お名前: 観ちゃん
>ただ、どうしてもそれがないと信じない方たちのために
>(唯物論者とか)あえて出したにすぎないと考えています
なるほど!そういう理由もありえますね!
[1999年1月16日 22時30分8秒]
お名前: 観ちゃん
ユニコーンの翼さん、ご意見ありがとうございます。(^^)
〜〜〜〜〜〜〜
他に返答くださる方、いらっしゃいますでしょうか?
[1999年1月16日 22時24分13秒]
お名前: ユニコーンの翼
うーん、でもやっぱ不可欠なのかな、私にはわかりません(^^)
[1999年1月16日 22時0分56秒]
お名前: ユニコーンの翼
私の意見・・・
>「現証は、文証・理証とともに正法には不可欠の要素なのはなぜ?」
私個人は、不可欠の要素とは思えないのです・・・
ただ、どうしてもそれがないと信じない方たちのために
(唯物論者とか)あえて出したにすぎないと考えています。
これでよいですか?
[1999年1月16日 21時39分44秒]
お名前: 観ちゃん
ご返答大変ありがとうございます。
「現証は、文証・理証とともに正法には不可欠の要素なのはなぜ?」
の質問に対するJUBILOSOさんの考えとして受け取らせていただきます。
「正しい法があり(文証)実践する(理証)と、奇跡が起こる(現証)」といわれている。
そして、「悪霊による奇跡もまた多い」。
「文証と理証の充実なくして、現証の意義を正しく理解することはできない」。
ということですね。
「不可欠の要素なのはなぜ?」という質問ですが、
「不可欠な要素」というよりは「附加要素」という感じなのでしょうか?
「現証の意義を正しく理解する方はここにいる可能性は少ないのではないだろうか」
ということでしょうか。
〜〜〜〜〜〜〜
この質問もしくは他の質問に返答くださる方、いらっしゃいますでしょうか?
[1999年1月16日 20時51分16秒]
お名前: JUBILOSO
URL
申し訳ございません、私の一つ前の投稿文のURLが間違ってます。この投稿文のURLが
正しいものです。(最近ドジが多い管理人)(^^;
[1999年1月15日 19時3分49秒]
お名前: JUBILOSO
URL
観ちゃん、Magusさん、こんばんは。
まずは観ちゃんのご質問から、私が思うことを書かせていただきます。
現証が理証、文証と共に正法を構成する要素にあげられるのはまず、正しい教え(文証)を
説き、行為として実践することと人間の心と大自然の理法を論理的・科学的に実証すること
(理証)とがクリアできた時に初めて天上界と地上界との関連性において正しい形での奇蹟
(現証)が表出されるからなのです。
この場合の現証とは、巷のあやしげな宗教団体にみられるような興味本位かつおどろおどろ
しいものや大道芸人的なものではなく、(そういうものは現証とはとても言えないものであ
ることは皆様納得していただけるものかと思います。)人を健全なる精神の向上にむかわせ
る性質を帯びています。
超常現象があったからといってその全てが真の奇蹟だとは限らず、その現象があったからと
いって即飛びつくのは理性的な姿勢ではありません。悪霊による奇跡もまた多いのです。
しかも、知的レベルが高い悪魔の類は困ったことに正法に限りなく近いことを語ることさえ
できるのです。
たとえて言えば、彼等は10のうち8、9まで正法に沿ったことを説き、残りの1で人々を
正法から引き離してしまい、したり顔をするのです。
彼等の言葉はよく出来たフェイクですが、どこかに彼等の本性が隠れています。自己顕示欲
や傲慢さがあったり、粘着質で執念深かったり、タイプはいろいろありますが、正法を説く
に相応しくない要素があるのです。私達は彼等の魔の言葉や偽の奇跡にはだまされないよう
心を磨き、本物の正法にふれ、(ニセモノを見破るのに最も良いのは常に本物にふれている
ことです。)調和に満たされた行為を忘れないようにしないといけません。
理証を正しくうけたまわる姿勢もそこから自ずとあらわれてくると私は思っています。
まずは文証と理証の充実が真の現証をみいだせる心を作り出します。それなくして現証の意
義を正しく理解することはできません。高橋信次先生ご生前の時代も、そして今もそのよう
な人は残念ながら(いないとは申しませんが)小数派なのです。
続きましてMagusさん、これから私のHP運営がどのようになるか予想がつかない状況
にありますが、真の正法を提示できるべく研鑚していきたいです。少なくとも私が行ったこ
とがネット界に良い影響をおよぼすようなHPにしていきたいです。
答えはすぐには出てこないかも知れませんが、それが私の今の思いです。
私は人類のユートピアが見たいです。真の救いの言葉を載せていきたいですし、私のHPに
もそのような要素を持たせたいです。
私のHPにいらっしゃる皆様には心から感謝いたしております。勿論Magusさんにもで
す。
「SERAPHIC FIELD(熾天使の広場)」管理人としての、今の私の気持ちです。
[1999年1月15日 18時55分16秒]
お名前: Magus
こんにちは、Magus です。
>「これからの僕はどうジェイアイのことを語っていけばいいんだろう・・・・。」と今考え
> ています。
