250 :1/18:2006/03/05(日) 13:44:40 ID:???
月面都市コペルニクス――
月のクレーターに造られた大規模な都市であり、自由中立都市として連合・ザフトのどちらにも属さない街……
その街のエアポートにある男が押しかけていた。アロハシャツに身を包んだ、30そこそこといった歳の男――
彼は空港のサービスカウンターで若い女性職員を掴まえている。

「昨日頼んだアプリリウス行きのチケット、手に入っているかい?」
「……失礼ですが、お客様はどのようにご依頼されましたか?」
「ウェブサイトのオンライン決済でやったよ」
「……困りましたね、それは」

応対しているエアポートの職員は困り顔でアロハシャツの男を眺め、やれやれと言った口調で話し始める。

「ご存知のとおり戦時でありまして、ネットワーク上の当社のウェブサイトにも書いてあるとおり……
 現在のところプラントへのチケットは、プラント政府発効の書類をお持ちの方にしかお渡しできません。
 それ以外のお客様は、休戦状態かその目処が立った際に優先的にチケットをお回しすることになっています」
「つまり、俺が頼んだチケットは……今日明日には手に入れることはできない、ってことかい?」
「残念ですが……」

アロハシャツの男は女性職員の言葉に、分かったという風に頷き空港を後にする。
戦時であるから正規の方法ではプラントに入ることは出来ない――その事実は半ば男も覚悟していた。
となると、非正規手段を用いることになる。他にプラントに入り込む手段といえば、ジャンク屋に運んでもらうか……
男は、その方法しかなさそうだと思いジャンク屋組合の出張所に出向こうと歩き出した。

そんな彼の後ろを、二人の男が後をつけるようにして歩き始める――

「……お次はジャンク屋か?」
「だろうな。あるいは我々の知らない方法でプラントに入ろうとするかもしれない。兎に角、見失うな」


だが、後をつけてくる二人の男のことは、先を行くアロハシャツの男も先刻承知であった。
正確には、アロハシャツの男がかつて住み暮らしていたオーブを出国してからずっと、尾行はついていた。
途中尾行者の顔が変わることはあったが、彼らは常にピッタリとアロハシャツの男をマークしていたのだ。
アロハシャツの男は、改めてその事実に思いをめぐらせ、小声で呟いた。

「奴等が勤勉なのは美徳だが……こうも連日ストーキングされるってのは、精神衛生上宜しくないねぇ」


251 :2/18:2006/03/05(日) 13:45:39 ID:???
アロハシャツの男は歩きながら思考を働かせた。
仮にジャンク屋で運良くプラントに入国する手段を得ても、首尾良く事が成し遂げられるかどうかを――

「俺はどうやら……相当に警戒されているらしいな。無理もないが……
 とはいえ、歌姫を暗殺しようとした輩の正体を突き止めなければならないことに変わりはない。
 さて、どうする? 俺はとっくにマークされているが、下手にプラントの同士にまで手が廻ると……拙いな」

プラントで彼が頼みとしている者達にまで類が及べば、今後の活動に支障が出ることは疑いない。
組織は彼だけのものではないのだ。歌姫と呼ばれる盟主と、そのシンパが頼りとする組織――
最悪の事態を考えれば、同士を巻き込むことは何としても避けたかった。
そこまで考えてから、彼は後をつけてくる尾行者たちのことを考える。

「……未だに襲ってくる気配はないな。オーブを出てからずっと、仕掛けようと思えば仕掛けられた筈だ。
 ということは、奴等の狙いは俺の命ではなく、身柄か? 最も、命の保障なんて今更気にすることではないがな」

自嘲気味に呟いたところで、彼の心中は決まった。出たところ勝負――と。
彼はすぐさまジャンク屋の出張所へ向かうのを止め、路地裏に歩を進める。
その動きは、当然尾行者たちの知るところともなった。

「おい、対象は路地に向かったぞ!」
「チッ……! 尾行に気づかれたか? 見失わないうちに追うぞ!」

アロハシャツの男が入っていった路地を慌てて尾行者は追う。
走りながら、彼らは懐中の得物に手を伸ばす。小型ではあるが強力なオートマチックの拳銃に――
しかし、路地に入ったところで彼らは思わぬ事態に遭遇する。

「「あっ!!」」
「よう! 仕事熱心で精が出るなあ!」

路地に逃げ込んだはずの対象が、なぜか自分達に親しげに声を掛けてきたのだ。そして――
驚きの声を発した尾行者達は慌てて銃を構えようとするが、アロハシャツの男に俊敏に手を押さえつけられる。

「悪いんだけどさ、俺を……お前等の親分のところまで、連れて行ってくれないか?
 ……ん? ダメか? そりゃないだろう。俺はお前達の同胞だぞ? ハハハハハッ! 頼むぜ、ご同輩!」

アロハシャツの男――アンドリュー・バルトフェルドは、唖然とする尾行者たちの背を叩き、豪快に笑い飛ばした。


252 :3/18:2006/03/05(日) 13:46:38 ID:???
プラントの首都アプリリウス・ワン――
アンドリュー・バルトフェルドが姿を現し、いざ彼を捕まえようと準備をしていたこの人物は肩透かしを食っていた。
バルトフェルドが尾行者にその身を差し出したことで、彼を捕まえる必要は無くなってしまったのだから……
アイリーン・カナーバはギルバート・デュランダルからその事実を伝えられ、驚きを隠せなかった。

「……逃げ切れなくなって、自分から出頭するということ?」
「あるいは、彼には何らかの腹積もりがあるのか……我々という背後関係を探ろうとしているのかもしれない」
「何れにしろ、この件は約束どおり私が処理するわ。そのことは忘れないで」
「分かっているよ。だが、最高評議会議長として言わせて貰えば、プラントのためになる者の殺生は望まない。
 もし彼が……君の説得で翻意し、再びプラントのために働く気になってくれたら、是ほど嬉しいことはないよ」

