記事タイトル:唯物論と正法 


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お名前: てんとうむし   
書き込みありがとうございます。
正法と唯物論の関係。物事を科学的な認識に還元してしまう見方を考えるとき、
どうしても唯物的な認識ということが頭にでてくるので、
皆さんの意見を伺ってみたかったのですが・・・

いろいろ考えてみていますが、難しいですよね。
唯物の領域を超えた未知の部分、まだ、因果律で解決されていない
ものがある・・・それに対する「姿勢」は、単純に唯物の認識だけで
望んでいくのでは、なく、唯心的なものも必要な気がするし・・・

面白い例で、日本の刀の性質をドイツの熟練した鉄の技術者が
分析し、それと同じものをつくろうとしたが、どうしてもできなかった。
日本の刀鍛冶は、身を清め、神に祈りをささげ、儀式を行い、
心身の一如のような姿勢でつくる・・・それがなんらかの
影響を及ぼしている・・・
カオス理論のように結局は、因果律が隠されているのかも
しれないが、人間には、それを見抜けない。因果律で、見切れるという
予測は、あっても、限界を感じて、理解していなければならない
ところがある。

正法は、人の心の部分と大宇宙・大自然の法則との調和も
述べていますから、唯物以上の認識でないとまずいような
感じがしていますが・・・
「人間の精神も物質としての頭脳の一つの機能」として
とらえていいが、それをとらえて、実際の生活にその認識で
望んでいくと、なんだか、自分が機械人間みたいで
宜しくない・・・窮屈なんですよね、いろいろ考えていくとき・・・

ある番組で、アメリカのネイティブインデアンが住んでいる
風の谷というのがあり、そこへいった様子をやっていましたが、
笛を確かつくっていたと思いました。そこへ行った日本人は、
日本の江戸風鈴を持っていってインデアンに見せたんです。すると、
インデアンの人はその風鈴を見て、音を聞き、「これは、
なんですか、神の音色がする」と言ったんです。
そこで、日本人は、それを「いきをガラスに吹き込んで、作ったものです。」
と説明すると・・・
インデアンは、「魂を吹き込んでいるから、神の音色をだすんですね」
と納得したように語りました。
私は、この言葉にとても感動しました。

この場合、現実の仕組みは、唯物的でしょうが、それをマクロ的に
飲み込んで、人間の生活に必要なものをとらえているようなきがします。

「・・因果律が成立するのはマクロな世界だけです。」という
捉え方は、ちょっと面白いですね。
つまり、唯物的な捉え方と私は、因果律を関係あるものと
とらえていたのですが、そうでは、なく・・・
因果律は、あくまで、人間の心の領域がつかんだものであり、
物質だけの法則変化では、ないということでは、ないのかという
考えがでてきます・・・
[2000年9月8日 2時40分43秒]

お名前: ミミ天   
てんとうむしさん、こんにちは。ミミ天です。

もう少し考えを進めてみました。

「量子論を適用した場合、原因から結果を演繹的に決定することはできない。
だから、ミクロの世界では因果律は成立しない」という考え方は、間違えてい
るかも知れない、と考え始めました。演繹的に結果を特定する事は無理でも、
結果から、帰納的に原因を特定することは出来ますから(過去については波動
関数が収束しているから)、そういう意味では、因果律はちゃんと成立してい
ると言って良いのかもしれません。それなら、正法(というか因果律)と量子
論は矛盾しない事になります。

しかし、量子論では、それ以外でも因果律が破綻してしまいそうなパラドック
スがいくつか指摘されているはずなので、全部解決、という訳には行かないで
すが。もっとも、量子論自体が破綻した理論である可能性もある(笑)。

いずれにせよ、最初に破綻するの私の思考でしょう(笑)。
[2000年9月1日 15時8分18秒]

お名前: ミミ天   
JUBILOSOさん、こんにちは。ミミ天です。

29日こんなニュースがありました。

》 米カリフォルニア大学ロサンゼルス校の研究チームは、ナルコレプシー患者
》4名の遺体の脳と健康な人の脳を比較。患者の脳には、メッセージを伝達する
》化学物質ヒポクレチンを分泌する神経細胞のほとんどすべてが欠如しているこ
》とを発見した。米スタンフォード大学の研究チームもこれを確認した。
》 米国立神経疾患・脳卒中研究所(NINDS)の睡眠障害の専門家、シェリ
》ル・キット氏は、電話での取材に対し、「これで治療個所を特定する手掛かり
》がつかめた。研究者が既に動物実験を始めている」と述べた。
[2000年9月1日 7時8分3秒]

お名前: JUBILOSO   
もう一つ書いておきます。
ナルコレプシーは特定の遺伝子が発病に関係していると書きましたが、親が仮に発病して
いたとしても、子が発病する可能性は極めて低いということは付記いたしておきます。
[2000年9月1日 3時2分13秒]

お名前: JUBILOSO    URL
てんとうむしさん、ミミ天さん、こんばんは。
物理学上の基本的な路線、焦点は既にミミ天さんがお書きになられてますね。
実をいうと、この「努力なんて無駄だ。」というお話で今、私はとても考えさせられてる
ことに遭遇しています。私の知り合いの女の子がかかっている遺伝病のお話です。

