お名前: てんとうむし
JUBILOSOさん
>さて、てんとうむしさんのおっしゃる海外のエチケットを加えた形での教育体系に
日本の歴史やマナーのことを教えるというご提案は実に良いですね。私も同感です。
*******************
ありがとうございます。
>無論、その際に教える日本の歴史観は、いわゆる自虐史観に毒されたものではなく、
真に日本が歩んできた歴史を歪曲したりせずに伝えることが必要なのは言うまでも
ありません。
*******************
そうですね。そうしたいです。
自由主義史観の人や、道徳教育の再考をされているかたに今後、なんらかの
形で働きかけてみたいと考えています。
大きな動きになることを夢見て・・・
>野口英世氏とアレキシス・カレル氏の出会いのお話がちらりと出ま
したが、私はある程度道を究められたお方であればあるほど、そう
いった類の出会いの機会が増えるのではないかと見ております。
この出会いというもの、なかなかの曲者・・・いや、人生を左右す
るものですね。
*******************
そうなんでしょうね。
>自分のことは本HPではあまり詳しく書けないのが残念ですが、私
も出会いの経験がいくつかあります。
-----
でも、やはり私の拙い過去の経験からでも出会いに関する傾向は実
感出来てます。私はそのことが書きたいです。(^_^;
やはり、自分が成長し、道が開けていくに従って重要な出会いに恵
まれるようですし、素晴らしいお方とのご縁もできるようです。
*******************
すばらしいですね。
[1999年5月3日 7時57分28秒]
お名前: JUBILOSO
URL
てんとうむしさん、こんばんは。
「期待される人間像」パンフの件、拝読させていただきました。ありがとうございます。
さて、てんとうむしさんのおっしゃる海外のエチケットを加えた形での教育体系に日本
の歴史やマナーのことを教えるというご提案は実に良いですね。私も同感です。
無論、その際に教える日本の歴史観は、いわゆる自虐史観に毒されたものではなく、真
に日本が歩んできた歴史を歪曲したりせずに伝えることが必要なのは言うまでもありま
せん。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>全体の流れが問題あると思うので、個人をみていくと立派な方も
>たくさん出ているとは思うのですが・・・
これは私も同感です。個々人だと素晴らしいお方は無論いらっしゃ
ることでしょうし、実際私が会ってみて、そうだと思う方々も多々
いらっしゃいます。
野口英世氏とアレキシス・カレル氏の出会いのお話がちらりと出ま
したが、私はある程度道を究められたお方であればあるほど、そう
いった類の出会いの機会が増えるのではないかと見ております。
この出会いというもの、なかなかの曲者・・・いや、人生を左右す
るものですね。
自分のことは本HPではあまり詳しく書けないのが残念ですが、私
も出会いの経験がいくつかあります。もっとも、野口英世氏と私と
では全く比較になりませんけど。(ここに書くのもお恥ずかしい限
りです。)
でも、やはり私の拙い過去の経験からでも出会いに関する傾向は実
感出来てます。私はそのことが書きたいです。(^_^;
やはり、自分が成長し、道が開けていくに従って重要な出会いに恵
まれるようですし、素晴らしいお方とのご縁もできるようです。
[1999年5月1日 23時42分27秒]
お名前: てんとうむし
JUBILOSOさんへ
こんにちは。
>「期待される人間像」は私は読んだことがなく、その内容自体について論ずることはでき
ないのですが、政府の臨時教育審議会がそのようなものを出されてたという事実は注目に
値しますね。
********************
「期待される人間像」の欄にパンフが見つかりましたのでちょっと紹介してみますので
宜しかったら、見てみて下さい。
臨教審ではなく、中教審でしたが、その当時の役目としては、同じだったのかも
しれません、編纂した名簿をみますと、色々な分野の方々が名を連ねていますから。
松下幸之助氏や、出光興産の会長の出光左三氏、朝永振一郎氏・・・もいます。
>もう一度出すとなると、教育勅語の平成版ともいうべきものになるのでしょうか。
再度出されるおつもりがもしおありであるならば、これはよい試みだと思います。
********************
そうですね、平成版というのは、いいんじゃないでしょうか。
教育勅語もあわせて紹介するなどすると良いかも知れませんね。
私は、それと、日本人が海外へ旅行に出ている人数が相当になったので
それにあわせて、「エチケット・道徳」というような教育体系をてつくり
世界の国の社交の礼儀を教える内容にして、その中に日本の歴史や
礼儀も折り込む。
若い人は、エチケットの心得にきっと興味を示すでしょうから
その興味にあわせながら、日本の道徳も教えていくと良いと思っています。
>それから、日本の戦後エリートの傾向性や明治期から現代にかけての教育の傾向
性のお話ですが、私もてんとうむしさんがお書きになられた流れについてごもっ
ともと思う者です。・・・
********************
ありがとうございます。
野口英世氏は、アレキシス・カレル氏にであっているのですか・・・
知りませんでした。
渡部氏がカレルの本を訳していますよね。カレルの考え方も
バランスがとれているようで学んでみたいと思っていますが、なるほど、
いろいろ縁がつながっているようでおもしろいですね・・・