訝しがるカナーバだが、デュランダルの言葉に眉をひそめる。

「……説得? どういうこと?」
「君が私を説き伏せたように、再び彼を……バルトフェルドを説き伏せようとするのではないか、と思ってね」
「何故、そう思ったの?」
「先の大戦から二年、今だ兵員養成は芳しくない。卓越した指揮官というのは喉から手が出るほど欲しいものだ。
 君が私怨ではなく、プラントの為にラクスを殺そうとしたのなら……彼を説得するのではないか、と思ったのさ」

納得したものの、同時にカナーバの心には目の前の男に対する気味の悪さが残っていた。
鋭い洞察力と、常に二手三手先を見据えた先見の明――気味の悪さというよりも、畏怖の感情であろうか……

「……何もかもお見通しってわけね。一応説得はしてみるけど、あまり期待しないで欲しいわ」

その言葉を最後にカナーバは議長室を辞した。後に残されたデュランダルは黙考した後……
執務用のデスクの上に置かれたインターカムを手に取る。

「……私だ。シュライバー国防委員長を頼む」

繋いだ先は軍司令部、通じようとするのはタカオ・シュライバー――暫くの後、望んだ相手と通信が繋がる。

「シュライバーか? ああ、私だ。聞きたいことがあってね。アンドリュー・バルトフェルドの軍籍はどうなっている?
 ……第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦の折、エターナルとともに行方不明か。 軍籍は剥奪していないのだね?
 ならば、早急に彼の復隊手続きを頼む。 ん? 何故か? そうだな……まぁ、虫の知らせというヤツさ」

先程とは異なった物言いだが――デュランダルは口元に笑みこそ浮かべていたが、顔は笑っていなかった。


253 :4/18:2006/03/05(日) 13:47:32 ID:???
アプリリウス・ワンにある三ツ星ホテルの一室――
尾行者たちにその身柄を預けたバルトフェルドは、半日の後その最上階のスウィートルームに案内された。
案内した尾行者たちは、バルトフェルドを持て成す為かルームサービスで適当に飲食物を頼み出した。
出された料理、ワインは何れもプラント屈指の品々……

「VIP待遇だね、こりゃあ。驚いたモンだな……。おい、お前等も一緒に食べないか?」

尾行者たちは"任務中につき遠慮する"とだけ言い、そのままバルトフェルドの側で監視を続けた。
あるいは特務の人間なのだろうか――尾行の腕は左程ではないが、彼らは頑なだった。
それ以前に、このホテルに案内されるまで、彼らはバルトフェルドが何を話しかけても押し黙ったままだった。
最後に彼は諦め半分、お得意のジョークを言う。彼らに、ではなく自らの心理状態を解すためのものだが……

「好待遇に不満はないが、これで美人が来てくれれば願ったり叶ったりなんだが……流石に無理か?」
「後ほど、いらっしゃる予定です。飛びっきりの方が」

意外なことに、ここに来てはじめて尾行者は口を開いた。バルトフェルドにしてみれば嘘から出た真か――
しかし、数分のち部屋に入ってきた女性を見たとき、彼は瞠目して二の句が告げなかった。
確かに、プラントでも指折りの美女がバルトフェルドのいる部屋に入ってきたのだが……

「あ、アイリーン・カナーバ!?」
「もういいわ。あなた達は下がって頂戴。
 ……あら? どうしたの? バルトフェルド将軍……私が来るのがそんなに意外だった?」
「……確かに、飛びっきりだが……ちょっと待て。これはないだろう、これは……」
「飛びっきり? 一体、何の話をしているの?」

カナーバは部屋に入るや尾行者たちを退室させ、部屋にはバルトフェルドとカナーバの二人だけになった。
この状況はバルトフェルドの望んだものではあったが、シチュエーションに色気と呼べるものは皆無であった。
まさか、ラクスを狙った人物が嘗てクライン派を率いたアイリーン・カナーバその人であろうとは……

「……カナーバ、お前がラクスを狙ったのか?」
「刺客を放ったのは現最高評議会議長のギルバート・デュランダルだけど、炊き付けたのは私よ」
「何故だ? 何故、お前がラクスを殺そうとする?」
「……そう。貴方は何も知らなかったのね。良いわ、話してあげる。ただし、貴方が知っていることを話してからね。
 ラクス・クラインが生きているのか死んでいるのか、生きているのなら彼女は何処へ行ったのか、教えて頂戴」

時刻はアプリリウスの空が闇にかかる頃――やがて、この二人にとっての長い夜が始まろうとしていた。


254 :5/18:2006/03/05(日) 13:48:39 ID:???
同刻――囚われのラクス・クラインもまた、ロード・ジブリールの招きによりディナーに預かっていた。
ジブリールの私邸ではあるが、専属のシェフがいるのか出された前菜は立派なものであった。
一日中、ラクスは捨て置かれた。ジブリールはゆっくり休んで旅の疲れを癒せ、と言っただけ――
おまけに監視もついていない。虜囚にも関わらず、あまりに気楽な身の上にラクスも訝しがる。

「……このような厚遇を受けるのは、何故でしょうか?」
「ふむ、ご不満ですか?」
「いえ、そのようなことはないのですが……その、私はあくまで囚われの身。
 なのに、このようなディナーにまで招待される。些か、不思議でなりませんわ」
「イングランド人は、客に対して最上の礼を以って持て成すのが常。それに貴女は女性だ。
 私はイングランド人として……いや、一人の紳士として、貴女という淑女を持て成しているだけですよ」
「……ここは、大西洋連邦の旧イギリス領……イングランドなのですね?」
「おや、お話しませんでしたか? それは失礼。お察しのとおり、ここはイングランドです」

バルトフェルドとカナーバの会合が始まったのは夜に差し掛かる時刻、そしてこの場も同じ時間――
プラントの標準時刻はイギリスのグリニッジに合わせているが故、イングランドとの一致を見ることになったのだ。
つまり、ラクスは元居たオーブから地球を半周するかのように旅をし、この地に辿り着いたという訳だ。

