お名前:
JUBILOSO URL
皆様、ご無沙汰いたしております。
牛若丸さんや天狗さんの体験をもとにされたご意見、それぞれに貴重なものがあると
私は受け止めております。
ただ、誤解を生じないよう補足いたしておきますが、私は現代の先進国に生きる方々
の存在を否定している訳ではなく、また私自身、社会生活に不適合な状態で毎日を送
っている訳でもないということは申し上げておきます。
そのことを前提にした上でのアボリジニやイルカの話なのです。現代人の否定ではあ
りません。現代人が抱えた問題がアボリジニや動物から見えてくるというお話なので
す。
説得力に欠けるというのは、例えばルソーが「自然に帰れ」といった言葉を語りまし
たが、それをそのまま文字通り受け止めたように私の意見をお読みになったからでは
ないでしょうか。
私が本当に言いたかったのは都会の文明を享受する人間と自然から自給自足する人間
の対比とか、単なる人間と動物の対比といった関係ではないのです。そこを読み誤る
と説得力も見い出せないことでしょう。
なにゆえに物質的には豊かになりながらも心はふらつき、ざわめく人が多いのかを解
く鍵もそこにあります。
>電波ッチさん
千乃正法とオウム真理教は比較の対象にはなりません。
なぜならば、オウム真理教は麻原がおかしかった上に、教義そのものもおかしいからです。
オウム真理教は釈尊が唱えなかった「金剛乗」を称したヒンドゥー教の一派が仏教を偽装
した「唯識派」の思想を背景に持っています。
そして、この「唯識派」は正統な仏教とは言えない上に、危険ですらあります。
オウム真理教の核心は「真我論」で、これは自我の方が実体であって、外的世界の方は虚
無であるというものですが、これは仏教が否定したアートマン説そのものです。
インドのヨガ行者によくみられる瞑想行でのエクスタシーの中で神秘体験を得たり、超能
力を発現させたりという行為は本来の仏教の姿ではありません。
本来の仏教では、悟りを神秘的体験によって忽然と現れるものとは捉えていません。
「唯識派」の金剛乗(ヴァジラヤーナ)の思想はつきつめていくと「ポア」の思想を誘発
します。
「神秘体験によってステージがあがった者はそうでない者を殺しても罪にならないどころ
か、その者のカルマの浄化をしてやるのだから善行であると言える。」という思想です。
無論、この思想も釈尊や正統的な仏教とは無関係のものです。
ところで、今、書店には唯識派の流れをくむ宗教家の本や、トランスパーソナル心理学と
唯識派とを繋ぎあわせたような本がよく並んでいますが、いずれも仏教の正統的な流れか
らは外れた思想による本です。
[2000年8月13日 14時46分2秒]
お名前: kouji
こんな考え方もあります。(^^;
どうも最近、心に余裕がないので・・・手短になってしまう。
[2000年8月12日 14時0分3秒]
お名前:
牛若丸
私、本当は幸福はこういう事って聞いてみたかったんです。私の聞き方
も良くなかったし、言葉の言い方にもキツイ表現があったのかもしれない
と思っています。
勿論、何が幸福なんて簡単なことではありませんよね。私だって何度も
言うように絶対なんて考え方は持っていません。幸福感にも色々あると思
うけれども、今日本に居て、とりあえず皆と共感するということの幸福感
もあるし、逆に自分だけの幸福感っていうのも出来たら持っていたいので
すね。一番問題なのは、個人の幸福を追求する余り他人の感情というのか
気持ちが解らなくなる状態っていうのは、私は好きではないです。
その逆に、皆が幸せになって自分はその礎みたいになる生き方っていう
のも格好は良さそうだけれども、今の私のは少し辛い所があります。結局
それ程大きなものも求めない代わりに、自分のワガママも何処かに残して
いくという事で、絶対的なものではないけれども、とりあえずは幸せかな
と感じます。
でも時々、これでいいのだろうか何て考える事もあります。特に経済的
な問題とか、人との関係なんかで疲れたりすると、やはり自分の考え方は
何処か間違っていたなんて考えます。自分を変える事って、果たして良く
変わっているのかなんて、究極的な部分ではよく解らないんではないかな
あと思います。でも仕事の事とか、特に身近な人と接したりすると相手も
私もああ、少しは変わったんだなあと思いますが、以前よりも少しでも喧
嘩する回数が減ったり、逆に仕事が上手くいったりすると、これで良かっ
たのかなあと、とりあえず満足しますね。
私がここに来たのは、自分に少し嫌な事があってそれで以前から疑問に
思っていた宗教の事なんかもあったものですから、知らない内に剣とか槍
みたいなものが一杯言葉の端端にあったのかもしれません。それは、申し
訳なかったと思っております。でも、本当は貴方は間違っている!こうだ
みたいな意見を聞きたかったのかもしれません。でも、世の中そんなに甘
いものではありませんね。
只、私は感性的な仕事をしていてやはり一番感じるのは幸福について一
番忘れられているような気がします。それで、皆さんが芸術だとか美術の
世界に関心を持って頂けるのですが、でもどれだけお聞きになっても、い
ろんな絵を見られてもご自分の気持ちに「ああ、幸せになりたい!」って
いう気持ちがなくては駄目なんですよ。だって、絶望して書いているよう
に見える作家だって、本当はその逆の気持ちがあって書いているんですよ。
幸福の定義なんて、私何でも良いと思います。それに世の中を幸せにし
たいなら、自分が幸福にならなくてはいけないって私は思う方です。
「最高ですか!」って言って本当幸せになれるなら、私もそう叫びたい
ですが、ああ言っている本人が死んだような顔して言っていますよね。
これで、少しは私の気持ちが通じたでしょうか。私は、これでもあんまり
人には温度差なんて感じませんし、人類みな兄弟なんてことは言いませんが
人間が好きですし、接している事がとっても好きなんです。
[2000年8月10日 13時58分1秒]
お名前:
ミミ天
牛若丸さん、こんにちは。ミミ天です。
でも、このスレッドのメインテーマが何かって、難しいですよね。
牛若丸さんの、最初の書きこみを私なりの解釈で要約しました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
あなた方は宗教を持った人の集りみたいだが、宗教とは、幸福を追求するもの
ではないのか?この掲示板で色々と宗教色の強い話をしているが、そうするこ
とが世の中の人々の幸福に繋がると思っているのだろうか。そんなのただの自
己満足なんじゃないの?
私はそれは間違っているんじゃ無いかと思う。人は、そんな机上の空論みたい
なことで幸せになるのではなく、人間同士がふれあい、お互いを尊重する事で、
幸せになれるのだと思うよ
愛は理屈じゃないよ。困った人を助けるとか、人に優しくしようという気持ち
が愛なんだ。理屈をこねる前に、まずは実践しましょうよ。
どうも、この掲示板でお話をしている人達は、人と触れ合うのが苦手な寂しい
人達で、そういう実践の部分が出来ていないんではないだろうか?だから、個
人個人の問題には触れない、抽象論ばっかりになってしまうのではないですか?
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
こんなところで、合っていますか?お互いのもっている価値観や考え方の違い
なのか、牛若丸さんの書きこみの真意がどこにあるのか、大変悩みました。そ
の後、何度も読み返し、今は上のような意味かなあと判断しています。ですか
ら最初の書きこみの直後に、heheheさんが、
> すいませんが、何が言いたいのか分からないのですが。
と書いてあるのを見て、私も同感でした。
その後、heheheさんが、牛若丸さんに対して批判的なコメントを付けるのを見
ていても、”無理も無い事”と思っていました。なぜなら、牛若丸さんの書き
こみは、偏見や予断に基づいた批判だと感じたからです。多分、私と牛若丸さ
んとの間では、宗教という言葉の定義が大きく違ってます。自分が宗教的だ、
とは思っていないことに対して、いきなり”宗教って”という断定をされたこ
とにまず、”ムッ”と来てしまいました。また、書きこみをしている個人を一
人一人の別個の人格と見なさず、”ここの人達って”という言葉で一般化され
た事にも、悪い印象を持ちました。
掲示板を使って、意見を交換するのって、思っている以上に難しいですよね。
言葉の解釈が微妙にすれ違ってたりするのはあたりまえで、偏見、予断、誤解、
などが絶え間無く,紛れ込んできます。
電波ッチさんが、”牛若丸さんとその他の人達の間に温度差を感じる”と言っ
てましたが、実際のところ私も立場は逆ですが、それに似たものを感じていま
した。温度差というよりは、価値観の隔たりです。違った価値観を持つこと自
体は、悪い事というより、人間思考のの多様性ということを考えたとき、むし
ろ良いことだと思います。しかし、一方的に自分の持っている価値観だけで批
判をされると誰しも”ムッ”とするのではないでしょうか?
