょうか・・・
あの地球物理学の専門家の竹内均さんは、「修身」という
本を書いて、現代にもその必要性をおっしゃっていますが、
「修身」ということになりますと、また、アメリカが騒ぐかもしれないし、
左翼の教育者たちも反対運動をするでしょう。
ですから、「教育勅語」の精神を「教育基本法」の序文に巧みに
取り入れたように、形をかえ、パラフレイズし、
マナー体系をつくるのです。そのなかに、日本の伝統的な精神も
織り込むわけです。
マナー教育の体系は、きっと学ぶものも楽しいものになるんじゃ
ないかと考えているんですが・・・
日本の古代のマナーから、江戸時代、明治、大正、昭和、現代の
までのマナーの歴史をまなび、併せて、世界各国のものも
学びます。そうして、具体的に体験もさせる。
冠婚葬祭、パーティでのもの、人前での話し方、
テーブルマナー・・・具体的なものを学びつつ、そのなかに
日本人としての道徳観なども学ぶのです。伝統の大切さ、
わび、さび、恥、忠誠心、愛と慈悲、正義、信義、
節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、
中庸、清潔、平静、純潔、謙虚
中川八洋さんなどは、道徳教育のテキストが必要だと説いて
いますが、急務なので、それまでは、新渡戸稲造の「武士道」を
つかうとよい、などとおっしゃっていますが、その内容も
マナー教育という体系に織り込めます。
[2000年7月26日 13時51分34秒]
お名前:
kouji
でも、兵役と躾って別ですよね?!
[2000年7月26日 0時16分57秒]
お名前:
てんとうむし
それも一つの方法でしょうね。
アジアで、徴兵制のない国は、日本だけですよねたしか。
いつでしたか、フィリピンの若者が徴兵制がいやで逃げ回り、
当局につかまっている番組をテレビで見たことがありましたが、
でも、日本でもそのとき必要かもしれないと考えたことがあります。
昨今の若い人のゆるんだ気持ちに国を考えさせる緊張感、礼儀などの節度を
学ばせるには、良いかも知れませんね・・・。
日本の教育でも、奉仕活動のカリキュラムも考えられていると聞きましたが
そういうところから、発展していくと段階的によいかもしれません。
ドイツでしたっけ、兵役と奉仕を選ばせる国もありましたよね、たしか。
[2000年7月25日 0時55分23秒]
お名前:
天狗
私は、徴兵制と取り入れたらいいと思います。
戦争を推奨するつもりではありませんが、人生の一定期間軍隊教育をする必要が
今の日本人にはあると思います。
それは、修身の復活かもしれませんね。
[2000年7月24日 19時31分9秒]
お名前:
てんとうむし
戦前の「修身」の体系的な人間教育を戦後GHQは、これが、
軍国主義を生んだと判断し、根こそぎ、日本の教育から、とって
しまいました。
そこには、彼らには、キリスト教などの宗教教育があって、それが道徳教育になり、
日本人にもそれがあるという意識が漠然とあったようですが、
日本人には、そういうものは、全体としては、なかったのです。
日本人は、江戸のころから、やってきた、修身ですから、
個々人には、とても重要なものというより当たり前のものだった
ため、戦後なくされてもピンとこなくて、そのころの大人は、
自然に身についている形だった。ところがそのあとがさあ、大変
戦後は、GHQが意図的に左翼を活動させたせいもあり、
反戦教育が修身にすり変わってしまった。
その影響が、じりじりと、現在になって、にじみでてきている。
なんとかしなくては、いけないと思われませんか。
[2000年7月24日 11時37分19秒]
お名前:
てんとうむし
バスジャックでの事件。髪の毛の長さのことから、後輩を金属バットでなぐり、
その後、寝ている母親もなぐり殺した事件。
准看護婦の自分の子殺し。
昨今の事件をみていると、道徳倫理観が薄い感じがしてならない。
これを、各個人が深く身につけるには、どういう方法があるだろうか・・・
[2000年7月22日 12時0分10秒]
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