428 :1/38:2006/08/08(火) 23:11:27 ID:???
地球連合の中核を担う国、大西洋連邦の首都ワシントン――
最高行政府の白い建物の一室で、この国の最高責任者は声を荒げていた。

「一体、これはどういうことだ!?」

大西洋連邦大統領ジョセフ・コープランド。
列席するこの国の閣僚・幕僚達の前で、彼は憤りを隠せないでいた。
彼の手元にあるのは、複数の雑誌。コープランドは、そのうちの一冊――『CEタイム』誌を手に取る。
そして、居並ぶ閣僚・幕僚たちにそれを見せつけながら、もう一度叫んだ。

「ストライクMk-Uは軍事機密だったはずだ! それが、何故こうもデカデカと写っているんだ!?」

タイム誌の表紙を飾るのは、黒いMSと白いMS。前者はストライクMk-U、後者はインパルスだ。
先日、ダーダネルス海峡で行なわれた一戦。その模様を写した写真がタイム誌の表紙となっていた。
タイム誌だけではない。『News Week』や『New &world report』等等……
あらゆる雑誌の表紙を、大剣を手に切り結び合う2機のMSが飾っていた。
また、ブラウン管を通してもその光景は伝えられていた。CNN,ABC,BBCエトセトラ……
あらゆるメディアが、連日この写真から戦況を読もうとしていたのだ。
しかし、このような事情はこの国の最高責任者にとっては、あまり好ましい事態とは言えなかった。

「先日来ずっと、この写真についての問い合わせが殺到している!
 軍事機密だった筈の"ストライク"の名前まで洩れ、各部署は対応にてんてこ舞だ!!
 おまけに……この戦いのタイトルは何だ!? ふざけているのか!!」

コープランドが手に取ったタイム誌の表紙を、皆に見せる。
そこには切り結ぶ2機のMSと共に、大きな見出しでこうあった。
『OPERATION DAYBREAK at Dardanelles!!』――ダーダネルスの暁作戦。
作戦の指揮を執ったのはオーブのユウナ・ロマ・セイラン中将、彼の指揮の元に作戦は展開。
千日手となった戦況を打開すべく、彼はザフト軍艦ミネルバに決闘を申し入れ云々……
まるで非現実的だが、それでも何処か男心を擽る作戦が行なわれたことを、記事は紹介していた。
最も、結局は確たる戦果を挙げられず、秘密のMS――ストライクMk-Uの存在まで明るみともなる。
大西洋連邦政府としては、あまり面白くない事態になっており……コープランドは苛立っていたのだ。

バンッ――!!

雑誌が机に叩きつけられる。苛立ちのはけ口を失った大統領が、乱暴に雑誌を投げ捨てたのだ。

429 :2/38:2006/08/08(火) 23:12:15 ID:???
ホワイトハウスにおける会議は、開幕からコープランドの憤りが炸裂していた。
彼だけではない。居並ぶ誰もが一様に苦々しい顔をしている。彼らも内心大統領と同じ思いだった。
コープランドは大きなため息を一つつき、冷静さを取り戻そうと努めていた。
そんな彼に、ある男が話しかける。

「仕方ありますまい。ストライクMk-Uを預かるのはあの部隊……
 第81独立機動群、通称ファントムペイン。ロゴスがスポンサーとなって作った特殊部隊では」
「……ヒル国防長官」

コープランドは、諫めに罹った人物の名を呼ぶ。ヒル国防長官――
豊かだがほぼ真っ白な髪は老齢であることを伺わせるが、眼鏡から覘く双眸は鋭さを帯びている。
大西洋連邦政府における国防政策を担当し、大西洋連邦軍を統括するのが彼であった。
国防長官は陸・海・空からなる地上軍と、月や地球軌道に拠点を置く宇宙軍を統括する。
200万人を優に越える大西洋連邦軍は、世界最大規模。
それを指揮する彼こそが、地球連合軍の中心人物と言っても過言ではなかった。
また、本来文民統制が原則であるはずの国防長官の役職だが……
先の大戦で多くの兵士を失った大西洋連邦は、戦場を知る人物を特例として重用していた。
文民による戦局の読み違えが、多くの人員を損失した要因であると判断したが故の起用。
コープランドの組閣時に入閣したヒルは、元軍人。先の大戦では連合軍参謀総長の役職にあった。
コープランド政権の実力者でもある彼の諫言は続く。

「先の大戦での人的損失は大きかったが、同時に経済的損失が大きい。
 ニュートロン・ジャマーの影響で、様々な産業が停滞していたのです。そして1年に及ぶ戦争。
 ロゴスからの資金供出がなければ、軍の再建の目処すら立たなかった。違いますかな?」
「それは、そのとおりだが……」
「交換条件として新設を求められたファントムペインですが、戦果は挙がっています。
 今回、ストライクが露見したのは面白くありませんが、功績と併せて考えれば相殺されましょう」
「だが……!」

収まりかかった憤りは、再燃し……先ほどよりも強い口調で、コープランドは反論する。

「ストライクMk-Uのパイロットを見ろ! 彼の経歴には何とある!?
 ……彼だけではない。ファントムペインのパイロットは、皆薬物によって強化された若者たちだ!!」

コープランドは手元の資料から、ゲン・アクサニスの軍歴を取り出し皆に見せる。
閣僚・幕僚たちに配られた資料には、ファントムペインのパイロット達の"裏"の経歴が記されていた。

430 :3/38:2006/08/08(火) 23:13:11 ID:???
ゲン・アクサニス、アウル・ニーダ、スティング・オークレー、ステラ・ルーシェ。
4人は、表向きは、士官学校を卒業したばかりのMSパイロット。だが、"裏"の経歴は……
全員"献体"志願者としてエクステンデッドになることを希望、能力開発のための施術を受けたとある。
即ち、強化人間――コーディネーターと渡り合うために、己の体を作り変えた者達。

「そんな若者を利用して、戦場に送り出すのがロゴスだ!」

コープランドは、一層声を荒げる。そう、彼は認めたことなどなかった。
それどころか、これらの事実を知ったのもつい最近。
ロゴスと軍が結託して行なったのが、ブーステッドマン計画であり、エクステンデッド計画。
ブーステッドマンが実践投入されたのは、コープランドの就任以前であった。
戦後処理に忙殺された彼の元には、つい最近になって過去の報告がなされただけ。
おまけに、最近の研究――エクステンデッドに関しては、ダーダネルスの戦い後に報告を受けた。
つまり、報告として彼の元に上がって来るのはいつも最後……

「私は、エクステンデッドの実験・実用化など、認めた覚えはない!!」

強い口調のコープランドの弁。反ロゴスすら匂わせる言動に、閣僚・幕僚は眉をひそめる。
強化人間プロジェクトに関係していた幕僚達は元より、閣僚も個々で癒着のある者が多いのだ。
政治献金面では華僑系の財閥の支援を受け、比較的ロゴスと繋がりが薄かったコープランドは例外。
早い話が、皆ロゴスの味方なのだ。特に元軍属で、国防長官にあるこの男などは……

「大統領、お気持ちは分かりますが……それは、見当違いなお話です」

コープランドの大声に、些かも怯むことなくヒルは抗弁する。

「大統領、貴方が就任式で聖書に手を置き、憲法に唱えられた宣誓文を読み上げた瞬間から……
 貴方は、これまで我が国で大統領を務めた方々が行った施策の責任も、受け継がれるのです。
 前大統領は、ブーステッドマンの存在もご存知でしたし、認可もされておりました。
 貴方の元に知らされるのが遅かっただけで、手続き上の問題は何もない。そうでしょう?」

日ごろから、ロゴスと距離を置こうとするコープランドを揶揄するかのように、ヒルは言った。
コープランドにとっては大統領就任当時、疲弊した大西洋連邦の再建が急務であった。
そのために派閥の枠にとらわれず、有力者を起用した結果……急速に疲弊した国力は取戻せた。
が、一方でロゴスの力の介入は残されたまま。コープランドは内心臍を噛んでいた。
何より、ロゴスと繋がりのあるヒルを国防長官に任命したのは、コープランド自身なのだから。

431 :4/38:2006/08/08(火) 23:14:05 ID:???
「大統領、何よりも戦争を早期に終結させることが肝要です」

一転、諭すようにヒルはコープランドに語り掛ける。
老人であるヒルに比べれば、40そこそこのコープランドはまだ若造。
内心面白くはないが、コープランドは諫言を聞くほかなかった。

「エクステンデッドの力の有用性は、今回の作戦で示された筈だ。
 一対一ではナチュラルはコーディネーターに遠く及ばない……これが前大戦で証明されたこと。
 しかし、彼らはそれを覆している。ナチュラルでも、同等の力を身につけられれば、戦えるのです」

話題は、ストライクMk-Uとインパルスの戦いに戻る。
インパルスを退けたストライクの戦いぶりは記事になっており、そのとおり報道されもした。
結果……これは喜ばしいことか否かは不明だが、一気に軍の士気は高揚したと報告されている。
また、報道の翌日から、志願兵を募る軍の部署には若者が殺到したとも。
先の大戦時、キラの駆ったストライクとアークエンジェルの猛勇は、噂として連合を駆け巡っていた。
この時も、噂の段階ではあったものの、軍の士気は高揚したという。
超人的なコーディネーターと対等に戦う事が出来る――それは、ナチュラルの兵士の理想でもある。
この点で、ダーダネルスの戦いが報道されたことは、都合良くもあったのだ。

「……だが、戦争の早期終結には、交渉ごとも不可欠だ。デュランダルは何といっている?」
「依然、こちらの提示した条件は飲めないといっております。
 それどころか、ユーラシア連邦での戦闘は徐々に拡大傾向にあります。これでは……」

コープランドは、改めて補佐官に現状を問うた。
オーブやスカンディナヴィア王国、汎ムスリム会議らに仲介役を頼み、和平への道筋を模索はした。
だが、連合が提示した政権とザフトの解体という二つの条件を、デュランダルが飲むはずもなく……
逆に、ユーラシア戦線が拡大傾向にあるとのことで、交渉は完全に暗礁に乗り上げていた。
それ見たことかと、ヒルは更に諫言する。

「大統領、デュランダルは……やる気です。ここは更なる強攻策で――」
「――プラントに核でも打ち込むか? だが、そうなればロゴスが困るだろう?
 なにせあの砂時計、出資した彼らにとっては打出の小槌。彼らとしても、失うわけにはいくまいよ」

コープランドは、皮肉には皮肉で返す。暗に早期決着の最終手段を仄めかすヒルに、手厳しく応える。
穏健派のコープランドと主戦派のヒル。政権の中核にいるものの、この点大きく意見を異にしていた。
これまでの因縁と相まって、会議の最中静かに火花を散らす二人――

432 :5/38:2006/08/08(火) 23:14:57 ID:???
会議終了後、コープランドは私室のソファーに持たれこむ。
会議そのものよりも、主戦派のヒルらの突き上げに、あの後も苦慮していたのだ。
強攻策に出ようとする主戦派は、最早核の使用も辞さずという構え。
それを押さえるコープランドには、並々ならぬ苦労があった。

