511 :隻腕二十三話(01/21):2006/01/25(水) 21:33:55 ID:???

――それは、過去の記憶。
緑溢れ、水が巡る人工の大地。天秤型コロニーの美しい景色を望む、大きなお屋敷の温室の中。
あらゆる苦難からシャットアウトされた、揺りかごのような屋敷の中。母は娘に語りかける。

「世界は、あなたのもの。
 そしてまた、あなたは世界のものなのよ」
「わたくしの――もの?」

まだ幼い桃色の髪の少女は、その言葉の意味が分からない。分からないなりに、心に刻み込む。
それは母なりに、この特異な少女を想っての言葉だった。
決して論理的な言葉ではなかったし、上手な言葉でもなかったが……真に娘を想っての言葉だった。

特異な少女。
そう、彼女は――特異だった。
神の気紛れで生まれた、冗談のような存在。存在そのものが、何かの間違いのような存在。
何故か人を惹きつけるそのカリスマも、人の心を揺さぶる歌声も、全てはその余禄のようなもので――

今は、まだいい。幸い両親には金も権力もある。少女が幼い内は、様々なモノから守ることができよう。
けれど、いずれ彼女が成長すれば、その特異な能力は、必ずや世の中を大きく揺さぶることになるだろう。
必ずや、世界のありようとぶつかることになるだろう。
そしてその時、彼女はひどく傷つくことだろう。
だから、いつか来るであろう、その時のために――

「ラクス、あなたは……覚悟しておかねばなりません。
 望みが必ずしも、全ては叶わぬことを。誠実に努力してなお、失敗してしまう可能性を――」

……それは、本来ならわざわざ言うまでもないこと。普通なら、成長の過程で誰もが知ること。
けれども、彼女には――ラクス・クラインには。
わざわざ言っておかねば、ならぬ言葉だった。
あるいは、この言葉もまた、ラクスには既に「見えていた」ものなのかもしれないが――

「生まれ出て、この世界にあるからには。いずれ死を迎え、この世界を去るからには――」
「――お母様」
「何?」
「それは……お母様が死んでしまってからのことですか?」
「あら、私は死んでしまうのかしら?」
「はい。大体あと、1年ほどで」

少女は何の憂いもなく、あけすけに、母の死を「予言」する。
それは、惑星の運行のように、既に決まって動かせぬ事実を、淡々と読み上げたような口調で――

――それから1年後、確かに彼女の母は、他界したのだった。
母の死を目の前にした時、桃色の髪を持つ少女は……全く、泣くことはなかった。


512 :隻腕二十三話(02/21):2006/01/25(水) 21:35:01 ID:???
……覚えているかな? お前が飛び出していったその日、お前が一方的に言った言葉。
『帰ってきたら、全部しっかり説明する』って約束だ。
ま、帰ろうにもあの屋敷はもうないし、マリュー、つまりお前がマリアとして知ってるアイツも、行方不明だ。
だからまぁ、ここで俺が説明するしかないんだろうな。
マユ、お前には知る権利がある。そして――知っておく義務もある。

ただ、あの日あの場所にフリーダムがあった理由を説明するには、だいぶ歴史を遡って話す必要があってな。
そして『彼女』について、知られざる事実を説明する必要がある。お前の大嫌いな、アイツの話だ。
それらを話さない限り、この俺、アンドリュー・バルドフェルドについての話もできないしな――

そういえば、まだちゃんと名乗ってすら居なかったな。そう、俺の本当の名は、アンドリュー・バルドフェルド。
「砂漠の虎」という異名の方が知られているかもしれんな。ザフトじゃかなり有名なエースにして、指揮官だ。
……ん? 自分で名乗るな、って?
でもコレ、俺自身がプロデュースした戦術の一環だしなァ。ザフト入る前の本職は、広告心理学の専門家だったんだわ。

……かなり長く、複雑な話になるだろう。のんびり、焦らず、聞いてくれ。
とっておきのコーヒーでも、飲みながらな。


               マユ ――隻腕の少女――

              第二十三話 『 彼女の真実 』


――少女ラクス・クラインは、特別な環境に生まれ育った。

父は、シーゲル・クライン。
シーゲルは、ジョージ・グレンの告白の後、極秘裏に内密に作られた最初期のコーディネーターの1人だ。
彼の生まれた時代には、まだ公式にはコーディネーター作成が許されてはいなかったのだ。
けれども、決して少なくない数の人々が、子供の幸福を求め、あるいはもっと俗っぽい目的から、禁忌を犯した。
しばらく経って全世界的に巻き起こるコーディネーターブームは、この世代の存在によるところが少なくない。