>私は別に帝大出のエリートがだめというつもりはございませんでして、帝大出で
あろうと、そうでなかろうと、研究者、学者たるもの後ろ向きにならず、権威主
義に陥らない姿勢が必要かということが言いたいのです。
研究成果が優れているならば、帝大出であろうがそうでなかろうが正当に評価さ
れてしかるべきです。
アメリカ合衆国はその意味において、フェアな社会を形成してます。
*********************
おっしゃるとおりで、わたしも権威主義に陥らないべきだと思います。
全体の流れが問題あると思うので、個人をみていくと立派な方も
たくさん出ているとは思うのですが・・・
>野口氏がアメリカで受け入れられて、当時の帝大の方々が優秀であったにもかか
わらず受け入れられなかった理由ははっきりしています。
野口氏は既存の医学を吸収、マスターした上で自分の新規の研究成果を公表して
いったのに対し、他の方々は既存の西洋医学を吸収した成果のみを権威的に語っ
たにとどまったからです。
欧米人が聞きたかったのは「あなたの研究がどうなのか。既存の医学からどう一
歩踏み出しているのか。そこからが聞きたい。」ということであり、既存の医学
を権威的に語ることを聞きたかったのではなかったということです。
ですから私はエリートの方々、今で言えば東大、京大他旧7帝国大出の研究者の
方々や神戸大出等の方々は権威主義にぶらさがらないということに気をつけて学
問を追求する真摯な姿勢が必要かと思いますし、非エリート系の実力者の方々は
フェアに実力を発揮、評価されるフィールドに出るべきと思います。
*********************
このご指摘すばらしいです。
[1999年5月1日 8時27分34秒]
お名前: JUBILOSO
URL
てんとうむしさん、こんにちは。
「期待される人間像」は私は読んだことがなく、その内容自体について論ずることはでき
ないのですが、政府の臨時教育審議会がそのようなものを出されてたという事実は注目に
値しますね。
もう一度出すとなると、教育勅語の平成版ともいうべきものになるのでしょうか。
再度出されるおつもりがもしおありであるならば、これはよい試みだと思います。
それから、日本の戦後エリートの傾向性や明治期から現代にかけての教育の傾向
性のお話ですが、私もてんとうむしさんがお書きになられた流れについてごもっ
ともと思う者です。
医学者の野口英世氏や北里柴三郎氏は当時の帝大出のエリートという訳ではあり
ませんでしたが、その実力、実績は当時の帝大出のエリート医学者の方々を大き
く超えるものがありました。
特に野口氏が閉塞的かつ権威主義的な研究環境から日本を出国し、渡米をされた
のは正解でした。
もし、日本にとどまっていたら、帝大出のエリート達にどうあがいても、実績を
出しても認められず、またアレキシス・カレル氏等に出会うこともなかったこと
でしょう。ひょっとしたら、埋もれてしまって実績すら残せなかったかも知れま
せん。
私は別に帝大出のエリートがだめというつもりはございませんでして、帝大出で
あろうと、そうでなかろうと、研究者、学者たるもの後ろ向きにならず、権威主
義に陥らない姿勢が必要かということが言いたいのです。
研究成果が優れているならば、帝大出であろうがそうでなかろうが正当に評価さ
れてしかるべきです。
アメリカ合衆国はその意味において、フェアな社会を形成してます。
野口氏がアメリカで受け入れられて、当時の帝大の方々が優秀であったにもかか
わらず受け入れられなかった理由ははっきりしています。
野口氏は既存の医学を吸収、マスターした上で自分の新規の研究成果を公表して
いったのに対し、他の方々は既存の西洋医学を吸収した成果のみを権威的に語っ
たにとどまったからです。
欧米人が聞きたかったのは「あなたの研究がどうなのか。既存の医学からどう一
歩踏み出しているのか。そこからが聞きたい。」ということであり、既存の医学
を権威的に語ることを聞きたかったのではなかったということです。
ですから私はエリートの方々、今で言えば東大、京大他旧7帝国大出の研究者の
方々や神戸大出等の方々は権威主義にぶらさがらないということに気をつけて学
問を追求する真摯な姿勢が必要かと思いますし、非エリート系の実力者の方々は
フェアに実力を発揮、評価されるフィールドに出るべきと思います。
[1999年4月29日 12時51分59秒]
お名前: てんとうむし
仕事のことで大変なので時間が空きました。
お元気ですか。
また、少し書いてみますね。
道徳教育の今後のあり方は、どんな対策が必要打と思われますか。
良い方法があるでしょうか。
おっしゃるように親の道徳教育もすたれてきているのは、
ひしひしと感じますし・・・
渡部昇一さんがおっしゃっていたんでしたか、確かどなたかが
指摘しておられましたが、明治維新までは、教育では、人の生き方の
書いてあるものをテキストとして使っていたが、明治維新以降は、西洋列国の
知識を吸収することが主体になってしまう、そして、そこから
結局、分析した知識がテキストになり、また、私学、藩校、寺子屋
から、公教育制度になり、その学校を出たものが権威がある者と言う認識になり、
威張り出してしまう。明治政府を作った人たちは、松下村塾出身など、
私塾的な所の出であり、その人達が生きているころは、まだ、生き方において
歯止めがあったが、その人たちがなくなってから、日本人のエリートの姿勢が
悪くなった・・・
こういった見方をしている人がいますが、この指摘を知り、そうかもしれない
と思う所もあります。
しかし、このあたりに、現代の問題点の解決策を考える原因を
