375 :1/20:2006/09/19(火) 21:58:58 ID:???
エジプト・アラブ共和国領アレクサンドリア――
アフリカ大陸北部、地中海に面したこの地には、今異国の軍隊が駐留していた。
遥か彼方の宇宙に国家を形成したプラントの軍、ザフト。
軍港と化したアレクサンドリアに、見慣れぬ一隻の軍艦があった。
威容を誇るその艦は、ザフト軍最新鋭戦艦ミネルバ――
そのミネルバを眺める男女が二人いた。白服の女性と作業着姿の壮年の男……

「……船体の補修作業は明日中に終わります。CIWSも、七割は稼働出来ます。ですが……」
「見れば分かるわ。タンホイザーの修復は……ここでは無理なのね?」
「はい。如何せん、ここは小規模な駐留軍の施設です。ミネルバが納まるドッグもありません。
 実を申しますと、艦底の修理も……応急処置しか施せておりません」
「全てはジブラルタルに着いてからね。分かったわ、出来る範囲での修理を頼みます」

白服の女性――タリア・グラディスの言葉に、壮年の男――整備班長マッド・エイブスは敬礼を返す。
ダーダネルスの戦いから、すでに三日が過ぎていた。近隣のザフト軍基地に寄港したミネルバ。
しかし、連合が長らく拠点を置いているクレタ基地などとは違い、アレキサンドリアは急造の軍港。
スエズ攻略戦を前に集められた部隊が、急ごしらえで作ったものに過ぎない。
故に、ミネルバの完全な修理はここでは出来ず。船首の主砲、タンホイザーも無残な姿を晒していた。
大破したままのタンホイザーにもう一度視線をやり、タリアはエイブスに向き直る。

「陽電子砲整備クルーに……犠牲者が出ていたわね。整備班に、2名」
「ジェーン・オースティンとジョー・ライトです、艦長」
「そう、その2人。今夕、彼らを含めた犠牲者全員の仮葬を行なうわ。遺品の整理は?」
「すでに出来ております。葬儀には整備班からも、私と2人と親しかった者が出席します」
「頼むわ。ジェーンは19歳、ジョーは17歳……だったわね?」
「はい。2人とも、優秀なメカニックでした」

大破したタンホイザー。その原因となったのは、ストライクMk-U。
ミラージュコロイドで姿を隠した彼の機体。それに気づかなかったばかりに、犠牲は出た。
整備班からも2名が戦死。タリアは唇を噛み締め、エイブスも瞑目し、心の中で2人の冥福を祈った。
束の間、死者への祈りを捧げた後――タリアは呟いた。

「彼らの命は……連合の奴等の死で償わせてもらうわ」
「――! ハッ! 修理を、急ぎます」

タリアの言葉にエイブスは一瞬瞠目する。女性指揮官の言葉には、復讐心に近い激情が迸っていた。

376 :2/20:2006/09/19(火) 21:59:51 ID:???
タリアとエイブス、2人が見上げるミネルバのブリッジでは……
本来タリアが座るはずのキャプテンシートには、金髪の青年がどっかと腰を下ろしていた。
モニターに広がるのは、友軍の白服男の映像――

「水中用MSでアビスと張り合えるMSはいないのか?」
『ハイネ……アビスは正真正銘、我が軍の技術の粋を集めて作られた機体だ。
 グーンもアッシュも、とてもアレと張り合えるとは思えん』
「なら水中戦のスペシャリストを遣してくれ。
 これまでの戦い、アビスに好き勝手やられているんだ。張り合えそうな者を見繕ってくれ、頼む!」
『……無理を言わないでくれ、ハイネ』

ハイネとやり取りする壮年の白服の男――彼は、ジブラルタル基地の指揮官クラス。
主に、水中戦を担当する作戦指揮官で、ボズゴロフ級潜水母艦を数隻も束ねている男であった。
先の戦いでは防御の手薄な水中から、幾度もアビスの放火を浴びたミネルバ。
それ故、ハイネはアビスへの対抗手段として、ジブラルタル基地からの増援を請うていたのだ。
しかし、友軍指揮官の顔色は冴えず。表情からも、否定的な回答が伺えた。

『送れるものなら、送ってやりたい。だが……
 今回の戦いで、議長はプラントの自衛権の積極的行使に拘っておられる』
「下手に戦力を増強すれば、プラントが地球侵略の意思をもっていると思われかねない……か?」
『そう、中立国や親プラント国を刺激するのは避けたい。
 ユニウスセブンの件で、それらの国々の心証も悪化しているのは否めん。
 必要以上に戦力を地上に下ろすことで、関係が微妙な国と拗れたくないのだ』

自衛権の積極的行使――
ユニウスセブンの落下事件で、大西洋連邦を始めとした連合各国から宣戦布告を受けたプラント。
本来ならば、敵である地球連合の出鼻を挫くべく、大規模な派兵を検討しても良さそうなものであった。
しかし、そんなことをすれば、プラントに地球侵略の意思ありと受け取られかねない。
ただでさえ、ユニウスセブン落下事件で、地球の者達に害を為してしまったプラント。
図らずの出来事とはいえ、対応は慎重を要した。故に、必要最小限の派兵しか適わず。

『ジブラルタル基地もフランスに派兵した関係で、余剰戦力と呼べるモノはない。
 フランスへの派兵は、彼の国の独立運動を助けるという大義名分があったが……
 本国から、基地に対し直接の増援はない。ミネルバへの増援も、これ以上は見込めん。すまん』

うな垂れるハイネ。今更ながら水中最強のMSを敵に強奪されたことに、臍をかまざるを得なかった。

377 :3/20:2006/09/19(火) 22:00:43 ID:???
『そういえば……妙な報告があった』

唐突に、ハイネと相対していた指揮官は声を挙げた。何事かとハイネも顔を上げる。

『いや、ミネルバへ送る補充物資の話だ。
 その中に、あくまでもテスト用ではあるが……水中戦が出来る装備があったのだよ』
「装備? 水中戦用のMSじゃなくて、装備なのか? ザク用のウィザードか?」
『報告を受けたときは、私も最初はそれかと思ったのだが……ザクではない』
「……? なら、グフ用か? グフの水中用ウィザードなんて、聞いたことないぞ?」
『それが、グフでもない。ホラ、君のところで、テスト機を運用していただろう?』
「……! まさか――!?」

