記事タイトル:「期待される人間像」 



お名前: てんとうむし   
JUBILOSOさん

教育学部の問題もいろいろありそうですね。おっしゃるとおり、私は、
教育学部では、ありませんでしたが、教職のカリキュラムを教える教授がもう、
「教師は、労働者」という立場で教えていましたから、教育の本質を
見失い、権利のみを主張する教師がどんどんできあがるという感じでしたね。
わたしは、論文の試験で労働者という意識では、いけないと書きましたが
点数がとても低かった経験があります。

そして、日本は、成績の良い者、しかも日本の教育は、分析的知識の記憶が主ですから、
そのできのいい者が教師になっていく。道徳を身につけた者ではないんですから
教育がへんてこになるのは、よく考えてみれば当然ですよね。知識のみの
できのいいものには、できない子の苦労なんか判らないでしょう、きっと。
だから、ほうっておかれて、道徳も教えられず、だんだん、おかしくなっていく。
表面では、いじめなど問題にされていますが、きっと大多数の教師は、
「子供自身が悪いんだ」くらいにしか思っていないのかも知れません。
JUBILOSOさんの指摘される表と裏の教師の姿のなかにも見え隠れ
する気がします。
昔、医学部にいったいとこが言っていたんですが、医者になる人でおかしな
人が必ずいるとのことらしい。医者になる試験に合格するんですがそれは、
知識の試験であり、人間の徳性をみる試験ではないため、人格の破綻者でも
受かってくる訳なんです。毎年そういう者がでてきて、医者になり、病院で
おかしな行動をする人がいるみたいです。これは、恐いことです。
外国などでは、宗教が道徳を教える役割をしてきましたが、日本の教育は、
宗教では、なく、教育の場で知識と一緒に道徳を教えて来ていたが
だんだん知識のみになり、いまでは、なんとも、片肺の教育で
情けない限りです。
[1999年5月12日 8時22分37秒]

お名前: JUBILOSO    URL
一つ前の私の投稿文ですが、教育学部系統の方々が皆駄目とか、単なる特定の学部攻撃と
いう意味ではないことを付記しておきます。実際、(数は少ないですが)教師として尊敬
できるお方もいらっしゃいます。

しかし、僕の過去の出会いやいやな出来事が相当この投稿文に影響してま
すね。
ことなかれ教師や母にPTAの酒席の度にいやがらせをした破廉恥教師、
(でも、昼間は聖人君子ぶったことを言う。僕のことは気持ち悪いくらい
に贔屓する。)高校でも偏見で凝り固まった左翼教師がうようよ・・・・。
こういう方々はもう先生やめたら?って思います。子供の教育によくない
です。
大学ではアンケートに「いじめられっ子は必ずいじめられっ子に非がある
のだから、先生としてはいじめ問題には自分からは何も行動をおこさなく
てよい。」という問いにYESと答え、自虐史観を是とするアンケート回
答が7割を越す学生達・・・・・。
未来の子供たちがかわいそうです。
[1999年5月6日 2時12分13秒]

お名前: JUBILOSO    URL
てんとうむしさん、こんにちは。
てんとうむしさんは教職のカリキュラムもおとりになられてたのですね。
(ということは、教育学部以外のご出身ということですね。)(^^)
教職と言えば、実は今の教員養成の学部の方々に私は憤りを感じたこと
があります。
はっきり申しまして、このような連中が教師になったら、子供達が不憫
だと思ったのです。
今までに会った人達がたまたまそのような人達だったのかも知れません
が、私としては「たまたま」であって欲しいです。
どうも法学や医学、工学、農学等の者よりも勉学面、人としてのモラル
面等において失望させられる人の数が多いようなのです。(全員がそう
とは申しません。あくまで比率のお話です。)

私は昔、大学祭の運営委員とかやったことがあって、そこであらゆる
企画を練って他大学も含めてアンケートとかも取ったことが過去にあり
ましたが、教育学部系統の者の中に容共的な者、ことなかれ主義者が多
いことにぞっとしたことがあります。これでは子供たちは救われない。
この人達はただ自分の安定のためだけに教職を取ったのかという憤り
をすら感じてしまいました。ノンポリの国公立の大学ですらこうなの
です。赤化教育が蔓延しているところだと、これはもっと悪化するこ
とでしょう。
私はこんな方々には先生になっていただきたくないです。このような
教師がひとつ歯車が狂い、めぐり合わせが悪くなると生徒を校門で圧
死させたりしてしまうのだと思います。
圧死までいかなくとも、何が重要なのかをはきちがえて生徒に愚かなこ
とをやったり、心無いことを言って生徒の可能性をみすみす摘んでしま
う大馬鹿教師は多々いますね。
私は子供の頃からこのような容共馬鹿教師を結構醒めた目で見てました。
教師が尊敬されてた時代って、いつのことなのでしょうか?(もっとも
たまに素晴らしい先生にめぐりあえたこともありましたけれど。)