そうですね、あなたの素晴らしいお母様と心ゆくまで、ゆっくりお話をされてみては
いかがでしょうか? あなたのお母様もあなたの幸せを心から願ってくださっています。
JUBILOSOさんのお幸せ私も心からお祈りしております。
私は、これより、深い深い祈りへと入ります。あなたがたを優しく包み込む光になるために。
信次先生は、晩年に「私は光です、私を信じなさい」と言われました。
私も信次先生の光を広げていく光の天使としての自覚をもって、最後にみなさまに言います。
「私も、信次先生とともに、いつもあなたがたのそばにいる光です」
それでは、またどこかでお目にかかれるときまで・・・
[1999年1月15日 11時59分20秒]
お名前: 観ちゃん
「現証は、文証・理証とともに正法には不可欠の要素」なのはなぜでしょうか?
現証が「人類の精神を更なる向上にいざなうもの」となるのは、
どういう過程を経てそうなるのでしょうか?
「現証を、正しく受けとる心」とは「どのような状態の心」なのでしょうか?
「私たちが学んだはず」の「現証の正しい意味」は何でしょうか?
どなたかお答えくださいますか?
[1999年1月15日 1時12分48秒]
お名前: JUBILOSO
URL
ブッタ・スートラを心に・・・さん、はじめまして。
管理人としてのコメントが今、なかなか出てこない状況にあります。申し訳ございません。
ブッタ・スートラを心に・・・さんも高橋信次先生の正法をご支持されてるお方ですね。
高橋信次先生が現証を起こされたのは人寄せが目的ではなかったことは事実です。
ただ、それを目のあたりにした人々に現証の真意が分からなかったということはあったと
思うのです。天上界は高橋信次先生の時もイエス様の時のような思いで現証をあらわすの
にご協力なさったはずですが、正法を学ぶ側の人々がその意義を正しく捉えねばならない
と私は思うのです。
ただ、「自分の要求がかなったからよかった。」で終わりでは現証の意義が失われます。
現証はパフォーマンスでも、ドラえもんのポケットでもなく、人類の精神を更なる向上に
いざなうものでなければ「ふーん・・・すごいすごい・・・で、それで?」というお話に
堕してしまいます。
現証は文証、理証とともに正法には不可欠の要素であり、また、それを受け止める人類の
側にも真意を汲み取る精神が必要です。
ところで、最近のジェイアイに奇蹟がないからといって、即それが現証の否定になるとは
言えないと私は見ています。過去に奇蹟の実績があり、天上界の方針によって現証が行わ
れないだけだからです。
それはともかく、「母が今の私のことを・・・」というお話は私にとって驚きでした。
母は輪廻転生を信じています。人には生まれ変わりがあると。そして死後も霊魂は存続
すると・・・・・。
母は従来の輪廻転生理論を否定するジェイアイに疑問を持っています。私はこれにつき
ましては母に説明しても(現在のところ)受け入れてもらえてないです。辛いですが。
まあ、私も毎日毎日ジェイアイのことを言ってるわけではなく、日常生活ではむしろほ
とんどジェイアイのことは家庭内で話をしていません。ですから、親子関係にヒビが
入ることもなく仲良くできています。それ以前に親子のこの上なく固い絆を母とは感じ
ております。
昔、私がおかしな宗教にはまった先輩から勧誘を受け、間違った道に進もうとした時、
いつもはとても優しかった母が私の挙動がおかしくなったことを鋭く見抜き、厳しく
引き止めたなんてことがありました。でも、今は母に感謝しています。
あの時母に叱られなかったら、今頃私は母とは会えなくなってたところでした。
日頃はとっても明るく優しく、朗らかで料理が上手で、綺麗で(手前味噌でごめんなさい)
子供の頃、いじめにあった時は母の顔を見、暖かい声を聞いただけで涙が溢れてました。
なんだかジェイアイとは別のお話になってしまいましたね。申し訳ございません。
「これからの僕はどうジェイアイのことを語っていけばいいんだろう・・・・。」と今考え
ています。
[1999年1月14日 23時59分36秒]
お名前: プッタ・スートラを心に…
現証を、正しく受けとる心の段階に達していなかった人類…。
しかし、その幼児的段階から進まねばならないというのなら、
現証を正しく受けとる心を養成することにもなる、ということですね。
信次先生の時には急がねばならなかった、そのゆえの混乱でありましょう。
しかし、その混乱を教訓として、現証の正しい意味を私たちは学んだはず
であります。正しく使われる現証ならば、神理の証明として、やはり欠か
せないものです。
極端に走らず、正しく物事を捉えて参りましょう。
現証は、行なわれていますよ。
正しい奇跡は、静かにそれとわからず常に起こっています。
天は、奇跡を起こし続けています。
それを奇跡と感じないのは、私たちが愚かなゆえです。
奇跡を当たり前と思い、感じる能力がないだけであります。
信次先生は、霊能力に頼るのを戒められました。
その心がわからなかったからといって、信次先生の法が色あせるわけでは
ありません。信次先生は人を引き付けるために、現証をしたのではありま
せん。
地に足のつかぬ天使よ、あなたのお母様は、あなたの今の姿を見て
お幸せですか?
