お名前: 織原建
こんばんは、織原です。
私たち信次先生の法を学ぶものが、知っておくべきこととして。
これは私もついついしてしまうことですが、正法以外の教えや、
またそれを信じる方たちの魂の段階をどうしても低くみなしてし
まいがちになります。いうまでもなく人はすべて神の子、悉有仏
性、如来蔵であります。私たちも過去世においては間違った教え
を信仰してきたはずです。平等でありつつも、また魂の段階の差
もはっきりとありますので、それぞれがそれぞれの段階に応じて
満足されるために、さまざまな段階の教えが存在しています。
どの段階の教えであろうと、そこで魂が満足される器の方ならば、
その教えで確かに「救われる」のです。
神理を基準にしてしまえばどの教えも「欠陥」があります。私た
ちはせっかく長い縁生の過程を経てこの法に辿り着いたのですか
ら、もう下を見ることなく天だけをしっかりと見ていけば良いと
思います。
たとえ周囲に、こんな信仰されてて気の毒だなと思われる方がい
たとしても、それがその方の修行なのですから、そっとその方の
しあわせだけを願っていれば充分だと思います。なにせ、信次先
生も、身内に創価学会の方がいらっしゃったけれども、特別その
方に何をされるということもなかった、ときいております。
たとえ如来や菩薩であろうとも地上におりてきたならば、なによ
りまずは自分の修行を大切にしなさい、ということでしょうか。
[1998年12月17日 1時32分55秒]
お名前: JUBILOSO
>皆様、こんばんは。
現在起こっているニューエイジの弱点のお話ですね。「わくわくする自分」や自己啓発セミナー
の「最高です。」とか何度も言わせるとか言った教えは反省、努力、精進といった要素をない
がしろにしてしまいやすいところがありますね。もっと言えば、マインドコントロールにかけ
やすい手法でもあります。
最近の例では、危機に関する対処の能力が欠落し倒産を招いたヤオハンの思想背景が光明思想
であり、弱点をつかれた形になってしまっていました。
光明思想全体がいけないのではなく、その中に中庸の心的態度や危機に対する的確な正見、正
思、正進が伴わないといけないということですね。
ワクワクしてる人は八正道にも目を向けましょう。でないとその歓びは砂上の楼閣、空虚な歓
びとなってしまいます。
[1998年12月16日 21時47分6秒]
お名前: 星野宏一
観ちゃんさん、アドバイスありがとうございます。
文字訂正させて頂きます。タイトルの題名を「片寄ったニューエイジ」に
変更させて頂きます。言葉って難しいですね。それでは又(^^)
[1998年12月16日 17時23分19秒]
お名前: candor
星野さん、それですー!!(^^)
まさに、それ! …足りないんですよね、記述が。
[1998年12月16日 14時37分16秒]
お名前: 観ちゃん
内容とは関係のないことですが、
タイトルの「片手落ち」という言葉は使わないほうがいいと思いますよ。
[1998年12月16日 9時30分35秒]
お名前: 星野宏一
URL
ここ数年のニューエイジの教えに関して、感じている事を言及致します。
各星ぼしから又天上界等からのインスピレーションと称している教えの、重視している
点として、「愛」、「光」、「瞑想」等の根本的な所を繰り返し言及しております。後良く
使われる言葉としては、あるがままの自分を見つめ、自分が神の一部(神の子)で有るこ
とを認識し、全てを受け入れる事である・・・・等が中心概念であるケースが多いよう
です。光明思想的・理想論的立場からのコメントとなっております。
勿論これらは非常に大切な考え方であり、我々人間に対して大いなる勇気と希望を与え
ており、人によっては非常に有意義な教えであります。
只これだけでは片手落ちであり、現状把握(現実問題としての地獄界の存在、三次元世
界の厳しさ等)や、反省・努力・精進等の修行論が見事に欠落致しております。
光明思想的な発想のみで突っ走ると、確かに凄まじい発展をするケースもありますが、
最終的には砂上の楼閣の如き、非常に脆く晩年にて崩れ去る事が多いようです。
余り悲観的になる事もどうかと思いますが、やはりここでも中道の姿勢が望まれるもの
と思われます。
つまり、理想は高く、現実は手堅く確実に一歩一歩前進していくと言うスタンスが私達
修行者にとっては大事な事であると考えます。
[1998年12月16日 3時11分27秒]
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