同居人シリーズ
第一話 ◆同居人の出会い
私、結城りの。14歳。
今日、私は晴れて3年間楽しく過ごした藍ノ瀬中学校を卒業しました。
小学校からずっと一緒に過ごした親友、弥生朋花、水上貴子とは離れば
なれになってしまうけど、学校が違ったくらいで途切れてしまう友情じ
ゃないもの! これからも長い交際を誓い合い、今、私はこの上ない幸
せを感じながら帰路についています。
「ただいまっ! 結城りの、これで新しい高校生活を待つだけとなり
ました。」
玄関を開けたとたん、私はあわてて口を押さえた。目の前で母が電話
していたのだ。でも、しばらく様子を見て安心した。母の声の方がずっ
と大きかったから。
「まぁ、それじゃ久遠寺さんのお子さんも今年から日本へ? あ…う
うん、まだ娘には話してないんだけど。」
…久遠寺? 知らない名前だわ、何のことかしら。母は私に気付いて
こちらを見た。
「わざわざありがとう、陽子ちゃん。また連絡するわ、はい。」
電話を切った後、母は私に「おかえり」と言って台所に入っていった。
私はあわてて後を追った。
「何? 私に話してないことって?」
「うん、実はね。」
洗い物の手を休めないで母は静かに言った。
「お父さんの転勤、やっぱりお母さんもついていこうと思って…。」
私は何も言えずに母の言葉を聞いていた。お父さんが来月から3年間
出張することになって、ずっと単身赴任かそれとも、と相談していたの
だった。もちろん私はこの近くの千尋学園への進学が決まっていて此処
を離れるわけにはいかない。
「やっぱりお父さんと離れるなんてできないし、申し訳ないとは思う
んだけど、りのはしっかりしてるものね。」
「私は構わないけど、真子が心配よね。」
妹の真子は幼稚園児。気の強いおてんば娘とはいえ、やっぱりまだ甘
えん坊だ。
「真子も、連れていこうと思ってるのよ。」
「…えっ!!」
「でも、りのがいくらしっかりしてるといっても一人で暮らしてと言
うんじゃあんまり気の毒だし、お母さんたちの古い友だちに3人、今年
からりのと同じ学校に通う子がいてね、家なら一番近いし、よければ下
宿しないか頼んであるのよ。」
下宿。考えもしなかったことだ。
「どんな子なの?」
「ほら、牧原さんとこの。りのは知らないかも知れないけど、真子が
時々お世話になってた…。」
「ちょ、ちょっと待って!!」
私は慌てた。直接は知らないけど覚えてるわ、真子の話、確か『お兄
ちゃん』って…。
「男の子じゃないの、その人!? あとの二人は!?」
「そうね、とってもお料理が上手で可愛らしい子だったわよ。今はど
うしてるのかしらね。さっき電話してた藤島陽子ちゃんとこの。」
「全然覚えてないんだけど。」
「まぁ、りのも会ったことあるじゃない。1歳くらいの時に『葵ちゃ
ん』って呼んで。」
…1歳じゃ覚えてなくて当然ね。葵ちゃん、か。まぁ料理上手の子な
ら話は合うかも。
「もう一人の子は、陽子ちゃんの旦那様のお知り合いの子でイギリス
から日本へ勉強に来るんですって。大丈夫よ。りのならきっとうまくや
っていくわよ。」
話が滅茶苦茶だ。男の子がいる問題についても何となくはぐらかされ
たような気がする。でも父も母もよほど彼らを信頼しているのだろうか、
数日後あっさりと荷物をまとめて転勤先へ出発してしまった。もちろん
その晩は眠れるはずもなく、とにかくこれからの未知の人たちとの生活
を考えていた。問題の3人がやってくる運命の日はあっという間にやっ
てきて、私はその日の夕食の買い物を急ぎながら、何とか心を強く持と
うと自分を励ますことにした。
門をくぐろうとした時、ドアの前に一人の少年が立っているのに気が
付いた。両サイドから垂れた黒髪は胸にかかるほどに長く、後ろ髪は一
つでまとめているようだ。ドアにもたれてうつむいた彼は無言で顔を上
げると、鋭い視線を私に向けた。私は最初あの『牧原』という人だと思
ったが、その冷たい態度からは真子が反応していたような好感はまった
く感じ取れなかった。
「来るのわかってんだから、留守にしてんじゃねーよ…。」
驚いた。なんて態度悪いのかしら!? こいつ不良だわっっ!
