同居人シリーズ

第二話 ◆同居人の新生活

 

静かな朝。

 3月も下旬、まだ少し肌寒さはあるものの、窓に射し込む朝の光はほ

んのりと暖かく、布団の中の温もりと相まって、その心地よさは何とも

言えず私の心を癒してくれる。まるで今までの悪夢さえ忘れ去らせてく

れるよう…。

 …夢?

 

 私、結城りの。この春、晴れて中学校を卒業し、間もなく憧れの高校

生活への門をくぐろうと待ちこがれる女の子。そんな多感な私の心は、

自室のベッドで目を覚ました早朝から、ある違和感に揺さぶられ戸惑っ

ていた。微睡みの時もそこそこに、私は違和感の理由を考える。いつも

なら…、ううん違う、この数日間を思い出せば…。そして、思い当たっ

た。

 『静かな、朝。』 

 そう。あまりにも静かすぎる。私は体を起こしパジャマ姿にカーディ

ガンを羽織ると廊下に出てみた。不安と期待が渦巻く中、辺りを見渡す。

やはり誰もいない。が、安堵の思いでそのまま洗面台に向かい身仕度を

済ませた頃には、覚醒した意識がさっきまではわからなかった生活音を

捉えていた。私はため息を小さく一つ、そして様子を窺うようにそっと、

換気扇の動くキッチン内を覗き込んだ。

 (…いつまでも現実逃避してちゃいけないってわかってはいるんだけ

ど。)

 キッチンには3人の少年の姿があった。流しに向かい作業をする一人

の少年の背を、残りの二人がダイニングテーブルについたまま興味深げ

に見守っている。互いに声をひそめ談笑しながら。

 「待ち遠しいなー、朝ごはん♪」

 栗色の髪に、ブルーの瞳。お洒落な服に身を包み、まるでモデルのよ

うな優雅な物腰、外見は“異国の人”だけど流暢な日本語で無邪気には

しゃいでいる。はるかイギリスから留学にやってきた、英日ハーフの彼

の名は『参 Mishell=Tonet(ミシェル・トネット) 久遠寺』--久

遠寺参(くおんじ まいる)。

 「うん、力になれないオレたちじゃ、こうして見てることしかできな

いけどな♪」

 早朝の寒さをものともしない半袖ポロシャツ姿。人懐こい笑顔が強烈

に印象的で、まさに“元気印”という言葉がぴったり当てはまる。逆に

こちらが戸惑うほどの楽天家の彼の名は『牧原樹』(まきはら いつ

き)