またその生まれの事情から、この世代のコーディネーターには、1つ大きな特徴がある。
豊かなのだ。権力者なのだ。財力と権力を兼ね備えてなければ、この時期にコーディネーターを作ることはできない。
後にプラントが地球連合を相手に互角に戦えたのも、この世代が親から受け継いだ財産と人脈の効果が大きい。
もっとも、その双方を兼ね備えながらも手を出さない人々もおり、彼らは後にブルーコスモスの支援者となるのだが。

クライン家も、元は北欧はスカンジナビア王国にあった名門の1つである。
シーゲルもまた、財産と人脈をその親から受け継いでいた。彼は、その力を同胞たちのために活かそうとした。
プラントの初期からその自治に深く関わり、パトリック・ザラと共にザフトの旗揚げにも関与し。
やがてプラントを束ねる最高評議会議長として、強大な地球連合を向こうに回して戦うことになる。

ラクス・クラインは、そんな父の子としてプラントに生まれた。
生まれ持った美声で、歌手としての才覚をめきめきと伸ばし、やがてプラントのアイドルとして大成し。
政治家である父と、良い意味で相互に影響を与えあった。

しかし――彼女の真の特殊性は、彼女のそんな生まれにも、また彼女の歌唱力にもないようで――


513 :隻腕二十三話(03/21):2006/01/25(水) 21:35:59 ID:???

「お父様、お疲れ様です」
「ああ、ラクスか……。確かに、疲れたな。ようやく国連事務総長が動いてくれたよ」

CE70年、1月も末。プラント、クライン邸。
帰宅したシーゲル・クラインは、襟元を緩めながら椅子に座り、大きく溜息をついた。
彼の娘であるラクスが、ペットロボットを連れて部屋に入ってくる。オカピの背には、湯気を立てる紅茶のセット。

「できれば本格的な戦争は、回避したいのだがな。地球の者も議会の者も、ここのところヒートアップするばかりだ。
 あくまでザフトは牽制のために作ったというのに、パトリックたちはまるで分かっておらん。
 来週のコペルニクスの会合で、なんとか話がつけば良いのだが」
「大変ですわね、評議会の議長というのも」

どこか他人行儀な言葉遣いで、父をねぎらうラクス。父と視線を合わせようとせず、紅茶を入れ始める。
そんな娘の横顔を眺めつつ、シーゲルは再び溜息をつく。

この父娘の関係は、いつもこうだった。
互いにどう接するべきか分からず、ついつい他人行儀になる。腫れ物に触るような態度、さもなくば沈黙。
彼の妻、彼女の母が亡くなってからは、ますますこの傾向は強まっていた。
……しかしそれは、どちらが悪いわけでもない。

「……ラクス。構わぬから、教えてくれ。もし分かるなら――包み隠さず、教えてくれ」
「何でしょう?」
「やはり戦争は――避けられぬのか?」

父の問いかけに、紅茶のカップを手にしていた娘の指先がピクリと動く。
評議会議長がアイドルの少女に向けるには、いささかおかしな問いかけ。
けれど、父も娘も、真剣そのもので。数秒の躊躇の後、娘は静かに語り始める。

「……そうですね。近く、大きな悲劇が起きるでしょう。多くの人が亡くなられます。戦争は、避けられません」
「それはいつ頃だ? 何人くらい死ぬ? 防ぐことは、できないか?」
「来月の内に、どこかのコロニーが何らかの形で失われてしまうかと。それから……」
「それから?」
「……お父様、最後の質問は、卑怯ですわよ。ご存知でいらっしゃるのに」
「…………すまん」

俯いた娘の顔は、長い髪に隠されて父には見えない。ただ、いつもの微笑みがないことは、彼にも分かった。
シーゲルはバツの悪い表情で謝ると、視線を逸らす。
――いつだって、そうなのだ。それは、彼女に問うてはならぬ問いなのだ。
シーゲルが娘との会話から得られることは、予め覚悟を決めることだけ。その先の対策を考えておくことだけ。

娘が悪くないことは、分かっている。娘には、父親として並々ならぬ愛情を持っているつもりだ。
けれど――それでも。
時折、シーゲルにも怖くなるのだ。何かこの娘自身が、未来を作ってしまっているような気がして――!