「ご、ごめんなさい。あなた牧原くんよね?」
一人目から気まずい関係をつくるわけにはいかない。怒鳴り返してや
りたいのを我慢して低めに出てみた。
「…違う。」
彼はきっぱり言った。うそっ!? もう一人男が増えたってことじゃ
ないのっっ!
「オレは藤島…葵。『牧原』なんてヤツじゃねーよ。」
「葵…って、それじゃ、あなたが『葵ちゃん』!? 男だった
の!?」
自己紹介が嫌そうだったのは見ていてわかったが私はつい口走ってし
まった。彼は硬直したように身を震わせている。
「おまえ…りの、って言ったよな。対面早々その言い草か。二度と言
ってみろ!承知しねえぞ。それからオレの事は名前で呼ぶな、わかった
なっ!」
どうやらひどく傷ついたらしい。あんなに声がうわずっちゃって…。
でも今の私の心の傷に比べたら天地の差よ!
「うわぁ、でけぇ家っ!」
玄関で自転車のブレーキの音が響いた瞬間、その差は天地どころでは
なくなった。地の割れ目からさらに落ちていくような絶望感。葵ちゃ…
不良少年が真正面に居るのであろう彼に冷たい視線を向ける前に、私は
今だかつてなかったほどの勢いでふり返った。ジャケット姿の不良少年
に対し、襟付きのシャツにジーパンという身軽な格好で髪は少し茶色っ
毛。人なつっこそうな笑顔を見せながら私の前へ駆け寄ってくると、驚
いたことに私へすっと右手を出した。困惑したまま彼の顔を見つめてい
ると、しばらくたって彼は待ちくたびれたのか、ようやく言った。
「握手だってば。おまえ真子ちゃんのお姉さんだろ? オレ、牧原樹、
よろしく!」
彼のあどけなさすら感じる素直な態度に圧倒されて思わず私は握手に
応じてしまった。言っておくけど私、今まで男の子と手を握ったことな
かったのよっ。あんたがよろしくても私の方はちっともよろしくないん
だから。遠慮も抵抗感も何もないの、この男!?
「あ、ひょっとしておまえもここの下宿人? じゃ、あいさつしてお
くな、よろしく。」
礼儀正しいんだかなれなれしいんだか…。気まずい中、一人で元気を
ふりまいて、そばにいた不良少年にも声をかける。再び渋々と自己紹介
する不良少年。私は何となくハラハラしながら様子を見ていたが案の定、
元気少年は突然不良少年のこぼれた髪の両房をつかんでこう言い放った
のだ。
「おっもしれー!男でこんな長い髪初めて見たぜ。」
「…て…てめぇっっ!!」
ああ、やっぱり怒ったーっ。不良少年は間髪入れずに思いっきり元気
少年の胸ぐらを掴み上げた。掴まれた方はきょとんとしていたが、大し
てダメージもなさそうにその手首を掴んで外してしまった。不良少年が
悔しそうに彼の顔をにらみつける。
「会っていきなりケンカ売るの? 買ってもいいけどさ。」
悪戯っぽい笑顔のまま返した元気少年の言葉を私はできるものなら聞
き逃してしまいたかった。下手して警察沙汰になった時に、私には全く
予想し得ない突発的事件だったと証言出来るから…。
「いや、ケンカはおまえが…」
不良少年の方も少し戸惑っているようだ。
「気にしたんだったら謝るよ。けどなんか今さら気がおさまるってよ
うにも見えないし。それならいっそのこと、ここですっきりさせちまっ
た方がいいんじゃねえ?」
どーしてそうなっちゃうのよっ!?