> ここの方は宗教のことがよく解っている方達なら、きつい言い方かも
> しれませんが、当然他には無い信頼関係もあるのですか?もしそれが上
> 手く築けないとしたら、やはり何処かで信じられないっていう部分がお
> 互いにあるのだと思うのですが、それってやはり信じさせられた部分が
> 何処かにあるのではないでしょうか。
この文章は、牛若丸さんの二回目の書きこみの最後の部分ですが、やはりここ
でもある種の断定が感じられるのです。この掲示板に書きこみを行っている人
達に対して、先入観を持っていませんか?我々の価値観がJIとか幸福の科学
の教える価値観にに影響されている、というのは先入観ではないですか?いや、
もちろん、私自身が過去に見知った、そういう価値観に影響されていない、な
んてことを断言する事はできません。同じように、牛若丸さん自身も自分の価
値観が、実は”信じさせられたもの”であるかどうかということは、常に良く
考えてみる必要があるのではないですか?
> 自分
> の幸福について考える事ってそんなに罪深いことなんですか?
>
> けれども、悩んでいた時は明らかに自分主体だったのでしょ。でも
> 途中から世界平和だとか、大きな問題になり過ぎてしまって、何時の
> まにか自己犠牲だとかいう言葉に変わっている、うーんそういう言葉
> 何処かで聞いたなあ。戦争の時もそういうような事言っていたと思う。
> 今、アメリカだって原爆落とした事戦争責任として問うべきだ、って
> 言う人いるんでしょう。せめて一個でよかったとか、予告すべきであ
> ったとか。その辺りは、アメリカ好きの千乃さんはどう思うのでしょ
> う?彼女は今は、精神的な病気なんですか?
自分の幸福を追求しちゃいけないなんて、誰も言っていないじゃない?少なく
とも、このスレッドでは誰も、個人の幸福より世界平和が大事とか、自己犠牲
が一番大切なんて言っていないじゃないですか。千乃さんの意見イコール私達
の意見だと勝手に決め付けてはいないですか?あなたは本当に何も”信じさせ
られていない”状態でニュートラルな立場でみなさんの意見を読んで下さって
いますか?
まずは、みなさんと幸福というものの本質を話し合ってみて、その後で、宗教
的な影響されてるとか、されてないとか、判断してくださいませんか?
できれば、問題を単純化して、お互いの先入観をできるだけ排除して、幸福っ
て何という問題にフォーカスして話し合いをしませんか?”宗教の提供する価
値観に基づく幸福とは何か”では、論点が分散してしまいそうです。幸福とは
何かという問題と、宗教の問題はそれぞれ別に話し合う、ではだめでしょうか。
[2000年8月7日 17時50分2秒]
お名前:
牛若丸
結構飽きっぽい私が投稿よく続きますね。我ながら感心します。
冗談は置いといて、私は幸福についてはこれだなんて絶対の自信
は持っていませんよ。だって、幸福って個人個人やはり違うでしょう。
でも普段では当たり前過ぎて、そういう事って余りまじめには考え
ないのではないでしょう。満足している事って言ったって、物質的
な部分や精神的な部分もあるし、只私は幸福っていうか幸福感でも良
いですが、持っている人はしっかり持っているような気がするんです
ね。でもそれは、自分で努力した人も居るけれども、たまたま手に入
れた人もいるかもしれません。
サザエさん一家が幸せと感じる人も居ますし、そうでないって人も
居るかもしれませんが、要はそれを失った時は酷く悲しく感じますよ
ね。私の場合、やはりとても身近で好きだった方が亡くなられた時は
そういう気持ちになりました。
私はそういう経験が無いのだけれども、もし宗教で一度でもそうい
う幸福みたいなものを感じることがあったらそれは、メッケモノだと
思うし、宗教も本当はそういう役割があるのではないかなあと思いま
すが、私の廻りでは新興宗教に入った人の話を聞いたりするけれども
本当にそういう幸福感を感じさせることはあったにかなあというのが
感想です。
それに幸福感を感じている人って、周囲に何かを与えようとします
ね。何も特別なことでなくてもいいんです。身近な人を親切にしてあ
げたり、相談に乗ったりそういう事で気持ちが伝わっていくんではな
いでしょうか。以前動物のことでは非難してしまったけれども、猫と
か犬だって、幸せそうな顔をしますよね。何も望んでいないし、それ
なのに気持ちを伝えようとしますよね。「ああ、彼らは幸せなんだっ
て。」何時も感じますが、癒される立場ばかりでは駄目なのでそれを
こちらも返そうとします。そうすると益々、相手も受けてくれてそれ
も信頼関係になっていくんでしょうね。
で、同じように身近な人に接しようとするのだけれども、人間さま
は動物程上手くいかないんですね。それこそ、知らない人に親切にし
たら色々誤解されちゃうし、この掲示板だってそうですね。
JIとか幸福の科学ですか、中にはそれに初めて接した時は自分の知
らない世界を体験出来たということで、小さな事で悩んでいた自分が
アホらしくなったということはあるかもしれませんが、あくまでも自
分を主体に考えになった方が、部外者の私から見ると良いと思うので
すよ。それを、今の団体が駄目になったからどうかしなくてはとか、
もう組織の腐ってしまったものにどうこう言っても始らないし、自分
の幸福について考える事ってそんなに罪深いことなんですか?
けれども、悩んでいた時は明らかに自分主体だったのでしょ。でも
途中から世界平和だとか、大きな問題になり過ぎてしまって、何時の
まにか自己犠牲だとかいう言葉に変わっている、うーんそういう言葉
何処かで聞いたなあ。戦争の時もそういうような事言っていたと思う。
今、アメリカだって原爆落とした事戦争責任として問うべきだ、って
言う人いるんでしょう。せめて一個でよかったとか、予告すべきであ
ったとか。その辺りは、アメリカ好きの千乃さんはどう思うのでしょ
う?彼女は今は、精神的な病気なんですか?
でも、ここに集まっている人は幸福についての関心は人一倍なんだ
と思います、私も含めて、、、、。
[2000年8月7日 13時1分58秒]
お名前:
ミミ天
電波ッチさん、ならびに当スレッドに参加してるみなさん、こんにちは。
ミミ天です。
電波ッチさん、私のハンドルネームは、ミミ天で、耳天じゃないです(笑)。
まあ、耳天でも良いですけど、ミミ天と呼んでもらえれば、そっちのほうがい
いです。でも、意図的に間違えてるような気もするけど(笑)。
> 多重人格が憑依だって?何言ってんだよ。耳天とテントウムシ、どっちも言いってる
> ことは全然かわんねえよ。多重人格を霊の所為にするのがそもそも間違ってるんだろ。
> 特に耳天、そんなこと言っといて”合理主義者”もねえもんだな?
”合理主義者”という主張の件ですが、電波ッチさんのような誤解が無いよう
に、ちゃんと予防線を張ったつもりだったんですが....自分自身の書きこみを
引用しますが、
> す。オカルト的な事柄を信じて、それを前提に書きこみをしているような奴のどこが合
> 理主義者なのだというご意見もありますでしょうが、私は、「不可解な物事でも、それ
> が確かに存在するなら科学的に説明できるであろう。仮に現在の科学では無理であ
> っても、将来的には可能であろう」という思考の持ち主です。ですからオカルトを、た
> だオカルトとして放っておく神秘主義は嫌いです。
ホラ、ちゃんと書いてある。主張が科学的であるかどうか、ということと、合
理主義者である、ということは、必ずしも同一のことではないでしょ?オカル
ト的なお話が御嫌いなようですけれど、検討の余地が本当に全く無い、単なる
トリックや嘘や勘違いだけのものと御考えなのかな?
> そんな微弱な磁場に素粒子が引き寄せられることはないだろ。地球の強力な磁場にようやく荷電粒子が
> 引っかかってバンアレン帯ができる程度だぜ?脳を流れる電流が作る磁場じゃ何にも引っかかるわけないよ。
そうかも知れないね。でも、荷電粒子と素粒子じゃあ、大きさや重さのオーダー
が全然別ですって。計算したわけでもないのに強弁するなら、あなた自身の主
張も科学もどきですよ。
> 自分たちが千野という蟻地獄にはまっていて、一歩も外に出られてないって事に何故気付かないのか?
