記事タイトル:玉ちゃんへお知らせ 



お名前: JUBILOSO    URL
あはははは。(^^;
たまちゃんにあきれられちゃったみたいですね。
もう一度いらしていただくには、やっぱり聞き捨てならんことを書くのが一番でしょうか。

よ〜し・・・・・。

たまちゃんの○○は××でぶ〜でピーで・・・。

みっともないからよしなさい。(°_。)イテテ☆\(^^;ポコン

よーし、この方法でロジュさんも呼ぶぞ!

こ・・・、こいつわっ・・・。f(^_^;
[1999年5月24日 22時15分4秒]

お名前: へロー天気    URL
終わりましたか

二人とも お疲れ様でした(^^)
[1999年5月24日 19時33分50秒]

お名前: JUBILOSO    URL
たまちゃん、こんばんは。
たまちゃんとの対話、私も考えさせられ、また面白くもありました。
私は、ご縁がございましたらまたたまちゃんとお話をしたいです。

このHPは「ある目的」を達成するまでは現在のところ閉鎖しない
予定でおりますので、いつでも歓迎いたしております。
(実際には管理人の書き込みに若干の時間がかかるかも知れませんが。)
たまちゃんの今後のご発展、ご多幸を心からお祈りいたします。
[1999年5月23日 19時18分59秒]

お名前: たま   
まぁ、どっちでもいいです別に。

とりあえず待ってもこれ以上情報は出てきそうにないですし、そろそろ退散しますわ。

んじゃまぁ2度と遭う事もないと思いますが、お元気で。
[1999年5月23日 16時7分34秒]

お名前: JUBILOSO    URL
たまちゃん、こんばんは。
レスが遅くなって誠に申し訳ございませんです。

聖書のお話ですが、これにつきましては確かに神による天地の創造を字義通り読むならば
荒唐無稽という結論を下しかねません。
しかし、聖書は編纂された当時の人々の常識、認識に目線を合わせた記述になっています。
最新の科学に目線を合わせた場合、ついていけなくなる人が続出し、収拾がつかなくなる
ことよりも天上界は方便を選択されたと私は見ております。それも、今世紀末の宇宙論を
ベースにした方便としてです。
その意味では私は聖書を荒唐無稽だとは捉えてはいないのです。いずれ真相が紐解かれる
からです。
よってたまちゃんのお書きになってる

>貴方は細目から入り、矛盾を見つけると全体を否決する

というご意見は私には当てはまりません。

その書物が書かれた背景、時代、人類の精神の発展状況にも目を向けないと判断の誤りを
おかす事になります。

ところで、聖書を否定しない私ではありますが、20世紀に書かれた書物(幸福の科学の
霊言集を含む)についても同様の見方をするかというとこれはそういう訳にはまいりません。
今世紀末の読み手は、科学的認識が豊富になり、また耳年増にもなっています。
「荒唐無稽なもの」は荒唐無稽であることの正当性が見当たらない以上、そのまま「いん
ちき」の烙印を押されることになるのです。

ちなみに、これは余談ではありますが、聖書の創世記の項はバビロニア系の神話を下敷き
に二人の書き手が別々に書いたものを更に別の人物が編纂し直したものであるということ
が現在では判明しています。

スカラー波のことは一度、現ジェイアイの方々ともじっくりお話をしたいところですね。
これにつきましては(以前にも書きましたが)攻撃の事実があるかないかで結論が180度
変わってしまう話題だからです。
[1999年5月22日 22時14分56秒]

お名前: たま   
ちょっと言葉きついですが、私に対して傲慢なのではありません勿論。この掲示板において傲慢
なのは私のほうであるのは観察により明らかでございましてね(笑
ヨブ記よ〜〜〜〜〜く読んでください。貴方には信じがたいことがかかれています。

それと、貴方のその読み方では、「聖書」は荒唐無稽の古代人の夢想の記録にしか見えないはず
なんですけどね。創世記なんて、天体より前に昼と夜があるんです(笑
しかしながら私の精神には、実は創世記にはかなり意味深長な「主の神秘」の痕跡が見えるんで
すよ。改めてこれは深い! と感動を覚えるほどに、です。恐れすら感じます。
この違いは単純にいいますと前からいうておるように。

貴方は細目から入り、矛盾を見つけると全体を否決する
が
私は要点から入り、矛盾の「意味」に着目する

からです。
どっちがより「手馴れた」やりかたか、ちょっと最初に考えていただきましょうか。

それと、ですね。まだJIにこだわっているみたいなんであれですからね。結論をもう一回
述べておきましょうか。
新約を開いてください。
そこに何とかいてありますか。

「木を見れば実の良し悪しは分かるし、実を見れば木の良し悪しは分かります」

とありませんか。スカラー波におびえながら暮らすのは「良い実」ですか。
答えは貴方にもわかっているはずです。

そしてもうひとつあります。

「形ではなく、本質を見なさい」

とあります。貴方が私に反論するのは、形ですか。本質ですか。
[1999年5月20日 3時33分45秒]