――それから、半月後。ラクスの言葉は、現実のものとなった。
コペルニクスでの会談は、爆破テロによって妨害されて。国連事務総長の死は、戦争回避の道を決定的に閉ざして。
そして告げられた宣戦布告。核による農業コロニーの破壊――いわゆる『血のヴァレンタイン』である。

514 :隻腕二十三話(04/21):2006/01/25(水) 21:36:57 ID:???

……ラクス・クラインには、「未来が分かる」ことがある――らしい。
「らしい」ってのは、本人もあまり語ろうとはしないからな。傍にいる俺にも、良く分からんのだ。
だがラクスの「予言」は良く当たる。当たるどころの話ではない、「あること」がない限り、ほぼ100%だ。

超能力――と言っていいのかねェ。
俺の考えでは、アレは「直感」、あるいは「勘」の高レベルな代物じゃないか、と思うんだが。
「直感」や「勘」ってのは、実は当てずっぽうじゃあない。無意識下で行われる、「推測」「洞察」だと言われている。
人間が五感で得る情報の中には、言語化しづらく、意識上では処理しづらい種類の情報がある。
微妙な表情の違いとか、口調とか、雰囲気とか。匂いや振動、それこそ、第六感と呼ばれるものも含めて。
そういう言葉にならない情報を元に、無意識の内に出す予測が、「直感」あるいは「勘」として本人に認識される。
推論だから外れることもある。間違えることもある。少なくとも、一般人のレベルでは。

ラクスのアレも、そういう「直感」の延長線上、凄まじい精度で行われる無意識下の推論、なんじゃないかな。
コーディネーターの「頭の良さ」が、妙な方向に発揮されたようなもんでね。
もちろん、遺伝子操作の産物ではない。狙って生み出せる才能ではないよ。偶発的に生まれた、一種の天才だ。
……ま、占い師じゃないから、本人の知りたい未来を積極的に知ることはできないようなんだがね。
どこかから降りてくる気紛れな天啓、あるいは電波を受信しているようなもんだ。見たくもない未来を見せられる。

無意識下のことだから、本人にだって説明できない。
「どうしてそうなるの?」と問われても、最初っから言葉になんかできやしないんだ。
だからラクスの予言には、「過程」がない。常に一足飛びに「結論」が来る。そして「結論」しかない。

これが、普通の人よりちょっと勘が鋭い程度なら、何の問題もなかったろう。
けれど彼女の場合、その鋭さが並大抵ではなかった。
彼女には、見たくもない運命が見えてしまう。見えた未来は必ず現実になる。決して外れない。

……ここで、ちょっと想像して欲しい。
彼女の前には、今の状況と一緒に結果が示されるんだ。未来が同時に分かるんだ。
一体彼女の目には、どういう世界が映っていると思うかね?

良い未来が見えれば――喜びを先取りできる、と思うかもしれない。
けれど逆に言えば、実際にその「良い未来」に到達した時には、単なる予定調和だ。予め知っていたことだ。
それでは、著しく喜びが損なわれてしまう。先に結末を知ってしまえば、どんなドラマも感動は半減だ。

悪い未来が見えれば――しかし、それは覆らないのだ。
哀しい結末が見えれば、その時点で哀しい。でも哀しみを表面に出すことはできない、みんなは知らないのだから。
だが逆に言えば、その「悪い未来」が実際に来た時には、既に覚悟はできている。哀しみも乗り越えている。

……分かるかな? 決して外れぬ未来予知を持つ者の、哀しい運命(さだめ)が。
感情が、鈍磨するんだ。
喜びも哀しみも何もかも、到達した時には既に知っていることばかりだ。そこには驚きも、衝撃もない。
そんな彼女が、それでも優しくあろうとし、自分のせいで人々を不幸にしたくない、と思ったら――
できるだけ見たものを語らず、とぼけた言動で煙に巻き、空虚に微笑んでいるしかないんだ。

「歌姫ラクス・クライン」の微笑みは、そういう微笑みだった。
例えばコンサートならば観客の数だけ、喜びも哀しみも全て目の前にして――それでもなお、浮かべる微笑みだ。
――なぁマユ、想像、できるかい?