「……とはいえ、アレに国防長官を頼んだのは私か。自業自得とは、よく言ったものだ」

自嘲気味に、コープランドは笑う。先の大戦で疲弊したのは軍も同じ。
再編には、なによりも現場をよく知る実力者の力が不可欠だった。
故に、シビリアンコントロールの常道を曲げてまで、ヒルを役職に就けたのだが……
プラントを含めた地球圏統一構想を公約に掲げるコープランドと、ブルーコスモスを支持するヒル。
大西洋連邦のために働くという志は同じでも、方針が決定的に異なる両者であった。
疲れ気味のコープランドに、補佐官がおずおずと問う。

「だ、大統領……」
「ん? 何だ?」
「その……オーブのカガリ代表より、また連絡が……」
「今度は何といってきた?」
「予てよりお願いしていた、プラントに要求している和平条件の緩和を。いつもの催促です」

何度目であろうか。オーブの若き代表、カガリ・ユラ・アスハは和平を望み、影に日向に動いていた。
プラントにも方々から働きかけ、同時に大西洋連邦にも働きかけ……
流石に頭の下がる思いのコープランドだが、この時ばかりは舌打ちしていた。

「人の気も知らずよく言う。そうだな……カガリ代表にお伝えしてくれ」
「はっ」
「……私に言うより、ヒルを説得しろと」
「………」

補佐官は沈黙する。先ほどのやり取りは耳に入っていた彼。
だが、大統領の言いたいことは分かるものの、流石にそれを実行など出来る筈もない。
困り顔で見つめる部下に、コープランドは苦笑いして前言を撤回する。

「こういうのを、他所の国じゃアメリカン・ジョークと言うらしいが……私がやってみても、詰まらんな」

和平を望みながら、現実は戦わざるを得ない。そんなジレンマがコープランドを苛んでいた。

433 :6/38:2006/08/08(火) 23:16:47 ID:???
定例の閣僚・幕僚会議の主な議題は、ダーダネルスの戦いで露見したストライクMk-Uの事後処理。
結局、部隊を設けたのがロゴスということもあり、お咎めなし。
軍上層部を通じて、注意のみを為す決定が下された。
特殊部隊の作戦につき、詳細は非公表。そのまま、マスコミにもそう応える方針を採った。
結論は出たものの、ロゴスの政治・軍事への介入を嫌うコープランドに対し……
ヒル国防長官らロゴスと繋がりの深い者達の軋轢が、徐々に露になっていたが。

「若造が……この国の闇を、まだ知らぬとみえる」

国防総省――5角形の建物の中で、ヒルは先ほどの会合を振り返って言った。
この建物こそが、大西洋連邦の実質的な作戦本部。会議室と思しき部屋には、複数の男達が。
彼と共に列席するのは、大西洋連邦の幕僚たち。先ほどコープランドの前にいた者もいる。
彼らはヒル同様、一様にコープランドの施策を詰っていた。

「大体、交渉ごとなど手ぬるい。コーディネーターの本性は、ユニウスセブンの一件で明らかだ」
「所詮はナチュラルと、我々を侮っているのですよ。あの人間もどき達は」
「元帥、ここはいっそ独自に動きませんか? 核さえ使えれば、宇宙の化け物どもは……」

元帥――居並ぶ幕僚のうちの一人が、ヒルをそう呼んだ。
途端に、かつての階級で呼ばれた老人に叱責を受ける。

「私は、最早軍人ではない。言葉は選べよ」
「……! も、申し訳ありません!」
「私も、国防長官の名で呼ばれるのにはまだ慣れんが」

ここで行なわれているのは、実質的な幕僚会議。
コープランドの思惑とは別に、軍として如何にプラントに対抗するかを論じているのだ。
全員更なる強攻策を胸に秘め、それを実行したいと願ってはいるが……
コープランドの言ったとおり、プラントを再び植民地化しようとする者も、ロゴスには多い。
軍の後押ししてくれる者は、多くはいないのだ。苦虫を噛み潰したかのように、ヒルはその状況を嘆く。

「核の使用には大統領の許可がいる。ブルーコスモスの後押しがあれば首を縦に振るだろうが。
 そのブルーコスモスも、ブルーノ・アズラエルなどは核による攻撃に理解を示しているが……
 新しく盟主となった若造、ロード・ジブリールは中々首を縦に振らん。何を画策しているやら――」

何故か核の行使を押しとどめるジブリール。やがて、その不満は思わぬ方向へと向かう。

434 :7/38:2006/08/08(火) 23:17:39 ID:???
「いっそ、首を挿げ替えるか?」

唐突に、ヒルは言った。全員、何事かと一斉に彼のほうを見る。首の挿げ替え――
意外な言葉に、誰もが耳を疑う。列席する幕僚の一人が、ようやく疑問を口にする。震える声で……

「こっ、国防長官! ま、まさか、貴方は……大統領を!?」
「ん? コープランドを、私がどうにかしようと? ハハハッ! 悪い冗談だな!」

ヒルは笑い飛ばす。首の挿げ替え――その対象を、皆は大統領のことだと思い込んでいたのだ。
幕僚達の考えをすぐにヒルは悟り、それが杞憂であることを告げる。

「オズワルドを、そう何回も使うわけにはいくまいよ。
 手ぬるいことは手ぬるいが、疲弊した我が国を立て直したコープランドの手腕は買っている」

幕僚達は、その言葉に胸を撫で下ろす。
首の挿げ替えの対象が、大統領であるとするならば……並々ならぬ事態となるからだ。
ヒルがコープランドへの批判を口にした後、挿げ替えの言葉を使ったが故の混乱だが。
本来ヒルの意図する首の挿げ替えの対象は、別の人物であった。

「私が言っているのは、ロード・ジブリールのことだ。
 コープランドが強気なのも、核を使わせまいとするのも、ジブリールがいてこそ。
 ブルーコスモスの盟主にして、ロゴスの首領格。いわば、大統領の後ろ盾は彼だ。
 大統領の背を押すのがジブリールではなく、ブルーノ・アズラエルであれば……と思っただけだ」

口元に笑みこそ見えるものの、ヒルの目は笑っていない。
どのような手を使うのかは知らないが、軍はしては強攻策を阻むジブリールを疎ましく思っていた。

「ところで、ひとつ気になることがあるのだが……」

……と、唐突に老人は話題を変える。先程コープランドから手渡された資料を取り出し、皆に見せる。
資料の中の、一枚の軍歴書。それは、黒髪の少年兵のモノであった。

「この男……ゲン・アクサニスとは、何者だ?」

ゲンの写真入の軍歴書を、幕僚達は回し読む。
全員がそれを見終わった後、改めてヒルは皆に問うた。

435 :8/38:2006/08/08(火) 23:18:30 ID:???
「私は先の大戦時から強化人間の計画に参加しているが、この男を見たのは今日が初めてだ。
 "表"の記録ではカリフォルニアベース出身。そして"裏"の記録には……何も書かれていない。
 こいつは……ゲン・アクサニスとは何者だ? 誰か、知っている者はおらんか?」

国防長官は、幕僚達に問う。ゲン・アクサニス――
先の大戦から強化人間計画に参加し、ブーステッドマンの誕生に一役買ったヒル。
エクステンデッドの計画にも参加していたが、ゲンという少年を見たのは、今日が初めてだった。

「ケネス准将、君も強化人間計画に参加していたろう? この男は誰だ?」
「はぁ……自分も、今日初めて見ました。ですが、私の管轄のオークランド研究所出身ではありません」
「そうか。ではオーガスタの研究所かね? オルソン大佐、君はオーガスタ研究所担当だったな?」
「私も、初めて見る顔です。他の研究所、ユーラシアやアフリカの研究所ではありませんか?」

改めて、ヒルはゲンの軍歴をマジマジと見つめ、訝しがる。
強化人間研究所は、その特性上秘密裏に全てが運営されるため、数も少ない。
大西洋連邦では北米のオークランドとオーガスタ、軍関連の研究施設内の2箇所しか存在ない。
残ったのは、ユーラシア連邦のロドニア研究所とアフリカのキリマンジャロ研究所。
あるいはそれら二つの研究所に問い合わせれば分かるのかもしれないが……
アウルやスティング、ステラは何れも北米の研究所出身で、"裏"の記録にもそう記載されていた。
しかし、ゲンだけは、2年前に献体に志願したことが書かれているのみ。
何処の研究所で強化されたのかさえ、判然としていなかった。

「……妙だな。本当に、誰も知らんのか?」

再度、ヒル国防長官は幕僚達を問うが、誰も首を横に振るばかり。
"裏"の記録はきちんと存在しているのに、ゲンだけはそれがない。
そればかりか、研究に携わった軍の上層部の誰もが、顔を見たことがないと言う。
ただゲンの空白の経歴だけが、事態の不自然さを物語っていた。

「これは私の勘だが……何かあるな。経歴が書かれていないということは、理由があるのだろう。
 どういう理由で経歴に空白を作ったのかは分からんが……気に入らん。気に入らんよ、これは」

嗅覚鋭い国防長官は、ゲンに隠された過去があることを推察する。
それが何なのかは、このとき居並ぶ幕僚たちには誰もわからなかったが……
この日の閣僚会議が切欠で、ゲン・アクサニスの詳細についてヒルは再調査を始める事となる。
やがて、それはゲンの運命を大きく左右することに――


436 :9/38:2006/08/08(火) 23:19:26 ID:???
地中海に位置する地球連合軍クレタ基地――
既に、ダーダネルスの戦いから3日が経過していた。
大西洋連邦軍第81独立機動群所属J・Pジョーンズとオーブ軍タケミカヅチと護衛艦4隻。
これらの艦隊は、作戦終了後すぐにクレタに寄港。そのまま、今日まで過ごしてきた。

空母J・PジョーンズのMS格納庫。
その中央部に、仰向けに寝かされた格好で、ダークグレーのMSが横たえてある。
フェイズシフトの点いていない、本来は漆黒の筈のMS――ストライクMk-Uだ。
インパルスとの戦いで大きく破壊されたストライクを、整備兵総出で修理を行なっていたが……
戦いが終わってから3日目を迎えた今日になっても、いまだストライクは修理中。
エクスカリバーで切り裂かれた胸部は装甲を外され、むき出しの部分も所々ある。

修理を受けているストライク。それを、格納庫の上部デッキから見下ろす男が二人――
一人はこの部隊の指揮官、ネオ・ロアノーク大佐。隣にいるのは、整備班長と思しき中年。
機体整備のデータログを手に取る中年男は、しきりにネオに説明している。

「このとおり、昼夜兼行で修理していますが……完全修復にはまだ時間がかかります」
「何処の具合が悪いんだ? 主な損傷箇所は?」
「胸部の装甲は、ほとんど張替えなけりゃなりません。
 大剣を持って切り合いをやった影響も出ています。各部アクチュエーターに損傷が多数。
 損傷箇所は……言うなれば、体中ってところですかね。オーバーホールが必要なくらいだ」
「完全修復に、あと何日掛かる?」
「他のMSには目立った損傷もないので、整備班総出でやっていますが……あと3日は掛かります」