> 不思議だよ。どんな宗教でもいっしょだがな。
> ほかの宗教のおかしいとこには異常なくらい目ざといのに、自分のこととなると、
> とたんに目をつむっちまう。
確かに、一度ある宗教の教義や考え方に染まってしまうと、そこから脱却して
新たな考えを受け入れるというのは、難しいですね。いわゆるカルトと呼ばれ
るような宗教(いや、電波ッチさんの言うように、カルトと呼ばれていない、
その他の古くからある宗教でも一緒かもしれないけれど)の信者を改宗させた
り、脱退させたりっていうのは、本人の意思でそうしようとしない限り難しい
ですもんね。第三者がやめさせようとしても、人の話を全然受け入れない。か
たくなになってしまうだけです。
私自身は、自分がそういう状態ではない、と考えているけれど、何しろ自分自
身のことだから、本当に客観的に判定できているかどうかは、難しいです。
でもね、今現在の、カルトとしか表現しようのない千乃さんのグループからは
一応距離を置いているし、過去の情報を全面的に受け入れているわけでもない
ですよ。
> 耳天やてんとうむしなんて、いまだに千野の言葉に翻弄されて無茶苦茶言ってるじゃないか。
そうですか?私の主張はむしろ(少なくともオカルト的な部分は)、千乃さん
のところで言っていた話を否定してる部分が多い気がしてるんですけどねえ。
自分では(笑)。
オカルト的な話は、全く単なる趣味の世界の話です。信仰とか、正法とかに結
び付けて考えてはいません。別に心霊現象とか超常現象に興味があっても、そ
れだけなら問題無いでしょう?てんとうむしさんとのお話だって、例えば、バ
イク好きな人同士がバイクの話してるのと同じレベルだと思ってますけど。信
仰してたり他人に押し付けたりしてるわけではないし。それにオカルト的な話
に興味を持ったのだって千乃さんを知るはるか以前だもの、やはり千乃さんの
影響はあまり関係無いと思うなあ。
[2000年8月7日 12時27分58秒]
お名前:
てんとうむし
「幸福」の意味をちょっと確認しておきますね。
現在の環境に十分満足できて、あえてそれ以上を望もうという
気持ちを起こさないこと。また、その状態。しあわせ。
1)自分が満ち足りた状態にあると感じること。
2)何一つ、心配や不安のない、恵まれた状態。
こういうことが、辞書にありました。
人それぞれで満足のものが違っているので、
その満足がやってきている人は、幸せということでは
ないでしょうか。
幸福というものを人類全体へ広げてとらえていくと
また、ちがってきますけども・・・
[2000年8月7日 10時59分39秒]
お名前:
天狗
「何が幸福なんですか・・・」で始まったこのスレッド。
少々、方向もズレつつあるようですが、他宗や特定の考えの批判(枝葉を含めて)をするよりも、
このスレッドのテーマに絞って議論なり意見の交換を進めましょうよ。
自分の土俵に引っ張り込んでの議論は行き先を見失った船のようなものになってしまうと思うのですが・・・。
少なくとも私は、このスレッドのテーマを皆さんの意見を聞くことで掘り下げて見たいと考えているのですが。
別なテーマが出てきたら、別のスレッドを興されてはいかがでしょうか?
その方が、議論の方向性もはっきりするし面白いと思います。
さて、「何が幸福なんですか?」というスレッドに対する私の考えなんですが。
「自分の子供を抱きしめた時」・「仕事がうまくいった時」・「彼女と久しぶりに会った時」・・・・・・・・・
いろいろ、その場面場面は思い出すのですが、その共通している感覚はやはり嬉しいという気持ちですね。
相手を愛して、愛された時、自分の能力の向上が判った時、好きな人と傍に居るだけでなんか満たされていると感じたとき、
う〜ん、愛している時と愛されている時とやっぱりステージが上がったと(危険な表現だなこれは)感じる時ですかね。
私のここのBBSでの考え方は、出来るだけ宗教的な表現を省くことで、より本当の自分に近い認識を引っ張りだそうと
しています。それゆえ、語彙力もないので分かりにくかったらすいません。
皆さんのご意見を改めて、お聞きしたいです。
[2000年8月7日 1時8分44秒]
お名前:
てんとうむし
あと、意見を言い合うときには、言葉の使い方を整えて、話しませんか。
自分の考えているのと違うものを見ると感情的なものがだれでも
でてきますが、そこをぐっと抑えて、抑えて。
けんかごしの表現は、やめませんか?
内容よりも、その人の、印象が残り、どうもよくないです。
読んでいると、その人がいくら正論をおっしゃっても
それが本人にもわかっていないとみえてしまいますね。
それは、残念なことですから・・・
[2000年8月6日 11時50分46秒]
お名前:
てんとうむし
「憑依と多重人格」でいろいろ書いていますけど、
常にこれは、可能性としての意見ですよ。
宗教のように「正法」や「霊」を信仰しているのでは、ないんですよね。
そこのところわからないんでしょうね・・・
霊の問題は、ちゃんと考えたほうがいいですよ。
日本人は、変な教育うけてきたから、この種の問題も合理的に
すぐ否定に走る人がいますけども。
[2000年8月6日 11時40分55秒]
お名前:
牛若丸
電波ッチさん怒涛の飛び入り参加ですね。管理人さんどうか削除しない
で下さいね。
私は、科学的判断とか認識というものを専門にやった人間ではありませ
んが、多分第三者に対する説得の方法の一つだと思いますが、単なる理論
武装みたいなものでは、良くないのではないかなと思うんです。
確かに、知らない人は少しカジッタような科学用語を並べれば納得させ
られたように見えますが、それなりの場所で(学会だとか)せめて専門家
の支持を受けなければ、科学的根拠とは言えないと思うのです。
千乃(野ではなく乃でした。)という方もやたらと学会の非難みたいな
事をなさっていますが、本当に根拠のあることならば、それなりの教授ク
ラスなら支持する人は居ると思いますし、天才と言われる人だって何時も
それなりのしっかりした支持者は居たように思います。
千乃という人や高橋という方が、本当に素晴らしい方だとして生きてい
る時に支持されなかったとしても、実際の世界の何処かには繋がっている
と思うのですが、GLAっていうのですか(又、調べました。)幾ら高橋氏
とは違っているって言っても、やはり系統的というか流れとしてはその部
分ではないかなと思うのです。
私の分野でも宗教に影響されて(ビートルズも一時インドの僧を支持し
ていましたが。)活躍されている方は居ますが、その中でJIとかGLAとか
新興宗教系はまず居ませんし、(逆に辞めてしまった方は居ます。)実際
にお会いしていませんがダライラマ法王を支持されている方は居ますが、
何度も言いますが信じるよりも信じさせられている部分が強い宗教からは、
本当の意味で自分自身を変える事、そういう事は不可能ではないかなと思
うんです。
変わったようにみえるのは、そういう教義を受け入れる事によって、今
までとは違ったものを受け入れたり、逆に拒否したりするのですが、でも
それは、本当に自分の意思や感性で決めていることではない、と思ってし
まいます。
でも私は、もうちょっと違う立場から見るとこういう新興宗教がとても
強い魅力があるって事は感じますよ。現にここの方だって、半分は何処か
で間違っているって解っていても支持していますもの。今は駄目でも過去
は良かっただとか、全ては決して否定なさろうとしない。又、どのたかが
ここに集まっている方は、自分でなんとかしようとする人達の集団だと言
われていましたが、私には第三者の救世主のような存在を待ち受けている
のかもしれないという印象も受けます。
そんなに大きな目標を持たなくても私は人は幸福にはなれると思います。
小さな事で満足することはエゴとは違うと思います。私ここで皆さんとお
話していて、新興宗教のもっとも良くない点は意味が無くて、大袈裟な使
命を誰にでも与えてしまったって事が解ってきたような気がします。だっ
てそういうものは実際の社会では、それなりのポジションを与えられた人
の仕事ではないのですか?そう言うと又、ご非難されそうですが見たこと
もない、触れたことも無い職種に想像だけでは私も答えられませんが、も
し今の現状にご不満だとしたら、ご自分がそういう立場に努力されたら良
いのではと思います。
こういう意見も一般によく言われることだと思うのですが、、、。
[2000年8月5日 12時48分11秒]
お名前:
kouji
>いやあ、何が幸福なのかって?あんたらのオツムがメデタイんだろ。
いやぁ、オムツがめでたいと書いてあるのかと一瞬思った。(^^;
(それじゃぁ意味全然通じないじゃん)
>多重人格が憑依だって?何言ってんだよ。耳天とテントウムシ、どっちも言いってる
>ことは全然かわんねえよ。多重人格を霊の所為にするのがそもそも間違ってるんだろ。
そんなふうにしか見れないのは、
「霊はいない」「非科学的だ」と感情的に断定して科学的人間気取りしてる輩と、
全然変わりないように思える。
やたらと「それは霊の仕業だ」って言ってる輩と、同じ。
>特に耳天、そんなこと言っといて”合理主義者”もねえもんだな?
「合理主義者」の指す意味が違う。
>麻原はイカレてると思ってるが、教義は正しいと思っているオウム真理教の信者とどこ
>が違うんだ?千野はおかしいけど正法は間違ってないとか言うのは同じだろ。
なるほど!オウム真理教の信者が教義から離れられない理由の一つはこれなのか。
幸福の科学にしても、「方便の時代は終わった」→「霊言集は教義ではない」
と言って、問題を含む霊言集を「言葉ではなくて、趣旨が重要」と言って精進している。
教祖を信じているか否かは個人個人別として。
でも、正しく精進することはいいことだろうと思うし、信仰するのも自由とも思う。
[2000年8月5日 11時44分18秒]
お名前:
電波ッチ
>何が幸福なんですか?
いやあ、何が幸福なのかって?あんたらのオツムがメデタイんだろ。
多重人格が憑依だって?何言ってんだよ。耳天とテントウムシ、どっちも言いってる
ことは全然かわんねえよ。多重人格を霊の所為にするのがそもそも間違ってるんだろ。
特に耳天、そんなこと言っといて”合理主義者”もねえもんだな?