515 :隻腕二十三話(05/21):2006/01/25(水) 21:38:07 ID:???

……ちなみに、俺が始めてラクス・クラインのその「能力」を聞いたのは、アイシャからだった。
ベッドで……あ、いやその、2人っきりでいた時にだな。

「――クライン議長のお嬢さんが、ねぇ。そりゃ胡散臭い話だなァ」
「ウフフ、やっぱりアンディ、信じてくれない」

ま、その時には俺自身も信じられなかったな。突拍子が無さ過ぎた。
確かにアイシャは、プラントの芸能界で歌姫とも接点あったから、突っ込んだこと知っててもおかしくはなかったが。
……ん? ああそうだ。元々は歌手だよ、アイシャも。エキゾチックな独特な雰囲気で、そこそこ人気あったな。
前線兵士の慰安コンサートのために地球に降りてきて、俺と出会って……仕事放り出して居ついちまったけどな。
あの写真でザフトの制服を着てないのは、そういうことさ。正式には入隊手続きを踏んでないんだわ。

「でも、あのコの言ったコトって、当たるのよ」
「ほう、具体的には?」
「あのコが言ったの。ワタシは地球で運命の人に会うだろう、って。
 命を懸けるに値するような、大事な男性に出会うだろう、って」
「ほ〜お。そりゃまた、有難い予言だねェ」

そう答えながらも、俺は全然信じちゃいなかった。
何というか……ほら、雑誌とかに良く載ってる占いがあるだろ。
曖昧な言葉を並べておいて、受け取った側がなんとなく当たったような気になる、そんな感じのさ。
「あなたは旅先でステキな恋と出会うでしょう」……外れたところで、笑って忘れられるような、そんな占いだ。
……そう、思ったんだがな。

「あのコは、こうも言っていたわ。その人はきっと、とっても悩んでるって。
 大きすぎる疑問を抱いて、身動き取れなくなってるんじゃないか、って」
「…………」
「ねぇアンディ、アンディもあのコに会ってみない? 多分、アンディも何かきっかけが掴めると思うの。
 アンディの、あの悩みについてネ」
「…………」

そう――その頃の俺は、1つの問いが常に胸の中にあって離れない状態だった。
疑問そのものは、単純だ。
「一体どうすれば戦争は終るのか?」
……我ながら、まるで子供みたいな問いだ。あまりに単純で、純粋で、アホらしいような疑問だ。
しかしザフトの指揮官として部隊を率い、戦いを重ねるにつれ、この疑問は俺の頭にこびりついて離れなくなってね。
戦っても戦っても、全然和平に向かう気配がない。膨大な犠牲を双方に出して、なお事態は悪化していく。
どうすれば戦争は終るのか? 敵であるもの全てを滅ぼさねば、終らぬのだろうか?
いや、果たして本当に、それで終るのだろうか――?

そんな時に、このアイシャの言葉だ。何故か俺には、一筋の光明のような気がした。
これもいわゆる直感、無意識下の推測だったのかね? ともかく俺は、早速ラクス・クラインと会う機会を探り始めた。
……そんな折だ。俺が担当していたエリアに、「アークエンジェル」が降りてきたのは――

実際に歌姫に会えたその時には、もう俺の傍にアイシャは居なかった。
歌姫の残酷な予言そのままに、俺のために命を懸けて――


516 :隻腕二十三話(06/21):2006/01/25(水) 21:38:53 ID:???

ラクス・クラインは、何も望まなかった。
彼女自身は、何の願いも持たなかった。

覆せぬ運命を日常的に見てしまうような娘に、どんな希望が持てると言うのだろう?
諦観を虚ろな微笑みで隠し、ただひたすら、自分の特異性が他者を傷つけぬよう、気をつけて。
国家的アイドルとして愛を語り、平和を訴えながら……誰よりもその虚しさをよく知り、誰よりも深く絶望していた。
――その日その時、その青年と出会うまでは。

「あらあら? まぁ、これはザフトの艦ではありませんのね?」

巨大なデブリと化した、ユニウスセブンの残骸近く。
救命ポッドを回収してくれたアークエンジェルの中で、ラクス・クラインはとぼけた声を出す。
周囲を取り囲むのは、一目見れば連合兵と分かる軍服の若者たち。確かめるまでもなく、ここは連合軍の艦だ。