 そして、参くんと樹、二人の期待の視線を浴び続け、ついに耐えかね

た少年がその束ねた長い黒髪を揺らし振り返る。

 「…うる…せーなぁっ。見てなくていい!おまえら、邪魔なんだよ

っ!!」

 ケンカっ早く鋭い瞳で迫力の暴言を放つ“不良少年”…、親が言うに

はそれこそ言葉もカタコトな幼児期に出会った幼なじみらしいけど当然

お互い全く覚えてはいない。ラフな紺のトレーナーに、チェック柄のエ

プロンを着こなす彼の名は『藤島葵』(ふじしま あおい)-葵ちゃん。

 「なんでだよー、おまえの飯、楽しみに待ってんのに。な、参?」

 「そう、食事は大切なコミュニケーションだよ、葵。」

 「…話をすり替えんなっっ!!とにかく準備してる最中まで居座られ

たらたまんねーから、さっさと出て…」

 不意打ちのように目と目がぶつかった。のんきな傍観者たちの反応に

苛立ちを隠せず、声を荒らげまくしたてていた葵ちゃんは、入り口で立

ち呆ける私の姿に驚き、こちらを凝視したまま絶句する。まさに言葉に

ならない微妙な空気…。 

 「あ、りのちゃん、おはよう。よく眠れた?」

 「おはよー、りの!」

 が、そんな互いの緊迫感を和らげたのは、遅れて私の存在に気付いた

参くんと樹の屈託ない笑顔だった。元気な彼らにつられるように朝の挨

拶に応える。葵ちゃんも、ばつの悪そうな表情を浮かべながら、「よ

う」と短く一言、すぐに背を向けて朝食の支度を再開した。

 「りのも、こっち来て座れよ。葵が今、朝メシ作ってくれてるから、

待とうぜ♪」

 一定した包丁のリズムが響く中、さりげなく葵ちゃんの抗議のまなざ

しが樹に向けられたのがわかった。樹本人は全く気付いていないようで、

片手で隣の椅子を引いて、私に手招きしてみせる。そして、それら全て

の様子を、心底楽しそうに眺め微笑む参くん…。私はつい吹き出しかけ、

直後、自身の油断と失態に肩をすくめた。

 …そういえば、私だけ一人、パジャマ姿だった。

 現実逃避してたとはいえ恥ずかしい。私は3人に「着替えてから行

く」と言い置くと自室に駆け込んだ。

 顔はちゃんと洗面台で洗った。寝癖も…よかった、直してる。鏡で全

身をチェックしながら、頭は彼らのことを改めて思い返していた。

 彼ら…樹、葵ちゃん、参くんの3人は、親同士の縁でこの春から我が

家に集まり暮らし始めた同居人だ。

 私の両親と幼い妹は、父の長期出張のため不在。その期間3年の留守

を任された私への気遣いで持ち上がった下宿話らしいのだが、男ばかり

のうえ、しかも彼らとは4月からの高校生活も共に送らねばならないと

いう私にとってショッキングな幕開けとなってしまった。それでも親同

士が親友の間柄で、絶対の信頼を得ている以上もう断ることはできず、

結局不安を抱えつつ手探りの同居生活を始めたわけなのだ。

 …それにしても、3人ともホント朝から揃いも揃って個性的だこと。

 出会いは最悪だった。特に樹と葵ちゃんは初日から取っ組み合いの大

喧嘩をし、参くんの仲裁はあったものの、本当にどうなるかと思ってい

たのだ。さっきのキッチンでの様子を見た限りでは、それなりに打ち解

けてはきているようだけれど。ただ問題は唯一の女の子である私。私自

身はもちろんのこと、葵ちゃんはあからさまに警戒しているし、樹も友

好的ながらもどこか肩の力が抜けていない。参くんは例外。彼だけは異

様なほどにオープンね。

 とにかく課題はまだ山積みだ。一つずつ解決していかなくては。ふぅ

…やっぱり現実逃避になりそ。

 着替えを終えた私は、小さくついたため息をドアの前で振り払うと、

ノブに手をかけた。その瞬間。

 「!…な、何?」

 突然の衝撃音にびっくりして廊下に飛び出す。そして同時にキッチン

から転がり出てきた二つの塊に再び肝を冷やし、私は思わず後ずさりし

た。

 「このノーテンキ野郎っ、調子に乗るな!!今日という今日はハッキ

リさせてやる!!」

 「望むところだ、この横暴逆ギレ魔ーーッ!」

 互いに低レベルな悪態をつき合って壮絶な取っ組み合いを繰り広げる

樹と葵ちゃんの姿に、私は一瞬めまいを起こしかけた。『ケンカはしな

い』約束は一体どうなったのよ!!何とか参くんの側まで歩み寄ると、

彼は珍しくうろたえていて、まるですがるように私を見る。

 「ちょっと、また何があったっていうの?!」

 「ああ…、りのちゃん。大丈夫、二人の事なら何とか…」

 ちっとも大丈夫じゃないし、何とかなる感じもしない。しかし次の言

葉で、参くんの心配が全く別の方を向いていることを知ってしまった。

 「だから、お願い、りのちゃん。…朝ごはんを。」

 「え?」

 参くんの悲痛な眼差しが向いた先には、完成を前にして放置された食

材があった。まな板には千切りされたキャベツと人参、その横にまだ開

封していないお豆腐のパック、コンロには2つの鍋が並び、1つは刻んだ

椎茸が茹でてあり、1つはメイン料理と思われる調味前の根菜。タイミ

ングを考えながら効率的に複数の献立を同時に作っている、改めて彼の

持つ料理の腕とセンスには感心するけれど…、その彼、葵ちゃんの目は

すでにキッチンの事など欠片も映していない。むしろ元々調理係を不服

としていた葵ちゃんが今朝キッチンに立っただけでも奇跡的だったのか。

賢明な参くんは二人のケンカが収まるのを待つよりも、私に懇願した方

が早く朝食にありつけると判断したのだろう。

 「りのちゃん、ぼく、お腹すいた…」

 「…わかったわよ。」

 私が頷くのを見て、参くんの目が輝く。葵ちゃんが作ろうとしていた

献立は私にはわからない。でも、何が何でも仕上げろってことなのね。

…いいわ、やってやろうじゃない!

 「でも、アレを放っておくわけにもいかないわ。」

 「り、りのちゃん?」

 私は拳を握りしめながら、嵐の中心へと歩を進めた。

 そう、完全に目が覚めた。この目の前の光景が夢なのかどうか、自分

の頬をつねってみるまでもない。その証明はこれからこの二人がしてく

れる。殺気を敏感に察したのか、揃って私を見る葵ちゃんと樹の表情が

凍り付いた。

 …遅いのよ。私は息を大きく吸い込んだ。

 「どこまでアンタたちはバカなのよーーーーっ!!」 

 バキッ!バキッッ!!

 