しかし、自らが受ける厚遇以上の疑問を、ラクスはまた抱いていた。彼女は問いただす――

「……ジブリール卿、何故私を誘拐したのですか?」
「その話はもう少し後にして頂きたかったのですが……持て成す側としては、お客の要望に応えるのは当然。
 ディナーの最中ではありますが、宜しいでしょう。今朝の自己紹介ではお話していないことが多すぎる。
 貴女の疑問に思われることを、お聞かせ下さい。それに対し、順次私がお答えしましょう」

ディナーの最中には料理を楽しんで欲しい――そう思いつつ、ジブリールは内心舌打ちしていた。
しかし、誘拐という非合法な手段で彼女を連れてきた手前、遅かれ早かれ問われることは疑いなかった。
自分から話を切り出すタイミングは逸したが、それは仕方のないことと思いなおし、ラクスに話しかける。

「……質問があれば、どうぞ」
「では、まず貴方は何者なのか、何故私を誘拐されたのか……お聞かせ願います」
「……ブルーコスモスの盟主であるということ意外に?」
「ただの男がブルーコスモスの盟主にまでなれるとは思えませんわ。
 貴方がその地位に上り詰め、また私を誘拐して何をされようと言うのか……お答え下さい」

こちらも男女の会食というのに色気は皆無ではあるが……かくしてこの二人の夜も長いものとなる。


255 :6/18:2006/03/05(日) 13:49:40 ID:???
和やかな会食――ではないのが、アプリリウス・ワンの二人。早くも険悪な雰囲気になり掛けていた――

「……暗殺部隊を葬ったのは、黒髪の連合の少年? 連合に奪われたアビスが、MS隊のアッシュを屠った?
 その黒髪の少年曰く、ブルーコスモスの盟主の命令でラクスを攫ったですって? 冗談も程ほどにして頂戴!!」
「そんなこと言われてもなあ……嘘か真かは俺も知らんよ。
 ただラクスが攫われたのは事実だし、黒髪の少年がいたのも事実、アッシュが全滅したのも事実だ」
「そんなことを言って、貴方やキラ・ヤマトが全てやったことではなくて?
 ラクス・クラインだって、攫われたのではなくて、貴方がどこかへ隠したのでしょう?」
「おいおい、そりゃあ……そうだったら良いなとは思うが……とりあえず、落ち着いたらどうだ?」

熱くなりかけたカナーバをバルトフェルドが諫める。普段は沈着冷静なカナーバだが……
バルトフェルドが話した事の顛末を、俄かには信じられずにバルトフェルドに食って掛かろうとしたのだ。
諫められたカナーバは、冷静さを取り戻しつつ、再び問いかける。

「……あのね、私は今の話は信じられないの。こんな話……ありえないわ」
「しかし、それなら俺は何故ここに来たと思う? 
 ラクスが無事で、彼女が匿われているなら……俺かキラが彼女を護ってなきゃいけない筈だろう?」
「それは……そうだけど」
「俺はどうなったかは知らないが、キラはオーブ軍に入るといっていた。今頃、軍に入っている筈だ」 

バルトフェルドの言葉にカナーバはハッとする。
前日、デュランダルから伝えられた話と符合するキラ・ヤマトのオーブ軍入隊の事実――
カナーバは、キラとバルトフェルドの二人がラクスの元を離れる理由を探してみたが……

「……反論する材料がないわ。確かに今の話にも頷ける点はあるけど……あの男が、そんな指示を出すなんて」
「あの男? 今の、ブルーコスモスの盟主ってヤツか?」
「そうよ。ブルーコスモス盟主のロード・ジブリール。
 出身は、イングランドの貴族の出よ。ナチュラルでありながら、ケンブリッジ大経済学部を主席で卒業。
 HSBCグループのミッドランド銀行に入るや、ものの数年で経営のトップに上り詰める。以後は……
 金融グループであるHSBCの陣頭指揮を執り、ロイズ、ナットウエスト、バークレイズの各行を傘下に収める。
 やがて、第三次世界大戦でアメリカの金融界から遅れをとったイギリスの金融界を一つにまとめ……
 今や、大西洋連邦最大の金融グループの総帥にもなった男よ。非情な金融家らしいわ」
「大したヤツらしいな。そんなに凄いのか、ジブリールってのは……」
「それに、ブルーコスモスの強硬派の筆頭でもあるの。彼がラクスを攫うなんて……ちょっと、聞いてるの?」

ジブリールとはカナーバの話からすると並々ならぬ人物らしい――バルトフェルドは、ただ唸るばかりであった。


256 :7/18:2006/03/05(日) 13:50:43 ID:???
「……ロード・ジブリール、貴方は素晴らしい経歴をお持ちですわね」
「お褒めに預かり……光栄です、ラクス・クライン」

カナーバがバルトフェルドに話していたこと――それを、ちょうどジブリールがラクスに語っていたところであった。
ジブリールは決して自慢げに話したわけではなかったが、ラクスは素直にその業績を褒め称えた。
社交辞令染みたやり取りではあるが、一応は和やかな会合であった。ラクスが次に口を開くまでは――

「そういえば、私は……ジブリールの名は他にも聞いたことがありますわ」
「ほう、それは何です?」
「地球連合各国を裏で操る軍産複合体ロゴス……ご存知でしょう? 旧世紀から続く彼らの家系を。
 アズラエル、コーラー、リッター、マクウィリアムズ、グロード、ヴァミリア、ネレイス、モッケルバーグ……
 そして、貴方のジブリール家……これら9つの家の者達が、ロゴスを形成し世界を操っている。違いますか?」
「……ほう! やはりご存知でしたか!!」