不良少年の方も乗り気になってるみたいだし。…ばかぁ、なんで私が
こんなケンカ好き二人に巻き込まれなきゃいけないの!誰か止めてよ。
叫ぶわよ、本当に警察呼ぶわよーっっ!!
「そのケンカ、ぼくがまとめて買い取るっていうのはどうかな。」
…え?
どこからか品の良いキレイな声が聞こえてきて、二人の動きが止まっ
た。何が起こったのかわからない。でも、ケンカはおさまったのね。だ
としたら、良かった!神の救い!
「ぼくはケンカ自体に口を出す気はないけど、そこのキュートな女の
子を困らせることはないと思ってね。」
私はやっと我に返った。二人の視線を追ってその正体を確かめると、
何とそれは耳に赤いイヤリングを輝かせた、栗色の髪で青緑の瞳の美少
年だったのだ。
「おまえ、誰だよ…!? まさか、おまえも?」
驚きの口調で言う不良少年の答えを高貴な微笑みで示して、彼は引い
ていたスーツケースをそっと置いた。
「今年から2年半、ここでホームステイさせていただくことになりま
した。久遠寺参です、はじめまして。」
久遠寺って、そう言えばお母さんが電話で言ってた名前だわ。必死で
現実逃避している私の隣で、元気少年が呆れ顔で呟いた。
「ホームステイったって、もう日本語普通に話せてるじゃんか…」
…神様どころか、彼ら全員、不幸の使者だ。
私はため息で言葉が出ないまま、重力に任せて受話器を置いた。
『男の子でもみんないい子だから信頼できるわよ。仲良くやってね、
りのなら大丈夫よ。』
…じゃないわよ。それが親の娘に向かって言う言葉なのっっ!?
「りのちゃん…?」
「何よっ!」
つい荒っぽく振り返ってしまって、外国少年は怯えるように身を引い
た。
「あの二人がコーヒーを飲みたいって言うんだけど、いいかな?用意
はぼくがするから。」
「いいわよ…、私が淹れるわよ。」
つんと背を向けかけて、すっかり私の顔色を窺っている彼を感じると、
そっと向き直った。とりあえず笑顔を見せて。
「久遠寺くん、だっけ? あなた日本語上手よね。」
私が笑ったので少し安心したのか、本当にわずかに楽な体勢をとる。
「父が日本人なんだ。母はイギリス人なんだけど。」
「じゃ、ハーフなの!?やっぱり英語もペラペラ?」
私の機嫌が直ったのを敏感に感じ取ったのか、彼はもうリラックスし
てにっこり笑うとうなずいた。
「参、って呼んでくれたら嬉しいな。」
参くんは妙なくらいうれしそうな顔になって、さきほどよりはるかに
口調が高くなったようだった。
「ごめん。コーヒー、ぼくのもほしいな。」
「はいはい、参くん。」
私が笑顔で返すと、彼は居間へ戻りざまにウィンクして私にこんなこ
とを言った。
「りのちゃん、笑ってる方が可愛いよ。」
私は一人台所に残ってから、ため息まじりに首をすくめた。…少し頬
が熱い。ナチュラルすぎる口説き文句に照れつつも複雑な思いが消えな
いのは、彼らに対する先行き不安のせいだろう。
4人分のコーヒーをいれて居間に入ると、あぁなんて緊張感、それぞ
れ距離を置いてソファーに座り、目も合わせず口もきかない。やっぱり
出会いから最悪だったのよ、このメンバーは…。私はコーヒーを皆の前
に差し出してからはっきりと言った。
「あんたたち、何ができるの?」
ようやく共通の感情がもてたらしい。3人は不思議そうに顔を見合わ
せた。
「ねぇ、あんたよ。ほら。」
「樹でいいよ。」
「じゃあ、樹。あんたは何ができる?」
「え? 何ができるって聞かれても。 ん…、木登りなら得意だ
よ。」
私は絶句して、すぐさまため息をついた。バカ相手に聞き方が悪かっ
たのね…。
「そうじゃなくて、この葵ちゃんみたいに料理が得意とか、そういう
家で役に立てること!」
「…おい。」
視界の隅に明らかに顔色を変えた生体を捉えたけれど、今は樹との話に
集中しよう。
「つまり、オレがここでやれる仕事って意味?…そうだなぁ。あ、庭
の手入れなら出来る!ほら、外に咲いてるだろ?」