ネオは整備班長の言葉に舌打ちする。
インパルスとストライクMk-Uの戦い。それは近年のMS戦とはかけ離れた代物だった。
ビームやミサイルといった飛び道具ではなく、近接武器の大剣でのみ戦う決闘――
途中バルカン砲の差し合いで中座はあったものの、終始ぶつかり合った両者。
通常戦闘なら、負傷した箇所のパーツ交換で済むことが多いが……
エクスカリバーの数トンに及ぼうという衝撃を受けたストライクMk-Uは、全身損壊状態。
次から次へと損傷箇所が見つかる始末で、修理は順調とは言えず。ネオはため息をつくばかり。

「なぁ……これ、保証書効くのか?」
「効く訳ないでしょう。家電じゃないんですから」

ネオの軽口から出る冗談にも切れはなく……あっさり整備班長に受け流されてしまった。

437 :10/38:2006/08/08(火) 23:20:16 ID:???
軍用MSなのだから、保証書など効くはずもない。
とはいえ、受け持つのは軍ではなく、創設者であるロゴス。つまり、ロード・ジブリールだ。
どれほどの損傷を被ろうと、彼の資金力はロゴス内でも有数のもの。
何せ、世界の金融界を牛耳っているのだ。非公式の資産も、山とあるに違いない。
早い話、ジブリールに払わせれば済む話なのだ。問題は金銭ではない。

「問題は時間だ。ミネルバは地中海南方、スエズ近郊にあるザフト軍基地に寄港したらしい。
 奴らが暫く動かないでくれれば良いが……動き出したら、こっちも動かなけりゃならない」

目下ネオたちの任務は、ミネルバの撃沈。
そのために、追撃戦を繰り広げているのだ。ダーダネルスではストライクが勝利を収めたものの……
ミネルバには損傷を与えるに止まる。敵の増援が現れたこともあり、結局のところ取り逃がす羽目に。
指揮官としては、直ぐにでも追撃体制を整えておきたかった。

「班長、申し訳ないが……あと一日でやってくれ」
「連日の徹夜で、整備班のクルーも作業能率が落ちています。プラス半日頂けませんか?」

ネオの命令にも、物理的に不可能と整備班長は抗弁する。
無理なものは無理。はっきり言わねば、後々の作戦に支障が出る。
安受けあいして、いざ実戦となった折……出撃できませんでしたでは、話にならないからだ。
整備班の人員とて限られているのだ。班長は最大限の労力で、可能な時間を提示した。
機密性の高い部隊ゆえ、修理に他所の手を借りることも出来ない。ネオは已む無く折れる。

「……分かった。それで頼む」
「ハッ! それまでには、万全を期します」
「それと、もう一つ頼みがある」

ネオは整備班長の耳元に、囁くように指示した。あからさまに、秘密を伝えたいことが見て取れる。

「Mk-UのOS、後で俺の所に持ってきてくれ」
「……OSですか? しかし……何のために?」
「詮索屋は嫌われるぞ? 言われたとおりにしてくれりゃいい。あと、OSをコイツに書き換えてくれ」

班長の質問を遮り、ネオは指示を出す。更に、一枚のディスクを彼に手渡す。
だが、そのOSを見た瞬間……整備班長の両目は驚愕に見開かれる。
表面に描かれた文字はZodiac Alliance of Freedom Treaty――紛れもなくザフト製OSであった。

438 :11/38:2006/08/08(火) 23:21:12 ID:???
ネオはその後、脚を医務室に向けた。
ストライク同様、その操縦者も半ば修理中。入院中の部下への見舞いが目的であった。
ゲン・アクサニスが治療を受けているのは、普通の病室ではなくエクステンデッド用の処置部屋。
関係者以外立ち入り禁止の区画に置かれたそれは、薄暗い研究棟のような風情の一角にある。

「よう! 元気にしているか?」

上官は、部下を景気よく見舞う。部屋に入るや、開口一番挨拶をするが……
いつも付けているバイザーのない少年兵の瞳は、ジッとネオを見返すだけであった。

「ん? ひょっとして、具合悪いのか?」
「……別に」

ただ短く、ゲンは応えた。ぶっきら棒に――
ゲンは大事をとって、3日の間にCT検査やら、色々体の状態を検査されていたのだが……
流石に3日もクスリ臭い処置部屋に叩き込まれて、臍を曲げているのか。機嫌が非常に悪い。
ネオは、部下の状態を確かめるべく、研究員に耳打ちする。

「やっぱり、3日間缶詰で機嫌悪いのか?」
「初日からずっとこうですよ。いつもなら、雑談などしたりもするのですが……」

困惑して、エクステンデッドの研究員はネオを見返す。
彼らには因果を含めてあり、ゲンがコーディネーターでソキウスであることは伝わっている。
故に顔見知りであり、彼らとも時には状態管理以外の話もするのがゲンであったのだが……
どうやら、機嫌が悪いのは他に理由があるらしい。
研究員は、目配せして手元のモニターを指差す。そこにはゲンの状態が記されてあった。
――健康面は問題なし。但し強度の精神的ストレスを受けている模様。戦闘の影響か。
手短にではあるが、ゲンの状態を端的に示す言葉が並べられていた。

「ま、あれだけの戦闘をやれば、無理もないか……」

呟くように、ネオは部下の心情を察する。
命のやり取りをしたのだ。ナーバスになるのも、無理からぬことであろう――
数々の検査を受けたこともそれを手伝ったのか。ネオはそう思い、部下の労をねぎらう。

「ゲン、入院は今日で終わりだ。退院していいぞ。外の空気を、吸って来いよ」

439 :12/38:2006/08/08(火) 23:22:02 ID:???
しかし、ネオのその言葉にもゲンは無反応。
ただネオを一瞥した後、正面の部屋の壁を見入っている。
――こりゃ重症だな。ネオはそう思い、次の一手を考える。
MS戦で手傷を負ったことが、癪に障っているのだろう。ゲンの心情を慮り、上官は声を掛ける。

「どうした? あの白いMSとやり合って、ダメージ受けたのがそんなに腹立たしいのか?
 ついさっき、ストライクMk-UのOS、ナチュラル用からコーディネーター用に替えておいたぞ。
 これでもう遅れを取る事もないだろう。次の戦いも、期待しているぞ!」

ストライクMk-UのOSは、キラがモルゲンレーテ社員だった頃に作り上げたもの。
ナチュラルのパイロットがMSを円滑に操縦するため、学習型のOSをキラは組み上げた。
最も、高性能のOSの動きを完全に引き出せるパイロットがおらず、絵に書いた餅であった。
しかし、それこそがキラの狙い。オーブの積極的な戦争参加をさせまいとする、苦肉の策だった。
が、発注もとのユウナからジブリールの手に渡り……ゲンが駆るストライクMk-Uの基本OSとなる。
ゲンが操作するうち、彼の操縦で引き出された様々な動作は、OS本来の持つ能力を引き出していた。
やがては連合軍の標準OSとなり、ナチュラルの兵士たちがMSを操縦する苦労を軽減するだろう。

つまり、本来戦うためのOSではなく、試供品をゲンは使わされていたのだ。
先ほど、ネオはザフト製OSをストライクMk-Uに組み込むよう指示を出した。
これにより、コンマ数秒ではあろうが、ストライクの動作スピードは上がる。
ほんの僅かな差だが、戦闘に置いてはコンマ数秒の動作スピードが勝敗に繋がる。
つまりは、ずっと足枷を付けられた状態でゲンとストライクMk-Uは戦っていたのだ。
OSを書き換えたことで、コーディネーターであるゲンの能力を、今度こそ最大限に発揮させよう。
ネオはそう思い、ゲンにそれを知らせ励ましてやったのだが……無感動にゲンは返す。

「……もっと早くにやっておいて欲しかったですね」

――難物だ。これでは、機嫌を直してくれないらしい。ネオは困りながら答えを探した。
一度J・Pジョーンズがオーブに立ち寄った際、最初の戦闘データはユウナに手渡された。
ゲンが深夜にセイラン邸に忍び込んだのがそれである。
この時のデータは、ユニウスセブンの破砕作業のときまで。
それからインド洋、カシミール、ガルナハン、ノフチー共和国、そしてダーダネルス。
最早十分すぎるほど実戦を経験し、おそらくは今度こそ最大限の性能を発揮するOSに仕上がった筈。
データの蓄積こそが命のOSなだけに、ネオもタイミングを伺い続けてきたのだ。

「……そりゃ、悪かったと思っているよ。でも、これも仕事だ。悪く思わないでくれ」

440 :13/38:2006/08/08(火) 23:22:58 ID:???
ネオの謝罪にも、ゲンは言葉を返さない。
――本格的に拗ねているなぁ……どうしたもんかねぇ。 
仲間と話しでもすれば気も和らぐだろうか。ネオは、気晴らしに仲間と外出させようかと考えるが……
そう思った直後、部屋にコールが入る。電子音が鳴り響き、艦橋からの連絡が入った。

『大佐、ご連絡したいことが』
「ん? 艦長か。どうした? 何があった?」
『その……オーブのユウナ将軍の代理として、アクサニス中尉の見舞いに来た者がおりまして』
「誰ちゃん? ひょっとして、偉いさんか?」
『はぁ、将校ではあるのですが……』

歯切れ悪そうに、艦長はネオの顔色を伺う。言い出しにくそうにしているが……
遂に艦長は、答えを明かす。

『オーブのキラ・ヤマト三尉が、バスケットにフルーツを盛ってお見舞いに……』
「……! そっちが来たか。やれやれ、今から退院するところだっていうのに」

タイミングの悪い見舞い客は、キラその人。
今退院許可が下りたばかりのゲンに、見舞いに来たというのだからネオは頭をかくしかない。

「待たせてもアレだ。ここにお連れしろ」
『し、しかし! その部屋は……!』
「幸いここにいるのはゲンだけ。機密の資料も、今から片付けさせるよ」

ネオはそういうと、部屋に居る研究員に目配せする。
――キラの目に付くところに、書類やデータを置くな。モニターの電源もカットしておけ。
そういうサインを出すや、すぐさま研究員は仕事に掛かる。
対してゲンは……無表情。知人が見舞いに来るというのに、嬉しそうな顔もしない。
仕方無しに、ネオは追加のサービスをする。

「ステラたちにも外出許可を出してやる。皆で、外で遊んで来いよ」
「……ああ」

結局、ニコリともせず呟いただけのゲン。
やれやれと頭をかくネオは、そそくさと部屋を後にする。そして――
もう一人の見舞い、キラがこの部屋にやってくる。

441 :14/38:2006/08/08(火) 23:23:50 ID:???
数分後、キラはゲンの元を訪れた。
J・Pジョーンズの艦中央部に位置する、エクステンデッド処置室。
そこに至るまでの間、不自然なほど照明の落とされている廊下と……
廊下に面した各部屋の扉に記された『関係者以外立ち入り禁止』の文字に、違和感を覚えながら。
しかし、当のゲンのいる部屋に脚を踏み入れたとき――更なる驚愕がキラを襲った。

