- 364 :1/22:2006/03/11(土) 22:42:32 ID:???
- ユーラシア連邦の西トルコ領、現地時刻は早朝――
ザフト軍艦ミネルバは陸路をひたすら西へ向かっていた。
カスピ海沿岸の都市ガルナハンを開放したものの、ミネルバはすぐさまその脚で黒海へ向かうよう命令を受けた。
ザフトが計画しているスエズ攻略戦に伴う地中海方面への戦力増強、そのための移動であった。
ミネルバは最新鋭戦艦だが、本来は宇宙戦を想定して設計されている。その真価は宇宙で発揮される筈――
しかし、ジブラルタル基地への増援を命令されたことで、数日慣れない陸路での長時間の移動を強いられている。
さして地上では脚の早くないミネルバは、数日掛けてようやく、あと一日ほどで黒海にまで達するところまで来た。
そのミネルバのブリッジ、オペレーター席に座るのはアビー・ウインザー。
ミネルバのオペレーターはシフト制で、彼女とメイリン・ホークの二人が交代で勤務していた。
オペレーションの任務は楽に思われがちだが、夜中も通信席を離れられないのが彼女たちの仕事の悲しい所。
この日、夜勤明けのアビーは、自らの肌荒れを心配しつつ、計器類に眼を向けていた。
時刻が朝の8時を差した頃、艦長以下ブリッジクルーが姿を現したころ――
アビーの目の前のモニターが黄色く点滅する――軍本部からのシグナルであった。
「……! 艦長、軍本部から入電です。これは……地中海方面軍司令部からです」
「あら、随分良いタイミングね。 通信? それとも暗号文書?」
「暗号文書です。読み上げます。旗艦ミネルバはこれより――」
文書の中身を要約すると、黒海に出た後に沿岸のトルコの都市ディオキアへ向かえというものであった。
更に、地中海方面軍司令官の名で、ミネルバクルーのこれまでの活躍に報いるべく休暇を与えるとあった。
アビーは艦長に伝えるために読み上げたのだが、それを聞いたブリッジクルーから歓声が上がる。
副長アーサー・トラインは喜色満面、他のマリクやチェン、バートも喜びを隠し切れず――
そんな様子をタリア・グラディスも苦笑しながら眺めていた。彼女も内心嬉しいのだろう。喜びは言葉に表れる。
「良かったわね。就航以来連戦続きだったけど、これで少し休めるわ。他には?」
「あ、はい。ええっと……あっ!」
「……どうしたの? 何かあったの?」
「それが、その……あの国が、オーブが――」
アビーの伝えた文書の最後の一行――タリア以下ブリッジクルーの喜びは、その一報で幾分損なわれた。
タリアはため息をつき、アーサーは帽子を取りやれやれと首を振る。他のクルーも表情が陰る。
そして、暫くの後――その知らせは、ミネルバの幼いパイロットにも伝えられた。
- 365 :2/22:2006/03/11(土) 22:43:28 ID:???
- ミネルバ艦内のMSパイロット用のブリーフィングルーム。
知らせを聞いた幼きパイロット――マユ・アスカは、その知らせを聞き、反芻した後短く呟いた。
「オーブが……空母と護衛艦4隻で、スエズ運河を渡った? そう……ですか」
ミネルバの中で、軍本部からの知らせを聞き一番悲しんだのは彼女であろう。
オーブ出身であり先の大戦後移民としてプラントに彼女は、13歳という若さでミネルバに配属された。
本来はインパルス専属のテストパイロット扱いの筈が、開戦により有耶無耶のうちに実戦を経験する。
そして、彼女は今日まで戦いの日々を送ることとなる。
嘗ての故郷の同胞達と、刃を交える――
オーブが地球連合の同盟条約、世界安全保障条約機構に入ったことで半ば想定される事態ではあったが……
「まぁ、俺たちとぶつかることになったわけじゃないんだ。余り……気を落とすなよ」
「……ハイ」
隊長ハイネ・ヴェステンフルスの言葉に返事はしたものの、少女の気持ちは暗澹たるものだった。
また、彼女ほどではないものの、少し前までオーブで済み暮らしていたアスラン・ザラも俯いていた。
彼は、マユとは逆に戦後オーブに移り住み、開戦後にプラントに戻り復隊した者なのだが……
「ホラ、アスランも! 戦う相手を選べるわけじゃない。大体、お前は正規兵なんだから……割り切れよ」
「……すみません」
彼もマユ同様、暗澹とした気分で俯いている。二人が並んで落ち込んでいるので、部屋の空気も微妙に重い。
同僚のルナマリアは二人を慮ってはいたものの、掛ける言葉も見当たらず、やがて彼女も俯いてしまう。
レイはいつもどおり無表情。ベテランのハイネ隊の古参兵、ショーンとゲイルは眉一つ動かさないが・・・…
しかし、そんな沈痛な部屋のムードは、幸か不幸かある男の発言で一遍にぶち壊される。
「……おい、ハイネ! 今オーブって言ったか!?」
「ああ。オーブが艦隊で地中海に来るそうだ。スエズ辺りで戦っていてくれれば良いが」
「冗談じゃねえ! 俺はオーブのムラサメにやられたんだぞ! こっちに来やがれ、あの糞野郎ッ!!」
同席していたヒルダの部下マーズ・シメオンは、先日キラのムラサメに愛機を戦闘不能にまで追いやられていた。
彼としては、そのリベンジの機会が来るものと色めき立っていたのだが、二人の嘆き人はその言葉で一層俯く。
察した彼の僚友、へルベルト・フォン・ラインハルトが諫めるが時既に遅し……死人に鞭は、打たれてしまった。
- 366 :3/22:2006/03/11(土) 22:44:28 ID:???