「庭ねぇ…。」
「任せて。でもオレ、家事とかやり方知らないけど教えてくれたら何
でもやるよ。」
あら、けっこう立派なこと言うんじゃない。こういうところは真子に
信頼されてるだけあって素直なのね。
「そう、じゃとりあえず庭のことは任せるわ。参くん、あなたは?」
「おい…って呼んでるだろ、返事しろよっ!」
「何よっ!」
参くんの返事を我先にと遮り、葵ちゃんが身を乗り出してつっかかっ
てきた。
「その葵ちゃんってのやめろって言っただろ! それに今、何て…誰
が料理するなんて、オレ知らねーぞっ!」
「だって得意なんでしょ?」
一瞬彼は言葉を詰まらせた。しかしすぐに立ち直って抵抗してきた。
「…だからっ、誰がそんなこと言ったよ!?オレは一言も言ってねー
だろ?!」
今度は私が返答に困った。他の二人も『何かの間違いじゃないの?』
というような顔をして私と葵ちゃんを交互に見ている。少し間があいて、
とうとう葵ちゃんが勢いづいたのか念を押すように言い張った。
「勝手に決めんな!部屋の掃除くらいは責任もってやってやるけど…
おまえらの飯の支度まで好んでする義理ねーからな!」
「?…ってことは『好んで』ないだけで料理が『できない』わけじゃ
ないんだ。それならやるべきだぜ、おまえ。」
私が完全に葵ちゃんに押されていたところへ樹が何気なく助け舟を出
してくれた。
「そうよ。私、何も毎日なんて言わないし、日替わり当番制に…。」
「りのちゃんと葵の作る料理、ぼくも興味あるな。」
形勢逆転され追い詰められた葵ちゃんは無言のまま再び樹の襟首をつ
かまえた。
「な、なんだよ、またケンカ売る気?」
こんなに怒るところを見ると、私は逆に不思議に思えてきた。どうして
そこまで料理を拒むのかしら?
「ふ、二人ともっっ!」
私が考えている間に、さっきは手を出さなかった樹が今度は葵ちゃん
の胸ぐらを掴み返した。瞬間、二人は大乱闘を始めてしまった。参くん
に止められたことで二人の対立心がずっとくすぶったままだったのが、
この些細なきっかけで爆発したんだろう。私は思考を働かせるどころで
はなくなって、ただパニックになるばかりだった。参くんも思ってもみ
なかった事態に慌てながらも何とか仲裁に入ろうとしている。逞しい同
士のケンカなので、スマートでしなやかな体型の参くんではとてもじゃ
ないが止められそうにない。それでも参くんは私をふり返って微笑むと
言った。
「大丈夫だよ、りのちゃん。とにかく居間から出て! あ、ぼくは食
後の食器洗いくらいならできるから…!」
私は参くんの言う通りに居間をとび出した。3人の声がさまざまに交
差している。私は改めて後悔していた。
もう私に平和な生活は保障されない、と。
何で私が一人でやらなきゃいけないのよ。
私は思いっきりイライラしていた。
葵ちゃんが意固地なまでに料理を拒否したために、結局夕御飯の支度
は私一人。樹は追加の荷物を取りに実家へ、参くんは手続きのため学校
へ出かけていってしまい、それっきり帰ってきていなかった。居座って
るくせに頑として動かない不良少年は、手伝うどころか見にも来やしな
い。まったく冗談じゃないわ。男3人の量なんて全然見当がつかないじ
ゃないの。
今日のメニューはハンバーグ。怒りに任せて、とにかく具をこねてい
た時。
「…足らないんじゃねーか?」
あ、見に来た。にしても早々に毒舌で言ってくれるじゃないのよ。
「いつもより多めに作ってるわよ!」
「いつもって、親父と母さんと、おまえと…?」
「妹よ。」
葵ちゃんはとたんに大きなため息をついた。今度は何よ。
「おまえな、食う盛りが4人も集まってるんだぞ。親とガキの分量な
んて基準になるかよ。」
いびられる、ってきっとこういうのなんだわ。私は腹立たしいやら悲
しいやら、たまらない思いに迫られた。
「男の食べる量なんて知るわけないじゃないの! 私一人でやってる
のよ。あんたに文句言う資格がある?」