――分かっては、いたのだ。
慰霊祭のためにユニウスセブンに向かった自分の船が、沈む運命にあることも。
人のいい勇敢な船員たちが、全て死ぬ運命にあることも。
自分だけは、助かる運命にあることも。

けれど……そんな運命を目の前にして、一体どうすればいいというのだろう?
彼女には、何もできないのに。
これがもし、初めて出くわした予知だったなら、彼女も無駄なあがきをしただろう。回避を試みただろう。
だがこれは、こういった悲劇は、彼女にとって日常ですらあった。物心ついた時から見て来たことだった。
――もう、何も感じなくなっていた。もう涙も枯れ果てていた。
彼女はただひたすら、「未来の見えない普通の人々」を傷つけぬために、とぼけた言動を続ける。

いや――その言動は、既に偽りではない。幾たびも繰り返されたそれは彼女の常態となり、本質となっていた。
鈍感になることでしか、その現実に耐え切れないからだ。理解しないことでしか、逃げられないからだ。
誰よりも鋭い直観力を持ち、誰よりも平和と平穏を愛しながら、誰よりも鈍い天然少女――!

彼女は――この時までの彼女は、たとえ己自身の死を知ったとしても、従順にその運命を受け入れただろう。
過去に予知した全ての悲劇と同様、醒め切った諦観のまま。虚ろな微笑みを浮かべたまま。
しかし――

「でも。貴方は、優しいんですね。ありがとう」
「僕も……コーディネーターですから……」

彼女は彼と、出会ってしまったのだ。
気弱な笑みを浮かべ、己の強さを「優しさ」というオブラートに包み込み。
彼女と同じように、周囲の人々を傷つけぬことを第一に考えて行動していた彼。
――少なくとも、その頃までの彼は、そういう存在であり。

ラクスは――生まれて初めて、心揺さぶられた。生まれて初めて、恋をした。
己の呪われた定めを、すっかり忘れてしまっていた。

青年の名は、キラ・ヤマトと言った。


517 :隻腕二十三話(07/21):2006/01/25(水) 21:40:00 ID:???

恋は、人を変える。
ラクス・クラインは――その日、生まれて初めて、己の呪われた運命に挑みかかった。

「こちら地球連合軍、アークエンジェル所属のMS、ストライク!
 ラクス・クラインを同行、引き渡す! ……イージスのパイロットが単独で来ることが条件だ!」

キラ・ヤマトの独断による、ラクス・クラインのザフト側への返還――
これまでの全ての人生と同様、従順に成り行きに従っていた彼女は……イージスに乗り移って後、気が付いた。
ストライクに襲い掛からんと飛び出してきた、ラウ・ル・クルーゼのシグー。彼に率いられた複数のジン。

「エンジン始動だ、アデス! アスランはラクス嬢を連れて帰投しろ!」

視界の隅にザフト側の動きを見たその瞬間――ラクスは、この先の結末を悟った。
彼女の無意識下の洞察力が、全てを見抜いてしまっていた。

 ストライクは、ここで倒されるのだと。
 バッテリー残量をチェックすることなく、母艦から飛び出してしまったストライク。
 クルーゼらの猛攻の前に、やがてストライクはPSダウンし、シグーによって討ち果たされる。
 軍規に反してまでも彼女を救おうとしたキラ・ヤマトの命運は、ここで尽きるのだと――

それを知った時、ラクスは――自身でも気付かぬうちに、動いていた。
親友同士の敵対宣言、それにさえ眉も動かさなかった彼女が、動いていた。
彼女の手が咄嗟に、イージスの通信機に伸びる。

「ラウ・ル・クルーゼ隊長! 止めて下さい。追悼慰霊団代表の私の居る場所を、戦場にするおつもりですか!?
 そんなことは許しません! すぐに戦闘行動を中止して下さい!」

アスランもたじろぐ、鋭い視線。厳しい表情。
――それは、諦観から脱し、鈍感さという鎧を脱ぎ捨てた、ラクス・クラインの真の姿。
母が亡くなって以来、初めて人前に見せた彼女の「素顔」。

その鋭さに――百戦錬磨のクルーゼさえも、折れた。断念した。
あるいはその不意打ちに、いささか混乱したのだろうか。

「チッ! 困ったお嬢様だ!
 ……了解しました、ラクス・クライン」

舌打ちしつつも、兵を引かせるクルーゼ。
ラクスはアスランの膝の上で、この「予知の外の勝利」を噛み締めた。思わず、笑みが浮かぶ。
そんな彼女に、アスランはただ、目を白黒させるだけで――


518 :隻腕二十三話(08/21):2006/01/25(水) 21:41:02 ID:???