- だが、その話を聞いてこの人物が黙っている筈がなかった。
「この……大馬鹿野郎ッ!! 少しは、この子の気持ちを考えろッ! 状況を考えてモノを言えッ!」
「す、すんません!」
「大体お前は……ッ! そんなんだから、後の敵に気づかないで、敵を仕損じたりするんだよッ!!」
「いや、アレは不意打ちを食らっちまったモンで! 次はこそは……!」
「そんな台詞は生きているから言えるんだ! 不意打ちだろうが何だろうが、やられたらお終いだろうが!?」
ブリーフィングが終了した後、ハイネ以下、ヒルベルト、マーズ、マユの4名は医務室に向かった。
先日のガルナハンでの戦闘で右足を骨折したヒルダ・ハーケン――ハイネは状況の伝達、他は見舞い……
なのだが、へルベルトの密告、もとい報告で一部始終を聞いたヒルダは烈火の如く怒った。
「おい、へルベルト! チクることないだろうッ!」
「知らんな。アレはお前が悪い。どう見ても、あの場で言うべきことじゃなかった」
「け、けどなあ! 俺はその……ヤツにお返しを――」
「――馬鹿野郎! そんなことはどうでもいいから、マユに謝れ! 土下座して謝るんだ! この……ッ!」
僚友の告げ口に抗弁するマーズだが、へルベルトは相手にしない。おまけにヒルダは激昂している。
骨折しているのに、今にも彼女はベッドから出てきてマーズを叩きのめそうと身を乗り出す。
慌ててハイネたちが宥めるが、彼女の怒りは収まらない。渋々マーズもマユに頭を下げるが……
逆に困り顔のマユは、気にしていないとだけ言い、マーズに頭を上げるよう促した。
見舞いの筈が、何とも険悪な雰囲気になってしまった為、マユはヒルダに出直してくると言って医務室を去る。
「また、後で来ます。お騒がせして……ごめんなさい」
「そうかい? すまないね……こらッ! マーズ、お前は出て行く必要はない! ちょっと残れッ!!」
「か、勘弁してくださいよぉ!」
マユが部屋を去った後、部屋にはマーズの悲鳴が響き渡った。
「オーブ……。まさか、自分の生まれた国と戦うなんて、思ってもみなかった……」
一人、少女はミネルバの甲板に上がり、外の景色を見入っていた。
オーブと戦う可能性が出てきたことで、彼女の心は揺れ動いていた。
そして、少女は彼女の故郷オーブを後にした最後の日を思い出す――
- 367 :4/22:2006/03/11(土) 22:45:26 ID:???
- ユニウスセブンの落下事件――
後にブレイク・ザ・ワールドと呼ばれるこの事件は、元ザフト軍兵士らテロリストによって引き起こされた。
この事件を契機に、地球連合とプラントの停戦条約という束の間の平和は終わりを告げ……
やがて世界を未曾有の混乱と、凄惨な闘争に駆り立てる大戦が――再び起ころうとしていた。
――開戦二日前のオーブ軍港――
ユニウスセブンの破砕作業を続けたまま地球にまで下りてきたミネルバは、4日前にオーブに着いた。
カガリ・ユラ・アスハとアレックス・ディノを乗せてきたこともあり、彼らを送り届けることが目的の来訪――
ミネルバは破砕作業に入る前に同乗のギルバート・デュランダルはボルテールに移乗していた。
要人二人を届けただけで目的は遂げたが、大気圏突入しながらの破砕作業を続けたミネルバは損傷もあり……
カガリの申し出もあり、結局そのまま今日までオーブで修理と補給を受けることとなった。
ブレイク・ザ・ワールドから既に一週間が過ぎていた。
その間、大西洋連邦以下地球連合各国は、テロリストの仕業とはいえ元ザフトの者達が起した事件を糾弾した。
プラントへの責任追及の声は日に日に高まり、徐々にではあるが軍歌の足音が聞こえて――
その緊張感は軍艦であるミネルバへも伝わっていた。
地球を救った彼らでも、ザフトであることには変わりはない。彼らは救済者であると同時に、加害者でもあった。
連日オーブを通して伝えられる被災報道や、連合各国の糾弾の声にミネルバのクルーの心は重かった。
そんな中、クルーには一日だけの休暇が与えられた。
タリア・グラディス艦長としても、クルーの緊張状態を解したくもあり、また破砕作業の労をねぎらう目的もあり……
所定の任務についている者以外、手の空いている者には休暇を取ることは認められた。即ち、上陸許可――
ミネルバのレスト・ルームには上陸許可を伝え聞いた者達が続々と集まっていた。
整備班のヨウランやヴィーノ、パイロットのルナマリアやレイ、オペレーターのメイリンらも……
「聞いたか? 上陸許可だってさ!」
「ああ! オーブは奇麗な国だからな……海は奇麗だし、観光スポットも多いらしいぜ。メイリンは何処行く?」
「そうね……お姉ちゃん、マユは何処? マユなら、オーブ出身だし、何処行けば良いか教えてくれるだろうし」
賑やかなクルーたちのやり取りに応えるように、メイリンは姉のルナマリアに話を振るが…・・・
ルナマリアはその言葉に若干悲しげな顔を見せ、首を左右に振り応える――
「……悪いけど、マユはもう艦にはいないわ。 今日はあの子は……やることがあるのよ」
- 368 :5/22:2006/03/11(土) 22:46:23 ID:???
- 上陸許可はマユ・アスカにも与えられた。
メイリンの思惑とは裏腹に、彼女にはやるべきことがあったのだ。
上陸許可が出るや、すぐに艦を離れた少女はオーブ軍本部へ足を向ける。
ミネルバが停泊中の港湾ブロックからそう遠くない場所に軍本部はあり、受付で彼女はある人物を呼び出した。
「……失礼します。トダカ二佐という方を探しているのですが、今日はこちらには……」
「トダカ二佐? ああ、第一軌道艦隊のトダカ一佐のことですね?」
「あッ……! 二年前にお会いしたときは二佐だったもので……ごめんなさい」
「謝ることはありませんよ。ご親戚の方でしょうか?」
「……いいえ、違います」
「では、身分証のような者はお持ちでしょうか?
身内の方以外はお取次ぎする際、身分証を提示していただくことになっております。身分証を――」
言われて、マユはミネルバを出るときに渡された上陸許可証を、受付の軍人に見せる。
それを見せられた受付の軍人は、一瞬眼が鋭くなり目の前の少女と上陸許可証を見比べる。
やがて、訝しげな顔つきに変わった受付の軍人は、少女を問いただす。
「今日は、どのようなご用件でしょうか?」
「……私は二年前、戦災に合ってプラントへ移民した者です。父と母はそのとき亡くなりました。ただ……
遺体が見つからず行方不明扱いの兄がどうなったのか、トダカ一佐にお尋ねしようと思い、参りました」
「二年前? あの、オノゴロの防衛戦で被害にあわれた方?」
「……はい」
訝しげな顔の軍人は、疑りの眼差しで少女を見ていたことを恥じ、申し訳なさそうに丁寧な口調に変わる。
「し、失礼しました。すぐに取り次ぎます、少々ロビーでお待ちを……」
マユがここに来た訳――それは、無論件のトダカ一佐に会うためであった。
彼は、軍の人間であり、二年前から戦災で行方不明にあった者たちの捜索責任者でもあったのだ。
通常現場の仕事は末端の軍人がやることで、上級将校であるトダカは矢面に立つことはなかったが……
当時マユが両親を失った直後に、トダカは彼女と出会い色々と世話を焼いてくれもした間柄であった。
その伝を頼り今日マユは軍本部を訪れたが、受付の軍人の対応に、マユは悲しい現実を突きつけられた。
「そっか……そうだよね。もう、私はこの国の人間じゃ……ないんだ」
既にマユはミネルバのテストパイロットであり、半ばザフト軍人扱い――すでに、他国の者として扱われていた。
- 369 :6/22:2006/03/11(土) 22:47:12 ID:???