なんだか今回はお話が横道にいってしまい、誠に申し訳ございませんです。
でも、大学の教育系統からまともになっていかないと、先生もまともには
ならないのではないかと私は思います。
[1999年5月5日 12時58分34秒]

お名前: てんとうむし   
JUBILOSOさん

>そんなに昔のお話だったんですか。(☆_☆)ビックリ
私はもっと近年のことかと思ってました。
****************
そうなんです。昔のものなんです。
でも、中身を読んでみるといまでも使える内容で道徳教育としての
基本がうまくまとめられているんです。

>しかし、何で今まで放っておかれたんでしょうね。
当時は日教組がうるさかったんでしょうか?
これらのテーマにつきましては、そろそろまたお話が持ち上がってもよい頃か
と言えますね。
***************
この内容は、大分以前に知ったのですが、これを自分が受けた教育
のなかで知ることは、なかったですね。
そして、大学で教職のカリキュラムもとりましたがそこでも
ちゃんと扱われては、いなかった。教育史に項目があるだけ。
愛国心、天皇、家族、階級闘争の批判、畏敬の念をもつこと、
など、左翼からみると、ことごとく気に入らなかった内容ですから、
無視されたんじゃないかと思います。
この内容をしっかり、これが発表されたころの子供に伝え、教え、道徳教育
を徹底していたら、今の学級崩壊の第一原因である、親がその時代の子供ですから、
今の子供の状態は変わっていたのではないかと思ったりします。
いつの時代でも子供の色々な事件は、起きると思いますが、それに取り組むのに
親や教師が迷ったりする方向がみえないようなアノミーの状態には、
ならなかったと思います。
マスコミをはじめ、「自由」をただその子の権利を守るというような
偏った勘違いした論理に陥いり、吹聴することなく、教育の基本である、
しつけ-強制-義務-責任も伴う「自由」を見れる人が多く育ったかもしれません。

今の教育は、「論理」は教えるが「倫理」は、教えない・・・とよく
知人と話しするのですが、「期待される人間像」は、「倫理」を
教える基本になるような気がします。
平成版「期待される人間像」を是非、臨時教育審議会や有識者の
間で打ち出して欲しいです。渡部昇一さんなど、最近、いろいろ
道徳の本を出していますが、彼のような人に、分かりやすくまとめた本を
出してもらい、ベストセラーになるといいんですけどね。
本来、ジェイアイがこういった、社会との関わる本を、具体的な
良識ある本を出していくことが、正法をある程度、伝えたあとは、
必要だと思っていましたが、それは、残念ながら望めないので・・
[1999年5月2日 8時8分18秒]

お名前: JUBILOSO    URL
てんとうむしさん、こんばんは。
「期待される人間像」のパンフに関するご説明、誠にありがとうございます。

>昭和38年6月24日に・・・・・

そんなに昔のお話だったんですか。(☆_☆)ビックリ
私はもっと近年のことかと思ってました。

しかし、何で今まで放っておかれたんでしょうね。
当時は日教組がうるさかったんでしょうか?
これらのテーマにつきましては、そろそろまたお話が持ち上がってもよい頃か
と言えますね。
[1999年5月1日 22時58分7秒]

お名前: てんとうむし   
「期待される人間像」-2


細かく紹介してみたいんですが、まず、目次を並べてみます。

期待される人間像(本文)
まえがき
第一部 当面する日本人の課題
一 現代文明の特色と第一の要請
二 今日の国際情勢と第二の要請
三 日本のあり方と第三の要請

第二部 日本人にとくに期待されるもの
第一章 個人として
一 自由であること
二 個性を伸ばすこと
三 自己をたいせつにすること
四 強い意志をもつこと
五 畏敬の念をもつこと

第二章 家庭人として
一 家庭を愛の場とすること
二 家庭をいこいの場とすること
三 家庭を教育の場とすること
四 開かれた家庭とすること
 
第三章 社会人として
一 仕事に打ち込むこと
二 社会福祉に寄与すること
三 創造的であること
四 社会規範を重んずること

第四章 国民として
一 正しい愛国心をもつこと
二 象徴に敬愛の念をもつこと
三 すぐれた国民性を伸ばすこと

-------------------

こういった内容になっています。
[1999年4月30日 1時59分54秒]

お名前: てんとうむし   
「期待される人間像」


まず、「期待される人間像」について概観をのべているところを
紹介しますと・・・抜粋ですが・・・

「いうまでもなく、教育は、人格の完成をめざすものであり、
人格こそ、人間のさまざまな資質・能力を統一する本質的な価値である。
すなわち、教育の目的は、国家社会の要請に応じて人間能力を
開発するばかりでなく、国家社会を形成する主体としての人間
そのものを育成することにある。
 それでは、主体としての人間のあり方について、われわれは、どの
ような理想像を描くことができるであろうか。そのような理想像は、
国民各個人がみずからの人間形成の目標として希求するもの
であるとともに、人間形成を媒介する教育の仕事に従事する者が
教育活動の指針とするにふさわしいものでなければならない。
それを、われわれは、期待される人間像と呼ぶ。教育の究極の
理想を探求することは、このような期待される人間像を追求すること
にほかならない。」
とあります、また、