……そう、彼女の「予言」は、覆る可能性のあるものだったんだ。
彼女自身、その時初めて知ったらしいが……絶対では、なかったんだ。

しかし、そのことで彼女を責めるのは酷というものだろう。
その後分かった「予知が覆る条件」を検討するに、まあそれまでの彼女なら仕方ないか、とも思う。

「ラプラスの悪魔」、というのを知ってるかな。旧世紀の数学者が思考実験の中に生み出した「全知の悪魔」だ。
仮にだ――無限の知覚力と無限の演算力を持った「悪魔」とでも呼べる存在が、居たと仮定しよう。
ソイツは無限の知覚力で宇宙の全ての粒子の位置を把握し、無限の計算力で全ての運動を一瞬で計算して……
結果、悪魔は未来を演算によって知ることができる。全く外れることのない予知ができる。

だがこの「ラプラスの悪魔」、思考実験の上においても、1つ論理的な破綻が起こるキズがある。
その悪魔自身がこの宇宙に居て、この宇宙に影響を与えるのなら――自己言及的な計算をせねばならなくなるんだ。
自分自身を計算に入れる必要が出る。そして自分自身を計算に入れることを、計算に入れる必要が出てくる。
合わせ鏡のように、無限に修正が重ねられて……結果、その計算量も無限になってしまう。
つまり、ラプラスの悪魔は、破綻する。
全知全能の神がこの世の終わりまで降りてこないように、絶対の観察者はこの世界に居ることができない、のかな。

ラクスはあくまでもヒトだから、知覚力も演算力も無限ではない。特に知覚の方はごく限られている。
ただ、演算力は、無意識のうちの予測能力は、尋常じゃない。人間離れしている。だから未来が確定的に推測できる。
推測できるが……それはあくまで彼女が「観察者」に徹した場合だけだ。
彼女が「観察者」の立場を崩したのなら、演算は無限の循環を起こし、彼女の処理能力をオーバーしてしまう。
観察対象に干渉することで、彼女の見た未来は間違いにもなりうる。

……少し難しかったかな? とにかく。
ラクス・クラインが、自発的に、直接行動を起こせば、予知は覆るかもしれない、ということだ。
ただこの「自発的」ってのと「直接」、そして「かもしれない」ってのが問題でな。

おざなりな態度なら、やってもやらなくても同じだ。
他人に流されるままに行動するだけなら、そこに彼女は「居ない」。未来推測の計算の中に組み込まれている。
そして彼女自身が直接そのことに関与できなければ、結局居ても居なくても同じこと。
「観察者」の立場を脱することができないからな。推測の材料は変わらんのだから、結果が揺らぐこともない。

それまでの彼女が諦観に捕らわれていたのも、まさにこの3条件があったからでね。
歌姫として議長の娘として、世界に関与はしていたものの、そこに積極的な意欲はあまりなかった。
また幼い少女の力では、どんなにじたばたしても世界の大勢は変えられない。
そして、頑張ったところで、必ずしも効果があるとは限らない。
物心ついた時から積み重ねてきた失望が……彼女自身の目を、曇らせていたんだ。

だが、このささやかな経験、キラ・ヤマトを救った経験によって、ラクスは動き出す。
すっかり諦め受け入れていた「破滅の未来」を覆そうと、彼女は動き出したんだ。

そして彼女は――やがて、さらに2つの限界に突き当たることになる。


519 :隻腕二十三話(09/21):2006/01/25(水) 21:41:57 ID:???

「……ここ、は?」
「お分かりになります?」
「ハロ! ゲンキ! オマエ、ゲンキカ!?」

――目覚めたキラ・ヤマトは、混乱していた。
自分は、アスランと死闘を繰り広げ、最後はイージスの自爆攻撃の前に倒されたはずだ。死んだはずだ。
なのに……ここは。

ラクスが居る。初めて会う盲目の男、マルキオ導師がいる。ハロたちが居る。
温室の外に見える風景は、どう見てもプラントの内部。

「僕は……アスランと戦って……死んだ……はず……なのに……!」

マルキオ導師とジャンク屋ロウ・ギュールが助けてくれたことなど、分かるはずがない。
彼が助けられることを予見し、導師がプラントに連れてくるように画策していたことなど、分かるはずがない。
温室の中で目覚めたキラは、あまりに突飛な展開に、そして周囲の景色に、混乱する――