JUBILOSO、”恐らくは天使のお方が監視”だって?自意識過剰なんじゃないのか?
サタンダビデが現われたっていうheheheもおなじだな。それとも千野といっしょの病気か?
千野正法をドロップアウトしたとかいってるけど、何も違わないじゃないか。千野の
呪縛を一歩も外に出られてないからそんなこと言ってんだよ。
麻原はイカレてると思ってるが、教義は正しいと思っているオウム真理教の信者とどこ
が違うんだ?千野はおかしいけど正法は間違ってないとか言うのは同じだろ。正法は
高橋や千野が言う前からあったって言ってみても、それだってオウム信者がオウム真理教の
教義が基本は仏教だから麻原以前からあったと言うのとおんなじじゃないか?
結局、「信じさせられている」というのはあんた方なんじゃないのか?自分たち自身は
さっぱり気がついてない。天狗や牛若丸と、その他の連中の間にはハッキリとした温度差
を感じるよ。千野のこと信じてる奴からは、オウム真理教の信者とおんなじ匂いを感じる。
牛若丸が言ってた、
>私のここの印象はなにか人と接するのが苦手な人が、あんまり個人個人に触れ
>ないようお話しているなっていう感じがしました。
っていうのは、まさにそれを感じちまったんだろ。オウムの信者にはそんなタイプが
多かったみたいだからな。人との関係をうまく築く事ができない連中だったよな。
天狗の言ってる、
>私もそうですが、自分の概念を壊すのは大変ですが、壊しては構築するという作業を
>繰り返すことが必要だと思います。
>宗教にこだわらず、哲学にこだわらず、ありとあらゆる区分区別にこだわらない生き方を目指す
>ことが、幸せな生き方を早く見つけることができるのかもしれないと思うのです。
っていうのが一番できてないのが、千野信者や元千野信者なんじゃないのか?
耳天やてんとうむしなんて、いまだに千野の言葉に翻弄されて無茶苦茶言ってるじゃないか。
千野が言っている科学もどきを科学だと思ってるのがすでにおかしいぜ。俺も見たよ。千野の本
図書館で見つけてな。魂の構造図みたいのが載ってて、脳や神経に流れる微弱な電流が流れて磁場
が発生し、その磁場に素粒子が引き寄せられてニューロンや神経系を形作るって?冗談だろ。
そんな微弱な磁場に素粒子が引き寄せられることはないだろ。地球の強力な磁場にようやく荷電粒子が
引っかかってバンアレン帯ができる程度だぜ?脳を流れる電流が作る磁場じゃ何にも引っかかるわけないよ。
自分たちが千野という蟻地獄にはまっていて、一歩も外に出られてないって事に何故気付かないのか?
不思議だよ。どんな宗教でもいっしょだがな。
ほかの宗教のおかしいとこには異常なくらい目ざといのに、自分のこととなると、
とたんに目をつむっちまう。
目を覚ませよ。
[2000年8月5日 0時42分26秒]
お名前:
天狗
>宗教の悲しさとか怖さみたいなものは少しは解っていると思いますが、、、、。
本当に宗教って両刃の剣だと思います。
それを土台にしてより高次な認識を手に入れる人と、執着し固執して認識を閉ざして
いってしまう人がいますよね。どうしても、人間ってつらい時価値判断を他人に任せる
傾向があるから後者の方が圧倒的に多いように思いますけど・・・。
私もそうですが、自分の概念を壊すのは大変ですが、壊しては構築するという作業を
繰り返すことが必要だと思います。
宗教にこだわらず、哲学にこだわらず、ありとあらゆる区分区別にこだわらない生き方を目指す
ことが、幸せな生き方を早く見つけることができるのかもしれないと思うのです。
私は、幸福の科学の会員ですが大川サン的考え方を壊すのは大変です。でも、壊そうと
思っているんですけどね。そして、又、+αを構築する、これが私の生きる道♪♪(どっか
で聞いたな)
あと、宗教を知っているからといってえらい訳ではないっ、と私も思います。
確かに偉そうな人いますね〜。どこの宗教でも。
何か、弱弱しい善人もどきがコンプレックスから逃れようと偉そうにしているのよく
見かけます。(言いすぎかな?ここの人達をさしているわけではありませんよ。世間には
ということです。)
基本的には、何を悟ろうが、何に気づこうが、何を見ようが、何の通信を受けようが、
世間的に通用しない人間はダメです。(だと思います)
社会に適応できないそのこと自体が問題であり努力の余地がまだまだまだまだあるっという
ことだと思いますよ。(あ〜そう思うねぇ、やっぱり僕は〜)
悟りへの道はまだまだ遠いっちゅうことですかね。(まっ、私もですが)
[2000年8月4日 18時52分53秒]
お名前:
牛若丸
私の場合は、随分前ですがアラブの貧しい人達、特にパレスチナの人達に
も接しましたし、台湾だとか香港のスラム街にも行きました。私の友人はイ
ンドだとかフィリピンの割と治安の良くない場所に行ったのですが、(まあ、
只なんとなく居心地は良かったそうです。)天狗さんの仰る通り選択の無い
宗教が存在していました。
生きていく上でどうしようも無く必要な宗教と,私達が選択している宗教
は全然意味合いも違うし、言ってみれば貧しい国の人達と立場が逆転して
いるのでしょうね。まあ、それが日本人の価値観と言えばそうですがやはり
何処か彼らに言わすととっても贅沢な存在なのだと思います。高橋何某の方
にしても。
生活が豊かになった分、今度は心のゆとりを求めるなんて私は個人的は
良い現象なのかもしれないと思うのですが、それが宗教となると心を豊か
にするというだけでは、済まないだろうなあっていう気がしてしまいます。
具体的でなければ、信じられないって言葉は貧しい国の人達もよく使う
言葉です。何か良いことがあったり、物質的に恵まれたりすると彼らは決
まって「神のご加護があった。」って言いますが、その他の時間は天狗さ
んがご指摘の通り、何処か見捨てられたっていう気持ちが強くって、宗教
は彼らにとっては悪く言えば逃避の場所みたいにもなっていますし、神を
信じれば今の生活についての説明がつかないし、そうかと言って神を信じ
なければ、不安で仕方が無いのです。
私達の生活って、そう言う貧しい国に人達から見ると物凄く贅沢じゃな
いですか。でも先進国の中では飛びぬけた自殺者の数なんて一方で言われ
ているし、千野なんとかなんて方は何か戦争をやりたくって仕方が無いっ
て書き方されていますよね。私の廻りの戦争体験者の方は、私が幾ら今の
日本の社会を非難しても、
「それでもあの頃に比べれば遥かに良いです。」なんていわれるものです
から、いつも「ハイ、ハイ。」っていうような感じになってしまうのです
が、本当そうなのかもしれません。
理想だとか夢も良いのだけれども、一人では出来ない事っていうのが多
いんじゃないかな。どなたかが、ボランティアも自己満足でしょうって言
っていましたが、そうばかりでもないですよ。結果がよく解らないものは
ともかく、例えば私の場合は昔からアミューズメントっていうか、人を楽
しませる事が好きでしたから、悲しいことがあった人を慰めたり、全然知
らない人でも話す機会があったら楽しくお話したりと、まあ大したことは
出来ませんが、そういう事もボランティアの一つではないかなと思ってい
るのですが、こういう掲示板でのお話もそうですよね。
ちょっと話しの方向がズレましたが、どうしても信じて行きたければ、
自分の持っているもの全てを投げ出す覚悟がなければ駄目なのではない
でしょうか。一方で、宗教とは全然違う生活をして(仕事など)、一方
ではなんとか星を信じているなんてご自分で納得していますか?上手く
宗教を利用するなんて方法があると思います?