ラクスの言葉にジブリールは一瞬眼光鋭く光らせたが――
すぐに平素の目付きに戻るや、手を叩きラクスに相槌を打つ。

「ご指摘のとおり、私がロゴスのメンバーに名を連ねているのは事実です。
 ただ……貴方は我が家の起源までご存知ではないでしょう? ジブリールがどのような家なのかを……」
「存じませんわ。ご説明……願えますか?」

ジブリール家の起源――それはAD1600年代末期にまで遡る。
当時のイギリスは、折りしも名誉革命後の対フランス戦の戦費調達、そして植民地支配のための資金調達――
兎に角金が必要であったが、莫大な戦費と植民地支配のための資金の両方を補う術など有りはしなかった。

しかし当時のイギリス政府は、ない袖を振る方法を思いつく。即ち、銀行券の発行である。
イギリスは、国家の債権を担保に銀行券を発行し、紙幣を発行することで金本位制を確立する。
そのために1694年にイングランド銀行を、翌年にはスコットランド銀行を設立し、資金集めに奔走した。

もっとも、これらの銀行は政府公認ではあっても民間の銀行であり、実際の運営に携わったのは金融家たちだ。
例えば、金利目当てに金を預ける者はあっても、その金利支払いには金貨ではなく、紙幣が用いられる。
これは何を意味するのか――

「通貨発行権を国家ではなく、民間の金融家が担った……どういう意味かお分かりか?」
「民間の金融家が、国家の経済システムを自由に操り得る――ということですね?」
「即ち、ジブリール家とはイングランド銀行の設立に携わり、イギリスの経済を牛耳った家柄……ということです」


257 :8/18:2006/03/05(日) 13:51:53 ID:???
かくして、ジブリール家はイングランド銀行を支配し、世界の経済システムをも動かすようになる。

「世界史を紐解けば、ロスチャイルドグループが国際金融家を支配し、世界の金融を支配した……
 という話が、実しやかに言われておりますが、ロスチャイルド家が歴史に登場したのは1700年代後半。
 最盛期にネイサン・ロスチャイルドが活躍したのは1800年代に入ってから……不思議ですな」
「その一世紀以上も前に、すでにジブリール家はイギリス経済を牛耳っていた……
 つまり、国際金融家と呼ばれる者達のリーダーシップは、常にジブリール家が握っていたのですね?」
「世界経済がアメリカを拠点に移した後は、ジブリール家も彼の国に拠点を移しました。
 世間的には私がイギリスの金融界を纏め上げたといわれているようですが……馬鹿馬鹿しい!
 最初から、世界経済はジブリール家のものであり、国際決済銀行ですら私の意のままに動かせますよ」
「では、何故貴方はわざわざミッドランド銀行に?
 ジブリール家が金融界の支配者なら……そんな回りくどいことをせずとも良い筈ではありませんか?」
「ジブリール家の起源はあくまでアメリカではなく、イギリスにある。そして私もイングランドで生まれた。
 第三次世界大戦後、イギリスの金融界が凋落したのを黙ってみていられなかっただけのことです」

流石にラクス・クラインも驚きを隠せなかった。
ロスチャイルドの名は知っていたし、ジブリールの名も知っていたが……

「私は……ロゴスに金融の世界を支配する者がいるとすれば、ロスチャイルド家縁の者と思っておりました」
「誤った定説を学ばれましたな。
 もっとも、強ち貴女の考えも誤りとばかりはいえません。前の盟主、ムルタ・アズラエルをご存知か?」
「ええ、勿論。彼とも戦いましたから」
「アズラエル……ロゴスの中でもっともロゴスらしい存在。旧世紀から兵器産業を生業とする家系――
 死を告げる天使の名ではなく、もっと一般的な家の名前がありましたが、彼らはそれを戸籍等には使わない。
 最早、我々の間ではアズラエルの名で通って久しいのですが……」
「アズラエルの一族に……何か?」
「あの一族こそ、元はといえばロスチャイルド家に縁のある者達ですよ。
 彼らもまたジブリール家同様に、後に活動の拠点をアメリカに移し、世界の軍需産業を牛耳ったのです。
 そういえば、ジブリール家もアズラエルと同じように戸籍では違う名……ガブリエルの名を使っていますがね」

更に、戸籍と通り名で使い分けをしていることにつき、ジブリールはこう付け加えた。
世界を支配するようになった後、ガブリエルの名は使わずジブリールの名を用いるようになったと。

ジブリールもアズラエルも、元をただせば天使の名を借りているものに違いはない。
世界を支配するようになると、神の代行者として天使の名を冠したくなるのであろうか――
現実感の乏しい歴史的背景を語られたラクスは、そんなことを考えていた。


258 :9/18:2006/03/05(日) 13:52:52 ID:???
一方その頃――
バルトフェルドはカナーバを逆に問いただし、ジブリールのことをしつこく訊ねていた。
折れたカナーバは、自らが知る情報の一部を教えた。ラクスが教えられたことに比べれば極小の情報だが……

「ロゴス……そんなものがあるのか? ブルーコスモスのスポンサーのような役割を果たしている組織……か。
 今の話を総合すると、ジブリールってのはブルーコスモスの盟主であると同時に、そのスポンサーでもあると?」
「軍産複合体に根ざした組織ではあるらしいのだけど。
 前盟主のムルタ・アズラエルと、ロード・ジブリールの共通点を洗ったら、それしかないのよ。
 大西洋連邦の兵器産業を牛耳っているアズラエル一族と、金融界のトップのジブリール……」
「大方、影で世界を支配しているのは大西洋連邦の財界人……ってところか? まるで三文小説だな」
「事実は小説より奇なり――そう言うでしょう?」

再びバルトフェルドは唸りつつ、黙考して考え始めた。
そんな彼をカナーバは捨て置き、部屋に備え付けのインターカムでルームサービスを頼み始める。
暫くの後、スウィートルームにはカナーバが頼んだ豪勢な料理が並んでいた。