ハイネは声が上擦る。まさか――頭の片隅に置いていた可能性の一つは、現実のものとなる。

数分後、ハイネはブリーフィングルームに向かっていた。
数日後に、ジブラルタルからアレクサンドリアに届けられる補充物資。
その中に、ハイネが望んだものがあった。だが……

「俺は、またあの娘の手を借りなきゃならんのか……」

苦々しげに呟く。意中の人物が憎いのではない。むしろ、その逆――
本来ならば、隊長である己が危険なことを請け負わねばならない立場にある。
しかし、現実はそれを赦さなかった。ブリーフィングルームで待つ部下達。その中の一人に……
またしても、危険な任務を与えざるを得ない。その事実を、彼は苦々しく思っていたのだ。
ブリーフィングルームに入って早々、マユ・アスカに、ハイネは声を掛ける。

「テスト……ですか?」
「そうだ。インパルスの水中戦用のシルエットが、明朝アレクサンドリア基地に届けられる。
 着き次第、整備班の連中と一緒に、水に潜ってくれ。実戦で使えるかどうか、テストして欲しいんだ」
「……分かりました。頑張ります」

居並ぶ部下たちの中、とりわけ歳若い少女――マユは、敬礼を解きながら、ハイネの言葉を聞いた。
少女は、3日前の激戦を経て疲労の色はまだ隠せない。
それでも、戦闘ではなく機体のテストであるという上官の言葉に、嫌な顔一つせず返事をする。
その光景にハイネは胸を痛めた。テストの結果が良好であれば、即実戦投入せざるを得ない。
どうしても、自分の言葉が彼女を騙しているように感じられ、ハイネは沈痛な面持になっていった。

378 :4/20:2006/09/19(火) 22:02:37 ID:???
かくして、本格的なブリーフィングは始まった。とはいうものの、現状は待機命令のみ。
各自機体の調整に余念なきよう、型どおりの指示が下されただけであった。
ファントムペインとオーブ軍を相手にしながら、ミネルバMS隊の損傷は軽微。
インパルスは二組のチェストとレッグを失ったものの、コアスプレンダーは健在。
予備のチェストとレッグが一組ずつしかないのが痛いが、直ぐに戦線に戻れる状態。
グフはいずれも軽傷。バビは二機とも中破していたが、整備班の修理で明日には修復完了。
残るセイバーはほとんど無傷……

そのセイバーに思いを巡らせたハイネは、ある事実を思い出す。
セイバーのパイロット、アスラン・ザラ。
彼はダーダネルスの戦いで、敵と接触を試みていた。その真意は定かではないが……
予てより、最高評議会議長より下されていた密命があった。
目の前の青年、アスラン・ザラに対する処置を、ハイネは一任されたのだ。
知らず知らずのうちに、ハイネはアスランに視線を向ける。
何を考えているのか、相手は俯き加減。オーブと戦うことになってから、ずっとこの調子だったか。
いや、前よりも一層酷い。この世の終わりを見たかのような、虚な瞳。ふと、アスランは顔を上げる。

「隊長? どうかしましたか?」
「――!? い、いや、何でもない」

それでも上官の視線には気づいたのか。アスランから突如声を掛けられ、ハイネは瞠目する。
ハイネは考えていたのだ。議長から課された密命を、果たすか否か。
裏切りの兆候があれば、部下であるアスランを消さねばならない。それがハイネの隠された任務。
真意は兎も角、戦闘中敵と通じていた事実は事実。しかも、相手は嘗てのフリーダムのパイロット。

「ショーン! ゲイル! ちょっと来てくれ」

気は進まない。が、裏切りの可能性が僅かに芽生えたこともまた事実。密命は実行に移される。
彼は部屋を後にする直前に2人の古参部下を呼び、部屋を出たところで2人に何事か耳打ちした。
傍には見る者もなく、話の内容は伺い知ることは出来ない。しかし、部下達の顔色はサッと青ざめた。

「アスランを!? 何考えてるんですか、隊長!?」
「……どういうことです? まさか、隊長はアイツを…・・・」

顔色を失った2人の部下に、ハイネは再度耳打ちして何事かを話す。
ショーン・ポールとゲイル・ラッセルの2人の表情には、明らかに陰りが見えた。
ギルバート・デュランダルから課されたアスラン暗殺命令。そして、それは実行に移される――

379 :5/20:2006/09/19(火) 22:03:29 ID:???
深夜のミネルバ――
アスランは、ハイネに突然呼び出された。MS格納庫に来るようにと。そして、若干の問答。
やがて突きつけられたのは、敵――キラ・ヤマトと通じていたという疑惑と、黒光りする銃身の先。
最後には、ハイネから残酷なまでの通告がなされた。

「アスラン・ザラ、お前を……我がハイネ隊の……
 いや、ミネルバの、ザフトの最大脅威として――排除する。悪く思うな……」

アスランの背を、冷たいものが伝う。
何故自分が銃を突きつけられるのか、何故自分が疑われているのか――
疑問がアスランの脳裏を駆け巡り、思考はままならず。思いは口をついて出てくる。

「隊長! 何故!? どうしてこんなことをするんですか!?」
「……お前なら、もう分かっているだろう? 最初から、お前は試されていたのさ」

疑われていたのだ。復隊した直後から。いや、二年前からと言ったほうが良いだろう。
かつてプラントに刃を向けた者を、無条件で赦すほどプラントもザフトも、甘い組織ではなかったのだ。
だが、ハイネが独断でやっているとは思えなかった。
ハイネよりもっと上の、上層部の意向があってのことに違いない。アスランはそれを悟る。

「俺を……監視してたんですね? 上層部の意向ですか? まさか――」
「――お前なら、分かる筈だ。最初にお前をザフトに復隊させようとしたのは、誰だ?」

上層部の意向――それが最高評議会議長直々の下命であることを、ハイネは暗に告げる。
アスラン・ザラをザフトレッドに戻し、最新鋭MSセイバーを与え、最前線を戦うミネルバに復隊させた。
それらの指示は、全てプラントの最高権力者ギルバート・デュランダルから下されたものに他ならない。
そして、アスランが不穏な動きを見せた場合の保険――彼の抹殺を指示したのも。

「デュランダル議長……! そんな……議長は、俺を――!」
「――もう、問答はいいだろう。抜けよ、アスラン。
 お前をブタのように殺したくはない。生きるための、最後のチャンスを……やろう」