ユダヤ人に向かって投石するパレスチナの子供達は、「神のご加護を。」
って言いながら、半分諦めたような顔をしていました。その間親達は平気
でユダヤ人の下で働いていましたが、彼らは信じざる得ないのですよ。
ここは宗教を熟知された方ばかりって書き方されていましたが、そうい
うことは少し天狗さんではないですが、天狗ではないでしょうか。私宗教
って未だによく解りませんけれども、宗教の悲しさとか怖さみたいなもの
は少しは解っていると思いますが、、、、。
[2000年8月4日 16時37分39秒]
お名前:
天狗
>宗教は信じさせられるもの・・・
おーっ!そうかもしれない。
いや、失礼、面白そうなのでちょっと書かせてくださいな。
私、若いころバングラディッシュにいまして、その時の感じたことなんですが。
バングラディッシュはご存知の通り、国民の大半がイスラム教でその教えは生活の
隅々にまで行き届いて居ります。しかし、日本のODAの状況からもわかる通り世界の
最貧国といってもよい貧しさです。路上には身寄りのない子供達が座り、笑うことの
少ない目は道行く人達を力なく見続けています。
「神は何も答えないのか」などとまだ20代の私は、信仰に疑問を抱いたものでした。
ここでは、生まれたときから生活そのものが、イスラム教の教義に従ったものですから
人々は知らず知らずに信じさせられるというより、もっと強烈に認識させられて行きます。
しかし、ある程度の知識階級の人々はそこから抜け出し始めます。より多くの価値観や観念
に出会うことにより自分の認識をイスラム教的なものからより幅広いものへと転換させて行きます。
私は、考えるのですがいろいろな宗教や哲学などは、本来自分の認識をより高次なものへと
昇華させて行くものなのでないでしょうか?思考の土台として最初は必要なものですが
無理にそこに留まることはないのではと思うのです。(留まってより深く勉強してもいいんですよ
こだわる必要はないと言う意味なんです)
宗教は信じさせられるものかも知れませんが、その先はそれぞれの人次第なんでしょうな。
ましてや、自分と違う道を歩いているからと言ってその人を批判するのは、バングラディシュ
で「神は何も答えない」などといっているいたいけな20代の若者と同じくらい、先は長い
ということでしょう。(それだけ楽しみも増えるのかも)
[2000年8月3日 15時1分38秒]
お名前:
牛若丸
子供の頃から、何か悪いことをすれば地獄に落ちるとか私の場合よく
片付けが出来なかったものですから、押し入れから鬼が来るよなんてい
われていまして、それが随分大人になってから人に話すと笑われました
が、やはりそういう部分は信じさせられたような気がします。
全てがそうだとは思わないけれども、そうやってずっと心の残ってい
る事が大人になっても忘れないでいて、そういう事っていうのはどれだ
け知識が付いても別問題だと思います。それで、もし何処かで押し入れ
から、鬼が出るよっていうことを信じている人がいて(信じさせられた
にしろ)お互いそういう話をしたら、なんか怖い展開になるような気が
しませんか。
私の場合それを特に強く言ったのは田舎の叔母なんだけれども、16
くらいの時にそれを言ったら、却って大笑いされて「嘘に決まっている
でしょう。」って言われたのだけれども、それで何かふっと重いものが
自分から取れたような気がしました。擦り込み学習っていうのでしょう
か、そういうのって。
私の知っている人で、女性ですがそういう宗教とか精神世界のことに
全然興味の無い人が居たのですが、最近大病をされてそれで少しだけそ
ういうものを信じるようになったのですが、今までは何やっても上手く
いっていたんですね、その方は。
人間ってやはり何か具体的な目標が欲しい訳ですよね。そういうもの
があれば強く生きることが出来そうだし、張り合いがありますよね。で
もそれを宗教に求めるのはちょっと違うのではないかなっていう気がす
るんです。「宗教と科学の一致」とか「政治と宗教の融合」とかそうい
うものを、宗教の場所で行うべきではないと思うんです。最初は単純に
漠然とした信仰心であったのに、教祖の人格がどうだとか教義から始ま
って、どなたかが色々な言葉を羅列されていましたが、そういうもので
信じていく部分は、やはり誘導(信じようとさせること)みたいなもの
を感じざるえません。
結局、人間って神様も信じたいのだけど人間も信じたいて思いません
か?現代は確かに酷い人が多いのですが、今更、アリとかイルカには人
間はなれないと思いますし、現実の社会の恩恵を受けている人達が、幾
ら原住民の話を持ち出しても説得力に欠けます。一度でもアジアの貧し
い国を廻って見てください。そういう人達の犠牲で、日本みたいな国は
成り立っているってことが御分かりになるかと思います。
ここの方は宗教のことがよく解っている方達なら、きつい言い方かも
しれませんが、当然他には無い信頼関係もあるのですか?もしそれが上
手く築けないとしたら、やはり何処かで信じられないっていう部分がお
互いにあるのだと思うのですが、それってやはり信じさせられた部分が
何処かにあるのではないでしょうか。
[2000年8月2日 13時49分3秒]
お名前:
ミミ天
牛若丸さん、こんにちは。ミミ天です。
牛若丸さんは、何か芸術方面のお仕事をなさっているみたいですね。文章も論理的
というよりは観念的で、私みたいな合理主義者には、少々なじみにくい部分がありま
す。オカルト的な事柄を信じて、それを前提に書きこみをしているような奴のどこが合
理主義者なのだというご意見もありますでしょうが、私は、「不可解な物事でも、それ
が確かに存在するなら科学的に説明できるであろう。仮に現在の科学では無理であ
っても、将来的には可能であろう」という思考の持ち主です。ですからオカルトを、た
だオカルトとして放っておく神秘主義は嫌いです。
> 宗教っていうと私の場合は、内村鑑三だとか近くの教会の牧師であったりと割と
>具体的であったような気がします。超常現象の方は余り得意でもありませんし、興
>味が無かったわけではありませんが、娯楽以上の関心の範囲を超えなかったような
>気がします。でも私達は感性の仕事ですから、信じないでもありませんし不思議な
>体験をしたこともあります。
牛若丸さんは、宗教とはどういうものと御考えなのでしょう。何かを信仰することです
か?神秘的な体験を現実のものとして受け入れるということですか?具体的と述べ
られていますが、私には「どーこーがー?」という印象なのですが。牛若丸さんは、こ
の掲示板に書かれている内容を「宗教的なものだ」と御考えなのですよね?牛若丸
さんの考える宗教という概念について具体的に説明してもらえませんか?
> これは私が個人的に思うことなんですが、そういう体験っていうのはとても人に
>は説明のつかない閉鎖的なものだと思うんですね。UFOを見たとかそういうことも万
>人の人には説明も証拠も確たるものはなくて、要するに自分がそれをどう捉えていく
>かの方が大切なような気がします。勿論、共通体験を持った人同士はある程度の共感
>はするとは思いますが、新しい宗教はそういう所から生まれているのではないでしょ
>うか。
私は、不思議を不思議として放ったらかしにはできません。その体験が、幻覚なのか、
真実なのか、真実だとしたらそれはどんな原理で起こっているのか大変気になりま
す。新しいものであろうと古いものであろうと、宗教の多くはそう言った神秘体験や奇
跡的な現象を教典に含んでいますね。しかし、宗教という沢山の人を含んだ組織で
あろうが、単なる個人的な体験であろうが、説明のつかない不可思議な体験をしてそ
れを神秘的で崇高な体験だなどと考え、追求しないのは、やっぱり健全なこととは思
えないのです。
正直なところを書くと、この掲示板の常連さんたちが無邪気に書いている霊的な現象
の体験談も、書きこみをした当人達の言う通りのものだと思っているわけではありま
せん。神や天使が現実に存在し、かつ、その正体が宇宙人である、という話に関して
も、他の常連さんほど真に受けてるわけでは無いです。でも、 Kouji さんは直前の書
きこみで、
>に感激しました。ただ、魂の構造や、見えない世界の詳細なことについて等は、
>すんなりと受け入れることができず、「わからないことはわからない」のまま、
>見過ごすようにしているのが現状です。
なんて書いてますから、案外、皆似たような姿勢なのかもしれません。
>特に有る本は近くの図書館に置いてありましたので、よく調べましたが神様というか
>自分の信じようとするものが、こんなに具体的にされてしまっても良いのだろうか?
>という印象を持ちました。
>それを信じるとなると、別の問題ではないでしょうか。神はもっと漠然としたもので
>はいけないのでしょうか。
訳のわからないものを信じるより、具体的なほうがいいじゃないですか。さっき真に受
けているわけじゃない、とは書いたけど、少なくともなんか神様と呼ばれる訳のわか
らん存在が、エイヤッと念じたら宇宙ができて人も生み出された、なんていうのより
は、地球より精神的にも科学的にも進んだ他の惑星の人間型生物が、人間が自滅
したりしないように影ながら力を貸してくれてると考えたほうが、よほど合理的だとは
思う(笑)。
>はいけないのでしょうか。それから、妙な言葉も気に掛かりました。一体何語かも解
>らないし、あれが理解出来る方がいるのでしょうか。
おお、ベーエルデ星の言語で書かれた詩かなんかを読まれたのでしょうね。何か、ド
イツ語っぽい言語をアルファベットっぽい文字で書いたもののことでしょ?少なくとも
地球人にはわかりませんな(笑)。あれを本物だとすると、アルファベットの原型はベー
エルデ星から持ちこまれたもの、ということになるけど、最近の研究では、アルファベ
ットはエジプトの一部で使われた表音文字が変形してできたもの、という、それなり
の証拠のある研究があるんだけどなあ。言葉のほうもベーエルデ語が印欧祖語とい
うことになるんだろうけど、まあこれはよくわからん。印欧祖語にはヨーロッパ起源説
とアジア起源説があるし。牛若丸さんが、不信に思うのも無理はないと思いますよ。
[2000年8月2日 13時12分1秒]
お名前: kouji
サーバのメンテナンス中の書き込みなので、
二重投稿になっていたらすいません。
●ミミ天さんへ
>P.S. これは、私の個人的見解なので、ちがうんだ!そーじゃない!