見れるだろうか・・・と考えたりもしているところです。
昭和何年頃でしたか、「期待される人間像」という政府の
臨時教育審議会のまとめたものが出されたことがありますが
あの内容は、とてもいいと思うのですが、あのようなものを
また、政府がだしてみるのもよいと思いますがどうでしょうか・・・
子供たちのためだけではなく、日本の親たちへのメッセージと
して、政府が出していく・・・
総理府のHPにメールを送ったことがありますが、秘書からちゃんと
返事が来たことがありますので、「期待される人間像」のような
ものを出したほうがいいことをまた、メールしてみようかとも思っています。
[1999年4月28日 7時47分29秒]
お名前: JUBILOSO
URL
一つ前の私の投稿文を訂正します。
上から10行目
<誤>
・・・・・しかし、戦前の子供たちが連鎖的に全国各地で親殺しをする事件が
発生するという出来事は、恐らくその当時の少年少女にとっては想像を絶する
ものなのではないかと私は思います。
<正>
・・・・・しかし、戦前の子供たちにとっては、連鎖的に全国各地で親殺しの
事件が発生するといったここ最近の出来事に対しては、想像を絶するものがあ
るのではないかと私は思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
それから大学のお話ですが、ここでは偏差値やアカデミックなことは一切話題
にはしておらず、純粋に就職実績のことや過去の沿革、大学のキャラクターの
みを話題にいたしております。
「千葉大の方が小樽商科大学や香川大学よりずっと難易度が高いから一緒にし
てはいけない。」というEメールを頂戴しましたが、それはそれで入試難易度
という意味におきましては事実ではあります。しかし私の論旨とは最初からく
い違っておりますこと、ご理解願います。
千葉大や岡山大は医学に強くその系統での旧制大学を母体としており、筑波大
や広島大は戦前の文理大学を核として発展をしてきた東西の教育学の雄で、小
樽商科大や香川大、長崎大、滋賀大等は旧高商・経専系で比較的他の中堅国公
立大よりも財界に強く、一般企業への就職面における効率が良い大学です。
入試難易度のことはともかく、背景、沿革、大学のキャラが全く違うのです。
(注:長崎大は医学、薬学、歯学系も高水準です。)
アカデミックで崇高な学問を重視するか、それとも4年間しっかり実学を仕込
んで、就職に力を入れるか、大学には様々な方針、個性があってよいかと思い
ます。
[1999年4月17日 0時51分9秒]
お名前: JUBILOSO
URL
てんとうむしさん、こんばんは。
石原慎太郎氏のご発言ですが、戦後の道徳教育が形骸化し、あってなきがごとき
状態にしてしまったことが戦後世代の精神の貧しさをもたらしてしまったという
ご意見、私もそうだと思います。
さて、この3月下旬に香川県、群馬県、愛知県等で息子が父親を殺害してしまっ
たという事件が立て続けに起きました。
一年ほど前の中学生によるバタフライナイフ事件が全国各地で伝染病の如く発生
したことを私はまた思い出してしまいました。
戦前が良かったと短絡的に言うつもりはありません。特にファシズム的な面とか
は決して現代に復活させてはいけないことでしょう。しかし、戦前の子供たちが
連鎖的に全国各地で親殺しをする事件が発生するという出来事は、恐らくその当
時の少年少女にとっては想像を絶するものなのではないかと私は思います。
教育勅語を知る当時の子供達にとっては。(教育勅語をファシズムの元凶のよう
に言うお方が時にいらっしゃいますが、そのお方は恐らく本当に教育勅語をお読
みになったことがないか、あるいは読解力がないのか、そのどちらかでしょう。
実に良いことが書かれてます。)
で、これらの事件ですが、実は親も親なのです。例えば香川県の事例では、息子
が大学に行かないことを咎めた親がなんと4時間近くも息子を殴る蹴るといった
有り様です。
この報道が事実であるということを前提とするならば、(殺人がいけないことは
当然であるということは言うまでもないですが)親もどうかしています。
報道によると、息子が大学に行きたがらなかったのは、本当に行きたかった大学
に行かせてもらえずに、父親の意向に逆らえず、地元の香川大学に通うことにな
ったのが本人は気に入らなかったとか・・・・・。うーん・・・・・、香川大学
かぁ・・・。小樽商科大学や長崎大学や滋賀大学、そしてこの香川大学あたりは
お買い得だと思うけどなぁ・・・。ヘタな一流私立大学より就職いいんですよ。
実は。さすがに旧七帝大ほどじゃないけど、横国大や筑波大よりちょっと下くら
いの評価で、千葉大あたりと就職大差ないんです。もったいない・・・。
(思いっきり余談になってますね。予備校の先生みたい。)((((((^^;
もし僕が彼だったら、親と口喧嘩程度のケンカして家を出て、受かった本当に行
きたい大学に行きますけどね。学費は出してもらえないだろうけど、そんなのは
バイトして賄う。あるいはかあちゃんとかばあちゃんとかを味方につける。それ
くらいの気概や智恵は見せて欲しかったですね。この子には。もう19歳なんだ
から。だらだらやってるのって、一番カッコ悪いですよ。
でも、それができない位に恐いとうちゃんだったのかな・・・・・。彼が病的に
親を恐れることなく、共に笑いあったり、口喧嘩したりって仲だったら、殺人事
件になることもなかっただろうに。親に殺されると思うところまで追いつめられ
ていたというのが痛ましいです。これというのも、親子が正常な関係を築けなか