お名前: JUBILOSO    URL
たまちゃん、こんばんは。
たまちゃんに傲慢って言われちゃった・・・・・。(;-;)

それはともかく、「霊は我々と記憶も認識もその他のものも、まったく同じである。」を
証明できるか否かですが、まったく同じかどうかは残念ながら地上界の人間からは証明で
きません。
しかし、その霊が語ったことの記録を探ることは可能です。私の場合、この記録探りの段
階で荒唐無稽なものは我々との記憶・認識の共通性云々以前に「問題外」としてハネてい
く姿勢でおります。
その辺がたまちゃんには傲慢にうつるのかも知れません。
しかしそれすらも許されないというのであれば、地上界の人類はただただ霊の発言に唯々
諾々と従うだけの愚かしい存在に成り下がってしまいます。
これはたとえ発言者としての霊的存在のお里がいかなるものであろうと、ただただ盲信す
るという姿勢です。
20世紀末の人類がとる姿勢とは到底思えません。
霊の言うことに唯々諾々とするのみならば、霊的現象を完全否定して排斥する人物の方が
遥かに健全です。

さて、イエス様のことを「救世主」と捉えた私の意見に早速問いかけをなさってますが、
以下の点にご注意をお願いいたします。

1.これはあくまで私の個人的見解であること。
2.イエス様が「救世主」であるということと、天上界の20世紀末現在の方針がどう
    なってきているかという問題はもはや(少なくともジェイアイにおいては)別問題
    になっているということ。
3,たまちゃんには「回答は自由」とお話をしたものの、たまちゃんの回答はまだうか
    がえていないこと。

これからじっくりお話をしていきたいですね。
[1999年5月19日 22時54分42秒]

お名前: たま   
>観ちゃんさま

盲信というか、「なんかすげ〜ことが起こったぞ、起こったからにはこれは本物だ〜」

式の「条件反射式の反応」は確かに危険ですね〜

ただ、起こったときの状況や自分の態度やその他もろもろの「現場検証」から導き出される
「意味」に「「常に」」注目しておれば、まず問題ないと思われます。
めんどうだから説明は省きますが(笑、論理前提がありますのでご心配なく(笑
客観的にも検証済んでますし、まぁだいじょうぶなんじゃないかと思われる思考の足場です。
今のところ。
[1999年5月19日 4時25分56秒]

お名前: たま   
それに引き比べてかんちゃんさんの物の見方は、ものすごく自分の分をわきまえたというか、
自分の立脚点を明白にしっている人間の姿ですよ。あんたちょっとみならいなさいよ(笑

他のスレッドで書いてありますがね、

「自分の幸福を願う」

という否定しきれない最初の出発点にちゃんと立っているし、考えるという事に付いてはちょっ
とばかり意見したい事もありますが、こう言う人はほっといても自分でどんどん進んでいけるん
ですよね。正直だから。分からん事は分からんというから。

それに引き比べるとかなり貴方は傲慢ですぞはっきりいいますが。態度は丁寧ですが、踏み越え
てはならん「冒涜」の境界をなんにも考えずにいったりきたりしておる。傲慢というか、無意識
といったほうがよろしいでしょうね。

バン教帰一をとなえながらキリストを救世主と信じるそうですがねぇ。

これなんか巨大な溝があるんですよ。特に仏教とキリスト教には。
わからんでしょ。そんな話言われても。
[1999年5月19日 3時58分38秒]

お名前: たま   
だ〜めんどくさ。

なにやら得々と書いてますがまるっきり問題外ですぞあなたは(笑
例えばなしで導いたほうがよさそうですなこれは。

ここにりんごがあるとしましょうか。で貴方はそれを詳しく研究して、

「りんごとはかくかくしかじかでこうこうで。。。(中略)。。。というものである」

と認識したとしましょうか。

で、目の前のりんごというのはそれを検討している間にも実はだんだん腐って行っておるわけ
ですがね、あなたはそれでも、「確かに私はりんごをしっている」ということは出来るわけで
すし、そのりんごとはチガウ、別のりんごをもってきても、「これはりんごである」と認識で
きるわけですよ。つまり、だ。こころの中にある「りんご」というのは

「一般化された観念の集合」

なんですよ。わかりますよねこれ。総じて言語と観念なりイメージなりというのは、対応関係
はありますがね。

言語=本質

ではないんですわ。
例えば、赤ときいて、りんごを思い出す人もいれば火を思い出す人もいるし、キャビンというタ
バコの箱を思い出す人もいるんですよ。これが言語と本質の関係です。