「そんなに頼んでいいのか? この部屋の料金だって高いだろう?」
「気にしないでいいわ」

鷹揚にカナーバは頷いて言った。可愛い顔には不釣合いの一言を、笑顔を添えて――

「――どうせ、税金なんだし」
「……おい、それは職権濫用じゃないのか?」
「今の私はプラントの外交顧問という扱いよ。ここの代金は国防機密費で賄うから、心配しないで」
「……ったく、どういうことだよ。国民に申し訳ないとか思わないのか? 大体、俺が厚遇される理由が――」

自らが厚遇される理由――
そこまで考えたとき、バルトフェルドは一つの考えに辿り着く。

「……まさか、この待遇の良さは――」
「あとで切り出そうかと思ったけど、気づいたのなら調度良いわ。貴方に頼みたいことがあるの」

まさか――
厚遇の理由に思いをめぐらせたが、考えられる答えは一つしかなかった。
そして、バルトフェルドの予想は的中することとなる。


259 :10/18:2006/03/05(日) 13:53:46 ID:???
笑みはとうに消え、真顔に戻ったカナーバは……
料理を口に運ぶのも止めて、バルトフェルドを見つめながら言った。

「頼む前に聞いておきたいのだけれど、貴方は先の大戦で何のために戦ったの?
 ラクス・クラインのため? それとも、プラントのため?」
「……無論、後者だ」
「本当に? ならば、何故貴方はエターナルを奪ったの? 何故プラントに敵対したの?」
「俺は……!」

バルトフェルドの顔に影が差す。努めて陽気にカナーバとの会話を進めていた彼だが……
かつて祖国に背いたことは、少なからず心に影を落としていたのだろうか――表情が一瞬にして曇る。
数秒の間を置き、彼は意を決したように話し始めた。

「俺はプラントのために戦った。そして、ストライクに敗れ……一度は死んだ身だ。
 俺はアイシャを失って片腕と片足を失ってしまったし、左目も失った。ポンコツ寸前さ」
「………」
「だが、俺は生きている。生きているってことは、まだやるべきことが残っている。
 プラントに戻った俺は、ザラ議長にエターナルの艦長を任されたが……彼は、ナチュラル排斥に傾いていた」
「だから、プラントを裏切ったの?」
「プラントを裏切ったわけじゃない。ザラ議長のやり方では延々戦争は終わらないから、離れたのさ。
 俺とアイシャには婚姻関係を結べなかった。何故か……わかるだろう? 彼女とは適性がなかったのさ」

適性がない――
これはプラントで法制度化された婚姻統制のことを指す。
第二世代以降では自然妊娠の可能性はきわめて低く、適性のある者同士の間でしか子を作れなかった。

「プラントが戦争を続ければ、どうなる? 人口の少ない俺達は、遠からず破滅の道を歩むことになる。
 ザラ議長のやり方ではナチュラルとの融和など、出来る筈のない話さ。だから俺はラクスに従った」
「そう……最後の質問だけど、何故キラと一緒にいるの? 記録ではアイシャを殺したのは――」
「――キラだ。だが、あの時はお互い軍人で、戦う以外の選択肢はなかった。
 アイツが俺から愛する人を奪ったように、俺たちザフトも彼の友人を何人も殺している。戦争とはそういうものだ」

だからこそ、砂漠の虎とまで呼ばれた男は決断した――
ある決意を、己が胸に刻み込み……

「俺の残りの命は、悲しみしか生まない戦争を止める為に使う――そう決めた。それだけだ」


260 :11/18:2006/03/05(日) 13:54:48 ID:???
バルトフェルドの、信念とも言える言葉にカナーバはただ頷いた。

「これで、貴方に頼むことが出来るわ。アンドリュー・バルトフェルド、貴方にザフトへの復隊を求めます」
「ありがとう……と、言いたいところだが、まだ話は終わっちゃいない」

今度は、バルトフェルドがカナーバを問いただし始める。
彼が今日この場所に来たのは、この問いを彼女にぶつけるためにこそあったのだから――

「カナーバ、穏健派のクライン派の中でも、とりわけ早期和平を目指していたお前が……何故ラクスを狙う?」
「……やはり、それを知るためにプラントに来たのね?」
「そうだ。彼女のやり方は確かに乱暴だった。フリーダムを、エターナルを奪ったのは暴挙には違いない。
 しかし、あの時点でお前たちは何が出来た? ただ、あの殲滅戦を傍観していることしか出来なかった――
 違うか?」
「あの娘の罪がその程度なら……私も寛容でいられたでしょうね。でも、違うのよ」

美しいカナーバの顔が俄かに歪み始める。
その歪みは、憎悪とも取れる憎しみにも見え、同時に悲愴感や寂寥感を漂わせていた。
今だ嘗てカナーバのこのような表情は見たことがない――バルトフェルドはそう思いつつ、更に問う。

「教えてくれ、ラクスは何をした? お前を、ラクス暗殺にまで駆り立てた理由は何だ?」
「貴方は……知らないのね。教えてあげるわ、あの娘は……!」

次第にカナーバの声は震え出し、瞳には光るものがあった。
それでも彼女の顔は醜く歪んだまま――怒りと哀しみが綯い交ぜになったまま、彼女は応えた。

「あの娘は……実の父を、シーゲルを殺したのよ! フリーダムを強奪したことで……!」
「……ちょっと待て! それは違う! あれは結果論だろう!?」
「違う! 違うのよ……バルトフェルド!」

遂には涙まで流しだしたカナーバ――
その言葉は、説明ではなく激情が迸るかのような話し方……

「フリーダムをラクスが奪ったのは、強奪が目的ではなかったの。あれは……手段だったのよ!」
「手段? 何のための手段だ?」
「パトリック・ザラがシーゲルを殺すように仕向けるための、よ。
 あの娘は自分の父親を殺したのよ。ラクス・クラインという娘が望む平和の為に……!」