- 数分後待たされた後、マユはトダカとの面会を赦され、軍本部にある彼のオフィスに案内された。
オーブ軍で一佐という階級にある彼は、連合でいえば大佐クラスの権限がある軍人である。
それ故、かなり広めの彼のオフィスであり、応接用の椅子や机も用意されていた。
その席に座り向かい合った両者は、改めて再会を果たした。
オーブの軍人とザフトのテストパイロット――
二年前は軍人と被災者という間柄だったはずが、時を経て二人の立場は似たようなものになってしまった。
先ほどの受付での出来事と相まって、少しうろたえたマユは切り出す言葉を見つけられず……
そんな少女を見たトダカは、苦笑しながら話を切り出した。
「ようやく、来てくれたと思ったら……まさか、ザフトの軍人になっているとはね。驚いたよ」
「……軍人ではありません。テストパイロットです」
「以前君から貰った手紙には……幼年学校に入ったと聞いていたが?」
「色々と、その……運に恵まれて」
「……そうか。何れにしろ、君がその年でテストパイロットになれたのは、素質が認められたのだろう。おめでとう」
咎めることもなく、笑顔のままトダカはマユがテストパイロットに選ばれたことを告げた。
今は敵対関係ではないオーブとザフト、しかしユニウスセブンの落下事件で様相は一変している。
状況が悪化すれば、連合とプラントの間に火蓋が奇って落とされることもありえる。そうなれば、オーブも――
マユはそんな厭な考えを振り切るかのように、無理やりに笑顔を作って応える。
「あ、ありがとうございます」
「……そういえば、今日君が来た要件というのだが」
「はい、兄は……どうなりましたか? その……遺体は、見つかりましたか?」
二年前――
兄のシン・アスカはマユを庇い、MS同士のビーム砲の余波にその身を撃たれた。
マユが最後に兄を見たときは、生きてはいたものの両脚はなく、両腕も折れ曲がっていた。
そのような体となり動けないシンは、それでもせめて妹だけでも逃げるよう言い……
後ろ髪を惹かれる思いのマユを急かす兄の言葉に従った少女は、結果的に九死に一生を得た。
しかし、兄のシンは――
やがて次にその近辺に着弾したMSの光弾に焼かれたのか、今だ遺体すら見つかっていなかった。
オーブが大西洋連邦に降伏しオノゴロでの戦闘が終わった後、オーブ軍は犠牲者の遺体収容もしていたが……
赤十字の人間やジャンク屋らも救助活動に邁進していたため、全ての生存者や遺体の確認に時間が掛かった。
- 370 :7/22:2006/03/11(土) 22:48:18 ID:???
- トダカらは戦後暫くして生存者の確認は全て終えたが……
遺体の確認となると方々へ連絡をし、見掛けで判別できない遺体はDNA検査をする必要もあり時間を要した。
あれから二年が経ち……暫しの沈黙の後、トダカは俯き加減で瞑目しつつ応える。
「先ごろ、遺体の確認作業もすべて終了した。
結論を言えば……お兄さんとみられる遺体は見つからなかった。 生存という情報も未だにない。
戦災ということなので、法的にはお兄さんは昨年死亡扱いになっている。これが、その書類だ」
「そう……ですか」
トダカは前もって用意していた書類をマユに手渡す。
極めて義務的な書類であったが、それには父母の死と、行方不明扱いのシンの死を公式に認めるものであった。
また書類には、家族の死亡保険金の一覧もあり、相応の額が書かれていた。訝しがりマユはトダカに示す。
軍の仕事にしては手が届きすぎている。死亡保険金などは保険会社が執り行うものだからだ。
「ああ、それか。君が幼年学校に行ってしまい、うかうかとこちらに戻れなくなったからね。
僭越ながら、全て私の方で保険会社と法的処理は済ませてしまった。私に出来る、せめてものことだ……」
「そうですか……ありがとうございます」
それは、トダカの気遣い――
言葉で彼の心中を察したマユは、感謝の言葉と共に頭を下げる。
暫しの沈黙が流れる。
これで、マユはトダカの元に来た目的を全て果たしてしまっていた。あとは、ミネルバに帰るだけなのだが……
ただ一点、トダカの気遣いはマユにある問題を残していた。
「あの……こんな額を貰っても、私には使い道がありません」
「それは、君の今後の為に使えば良い。お兄さんが公式に亡くなられたことで、受取人は君一人だ。判断は……」
「けど、私はもう軍からお給料も貰っています。それに、もうオーブには戻ってこないと思いますから」
「ふむ……困ったな」
多額の保険金は、保険会社からのものと国から支払われたものがあり、合わせると……
数年は何もしないで暮らせるだけの額が、マユに支払われる計算となっていた。
しかし、最早職も得て食うに困ることもなくなった少女には、使い道のない金であった。
地上で使われるアース・ダラーはプラントのマネーにも換金できたが、自分で使う気もなかった。
- 371 :8/22:2006/03/11(土) 22:49:09 ID:???
- マユが使う気にならなかったのは、ユーリ・アマルフィの存在が原因――
やがて、彼女を養女として迎え入れようというアマルフィ家の申し出を、マユはすでに受け了承している。
出来れば、そのような金はすべてオーブに置いていきたいのが本音であった。全ての哀しみとともに……
しかし、この時ユーリ・アマルフィの死の一報はマユに聞かされていない。
それは、強奪事件以来の強行軍のせいでもあり、マユにショックを与えまいとするタリア・グラディスの気遣い――
その悲報は、この時のマユはまだ知らされていなかった。そんなマユは、受け取りを固辞する。
「もう、私には使う必要のないお金です。お世話になったトダカさんに、使い道はお任せします」
「……私に任されても困るよ。そうだなぁ……」
確かに、トダカが貰っても困る金である。あくまでマユの家族に掛けられた保険金なのだから……
困り顔で苦笑するトダカは、妙案はないかと数秒の間考え、やがてある提案をする。
「……このお金を寄付するというのはどうだろう?」
「寄付……ですか?」
「オノゴロで被害にあった方は未だにその傷が癒えているとは言いがたい。
家族を失った方たちには国から支援金も支払われているが、身寄りのない方たちへの支援金を募集している」
「……賛成です。けど、その……募集しているのは、どのような団体でしょう?」
「アスハ家だ。今、代表のカガリ様が、そのような人たちの為に奔走して――」
寄付を募集している団体――その名を聞いたマユの顔は強張り、少女はトダカの言葉を遮る。
「――止めてください。私は……アスハなんかに……父や母や、兄のお金を渡したくありません」
「………」
「カガリ代表がどんな方かは存じません。良い人か悪い人かも……
でも、先代のウズミ代表が掲げた中立策のせいで、オーブが戦場になって……私の家族は皆死にました」
「しかし、それは……」
「私は、アスハが嫌いなんです。だから、そのアスハが募集している支援金団体には、お金を渡したくありません」
こみ上げてくる感情を堪えられず、多少乱暴な言葉になりはしたが……マユははっきりと固辞した。
その様子に、目の前の少女がアスハを嫌っていることをトダカも察し、それ以上己が提案を強いることはなかった。
だが、宙ぶらりんになってしまった当の保険金――困ったトダカは、更に熟考し寄付する先を考えた。
マユが寄付し易い団体を選ぶべく……やがて、トダカは一つの代案を見つけ出す。
「なら、個人で主催されている所はどうだろう? マルキオ導師という方が個人で孤児院を開かれているが……」
- 372 :9/22:2006/03/11(土) 22:50:01 ID:???