ったことが最大の原因でしょう。親子関係の適正な距離感や愛情の通わせ方は学
習や経験が希薄だとうまくいきにくいものです。戦後の教育は概してそのような
要素を無視してきたかのようです。)
ありゃりゃ?なんだかとんでもない方向にお話がいっちゃった。(^^;
[1999年4月13日 3時11分25秒]
お名前: てんとうむし
JUBILOSOさんへ
>てんとうむしさん、こんばんは。
しっかりご回答になってますよ。(^^)
-----------------------------------------
それは、うれしいです。
>確かにそうなのですが、その行為を発動させている自分に慈悲魔の要素がないかど
うか正見、正思することや、その行為を行うことによる影響の予測、中庸を見据え、
かつ私利私欲や私情の思惑に惑わされぬ判断がまずありきですね。
折角それができる存在として私達は生を受けた訳ですから。
---------------------------------------------------------------------------
うまく書けませんが、何も判断がなく、行為だけを情にまかせて
行うことが先だと私も言うつもりなのではないんです。
私も当然おしゃるような判断がなくては、ならないと思います。
まず、なにをやるかをまた、相手が何をしているかを、自分のなかでみる。
しかし、その行為を考え判断しているのは、自分ですから、必ず
おっしゃるような見方がなければならないと思います。
「ただ真理を求めるだけで何ら行動しない方々」が多いのが現状で、
行為の具体的なものを話していかなければと考えているので
強調したいわけです。
これは、現在の日本の道徳教育を考えると似た問題であるかもしれません。
石原慎太郎氏が今回、都知事に当選し、戦後五十年、日本は、
道徳教育をやってこなかったとおっしゃっていましたが、同感で
つくづく考えるのは、個人の行為の例を通して、どういう「生き方」が
人として、すばらしいのかを教えてこなかったと思うのです。
いろいろな、過去の歴史上の人や、人々のために働いた
人の具体的な生き方を教えていくと、愛国心を育てることに
なるので、それを、左翼中心の教育では、反戦の行為のみを育てようと
したわけです。
昔の日本の教育は、「人が具体的にどいういうことをすることが
人の道にかなっているか」を教えていたわけですが、今日の教育は、
ものの状態の分析、が主です。その人の思想を分析することで
その生き方の評価や、人の道として正しいとは、教えないのです。
「どのような生き方があるか」を分析は、して、教えるが
どの生き方がすばらしいとは、しないのです。
どの生き方がすばらしいかは、簡単なことです。JUBILOSOさんも
おっしゃる、私利私欲のない、他者への愛の行為です。
そいう人として正しい行為をはっきりさせず、仕組みを覚えるだけ。
これは、私たちも知らず知らずのうちにそういう分析的思考に
ならされていると思っています。ですから、自分は、どいうことを
しなければならないかを考えることを人生観の第一条件において置かなければ
いけないと私の場合は、思っているわけなんです。
[1999年4月12日 8時47分19秒]
お名前: JUBILOSO
URL
てんとうむしさん、こんばんは。
しっかりご回答になってますよ。(^^)
確かに行為は重要です。正見、正思が行え、正法の正しさを認識できても、行為を伴わなけ
れば周囲には何ら良い影響をもたらすことはないからです。
私は、ただ真理を求めるだけで何ら行動しない方々につきましては、真の正法者ではないと
思っております。
>「人類愛」という言葉だけでは、変な解釈で使う人も出てくるかと思いますので
>やはり、「具体的な行為をみていくこと」が必要だと思います。
確かにそうなのですが、その行為を発動させている自分に慈悲魔の要素がないかど
うか正見、正思することや、その行為を行うことによる影響の予測、中庸を見据え、
かつ私利私欲や私情の思惑に惑わされぬ判断がまずありきですね。
折角それができる存在として私達は生を受けた訳ですから。
[1999年4月10日 18時54分46秒]
お名前: てんとうむし
JUBILOSOさん、大分この分の返事、おそくなりました。
以前のものでお答えしていないものもあると思いますので
もし、なにか、あれば、繰り返し書いて頂ければと思います。
>その人は共産主義の弊害にお気づきになっていらっしゃらないということですね。
同様に新興宗教信者の方の中にもこのタイプは存在します。
---------------------------------------------------------------------------
そうですね。ですから、人が困っているのを助けているその行為は、評価できるが
主義などの行為については、徹底して、批判するなり、それを阻止する
行為をしなくては、ならないと考えています。
>「天上界メッセージ集・正」P.218〜P.219のラファエル様メッセージに
あります判断力についての見方が弱いというタイプです。
-----------------------------------------------------------------------------
おっしゃる通りだと思います。
>私は人類愛を持つことそれ自体は素晴らしいことと思い、否定するつもりはござ
いません。
しかし、その人類愛の発動のさせ方や判断に誤りがあった場合、その愛は変な方向
にいったりあるいは変な形になって暴走してしまうことも有り得るのではないでし
ょうか?