 「どう?せっかくの休暇中なんだし、みんなでどこか出かけてみな

い?」

 波乱の朝食後、何となく気まずい思いもあってすぐに席を立った私た

ちを、遠慮がちに呼び止めたのは参くんだった。このタイミングでのま

さかの提案に私も樹も葵ちゃんも目をぱちくりさせる。ちゃっかりして

ると言うか、空腹が満たされた参くんの笑顔は本来の気品を取り戻し、

何となく圧倒されるパワーを持っていた。

 「初めての町だし、みんなに案内してもらいたいなと思って。」

 確かに参くんにとっては、町どころか、この国での生活すべてが初め

てだ。それはわかるのだけど…

 「ガキじゃねーんだから、散策なら一人で勝手に行けばいいだろ。」

 不機嫌な葵ちゃんが案の定冷たく言い放つ。

 「それにオレだって、この辺りのことはよく知らねーよ…」

 「オレも、引っ越してきたばっかだし。…でも、反対はしないぜ?」

 葵ちゃんに同意したかと思わせて、最後の言葉で微かに照れ笑いを浮

かべた樹の反応を、参くんは見逃さなかった。さりげなく移動して出入

口を封じると、にっこりと勝ち誇ったように微笑んでみせる。 

 「それなら、みんなで初めての町の散策ってことでいいよね♪」

春の訪れを感じる、晴れた午前十時すぎ、私たちは連れ立って、家の

前の通りを歩き始めていた。

 不思議な組み合わせの男女四人――私、結城りのと、参くん、樹、葵

ちゃん。不安と緊張と、ほんの少しの期待を胸に、それぞれ違う表情を

浮かべながら緩やかな坂を上っていく。

 「しかし、いい天気だね。日本の春って、もっと花粉がひどいって聞

いてたけど、思ったより快適だな」

 「花粉症持ってないだけだろ、参」

 「ふふ、たぶんその通りだね」

 参くんは陽射しを気持ちよさそうに受けながら、朗らかに笑っている。

その横では、ふてくされた顔の葵ちゃんがやや不機嫌そうに腕を組んで

いた。

 「…ったく、なんで朝からこんな遠足みてーなことしてんだよ」

 「いいじゃん別に、気晴らしだよ。あれだけ派手にケンカしたんだ

し」

 「先に売ってきたのはおまえだからな!」

 「お、第2ラウンドか?」

 能天気に笑う樹が私の視線に気付き、はっとして葵ちゃんの後方に退

いていく。まったく、疲れを知らないタイプよね…。微妙な空気のまま

歩を進める私たちの散策は、予想よりも早く波乱を迎えることになる。

 最初のハプニングは、いつも行くスーパーマーケット近くの広場で起

こった。

 「あれ?りの?っ!」

 高い声が響く。振り返った瞬間、私には遠目でもその二人が何者かを

確信できた。見覚えしかない、小学生時代から親しい私の友人、弥生朋

花と水上貴子だ。

 「まさか…!」

 私は反射的に口元を押さえた。よりにもよって、このタイミングで

…!

 「どうしたの、りのちゃん?」

 参くんが私の顔を覗き込む。まずい、まずい、まずい!