ハイネはそう言って、自らが構えていた銃を下ろした。"お前も銃を抜け"という指示と共に。
抜くのは勿論、アスランの持つ銃のこと。軍人であれば、護身用に常日頃から銃を携行している。
アスランの腰のホルスターにも、ハイネの持つ銃と同じものがあった。
生きるための最後のチャンス――それは、互いに対等の条件で、殺しあうこと。

380 :6/20:2006/09/19(火) 22:06:00 ID:???
「開始の合図はお前がやれ。抜き撃ちの速度が、勝敗の鍵だ」

ハイネはアスランに最後のチャンスを与えた。生き残りたければ、自分を殺せと。
戸惑うアスランを余所に、ハイネは自らの拳銃を腰のホルスターに納める。
準備は整った。後は、アスランが合図をするのを待つだけ……
とはいえ、この勝負に勝ったとしても、アスランにとっては明日なき道が待つのみ。
仮に勝ったとしても、脱走する以外の選択肢はない。愚図愚図と残っていれば、殺されるだけなのだ。
幸いにここはMS格納庫、脱走には好都合な場所。何しろ、直ぐ側にアスランの愛機があるのだから。
彼の背後には、セイバーの脚部が見える。
アスランの生きる道は唯一つ――ハイネを殺し、セイバーを奪い逃げるのみ。だが……

「俺には……俺には、隊長を殺すなんて出来ません!」
「なら、お前が死ぬだけだ。俺はお前を殺す。反逆の疑いで。
 手元には、お前とキラ・ヤマトとの通信ログもある。証拠は、出揃っている」
「俺は、軍に……プラントに逆らうのが目的で、アイツと通信を繋いだわけじゃない!
 かつての戦友と戦いたくなかっただけです! キラを……説得しようとしたんです!」
「フリーダムが、ザフトにどれだけの損害を与えたかは知っているだろう。
 そのパイロットと通じた。弁解の余地などない。内通を疑われるだけの根拠は……十二分にある」

抗弁するアスランに、ハイネは一切耳を貸さない。最早、アスランに残された道は一つだけ。
それでも、アスランは最後の手段を選べずにいた。

「信じてもらえないのなら、俺を……俺を、殺してください」
「――!?」

アスランは銃を手に取る素振りも見せず、両の手を頭の後ろで組んでみせる。
そしてゆっくりと瞳を閉じ……最後の刻を待った。恰も、銃殺刑に処される軍人のように。

「俺がザフトに戻ったのは、プラントを護る――ただ、そのためだけです。その心に偽りはない。
 疑われるのも、仕方ないのでしょうが……なら、せめて隊長が、俺の死に水を取ってください」
「それで……いいのか?」

無言で頷くアスラン。戦うことも、生きることも放棄し――彼は死を受け入れた。
同時に、閉じた瞳から雫が零れ落ちる。あまりに潔すぎる態度に、ハイネは呆気にとられた。
が、彼は目の前の光景に瞠目しながらも、腰から銃を再び抜き取る。撃鉄はすでに起されたまま――
やがて、格納庫に乾いた破裂音が木霊した。

381 :7/20:2006/09/19(火) 22:07:21 ID:???
「……!?」

アスランは、己が死を覚悟していた。そして、銃声が鳴り響いて、自分は撃たれた筈……だった。
しかし、襲ってくる筈の痛みはない。死ぬときは痛みを感じないのか――?
そんなことさえ考える。だが、思考があるということは、今も生きていることに他ならない。
事態の推移を伺うべく、アスランは閉じていた目をゆっくりと開く。
目の前には、銃を構えたままのハイネ。銃口は、アスランに向けられたまま。だが……
硝煙の臭いは、ない。

「た、隊長!? 撃たなかったんですか……?」
「処刑は……なしだ」
「……は?」
「人手不足で困っているんだよ。セイバーのパイロットがいなくなったら、俺の隊はどうなる?」
「あ、あの……仰っている言葉の、意味がよく分かりませんが」

事態の推移は、アスランにとっては相変わらず不透明なまま。
発砲はされたが、硝煙の臭いはない……つまり、空砲だったのだ。
初めから、ハイネはアスランを殺す気はなかった。総合すると、この結論に辿り着く。
が、殺すか殺されるかの選択を迫られた者にとっては、驚きを隠せる筈がなかった。

「え……!? じゃあ、今までのやり取りは何だったんですか!?」
「本当に反逆の意思があるのかどうか、試したんだよ。まだ分からないのか?」
「わ……ッ! 分かるわけ、ないでしょう!?」

先ほどまで目に涙を浮かべていた青年は、今度は怒り出す。
殺すか殺されるかの選択が、自分を試すための手段だったと言われれば、憤るのも無理はない。

「俺が……涙まで浮かべて、死を受け入れた覚悟は……何だったんですか!?」
「知るか。勝手に泣いたのは、お前だろう」
「あ……! あんまりだ! 冗談にしても、酷すぎるッ!!」
「……冗談のつもりは、なかったんだがな?」

ハイネの顔は、終始笑ってはいなかった。一連のやり取りで、アスランを試しただけではない。

「また内通を疑われるようなことをすれば……今度こそ、俺はお前を殺さなきゃならない。
 今日はお前を試すのと同時に……お前にも覚悟を決めておいて欲しかったんだ」

382 :8/20:2006/09/19(火) 22:08:20 ID:???
ハイネは語る。いまだ、アスラン・ザラに対する疑念は、デュランダルでさえ抱いている。
常にザフトから監視される身のアスラン。迂闊な行動は死に直結する。その事実を伝えたかったのだ。
キラ・ヤマトに対しても、戦場で彼と出会えば戦うほか道はない。それがアスランの立ち位置――

「分かるだろう? お前には後がないんだ。次は……ないぞ?
 お前は俺に死に水を取れと言ったが……裏切り者の死に水など、俺は取らんからな」

最後に念を押し、ハイネはその場を去る。ハイネはアスランを信じて、この場を収めたのだ。
本来なら殺されても不思議ではない事態――アスランは、生きながらえた安堵を覚えながらも……
その事実に、再び慄然とする。
キラと今度戦場で出会えば、戦わなければならない。そうしなければ、アスランが殺されるのだ。
説得など、最早不可能な事態……

「俺は……俺はどうすればいいんだ? キラ……ッ!!」

ここからそう遠くはない場所にいる旧友の名を叫ぶが、応える者はない。
アスランから遠ざかり、すでに声も聴こえぬ場所に移動したハイネ。
彼の耳元に、通信が入る。片耳に付けておいたイヤホンを通じて、部下の声が響く。