てんとうむしさんはこれについてどう思われます?(^^)
-------------------------------------------------------------------------
そうですね、すぐ答えずに考えつづけてみたいですが・・・・うまく答えられませ
んが、いま、思いつくことを書いてみますと・・・
ある方が、「真理への到達の方法は、山にたとえることができる」と
おっしゃっていました。「どこの登り口から上っても頂上は、同じです」と。
たとえば、戦争を通してそれに気づくとか、自分の育った環境の不遇さから気づく、
宗教を通して気づく、哲学を通じてきづく、自分の人間関係から気づくなど・・
あらゆるどういう方向からでも、たどりつけるものなんでは、ないでしょうか・・・。
そして、人間同士で一番大切にしなくてはならない「人類愛」(他者への愛、隣人愛)
というものをしっかり捕らえてしまえば「変な形になって暴走」するということは、
もうないと思うのです。
「人類愛」という言葉だけでは、変な解釈で使う人も出てくると思いますので
やはり、「具体的な行為をみていくこと」が必要だと思います。
それは、一つではないと思うのですが・・・
一つの行為の例は、イエス様のおっしゃった、ご存知の通りの
「その友のために命を捨つ、これより大いなる愛はなし」でしょうか。
これは、イエス様が身を持ってなされたので行為がみえます。そして、
他にいままでの歴史に残っている人々の自己犠牲の例や、残らずとも行ったであろう
普通の多くの人々の想像できる行為、そいうものをいつも気を付けてとらえていく
ことが変な方向へいくことを止めると思います。
「発動のさせ方や判断の誤り」を防ぐことになると思います。
ロジュさんとのお話で行為からみていきたいとお話しましたが、行為をみると
いうことは、当然、根本の倫理の規範が自分に意識できていなければならないので
その意識をたえず緊張してとらえ直すことになります。
優先順位というもので、相手の根本の倫理規範は、伺っても、行為がまず
伴わなければ、確かなものではないので・・・
こんな風にちょっと考えましたが、どうでしょうか・・・ご質問の答えに
なっていますか?
[1999年4月10日 1時58分16秒]
お名前: てんとうむし
JUBILOSOさんへ
お返事ありがとうごさいます。
ご指摘の点考えて、書いてみますので、宜しくお願いします。
[1999年3月30日 0時50分34秒]
お名前: JUBILOSO
URL
てんとうむしさん、こんにちは。
私も、てんとうむしさんとはいろいろお話してみたく思っておりますよ。(^^)
それに、私はてんとうむしさんのことを誤解する云々以前に白紙の状態からお付き合いしてい
きたいです。よろしくお願いいたします。
さて、別スレッド「ロジュさんのお考え」でのてんとうむしさんのご投稿は先程読ませて頂き
ました。
ロジュさんのご意見をお待ちいたしましたほうがよろしいかと思いましたので、そちらへのレ
スはしばらくひかえます。
で、こちらに私のレスを少々・・・・・。
>共産主義者を思想として持っている人の中にも人間としての行為でちゃんとしたことを
する人がいると申し上げたのです。
うーん・・・、これはアレですよ。確かにそのようなタイプのお方は存在しますが、その
人は共産主義の弊害にお気づきになっていらっしゃらないということですね。
同様に新興宗教信者の方の中にもこのタイプは存在します。
「天上界メッセージ集・正」P.216〜P.217のラファエル様メッセージにあります
判断力についての見方が弱いというタイプです。
私は人類愛を持つことそれ自体は素晴らしいことと思い、否定するつもりはございません。
しかし、その人類愛の発動のさせ方や判断に誤りがあった場合、その愛は変な方向にいった
りあるいは変な形になって暴走してしまうことも有り得るのではないでしょうか?