 「りのー!ほんとに偶然!今ね、そこの雑貨屋で――」

 「わ、わわわっ、朋ちゃん、貴ちゃん!? す、すごい偶然だ

ね?!」

 「りの、なに慌ててんだ。友達なんだろ?」

 「…バカ、気付け。オレらと居るの見られたら都合悪ぃんだろ。」

 葵ちゃんだけが状況を察しているようだ。私は慌てて参くんたちを背

中で隠すように立ちふさがった。当然ながら背の高い3人を隠せるわけ

もなく、朋ちゃんと貴ちゃんの視線は私の後方を見上げている。

 「ちょ、ちょっと、あっちは気にしないで! その、あの、えっと…

家族じゃなくて、親戚? 的な? いや、ただの通りすがりの…」

 「え、通りすがり?…の…親戚?」

 遠慮がちに説明を待っていた貴ちゃんが首を傾げて戸惑っている。

 「かなり親しげに『りのちゃん』って呼ばれてたよね?」

 積極的な朋ちゃんはぐいぐい追及の姿勢で覗き込み、参くんと目が合

う。そして参くんは微笑むと―

 「はじめまして。りのちゃんの同居人です」

 「いやああああああああああああ!!」

 私はその場で絶叫していた。

 結局、場を取り繕うなんてレベルではない、支離滅裂な理屈を押し通

してその場を逃走した私たち4人。

 背後に「今度ゆっくり話聞くからねー!」という朋ちゃんの声を受け

ながら。…うん、あとで絶対問い詰められるわ。

 「僕は全然紹介してくれて良かったんだけどね。」

 「オレらのこと、隠し切れるもんじゃないよなぁ?」

 「…おまえら、今は黙れ。」

 葵ちゃんに叱られて、参くんと樹が揃って肩をすくめる。ホント、今

日は一体何度ため息をつかされるんだか…。

 確かに朋ちゃんと貴ちゃんには近いうちに同居のことを話さないとい

けない。心の準備ができる前に鉢合わせしてしまい、ついごまかしてし

まったけれど。

 住宅街を抜けると、今後通学ルートになるだろう緑ヶ丘公園が見えて

きた。その頃には覚悟を決めて気を取り直した私は、顔を上げ、まだ少

し肌寒い中で元気に遊ぶ子どもたちの姿を眺める。

 「すげー。だいぶ芽吹いてきたなぁ。」

 と突然、樹が嬉しそうに声をあげた。私たちを追い抜いて足早に公園

内に入っていく。

 「…あいつ、遊ぶ気か?」

 「寄り道は大歓迎だよ。」

 樹は遊具や広場を通り過ぎると、周囲に植えられた大きな木の前で立

ち止まり、枝葉をじっと見上げていた。

 「何をしてるの、樹?」

 私は樹に呼び掛けて尋ねた。彼は並んだ木々を順に巡り、顔が触れる

距離まで近付いては木の幹に手を当てる。

 「うん、元気だ。そうだよな、やっと暖かくなるんだもんな?」

 樹の言葉は、私に対してなのだろうか…。そう答えた直後、樹は幹に

そっと耳を当てた。

 「えっ、何してるの…?」

 思わず私は目を見開き、同じ質問をしてしまう。

 「ふふ。なるほど、樹は木と話せるんだね」

 それでも少しは驚いた様子を隠せずに参くんが肩をすくめて微笑む。

 「バカか。木と話せるわけ――」

 と、葵ちゃんが呆れたように言いかけて、黙る。樹の表情があまりに

も真剣だったからだ。

 「木の声?聴こえるぜ? 水を吸い上げる音とか、膨らんだ蕾とかで

何となくわかる。ここに居る子はみんな元気で可愛いよ。」

 穏やかな声で言う彼の表情は、普段の無邪気な笑顔とは違って、静か

で澄んでいた。

 私は、言葉を失った。

 私たちはさらに公園の奥、遊歩道を歩き始めた。緑豊かなサイクリン

グロードに沿ったこの道は、木々に囲まれた広い池を眺めることもでき

る静かな場所だ。この同居生活の始めの日、彼らと喧嘩して泣きながら