「――!? ゲン!?」

キラはベッドに横たわる人物の名を呼ぶ。酷く上擦った声で。
キラが見たゲンの姿。それは、見慣れぬ者にとっては衝撃的な光景であった。
――ゲンの四肢が、ないのである。両手、両脚、その全てが。
左腕が義手なのは知っていた。そこに機銃があることも。
だが……四肢全てを失っていようとは、キラは夢にも思わなかった。

「ま、まさか……! この間の戦闘で!?」
「ンな訳ないだろう。元からだよ、元から」

キラの推察が誤りであることを、平然とゲンは告げる。
インパルスとの戦いで四肢を失ったのではないかとキラは誤解したのだ。
その事に一応キラは胸を撫で下ろすものの……それでも、四肢を失った少年への憐憫の情か。
直視することさえ出来ず、視線は足元を彷徨うばかり。
そうこうするうち、先のエクステンデッドの研究員がゲンの元へやってきた。
――失われた四肢の代替物を抱えながら。

「中尉。一つ注意することが。勝手に左腕の設定を弄らないで下さい。
 バイザーの射撃制御ソフトに影響が出ていましたよ。最悪、機能不全を起こす可能性も……」
「……分かったよ。気をつける」
「では、神経を繋ぎます。痛みますが、我慢してください」

ゲンが頷くや、研究員は右腕を取り付ける。一見それは、本物と見紛うばかりの精巧な義手。
続いて左腕、右脚、左脚と……次々と新たな四肢がゲンと同化していく。
その度に、黒髪の少年の短い呻き声が部屋に響く。

まるで――
自分の知らない世界に足を踏み入れ戸惑う子供のように……
その光景を、キラはただ傍観しているだけだった。

442 :15/38:2006/08/08(火) 23:24:43 ID:???
傍観しているだけのキラを尻目に、ゲンと研究員のやり取りは続いていた。

「外部の皮膚と神経系は、中尉のDNAから抽出した細胞で作っています」
「再生細胞だっけ? クローンっていうのは、違法じゃなかったか?」
「医療機関での義手の作成などの再生医学には、公的に認められていますよ。違和感は?」
「……あるね。3日前まで使っていたのとは、微妙に感覚が違う」

困った顔で、ゲンは研究員に問う。問答の間にも、手や足をしきりに動かし調子を確かめていた。
屈伸運動で調子を確かめるが、違和感のあることを率直に告げる。
その言葉に――研究員は若干の笑みを浮かべて応える。

「再生細胞は、所詮作り物です。最初のうちは、違和感はあります。ですが――」
「――使い込めば俺のオリジナルになる……か」
「はい」

戦争が生み出すのは、その多くが負の遺産だ。
しかし、一方で兵器の開発・改良とは異なる領域で、技術革新が図られるケースもあった。
それが顕著なのは、義肢装具の領域。先の大戦で、軍に属し戦いに赴いた者は勿論……
また、ザフト軍の侵攻とそれに反抗する地球連合の戦闘に巻き込まれた民間人は数知れず。
四肢を失った者は、戦死した者の数と比例して多くいた。
彼らの失った体を取戻すべく――地球連合政府もプラント政府も、クローン技術の一部を認め……
義手や義足に対し、再生細胞を使用することを許可していた。

とはいえ、ゲンの装着する義肢装置は正真正銘最新鋭の技術で作られたモノ。
一般に流通するモノとは、金額の桁が違った。それこそ、MS数機分の値段もするのだが……
ロゴスにしてブルーコスモスの盟主、ロード・ジブリールの計らいで、ゲンは容易にそれを得ていた。
かくして、健常者と何も変わる事のない――いや、それ以上の能力すら持つ義肢はゲンの手に。
左手の機銃を開閉し、調子を確かめ終わるや……ゲンは漸くにしてキラに向き直る。

「気味、悪かったか?」
「い、いや……」
「まぁ、こういう体なんだ。初めてで、驚いただろうけど」

相変わらず呆然としたキラは、手に持ったフルーツ入りのバスケットを渡すことも忘れ……
四肢のなかったゲンが、あっという間にいつもの状態に戻ったことに、目を瞬かせていた。

443 :16/38:2006/08/08(火) 23:25:33 ID:???
ゲンは再び支度に取り掛かる。
下着姿だった彼は、インナースーツを纏い、ズボンを履き、軍服に着替え……
最後に、常日頃から着用しているバイザーをつける段になって、動きを止める。

「キラ、デスクにあるコンタクトを取ってくれ」
「コ、コンタクト?」

頼まれたキラは、周囲を見渡す。すると……
程近いデスクの上に、溶液に浸かったコンタクトレンズを見つけた。
キラはそれを、容器ごとゲンの手元に渡してやる。

「視力も……悪いの?」
「違うよ。これはカラーコンタクト。
 俺の眼を見てくれ。普通のヤツとは少し違うことに、気がつかないか?」

言われてキラはマジマジとゲンの瞳を見つめる。
そういえば、素顔のゲンを見るのはこれが初めてのこと。黒髪に細面。ルックスは悪くない。
目付きは鋭く、少し険があるようにも感じられるが、ルックスの良さと相まって左程目立たない。
むしろ、その鋭さが精悍さを漂わせているようにも感じられた。
特に、印象的なのは瞳の色。印象的な光りを放つそれは、黒ではなく紅――

「――あっ!!」
「そういうこと。俺はコーディネーターだって、話しただろう? 生まれついてのご面相ってやつさ」

ゲンの瞳の色は紅。真っ赤に燃え上がるようなそれは、明らかにナチュラルでないことを示していた。
地球連合加盟国には、少数だがコーディネーターも存在する。
ブルーコスモスが隆盛を誇る大西洋連邦、ユーラシア連邦、東アジア共和国ではごく少数だが……
それでも、技術系の分野においてナチュラルと比して優秀かつタフなコーディネーターは重宝された。
ナチュラルで出来る仕事はナチュラルにやらせるのが原則だが……
高度な先進技術が要求される分野、MS製造系の開発部門などでは、彼らの活躍があった。
とはいえ、それはあまり知られる事のない事実。
一度周囲にコーディネーターであると分かれば、テロの標的にされる可能性も出てくる。
隠れるように、ナチュラルを装いながら生きる――それが連合内で生きるコーディネーターの定め。

ゲンがバイザーの下にカラーコンタクトを着けるのは、御洒落ではなくそういった背景事情故。
やがて、黒髪の少年はコンタクトとバイザーを付け――いつものゲン・アクサニスに戻った。

444 :17/38:2006/08/08(火) 23:26:21 ID:???
地中海に浮かぶクレタ島――ギリシャの島々は、どれも地中海性気候に包まれている。
冬に一定量の降雨がある他は、概ね温暖な天候に恵まれる。それが地中海性気候だ。
そのため、リゾート地としても人気があり、また観光はギリシャの基幹産業でもあるのだが……
温暖な気候は、ここクレタ基地においても例外ではない。
兵士といえども、準待機中であればノンビリとした空気に浸ることができる。
戦闘機やMSの演習音が喧しいのは玉に瑕だが……

ゲンとキラはJ・Pジョーンズを出て、本当にある基地に移動した。
ネオの手回しによって同じく外出許可を得た、アウル、スティング、ステラと共に。
そして、タケミカヅチからもう一人……記者のミリアリア・ハウもやってきた。
開口一番、ミリアリアは雑誌の束をゲンたちに渡す。それはコープランドが激昂したあの雑誌類……
表紙を飾るのは、勿論ゲンの愛機ストライクMk-U。

「どう? よく撮れているでしょう?」
「――! すっげー! これって……全部世界の主要紙じゃん!!」
「新米のペーペーにしては、上手く撮れているでしょ?」
「そりゃもう。にしても、よく軍から文句が来なかったな。許可は下りたんですか?」
「オーブ軍からはすぐ降りたわ。あとはAPに送って……世界に配信されたの」
「……ミリアリア、大手柄……」
「ありがとう、ステラ」

アウルたちの感想に一気に応えた後、ミリアリアは一息ついてゲンの方に向き直る。
そして、少し申し訳なさそうに話し始めた。

「貴方の写真、撮らせてもらったわ。必死に戦っていた貴方には、不愉快かもしれないけど……」

詫びの言葉を交えて、ゲンの顔を見つめる。
彼女もかつては戦場にいたのだ。アークエンジェルのクルーとして、幾度となく死線を越え――

「戦争がどういうものなのか、どうしても伝えたかったの。世界の人に。
 貴方の戦っている写真を世界中にばら撒いておいて、何を今更って思うかもしれないけど――」
「――別にいいさ、謝らなくても。俺は気にしていないよ」

ゲンは、あっさりとミリアリアの謝罪を遮る。問題があればジブリール辺りからの圧力があったはず。
それがないということは、ジブリールはこの写真がばら撒かれても不都合はないということ。
主がそう言うのであれば、僕として異論を挟む余地はない。それが彼の考えだった。

445 :18/38:2006/08/08(火) 23:27:13 ID:???
時刻はすでに夕刻――
6人は場所を変えた。選んだのは食事も出来る軍の施設。要するに、酒場なわけだが……
長方形のテーブルに、3人ずつ向かい合って座り、少し早めの夕食が始まった。
キラの持ってきた見舞いのフルーツ類をデザートに、6人は料理に舌鼓をうつ。
食べながらも、ミリアリアの話は続いていた。
写真を撮ったときのこと、新米記者と馬鹿にされていた彼女が、一躍有名人になったこと等等。
アウルやスティング、ステラはそれを拝聴し、質問などして大いに盛り上がっていた。

そんな中、端っこにゲンと向かい合って座っているキラだけが浮かない顔。
なにやら、料理にも口をつけず、俯いたまま。そういえば、先ほどからずっとこうだったか。
他の4人が盛り上がっているのと対照的なまでのキラ。ゲンは彼に問う。

「食べないのか? 料理が冷めるぞ?」
「……うん」
「そんなに、さっきの俺の姿がショックだったのか?」
「いや……ビックリはしたけれど。他に、問題を抱えていて……」

もどかしそうに話すキラ。そんな彼に、ゲンは自らの顎をクイッと上げ、「話してみろ」と促す。
キラのこんな顔を見るのは、初めてではなかった。
ゲンがノフチーでイワン・ザンボワーズを殺したときも、キラはこんな顔をしていた。
どうやら、また嫌なことでもあったのだろう。辛そうなキラに、ゲンは理由を問いただす。
他の四人は、まだミリアリアの英雄譚で盛り上がっている。逡巡の後、彼は重い口を開け語り始めた。

「幼馴染が、ザフトにいたんだ。あの日、戦場で彼と出会った」
「――! あの戦場に、いたのか? あのダーダネルスの戦いで?」
「うん。戦争が始まって、彼は故郷のプラントに……ザフトに戻ったんだ」
「そいつの名前は?」
「……アスラン。アスラン・ザラ」
「――!!」