「……さっきから、聞きたかったんだけど」
「なんでしょう?」
「何であたし、こんなところに寝かされてるの?」

――バルドフェルドの長い昔語りの幕間。彼は追加のコーヒーを淹れるため、屋敷の本館に戻っていて。
まだベッドから起きれないマユは、食事を持ってきたラクスに尋ねる。
「こんなところ」とは、もちろん雪に半ば埋まった温室のこと。不快感はないが、不可解ではある。
2年前にもラクスは、キラに同じようなことをしていたと聞いたばかりだし――
ラクスは電動の車椅子を操り、器用にお盆を運び、マユのベッドの上、可動式のテーブルに載せる。

「だって、こちらの方が綺麗でしょう? お屋敷のお部屋から見る雪景色よりも」
「……それだけ?」
「はい♪」

あっけらかんと、嬉しそうに頷くラクス。どうやら本当にそれ以上の他意はないらしい。
その様子に、マユはげんなりした表情を浮かべて。

「……絶対、関係ないと思う。予知とか生まれとかとは無関係に……やっぱこの人、どっかおかしいよ……」
「どうかなさいましたか?」

小さな呟きは、ラクス本人には良く聞こえなかったらしく。
マユは大きく溜息をついて、ぶっきらぼうに言い放つ。

「……べつに。ただ、やっぱりあたし、アンタのセンスにはついてけないわ」
「そうですか。仕方ありませんわね、それは」

マユのはっきりした否定。しかし、ラクスの微笑は相変わらずで――

520 :隻腕二十三話(10/21):2006/01/25(水) 21:43:15 ID:???
オペレーション・スピットブレイク――
連合軍パナマ基地への一斉攻撃として議会の承認を得た、大攻撃作戦だった。
プラントの政治と軍事ってのは、妙なシステムになっていてな。一定以上の計画は、議会を通さねばならん。
だが――それだけでは、戦争ができん。動きが遅くなる上、敵に全て筒抜けになっちまう。
だから最高評議会議長や国防委員長には、ある程度裁量権が与えられている。議会に相談せずに決定する自由がある。
とはいえ、この場合――

「シーゲル・クライン! 我々はザラに欺かれた!
 発動されたスピットブレイクの目標は、パナマではない! アラスカだ!」
「なんだと!?」

攻撃目標の変更そのものは、パトリック・ザラの裁量権の範囲内だった。
当時の法の上では、議長と国防委員長、その両名の承認でできることだった。そして彼は、その両職を兼任していた。
だから、一応ルール違反ではないんだが――その変更の意味を考えると、これはエラいことでな。

当時のアラスカと言えば、連合軍の最高司令部だ。敵軍の「頭」だ。パナマのような「手足」とは違う。
作戦の持つ意味が、まるで違ってくるんだ。プラントの基本方針の根幹に関わってくるんだ。
議会を無視したこの態度、法には適うが仁義に反する、とでも言うべきかな?

そしてラクスは、それを発表されるまで、知ることができなかった。
……これが、彼女の1つめの限界だ。
知ってしまった未来は、確実に訪れる。あるいはその危機が訪れることを前提として、回避のための努力ができる。
しかし、知りたい未来・知っておくべき未来を、必ずしも察知できんのだ。知った時にはもう間に合わないこともある。
こんな大事件を、彼女は察知できなかったんだ。

とはいえ――どうやら、「近いうちに世界に危機が訪れる」という漠然とした未来像は、抱いていたらしい。
どうも彼女の予知は、ディティールが曖昧なことがある。で、その茫洋とした予感に従って、仕込みは既に済んでいた。
あとは、決断次第だった。何を守り、誰を助け、どういう行動を起こすのか。
――ここで彼女は、第2の限界に、初めて直面する。


「僕は……行くよ」
「どちらに行かれますの?」
「地球へ。戻らなきゃ」

プラント、クライン邸にて――
ラクスたちの庇護下にあったキラ・ヤマトは、スピットブレイク標的変更の一報を受け、言い切った。

「何故? 貴方お1人戻ったところで、戦いは終りませんわ」
「でも、ここでただ見ていることも、もう出来ない」

キラの強い決意。それを目にしたラクスは、激しく動揺した。魂の芯を揺さぶられた。
自分は……覆しようのない運命を目の前に、常に絶望に逃げ込み、動こうともしてこなかったのに。
この人は、この絶望的な状況を前にしてなお、諦めていない。無理を承知で、なお挑もうとしている――!