ご存知の方がいらっしゃるかも知れませんが、その病気の名は「ナルコレプシー」という
ものです。過度の眠気が最大の特徴で、普通10分位〜1時間以内の居眠りを繰り返すの
です。で、眠ったらしばらく起きていますが、また眠気を催すというパターンを持ち、程
度差こそありますが、情動脱力発作やレム睡眠にまつわる睡眠麻痺、金縛り、入眠事の悪
夢等の症状を伴います。
特定の遺伝子が発病に関係しており、それは白血球の組織適合抗原検査結果が陽性であれ
ば発病の可能性があります。(陽性でも発病しない可能性もあります。また、陰性の場合
は発病することはありません。)

説明が長くなりました。で、ナルコレプシーですが、今では症状を緩和する薬もあり、適
切な医師のもとで日常生活を送るならば問題ないのですが、病気であるという認知が低い
ため、「単なる怠け者」のレッテルを貼られてしまったり、また遺伝病であることから、
いわれのない不当な扱いを受けることもあります。
私の知り合いのある女の子がその病気に罹ったために、診断される前は怠け者という誤解
を受け、可愛い容姿、性格、知性の持ち主であるにもかかわらず、いじめや恋を失う経験
をしてきたという過去を聞かされ、また、今は遺伝病であることを告白するとそれだけで
男性の腰が引けてしまうという話で、私はそれを聞いてもうその子のことをきゅっと抱き
しめてあげたくなるくらい胸がつまる想いがしました。
彼女は遺伝病という決まってしまったレールの上にいます。しかし、医学は進歩しますし、
人々の誤解も解いていかないといけません。社会一般のこの病気に対する正しい理解も必
要だと思います。
努力は無駄じゃない。未来は変えられる。また変えていきたい。私はそう思います。
そして、この病気に苦しむ方々のために日々真剣に研究をされてる医学者の方々に私は心
から敬意を表したいです。

(唯物論と正法からかなりはずれたお話になってしまいました。申し訳ございませんです。)
[2000年9月1日 2時31分33秒]

お名前: ミミ天   
てんとうむしさん、こんにちは。ミミ天です。

> 正法は、法則ということで捉えていくと、因果律を結局、基本にしています。
> とすると、それは、この唯物とつながってくるのでしょうか。

難しい話ですね。唯物論と正法ですか。

因果律というのはある原因によって、結果が決定論的に定まる、という考え方
ですよね。初期条件と、物理現象を支える物理法則を正確に知っていれば、結
果は計算によってわかる、という考え方でもある。例えば人間と人間を取り囲
む環境を素粒子レベルでとらえて、コンピュータで演算することができれば、
正確な未来が予測できるということです。人間の精神も脳を構成する粒子の運
動の結果にすぎないから計算可能だということにもなります。これは唯物論的
と言って良いでしょう。この宇宙をつかさどっている、全ての物理的法則を知
っていれば、それが可能だという考え方ですから、<大宇宙・大自然の法則>
という考えとも一致するような気がします。そうすると、正法の本質は唯物論?

全てのことが、因果律によって原因と結果を一元的に結び付けられるという考
え方は、ある意味非常に自由度が低い考え方で、例えば、この宇宙で起こる全
ての物理現象は、宇宙が誕生した時点でもう決定していることになり、なんと
いうか運命論的な色彩すら帯びてしまいます。人間がどんな行動をとろうと、
それは、そうなるように決まっていた、ということになり、努力なんて無駄だ
という考え方に結びつきかねません。

しかし、実際のところ、因果律が成立するのはマクロな世界だけです。少なく
とも、現在の我々の科学知識では、ミクロの世界の計算は量子論に基づいて計
算を行わなければならなりませんが、量子論には不確定性原理という壁があっ
て、決定論的な未来を計算できませんね。確率のお話になってしまう。結果を
確率でしか出せないのでは、因果律が成立しているとは言い難い。アインシュ
タインなんかは、それが納得できなくて、量子論は物理現象を記述するための
完全な理論だとは絶対に認めなかった(この辺はみなさんも良くご存知でしょ
う(笑))。現に今でも素粒子が確率的に振舞うようにみえるのは、我々の知
らない未知の変数があるのだ、と考える人は生き残っている訳ですし。

でも、人間の意志がはじめから決定論的に決まっているなんていう考え方は、
誰も歓迎しないですよね。むしろ私は、脳の微小管における量子干渉の重ねあ
わせ状態が自己収縮を起こし、我々の意識の流れを作っているという、量子脳
理論などの決定論的でない考え方に夢を感じていますが....人間が自分の意志
で未来を決定しているという考え方ですから。

現在の千乃さん達は、ミクロの世界でも決定論的に運動を計算する理論がある
と信じて、一生懸命それを探していますけど、どうなんでしょうねえ....

ああ、自分でも何を書いてるのか良くわからなくなってしまった。収拾がつか
ない。何か、根本的なところで間違っている気もする....
[2000年8月31日 14時34分54秒]

お名前: てんとうむし   
ちょっと皆さんの考えをうかがってみたくて、このテーマを取り上げて
みました。

正法は、<大宇宙・大自然の法則>と説明されています。
唯物論は、「挟義」では、マルクス主義をさしますが、その意味ではなく、
<唯物=真の存在は、ただ物質だけであると考えること。そこからのとらえ方。
つまり、宇宙の諸現象の本質は、主体を離れた客体的な物質であって、
人間の精神も物質としての頭脳の一つの機能にすぎないという説。>という論。


正法は、法則ということで捉えていくと、因果律を結局、基本にしています。
とすると、それは、この唯物とつながってくるのでしょうか。
皆さんは、どう考えられますか?
[2000年8月31日 7時45分4秒]

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