思わず、ゲンは椅子から腰を浮かせそうになる。アスラン・ザラ――
その名はゲンもよく知る名前だった。元特務隊フェイス所属、ネビュラ勲章受賞。何より……

「ファースト・ストライクを倒したヤツか! あの男が、この近くにいる……」

新たなる強敵の出現――それは、ゲンの血を沸き立たせる。

446 :19/38:2006/08/08(火) 23:28:05 ID:???
だが、ゲンとは対照的にキラは俯き、絶望にも似た表情を見せる。
キラにとって、アスランは月の幼年学校時代からの旧友。
先の大戦でもキラはストライクに、アスランはイージスを駆り、戦った過去がある。
その後、アスランとは共闘し、戦争を終結に導きはしたが……再び出会ったとき、彼は敵陣営にいた。
絶望の理由は、即ちそれであった。しかし、ゲンにとってはそのような事情は瑣末なこと。

「アスランとは、戦いたくないのか?」
「……当たり前じゃないか」
「そうか。でも、安心しろ。問題はないぜ?」
「……え?」

何かの解決策があるのだろうか。ゲンは安請け合いする。
だが、次の瞬間、彼の口から出た答えはキラを激昂させる。

「――俺がアスランを仕留めれば、済むだけの話だ。問題なんて、ないだろう?」
「……! そんな!!」

最悪の解決方法を提示する目の前の男に、キラは腰を浮かせる。
そんな解決方法を、キラが飲めるはずもない。

「そんなことは……! 彼とは、友達なんだ!!」
「だから何だっていうんだ?」
「だから? 戦えるわけ、ないじゃないか!」
「そいつは、何をしに戦場に出てきたんだ? 戦うためだろう? 放っておいていいのか?」
「……え?」

他の四人も、語気を荒げるキラに気づく。
事態の異様さを悟った彼らは、彼らの話を止め、何事かと二人に視線を向ける。
その視線を知ってか知らずか、ゲンは続ける。

「俺の知る限り、お前の友人はザフトでも有数のパイロットだ。もし俺が戦わなきゃ……
 オーブのお前の同僚たちはどうなる? ムラサメ隊やアストレイ隊のパイロット達は?」
「………」
「お前は兎も角、他の連中じゃ相手にならない。早晩、そのお友達が殺してしまうぜ?」

――現実。再び合間見えれば、間違いなく実現するであろう現実を、ゲンは残酷にも告げた。

447 :20/38:2006/08/08(火) 23:28:58 ID:???
しかし、キラはそんな現実を受け入れる筈もなく……

「させない! そんなことは、絶対にさせない!」
「……なら、お前が戦うんだな。俺と彼が戦えば、どちらかは確実に倒れる。でも……」

強い口調でキラは否定する。そんなことはさせませいと。
だが、ゲンはそれが果たして可能なのか、疑義を挟む。

「いつものようにお前が手加減して、勝てる相手とは思えないがな?」
「……!」

アスラン・ザラ。かつてキラを破った唯一の男が、彼なのだ。
ストライクに乗っていた時代のキラは、敵の命を慮れず、本気で彼を殺そうと戦った。だが……
それでもアスランを倒せず、逆にイージスの自爆攻撃の前に、瀕死の傷を負わされた。
あれから二年。力量差が逆転しておらず、アスランに手心を加える気がなければ、キラは恐らく――

「自信がなきゃ、俺がやるけど」
「だ、ダメだッ! 君が戦ったら――!」

間違いなく、殺し合いになる。そうなれば、アスランかゲンのどちらかが、命を落すのだ。
キラとしては、そんな結末は何としても回避したい思いであった。
ならば、キラが戦うしかない。アスランを殺さぬように。
だが、果たしてそれが出来るのか。出来たとしても、その後はどうするのか――
相手を殺すことを拒み続けるキラ。そんなキラを見かねたのか、ゲンはある行動に出る。

「なぁ、いい加減に覚悟を決めたらどうだ?
 いつまで手加減を続ける気だ? その手加減で、この戦争の何が変わるって言うんだ?」
「……! ボクは……!」
「手に余る強敵と出会ったとき、少しでも躊躇いがあれば……お前が倒される。違うか?」

軍人である以上、いつまでも選択を拒み続けることが出来るとも思えない。
ゲンの言葉は正論であり、かつそれはキラも重々分かっていることであった。

「ちょうどいい機会だ。こいつを、受け取れよ」

そんなキラに、ゲンは――黒い塊のようなものを、投げて遣したのだった。

448 :21/38:2006/08/08(火) 23:29:48 ID:???
黒い塊の正体。それは、ゲンのフルオートマの拳銃。
キラはとっさにそれを手で受け取るが……意外なまでの重さに、思わずそれを落としそうになる。

「……! こんなの、要らないよ!」
「余りお前の覚悟が決まらないので、そいつをくれてやったが……まだ覚悟が決まらないみたいだな」

何を思ったのか、ゲンはキラに渡した銃に手を伸ばし……
強引にキラの手をとり、彼に銃を握らせる。そして、己の顔に銃口を向けさせたのだった。
拳銃の持つ鉄の重み。そして、何よりもそれが人の命を奪う道具であるという重み。
それらが、キラの手にずしりと感じられる。

「……! 何を!?」
「選ばせてやろうと思ってね」
「!? 何で君に銃口を向けなきゃ――」
「――選べよ。俺の命か……それとも、アスラン・ザラの命か」
「――!?」

何を言っているのか――ゲンは、意外な選択を迫った。
キラはその真意を測りかね、バイザーの向こうにあるであろう赤い眼に向けて問う。

「お前はアスランの前に出ても、そんな感じだろう。結局、何も出来やしない。
 どうせ俺がアスランと戦うことになる。そうなれば、どちらかが倒れる。選んだらどうだ?」
「――!?」
「アスランの命が大事なら、俺を撃てばいいさ。俺の首を土産に、ザフトに寝返るか?」
「――!! そんなこと、出来るわけないだろう!?」
「そうか。ならお前がアスランを撃て。いいな?」
「……! 嫌だ!!」
「……ったく、まだ分からないのか?」

今度は――ゲンは、銃の安全装置を外し……
いつでも銃弾を放てるようにした上で、再度キラを詰問する。

「お前が迷う分だけ、俺の命が危うくなる。お前がアスランを倒すのを躊躇えば……
 それは、俺に対して銃口を向けているのと同じさ。さぁ、選べよ。俺か、アスラン・ザラか」

選べる筈もない問いを、ゲンはキラに問い続ける。それは、キラにとっては苦悩の時――

449 :22/38:2006/08/08(火) 23:30:53 ID:???
苦悩する余り、銃を握り締めたままのキラ――ゲンは、やれやれと助け舟を出す。
とはいえ、それはキラにとっては助け舟などではなく、責苦に近いものであったが。

「俺はこの仕事に就くとき……ある人を殺した」
「……!?」
「俺の命を救ってくれた人さ。どうやって助けてくれたかは、覚えちゃいないが。
 あるとき、俺は命令されてその人を殺した」
「殺した!? 何で!?」
「理由なんて知らない。その人が何をしでかしたのかさえ、俺は覚えちゃいない。
 ただ、命令されたから殺しただけさ。それが俺の過去だ。断片的に戻った、記憶の欠片さ」

安全装置を外した銃。キラの持つそれに、ゲンはゆっくりと手を掛ける。そして……
拳銃の引き金に、キラの人差し指を通した。半ば、無理やりにではあるが。

「軍人である以上、命令は絶対だ。特に俺たちみたいなのは。
 お前は俺とは立場が違うが、ブルーコスモス辺りにとっては同じさ。
 だから、タケミカヅチも戦場に出てきた。連合に叛意がなく、恭順の道をとることの裏返しに」
「……!」
「嫌だろうが何だろうが、何れ選ばなきゃならない。"敵"とされた者を、殺すか否かを。
 例えそれが友であろうと。お前が人を殺す気になってみろ? あっという間に片が付く。
 手加減してもザフトのパイロットを倒せるのがお前だ。持っている力は、多分俺より上さ。
 本来の力を発揮すれば、あっという間に戦争は終わるかもしれないぜ?
 その切欠になるのなら、この引き金を引くのも……悪くないと思うが」

キラは顔をゆがめる。自分の中に眠る力――
それは、恐らくゲン以上、あるいはアスランを優に越えるかもしれない。だが……

「人を、人を殺すなんて、ボクには出来ない!」
「そんなことを、この先の状況が赦すと思うのか?」
「それでも……それでも出来ないよ!」
「どうせお前も……昔はザフトの連中を散々殺したんだろう? 今更――」

その言葉を遮るように、何かがゲンの顔面に向けて放たれた。鈍く響く音――
銃弾が放たれたのではない。もっと直接的かつ短絡的な、怒りを示す手法。
動きがあったのはキラの銃を持っていた右手ではなく、空の左手。
だが、いまそれは堅く握り締められていた。放たれたのは、左拳。

450 :23/38:2006/08/08(火) 23:31:44 ID:???
「……ったく、急に殴るなよ。」

ゲンは、キラの左ストレートを顔面に受けたのだ。
幸いスゥイング気味のパンチであったため、狙いは鼻を逸れ、頬を叩いたのみ。
それでも、少しゲンの口元から血が滲みはじめていた。

「……ご、ごめん。君が……その、嫌なこと言うから、つい――」
「いいパンチだ。その息だよ。やれば出来るじゃないか?」

憤るどころか、ゲンは嬉しそうに言う。まるで、キラの行為を褒めるかのように。
ゲンは、キラの左手をゆっくりと握りしめる。

「この手だ、俺を殴ったのは。今怒りに任せて俺を殴った要領で、戦場に出ればいい」
「――! まだ……!」
「幾らでも言うさ。お前がその気になれば、戦局はあっという間に俺たちに有利になる。
 味方は、だれも無駄な血を流さないで済む。それが最良の解決方法さ。違うか?」

厳然たる事実だけを、ゲンは淡々と告げた。
キラが本気になれば、ザフトなどものの数ではないかもしれない。
本能的に、直感的にゲンはそれを察していた。だから、くどいまでにキラを炊き付けているのだ。
しかし、それは寧ろ逆効果。キラは、憤りも冷め……再び塞ぎこんでしまった。

「やれやれ……折角のオーブのエースも、この様じゃなぁ……」

あきれ返ったように、ゲンは呟く。そして、何を思ったのか――
酒場の店員を呼びとめ、あれこれ注文を始めた。追加の注文であろうか。

そして、先程から固唾を呑んで見守っていた仲間たちは、諍いがひと段落付いたことに安堵を覚える。
ミリアリアは心配そうにキラを見、ファントムペインのパイロットたちはゲンを睨みつける。

「今のは、ゲンが悪いぜ。キラを苛めているように見えたけど」
「俺も同感だ。先輩に対する敬意ってモンが、まるで感じられなかった」
「ゲン……悪い子」

アウル、スティング、ステラは状況を察し、真に的確な批難をゲンに浴びせた。
流石の彼も、反省したわけではないだろうが……やれやれと頭をかきながら、3人に軽く頭を下げた。

451 :24/38:2006/08/08(火) 23:32:31 ID:???
やがて、ゲンの注文したモノがテーブルに並べられる。
それは、食物ではなく飲み物。ドリンクではなく、アルコール。
中にたっぷりアルコールの詰まった数本の酒瓶と、それを飲むための器が人数分用意された。

「ここクレタ島特産の酒『ラキ』だ。キラ、お詫びに好きなだけ飲んでくれていいぞ」

口元に笑みを浮かべながら、ゲンはキラに贈り物を届けた。
反省をしているのでも、詫びているのでもない。それは直ぐに明らかとなる。

「ボ、ボクは……お酒は――」
「――飲まない? いや、飲めません……だろ?」
「……知っているのなら――」
「あーあ、ラクス・クラインも可哀相に……」

何故突然ラクスの話が出てくるのか――?
不思議に思うキラを尻目に、ゲンは……小馬鹿にしたように、キラに駄目だしする。

「喧嘩は良くないから、飲み比べで勝負しようって言うのに……この様か」
「……え?」
「勝負だよ、勝負。こんな勝負も受けられないような玉無しに見初められるとは、ラクスも可哀相に」
「……!」
「ま、盟主の所にいるラクスも、これを知ったら他の男に浮気しちゃうかも――」

ガタンッ――!