てんとうむしさんはこれについてどう思われます?(^^)
[1999年3月28日 13時52分43秒]
お名前: てんとうむし
JUBILOSOさんへ
「ロジュさんのお考え」の方に考えを書きましたのでそちらを
ご覧下さい。なんだかこのようなことで、書き込むのは、どうも
つかれます。もっと、いろいろな事を話してみたいのです。
どうぞ、私を誤解なさらないで下さい。
[1999年3月28日 12時0分39秒]
お名前: JUBILOSO
URL
ロジュさん、こんにちは。
ロジュさんの今回の文章に関する私のレスは、別スレッド「ロジュさんのお考え」に書きました
ので、こちらに書くことは省略いたします。m(_ _)m
[1999年3月27日 13時30分22秒]
お名前: ロジュ
セルメスさんへ
ご意見ありがとうございました。(^_^)
つづきまして、JUBILOSOさんへ
てんとうむしさんの削除は、
彼が私に、「単純ですね。」という罵倒語を用いたからです。
私は「馬鹿」「理解力がない」「単純思考だ」という、
単に人を傷つけるだけの罵倒語は、これまで掲示板で対論相手に
いったことがありません。
彼は、「私のまじめな厳しい批判」と「罵倒語」とを同列に
置いたのでした。区別がつかなかったのでしょう。
私は、罵倒語を言う人とは議論できません。
削除によっててんとうむしさんが罵倒語の重大さに気付かれれば
幸いです。
また、JUBILOSOさんは、
よく背景を考え、熟慮してから判断を下したほうが、
いいと思います。
「社会悪を批判し、罵倒者の投稿を削除した側」がここで批判されるならば、
JUBILOSOさんには残念ながら正法流布者としての資格はない
ということになります。
[1999年3月27日 6時26分22秒]
お名前: JUBILOSO
URL
てんとうむしさん、こんばんは。
ロジュさんの掲示板、削除されてない文章だけですが、先程拝読いたしました。
閉鎖が決定してしまい、誠に残念です。
ロジュさんは掲示板の目的は果たしたとお書きになられてますが、私は
まだだと思います。
実際、考えが変わったとロジュさんに対して明確に意思表示をしたのは
私だけだったからです。
私のところには、今も千乃先生がスカラー波攻撃にさらされていると思
われてる方からのEメールが届きます。それも複数名の方々からです。
それを読む度、私は自分の力量の限界を感じてしまいます。
さて、てんとうむしさんとロジュさんとの対話で私が思いましたのは、
理性的に捉えることの重要さと、その理性を発動させる主体が、生命
を持ち、調和と他者との快いふれあいを求める生身の人間であるとい
うゆるぎない事実についてです。
機械人形になるために私達は生まれてきたのではないのです。
科学もスポーツも哲学も、音楽や美術も、そして人や高次元の元七大
天使方とのふれあいも、それを求めるのは人間なのです。
そんなこと、言われなくても分かってるよと言われそうなことですが、
恩恵を享受する主体が是としない理性の発動の仕方は、やはりどこか
がおかしいのだと思うのです。
私は音楽やってて、今までにいろんな方々の音楽に接し、また共演する
幸運にめぐりあえたりもしました。
10代の頃の吹奏楽コンクールなんかでは、自分の団体のことも含めて
様々な指導者の音楽に対する姿勢をみることができました。
コンクールとかで高い評価を受ける団体には共通点があります。
高度なテクニック取得への切磋琢磨、日々の修練があることは当たり前
で、それに加えて聴き手が人間であることへの理解と、演奏の疵を補っ
てあまりあるような特徴がその団体にあるのです。
それは団体によっては人間が持ち合わせた緊張感・生命の紡ぎ出すスリ
ルであったり、和気藹々とした喜びに満ち溢れた夢の満載であったり、
宿舎でのリハーサルを聴くと、故郷を思い出してしまって旅館の従業員
さんやバスガイドさんが涙する微妙な生命の息吹、波動に裏付けられた
音楽であったりします。(僕はこんな例をみーんな見てきました。)
これは自動演奏ではいまだ到底実現できない要素です。揺らぎを表現で
きるようになったとは言え、生の名楽器を肉体に共鳴させて得る自然な
倍音成分の再現やアーティキュレーションの忠実な模倣は自動演奏の出
る幕ではありません。また、シンセの音には圧倒的な音圧がないため、
音量が大きい割に説得力は希薄なのです。
また、たとえ音楽の専門教育を特にお受けにならなかった方々であって
も、なぜかそのことはお気づきになられるようです。
何だかお話が横にそれちゃったような感じになりましたが、正法、神理
を求めるのはあくまで人間なのだということが私は言いたいです。
[1999年3月26日 1時24分35秒]
お名前: てんとうむし
JUBILOSOさんへ
ロジュさん、私がロジュさんと同じような書き方で
挑発的に書いたら、感情的になり、私の大量の書き込みを
消してしまわれました。ですので、もう読めません。
私は、ロジュさんに厳しく書いても愛情があったつもりですが
なかなか、筆談では、通じず、誤解を生んだようです。
まさにインターネットの限界を感じた瞬間でした。