言いたいことだけ言って私はさっさとそっぽを向いた。彼は言い返し
てこなかった。でも、もしまだ辛く言ってくるようなことがあったら、
私はひょっとして泣いてしまっていたかも知れない。どうして自分の家
でこんな生活強いられなくちゃいけないのよ。
「…わかったよ。」
もう出ていったと思っていた彼が背後でふとつぶやいた。
「わかったよ、手伝ってやるよ!! 飢え死にしたくねーからな
っ!」
私を押しやって流しで手を洗い始める。そしてボールの中身をちらっ
と見て「ハンバーグか…」とつぶやくと、台所の器具を確認し始めた。
最初はあまりの勝手さに「もういいわよ!」とか言って断ってやろうと
思ったが、見ていて意外なほど手慣れているのに気付いたら、言えなく
なってしまった。
「エプロン…今はねーからこのままでやるぞ。」
少なくとも見栄ではこの気のきいたセリフは出ないのだ。
「米は何合炊いた?」
「…3合。」
「3…今日は控えるしかねーか。こっちは…肉はもう全部だろうし、
おい、玉ねぎとかニンジン残ってないか?」
「少しくらいなら。」
「じゃ、中身と付け合わせで何とかするか。くれよ。」
嫌がってたかと思えば、いきなりこの仕切り様。私は逆らわないこと
にして、言う通りにしてみた。何の抵抗もなく材料を切っていく葵ちゃ
ん。みじん切りもお手の物とばかりのその包丁さばきも確かながら、具
が増えたのに合わせてきちんとつなぎの量も加えるし、フライパンの扱
いも適切だ。驚いた…。私はつい彼に釘づけになって見つめていた。ハ
ンバーグの素がフライパンに乗って落ち着いた段階になって、葵ちゃん
はやっと私を見た。
「おまえ、何、突っ立って見てんだよ。」
「葵ちゃん、うまいじゃない! どうして、そんなに上手にできるの
に。」
「だから、その呼び方やめろ…って。」
私も何でこんなに調子がいいんだろう? あんなに腹立たしかったの
に…。でもそれを吹きとばすくらいに彼の料理の腕は見事だった。つい
でにもう一つ気付いた。彼がはじめて照れたこと。今までずっと険しか
った表情がここではじめて崩れた。『葵ちゃん』と呼んでもさっきまで
のように怒らない。自分の振る舞いに戸惑っている様子は、少しだけ可
愛く見えた。
「あれっ!?おまえ料理作ったの?おい、どこ行くんだよっ!」
ドアで物音がした途端、今の今まで普通に手伝ってくれていた葵ちゃ
んは一転して態度を変えてしまった。台所から出るところを樹が見て、
二人は再び口論を始める。
「何もやってねーよ!!」
「だって、台所から出てきたろ、今?」
「見物してただけだよ、しつこいぞ、おまえ!!」
樹は興味いっぱいの顔をして葵ちゃんにつきまとう。
「オレさ、料理ってずっと女の子がするんだって思いこんでた時があ
って…。」
「…オレが女みたいとでも言いたいのかっっ!!」
何がここまでに彼を怒らせるのだろう? 突然の刃の矛先はまた樹に
激しく突き立った。
「そんなこと言ってないよ。ただオレはすげーな…って。」
「冷やかしてるだけだろ!?」
樹は思いきり突きとばされて廊下の壁に体ごとぶつかった。こうなる
と食事の支度どころではなく、私はあわててコンロの火を消し彼らの行
動を見守る。怒りに震える葵ちゃんのその時の瞳は、内心に抱える葛藤
をも振り払うように反抗的で非情だった。樹は訳が分からずに彼をずっ
と見つめていたが、さすがの樹もとうとう目に鋭い光をあらわした。
「おまえ、そうやって人の言葉いちいち嫌みにとるのやめろよ…。」
「てめーの言葉が他にどうとれんだよ。」
二人の間がどんどん険悪になっていく。私が立ちつくしていることし
かできない中で、不仲の境地に達した二人は私の目の前で壮絶な取っ組
み合いを始めてしまった。二人が動くたびにものすごい音が家中に響き
わたる。どうしよう、参くんはまだ帰ってこないし…。まさか私に止め
ろって言うの!? 信じられない、どうして1日も経たないでこんなケ
ンカが3回もできるのよっっ!?