ゲンの言葉を遮るように、勢い良くキラは立ち上がった。そして――
意を決したように、ラキを並々と注ぎ……一気に煽った!

「ちょっと、キラ! そんなに一気に飲み干したら……! 大体、これ蒸留酒よ!?」
「ミリィ、黙ってて。ボクは大丈夫だから」
「へっ……! そう来なくちゃ!」

諫めるミリアリアにも耳を貸さず、キラはゲンの申し出た勝負を受けることとなる。
バイザー越しにニヤニヤしながら見ているゲン、呆れたように見つめるファントムペインの仲間たち。

かくして、二人の喧嘩は第二ラウンドへ――

452 :25/38:2006/08/08(火) 23:33:19 ID:???
飲み続けること、30分余り……決着は、間もなく着こうとしていた。
表情一つ変えずに飲み続けるゲンと、グラグラと揺れ動きながら、必死に飲み続けるキラ。
二人の飲み比べが始まったのを聞きつけたのか、周囲には人垣も出来ていた。
どれもここクレタ基地を拠点に戦う連合兵たち。彼らも、戦場に出れば荒れ狂う猛者たち。
彼らにとっては、人の喧嘩ほど、見ていて退屈しのぎになるものはなかった。

「キラ……大丈夫か? そろそろ――」
「――言うな! 降伏は……しないッ!!」
「ホント……戦場でも、その調子で頼むぜ」

気が利いているのかいないのか、店員は続けざまに杯を運んでくる。
すでに杯は10を越え、20を越え……いよいよ勝負は佳境に入ろうとしていた。
かく言うゲンも、口元から笑みは消えている。彼にとっても、キツイ勝負なのだろう。
バイザーと彼自身のポーカーフェイスで、苦境は表情には出さないが。
そんな勝負を冷めた眼で見ている仲間たち。

「なぁ……この勝負、いつ終わるんだ?」
「知るか。多分、どっちかが潰れるまでだよ」
「なぁ……ゲンって、お酒強いっけ?」
「知るかよ。大方、こっそり飲んでいるクチだろ」

アウルとスティング。二人は料理を既に平らげ、後は帰るばかりであったが……
勝負が終わらないので脚止めを食っていた。ミリアリアとステラも、詰まらなそうに勝負を見ている。

「男って、馬鹿よね。こんなので勝負するなんて」
「馬鹿……?」
「飲み比べなんて、今日日いい大人でもしないわ。
 ステラも、男を選ぶときには注意するのよ? 酒に溺れる馬鹿とは、絶対付き合っちゃ駄目」
「うん……分かった」

録に酒を飲んだ経験のない二人の戦いは、果たしてどうなるのか――
飲み比べは、いよいよ終盤戦に入ろうかというとき……突如として、異変が起きた。
――咽び泣く声が聞こえる。最初は偲ぶような声で、だが……越えは徐々に大きくなり――
誰もが、その声の主に眼を向ける。

彼らの眼に飛び込んできたのは、茶色の髪の青年がテーブルに突っ伏し泣く姿。

453 :26/38:2006/08/08(火) 23:34:12 ID:???
「うっ……うっ……」

泣き出したのは、他ならぬキラ。嗚咽をかみ殺すかのように、彼は泣いていた。
やりすぎたか――ゲンはとっさにそう思い、詫びようとする。

「なぁ、キラ。悪かった。俺が悪かったから、もうやめ――」
「――うるさい!」
「……はぃ?」
「大体、君がラクスを攫わなければ、こんなことにはならなかったんだ!!」

ゲンはキラの姿に瞠目する。
そこには普段の穏やかな目つきのキラではなく、厳しい目線をゲンにぶつける彼がいた。

「ボクが苦しんでいるのも、元をただせば全部君のせいじゃないか!」
「……そりゃ、まぁ――」
「――アスランと君のどちらかを選べ!? 君にそんなことを言う権利があるのか!?」
「……ないです、多分」
「なら、もう言わないでくれ!! 分かった!?」
「……はい」

素面のときの彼ではなく、ある意味本音をさらけ出したキラが、そこにいた。
完全に迫力負け。あまりの変わりようと、その迫力に押され、ゲンはただ返事をするのみ。
キラの主張を飲み込んだわけではないが、とりあえず肯定しておかないと後が怖い。
なにせ、本音を吐露し始めたキラの手元には、まだゲンの渡した銃があったのだ。
――ヤバイ。この状況、ヤバ過ぎる。ヤケクソで銃撃たれたら、洒落にならん。
ゲンはこの時、キラに銃を渡したことを死ぬほど悔やんでいた。
仲間も不安げに様子を見ている。

「あれ、何? キラ、どうしちゃったの?」
「先輩の――スイッチが入ってしまった。泣き上戸に、怒り上戸。最悪だ」
「私、しーらないっと」
「ステラも……知らないっと」

不穏な方向へと向かう二人の戦いは、やがて決着へと向かう。

454 :27/38:2006/08/08(火) 23:35:03 ID:???
怒りかけたキラを、ゲンは飲みながら宥め始めた。

「キラ、俺が言うのもなんだがな、俺はお前のことを買ってるんだぜ?」
「……かぁう? なにを?」
「お前は強い。強いよ、ホント。本気出されたら、俺も負けるかもしれない」
「……やめてよね、当たり前じゃないか」
「………」

素なのか酔った勢いなのか、キラの頭の回転は、いつものそれではなくなっていた。

「ボクはねぇ……好きで戦っているわけじゃないんだ! 分かっているの!?」
「……はい」
「君たちに引っ張り出されたんだよ? 自覚しているの?」
「でもなぁ……本当にお前は強いんだぜ? 俺達が放っておいても、ザフトが放っておかないって」
「……好きでこんな風に生まれたわけじゃないよ」

この一瞬――キラの目は、酔ってはいなかった。顔は赤いが、真顔に限りなく近い表情。
それは、苦悩に苛まれる日々を過ごした、かつての連合のエースの姿。

「戦うことが"出来た"だけなんだ。
 あの日……ヘリオポリスにザフトが攻めてきたあの日までは、ボクは普通の学生だった。
 戦争に巻き込まれて、それから死ぬような思いで戦い続けて……それから」

ストライクを親友のアスランに落とされ、一度は死んだ身。
ラクスに救われ、再び戦場に戻った。戦いを止めさせるために。だが、戦争は止まず――

「好きで生まれたわけじゃない……好きで、こんな体に生まれたわけじゃない!
 戦いたくなんてなかった。でも、生きるために、相手の命を奪うしかなかったんだ!
 出来れば、ナチュラルで生まれたかった。差別なんて、されたくなかった!!でも、ボクは――」

涙を浮かべ、キラは心情を吐露する。
最後に彼の口から出た言葉は、好青年の仮面を被ったキラではない、本心からのキラ・ヤマトの言葉。

「ボクは、最低なほどに、最高に生み出された……そんなコーディネーターなんだよ」

それは絶えず彼を苛み続けた、過去の出生の秘密。

455 :28/38:2006/08/08(火) 23:36:00 ID:???
だが、その秘密も事情を知らないものに通じるわけがない。
キラのことをコーディネーターと知らない者にとっては、特に。

「おい! 貴様……コーディネーターなのか!?」

まだ20代そこそこといった若い兵士が、キラに食って掛かる。
彼はユーラシア連邦の連合兵。今正に、ザフトに故郷を侵略されている者だ。
彼らにとっては、コーディネーターは敵に他ならない。

「おい! スティング、やばい! やばいよ!」
「……ああ、最悪だな。バレちまった」

アウルとスティングは、事態を察し動き出す。
スティングは、若い士官にとりなす様に話しかける。

「この人はオーブの軍人だ。遠い異国から、わざわざ増援に駆けつけてくれた――」
「うるさいッ! コーディネーターがいるから、ユニウスが落とされた! 祖国が戦場になった!」

見れば、若い兵士だけではない。周囲を取り巻いていた連合の兵たちが、皆厳しい視線を送っていた。
そんな周囲の様子を、知ってか知らずか……キラはいつの間にか突っ伏し、寝息を立て始めている。

「暢気に、寝てるんじゃねえ! この人間もどきが!」

若い兵士は、側にあった酒をキラにかけ始めた。スティングが止める間もなく。そして……
それでもキラが起きない事に腹を立て、兵士がキラの首根っこを掴み上げようとしたそのとき――!

ゴツッ――!

鈍い音が辺りに響きわたる。スティングは目を疑った。
若い兵士が、昏倒しようとしているのだ。辺りに散らばるガラス片と共に、彼はゆっくりと地に落ちた。

「人間もどきで……悪かったな?」

酒瓶を、中身ごと若い兵士にたたきつけたのは、他ならぬゲン。
その事実を裏付けるかのように、あたりを蒸留酒の特有のにおいが包み込む。
彼の行為が呼び水となり――他の兵士が一斉に拳を振り上げる。そして――乱闘が始まった。

456 :29/38:2006/08/08(火) 23:36:48 ID:???
怒号、怒声、飛び交う食器、散乱する食物――
文字通り、酒場は場外乱闘の現場と化した。
スティングは最初、止めるつもりでゲンと兵士たちの間に入った。
だが、後続でキラに手を上げるものがあった。寝ているキラに蹴りを見舞う者。
彼はよほどコーディネーターが嫌いであったのだろう。しかし、その行為はスティングを目覚めさせる。

「てめえッ!! 先輩に、何しやがるッ!!」

声と同時に、スティングの右拳が相手の顔面にクリーンヒットする。乱闘要員、一名追加。
ついでに、ゲンはすでに十重二十重に男達に囲まれ、応戦で手一杯。
スティングはキラを護りつつ、乱闘を始めてしまった。残された男――アウルは状況に戸惑うばかり。

「おい! スティング、止めろよ!!」
「うるせえッ! 先輩がやられて、黙ってみていられるか!?」
「ああ……もう、誰か止めてくれよ!!」

アウルは一人悲痛な声を上げるが、誰も止めようとはしない。
こうなったら、後の祭り。暴れるだけ暴れる他、兵士たちが静まることはない。
あるいは、一つだけ争いを止める方法はあった。アウルはとっさにそれを思いつく。