「神との対話」の本への私の考えが気に入らなかったようです。
彼は、「低級の霊の発言」とみていて、私は、まだ、結論をださず
「いろいろ考えている内容」を書きましたが、それに彼は、堪えられ
なかったようです。
私のような発言に逃げを決め込むのは、ちょっと残念ですね。
とことん、理性をつかって、私を論駁すればいいのに。
大したことを書いてないんですよ、情けないな・・・。
[1999年3月25日 6時4分40秒]
お名前: てんとうむし
「江ぐち」 さん
こちらこそ、宜しくお願いします。
いろいろな話題をお話できたら、良いと思います。
毎日は、うかがえず、間が空くと思いますが、あきずにおつき合い願えたら
幸せです。
[1999年3月25日 4時49分36秒]
お名前: てんとうむし
笹川氏のこといろいろ示唆を頂ありがとうございます。
ロジュさんのところへ、大量に書き込みをしました。
31日か、明日かには、閉じられるようです。
彼の挑発的な表現に私も、きつく書きました。
彼を恨んでいるわけでは、ないので彼が書いてくるのならば
まだまだ、続けて行くつもりです。
興味があればご覧下さい。
彼は、哲学など勉強しているようですが、
大学の講師など、やられているのでしょうか・・・
なかなか、鋭いですが、決めつけ挑発的なのがおしいですね。
おっしゃるように彼の流儀と心得て、今後も
彼の発送の意見は、伺ってみたいですが。
[1999年3月25日 4時45分51秒]
お名前: JUBILOSO
URL
「江ぐち」さん、こんばんは。
(「江ぐち」さんが本当はどなたなのか、簡単に察しはつきますが、ここで言うのは野暮です
ね。)(^^;
うーん・・・・・。「お笑い」がメインで、「千乃正法」がサブという評価・・・。(T_T)
これはもうマジで当HPを分割せにゃならんかも知れませんね。千乃正法と、それ以外の要素
とに。
Eメールでの読者の皆様の評価も、個人的には頭痛くなってきます。(×_×)〜☆
「千乃正法以外の情報・話題がいい。こないだJUBIさんが分割を検討なんて掲示板に書か
れてたけど、是非HPを切り離して欲しい。折角みんなに読んでもらいたいような楽しくてイ
ケてて良質な情報が満載されてるのに、今のHPの状態じゃみんなに紹介できない。分割楽し
みにして待ってます・・・・・。etc.」←(;-;)
さて、特に最近は私の行動について細かい情報を書いていますが、「ウォーリーを探せ!」
ならぬ「JUBIを探せ!」なんてことには・・・・・なんないと本人はタカをくくってい
ますが、もしバッタリ遭遇なんてことになったら、これは面白いですね。(^^;
もっとも、積極的にお会いするには、まだ私は練れてないような気がしています。(練れて
からじゃ遅いんだって言われそうですが・・・。)
[1999年3月21日 22時26分8秒]
お名前: 「江ぐち」
どんなに素晴らしい人間も謙虚さをなくしたらアウトです。
と、僕はいつもまるで自分にいい聞かせるかのごとくいろいろな掲示板で
書かせていただいてきました。しかし書き込みをしていくうちに自分も謙
虚さが少しずつなくなっていくような気がして、しばらくは、じっと自分
の心だけを見つめることに専念させていただいています。
でもどうも JUBI さんとは年齢も近そうだし他人とは思えないので、いず
れ直接お会いしてお話したいですね。以前ここの常連だった方もおそらく
みなそう思っているはずです(^^)
僕はいつもお笑いページのついでにここもロムしています。おそらくレス
は書きませんが、てんとうむしさん、これからもよろしくお願いします。
[1999年3月21日 20時45分26秒]
お名前: JUBILOSO
URL
てんとうむしさん、こんにちは。
ロジュさん、「天の法」掲示板の運営を続行されるようですね。
ロジュさんの「天の法」掲示板での直近の投稿文は、私も拝読いたしました。
私はロジュさんほど洞察力は強くなく、ロジュさんの文章を読んでいて考えさ
せられることが多いのですが、今回の文章もやはり考えさせられました。
笹川氏のことは、その行動を起こさせるように至った根底にあるものまでも見
ないといけないというのは至言かと思います。
ただ、私が難しいなぁと思うのは、特に上司や先輩の目を伺う性癖を持つ日本
の世間一般の体質(官界、財界、大学等研究機関、宗教団体、教育機関、政治
団体・・・・・いずれもこの体質を持っています。)において、笹川氏のよう
なタイプの人物の批判は、批判する側がおかしいという目で抹殺されてしまう
いじめのような社会構造ができあがっていることです。
ですので、私は笹川氏のことは必要な意見を語るにとどめ、もっと重要かつ効
率的なことに目をやりたいというのがあります。もっと意識変革に効果的な啓
蒙活動の実践に目がいきます。笹川氏観の評論などはそれからでも遅くないで
すし、先にやることやったほうが良いかなぁとも思ってます。
ロジュさんも多分、笹川氏のことは自分から積極的に話題にしようとは思って
いらっしゃらなかったのではないかと私は見ています。てんとうむしさんとの
対話上、話題にのぼって必要だったから語られたのでしょう。