261 :12/18:2006/03/05(日) 13:55:43 ID:???
その頃話に上ったラクスと、そしてジブリールは……
メインディッシュが運ばれる頃、二人の会談も大詰めを迎えていた。

「何故、私を攫ったのです? 邪魔なら……私を殺せば済む話ではありませんか?」
「ふむ……貴女ほどの聡明な方なら、私がここにお連れした理由もお分かりかと思っていましたが……」

料理を口に運ぶのをやめたジブリールは、口の汚れを拭い改めて話しはじめる――

「ロゴスをご存知らしいが……
 先の大戦末期、貴女のお父上シーゲル・クライン氏は秘密裏に和平交渉を進めていた――ご存知か?」
「ええ、父は最高評議会議長の職を追われた後は、自宅で仕事をしておりましたから」
「なるほど。では、地球連合から……いや、大西洋連邦からの使者が来ていた事は?」
「……存じております」
「では――」

ジブリールの眼に鋭さが戻る。ラクスがロゴスを知っていると語ったときのそれと、同じ眼光に――

「その使者が、ロゴスの一員であるモッケルバーグ家の者が差し向けた者であることは?」
「………」
「その使者が、とある大西洋連邦の有力な下院議員ではあったことは?」
「………」
「その使者が、和平交渉の役とは名ばかりの、とんでもない"約束"を携えていたことは?」
「……全て、存じております」

次第にラクスの表情は曇りだし、ジブリールからの質問にも応えなくなっていた。
しかし、最後に――絞り出すような声で、彼女は全て既知であることを語った。

「全く、罪深い輩です。モッケルバーグも、下院議員も、貴女のお父上も。
 彼らはとんでもない"約束"を交わそうとしていた……貴女はご存知ですか?
 自国の国民が血を流すのを嫌う余り、その代償を他国の血で贖おうとする……酷い話だ!」

ジブリールは、最後の言葉を放ったときには、ディナーの並んだテーブルを叩かんばかりの語調であった。
それだけ、彼としても腹に据えかねることだったのか――

「まぁ、都合よくその下院議員は不審死を遂げてくれ、モッケルバーグの当主も病気療養を理由に交代……
 そして、真に都合の良いことに、シーゲル・クラインも嘗ての盟友パトリック・ザラが殺してくれたのですよ」


262 :13/18:2006/03/05(日) 13:56:42 ID:???
「モッケルバーグ……何者だ?」
「ロゴスの一員と名乗る者。正確には、大西洋連邦を拠点として連合各国にエネルギーを供給する連中よ」

バルトフェルドは、カナーバの口から意外な事実を聞かされていた。
あのシーゲル・クラインが、軍産複合体ロゴスと呼ばれる者の一員と秘密裏に交渉していたというのだ。

「モッケルバーグはエネルギー財閥。でも、あの一族は弱っていたのよ。
 戦争で、ザフトが放ったニュートロン・ジャマーのお陰で核による原子力発電も出来なくなったから。
 ロゴスの中でも著しく弱体化したモッケルバーグは、ある大西洋連邦の穏健派の下院議員を炊き付けたの」

後にエイプリルフールクライシスと呼ばれるザフトの軍事行動は、モッケルバーグを追い詰めた。
如何に軍産複合体といえども、肝心のエネルギー産業が死に体では何も出来はしない。
代替エネルギーを原子力以外のものに頼っても、焼け石に水――

「モッケルバーグの意を受けた下院議員の提案は、プラントの独立を認める代わりに……
 ザフトが支配するジブラルタル、カオシュン、マハムールの各基地を放棄すること――」
「……シーゲルは、それらの条件を飲んだのか?」
「飲もうとしたけど、最後に付けられた一つの条件に彼は難色を示したわ。あの忌まわしい条件――
 自国の国民が血を流すのを嫌う余り、その代償を他国の血で贖おうとする……罪深い"約束"よ」

モッケルバーグは和平を進めようとしたが、一方で他のロゴスに対する面目もあった。
ただ自らのためだけに和平を勧めたとあっては、他の軍産複合体の者達に示しが付かない。
とりわけ、強硬派で知られるアズラエル一族の、ムルタ・アズラエルなどには……

「モッケルバーグは、最後にある条件を突きつけたわ。和平をアズラエルが飲むはずがない。
 だから、一時休戦ということにして世界に厭戦の風を流し込み、折を見て停戦・和平を結ぶってね」
「それの、何処が問題なんだ?」
「彼ら軍産複合体にとって、戦争とは甘美な報酬であると同時に負担でもあるの。
 そうしょっちゅう戦争があったら、如何に彼らといえども利益を生み出せるものではないわ。
 それに、国家の財政が悪化すればそのしわ寄せは彼らにも来る。だから、ある条件を付けたのよ」
「……?」
「彼らロゴスにとって戦争って言うのはね、10年に一度起きるくらいが調度良いそうなのよ。
 だから、彼らはプラントに大西洋連邦の仮想敵になることを求めた。そして……
 戦争で分離独立の進んだアフリカを舞台に、10年スパンで戦争を起せって――言ってきたのよ!」

自嘲の笑みか、絶望ゆえの反動か――当時を思い出したのか、カナーバは泣きながら笑って言った。


263 :14/18:2006/03/05(日) 13:57:48 ID:???
「ところで、ラクス・クライン……アフリカが、今現在どうなっているかご存知か?」
「地球連合寄りの南アフリカ統一機構と、プラント寄りのアフリカ共同体……この二つの勢力が争っています」

今だ青ざめた顔のラクスは、それでもジブリールの問いに答えるだけの気力はあった。
そんな彼女を、愉快そうに目の前の男は眺めている。何が愉しいのだろうか――

「そう。一時的にアフリカ共同体も、ユニウスセブンの落下後は連合に歩調をあわせていますが……
 あの国にはまだザフトの基地が点在している。貴女の見解は間違いではありませんよ」
「………」
「10年単位での戦争が最も儲かる――それがロゴスのモッケルバーグが考えた妥協案です。
 彼は、おそらくはこう思ったのでしょう。アズラエル以外の家の者達を味方に引き込めば大丈夫、と。
 しかし、現実はそう甘くはなかった」