「・・・わが国の憲法および教育基本法に示された国家理想と
教育理念を根底にするとともにわれわれ日本人が今日当面している
重要な課題は、つぎの三つであると考え、これに対処できる
人間となることを目標として、そのためとくに身につけなければ
ならない諸徳性と実践的な規範とをあげて期待される人間像の
特質をあらわすこととした。

(一)技術革新が急速に進展する社会において、いかにして
人間の主体性を確立するか。

(二)国際的な緊張と日本の特殊な立場から考えて、
日本人として、いかに対処するか。

(三)日本の民主主義の現状とあり方から考えて、今後いかなる
努力が必要か。」

このあと本文に入っていくのですが、
(三)の民主主義については、
あとの方で、日本の精神的風土に根をおろしていない、と分析し、
日本の現状は、自主的な個人の尊厳から出発して民主主義を
考えようとするものと、階級闘争的な立場から
出発して民主主義を考えようとするものとの対立があると
みています。
そして、民主主義の本質は、個人の自由と責任を重んじ、
法的秩序を守りつつ漸進的に大衆の幸福を樹立することに
あって、法的手続きを無視し、一挙に理想境を実現しようと
する革命主義でもなく、それと関連する全体主義でもない。」
としています。
「自由」は、自発性を持つが、それは、かって気ままにふるまうこと
でもなく、本能や、衝動のまま動くことでもない。人格の
本質をなす自由は、自ら自分自身を律することができるところに
あり、本能や衝動を純化し向上させることができるところにある。
また、「自由」については、責任がともなうとしていて、
権利と義務を相関的なものとし、権利だけが主張されて
いて、義務が無視される傾きがあることは、自由の誤解だ
としていて、見事に大切なところを押さえています。
[1999年4月30日 1時40分56秒]

お名前: てんとうむし   
JUBILOSOさん

「期待される人間像」のパンフありました。
ちょっと覚え違いをしていましたが、事情を紹介してみますと・・・

昭和38年6月24日に、時の荒木文部大臣から中央審議会に
「後期中等教育の拡充整備について」諮問がなされ
その諮問文のなかに検討すべき問題点として、

一、期待される人間像について
二、後期中等教育のあり方について

の二点が示され、一については、
「すべての青少年を対象として後期中等教育の拡充整備を
図るにあたっては、その理念を明らかにする必要があり、
そのためには、今後の国家社会における人間像は、いかにあるべきか
という課題を検討する必要がある」と述べられ、
中央教育審議会において三年有余にわたり、審議を行い
昭和41年10月31日に有田文部大臣に答申がなされたもの
だそうです。

この答申の「期待される人間像」については、
答申そのもののなかで
「広く一般国民、とくに青少年の教育に従事する人々が
人間像を追求しようとする場合に、参考として利用される
ことを期待するものである。」としてあるそうです。

この時代は、おそらく、日教組が強く、きっと
重要視されなかったような感じがしますね。
このあと、目次をちょっと紹介してみますが、
なかなかいいと思うんです。
[1999年4月30日 0時52分28秒]

お名前: JUBILOSO    URL
てんとうむしさん、こんにちは。
私は「期待される人間像」を読んだことがなく、内容について語ることが出来ないのが
残念です。

しかし、道徳につきましては語れるかなとも思っております。
戦後の道徳教育ってあってなきが如くの状態ですね。私が小中学生だった頃を思い返し
ましても道徳の時間は自習になってたり、算数・数学や国語等の授業進行の遅れをとり
戻す時間にあてられてました。(もう、オワってますなぁ。公立の学校にしてこうだも
んなぁ・・・・・。)(−_−)
こう思う一方で、私はこんなことも思っております。「でも、道徳の教科書に書かれて
ることって、就学前の年齢でマスターしてて当然なテーマばっかだなぁ。編集者のセン
スを疑うよなぁ。これじゃ、先生方に何を今更と思われて生徒に馬鹿にされて道徳の授
業がなくなるのも分からんではないよなぁ・・・・・。」
戦後の道徳の教科書って一体何なんでしょうね。
[1999年4月29日 13時51分16秒]

お名前: てんとうむし   
JUBILOSOさん

「JUBILOSOさんへ」のところにもちょっと書き込みましたが、
政府が以前に出した、「期待される人間像」について考えながら
道徳について考えてみたいのですが、どうでしょうか。
このパンフ持っていたのですが、いま、しまいなくしてしまったので
よく知っている方がいれば、教えて欲しいのですが
いらっしゃいますでしょうか。
[1999年4月28日 7時55分34秒]


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