従って、ですな。これは別に霊現象にかぎった話じゃないんだけどさぁ、本を読むときという
のは

「要するに何が言いたいか」

が全てなんですよ。おわかりですかいの〜?
特に、だ。

今の場合我々は生きている人間でしてね、「霊の世界はいかなる世界であるか」を知らんのです
よ。ところが、貴方の議論というのは、

霊の世界で存在している「霊」は我々と同じ認識のしかたや記憶のしかたをしている

という無前提の仮定があって、

「はじめて成り立つ」

んですよ。わかりますかいの〜。。あなた霊の世界や霊人の記憶や認識の仕方について、何か
知ってますか? 知らんでしょ。私も知らん。だから、

「観察された事実が指し示すのは何か」

が唯一の問題なんですよ。分かってますか? 自分が「知っている事」と「知らない事」の
区別ちゃんとついてますか?

だから、「甘い」というとるんですよ前前から。

自然科学がどうのと前からいってますからねぇ、

上の命題、

霊は我々と記憶も認識もその他のものも、まったく同じである

を証明していただこうじゃありませんか(笑
眠って夢を見たというだけでさえ、夢の中の自分と目覚めて社会生活をしている自分には
ものすごい認識の差があるにもかかわらず、なんで無邪気にそんな事で満足できますか貴方は。
本気で真理を捕らえたいという意欲を、もっておるんですかいなぁ。。
[1999年5月19日 3時49分37秒]

お名前: JUBILOSO    URL
玉ちゃん(笑 、観ちゃん、こんばんは。

>玉ちゃん(笑

>「ある部分に歴史的事実と矛盾する記述があった場合、ある宗教の正統性は棄却されるか」
これは例え矛盾があったとしても言い逃れがきくものときかないものとがあることでしょう。
例えば私がこの世を去った後、霊能者にメッセージを降ろしたとします。
私は昭和生まれで平成の時代を生きてきた人間です。
「同時代のお方に明治天皇がいらっしゃいました。」などと私が言ってしまったら、冗談の
場合を除いて荒唐無稽だと評されます。
その当時の人物であれば、しかも真剣に自分のことを語ろうという真摯な気でいる霊であれ
ば、まずなさらないような歴史的誤謬は、その記述があった場合致命傷になりかねません。
例えば「道元禅師霊示集」には、生前の道元が中国の天童山にいた時に、老僧侶が椎茸を乾
かしていたという記述がありますが、これはおかしいのです。
実は中国に椎茸が入ってきたのは比較的近年、それもここ10数年のことで日本の技術援助
を受けてのことなのです。((((((((((((((((((((((((((^_^;

霊示集では真贋判定の決め手にはならないとしても、霊示をしている霊のお里はこれで知れた
ようなものなのです。
『論語』では「鬼神については語らない。」とおっしゃった孔子が神霊のことを霊言してみた
りするのも妙です。しかもこの霊は「孔子」という尊称をご自分で使ってます。(!)
(ちなみに『論語』ではご自身のことは「丘」と称していらっしゃいます。)
「孔子」の「子」は先生という意味で、礼節を重んじる孔子が自分のことを「孔子」と称して
出られることなどは絶対に無いとまでは言わぬまでも極めて無理がある登場のされ方です。

霊言集のことは今日はこの辺にして、お約束通り基本書の誤りを今日は少々書きます。

「釈迦の本心」には『波羅蜜多』の説明が載ってますが、誤った解説です。
「釈迦の本心」での解説だと、蜜は蜂蜜の蜜で非常に価値あるものだという漢字の字義に
こだわった解説になってますが、もともと「パーラミター」はインド発祥のもので、語源
はサンスクリット語に溯ります。
よって「波羅蜜多」という漢字自体には意味はありません。
大乗仏教の経典は、梵語つまりサンスクリット語で書かれてます。そのサンスクリット語
が中国に流れて同音の漢字があてられました。それが更に日本に入ってきた訳です。
従って音写に過ぎない経典を漢字の意味から解釈しても全く意味が無いことなのです。
「仏陀」という言葉もサンスクリット語の「buddha」の漢字音写です。
この場合は「覚者」という意味になります。
幸福の科学はかつてオウム真理教から攻撃された時に経典主義を批判し、うちは啓示宗教
だと主張しました。
しかし、やってることは根源の意味ではなくて日本に伝来してきた漢字の経典解釈です。
さて、『パーラミター』の正解は・・・・・。これは皆さんも一緒に考えましょうか?
その方がいいですね。しばらく書かないことにします。
(まぁ、オウムの「八正道」の解釈もぶっ飛んでましたけどね。あれじゃ「超能力欲しい
欲しい病」にかかった修験者の妄想解釈です。)