此処に駆け込んだ苦い思い出が一瞬蘇るが、前から歩いてくるスーツ

ケースの観光客に気付くと、その様子にすぐに意識が移った。外国人の

老夫婦は地図とガイドブックを交互に見ながら辺りを見回しながら歩い

ている。明らかに困っている様子だ。

 「Excuse me...? Can you help me?」(すみません…助けていただけ

ますか?)

 澄んだ英語の声に、私と樹、葵ちゃんは露骨に戸惑った。

 「…道に迷ってる、のかな。」

 「ホテルでも探してんじゃねぇの?」

 「何て答えたらいいの…」

 何かを尋ねようとしているのは分かるのだけれど、言葉がわからない。

今更ながら中学時代の成績が恨めしく思う。困惑していると、ふと隣で

ブロンドの髪が揺れた。参くんが任せてと言うように私にウィンクをし

て、老夫婦の前に歩み出る。

 「Hi. Is there something I can assist you with?」(こんにちは。

何かお困りですか?)

 優雅で穏やかな声色が、まるで映画のワンシーンみたいに流暢な旋律

を奏でる。

 「Yes, thank you. We were looking for the bus stop that goes t

o the train station.」(はい、ありがとうございます。駅に向かうバ

ス停を探しているんですが…)

 参くんが老夫婦の言葉を私に伝える。なるほど、それなら任せて。私

の日本語の返事を、参くんは今度は老夫婦に対して通訳した。

 「No worries. It's less than a ten-minute walk from here. I’l

l walk with you part of the way.」(大丈夫ですよ。ここから歩いて

10分もかかりません。近くまでご一緒しますね。)

 「…すっげぇな、あいつ」

 参くんと老夫婦の会話を眺めながら、ぽつりと呟いたのは樹。

 「英語ペラペラっていうか…そっか、ネイティブなのか。」

 「むしろ日本語が流暢すぎるだろ。ホームステイとかいらねぇんだよ、

あいつ。」

 葵ちゃんは毒舌すぎるけど、頷けるところもある。普段、訛りすらな

く日本語完璧だから全く思い至らなかった。彼が英国人だってことを。

おそらくこの老夫婦も、参くんの姿を見て私たちに声をかけたのだろう。

老夫婦と一緒にサイクリングロードを進みながら、英語での穏やかな会

話は続いていた。

「I was wondering if there’s a spot nearby where we can see bea

utiful cherry blossom trees?」

「…桜?」と樹が単語に素早く反応したが、それ以上は目をぱちくりさ

せたままだ。参くんは頷いてまた通訳してくれる。

「この辺りで綺麗な桜並木が見られる場所、知ってる?」

「それならスポーツセンターに向かった先の川沿いかな。堤防に沿って

両サイドずっと桜の木!この辺りも桜はあるけど、並木ってほどじゃな

いし。」

 私が口を開く前に、樹が自信たっぷりに即答した。葵ちゃんも少し驚

いた表情で樹を見たが、参くんが通訳を始めたからかそのまま黙った。

「でも、まだ少し早いんだ。開花してないよ。」

 確かに樹の言う通りなのだが、疑問は一つ。どうして引っ越してきた

ばかりの樹がそれを知っているの? 参くんも樹の言葉に少し不思議そ

うな顔をするも、残念そうに老夫婦に向き直った。

「…But unfortunately, the cherry blossoms haven’t bloomed yet.