『隊長、本当に……これでいいんですか?』
「ああ。今のところ、反逆の意図はなさそうだ」
『今のところ……ですか。こっちは、引き金に指が掛かりっぱなしですよ。心臓に悪い』
「悪かったよ。二人とも、今夜はご苦労だったな」

ハイネが声を掛けるや、アスランの上方……MS整備ブロックの上層階から、人影が二つ蠢いた。
ショーンとゲイル、2人の部下の手には、それぞれ狙撃銃が握られていた。
もし――もし、アスランがハイネに銃を向けるようなことがあれば、2人の狙撃兵は行動に出ただろう。
アスランは今頃、上司の温情に感謝もしているだろうが……保険は、掛けられていたのだ。
心底信用されたために、処分を免れたわけではなかった。

「だがよ……命令とはいえ、身内を疑うってのは気分が悪い。反吐が出そうだぜ……」

ハイネの呟きは、誰に聞かれる事もなくアレクサンドリアの風に流された。
ミネルバの艦内はこの事件を知ることもなく、この夜の出来事の全ては闇に葬られた。
ただ、一人タリア・グラディス艦長を除いて――

383 :9/20:2006/09/19(火) 22:09:17 ID:???
ハイネと同じくフェイスであり、ミネルバを預かる指揮官。
その人物に、今夜の顛末を報告しないわけにはいかなかった。

「独断専行がすぎるわね、ハイネ隊長」
「分かっていますが……アイツに、チャンスをやりたかったんです。
 艦長としても、彼を殺すのは本意ではない筈だ」

深夜の艦長室――他者に気取られぬ場所で、ハイネは今夜の顛末の全てをタリアに話した。
呆れ顔で、タリアは窘める外なかった。
万が一にも、アスランがハイネに銃を向けていたら、今頃どうなっていだだろうか。

「格納庫での問答、人目につかなかったでしょうね?」
「整備班の連中には、皆して酒場に行かせました。俺のおごりで、労をねぎらう目的も兼ねてですが」
「そう……なら、いいけど。それにしても、格納庫でアスランを試すとは、よくやるわね」
「アイツが本気になれば、抜き撃ちで俺を殺すことなど造作もないでしょう。
 セイバーが直ぐ近くにあり、いつでも脱走可能な状況で試すことに意義があったんです」
「本心を知るため……ね? でも、これで疑いが晴れたわけではないわよ?」
「分かっています。ですが、今回の件は、これで不問にしてやってください。お願いしますッ!」

ハイネは頭を深々と下げる。タリアとは地位的には同じだが、それを曲げて謙った。
反逆の疑いがある者を、敢えて庇っているのだ。頭を下げぬわけにはいかなかった。
ここまでされては、流石のタリアも受け入れぬわけにはいかない。
最後に、次はないわよ、と念を押すに留めた。

ハイネが去った後のミネルバ艦長室。
タリアは、今度は机に向かっていた。ハイネのおかげで、アスランの件は片付いた。
とはいえ、他にもやらねばならないことが山ほどあるのだ。
艦の修復は目処が付いたものの、対連合・オーブ相手にこの先も戦わねばならないのだ。
彼らは常にミネルバの先を読み、布陣を張ってくる。
ミネルバとしても作戦を立てぬわけには行かなかった。そんな中……
ふと、ハイネが置いていった報告書に眼がとまる。インパルスの試作シルエットの件――

「まさか、こんなものがあるとはね。あらゆる戦局に対応できる、万能型のインパルス……か」

使えるにしろ使えないにしろ……また、マユ・アスカに負担をかけることになる。
その事実もまた、ミネルバの指揮官の疲労を募らせた。

384 :10/20:2006/09/19(火) 22:10:46 ID:???
同じ頃、ミネルバの居住ブロック――
アスランは自室に戻っていた。消灯された部屋で、ベッドに体を横たえてはいるが……
上官から突きつけられた現実に、頭は冴えており眠気など覚えられない。

「アスラン、眠れないのですか?」

突如、声を掛けられアスランはギョッとする。一般兵は大抵2人で一部屋を使うのが通常。
レッドではあるが一兵卒であるアスランにも、当然同室者はいた。
それが声の主――レイ・ザ・バレルである。

「オーブとの戦い以降、眠りが浅い様子。夜中に何度も寝返りをうっていますよ」
「……すまない。煩くて眠れなかったか?」
「それ程ではありません。ですが、割り切るべきは割り切らないと。貴方はエースなのですから」

後輩のレッドは先輩のレッドを諭す。レイに他意はないのだろうが、その言葉すら胸に突き刺さる。
エースなのだから、エースらしく敵を撃ち果たせ――アスランにはそう聴こえてしまった。
以降、彼は返事をすることもなく沈黙する。
そう、戦わねばならない。オーブとも、キラとも。そうしなければ、アスランが殺される。
軍を脱走したとて、行くあてなど何処にもない。正に四面楚歌……

ふと、キラの言葉を思い出す。ダーダネルスでの戦いで、束の間の連絡を取ったときのことを。
キラは言っていた。自分が戦場に出てきた理由……それは、ラクス・クラインがザフトに狙われたから。
護ったのは連合の部隊。ラクスは、その事件を機にブルーコスモス盟主に攫われた。
そして、ラクスの安全と返還を条件に、キラは戦場に戻ることを求められた。
短い間で得られた情報は、これらに集約された。アスランはこれらの情報を反芻し、思いをめぐらす。

(議長は俺を信用したわけではなかった。ラクスも狙われた。そういうこと、か……)

祖国を裏切った人間を、易々と赦す為政者などいる筈もない。
八方塞のアスランだが、ラクスも同じ。今は嘗ての婚約者の身を慮る他なかった。
と、同時に一つの疑問が浮かぶ。すなわち、何故ラクスが攫われたのかという疑問だ。
殺せば良いのだ。ラクスが手に余る人物であれば。事実、プラントはそうした。
しかし、連合のブルーコスモス盟主はそうしなかった。とすれば、そこには何らかの意図があるはず。
ブルーコスモス盟主の意図、デュランダルの思惑、そして自らが為すべきこと――
見つかる筈のない答えを捜しながら、アスランは自分を導いてくれた少女の名を呼ぶ。