「ちょっと、やめてよ…。」
留守番兼下宿生活1日目にして家を破壊しました、なんてとても親に
連絡できるはずがない。勇気を出して、まるで台風か雪崩みたいな二人
に恐る恐る近付いていく。私の声なんて全然届いちゃいない。
「お願いだからケンカは…きゃっ!!」
姿すら見えないのか、二人は私にぶつかったことに気付かず、まだ乱
闘を展開していた。しゃがみこんだまま、私は何だかひどく嫌になって
きて、いつの間にか大声をはりあげていた。
「もう勝手にしたらいいわっっ!!」
さすがの二人も組み合ったままで唖然として私を見た。立ち上がった
私は台所のことも忘れて表へ飛び出してしまった。
「りのちゃん?」
門のところで参くんに出くわした。事情を知らない参くんは、もう日
が暮れようというこの時間に出ていく私に戸惑っていた。
「どうしたの、何があったの?」
「あんたたちとなんか、私、生活できない…。」
玄関に二人が揃って現れた。参くんはその雰囲気から何となく状況を
把握したようだ。
「樹、葵…まさかキミたち、また?」
私はこれ以上この場にいるのが耐えきれなかった。背を向けて、必死
に声を押しだして言った。
「…探すんじゃないわよ。私の名前大声で呼んで町中歩き回るような
ことしたら、あんたたち全員家を締め出してやるから!」
「お、おい、りのっっ!」
思わず私は駆けだしていた。樹や参くんが呼び止めていたようだった
けど、もう構う余裕なんてなかった。
あいつらと一緒にいたくない。そんな衝動にかられて家を飛び出して
しまったけれど、正直行くあては全く無かった。もちろん今さら戻るこ
とはできないし、戻りたいとも思わない。どうして、自分の家なのに…。
『りのなら、うまくやっていけるわよ。』
いくら私でも無理よ、お母さん。あんな協調性のない男ばかり、とて
もやっていけないわ!
走ってるうちに私は涙があふれてくるのに気が付いた。涙なんかめっ
たに流さないのに…。みんな、あいつらのせいよ。私は知らず知らずの
うちに公園に駆けこんでいた。木々に囲まれたサイクリングコース。も
ちろん一般道路じゃないから人はそうそう通るものじゃない。だからき
っと無意識でこの場所を選択していたのだろう。あまり他の人に見られ
たくなかった。
「…あっ。」
涙をおさえて俯いて走っていたせいだ。私は前を歩いていた誰かに追
突してしまった。私はその場に尻もちをつき、その人もよろけて持って
いた本屋の紙袋を取り落とした。
「…ごめんなさい!」
私は慌てて這うようにしてその紙袋を拾い、立ち上がると相手に手渡
した。涙に潤んでいるのも忘れてその人を見上げてしまった。細い目で
どこか冷淡な雰囲気のある同年代の男の子。彼は唇を開きかけて、私の
顔を見るとそのまま何も言わずに紙袋を抱えた。表情がなくて何を思っ
ているのかまったくわからない。でもこんな顔でこんな広い道でぶつか
ってくる女の子を怪しまないはずがないことは自分でもわかっていた。
私は一礼して、すぐに彼のそばから走り去った。
だんだん息が切れてきて、道も出口に近付いてくると私は少しずつス
ピードを落とした。苦しい…持久力もないくせに滅茶苦茶に走るから…。
「…これから、どうしようかしら。」
朋ちゃんたちのところへ…、だめよ、どうやって事情説明するの?