They're just about to, though?maybe in a few more days.」(残念

ながら、桜はまだ咲いていないんです。あともう少しで咲くところなん

ですが…。)

 老夫婦は互いに顔を見合わせるも、それも想定内だったのか穏やかに

微笑んだ。

「That’s unfortunate, but no matter. I can still imagine the

m.」(構いません。イメージしますから。)

「What a wonderful perspective!」(素晴らしい考え方ですね。)

 参くんは町の話題に応えるために、私に横に居るように頼んできた。

急な依頼に驚きつつも、力になれるのであれば断れない。どうして樹が

この辺りの地理を詳しく知ってるのか気になるけど、後で樹本人に聞い

てみればいいか。後方ではすっかりスイッチが入った樹が葵ちゃんを相

手に桜や植物の話を延々と続けている。

「桜ってさ、種類によって咲く時期も少し違うんだ。緑ヶ丘公園のサク

ラはソメイヨシノでさ、最初に開花するのは3月末くらいが多いんだよ。

で、風が吹いた時に花びらが散る瞬間がすごく綺麗で…」

「何でそんなよく知ってんだよ…。」

巻き込まれた葵ちゃんは樹の熱心な説明に、感心を通り越して完全に呆

れている。

「これくらい基本だぞ。あ、ちなみにスーパーの前の桜は、エドヒガン

ザクラな。見た目は似てるけど、少し咲くのが早いんだ。」

「お前…ああ、わかったって。」

そうしてサイクリングロードを抜けると、私たちは老夫婦を近くのバス

停まで案内し、和やかな雰囲気のまま手を振って別れた。

 「すごいね、参くん! あんなに流暢に話せるなんて…!」

 「ふふ。まぁ母国語だからね」

 参くんは肩をすくめるように微笑む。

 「そっか。凄いのはむしろ日本語の方よね。ずっと思ってたけど発音

も自然だし、丁寧で。」

 「それは父が日本人だからね。子どもの頃から、きちんとした日本語

の会話が出来るようにって、教えてくれたんだ。」

 「へぇ…教育、ちゃんとしてんだな」

 葵ちゃんが意外そうに言うと、参くんは小さく笑って頷いた。

 「漢字の読み書きはまだ勉強中なんだけどね。でも日本語って、とて

も繊細できれいな言語だと思うんだ。大好きだよ。」

 その物腰の柔らかさに、私も思わず照れて笑みをこぼしていた。

 藍ノ瀬町の繁華街は、昼時ということもあって多くの人で賑わってい

た。

 商店街には飲食店が軒を連ね、和食処にカフェ、テイクアウトの屋台

など、目移りしてしまう。

 「すごいな、何でもあるね。」

 参くんが目を輝かせながら、和菓子屋の店先を覗き込む。公園を出た

後、繁華街に行きたいと言い出したのは参くんだった。

 「うん。日本のファッションとかレストランとか、どんなお店がある

のか見てみたくて。お腹も空いたし、ね。」

 「オレも腹減った。あの焼き鳥屋、いい匂いするー!」

 樹も食欲を刺激されてテンション高めだ。実際、私のお腹もちょうど

鳴り始めていた。けど、私は一度目線を逸らして小さくため息をついた。

 (…外食なんかしたらお金かかるし、誘惑に負けちゃダメ…)