- 若干声を荒げた非礼を詫びた上で、マユはトダカと別れオーブ軍本部を後にした。
トダカとて悪気があったわけではないが、彼の親切は少々裏目に出てしまい、些か後味の悪い別れではあった。
その分、マユのアスハ家に対する印象は、更に悪化することとなるのだが……
それはさておき、マユはトダカの提案を受け、マルキオ孤児院へと脚を向けた。
軍本部から大分離れていたため、市街地に出てからタクシーでの移動となった。
タクシーを拾ってからものの30分ほどで、彼女はマルキオ孤児院に到着する。海沿いの広々とした邸宅――
マルキオ孤児院の中は、日中にも関わらずガランとしている。
人っ子一人居ないのだ。皆何処かへ出かけているのだろうか――?
人の居ない気配の家に入り込むのは、何やら邪な気分もし、おずおずとマユはその屋敷の庭に足を踏み入れる。
「ごめんください。あのー、どなたかいらっしゃいませんか?」
「……すみません。少々お待ちいただけますか?」
――人はいた。
まだ若い女性の声だ。おそらくは、彼女は孤児院で働いている人に相違ない。
人の居ることに安心したマユは、暫くその場で佇む。やがて、パタパタと廊下を走る足音がして……
一人の少女がマユの前に現れる。エプロン姿で桃色の髪を束ねた、マユより5,6歳くらい年上の女性が――
「お待たせして申し訳ありません。ちょっとお料理をしていたものですから、手が離せなくて」
「あ……ごめんなさい。お邪魔してしまったみたいで……」
「失礼ですが、子供たちのお知り合いの方? それとも、孤児院の方にご用がおありで?」
「孤児院の方に、用があって……参りました」
「そうでしたか。子供たちならカリダさんがお外に遊びに連れて行ったので、暫くは戻りませんわ。
マルキオ導師もユニウスセブンの落下の被災地への支援活動をなさっている関係で、夜まで戻りませんよ」
エプロン姿の女性はマユを訝しがることもなく、終始笑顔で丁寧に応対してくれた。
先ほどの軍本部で寂寥感を味わったマユは、女性の応対に安堵しつつ、ここに来た目的を話した。
「私は、マルキオさんの孤児院に寄付をしようと思い、今日ここへ参りました」
「あらあら、それはありがとうございます。では……外でお話しするのも難ですから、中へお入り下さい」
桃色の髪の少女に導かれ、マユはマルキオ邸へと足を踏み入れた。
広々とした家の中には、子供達が散らかしたであろう玩具がところどころにあった。
その間を抜けて……マユは居間に案内され、そこで件の少女と話を始める――
- 373 :10/22:2006/03/11(土) 22:50:53 ID:???
- 居間に通され、少女が運んできた飲み物に口をつけながら、マユはここへ来た経緯を話した。
オーブに住んでいたが戦争で家族を失い、プラントへ移民として渡ったこと――
先日家族全員の死亡認定がなされたが、自分には新しい家族が見つかったことを――
「マユ・アスカさん? このお金……・本当に宜しいのですか?」
「お話したとおり、私にはもう必要のないお金です。
こちらでは戦災で孤児になった子も、引き取って養われていると聞きました。だから、その子たちのために……」
「そうでしたか。ありがとうございます。マルキオ導師に代わり、お礼申し上げます」
桃色の髪の少女は思慮深い瞳を湛えながら、それ以上マユに仔細を尋ねようとはしなかった。
そのことにマユは感謝しつつ、出された飲み物に再び口をつける。これでマユは、今日すべきことを終えた。
あとは、ミネルバに帰るだけ――マユは少女に礼を言い席を立とうとするが……少女は再度、新たな問いをした。
マユにとってある意味最も問われたくなかった質問を――
「そういえば、アスハ家でも寄付を募っているとか……お聞きになりませんでしたか?」
「それは……」
「あちらの寄付は、何せオーブの国が募集しているようなものですから、そちらに寄付をされるのも……」
「それは、私は……厭です。アスハに家族のお金を渡すのは――」
やむを得ず、マユは今日二度目の同じ問いに、同じ答えで返した。
家族が死んだのはウズミ・ナラ・アスハの失政によるもので、自分は快くアスハにお金を渡せないと――
桃色の髪の少女はその言葉をただ聞いていた。先ほどと同じ思慮深い瞳で……
暫しの沈黙が流れる。
場の雰囲気が一気に重くなり、マユは少しこの孤児院に来たことを後悔していた。
彼女としては、極力アスハ家とそれに関わるものとは接したくないというのが本音であった。
そんな沈黙はやがて……桃色の髪の少女によって破られる。少女は、ゆっくりとした口調で再度マユに問う。
「ウズミ代表のことが……お嫌いですか?」
「………!」
単刀直入、あまりにもストレートな問いにマユは言葉を失った。
先ほどマユについての仔細を尋ねなかった少女は、思慮深い女性だろうと先ほどまで思っていたが……
核心を突く問いに、マユは返す言葉を失い、再びマルキオ邸の居間に沈黙が流れた。
- 374 :11/22:2006/03/11(土) 22:51:48 ID:???