「ラクス……俺はどうすれば良い? この先……どう動けば良いんだ?」

385 :11/20:2006/09/19(火) 22:11:58 ID:???
ハイネとアスランのやり取りがあった翌日、大西洋連邦イギリス領イングランド――
現地時刻の早朝、ジブリール邸のラクス・クラインは館の主から呼び出しを受けていた。
部屋の子機からコールが鳴り響き、通じるや「朝食をご一緒に」という誘いを。
ラクスを誘拐したジブリール。だが、彼は彼女のプライバシーを尊重していた。
四六時中見張りをつけるわけでもなく、何かを聞き出そうと尋問するでもなく……
来客というフレーズがぴったり来るほど、丁重な持成しを受けていた。
そんな彼が呼び出すというのだから、相応の用件もあるのだろう。
早速にと、ラクスは食堂に足を運ぶ。

「早朝にも関わらず、御呼び立てして申し訳ありません」
「おはようございます、ロード」
「おっと、挨拶がまだでしたな。おはようございます、ラクス・クライン……」

テーブルを挟んで向かい合う格好で、2人は座る。そして、朝食が次々に運ばれ、会食が始まった。
いまだジブリールは用件を切り出してこない。ということは、用件は食事が済んだ後……
しばらく、淡々と食事が進む。やがて、軽食を終えた後、漸くに館の主が話始める。

「ラクス・クライン……貴女がオーブにいたころの、戸籍を調べさせてもらいました」
「戸籍……?」
「はい。カガリ・ユラ・アスハが、貴女のために用意した偽の戸籍です」

戦後オーブで過ごした二年間――ラクスは、ラクス・クラインとして過ごしたわけではなかった。
マルキオ孤児院で働き、キラたちと共に過ごす間はラクスであったが……
世を忍ぶ仮の姿、即ち偽の戸籍はきちんと用意してあった。オーブ代表カガリの手筈によって。

「調べによりますと、貴女は公にはマヘリア・ベルネスと名乗っていたそうですね?
 戸籍の情報ですと、姉はマリア・ベルネス……あのマリュー・ラミアスということになっていますが」
「……ええ。マリューさんも私も、働いて税金は納めておりましたから」
「それは重畳。それと、孤児院の仕事と並行して、マルキオ導師の秘書も勤めておられたとか……」
「はい。そのとおりですわ」
「結構。では、貴女の秘書の経験を買って、お願いしたいことがあるのです」

改めて頼みたいことがあるというジブリール。真意を知る筈もないラクスは、視線で先を促した。

「貴女に……今一度、マヘリア・ベルネスに戻っていただきたいのです。私の秘書として……ね」

386 :12/20:2006/09/19(火) 22:12:56 ID:???
数時間後、ジブリールとラクスは空にいた。
彼らが乗っているのは、高速の移動用シャトル。今日で言うところの、ジェット機である。
とはいえ、それはパブリックな移動手段ではなく、あくまでもジブリールの自家用ジェット。
ロゴスとして有り余る財を持つジブリール――彼ならではの移動手段といえよう。

さて、その機内の豪奢な椅子に座るのは、勿論ジブリールとラクス。
ジブリールはスーツに身を包んでいるのは、さして代わり映えはしないが……
何故か、ラクス・クラインも黒のスーツ姿。彼女の長い髪は結って上げてあり、後ろで束ねている。
おまけに、伊達眼鏡まで着用している。何処からどう見ても、秘書姿のラクスがいた。

「まさか……ロードの元で秘書の仕事をしようとは、思いも寄りませんでしたわ」
「労働は尊い、とても貴重だ。何もしなければ、体に脂肪がつくだけです」
「だから、貴方はロゴスでありながら、こうして表向きの仕事をなさろうと?」
「それもあります。ただ、今の地位は、何かと便利でもありましてね」

ジブリールとラクス。2人が機上の人となったのには理由があった。
ロゴスのメンバーでもあり、ブルーコスモスの盟主でもあるジブリール。
とはいえ、それらは裏の顔。彼にも、偽の戸籍があり、表の顔も用意されていた。
それは、大西洋連邦の金融界を牛耳る財界要人としての顔である。
今回は、その地位を利用して、大西洋連邦の首都で政界の要人と会うのだという。

「秘書として同行しろなどと、回りくどいやり方ですが……
 是非、貴女にも会っていただきたい人物がいるのです。そこで、わざわざ御連れしました」
「私は、やはりラクス・クラインとして会わねばならない……のでしょうか?」
「はい。彼も、私が貴女を誘拐した事実は存じております。案じることはありませんよ」

彼――誰かは知らぬその男は、ラクスと会う必然があるらしい。
政界の要人といえども、上院下院それぞれ数百の政治家を有する大西洋連邦。
果たしてその人物とは何者なのか――?ラクスはその疑問を抱き、ロードに問うた。

「……貴女にこれから会っていただくのは、そう……"アンクル・サム"ですよ」

事も無げに言うジブリール。だが最後の言葉を聞いたラクスの双眸は、驚愕に見開かれていた。
ブルーコスモスの盟主に会うというだけでも、彼女としては度肝を抜かれていたのに……
今度は、大西洋連邦の最高権力者の元に連れて行かれるというのだ。
気圧のせいか、気分のせいかは分からないが……高度数千メートルで、ラクスは軽い眩暈を覚えた。

387 :13/20:2006/09/19(火) 22:13:46 ID:???
ジブリールとラクスがはるか上空にいたころ……
ユーラシア連邦ギリシャ領クレタ基地から、大西洋連邦本土へと通信を繋ぐ者がいた。
J・Pジョーンズから長距離レーザー通信を繋ぐのは、仮面の男ネオ・ロアノーク大佐。
繋いだ先、モニターの向こうに現れた顔は、黒髪の女性――

『あら? 早朝に連絡を遣すなんて……珍しいわね、ロアノーク大佐』
「急ぎの用だ。大至急、調べてもらいたいことがある」
『それは、大西洋連邦中央情報局の人間として調べろ……ということかしら?』
「世界のすべての情報を牛耳る一族としても、だ。マティス……」

ネオは挨拶も無しにいきなり本題に入る。情報局のマティスへの、協力要請――
彼が聞き出したいのは、インパルスのパイロットについての詳細。
ゲンが、アーモリーワンで会う以前に会っていたと訴える、ユーリ・アマルフィの娘の消息。
そして、敵の白い新型MS――インパルスについて。
だが、返ってきた答えは、ネオを大いに落胆させるものであった。