「ミリアリア! ステラ! 誰か、偉い人連れてきて!!」
「え? 偉い人って、誰よ?」
「オーブの人で、いるでしょ! キラが、袋叩きにされてもいいのかよ!?」
「……よくない、絶対! 分かった! 誰か連れてくる!!」
「ホラ、ステラも! ネオでいいからさ!」
「うん。知ってる人で、偉い人……ネオしか……いない」
「だから、早くつれてきてよ!!」

アウルの催促に、二人の少女は動き出す。争いを止める為に。
ただ、この時も乱闘は展開されていた。そして、それはアウルをも巻き込んだ。

「おい! お前もコーディネーター野郎の仲間か!?」
「だったら……どうするの、さっ!?」

アウルは肩を掴まれ、振り向き様――
最後の一言と同時に、どこかの兵士の股間を思い切り蹴り上げた。乱闘要員、追加二人目。

457 :30/38:2006/08/08(火) 23:37:37 ID:???
上級将校に急を告げようとする女性二人――軍人のステラの脚は、ミリアリアより数段早かった。
駆け抜けるようにして、彼女はJ・Pジョーンズへと舞い戻り、ネオに注進した。

「ネオ、増援要請!」
『……? 何言ってるんだ?』

艦内通信で呼び出され、ネオは驚いて問い返した。少なくとも戦闘など起こってはいない。
だが、酒場では起こっていたのだ。部下3人が、大勢の連合兵と喧嘩に明け暮れて……

『酒場で乱闘だとぉ!? なんでそれを早く言わないんだ!?』
「ゲン達……3人しかない。負けそう……」
『勝ち負けなんて、どうでもいいだろうが!?』

返答も適当。慌ててネオは艦橋を飛び出し、ステラと共に酒場に向かった。
エクステンデッドもソキウスも軍事機密。目立つような行動は極力控えねばならないのに。
これまでは、こんなことは一度もなかった。隊長格のゲンに、そう指示していたからだが……

「羽目を外しすぎだ! あの馬鹿野郎どもは!!」

怒りを隠そうともせず、ネオは酒場に駆けつけた。
――まだ乱闘は続いていた。体格の小さいアウルは延びている。スティングもボコボコ。
ゲンは、酒瓶で相手を殴りつけたのが拙かったのか、数人に袋叩きにされていた。
それでもまだ抵抗は止めず、時折カウンターを見せもしていたが……
その光景に呆れたネオは、ため息を一つつく。そして、ホルスターから拳銃を抜き取り、天に向けた。

――パアンッ!!

鳴り響く銃声に、店内は静まり返る。ネオが争いを止めるべく、空砲を放ったのだ。
そして、乱闘は治まった。大佐の階級と、銃の発射によって。ネオは叫ぶ。

「戦時で気が昂ぶっているのは分かるが、今は準待機命令中だ! 慎みたまえ!!」

争いの仲裁ではなく、命令でその場を解散させる。
後日、店主からネオに、乱闘の損害賠償のための請求書が来ることになるのだが……
兎も角、この場は収まった。既に寝入り、背中を蹴られ踏まれたキラは、床に突っ伏している。
キラを背中に負ぶったネオ。彼とボロボロの少年兵3人は、こうして岐路に着いた。

458 :31/38:2006/08/08(火) 23:38:30 ID:???
キラを背負うネオ、アウルに肩を貸すスティング。ステラにハンカチを渡され、口から滴る血を拭うゲン。
コーディネーターであるキラを庇っただけなのだが、連合兵の多くはそれが面白くなかったのだろう。
次から次へと敵は増え、最終的に20人以上を相手にしなければならなくなった3人は、事実上完敗。
文字通り袋叩きに合った3人。しかし、外出許可は与えても、喧嘩を赦した覚えはない。
ネオは、キラを背に負いながら、J・Pジョーンズまでの道すがら説教を始めていた。

「……ったく、この馬鹿どもは! 喧嘩の原因は道すがらステラから聞いたが……
 問題はそれ以前だ! 酒の飲み比べだと? 若いヤツが、そんな勝負するモンじゃない。
 大体、今ザフトが攻めてきたらどうするつもりだったんだ? おい、ゲン! 聞いてるのか?」
「すぐにキラが潰れると思ったんだよ。予想外に粘るから……」
「ここも前線基地なんだ! 戦地にいるのに、酒なんぞもっての他だろうが!!」

ネオの小言は続く。もっとも、如何に前線の兵士とはいえ、度を越さない酒ならば赦されるのだが。
スティングも、抗弁する気もなくただ聞きいている。ただ、アウルは恨めしげな声を上げているが。

「痛てぇよ……何で俺まで巻き込まれるんだよ? スティングが、止めてくれれば――」
「――真っ先に先輩がやられそうになったんだ。黙って見ていられるかよ」

ネオは二人のやり取りに、背負っていた青年の顔を見る。
幸い、ファントムペインの3人とは異なり、彼の顔には怪我らしい怪我はない。
背は蹴られたり踏まれたりもしただろうが……

「まったく、オーブのエース殿も困ったモンだ。真面目な好青年かと思っていたのに。
 おい、こら! 寝てないで何とか言ったらどうだ? キラ・ヤマト君……」
「……う?」

酔いが完全に回っているのか、キラは小さく呻いただけ。
ただ、朦朧とした意識の中――彼の耳に聞き覚えのある声が飛び込んできて、一瞬だけ我に返る。

「貴方は……ムゥ……さん?」
「はぁ? 俺はネオ! ネオ・ロアノークだよ」
「……? 嘘……ムゥさん、でしょ? 貴方の声は、フラガ少佐……ですよ」
「勝手に降格してくれるなよ!? 俺は大佐! ネオ・ロアノーク大佐!! もういい! 寝ていろ!」
「……ふぁい」

指示通り再び寝入るキラ。運命の悪戯か――二人の再会は、有耶無耶のうちに終わってしまった。

459 :32/38:2006/08/08(火) 23:39:21 ID:???
ネオたちは、J・Pジョーンズに帰る前、近くに寄港していたタケミカヅチにキラを運ぶ。
折りよくミリアリアから乱闘騒ぎを聞き、艦の外に出ようとしていたアマギ。ネオは彼にキラを引き渡す。

「……御出迎えご苦労ですな、アマギ一尉。」
「ロアノーク大佐!? も、申し訳ない!」
「原因はうちの連中にあるようです。説教はしっかりしておきますが……」
「二度と、このような不始末が起きぬよう、善処します!」

自軍の兵士が酔いつぶれて、乱闘に巻き込まれて……アマギとしても、非常に罰が悪かった。
彼は平謝りに謝りながら、キラを運ぶ。遠くで不安げに見守るのは、ミリアリア。
幸いにして、ネオの"声"は彼女の元へは届かず――

「さあ! 馬鹿野郎ども、こっちも帰るぞ!」

ネオは3人の馬鹿な少年兵たちに、再び厳しい眼を向ける。
この後直ぐに、ファントムペインのパイロットたちはJ・Pジョーンズに戻った。
ステラはそのまま部屋に戻され、男3人は怪我の治療のため処置室へ。
呆れる研究員たちに傷の手当てをしてもらった後、スティングとアウルも自室に戻された。
ただ一人――ゲンを除いて。

司令艦室――即ち、ネオの部屋に、ゲンは呼び出された。
氷嚢で殴られた箇所を冷やしながら、上官の説教が始まった。
ただし、今度は説教というよりも、尋問に近かったが。

「暴れるだけ暴れて……イライラは収まったのか?」
「……? イライラ?」
「ずっと、苛立っていただろう? 俺が見舞いに行ったときからさ」
「………」
「ステラから聞いたが、ずいぶんキラを苛めていたそうじゃないか? 
 彼を相手に、八つ当たりもしたんだろう? それで……気分は晴れたのか?」

ゲンは、確かにキラを苛めていた。銃を持たせ、引き金を引け――
普通の軍隊であれば、明らかに常軌を逸した行為に他ならなかった。
ファントムペインにとっては、あまり異常な行為とも言えなかったが。
ネオの指摘に、ゲンはバイザーを取り……ゆっくりと重い口を開き始める。

460 :33/38:2006/08/08(火) 23:40:08 ID:???
「気分が晴れることなんて、ないさ」

ゲンは悪びれず応えた。彼の心にずっと引っかかっていたもの。それは過去の記憶――

「かつての同胞が、あんまりウジウジしているから、気合を入れようと思っただけさ」
「……かつての同胞? 誰のことだ?」
「キラだよ。俺の故郷は、オーブなんだろう?」
「――!?」

ネオは司令室の椅子を、飛び上がらんばかりに立ち上がった。
仮面がなければ、彼の素顔は己が思いを雄弁に物語っていただろう。ネオは、それほど驚愕していた。
――消された筈の記憶が、戻っているのか!?
そう問いたいのを必死に堪え、努めて冷静になろうとする。
――いや、オーブに昔の知り合いでもいたのかもしれない。あるいは、ほかの誰かか? 例えば――

「……誰から、その話を聞いたんだ? エクステンデッドの研究員からか?」
「誰に聞いたわけでもない。思い出したのさ。あの、インパルスとの戦いのときに」

マユ・アスカの駆るインパルス、そのエクスカリバーの斬撃に切り裂かれたとき――
走馬灯のように、過去の記憶は戻ってきた。断片的な記憶の欠片だけだが。

「俺がソキウスになるときの話さ。誰かを殺した。その人の名も、思い出せないが……
 そして、盟主に問われたのさ。故郷の人間を……オーブの人間を殺せるか、ってな」
「………」
「俺は自分の命可愛さに、友をと呼べる人を撃った。その記憶だ」
「そう……か」
「俺は自分が誰なのか分からない。それが苛立つんだ。それと、もう一つ――」

蘇る記憶。努めて冷静に振舞うネオは、内心焦っていた。
ジブリールはシン・アスカの忠誠を疑い、記憶に蓋をした。そして、ゲン・アクサニスが生まれた。
つまり記憶が戻るということは、即ち謀反の虞が生まれるということに他ならない。
――ゲンの記憶を、再び消さなければならない。
予め命じられていたことでもあり、今後の作戦を円滑に進める上で不安要素は取り除かねばならない。
ネオはそう考えながら、ゲンの言葉を待った。

そして、ゲンはもう一つの苛立ちの理由を明かす。

461 :34/38:2006/08/08(火) 23:40:57 ID:???
「ユーリ・アマルフィを覚えているか? アーモリー・ワンで俺が暗殺した科学者だ。
 あいつの娘が……あの白いMS――インパルスのパイロットをやっている」
「――!? 確かなのか!?」
「そう、自分で言っていたのさ。そして、俺は――」

一瞬、言い澱むゲン。話すか話すまいか、ここ数日迷い続けていたこと。
ただ、今話さねば、この不快感はこの先もずっと消えそうになかった。
自分が何者であるか――断片的に戻った記憶は、ゲンにとっては心のしこりとなっていたのだ。
暫くの間を置いた後、改めてゲンは語り出す。

「以前、俺は……あの娘と会ったことがある」
「……アマルフィの娘なら、アーモリー・ワンで会ったんだろう。
 大方潜入のときに見ていた顔を覚えていて――」
「――違うッ!」