- しばらくの間をおいて、マユはハッキリとした口調で言いきった。
「――嫌いです」
堰を切ったように、マユは抱いていた思いを目の前の少女にぶつける――
「あの人が、ウズミ代表が……
大西洋連邦の要請を蹴ったから、中立なんて方針を選んだから、オーブは戦火に包まれました。
言いがかりみたいな文句で攻めてきた大西洋連邦は大嫌いですけど、ウズミ代表も同じくらい嫌いです。
あの人が中立を守り抜こうとなんてしなければ、私の家族は死なずに済んだ筈です」
「………」
「父と母はほぼ即死でした。けど、兄は……
兄は、両脚を失って血まみれで……多分、苦しみながら死んだと思います。
家族をそんな目にあわせたウズミ代表も、跡を継いだカガリ代表も、アスハ家も……皆嫌いです」
桃色の髪の少女は、口調こそ冷静だがそこかしこに憤りが現れているマユの言葉に聞き入っていた。
父と母の死以上に、おそらくは苦しんで死んだであろう兄の死はマユの心に影を落としていた。
憎しみ――あるいは、そう表現しても差し支えないであろう感情が、マユの心にはあった。
「……辛いことをお聞きして、申し訳ありませんでした」
「私が今日ここに来た用事は、済みました。これで帰ります。失礼します」
「あの……、ちょっと宜しいでしょうか?」
「……何ですか?」
桃色の髪の少女は詫びた後、まだ何か言い足りなそうな視線をマユに向ける。
もうこの場にはいたくない――そう思ったマユだが、少女の視線に仕方なしに話を聞くことにする。
しかし、次に少女はマユにとって予想もしなかった話をはじめる――
「本当に、ウズミ代表が悪いのでしょうか? 私には、どうしてもそうは思えないのです」
「……! 何を言ってるんですか? 私の家族は……ッ!」
「確かに貴女のご家族が亡くなられたことは悲しいことです。そのことに口を挟むつもりはありません。ただ……」
「ただ……何ですか?」
マユは激昂しかかったが、慌てて冷静さを取り戻し……冷淡な口調で少女を問い詰める。その問いに少女は――
「大西洋連邦に従っていれば戦争は避けられたのでしょうか? オーブは戦火に包まれなかったのでしょうか?」
- 375 :12/22:2006/03/11(土) 22:52:39 ID:???
- マユとは対照的に……
あくまで理性的な口調で、少女はマユに話しかける。マユを諭すかのように――
「貴女のご家族が亡くなられた責任はウズミ代表にもあると思います。けれど……
確か、大西洋連邦の申し出は、プラントとの戦争でオーブのマスドライバーの使用権を得たいという話でしたね」
「……そうだったと思います。けど、それが何だって言うの?」
「もし、大西洋連邦にマスドライバーの使用権を認めれば、プラントやザフトはそんなことを赦したでしょうか?」
「――え?」
意外な話題転換にマユは戸惑う。桃色の髪の少女は、やがてマユにはかつて考えもしなかったことを話す。
「当時のザフトは、ビクトリアやパナマといった連合のマスドライバーを陥落させていました。
なぜなら、プラントにとって連合の大量の兵員を運ぶことが出来るマスドライバーの存在は、脅威だからです」
「………」
「あの頃、プラントの実質的な支配者は、ザフトの総帥でもあるパトリック・ザラ。彼は強硬派でした。
オーブが中立を捨て大西洋連邦の申し出を受けていたら、ザフトはオーブに侵攻したのではないでしょうか?」
「……! そんな!」
「オーストラリアにはザフトの最大拠点カーペンタリア基地もあります。オーブとは目と鼻の先の位置です。
また、小さな島国で防空能力も乏しいオーブでは、降下部隊を送られてしまえば手の打ちようがありません」
桃色の髪の少女――彼女の言葉は、マユを動揺させた。
仮にも軍用年学校に在籍していたマユにとっては、初歩的な戦術論も既に学習済みであった。
少女の言うように、もしもウズミが大西洋連邦の要請を受け入れていたら……
高い確率で、いや間違いなくオーブはザフトの標的になったことだろう。
その事実にマユは慄然とする。
もし、あのときウズミが別の判断を下していたら――即ち、大西洋連邦の要請を受諾していた場合……
マユの家族の命を奪ったのは、今自分が在籍しているザフト軍であったかもしれない。
「気を悪くなさったのなら、謝りますわ。私も、ウズミ代表の判断が必ずしも正しかったとは思いません。
けど、絶対に間違っていたとも思えないのです。ウズミ代表は戦いに敗れ、マスドライバーを破壊されました。
マスドライバーは国民の財産であった半面、当時はオーブに戦争を呼ぶ遠因ではなかったのでしょうか?
ウズミ代表は……ひょっとすると、国民の犠牲をこれ以上出さないために、そうなさったのでは……」
動揺したマユには、少女の言葉は最早遠くなっていた。
憎しみの対象ですらあったアスハ家――しかし、当時オーブの置かれていた状況は、確かに切迫していたのだ。
- 376 :13/22:2006/03/11(土) 22:53:36 ID:???
- 「……仕方なかったって言うの?」
「――え?」
「貴女は、私の父や母や……兄が苦しんで死んだのは、仕方なかったって言うの?」
「それは……」
ウズミの苦悩は、半ばではあるがマユも理解しようとしていた。しかし――
それでは死んでいった家族はどうなる。当時の状況がそうさせたのだから、仕方ないと割り切れというのか。
やはりマユには、少女の言葉は受け入れがたいものであった。桃色の髪の少女は、諭すようにゆっくりと口を開く。
「私は……仕方なかったとは思いません。政治が間違っているから戦争が起き、人が死ぬのです。
戦争の責任は、元をただせば政治家にあると思います。だから、ウズミ代表にも責任はあります」
「そんなこと……分かっています」
「貴女が悲しむのは当たり前ですし、その怒りをウズミ代表やアスハ家に向けるのも、間違ってはいません」
「なら、どうしろって言うの?」
「……憎まないでください。人を……憎まないで欲しいのです」
突拍子もなく、少女はマユに頼みごとをした。人を憎むな、と――
「戦争は多くの人の命を奪います。
そして、戦争が終わっても、愛する人を失った悲しみは生き残った人が受けます。
ですが、悲しみが憎しみに変わったとき、それは更なる争いの元を生み出します」
「………」
「憎しみは、人の性と言う事も出来ましょう。けど、それを続けていけばどうなります?
永劫に人と人が殺しあう。それが続けば、世界はやがて破滅してしまいます。先の大戦がそうでした。
連合は核を、ザフトはジェネシスを……二年前、世界は一度滅びようとしました」
「……それと、私と何の関係があるって言うの? 私は……」
「貴女はウズミ代表を憎んでいるのではありませんか? そして、アスハ家も……」
「……!」
「他者を憎み、自らを憎しみの連鎖の中に組み込むのか……
それとも、悲しみを、胸に秘めた自分の礎にするのか……貴女が選ぶべきは、果たしてどちらでしょう?」
少女の言葉は、あたかもマユの心を見透かしたかのようでもあり……
マユは、少女の一言一言が胸に突き刺さるかのような感覚を覚えた。
反発し少女の言葉を奇麗事と一蹴したい気持ちもあるが、一方で受け入れたいと思う気持ちもあり……
マユは、次第にウズミやアスハ家に抱いていた感情が薄れていくのを感じ取っていた。
- 377 :14/22:2006/03/11(土) 22:54:32 ID:???