『何処から掴んだ情報よ? ユーリ・アマルフィには、娘なんていないけど』
「――!? 本当なのか?」
『私が貴方に嘘をつく理由があって?
 ユーリ・アマルフィには一人息子がいただけ。二コル・アマルフィって子よ。
 先の大戦ではザフトレッドとして従軍。でも、キラ・ヤマトの駆るストライクに敗れ、戦死したわ』
「……確か、連合から強奪したブリッツのパイロットだったか」
『よく知っているわね。ユーリの家族構成は妻と長男の3人、娘はいない筈よ』

ユーリの娘と名乗ったインパルスのパイロット。だが、彼女は存在しない少女――
ただでさえ正体不明の敵エースは、更に謎めいた存在に感じられた。

「まさか……隠し子か?」
『インパルスのパイロットは女性なのね?
 だとしたら、ミネルバの乗員にルナマリア・ホークという子がいるけど……この娘かしら?』
「歳は?」
『17歳。今年アカデミーを卒業したレッドらしいけど』

ネオは溜息をついて、首を横に振る。ゲンの話では、まだ歳若い少女らしい。
ということは、ルナマリアという少女がインパルスのパイロットである可能性は低い。
暗礁に乗り上げた敵のパイロットの素性探し――だが、端緒は思わぬところから……

388 :14/20:2006/09/19(火) 22:14:45 ID:???
『そうそう、盟主からの言伝があったのを忘れていたわ。
 戦局が落ち着き次第、一度ゲン・アクサニスをラボに送り、最適化を受けさせろ……ですって』
「……戦闘以外の記憶の抹消を、やれというのか?」
『戦局が落ち着いたか否かは、現場の判断に任せる……ということよ』
「今は無理だ。アイツ抜きでミネルバを落せるとは思えん」

マティスが伝えたのは、ジブリールから下されたゲンの記憶抹消指示。
仲間たちと交流を深めれば深めるほど、人に近づきつつある兵器を、盟主は憂いたのだ。
心情的には回避してやりたいネオであったが、命令である以上いつかは為さねばならぬ任務。
せいぜい、その時期を遅らせることくらいしか、今の彼には出来そうもなかった。
ふと、昨日のゲンとのやり取りがネオの頭に浮かぶ。
部屋に反吐を吐かれ、あやうく部下のブロックワードを言いそうになってしまったことを。
――ブロックワードは、実妹『マユ・アスカ』の名。

「……シン・アスカの妹って、今何処で何をしているんだ?」
『先の大戦後、オーブからプラントに渡ったのは知っているわね?
 戦争が始まってから、現地の彼女の情報は入ってきていないけど……
 開戦前の時点では、セプテンベル・シックスの幼年学校に通っていたという話よ』
「幼年学校……か。彼女は、今ごろどうしているのかねぇ……」
『軍管轄下の幼年学校だから、戦争があと何年も続けば、そのうち戦場に出てくるかも』
「――!?」

最後の単語を聞き――ネオは思わず椅子から腰を浮かせる。軍管轄の幼年学校、戦場……

「今、軍の幼年学校って言ったな? 彼女は、今もそこにいるのか?」
『開戦前の話よ。多分、今もそこにいるとは思うけど――』
「"多分"じゃダメだ! 今すぐ……調べてくれ! 本当に幼年学校にいるのかどうかを!」
『どうしたの? 急に血相を変えて……』

ネオの脳裏に、最悪の考えが過ぎる――
ゲンは、インパルスのパイロットを知っていたと話していた。アーモリーワンに赴く前から。
本当に少女と会った可能性があるとすれば、月で過ごした間か、若しくは……

「インパルスのパイロットは、オーブからプラントに渡ったコーディネーター……
 ゲン・アクサニスがシン・アスカだったころの、知人か何かかと思っていた。
 だが、ひょっとすると……インパルスのパイロットは、ヤツの実の妹かもしれない」

389 :15/20:2006/09/19(火) 22:15:34 ID:???
突拍子もない話に、マティスは目を瞬かせる。本当にそんなことがあるのだろうか、と。

『ネオ? マユ・アスカは、記録ではまだ13歳。とても戦場に出てくる歳じゃないわ』
「ザフトの兵力は充実しているのか? 先の大戦で、ただでさえ大勢の若者が戦地で命を散らした。
 それを補充するために、幼年学校の生徒を使ったりするとは考えられないか?」
『ミリタリーポリスや警察官の一部、退役軍人を予備役として召集しようとしているらしいけど……
 MSのパイロットになるだなんて……幼年学校の生徒に出来る仕事じゃないわ。
 優秀なるコーディネーターでさえ、パイロット適性のある人間なんて、そういないのよ?』
「ただの女の子ならそうだろうさ。でもな、仮にもゲン・アクサニスの妹だぞ?
 一介のコーディネーターよりも、パイロット適性がある可能性は高い。違うか?」

マティスも、予てからゲンの存在は知っていた。最後のソキウス――
アーモリーワンで単身ユーリ・アマルフィを暗殺したこと、ユニウスセブン破砕作業での活躍……
ラクス・クライン誘拐、汎ムスリム会議での要人護衛、ガルナハン撤退戦、そしてなにより……
ノフチー共和国で、元サーカスのイワン・ザンボワーズを討ち取った手練。
適うなら、ゲンのようなコーディネーターは、是非とも手駒にしておきたいというのが本音だ。

『名馬の子が、必ずしも名馬に生まれてくる保障はない。血縁は往々にして当てにならない。
 けど……もし彼女が目の前にいたら、サーカスのメンバーになる為のテストを受けさせたいところね』
「……マユ・アスカの所在、調べてもらえるか?」
『分かったわ。最優先で、やらせてもらいましょう』

最後に、クスッとマティスは笑っていた。
そう、最優先でマユ・アスカの所在を突き止めねばならない。マティスには強かな計算があった。
可能なら、自分の手の者に誘拐させ……彼女の持つ資質を試し、もしもゲン同様の能力があれば――
幼き少女を、己の手駒としてサーカスに迎え入れよう、と。
彼女の身柄を確保しておくことは、後々ジブリールに貸しを作ることになるやもしれぬ。
仮にサーカスの戦士に仕立て上げても、兄と同じ道を歩むのだ。盟主もそう怒ることはないだろう。
つまり、やっておいて損になることはない――