スピリットブレイク作戦でパナマが陥落したことは、ロゴスのメンバーにも不安感を与えた。
このまま戦争を続けるよりも、勝てるかどうかも判らない戦争を終わらせ、本業に戻ろうか――
ジブリールの話では、モッケルバーグに同調する構えを見せるロゴスもいたらしい。
だが――

「あの、殲滅主義者のムルタ・アズラエルがそんなことを赦す筈はなかった。
 彼は、かつてロゴスの中心人物ではあった父親のブルーノ・アズラエルの影響力を借り攻勢に出た。
 即ち、秘密裏に件の下院議員を消し、モッケルバーグの当主に脅しをかけ、引退に追い込んだのです」

全ては未遂に終わるかと思われたが――

「最後に残ったのは、貴女のお父上シーゲル・クライン……彼が問題だった。
 アズラエルを始めとしたブルーコスモスの強硬派の者達にとって、なお彼の存在は非常に困るものでした」
「……何故です?」
「何故か? 当たり前でしょう。戦争で人々の間に厭戦気分が蔓延すれば、講和の気運も高まる。
 その際、プラントで矢面に立つのは……貴女のお父上だ。これは、非情に困るのです。お父上は有能だ。
 彼に生きていてもらっては困る――我々がそう思っていたとき、彼は突然死んでしまった。貴女のお陰で――!」

ジブリールはラクスを射抜くような眼で見つつ、しかし口元には笑みを湛えている。
ラクスはそんな彼の様子に身の毛がよだつのを堪えるのに懸命で――そんな彼女にジブリールは言い放った。

「ラクス・クライン! 貴女は素晴らしい! 貴女がフリーダムを強奪し、お父上の野望を未然に防いでくれた!
 貴女はまさに聖女だ! 戦いを嫌い、平和の歌を謳うディーヴァの名に相応しい! 心から感謝しますよ!!」


264 :15/18:2006/03/05(日) 13:58:52 ID:???
「―――止めてくださいッ!!」

震える声で泣き出しそうな声で、けれどそれでいて悲鳴に近い声で――
ラクスは叫んだ。その様子に、ジブリールも流石に黙り込む。やがて彼女はポツポツと語り始めた。

「ち、父は……罪を犯そうとしました」
「………」
「だから……だから、私は……ッ! 父を止めようとしたのです!」
「………」
「でも……でも、父は頑なに和平を推し進めようとした。
 私は知らなかったのです! モッケルバーグや、あの下院議員が葬り去られたことは!!」
「………」
「私は父を止めたかった。だから……フリーダムを、キラに渡そうと――でも、殺すつもりはなかったのです!」

ある日、彼女は聞いてしまった――父親と下院議員との話を。
自国の国民が血を流すのを嫌う余り、その代償を他国の血で贖おうとする悪魔の契約を。

 『お前は……プラントの歌姫として為すべきことを為せば良い!』

その父に命じられるままに、彼女は己の為すべきことをしようとしたのだ。
真の平和のための道を切り開くために――

「何が、可笑しいのですか?」
「クックク……いや、失礼。しかし、これはナンセンスだ。ハハハハッ……!」

今彼女の目の前にいる悪魔――ロード・ジブリールは、悲しみに打ち震える少女をあざ笑う。
先ほどまでの紳士的な振る舞いとはまったく別の、悪魔の笑みで彼は嘲笑した。

「ラクス・クライン! 貴女はもう少し秩序立てて物事を考えるべきだ!
 ……考えて御覧なさい。シーゲル・クラインとパトリック・ザラ……二人は盟友だった。
 可笑しいではありませんか? 何故パトリックは弁明の機会も与えずシーゲルを殺したのです?」
「それは……私がフリーダムを……」
「それは違います。それは要素の一つであっても、決定的な要因ではない。
 こういうのはどうでしょう? シーゲルとパトリックの不仲に火をつけるべく、ブルーコスモスのある者が行動した。
 その人物は、事の顛末をそれとなくザフトの軍偵に知らせてやった。そして、こう付け加えたのですよ。
 モッケルバーグとの交渉に、ラクス・クラインがフリーダムを携えて出かけていった……とね」


265 :16/18:2006/03/05(日) 13:59:44 ID:???
「ジブリール卿、まさか……貴方がそれを……」

顔面蒼白のラクスは、最早抗弁する気力もなく……
ただ絶望し、この世の終わりを見たような表情で――虚ろな瞳でジブリールをただ見ていた。
やがて、悪魔はそんな少女に追い討ちをかける。

「ようやく、お気づきになられたか! ハハハッ!! どうです、中々の趣向でしょう!?」
「………」
「ずうっと、貴女にお教えしたくてウズウズしていたのですよ。漸くこれで胸の支えが取れました。
 何とも……爽快な気分だ! いや、実に清清しい! さあ、ワインを如何です? ……ん? どうされました?」

絶望に支配されている少女の心情を知っているのか、あるいは気づかない振りをしているのか――
ジブリールはワインを勧めるが、ラクスはグラスを取ろうともしない。
呆れ顔でジブリールは自らのグラスにワインを注ぐ……

「……まぁ、お気持ちはお察ししますが、済んでしまったことです。時計の針は、絶対に戻りはしない――
 私にはやるべきことがある。ブルーコスモスの盟主としての職責が、ロゴスの一員としての役目が……ね」
「……何故、私をここに連れてきたのです?」
「先ほどお話した事実を貴女に告げるためです。どんな顔をされるか、見てみたかったもので……
 そして、貴女はプラントの歌姫としての役目を果たしていただきたい。そう思ったから、お連れしました」
「……今更、私にプラントに戻れと?」
「ええ、貴女にしか出来ない役目があるのです。
 敗戦に打ちひしがれるプラントの民人を、その歌声と穏やかな御心で癒していただくという……使命がね」