あなたは、周りの方を、今、現実に、どれだけ幸せになさっていますか?
上の視点からの救済は、押しつけ以外の何ものでもありません。
自分の足元から、徐々に光の輪を広げていくのが真の伝道です。
正法の道は己の心のうちにあるものです、上からいくら声を張りあげても
どうにもならないものです。上からの押しつけこそが、幼稚な他力の心を
生んでしまうのですから。真の天上界は、声を大にして導くのではなく、
静かに本人の自覚を促すものです。それが、幼稚でない、自力だからです。
現証はいらぬというあなたは、なぜ己の心と行ないに頼らず、天使の声に
頼ろうとするのですか?
なぜ、己の心のうちの疑問の声を、打ち消そうとしてしまうのですか?
あなたのうちから湧き起こる疑問こそ、あなたの守護天使の声であるかも
知れないというのに…。
[1999年1月14日 13時38分0秒]
お名前: JUBILOSO
URL
恥ずかしながら、このHPを作って管理人として動揺しております。
本当はHP管理人は動揺などしてては勤まらないのですが、自分を
ふりかえる時期ではないかと今、思っています。
ジェイアイ反対論がこの掲示板に載ること自体は「言論の自由」を旨
とする以上、よいと思うのですが、反対論がこれだけ載るということ
は私自身謙虚に受け止めねばならないと考えています。
誤解を招く表現は管理人として禁物であるということや投稿文をよく
読解し、それに正しく答えることができているか否かといったことは
当然反省されねばならないことですが、それとは別の問題として、
千乃正法は高橋信次先生の時代の正法と比較して人を引き付ける要素
を敢えて捨てたということについて管理人としてこの場で語ろうかと
思います。
千乃正法は高橋信次先生のような異言やテレポート、他心通といった
現証を排しています。もっとも、昭和50年代の初期千乃正法には天
候をあやつる奇蹟や逆虹を太陽や月にかける現象を事前に起こすこと
を予告したり等のおどろおどろしさとは無縁の健全な奇蹟がありました。
しかし、奇蹟が真に人の精神の向上のためになる訳ではないことや、
悪霊による奇跡現象が多々出てきたため、天上界は奇蹟を起こすこと
をなさらなくなりました。
千乃正法が地味なのはパフォーマンス的な要素が無く、問題解決に奇
蹟といったものを持ち出さないことがその理由としてあげられます。
「なんだぁ・・・つまんないの。」と思ったお方が多いかも知れませ
ん。でも、私は天上界の方々のお気持ちが分かるような気がします。
モーセ様の時代にも、イエス様の時代にも、天は人々に奇蹟を惜しみ
ませんでした。でも、幼児的な精神の人々はそれでもイエス様やモー
セ様に不満を打ち付け、更なる奇蹟をと足る心を失い、道をはずれ、
感謝するのは自分の要求が通った時のみであとは精神が幼稚なまま。
これでは人類に進歩はないと天上界がお考えになるのも当然だと思う
のです。高橋信次先生の正法が千乃正法に移行したのは当然のことと
私は見ております。もういいかげんに人類は幼児的精神から成長せね
ばならない時期に来ているからです。
この文章を書いてると、なんだか迷いも晴れてきましたよ。(^^)
さあ、HP運営、がんばってこ〜!!
[1999年1月12日 23時14分6秒]
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