「……何か、可笑しいか?」
『いえ、素敵な話だと思ったのよ。マユ・アスカが兄同様の資質があるとしたら……ね』
「素敵だと? インパルスのパイロットがゲンの妹だとしたら、俺たちはババを引いたことになるぜ。
 同様に資質があったとしたら……敵にゲンがいるようなものだ。間違いなく、最悪の事態だよ」

万が一にもそんなことはあるまい――ネオはそう思いたかったが、一抹の不安は拭えなかった。

390 :16/20:2006/09/19(火) 22:17:05 ID:???
ネオが通信を繋ぐ空母J・Pジョーンズの隣、停泊するオーブ軍空母タケミカヅチの中。
軍服姿のキラ・ヤマト、彼の表情は冴えなかった。冴えないばかりか、彼の周囲には異臭が漂う。
一緒に歩いていたミリアリア・ハウも、彼から距離を置こうとする。そんな彼女に、キラは問う。

「そんなに、臭い?」
「自分では気づかないのね……相当酷いわよ。ニンニクが腐ってる感じの臭いがするわ」

二日酔いで頭はガンガン。おまけに胃をやられた青年は、それでも通常の任務をこなしていた。
愛機の整備を終えた後、取材に訪れた記者であり友人のミリアリアと会っていたのだが……
最悪なまでのコンディションは、包み隠すことは出来ず。
前日の自棄酒、飲み比べですっかり参っている青年は、友人の言葉に更に消沈した。

「今日の取材は、止めておくわ。臭いが移ってきそうだもの」
「ごめん。これからは、気をつけるよ」
「お酒も程ほどにしなさい。酩酊するまで飲むなんて……
 アマギさんにも負ぶって貰ったんだから、ちゃんとお礼言わないとね?」
「……アマギさんに負ぶって貰った? あれは……ムゥさん? あれ? 嘘ッ?」

突如、キラは素っ頓狂な声を上げる。思い出したのだ。昨晩の出来事を。
酔うだけ酔って酒場を後にした。だが、その後誰かに背負われてタケミカヅチまで戻ったのだ。
あれはアマギだったか。いや、彼の前に、キラはある人物に背負われていた。その人物とは……

「ミリィ! 昨日、ムゥさん見なかった!?」
「ムゥさん? 何を言っているの? ムゥさんなら、ヤキンで……」
「違うよ! 昨日ボクを負ぶっていた人! アマギ一尉の前に!」
「あれは……連合の大佐の人でしょ?」
「その人だよ! あの人、ムゥさんじゃなかった?」

ムゥ・ラ・フラガ。嘗てキラたちと共に戦い、第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦で散った筈の男。
キラは、昨晩あの男の声を聞いた。自分を背負っていた連合の大佐――それは、ムゥの声だった。
キラはミリアリアに問う。アレはムゥその人ではなかったのかと。
だが、意に反しミリアリアは声を落とし言った。

「酔っていたのは分かるけどね、死んだ人が生き返るわけないじゃない。冗談も程ほどにしてよ」

ミリアリアはネオの顔も声も確認していなかった。ゆえに、彼女はキラを冷たくあしらっただけ……

391 :17/20:2006/09/19(火) 22:18:26 ID:???
が、キラは納得出来なかった。確かに、ネオを見ていないミリアリアには、そう応える他ないだろう。
しかし、親しく接していたムゥの声を聞き違える筈はない。キラは意を決し、J・Pジョーンズに向かう。
別れ際、ミリアリアから渡された写真を持って。
それは、数日前撮影したキラとファントムペインのパイロットたちの集合写真だ。
J・Pジョーンズの軍人の一人を捕まえ、ゲン達を呼び出す。待合室で待たされること10分。
程なくして、彼らはやってきた。まず入ってきたのは、アウル、スティング、ステラの3人だ。

「キラ! よく来たじゃん! 酔いはさめた?」
「こら、アウル。先輩にタメ口利くなよ。お、この間の写真! わざわざ、ありがとうございます」
「よく撮れてる……さすが、ミリアリア」

キラは3人に写真を渡し、とりあえず来た目的は果たした。だが、それは表向きの用件に過ぎない。
本当は、どうしても確かめたいことがあったのだ。件の大佐が、ムゥ本人であるか否かを。
だが、相手は仮にも連合の将。一兵卒のキラが会いたいからと言って、会える相手ではない。
そこで、仲介者に頼ることにしたのだ。即ち、ファントムペインのパイロットの中で、一番顔が利く者。
アウルたちから少し遅れて、その人物は現れた。

「よぉ……昨日は悪かったな」

馴染みのバイザーも付けず、蒼い顔をして黒髪の少年が入ってきた。
前夜飲み比べをした相手、ゲンだ。二日酔いの頭痛に悩まされているのか、表情も冴えない。
キラもまだフラフラすることはあったが、ムゥのことを思い出したことで正気に返っていた。
突如、キラは強引にゲンを引っ張り、問答を始める。

「ゲン、ちょっと話があるんだけど?」
「昨日のことは謝る。頭がガンガンいってるんだ……説教は勘弁してくれ」
「そうじゃなくて! どうしても聞いてもらいたいことがあるんだ! お願いッ!」
「ラクスのことか? 勘弁してくれ、俺には何の権限もないんだ」
「違うって! 君たちの上官のことを、聞きたいんだ」

上官のこと、即ちネオ・ロアノーク大佐のこと。その問いに、漸くゲンも正気に返る。
他の3人も、何事であろうかと耳を欹てる。用件を察し、ゲンは改めてキラに問う。

「ネオのことか? いったい何を聞きたいんだ?」

そして、キラとゲンたちの質疑応答が始まった。


392 :18/20:2006/09/19(火) 22:19:12 ID:???
まずキラが聞いたのは、ネオ・ロアノークという人物について。彼は一体何者であるのか。
余りに率直な問いに、アウルたちは応えに困る。

「ネオは何者かって言われても……ネオは、ネオだよ?」
「ネオ・ロアノーク、第81独立機動群の司令。ファントムペインの実質的な指揮官です、先輩」
「ネオは……仮面付けてる」

最後のステラの一言に、キラは敏感に反応する。仮面を付けている――

「仮面? 何でそんなもの付けているの?」
「噂の域を出ないが、何でも先の大戦で従軍して、偉い傷を負ったとかいう話だけど。
 っていうか、お前昨日背負ってもらっただろ? 顔を見なかったのか?」
「酔っていたし、暗かったから見てないよ。そうなんだ……仮面を付けているんだ」