>というツッコミもあると思います。皆さんツッコミをよろしく。
遅くなりましたがツッコミを・・・
と言いたいところですが、
「ココばかりは」と突っ込むところは平均してないです。(^^;
「いろんな見解を個人個人が持っている」いろんな人の集まり
とは言えると思いますが、離れて見るとそうとも言えないのかも知れませんね。
●牛若丸さんへ
>自ら信じる事と信じさせられることは違うと思います。まあどちらも信じたことに
>は違いは無いのですが、私は信じさせられたことは、誰か第三者が居なければそこか
>ら抜け出せないのではないだろうか、という想像をします。
>皆さんは、自ら信じたという体験をお持ちなのでしょうか。
「自ら信じる事」と「信じさせられること」の例があれば
それぞれがどういうことか、わかりやすいと思うのですが、
それを脇に置いておいて、私のことを少し書いてみたいと思います。
もう10数年前のことですが(もうそんなに経ってしまっているのか(@@;)、
高橋信次さんの本を読んで、そこに書かれている現象や、内容(教え・道理)
に感激しました。ただ、魂の構造や、見えない世界の詳細なことについて等は、
すんなりと受け入れることができず、「わからないことはわからない」のまま、
見過ごすようにしているのが現状です。
>誰か第三者が居なければ
とかかれていますが、どうしてそう思われるのか、もしよければ教えてください。
「自ら信じる事」と「信じさせられること」の例もできればお願いします。
(というか、これがわからなければ私には何もわからないので・・・(^^;)
[2000年8月2日 1時1分7秒]
お名前:
牛若丸
色々、書き込みありがとうございます。私の仕事は少し特殊なので、人に感動を
与えたりすることで初めて仕事になるものと考えて頂いても結構です。それだから
私の生きがいはそういう仕事を通しての人の繋がりであったり、狭い世界ですから
駄目になってもすぐ解るのですね。理解して頂いた時の喜びは、言葉では言い表せ
ないくらいのものがあります。
宗教っていうと私の場合は、内村鑑三だとか近くの教会の牧師であったりと割と
具体的であったような気がします。超常現象の方は余り得意でもありませんし、興
味が無かったわけではありませんが、娯楽以上の関心の範囲を超えなかったような
気がします。でも私達は感性の仕事ですから、信じないでもありませんし不思議な
体験をしたこともあります。
これは私が個人的に思うことなんですが、そういう体験っていうのはとても人に
は説明のつかない閉鎖的なものだと思うんですね。UFOを見たとかそういうことも万
人の人には説明も証拠も確たるものはなくて、要するに自分がそれをどう捉えていく
かの方が大切なような気がします。勿論、共通体験を持った人同士はある程度の共感
はするとは思いますが、新しい宗教はそういう所から生まれているのではないでしょ
うか。
私の好きなダライラマ法王は、宗教の枠を超えて人と人が接し合うというような事
を仰っていますが、超常現象の共感、もしくは霊感みたいなもので知り合った方々は
当初はその代表者(教祖様?)にもそれなりの目的があったのかもしれないと、想像
しました。でも過去ログを少し見てもそういう部分が壊れていっているのですね。
只、その目的がなんであれ私は集団になる必要が何処にあったのかなということを
考えてしまいます。なぜなら私が思うに現代人にとって宗教とはあくまでも個人の問
題であって、国家とか特定の集団のものでは無いと思うのですね。それが、オウムで
はありませんが、組織を作ってしまうことが不穏な感覚を感じさせますし、必ずって
言って良いほどピラミッド型組織なんですね。
実は私、この2,3日の間に大体皆さんが仰るような教祖の方の本を読みました。
特に有る本は近くの図書館に置いてありましたので、よく調べましたが神様というか
自分の信じようとするものが、こんなに具体的にされてしまっても良いのだろうか?
という印象を持ちました。何処かの星から来て、生まれ変わったという部分について
はSFとしては大変面白いのですが、事実としては捉えてはいけないのではないかとい
う気がしてなりませんでした。勿論、作者の個人的な体験とすればそれまでですが、
それを信じるとなると、別の問題ではないでしょうか。神はもっと漠然としたもので
はいけないのでしょうか。それから、妙な言葉も気に掛かりました。一体何語かも解
らないし、あれが理解出来る方がいるのでしょうか。
自ら信じる事と信じさせられることは違うと思います。まあどちらも信じたことに
は違いは無いのですが、私は信じさせられたことは、誰か第三者が居なければそこか
ら抜け出せないのではないだろうか、という想像をします。
皆さんは、自ら信じたという体験をお持ちなのでしょうか。
[2000年8月1日 16時21分13秒]
お名前:
てんとうむし
「正法」は、高橋氏、千乃様が最初では、なく、仏教用語です。
せいほう、しょうぼう・・・などとも読みます。
道元の「正法眼蔵」という書物を読めばたくさん出てきます。
この言葉の解釈をいろいろに現代にわかりやすく、とりいれただけで
すから、その「あらわしている内容」をしっかり捉える必要が
あると思います。
そうすると、高橋氏や、千乃様があらわした内容には、
すばらしい点がみえてくるんですね。
高橋氏が唱えたから、千乃様が独自の捉え方をだした、という
判断から・・・・当然、自分たちが理解できるものであり、
現代の科学教育の線上にあるものであり、
気がついていなかっただけだったということが判るはずなんです。
それは、最早、宗教と呼べるようなものでないということが
判ってきます。
お釈迦様がおっしゃっていた、「法に従え」ということが現代科学の
自然法則と重なってみえてくるはずなんです。
それは、現代科学が基本にしている、自然法則を倫理道徳と併せて
とらえているものであることがわかってきます。
牛若丸さん
ここに集まってきている方は、宗教という概念を超えられて
その本質のみがわかってきている方たちです。
あなたが、知っている限りの宗教を思い出してみてください。
そうすると、いろいろな特徴があるでしょう?
日蓮の教えを守る人、イエスの教えを生きるひと、マホメットの指示に
従う人、お釈迦様の悟りに近づこうとする人。
それを思い起こしてみたとき、多くの人がそれぞれに共鳴しているのだから、
なにかそれぞれに良いものがあるにちがいないと思いませんか・・・
しかし、それぞれの特徴があっても共通のものがなにかあるかもしれない、
と思ったりもしませんか・・・愛という言葉でもいいです、意識してみてください。
数学で因数分解というのを習いましたでしょう、あの要領で、
各宗教の共通のところを見ていくのも良いと思います。
そうすると、つまり、倫理道徳の面だけがみえてきます。
愛・慈悲・智恵・勤勉・従順・謙虚・思慮・勇気・節制・沈黙・
規律・決断・節約・誠実・正義・中庸・清潔・平静・純潔・・・・
いっぱい出てきます。
そうすると、その大切さの気持ちが、わき上がってこないでしょうか。
その時、この地球に生きているんだから、共通のものを大事にしていけば
よりよい生き方ができるのでは、・・・と考えませんか・・・
この倫理道徳がわかると、宗教からは、卒業です。
さらに、いろいろな宗教にまつわる、奇跡、や、霊の問題などが
ありますが、この未知については、現代の科学的見方でとらえて
いきます。
[2000年7月28日 8時44分1秒]
お名前:
JUBILOSO URL
皆様、こんばんは。牛若丸さん、はじめまして。
申し訳ございません。
今月、来月は無茶苦茶忙しくってレスの時間があまりとれません。他スレにも書き込み
しないといけないんですが、今夜はここだけに書いて寝ます。
牛若丸さん、幸福について考えるというのは私も有意義なことだと思いますよ。
で、ですね。この幸福というものの捉え方が人によってまちまちだということに牛若丸
さんはお気づきでしょうか?