>観ちゃん
「ミエナイチカラ」はあるのかも知れませんが、安易にこれがそうだとかのめり込み出し
たら確かにアブナイものがありますね。
こういうのは、冷静な自分を見失わない姿勢で見つめないといけませんね。
[1999年5月18日 23時48分48秒]

お名前: 観ちゃん    URL
>それとですね。見えない力なんてのは、どこにでも働いていますよ。ただ普通は気がつかない
>だけです。なにもめずらしい事じゃないですよ。

そうそう、珍しくないですよね。(^^)
よくあるけど、その現象を盲信してもいけない。
[1999年5月18日 21時34分40秒]

お名前: 玉ちゃん(笑   
ふむふむ。

興味ありますね〜とにかく今は情報が欲しいですよ私としては。

あ〜ちなみにですがね、なにやら勘違いされていらっしゃる恐れがあるので一応立場を明確に
しておいたほうが良いのではないかと思いますね〜。どちらかが間違いであると明確に判明し
たら、どちらがどうという結論であれ、

「私は正しいほうにつきたいと思っています。」

あとですね、かなりレスで幸福の科学批判に対しては文全体が短いですが、要するに「昔その手
の話は考えた事があるが、決定的な問題とはみなせなかった」という程度に解釈しておいてもら
いましょうか。。数学といっしょで、一般化して考えたわけですね〜ようするに。

「ある部分に歴史的事実と矛盾する記述があった場合、ある宗教の正統性は棄却されるか」

という命題をたててこれの真偽を問えば、具体的な話を考えなくても解答は出ますからね。
というか個別的部分についていちいち調べていてもきりがないでしょ。一般化してしまえば
一撃ですよ(笑

それとですね。見えない力なんてのは、どこにでも働いていますよ。ただ普通は気がつかない
だけです。なにもめずらしい事じゃないですよ。
[1999年5月18日 3時38分17秒]

お名前: JUBILOSO   
玉ちゃん、またまたこんばんは。

ちょっとだけ書きます。確実に載せるため、ダイエットさせた投稿にします。

玉ちゃんはユング的ご興味で幸福の科学の変化を捉えられてますが、私はただ単に大川
隆法氏が昭和50年代前半のジェイアイ関係の書物をお読みになってたとしか思ってお
りません。
3億6500万年前にベー・エルデ星からエル・ランティ様がミカエル様他七大天使と
共に宇宙船で地球に飛来されたというお話が最初に載ったのは千乃正法の書物において
です。(その前に高橋信次先生が今から2億年前にベータ星人のエル・ランティ他七大
天使云々というお話をされてますが、ジェイアイでは年代と星の名が訂正されてます。)
残念ながら「太陽の法」が最初ではありません。
また、自称内村鑑三氏への批判が幸福の科学棄却の論点にはつながらないとおっしゃるの
ならば、基本書の「釈迦の本心」や「太陽の法他3部作」の批判ならば話が変わってくる
ということですね。
では次回、書こうと思います。

次にイエス様が「救世主」か否か?ですが、私は「救世主」と捉えております。
ただ、本件は現天上界の方針について説明致しておいた方がよいかとも思われますが、今回は
割愛します。(別の機会で語ろうかと思います。)

P.S
「運動」のご説明、ありがとうございました。ところで「笑」の謎はまだ謎のままです。
[1999年5月18日 1時59分49秒]

お名前: JUBILOSO   
玉ちゃん、こんばんは。
番外編の対話が続行していることを示すために、ここにリンクの処理をしました。
しかし、掲示板の調子が悪く、玉ちゃんへのレスはここまでにします。
一回長文の投稿をしたんですが、載りませんでした。
これは冗談ですが、「ミエナイチカラ」が働いてるんでしょうか?あまり過激な
こと書かせないように。
今日は疲れたましたんでこの辺で・・・。
[1999年5月18日 1時17分54秒]

お名前: たま   
ん〜

まだ結論まで全然いってないしかくしておいてもらえますか。

なんかあれだけあるとあれが結論に見られそうでやですね。かなり。
[1999年5月17日 3時13分19秒]

お名前: JUBILOSO    URL
玉ちゃん、こんばんは。
玉ちゃんとの対話のスレッドが当掲示板の量的限界を超過しましたので、「過去ログ集」
のコーナーへ移転しました。

ここをクリック!(^^)

誠に恐れ入りますが、今後の投稿文は別スレッドにてお願いいたします。

・・・・・と、今度は私が書く番でした。((((((((((((((((((^^;
[1999年5月16日 21時10分12秒]


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