ゲンがフォローを入れる。傷を負い、仮面を付けている……一見常識外の話だ。
とはいえ、尤もらしい話ではある。だが、キラにとってそれは問題ではない。
ネオ・ロアノークには、顔を隠す理由があるのだ。
本当に傷を隠すことが理由にせよ、他の理由があるにせよ。

「じゃあ、次の質問。ロアノーク大佐は、どんな人? 彼に対する印象とか、何でもいいから教えて」

キラは次の質問に移る。改めてアウルたちは顔を見合わせ、応える。

「印象ねぇ……軽い感じのおっさんってとこ? あんまり軍人ぽくないよね」
「砕けた物言いをする人ですが、任務はキチンとこなしますよ。一応、尊敬する上司……かな?」
「ネオの命令は絶対……って、命令されてる」

最初のアウルと、次のスティングの応えにキラは敏感に反応する。
軽い感じ、砕けた物言い、的確に任務をこなす人物……益々ムゥに似ている。
声だけではなく仕草や日常も、ムゥ・ラ・フラガとネオ・ロアノークは通じるところがあった。

「じゃあ、最後の質問。君たちは、ムゥ・ラ・フラガって人を知っているかな?
 ひょっとすると、ネオ・ロアノークって人は、ムゥ・ラ・フラガと同一人物……ってことはないかな?」

最後の最後、キラはどうしても聞きたかった本題に入る。
ムゥとネオは似ている。それまでの質問で得た感触から、本題を切り出すことにしたのだ。

393 :19/20:2006/09/19(火) 22:21:55 ID:???
だが、答えはキラの期待したものとは縁遠いものであった。

「ムゥ? 誰それ?」
「エンディミュオンの鷹とか呼ばれた、エースパイロットのことだろ? 会ったことないけどな」
「……ムゥ? 知らない人……」

唯一、3人の中でスティングだけはムゥを知っていたようだ。だが、それは二つ名についてのみ。
キラが期待していた答えは、得ることは出来ず。最後、ゲンが訝しげにキラに問う。

「なぁ、キラ……こいつは一体どういうことだ? 何を聞きたいんだよ?」
「あ、うん。僕の知っているムゥ・ラ・フラガって人は、ネオって人とよく似ているんだ」
「でも、顔は見ていないのだろう?」
「声は聞いたよ。アレは……ムゥさんの声そっくりだった。
 聞いていた話だと、ネオ・ロアノークって人は、ボクの知っているムゥさんと共通項が多い。
 ムゥさんも、軽い感じだけど、的確に任務をこなすエースパイロットだったよ」

キラには確信に近いものがあるのか、ゲンの問いにも揺るがなかった。
単なる思い込みではない――あたかも、そう代弁するかのように、確信に満ちた表情であった。
とはいえ、上司の素性の詮索など、ゲンはしようと思ったことはなかった。
ましてや、他の3人などもっての外。上司が何者であるかなど、興味の対象外であったようだ。
現に、皆キョトンとキラを見ている。

「ま、ネオの素性なんて俺たちの知ったことじゃないけど」
「気にならないの?」
「気にしてどうなる? ネオがエンディミュオンの鷹だったとしても、別に驚かないし」
「パイロットとしての腕は、確かなの?」
「ああ、ウィンダムに乗っている。最も、最近は出撃しないけどな」

MSも乗りこなす佐官――最早、ネオはムゥであるとしか思えなかった。最後に、ゲンは唐突に問う。

「じゃあ、ネオがエンディミュオンの鷹だったとして……キラ、お前はどうしたいんだ?」

予想もしなかった問いに、キラは言葉に詰まる。
ムゥが生きているかもしれない――その事実を確かめたいという想いが、キラを動かしていた。
だが、仮にムゥとネオが同一人物であったとして、自分は何をするのだろう? 何をすべきだろう?
それらの疑問と共に、過去のムゥとの思い出と記憶が、奔流となってキラを襲った。

394 :20/20:2006/09/19(火) 22:22:44 ID:???
キラがムゥの生存を確信したころ……大西洋連邦の首都、ワシントンを一台の車が疾駆していた。
黒塗りの車体は、大型のリムジン。後部席に座るのは、スーツ姿の男女。
やがて、その車はある白い建物の前に止まる。
すぐさま、黒服を着たSPらしき人物が車を囲み、車から出てきたスーツの男を護る。

「ガブリエル様、お待ちしておりました。申し訳ありませんが……」
「ボディ・チェックだろう? 早くしてくれ。それと、中に入るのは私の秘書もだ。彼女にも、頼む」
「承りました」

ガブリエルと呼ばれた男性と女性秘書は、手早くボディ・チェックを受けた後、白い建物に迎えられた。
広大な白い建物――それは、大西洋連邦の首都ワシントンにある、大西洋連邦の中枢。
かつてこの国がアメリカと呼ばれた頃から、世界を動かしていた施設。
建物の中をSPに囲まれ案内される二人の男女。
その道すがら、スーツの男は秘書に優しく語り掛ける。

「余り緊張なさいますな……貴女は、ゲストなのですから」
「秘書としての仕事をしにきたのですよ? それ以上のことは――」
「――ご冗談を。それ以上の仕事があるからこそ、ここの主が貴女を呼んだのです」

分厚い扉の前――そこまで来て、SPたちは離れる。
この扉の向こうにマヘリアを、ラクス・クラインを呼んだ張本人がいるのだ。
ラクスは息の詰まる思いで、その扉が開くのを待った。
暫くすると、中から一人の秘書官らしき男が出てきて、二人を招き入れる。
扉の向こう――中には、一人の男がいた。執務室に座りながら、二人を見て腰を上げる。
彼は自ら席を立ち、恭しく出迎えた。男の方、ガブリエル――いや、ジブリールに対してではない。
表向きは彼の秘書である女性、マヘリア――即ち、ラクス・クラインにである。

「ようこそ……ラクス・クライン! 貴女と会える日を、ずっと待ち望んでおりました」
「……お初にお目にかかります、ジョセフ・コープランド大統領」

地球連合の最高権力者と、嘗てはプラントの歌姫と呼ばれた女の会談――
人知れず始まったこの出会いは、やがて世界の趨勢を変える端緒。
ただ、型どおりの挨拶をし、握手を交わす2人を……
仲介者である男――ロード・ジブリールは薄ら笑いを浮かべ、見守っていた。