上官の声を遮るようにして、ゲンは叫んだ。叫ぶ理由などない。だが、彼は叫んだ。
断片的に戻った記憶の中、不思議と最も印象に残っていたのが、あの少女の顔だから。

「敵の顔を、見たんだ。あいつがコア・ブロックシステムで切離した戦闘機で、脱出するとき。
 あの娘の顔は、暗礁空域で緋色のMSにやられかけたとき、閃光のように過ぎった。
 彼女の顔は、俺の脳裏に焼きついて離れない……可笑しいだろ? 何でこんなことがあるんだ?」
 
そう。仮にゲンがオーブ出身ならば、プラントに住む娘の顔を覚えている理由がない。
それが何よりも不快であった。オーブ出身というだけなら、特に問題はなかった。
隣に停泊するタケミカヅチの者達へ、若干の親近感が沸くのみ。
それはキラに対しても言えたし、ミリアリアに対しても言えた。
だからこそ、キラには彼なりの諫言を述べ、ミリアリアの写真についても許容する度量を与えていた。
しかし、あの少女の面影――そのデジャヴに掻き乱されたゲンの心が、激しく揺れ動いていた。

「……ネオ、教えてくれ。俺は……一体、何処の誰なんだ?」
「それは――」

言えない。ネオには、言えるはずがなかった。シン・アスカという、嘗ての名と経歴を。
知れば、この少年は手元から離れていくかもしれない。
それに、ジブリールがそのようなことを赦す筈もなかった。
応えに詰まるネオ。だが、次のゲンの言葉は――ネオを更に瞠目させた。

462 :35/38:2006/08/08(火) 23:41:56 ID:???
「なぁ、俺がオーブにいたとき、何があったんだ?
 そうだ……! 俺にもブロック・ワードがあるんだろう?
 心理的トラウマを利用するってヤツ……それと何か、関係があるじゃないのか?」
「――!?」

――仮面を付けていて、本当に良かった。
ネオは、心の中で心底そう思っていた。ゲンの勘の良さに、仮面の下では……
恐らくは、驚愕に眼を見開いているに違いなかった。感覚として、はっきりと自覚できる程に。

「教えてくれ、ネオ! ブロック・ワードでもいい! それで、何か……分かる気がするんだ!」
「………」

――言えば、お前が苦しむんだぞ? 全く……何も知らないで。
そこまで考えて、ネオは思いなおした。知らないからこそ、不快なのだ。
自分が何者であるかを、自分の過去に何があったのかを。気にするなという方が無理だ。
ネオは思う。記憶が戻っているということは、確かなようだ。それを気に病んでいるのも。
至急手を打たねばならない。記憶の抹消、ないし書き換え。
コーディネーターであり、ソキウスであるゲンには特別の処方が必要だ。ラボでなければ為し得まい。

「ブロック・ワードを教えるなんて、出来るわけがないだろう。
 お前の過去の経歴を知らせるかどうかは、上に測る必要がある。そう、ジブリール卿に……」
「そう……かよ」

測るのは、是非ではない。報告した上で、記憶の抹消を乞うのだ。
迷いのある状態で、ゲンを戦場に送り出すのは得策ではない。
誰よりも強く、誰よりも残酷で、そして誰よりも忠実であれ――
それらが、ジブリールがゲンに対して求めること。
ネオの言葉を予想していなかったわけではないだろうが、ゲンの声は明らかに失望していた。

「今日はもういいだろう。部屋に戻って休め」
「………」

無言で佇むゲン。まだ何かあるのだろうか。それとも、まさか――
一瞬、ネオは謀反の虞を抱く。
そして、ゲンの挙動――銃に手を伸ばすか否かを見極めようとする。
もう一つの備え、ゲンのブロック・ワードを脳裏で反芻しながら。

463 :36/38:2006/08/08(火) 23:42:45 ID:???
しかし、次の瞬間それは杞憂であると悟る。
銃を構えるどころか、ゲンの脚はフラフラと辺りを彷徨い、さながら千鳥足……すぐに、ネオは感づく。

――そういえば、こいつはさっきまで酒場で大量の酒をあおって……
最低の、そして最悪の事態がネオの脳裏を過ぎる。
目の前の少年は、青白い顔面。俯き加減で、部屋の外へ出ようとしている。
元来、酒を飲んだ経験がそうあるとは思えない。
アルコールに耐性のない体で、大量の酒――それも蒸留酒を呷ったとすれば……
――そうだ、間違いない。ゲンは、アレをやらかそうとしているのだ。
思考が纏まると同時に、ネオは叫んだ。

「やめろォ!!! ここは俺の部屋だぞ! 反吐をぶちまけるなぁあああ!!!!」
「限、界……わる……ぃ……ぉぇっ」

息も絶え絶えのゲンは、謝罪の言葉を述べた後……短く呻いた。

数分後、部屋にはネオが一人残っていた。
部屋の床に散乱しているのは、形容しがたい異臭を放つ液体……固形物も混じっているか。
部隊の指令官の部屋に反吐を撒き散らす兵など、連合広しといえどもいる筈がない。
いや、いてはならないのだが。そして、その第一号となったのは、先ほどまで部屋にいた少年兵。
それをせっせと掃除する男が一人。この部隊の指揮官にして、仮面を付けた異形の男。

「あの……糞馬鹿ッ! 馬鹿間抜けッ!!」

ネオは、反吐をぶちまけた部下を呪いながら、必死の雑巾掛け。ご丁寧にバケツも用意してある。
張本人は、部屋に返した。どうやら、キラとの勝負も、ずっとやせ我慢していた様子だ。
ゲンも、あまり酒に強くはないらしい。

「危うく、怒りに任せてブロック・ワードを言っちまうところだった!! クソッ!!」

言いかけて、自分がやっていることを冷静に振り返る。少年少女の記憶を操作し、戦場に送り出す。
彼らに文句を言える筋合いの者ではないのだ。ネオはそこのことを振り返り、怒りを納める。
そして、ゲン・アクサニス――かつてシン・アスカと呼ばれた少年の禁句を呟く。

「お前さんがこれを知ったら、どんな顔をするかねぇ。多分、さっきの嘔吐以上に苦しむだろうが。
 ゲン、お前のブロック・ワードは……『マユ・アスカ』、お前の……実の妹の名だよ」

464 :37/38:2006/08/08(火) 23:43:34 ID:???
ザフト軍所属ミネルバMSデッキ。時刻は深夜――
スエズ方面軍の基地に寄港したミネルバは、連合軍と戦った傷を癒すのに日々を費やしていた。
幸い、MSの損傷はバビ2機のみ。奇麗に切られていた両腕と武装は、すぐに修復された。
メインの補修は艦本体と、主砲タンホイザー。そのため、今MSデッキに人影はない。

いや……一人だけいた。

深夜にも関わらず、軍服を身に纏った青年が一人。赤い衣に身を包んだ彼は、辺りを見渡している。
彼は、先ほど上官から突然の呼び出しを受けたのだ。深夜にも関わらず、至急来いと。
それも、ミーティングルームでもなければ、上官の私室でもない。
不思議に思いながらも、青年は呼び出された場所に来て、相手の姿を探した。
細面で色白の青年は、キョロキョロと周囲を見渡す。

「ハイネ隊長……こんな夜中に、一体何を?」

彼――アスラン・ザラは上司の姿を見つけようと、薄暗いMSデッキを見渡す。
グフ、ザク、バビ――そして、彼自身の愛機セイバー。巨大なMSの脚元を、彼は歩く。
ちょうど、緋色のグフの前に来たとき――得意な髪型の上司らしき人影を、確認する事が出来た。

「隊長……ですか?」
「遅かったな? 来ないかと思ったぞ」

節電のため、明かりの大半が落とされているMSデッキ。
その中で、上司の金髪の髪は、調度良い目印となっていた。しかし、上司の雰囲気がいつもと違う。
普段は陽気なハイネ・ヴェステンフルスは、どういうわけか声のトーンが低い。夜だからであろうか。
その事に引っかかりを覚えながら、アスランは応える。彼は普段どおりの、真面目な応対。

「呼び出された以上、必ず来ます」
「……仕事熱心だな」
「で、何でしょうか?」
「……ああ、二つ三つ聞いておきたいことがあるんだ」

――聞いておきたいこと? 何だ?
アスランは疑問に思う。確かに、バビの補修やら、基地司令への挨拶やらで忙しく働いていた。
しかし、昼間は何度か会ったし、聞いておきたいことがあればその時に聞けた筈だ。
ならば、急を要する事態でもあったのだろうか。曰く形容しがたい疑問が、アスランを襲う。

465 :38/38:2006/08/08(火) 23:44:32 ID:???
「一つ目の質問だ。お前、ダーダネルスでオーブのヤツと話していたな? アレは何だ?」
「――!!」

ストレートな質問に、アスランは驚きを隠せない。とはいえ、一応は覚悟していた。
ダーダネルスの戦いで、途中オーブ軍のパイロット、キラ・ヤマトと接触を持ったことを。
明らかに常軌を逸した行為であり、見咎められるのは必定。
予てから尋問を受けることは覚悟していた。だが、尋問ではなく個人的に問われるとは……
戸惑いながらも、アスランは応える。

「……自分の、昔の知り合いが……いました。あの、マーズとヘルベルトを倒したパイロットです」
「そうか。じゃ、二つ目の質問だ。そいつは……キラ・ヤマト。フリーダムのパイロットだった男だな?」
「――!?」

キラの名、そしてフリーダムの名が同時に出てきたことで、アスランの思考は飛んだ。
――何故、知っている!? よりによって、キラ……そして、フリーダムのことまで!?
ハイネの言葉に対する疑問は、アスランの思考を完全に停止させた。

「知っているさ。フリーダムのパイロット、キラ・ヤマト。そして彼は、ストライクのパイロットでもあった。
 一度は刃を交えながら、その後軍を抜けたお前は……最後は彼と共に戦った。
 あの第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦を。俺の言った話、何か間違っているか?」
「……! 隊長、それは!!」
「情報部が調べたことだが……間違いないな?」

情報部が調べた――つまり、アスランやキラのことは、全て知られていたのだ。
おそらく、あのダーダネルスの戦いでも、ハイネはセイバーから通信で声を拾っていたに違いない。

「間違い……ありません。でも……でも、俺は! あの時、アイツを説得しようと――!!」
「――弁明はいい。アスラン・ザラ、最高評議会議長ギルバート・デュランダルからの勅命だ」

徐に……ハイネはアスランに手をかざした。彼の手に握られているのは、黒い塊。
キラとは異なり、生粋の軍人であるアスランには、その正体は直ぐに分かった。
そして、次にハイネが何をしようとしているのかも。やがて、それは上官の次の言葉で証明される。
銃口をアスランに向け、引き金に手を掛けた上官は告げた。これから行なわれることを――

「アスラン・ザラ、お前を……我がハイネ隊の……
 いや、ミネルバの、ザフトの最大脅威として――排除する。悪く思うな……」

ハイネの右手に握られた拳銃は、ミネルバのMSデッキの証明に鈍く照らされ……
その照準は――銃口の先の青年、彼の眉間のあたりを、正確に捉えていた。