 帰りにスーパーでセール品の食材を買う予定でいた私の密かな計画は、

数の力を前に霧散寸前だ。財布の中身を考えると足が重くなる。

 「…おい、どこ見て歩いてんだよ」

 不意に、低い声が耳に届いた。

 声のした方へ顔を向けると、こちらに歩いてきた二人組の男が、参く

んと肩がぶつかる形になったらしい。明らかにいわゆる不良だ。

 「ちっ…なあ兄ちゃん、聞いてんのかよ?」

 ひとりの男が、一歩参くんに詰め寄る。その時。

 「おまえの歩き方が悪ぃんだろ。フラフラしやがって。」

 ピシッと空気が張りつめた。

 声の主は、もちろん――葵ちゃんだった。

 「…葵。」

 参くんが心配して制止しても、葵ちゃんは止まらない。

 「てめぇからぶつかっておいて威張り散らすとか話にならねぇな。小

者かよ。」

 真っ直ぐに睨み返しながら言い放ったその言葉に、辺りの空気が静止

する。

 「うわぁ……」

 私は心の中で頭を抱える。

 (よりによって今、それ言う!?)

 「そんなに肩が痛かったか?貧弱だろ、家で寝てろ。」

 「ああ? テメェ、ふざけんなよ…」

 不良のひとりが肩を怒らせて睨みつけるも、葵ちゃんは一歩も引かな

いどころか煽る態度を崩さない。睨み合う二人の距離がじわりと縮まっ

ていく。

 「…なんだこいつ、やる気か?」

 「……。だったら―」

 葵ちゃんの瞳が細く鋭くなる。

 その一言は、まるで氷のように冷たく静かだった。

 「場所、変えようぜ。」

 私は息を呑んだ。今、何て言ったの? 頭が追いつかない。

 「ここじゃ人目が多いだろ。場所を変えるなら相手になってやる

よ。」

 静かなその言葉に、不良たちは逆にカッとなって反応した。完全にス

イッチが入ったらしい。

 「…こいつ、マジかよ…いいぜ、行こうじゃねぇか!」

 「ちょっと、…何考えてるの!?」

 私は慌てて声を上げたが、葵ちゃんは何も答えず、ただ私たちに「待

ってろ」とだけ言い残して裏路地の方へと歩き出した。不良たちも追う

ように雑踏の中へと消えていく。

 「…あいつ、本気でケンカしに行くのか…?」

 「僕が絡まれたのに、葵を巻き込んじゃった…。」

 「やっぱり止めたほうがいいよね!? でもどうやって…」

 警察なんて呼んだら最後、これからの同居はもちろん、夢に見た華々

しい高校生活ごと何もかもすべて崩れ去ることになるだろう。

 「とにかく追いかけよう!」

 つい躊躇してしまい、葵ちゃんが去ってから数分経ってしまったが、

樹と参くんと私はようやく覚悟を決めて裏路地へと入った。

 裏路地は、昼でもどこか薄暗く、ひんやりとしていた。

 私たちは葵ちゃんの姿を探しながら小走りで角を曲がる、――と、そ

こに。

 「……あ」

 こちらに戻ってくる葵ちゃんと正面から鉢合わせた。

 奥を覗いても不良たちの姿は見えない。葵ちゃん、一人だけだ。

 「…葵ちゃん、無事なの? ケガとかしてない?」

 「どうなったんだよ…? 不良たちは…?」

 葵ちゃんは目を逸らした。

 「…別にどうもねぇよ。帰ったんだろ。」

 それ以上は、何も言わない。

 私たちは顔を見合わせたけれど、何を聞けばいいのか分からず、結局

そのまま黙りこむしかなかった。葵ちゃんに怪我はなさそうで、それは

何よりだけれど。私は安心しつつも、やがてふつふつと怒りが湧いてき

た。

 「心配したんだから!もうあんな無茶しないでよ!」

 「…何だよ、急に。」

 急に怒り出した私に、葵ちゃんは驚いたようだった。しかし、そこか

ら反抗的な態度に転じない辺り、彼なりに反省しているのかもしれない。

 「関係ない、なんて思わないでね。これからは私たちみんな一緒なん

だから、行動する時は考えて。」

 葵ちゃんが目を瞬かせた。気付くと参くんと樹も同じような表情で私

を見ている。私、何かおかしなことを口走った…?