Aさんは万馬券が当たればそれが幸福、Bさんはいい仕事に巡り合えて、素敵な異性と
恋におち、結ばれたら幸福といいます。
しかし、食糧危機に瀕している国の子供達が一番幸福を感じるのは皆「水を飲む時」だ
と口をそろえるんです。
更に牛若丸さん、イルカやミツバチの幸せって考えたことあります?彼等、ひょっとし
たら人間よりも神様に愛されているかも知れないですよ。
彼等のことを知れば知るほど私は驚嘆されられます。動物じゃなくても、オーストラリ
ア原住民のアボリジニには文明人、特に欧米の価値観のエゴがなく、脳の外側視索原野
と内側視索原野というエゴに関係している部位や松果体の状態が正常なために憑依がな
く、あっても少なく、憑依が原因である疾病、特に精神性の病が極めて少ないのです。
ここで私が何を言いたいかなのですが、病気や不運というもののなかには「自分さえよ
ければ」という気持ちを強化してきた現代人の価値観への見直しが必要だという自然界
の警告があるのではないかと私は思うんです。その意味において、真の幸福について考
え、認識を新たにするというのは有意義なことです。
幸せになろうとして、こだわりや囚われの念を持ち、エゴを強化し、行き詰まりを見せ
てしまったのが今の私達の姿ではないでしょうか。
だからといって助けてくださいと他者にすがるのではなく、まず自分に出来ることから
始めていくことが大切です。釈尊は悟りの道程において、他にすがることはなさいませ
んでした。イエス様もそうです。
そして天使の方々がおっしゃったからそれに従うというのではなく、その内容に共鳴し
たからそれを話題にしているというのが実態です。「〜が言ったからそれに従う」では
単なる権威主義者です。
さて、お話が前後しますけど、イルカやミツバチの話は人間にも自然界との関わり合い
において当てはまると私は思うんです。
彼等、精妙な地球環境の中で生かされ、また地球の生態系の基盤を担っています。また、
一匹は全体のために、全体は一匹のために存在しています。外敵に遭うと果敢に防戦を
挑み、種の存続を守ります。仕事に穴があくと、他の個体がさっと仕事の穴埋めに行き
ます。
個々の独善的な幸福観に振り回され、脳内を憑依現象で汚している今の人類に彼等を下
等動物と蔑む資格が本当にあるだろうかと考える時、私はそれでも人類の可能性を信じ
たいと思い直します。
ここから先は、また時間的な余裕がある時にじっくり書きたいテーマですね。
今日はこの辺でおしまいに致します。
[2000年7月28日 2時51分41秒]
お名前:
hehehe
>> 只、私は誰かに救ってもらおうっていう気持ちは余り持っていません。でも結果
>>は今までにも誰かに、そうしてもらったのかもしれないけれども、運が良かっただ
>>けなのかもしれないです。
>
>ここに書きこみをしているほとんどの人も、宗教的な救いを求めているわけではあり
>ません。正法という教えは言ってみれば生き方の指針です。本質的には神様や天使
>がいても、いなくても関係ありません(と思っているのは私だけかもしれない)。
ここは、「昔から」、何をしてもらえるかではなく、何をしてあげるか考えろ、といわ
れているところだよ。して当たり前、というところなのだ(笑)。
変わってるだろ。
[2000年7月27日 21時53分53秒]
お名前:
ミミ天
牛若丸さん、こんにちは。ミミ天と申します。
> それとここに集まってくる人達の最終的な目的は何かということには興味があり
>ます。ココロの掲示板と違って、人と人が接することが目的ではないのですね。良
>い宗教を探すということですか、それとも只他の宗教の批判をするのが、目的?
>でもやはり、共通の話題でお話したくって集まっているんですよね。でも宗教って
>趣味とは違うし、一歩間違えば恐ろしいような気がするし、でも離れられない何か
>があるのですか?
このページに集って書きこみをしている方々の多くは、かつて、千乃正法という教え
に触れたことのある人です。一応宗教じゃないと言っていましたが、外部の人がみれ
ば間違いなく宗教だと判断するだろうし、実際のところ多くの新興宗教は”宗教では
ない!”と主張するので、何が違うのか判断は自分自身でしていただくしかないので
しょう。まあ、何かを信仰しているワケじゃない、というのはポイントかもしれません。
千乃正法グループというのは千乃裕子という女性が主宰者となって形成された、正
法という教えを学んで正法に沿った生き方をしよう、という人達の集りです。この女性
は、天上世界(天国つーか、あの世)の霊たちと霊的に交信していると主張し、天使
たちのメッセージを紙面などで発表しています。さらに、天使や神と呼ばれる存在の
正体はベーエルデという星から、三億年ほど前に地球に飛来してやってきた宇宙人
である、と主張しています。ただ、この主張は彼女のオリジナルではなく、GLAという
組織の主宰者であった、高橋信次が晩年に語った内容と類似しています。
ところが、このあたりまでは信じられても、その後にどんどんエスカレートしていった
彼女の主張について行けなくなり、多くの人が千乃正法グループをドロップアウトして
いきました。ドロップアウトしたほとんどの人にとってトドメとなったのは、「共産主義
者がスカラー兵器で私を攻撃している!!」という主張だったのではないかと思いま
す。少なくとも現在の彼女は、多くの人が精神分裂症に陥っていると判定するであろ
うし、事実そうなのだろうと思います。
大抵の人はここまで聞いただけでも、うわ、カルトじゃん!と思って引いてしまうでし
ょう。ここに書きこみをしている人々の多くは、そのドロップアウトした人々です。過去
および現在の千乃正法に対するスタンスは色々です。過去を含めて全ての主張を否
定する人もいるし、正法という教えのみを正しいとする人もいるし、今でも正しいけど
ちょっと不調なだけだと思っている人もいるし、単なるウォッチャーもいます。まあ、そ
れでも大抵の人は正法については正しいと思っているでしょう。
まあ、そういった様々な立場の人が集って自分の思うことをそれぞれ語っているんで
す。どういう目的で進んでいるか?別にはっきりとした目的があって集っているわけ
ではないと思います。
> 只、私は誰かに救ってもらおうっていう気持ちは余り持っていません。でも結果
>は今までにも誰かに、そうしてもらったのかもしれないけれども、運が良かっただ
>けなのかもしれないです。
ここに書きこみをしているほとんどの人も、宗教的な救いを求めているわけではあり
ません。正法という教えは言ってみれば生き方の指針です。本質的には神様や天使
がいても、いなくても関係ありません(と思っているのは私だけかもしれない)。
>皆さんというと、失礼なのかもしれませんがどうして宗教に関心を持ったかとい
>うことはお話されないのですか?それとも、そういう話しはタブーなの。
これも、別にタブーではないと思いますよ。私に関して言えば、昔から超常現象馬鹿
で、 UFO とか幽霊とかオカルト的な話が好きだったんですね。千乃さんの話って言
うのがそのへんまとめて全部合理的に説明つきそうな話だったから興味を持った,と
いうところです。別に救いを求めたわけではありません。
>なんか色々書いてごめんなさい。でもなんか読んでいて寂しくなってしまった
>のでついつい書いてしまいました。
ここにいるほとんどの人は、信仰こそが大切だなんて思っていないですよ。人間が
人間らしく生きるということが大事だと思っているハズ。人間を救えるのは人間だけで
あるという考えは、あなたと何も違わない。あなたの先入観による勘違い。
P.S. これは、私の個人的見解なので、ちがうんだ!そーじゃない!というツッコミ
もあると思います。皆さんツッコミをよろしく。
[2000年7月27日 15時20分13秒]
お名前:
hehehe
>でも何が目的なのかがさっぱり解らな
>いんです。どなたか、こういう目的で進んでいるってご説明出来る方がみえたら、
>教えていただきたく思います。
では、その前に聞くけど、あんた何の目的で生きているの?
[2000年7月27日 14時6分29秒]
お名前:
牛若丸
皆さん書き込みありがとうございます。私、宗教っていうのは全然知らないので
自分の推測で書いてしまったのかもしれません。私はとても自分への愛情が強い方
だから、なにかの犠牲になったりすることは苦手な方なのかもしれません。
どなたかの書き込みにあったけれども、私の幸福感は私自身が感じるもので、そ
ういう意味では感性っていうものを大切にしています。だから、正直言って私の幸
福感とか、そういうものはそんなに大袈裟なものではないと思います。
勿論、音楽も好きだし自分でも演奏するので、感動すると何か大きなものを感じ
ることはありますが、それは一緒にいる人と共感出来るし、宗教にもそういう部分
が本当にあるんですか?別に否定する訳ではないけれども、そういう共感したって
いう部分があれば教えて欲しいと思います。
それとここに集まってくる人達の最終的な目的は何かということには興味があり
ます。ココロの掲示板と違って、人と人が接することが目的ではないのですね。良
い宗教を探すということですか、それとも只他の宗教の批判をするのが、目的?
でもやはり、共通の話題でお話したくって集まっているんですよね。でも宗教って
趣味とは違うし、一歩間違えば恐ろしいような気がするし、でも離れられない何か
があるのですか?