じゃ思いきってお父さんたちのところへ…、無理よ、お金持ってないも
の。私は途方に暮れて、道を外れた林へ入るとそこにぽつりとある池へ
と向かった。何もない薄汚れた寂しい池。ここへ来る人なんか誰もいな
い。だからこそ何となく落ち着ける気がしたのだ。もう暗くなっていた。
18時半は過ぎたかしら…。私は小脇に抱えていたエプロンを胸に抱き直
して、そっと水際のところまで行きしゃがみこんだ。私の顔が水面に映
る。…みっともない、久しぶりに見た、見たくない顔。ただでさえ憂鬱
な気分だったからか、いろいろ考えているうちにどれもこれもが悲しく
思えてきた。中学を卒業して朋ちゃん、貴ちゃん、他の友だち、先生と
離れてしまったこと、家族の出張で私が一人ぼっちになったこと。まっ
たく無関係のこのさびれた池の様子にさえも…。私はエプロンに顔を押
し当てて涙を拭いた。私、いつもこうなのよね。こういう感情、実際よ
りも何故から後からやって来るの。その時はけろっとしてるのに…鈍感
なのかも、私。
それから10分ほど経って何気なく立ち上がった時、不意に後ろで人の
気配がした。ふり返ると、そこには。
「あ、あんたたち。」
樹、葵ちゃん、参くんの3人が私の様子を窺いながら立っていた。
「…どうして。」
「呼ばずに探してやったんだ。感謝しろよ。」
「葵、またそんな言い方…、ぼくたちが悪いんだからね?」
ふてくされて言う葵ちゃんを参くんがたしなめる。私の疑問に代わり
に答えたのは樹だった。
「おまえ、途中でぶつかったヤツがいたろ?そいつが教えてくれたん
だ。」
あ…あの男の子。
「寒いのに、ごめんね。すぐには声を掛け辛くて…やっぱりまだ怒っ
てるかな。」
私が何も言えずにいると、参くんと樹が必死に私の機嫌を直そうと話
してくる。
「実はさ、オレもここのサイクリングロード好きなんだ。この池も明
るい日は凄く良い景色だし静かで落ち着くよな。…な、りの、オレたち
仲直りしたからさ。戻ってこいよ。男3人で女の子一人追い出したなん
て親に言えないだろ?」
樹が首をすくめながら言うので、私は確かめるために葵ちゃんの方を
見た。視線が合い、彼は仕方なさそうに頷いた。
「ああ。先に手出したオレが悪かったんだ。…実家にだけは帰りたく
ねーしな。」
ふーん。私は3人の顔を交互に眺めた。それぞれ態度は違うけど、一
応反省しているのかも知れない。
「わかったわ、許してあげる。」
「本当か?よかった!早く帰ろうぜ。せっかくのハンバーグ冷めちま
ったよ。」
「でも、もう一つ。葵ちゃん、樹。」
安心したように引き返そうとする3人を、私は静かに呼び止めた。
「何だよ…。」
「私、あんたたちのおかげで2度も転んだのよ。いいから、こっち来
て。」
不審そうに前へ立つ二人を見ながら、私は笑顔で拳をにぎりしめた。
バキッ!!
「りのちゃんっっ!?」
参くんがびっくりして悲鳴をあげた。樹と葵ちゃんは頭を抱えて、声
を出さずにうずくまった。
「以後、ケンカしたらこうなるから覚えときなさいよっ!」
私の声に二人はうらめしそうに顔を上げた。
「おまえって…気強ぇな。」
「すげー安心した。オレたち、気が合うかもな。」
「言ってなさいっ!」
この一発ですっきりしてしまった私だった。結局、これから3年間一
緒にやっていかなきゃいけないんだもの!
苦笑する3人の姿がこの目にはっきりと映っていた。
おわり