 「…戻るぞ」

 葵ちゃんはそれだけ言って背を向けると、また歩き出す。参くんと樹

も何も言わずに互いに目を合わせて微笑んでいた。

 裏路地を抜けて少し歩いた先――そこはまるで街の喧騒から切り離さ

れたような、静かな敷地だった。

 「ここって…大学?」

 いつの間にか、私たちは千尋学園大学の敷地内に入り込んでいたらし

い。入口も看板も通らず、裏手からこっそり忍び込んだような形だった。

 「高等部より離れてるよな。入試で来た時は通らなかった場所だ。」

 「こんなところに道が繋がっているなんて、知らなかった…」

 私はそう呟いて、立ち止まる。

 目前にそびえ立つ建物は、蔦が絡まり、外壁は少しひび割れていて、

古い歴史を感じさせる佇まい。現役の校舎とは思えないその雰囲気に、

胸の奥がざわついた。

 「…なんか、廃墟みたいだな」

 樹が低く呟いたその瞬間だった。

 ギィ……

不気味に響いた音に、私だけでなく全員が息を飲んで音のする方を見る。

建物入り口の古びた木製の扉が大きく開いていた。

 「…さっきまで閉まってたよな。」

ひとりでに開いたように思えたのは気のせいか。しかもしばらく様子を

見ていても誰かが出入りする気配さえない。

  「入れって言わんばかりだな。」

 葵ちゃんが冗談めかして言う。

 「えっ、入るの!? 怖いんだけど……!」

 私は思わず葵ちゃんの後ろに隠れるようにして立ち止まる。けれど葵

ちゃんは、ため息をつきながらポケットに手を突っ込んだまま、まるで

面倒くさそうに言った。

 「何だよ。入んのか?」

 「行く?」と、隣の樹が悪ノリ気味に目を輝かせる。

 その隣で、参くんはいつもの調子でのほほんと微笑みながら、私を見

た。

 「りのちゃん?」

 ……ずるいわよ、その視線。

 けど、やっぱり、これはダメ。これは本能が警告してる。

 「……帰りましょう。」

 私のひとことに、みんなが一瞬きょとんとした顔になったけれど、そ

れ以上無理に押し切ろうとする者はいなかった。

 ドアは開いたまま、風に揺れてキーキーと音を立てている。

 再び目を遣ったわずか一瞬――いや、きっと光の加減だったに違いな

い。でも、確かに何かがいた気がした。

 「気のせい、よね?…」

 私の小さな呟きに、誰も返事をしなかった。ただ、この互いの視線が

飛び交う重い沈黙だけで、それぞれが何かを感じたのだろうと察するに

は十分だった。

 歩き出した帰り道―私は勇気を振り絞ってもう一度だけ振り返る。重

厚感のある古いドアは閉じていた。背筋を寒気が伝う。

 「…結局、何にも食わずに帰ってきたな。」

気まずい沈黙を破ったのは葵ちゃんだった。普段の日常を取り戻す、き

っかけの一言。樹も我に返ったかのように明るい声を上げた。

 「そうだよ!腹減った、帰ったらちゃんと作ってくれるんだろ?葵

~!」

繁華街でのトラブルに少し責任を感じているのか、葵ちゃんは樹のまっ

すぐな訴えに諦め顔で頷いている。

 「家で食べる葵とりのちゃんの手料理が一番美味しい御馳走だよ

ね。」

 「世辞はいいから。スーパー寄るぞ。」

 参くんの思い付きで始まった私たちの春の散策は、思ったよりもずっ

と賑やかで、特別な1日になった気がする。

 最後の不思議な出来事の正体は謎のまま。静まり返ったその建物は、

私たちの再訪を待っているのだろうか。それがいつになるのかはわから

ない。けれど――

 私と同居人3人の生活はこれからも続く。

 その物語は、またいずれ。

おわり