- やがて、桃色の髪の少女はマユに非礼を詫びる。そして、彼女は告白を始める――
「偉そうなことを言って、申し訳ありません。でも、私がこんなことを言うのには、理由があるのです」
「……え?」
「私は、ある人を憎みました。その人を……心底憎みました」
「………」
「そして、私は過ちを犯しました。そのときの私には、もうそうするしかないと……思い込んでおりましたの。
あるいは、他に取るべき道が他にあったのかもしれない。けれど、私はその方法を選ぶしかなかった。
結果として、その人は死んでしまいました。私のせい……なのかもしれません」
「……人を殺したの?」
「私ではありませんが、ある人に殺されてしまったのです。多分、私のしたことが原因でしょう。
……その罪は今も消えることなく私の心に残っています。一生消える事のない罪です」
「………」
「人を憎めば、いずれ私のような悲しい目にあってしまう。だから、貴女にはそうして欲しくないのです」
少女がどのような罪を犯したのか、マユには知る由もなかった。
しかし、少女の瞳は徐々に悲しい色を帯び、彼女の言う罪が今も自信を苦しめていることは見て取れた。
なにやら、立ち入ってはならないことのような気もして……マユはそれ以上問おうとはしなかった。
やがて、二人は別れのときを迎える――
「ごめんなさい。寄付に来ていただいた方に、お説教のようなことを言ってしまって……」
「いえ、私も……思うところがありました。今日は、ありがとうございました」
「……ところで、お父様を亡くされたそうですが……どんなお方でした?」
玄関までマユを見送りにきた少女は、最後にマユに問う。
マユにしてみれば、まったく予想外の問いを――
「……え?」
「お優しい方? それとも、お厳しい方でいらしたのですか?」
「父は……兄には少し厳しかったです。けれど、私にはとても優しくて……今でも、大好きです」
「そう……ですか。あ……ごめんなさい、お引止めしてしまって」
父はどんな人だったか――
マユが見た最後の少女の顔は、どことなく儚げで、今にも泣き出しそうな顔に見えた。
そのことに一抹の違和感を覚えつつ、マユはマルキオ孤児院を後にした。
- 378 :15/22:2006/03/11(土) 22:55:26 ID:???
- 二日後――大西洋連邦以下、地球連合各国はプラントに対し宣戦を布告した。
そして、オーブを出航したミネルバに、連合艦隊が襲い掛かる。
「こうなった以上は仕方ないわ! コンディションレッド発令! 対艦隊、対MS戦闘用意!!」
タリア・グラディスの号令でミネルバは臨戦態勢を取った。領海の外で待ち伏せを喰らった母艦――
襲い掛かる敵軍からミネルバを護るべく、少女は白いMSを駆り、戦場へ飛翔する。
「シミュレーションどおりやれば大丈夫、シミュレーションどおりやれば……」
コアスプレンダーの中で、マユはひたすら呪文のような言葉を唱えていた。
幾度かの実戦経験はあるとはいえ、開戦してからの初めての戦闘――即ち、戦争における実戦である。
敵は正体不明のテロリストではない。地球連合の旗印を掲げた、蒼きMSの群れ……
緒戦――不用意に二機のウィンダムが迫る。マユの駆るインパルスへと――
「来ないでよッ! 戦争なんだから! このッ……!!」
ライフルビームを掻い潜り、マユは牽制のつもりでインパルスの砲火を向ける。
フォース・インパルスのビームライフルから放たれた光線が、二機のウィンダムの胸部を穿つ――
「当たった……ッ!? ……パイロットは……死んだ? パイロットは、死んだの……」
ゆっくりとコクピット周辺から火が上り……ウィンダムは糸の切れた操り人形のように海へと堕ちていった。
この日、初めてマユ・アスカはMSを撃墜し――人を殺した。
カオス、ガイア、アビスが奪われ応戦に廻ったとき、追撃戦のデブリ帯で彼らと再び刃を交えたとき――
ユニウスセブンでサトーたちテロリストと戦ったとき――それら全ての戦いで、マユは戦火を挙げていなかった。
前者はファントムペイン、後者は元ザフトの手練……彼らは、マユの手に余る存在ではあった。
しかし、今この時は、マユは追われる側――戦わなければ生きることすら叶わない状況……
マユはシミュレーションどおりにやったとはいえ、新型機に不慣れなウィンダムのパイロット達は、脆くも撃たれた。
緒戦の敗北は組織的戦闘方法をウィンダム隊に選ばせる――遠方からミネルバを狙う戦法に切り替えたのだ。
しっかりと編隊を組んだウィンダム隊が、再度ミネルバに襲い掛かる――
- 379 :16/22:2006/03/11(土) 22:56:28 ID:???
- 緒戦で人を殺した事実に、マユは寒気を覚える。
インパルスの操縦桿越しに、相手を殺したと思しき感覚が伝わる。ライフルの引き金を引いた感触が――
「くッ……! 今はそんなこと、考えているときじゃないのッ!!」
その感覚を振り払うかのように、マユは機首を敵MS隊へと向ける。
しかし、20を越えるMS部隊にたった一機のインパルスでは圧倒的に不利。
編隊を組んだ彼らは、組織的にインパルスを捉えようとビームライフルを放つ――
「…・…ッ! 避けるので精一杯なんて!!」
悲鳴をあげるマユとは対照的に、連合の指揮官は余裕の表情であった。
連合艦隊旗艦艦橋――大西洋連邦所属のこの艦の指揮官は、満足げに戦闘を眺めていた。
ミネルバは応戦に必死、インパルスもウィンダム隊を突破できず、圧倒的な数差の前に逆に逃げ惑うばかり……
「頃合だな、ザムザを出せ。あの飛び回っている白いヤツを潰せば、決着は付く」
やがて、ザムザ・ザーが空母から飛び立つ――
ミネルバも、圧倒的な戦力差を自覚していた。不利な戦況を覆すためには、強引な戦術が必要となる――
戦っているMSは実質マユだけ。飛べないザクのルナマリアとレイは、MS発射区画からの応戦であった。
絶望的な数の差を覆すべく、タリア・グラディス艦長は断を下す。
「タンホイザー起動! 敵艦隊をなぎ払う! 目標大型空母、アーサー……照準任せる!」
「了解! メインエンジン最大、出力最大……タンホイザー発射ッ!!」
旗艦と思しき空母を狙ったミネルバの陽電子砲は、巨大な光の束となり一直線に襲い掛かった。
膨大な水しぶきが連合艦隊とミネルバを包み……ミネルバが形勢逆転する――筈であった。
しかし――
「ええええエッ!? 艦隊が……無傷!? ん……アレは……モビルアーマー!!?? 嘘おっ!?」
「やられたわね。陽電子リフレクター装備の、モビルアーマーとは……!」
アーサーの絶叫と、タリアの嘆声……ザムザ・ザーの陽電子リフレクターはミネルバの一撃を阻み……
戦況はミネルバにとって絶望的な状況へと向かっていった。
- 380 :17/22:2006/03/11(土) 22:57:26 ID:???