プラントの迎える敗戦――
その言葉にラクスは我に返る。今だ顔面蒼白ではあるが、彼女の双眸に理性が戻る。

「ラクス・クライン、これからは貴女を利用させていただく。私と共に……シーゲル殺しの"共犯者"としてね」
「……ッ!」
「そうそう、面白いお話を一つして差し上げましょう。キラ・ヤマトがオーブ軍に入りました。
 まあ、例によって私が手を回して、そうなるように仕向けたのですがね」
「ジブリール卿、貴方は私を使い、キラを戦わせようとしているのですか?」
「彼は不確定要素に過ぎない。下手に動かれると困るので、飼い主に鎖を繋がせただけです。
 既に確定的なものが私の手元にはある。アクサニスというカードが。彼が"覚醒"すれば全ては終わること――」
「アクサニス? それは、一体……」
「大西洋連邦が100年の歳月を掛けて作り上げた、最強の生体兵器――!」


266 :17/18:2006/03/05(日) 14:00:44 ID:???
不意にジブリールはラクスに問う。
キラ・ヤマトの名が話しに上ったころからだろうか――徐々に目の前の少女は絶望から立ち直りつつある。

「プロジェクトNISという話を、ご存知ありませんか? 何せ100年も昔の話ですからねぇ……」
「それは……! 計画は、今も続いていたのですね?」
「ほう! ご存知か! ……まあ、この話は何れ日を改めてしましょう。今日は些か喋りすぎた」

言うや、デザートを平らげたジブリールは、まだテーブルにいるラクスに会釈をし、席を立つ。
ごゆっくり――自分はまだ仕事があるので、これにて失礼――そう言って、ジブリールは部屋を去ろうとする。
しかし、そんな彼をラクスは呼び止める。

「……貴方の真の狙いは何です? アズラエルと同じ、コーディネーターの殲滅なのですか?」
「……既に、一億近くいるコーディネーターの全てを殲滅できると思うほど、私は夢想家ではありません。
 アドルフ・ヒトラーがユダヤ人を殲滅しようとして出来なかったように……ね。私は現実主義者ですよ」
「では、一体何を?」
「差し当たっての狙いは、プラントの現政権とザフト――この二つを潰すことです」
「それだけ?」
「他にもありますが、それは……また、後日――」

一人残されたラクスは、ジブリールの言葉を反芻しながら思考をめぐらせる。
だが、彼女の頭に浮かぶのは、父殺しとジブリールに指摘されたことばかり……
旅の疲れで鈍った思考に、ジブリールとの会談――自分が極度に疲労していることを悟り、ラクスは考えるのをやめた。

「……罪を犯した者は、何れ罰を受ける……こういうことなのですか?」

誰に言うともなく、ラクスは呟く。
答える者もなく、一人彼女は俯くが……

「泣こうが喚こうが、今更消せる罪ではありません……
 この悲しみと苦境を受け入れましょう――これが、私への罰なのでしょうから」

それでも、彼女は絶望から立ち直った切欠となった、ある青年のことを思い浮かべる。
キラ・ヤマト――かつて絶望の淵に居た彼女を救い、歩むべき道を指し示してくれた少年を――

「キラ……! 貴方は……今何処にいるのです!?」


267 :18/18:2006/03/05(日) 14:01:48 ID:???
一方、私室に戻ったジブリールは、誰もいない暗い自室にて大声で笑い出す――

「クックック……! ハハ……アハハハハッ!! ラクス・クライン、貴女は予想通りの反応をしてくれた!
 素晴らしかったなあ……犯した罪を自覚し、貴女の美しい顔が絶望に歪む様を見るのはッ!! 
 お前にも見せてやりたいよ、アクサニス! おお……そうだ、アクサニス! お前は何処だ? 何処に居る?」

手元のモニターから、現在のゲンについての状況を呼び出し調べる。
先ほど届いていたネオ・ロアノークからの報告書に、それはあった。

「イワン・ザンボワーズを倒したか……あのサーカス崩れを! ん? これは何の冗談だ? キラもいるのか!
 アハハハッ!! ラクスにも後で知らせてやるか? クッ……ククク……ッ!! 楽しみだなぁ!」

笑い声が部屋の外に漏れないようジブリールは必死に堪えたが……
気味の悪い忍び笑いにしかならず、だがそれでも彼の笑い声は止むことはなかった。


―――同刻、プラント――
アプリリウス・ワンにいるバルトフェルドも、カナーバから全ての経緯を知らされた。
といっても、あくまでシーゲルとモッケルバーグの密約を阻止すべく、ラクスがフリーダムを奪ったことのみ――
ジブリールが告げた事の真相だけは欠けていた。

「……これでも、まだ彼女に付き従うというの?」
「証拠がない以上、すぐにハイとは言えないな。だが……」

流石に動揺は隠せないものの、砂漠の虎はそれでもハッキリとした口調で応える。

「ラクスをジブリールの手から取戻す。そして、事の真相を彼女に問いただす。これは、俺の役目だ」

カナーバが去った部屋で、バルトフェルドは一人眠れぬ夜を過ごしていた。
カナーバの話は、バルトフェルドからすればすべて情況証拠に基づいた話で確証はなかったが……
彼にはある種の確信があった。恐らくラクスなら、父親がパトリックに殺されることも覚悟していただろうと――
誰も応える者のない部屋で、バルトフェルドは遠い何処かの地で囚われの身の己が盟主に問いただす。

「アフリカ……俺が送られていたあの戦地で、そんな話が進んでいたとはな。ラクスよ、応えてくれ。
 俺達が目指していたものはプラントの平和か、それとも世界の平和か? 後者ならば……荷が重過ぎるぜ」