さて、私はロジュさんの純な正法観を素晴らしいと思います。ただ、議論の相
手を掲示板に居辛くさせてしまったり、必要以上に追い込んでしまうようなと
ころもあるのかなとも感じてます。この辺は非常に難しいところですね。
正法を学びはじめた方々が、天上界の方々の厳しい追及に対してたじたじとな
ってしまって、いたたまれなくなって逃げ出してしまうといったような感じで
しょうか。
ある程度、傷つきにくいキャラでないと、ロジュさんのご意見に投稿するのが
怖いという人も正法を学ぶ方々の中にはいらっしゃるかも知れません。
もっとも、ロジュさんはロジュさんで、そういった方々への配慮をなさってる
ことはロジュさんの文章をよく読めば読み取ることができます。
で、妥協するという意味ではないのですが、私は投稿しやすい掲示板の雰囲気
にしたいというのがあります。
ただ、これも程度問題で、あまりゆるくすると、単なるどこにでもあるような
「仲良しクラブ掲示板」になってしまい、学ぶ要素が希薄になるのでは本末転
倒です。(まぁ、私は仲良しの要素があってもよいとは思ってますが、それが
100%というのはさすがに趣旨に反するかな?とも思っています。幸い、当
掲示板は話題によってスレッドを変えられますから、仲良しクラブ的なスレッ
ドと議論のスレッドを分けることができます。)
ロジュさんにはロジュさんの流儀があり、私には私の流儀があります。ロジュ
さんの流儀はそれはそれで尊重したいです。
ロジュさんのやり方で深く正しく正法を学ぶことは非常に重要かと思います。
しかし、ロジュさんのご意見に反発をおぼえてしまう、心の準備ができていな
い方々は確実に存在します。
私はそれらの方々がざっくばらんに正法のことを語れるファーストデイヴィジ
ョンとしての場をここに提供したいです。
私はロジュさんほど深く正法を捉えられてはいませんが、それでも私が自分に
しかできない流布方法がとれるキャラクターを持っているのだとしたら、その
流儀でいくこともまた良しではないか?と考えています。
という訳で、てんとうむしさん、いろいろ対話していきましょう。d(^−^)
[1999年3月21日 13時42分50秒]
お名前: てんとうむし
きょう、ロジュさんのところをみましたら、私の発言に
お答えを頂いているようで、これから、よく読んで
また、自分の意見を書いてみようと思います。
残念なのは、彼は、自分の意見を常に正しいとみて、相手の
意見と自分の意見から真実を見いだしていこうという
姿勢が弱いところです。彼の、正法に対する熱い気持ちは
とてもよく理解しているのですが、彼の論法でいくと、
他の宗教をやっている人や、まだまだ、悩んでいる人に
余裕を持って考える気持ちを与えない感じがします。
正法を伝えていってほしいのですが、大丈夫かな、と思うところが
あります。文字で自分を表現するのは、むずかしく、
自分が充分に思いやりを持っていると思って書いても相手には、
なかなか伝わらないものですね。でも、交流を続けること、そして、
正直であることを心がけ、自分を客観的にいつも見直し、
間違えているところは、素直に認め、謝るべきところは、謝る。
向上心を失わず、頑張っていきたいと思います。
こちらへもちょくちょく、これからは、うかがってみます。
いろいろ、相手していただけますか。
[1999年3月21日 11時20分57秒]
お名前: JUBILOSO
URL
てんとうむしさん、いらっしゃいませ。「SERAPHIC FIELD」へようこそ!
お待ちしてましたよ。
ロジュさんは当HP掲示板に時々いらっしゃってますが、最後の投稿文の内容がちょっと
気になってます。新たな旅に出ますとありましたから。
でも、きっとまたいらっしゃっていただけることと私は思っています。
それまで私と対話しましょうか?
(私はロジュさんより正法者として遥かに初心者ですが。)(^^;
さて、最近検索エンジンの効果なのか、千乃正法のことをよくご存知な方々からの
投稿やEメールをよく頂戴します。当HPの役割はこれから本格的に開花していく
のかと思うと胸がわくわくします。また、千乃正法をはじめてお知りになる方々と
の掲示板やEメールでの対話数も最近確実に増えてます。
という訳で、今日は長いこと放置してました検索エンジンへの新たな登録をいたし
ました。
審査が通ればなのですが、遅くとも数週間以内に「YAHOO JAPAN」
「CSJインデックス」「DRAGON NEXT」からも当HPが検索可能と
なります。(でも、「YAHOO JAPAN」は無理かも知れませんね。今と
っても審査が厳しいみたいですし。精神世界の話題に理解あるお方がいらっしゃ
ったらとても助かりますが。)
[1999年3月21日 1時17分46秒]
お名前: てんとうむし
JUBILOSOさんへ
ロジュさんの「天の法」は、きょうで閉鎖されるのですね。
また、伺いまして、書き込みましたが、もう、誰もこないと
思ってほっておかれているようですね。
「神との対話」について意見を交換したかったんですが、
こちらへは、みえられますか?
[1999年3月20日 18時48分48秒]
TOPページに戻る