- 「このままじゃ……ミネルバが沈んじゃう! どうすれば……どうすれば……」
インパルスのコクピットで、マユは戦況の劣勢を悟る。このままではミネルバは沈む。
降伏すればミネルバクルーの命は助かるかもしれないが、ミネルバはザフトの最新鋭戦艦……
仮に、この艦が連合に渡れば、プラントの最新鋭戦艦が連合にそのまま渡ることになる。
プラントの技術力の粋を集めて作られた艦が、その技術の結晶が――
タリアはそのような事態を避ける為、最悪の場合自沈を選ぶ筈であった。
「そんなこと……絶対にさせられない! インパルス……いくよッ!!」
ユーリ・アマルフィが手がけたMSと一緒に戦っている――その事実がマユを支えていた。
敵MS全てを撃滅することなど不可能、ならばやるべきことは唯一つ……
「敵の旗艦の空母を撃って……あの人たちがミネルバを撃つのを止める!」
そして、インパルスは海面スレスレを飛ぶ。
ウィンダム隊がそれを阻もうとライフルの一斉射を放つ。いくつもの光線がインパルスを掠める。
それを辛くも掻い潜り、マユは敵空母に迫ろうとする。
その様子はザムザ・ザーのコクピットでも確認される。3人乗りのコクピットで、パイロットがそれを見咎める。
「敵一機、来ます!」
「例の……ファントムペインから報告のあった新型です。隊長、どうします?」
「ザムザで前に出るぞ。ヤツの白い機体を……握りつぶしてくれるッ!」
艦隊に迫るインパルスの前に、大型MAが現れる。巨大な蟹のような巨体――
一見して高出力機体であることを悟り、マユは回避すべく速度を上げMAのサイドに回り込もうとするが……
ガシッ――
機械的な音がインパルスのコクピットにまで響き渡る。
巨体に似合わぬ速力を誇るザムザ・ザーのクローが、回り込もうとしたインパルスの胴体を掴み上げる。
「こんなの、聞いてないよッ!? 離せッ……離してよッ!!」
- 381 :18/22:2006/03/11(土) 22:58:21 ID:???
- ザムザ・ザーのもう片方の腕が、インパルスの右手に握られたビームライフルを掴み、放り捨てる。
MAから逃れようと必死でもがくマユだが、インパルスの胴体をつかまれているため、分離も出来ない――
「離して!!」
『それは出来ん相談だ。ザフトの兵よ……』
「……貴方は!?」
『このMA、ザムザを動かしている者だよ。残念だったな、お前の母艦ももうすぐ沈むぞ』
接触回線で敵の声が聞こえることにマユは驚愕するが……
敵パイロットの隊長は、意外にも応答する。更に、マユの母艦も沈むと言う。
マユが振り返ると、インパルスの後でウィンダム隊の猛攻を受け、至る所から煙が上がっている。
「そんな……!」
『帰る場所を失ってはお前も仕方ないだろう? お前も一緒にあの世へ送ろう。仲間と一緒のところへなぁ……』
「……殺すの?」
少しずつ、マユは自分の意識が遠のいていく感覚に捉われる。だが――
逆に指先や神経は張り詰め、徐々に操縦桿を握る手にも力が込められていく。そして……
『お前達コーディネーターの生きる場所など、この世にはない。そのことを教えてやるための戦争だ』
「……また、殺すの?」
『また? どういう意味だ?』
「……前の戦争で、貴方たち連合の大西洋連邦に私の家族は殺された……
今度は私を殺すの? 私だけじゃなく……ミネルバの皆も殺すの? まだ……殺し足りないの?」
『……そのとおり、殺し足りないのだよ。ハハハッ! お前達化け物どもは、生きていてはいかんのだよ!!』
ザムザのコクピットで中央に座る年かさの隊長格の男は、ブルーコスモスのシンパであった。
彼は、その思想の中でも過激な派の思想を指示する人物で、己の信条に従いつつ任務を全うしようとしていた。
しかし、その言葉を聴いた少女の両目は、一瞬カッと見開かれ――
「そうなんだ。なら――」
静かだが激しい怒りと共に、マユ・アスカは己の中に眠る力を呼び起こす――
「なら――死になさいッ!!」
- 382 :19/22:2006/03/11(土) 22:59:17 ID:???
- インパルスは右手でフォースに備え付けのビームサーベルを引き抜き、一瞬にしてザムザのクローを切り裂く。
ザムザのパイロットたちは慌てるが、彼らが反応する間もなくマユは左手のサーベルを引き抜き、コクピットを貫く。
絶命の悲鳴をあげる間もなく――勝利を手に仕掛けたザムザのパイロット達は散っていった。
「まだよ……まだだわ。コイツを殺っただけじゃ、艦隊は止まらない。狙うのは……旗艦ッ!」
『マユッ! 大丈夫なのッ!?』
ミネルバのオペレーター、メイリン・ホークの声が響き渡る。
彼女はザムザに捕らえられたインパルスと連絡を取ろうと通信を繋いだが……マユは窮地を脱していた。
いや、脱するだけではなく――
「調度良かった。メイリン、ソードシルエットを射出して。ただし……低空で、敵の空母に向けて」
『……え?』
「――ソードを! 早くしてッ!!」
『は、はいっ!』
自分の身を案じたメイリンの声は意も介さず、マユはただ指示を出した。敵を沈めるための指示を――
メイリンはタリアの許可も得ず、勢いに押されソードシルエットをすぐさま射出する。
その間、インパルスはフォースの速力を生かし敵空母に迫る。
途中、インパルスの行く手を阻もうとウィンダム4機が迫り来るが……
「邪魔しないで……」
両手に握られたサーベルのうち、片方を放り投げ一機のコクピットを貫き、頭部バルカンの一斉射で二機を……
最後のウィンダムは、インパルスのサイドから回りこみ目の前に立ちふさがるが、横ナギにサーベルで切り裂く。
爆散するウィンダムの炎に包まれるインパルス――しかし、少女は意に介さず、ただ前へと進む。
「……掴まえた。逃がしは……しない」
声を荒げることもなく、マユは呟くようにして艦隊をその視界に捉える。
艦隊の前衛、6機の空母と護衛艦艇が目の前に展開されている。艦隊はインパルスの前身を阻もうと発砲する。
実弾のバルカン砲がいくつもインパルスを掠め、中にはインパルスを捉えるものもあったが……
フェイズシフト装甲のインパルスを駆るマユは、臆さずに空母に狙いを定める。
そして空母に取り付く直前、フォースシルエットを排出させ――後から来たソードシルエットに身を包む。
- 383 :20/22:2006/03/11(土) 23:00:14 ID:???