只、私は誰かに救ってもらおうっていう気持ちは余り持っていません。でも結果
は今までにも誰かに、そうしてもらったのかもしれないけれども、運が良かっただ
けなのかもしれないです。
皆さんというと、失礼なのかもしれませんがどうして宗教に関心を持ったかとい
うことはお話されないのですか?それとも、そういう話しはタブーなの。
色々書きましたが私ここでの話しに興味を持ったのは事実です。自分とは違う世
界があるんだっていう軽率な気持ちですが、でも何が目的なのかがさっぱり解らな
いんです。どなたか、こういう目的で進んでいるってご説明出来る方がみえたら、
教えていただきたく思います。
[2000年7月27日 13時15分36秒]
お名前:
へロー天気 URL
*ちょっと参加*>牛若丸さん
>あれが、正しいとかこれは間違っているなんてことは、
>それぞれの考えに委ねる!では駄目なんですか。共感する喜びはあると思いますが、、、、。
たぶんこの辺りが一番言いたかった言なのではないかなと思います
掲示板で『あれが正しい、あれが間違ってる、これはどうだ、それはああだ』と
いうような内容の議論をするよりも、誰かの言葉を聴くなり、著書を読むなりしたとして
自分が『これは良い事だ』と想ったら、それを行なえば良いのであって
わざわざ天使とかそういうのを話しの中に出して掲示板で議論してても
何も変わらないし仕方が無いでしょう って事を言いたかったのではないでしょうか
ただ、私の読み方が当てっていても外れていても
Kojiさんも言ってる通りこの掲示板では
>ただ単に、天使に興味がある人たちが集まっているだけだと思いますよ。
ってな事でして、そういう話しをする所でもあるんですよね(その辺りが大体メイン)
>私自身もそうですが、傷付いて人間関係が嫌になったりすると、もっと違うこと
>で話題を変えたいって思うことありますけれども、それが余り具体的な宗教の話し
>だったりすると、なんか突然信じられない気持ちになります。
これを読む限り、ココロ系のサイトの掲示板に書き込んでいるという認識で
いらっしゃるのかな〜とも感じます
確かにこのサイトは人の心に関する事を扱っているとは思いますが
癒し系、ココロ系サイトではなく、一応、宗教の部類に入るサイトだと
認識して観てくださいな
[2000年7月27日 7時36分28秒]
お名前:
kouji
>それから、いろいろ疑問に思ったことを表す、それでいいんじゃないですか?
(念のために書きますが、人の言葉の揚げ足は、とらないでくださいね。どなたも。)
[2000年7月27日 1時11分20秒]
お名前:
kouji
牛若丸さん、こんばんは。
>みんなの為になにかしたい、そう思ったら色々やることあるしボランティアでも
>いいし、なんで天使だとかそういうものをイメージしなければならないんでしょう。
天使だとかイメージしないでもいいと思います。
なぜ、天使をイメージするのでしょう???
ただ単に、天使に興味がある人たちが集まっているだけだと思いますよ。
>私自身もそうですが、傷付いて人間関係が嫌になったりすると、もっと違うこと
>で話題を変えたいって思うことありますけれども、それが余り具体的な宗教の話し
>だったりすると、なんか突然信じられない気持ちになります。
私もあります。別に信じないでいいと思います。
>それにここの人達って実際にお会いしたりしています?それにどうして男性だと
>か女性だとか意識することがないのでしょうか?
よく意味がわかりませんが、
別に、性別を意識するとか意識しないとか考えませんが。
なぜ、意識する必要があるのでしょう??
以前よく行っていたチャットでも、性別など別にどうでもよくてみんなで楽しく
やっていました。(ある出来事が起こるまでは。)
>そういう事乗り越えているの?本当かなあ?
乗り越えているとかいないとかは、あなたがこだわっていることであって、
それはこの掲示板に書き込まれる人に対するあなたの偏見でしょうね、きっと。
別に誰も乗り越えているとかいないとか、考えてないと思いますよ。
>私のここの印象はなにか人と接するのが苦手な人が、あんまり個人個人に触れ
>ないようお話しているなっていう感じがしました。
>なんか色々書いてごめんなさい。でもなんか読んでいて寂しくなってしまった
>のでついつい書いてしまいました。
それは、あなたが「掲示板はこうあるべき」という
考えがあるからではないでしょうか?
ここはあなたが求めるようなそういう類のチャットでもないだろうし。
>傷つけるのも人間なら、なにかのきっかけで救ってくれるのも人間だと思うよ。
>愛なんて、難しいことワカンナクタッテ、困った人を助ければそういう気持ちに
>なれると思う。
そうですね。
>幸福の科学とか、高橋何某だとかそういう人が立派なこと言って
>いたら、その中の何かを実践すればいいんじゃない。あれが、正しいとかこれは
>間違っているなんてことは、それぞれの考えに委ねる!では駄目なんですか。共
>感する喜びはあると思いますが、、、、。
それぞれの考えに委ねる、それでいいんじゃないですか?
それから、いろいろ疑問に思ったことを表す、それでいいんじゃないですか?
[2000年7月26日 23時50分43秒]
お名前:
hehehe
人間って、幸福を追求するものではないのでしょうか。それだから、こうやって
多くの人と話をしていると、世の中の幸福に近づいていると思われるのでしょう
か。でも、それは結局、みんな、御自分の為ですよね。
私自身もそうですが、傷付いて人間関係が嫌になったりすると、もっと違うこと
で話題を変えたいって思うことあります。それが余り具体的な宗教の話し
だったりすると、なんか突然信じられない気持ちになります。でも、このHPの人
は、信じろとか、だれも強制していませんよね。
みんなの為になにかしたい、そう思ったら色々やることあるしボランティアでも
いいし、なんで天使だとかそういうものをイメージしなければならないんでしょう。
でも、してはいけないこともないんですよ。ドラエモンをみて、笑ってる人もいるの
ですから。
自分の好きな人と付き合って、たくさん友人があってそれで結構満足だという人も
いますし、それだけでもとても人に優しくなれるような気がすろ人もいます。でも、
そう言う人が傷ついてしまうことを愚痴っているのって、何か変ですよね。
私がこの人に対する印象は、なにか人と接するのが苦手な人が、あんまり自分のことに触れ
ないようお話しているなっていう感じがしました。
なんか色々書いてごめんなさい。でもなんか読んでいて寂しくなってしまった
のでついつい書いてしまいました。
[2000年7月26日 23時14分50秒]
お名前:
hehehe
>宗教って、幸福を追求するものではないのでしょうか。
それ以前に聞いてみたいのですが、、、
少なくともあなたにとっての、自分の「幸福」って、なんなのですか?
それに加えて、他人の「幸福」とはなんなのですか?
[2000年7月26日 21時53分33秒]
お名前:
hehehe
あなたが生きているのだって、自分自身のためですよね。
社会のためにボランティアをしているとかいっても、結局は、巡り巡って自分に
役に立つと思うからしてるのでしょ。だとすれば、あなただって、自分のために
しか、何もしていないことになりますよね。
> みんなの為になにかしたい、そう思ったら色々やることあるしボランティアでも
>いいし、なんで天使だとかそういうものをイメージしなければならないんでしょう。
してはいけない理由を教えてください。私は天使(=聖霊)は、実在すると思っていますし。
それにボランティアをしていないと決めつけているかのような、あなたの言い方は失礼
でしょう。
> それにここの人達って実際にお会いしたりしています?それにどうして男性だと
>か女性だとか意識することがないのでしょうか?そういう事乗り越えているの?
>本当かなあ?
「そういうこと」って、何ですか?意味不明ですね。理解可能なことを言ってください。
>それぞれの考えに委ねる!では駄目なんですか。共
>感する喜びはあると思いますが、、、、。
みんな、少なくとも私はそうしてますよ。もう、変な決めつけは止めてください。
不愉快です。
> なんか色々書いてごめんなさい。でもなんか読んでいて寂しくなってしまった
>のでついつい書いてしまいました。
私は、不愉快さと共に、あなた以上の虚しさを感じましたよ。
失礼。
[2000年7月26日 21時34分37秒]
お名前:
hehehe
すいませんが、何が言いたいのか分からないのですが。
> 私のここの印象はなにか人と接するのが苦手な人が、あんまり個人個人に触れ
>ないようお話しているなっていう感じがしました。
あなただって、人のことは聞きたいけど、自分の私生活のことは、とやかく言われたく
ないのでは?
[2000年7月26日 21時9分32秒]
お名前:
牛若丸
宗教って、幸福を追求するものではないのでしょうか。それだから、こうやって
皆さんとお話になっていると、世の中の幸福に近づいていると思われるのでしょう
か。でも、それは結局御自分の為ですよね。
私自身もそうですが、傷付いて人間関係が嫌になったりすると、もっと違うこと
で話題を変えたいって思うことありますけれども、それが余り具体的な宗教の話し
だったりすると、なんか突然信じられない気持ちになります。
みんなの為になにかしたい、そう思ったら色々やることあるしボランティアでも
いいし、なんで天使だとかそういうものをイメージしなければならないんでしょう。
それにここの人達って実際にお会いしたりしています?それにどうして男性だと
か女性だとか意識することがないのでしょうか?そういう事乗り越えているの?
本当かなあ?
自分の好きな人と付き合って、たくさん友人があってそれで結構満足だと私は思
いますが、それだけでもとても人に優しくなれるような気がします。
傷つけるのも人間なら、なにかのきっかけで救ってくれるのも人間だと思うよ。
愛なんて、難しいことワカンナクタッテ、困った人を助ければそういう気持ちに
なれると思う。幸福の科学とか、高橋何某だとかそういう人が立派なこと言って
いたら、その中の何かを実践すればいいんじゃない。あれが、正しいとかこれは
間違っているなんてことは、それぞれの考えに委ねる!では駄目なんですか。共
感する喜びはあると思いますが、、、、。
私のここの印象はなにか人と接するのが苦手な人が、あんまり個人個人に触れ
ないようお話しているなっていう感じがしました。
なんか色々書いてごめんなさい。でもなんか読んでいて寂しくなってしまった
のでついつい書いてしまいました。
[2000年7月26日 18時50分13秒]
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