- 「何だ!? 何なんだコイツはッ!!??」
大西洋連邦の艦隊司令は、空母の艦橋の前までその勇姿を現したインパルスに瞠目し叫んだ。
あっという間にザムザ・ザーを撃破し、ウィンダム隊の護りも突破し、自らの喉元に剣を付きたてようとするMS。
先ほどとは異なる武装をしたMS――ソード・インパルスは対艦剣エクスカリバーを構え、マユは言った。
「聞こえる? 聞こえているなら、降伏しなさい」
「……降伏だと!? 馬鹿を言うな! まだこちらが数の上では圧倒的に有利なんだ!!」
「……それがどうしたの? 帰るところがなくなればMSもただの鉄屑……バッテリーが後何分持つと思う?」
冷徹な声でマユは告げる。形勢はこの時点で五分と五分か――
いや、堅牢なミネルバの守りとは異なり、すでに旗艦空母に対艦剣を突きつけられている状況では……
明らかに形勢は逆転している。マユはそのことを確認せよと言うかの如く、更に問う。
「この状況で……降伏しないのね?」
「誰がするか!? 貴様らコーディネーターなんぞにッ!」
「……貴方達は同じことを言う。まだ、殺し足りないのね。なら――」
操縦桿を握る手に力が込められる。パイロットスーツ越しに、生身なら血が出るかのような力を込め――
少女は渾身の一振りを愛機の手に伝え――
「――ならッ!!」
聖剣は残光を残し――
狂信の思想に取り付かれた大西洋連邦の指揮官もろとも、艦橋を両断した。
更に、艦隊の残りの空母と護衛艦に次々と飛び移り、艦橋や武装化された船首の主砲を潰していく。
数分で決着は付いた。
指揮官を失い、帰るべき空母を失ったウィンダム隊の残存部隊は、慌てて後方に控える艦隊に向かう。
マユたちとって幸いだったのは、この連合艦隊が大西洋連邦と東アジア共和国で編成されていたことだ。
後方に控えていた東アジア共和国の軍司令官は、直ちに全軍撤退の命令を下した。
よしんばミネルバを撃てても、艦隊6隻を失い、更なる損傷を受ければ……
本来は対カーペンタリア攻略に向け用意されたこの戦力を、完全に喪失してしまいかねない状況であった。
東アジア共和国軍司令官の英断で、この日の戦闘は終わった。
そして、ミネルバは生き残った――
- 384 :21/22:2006/03/11(土) 23:01:01 ID:???
- 「私は……今日人を……初めて、殺した。そして……大勢殺した」
ミネルバの医務室――
戦闘を終えミネルバに帰還したインパルス、そして愛機から降りたマユ……
歓声を上げ迎える整備班のヨウランやヴィーノたち、僚友のルナマリアやレイも小さなヒーローを笑顔で迎える。
しかし――
機体を降りてくる少女の顔は蒼白に青ざめ、ミネルバの格納エリアの地に脚をつけるや、少女は嘔吐し始める。
取り巻く者達は驚き、すぐに慌てて駆けつけるルナマリアに付き添われ、マユは医務室へと運ばれた。
医師の診断では、マユは開戦後初の実戦で極度の緊張状態にあり、それ故の嘔吐であろうということだった。
だが、ただ緊張から吐いたのではない。今更ながら、人を殺した事実を思い出し、全身に悪寒が走る。
――人を殺す
連合の兵士たちを殺したことで、かつて自らが家族を失ったように……
肉親の死を嘆き、愛する者を殺した者――マユを恨み、彼らはこれから悲しみの日々を送るのだろうか――
人を殺した事実に改めて愕然とするマユ――少女は再び、己の行為を悔い呟く。
「私は、人を大勢殺したんだ……あのMAのパイロットも、ウィンダムのパイロットも、空母の艦橋の人たちも」
「仕方ないじゃない。戦争なんだから、マユがアイツらをやっつけてくれなければ、私達が死んでいたわ」
「……仕方ない?」
「そうよ、戦争なんだから。あ……ごめん。本来は正規の軍人でもないマユには……辛いね」
慰めようとするルナマリアの言った言葉――仕方ないという言葉……
その言葉に聞き覚えがあり、マユは二日前のマルキオ孤児院での出来事を思い出す。
「仕方なかった……仕方なかったから私は……連合の兵士たちを殺した。それと同じように……
仕方なかったから、他にやりようがなかったから……ウズミ代表は大西洋連邦と戦う道を選んだの?」
「え……?」
「あ、ううん。何でもない。何でもないよ……」
小声で桃色の髪と少女と話したことを反芻するマユ――
ウズミとアスハ家に抱いていたマユの憎しみは最早薄れ、代わりに己の罪を自覚する少女がいた。
「私は……今日人を殺したんだ」
- 385 :22/22:2006/03/11(土) 23:01:56 ID:???
- ――そして、時は今へ戻る――
ディオキアへ向かうミネルバのMS格納庫、コアスプレンダーの操縦席でマユは愛機のチェックを続ける。
オーブとの戦闘にならないことを祈りつつ、マユはオーブでの最後の日々を思い起こしていた。
そして、それからの戦争の日々を――
やがて、少女はあることに気づく……
「人を殺したとき、鈍い鈴のような音が聞こえた。けど、インド洋での戦いではあの音は聞こえなかった……
この間の……ガルナハンでの戦闘でも。私は……もう既に、人を殺すことに慣れてしまっているの?」
インド洋での戦いで4機のMSを撃墜した後は、最早吐き気も何も感じなかった。
ガルナハンでの戦闘でダガーLを撃墜したときも、嘗て味わった不快感が呼び起こされることはなかった。
それらの事実から、人を殺すことに対する嫌悪感が薄れているのではないかと、少女は不安になる。
「今は戦わなくちゃ、皆死んでしまう。戦争を終わらせないと、皆で明日を生きることさえ出来ない。
私はもうテストパイロットじゃない……軍人。だから、戦わなくちゃ……でも……」
不安を振り払うかのように、決意を込め軍人としての自覚を持とうとするが……
それでも、少女の人を殺すことに対して、嫌悪感を消し去ることは出来なかった。
「でも、やっぱり……人を殺すことに、慣れたくはないな。オーブの人たちとも……戦いたくないよ」
俯き、マユはコアスプレンダーの操縦桿をギュッと握り締める。
しかし、現実は残酷にも少女の願いに背き――
「トダカ一佐、間もなくスエズ運河を抜けます。この先には敵影もありません」
「そうか……第81独立機動軍との合流ポイントは?」
「レーザー通信で先ほど。マルタ沖を指定してきました」
「よし、このままの速度を保ちつつ警戒を怠るな」
艦橋で指揮を執る男、嘗てのマユの恩人でもあるトダカは、第一機動艦隊タケミカヅチの艦長に就任していた。
――やがて、運命は過酷な巡りあいを少女に強いる。そのことを、この時のマユは知る由もなかった。