ラクスは――そして、ミスを犯した。致命的な過ちを、犯した。

「あちらに連絡を。ラクス・クラインは平和の歌を歌います、と――!」

521 :隻腕二十三話(11/21):2006/01/25(水) 21:44:04 ID:???

「想いだけでも……力だけでも駄目なのです。だから……!」

ZGMF−X10A、フリーダム。
ラクス・クラインの手によりキラ・ヤマトに渡されたソレは、アラスカに降下し、戦闘に介入し……
アークエンジェルを始め、失われるはずだった命をいくらか救った。ザフトも決定的な損害は避けられた。
上手く行った、のだが……

ラクス・クライン、そしてシーゲルを含めた穏健派の面々は、反逆罪の疑惑を着せられ、追われる身となった。


ラクスの第2の限界は、まさにこれだ。
彼女には「放って置いたらどうなるか」は分かる。でも、「じゃあどうれば良いか」までは、分からない。
過程も何もなく、未来の一局面が見えるだけなんだからな。
見えない部分や対策は、「常人と同レベルの」意識上の洞察力を使い、自分で考えるしかない。

いや――ある意味、彼女のそういう能力は、常人以下だった。
両親の庇護と、その特異な能力から、彼女は「普通の人」が普通に身に付けるはずのソレを、学び損ねていた。
彼女の取った行動は、あまりに考えなしで、短絡的で、近視的だった。
確かにキラを救うことはできた。最悪の事態は回避できた。しかしその代償に陥ることになった危機は、深刻だった。

あとは……そうだな、彼女自身、自分の能力を過大に評価していたんだろう。
「この能力さえあれば何とでもなる」と。「どんな窮地も先読みして回避できる」と。
そうとでも思わなきゃ……あの能天気な、部下泣かせな態度は、ちょっと説明できんと思うなァ。

そんな、ある意味で傲慢な態度は、程なくして粉々に打ち砕かれることになった。
丁度それは、俺がエターナルごと、ザフトを、パトリックを裏切った頃で――


「父が……死にました……」

紆余曲折の末、プラントを脱出しキラと再会したラクスは――彼の胸で泣き出した。
それは、予見できなかった死。彼女の行動が招いた予想外の展開。
目の前に見えた落とし穴を避けようとして、別の落とし穴に落ちてしまったようなものだ。

運命に干渉できる、ということは、決してプラスの意味だけではなかったのだ。
時にその試みは、別の悲劇を招きうる。起きずに済んだはずの不幸に、自ら突っ込むことになる。

シーゲル・クラインは、ラクス・クラインが殺したようなものだ。
キラ・ヤマトを助けるために、生贄に捧げてしまったようなものだ。
――そんなつもりは、微塵も無かったというのに。
キラと直接顔を合わせた途端、堪えていたものが溢れ出す。気丈に支えていた彼女のポーズが、砕け散る。

それでも、キラは優しくて。
ラクスは、彼の胸で泣き続ける――


522 :隻腕二十三話(12/21):2006/01/25(水) 21:45:03 ID:???

皮肉なモンだよねェ――俺の手足を奪い、片目を奪い、アイシャを奪ってくれたのは、他ならぬキラ君なんだぜ。
何度も戦って、殺し合って、俺の大切な部下を何人も殺してくれた奴なんだ。
……いや、もう憎んじゃいないがな。お互い様だし、キラ自身は悪い奴でもない。それは俺も良く知っている。
それでも――こういう巡り合わせに出くわすと、皮肉な運命だな、と思わざるを得んよ。

後から分かった、ことなんだがな。
キラ・ヤマトもまた、尋常なコーディネーターではなかった。
メンデルにおいて、人工子宮の中に生を受けた、コーディネーターを越えるコーディネーター。
ヒビキ博士の技術の結晶、スーパーコーディネーターだったんだ。
アル・ダ・フラガのクローン作成。その代償に得た莫大な資金をつぎ込んで、ようやく生まれた最初で最後の成功例。
キラもまた――その生まれゆえに、永遠の孤独を強いられた者だったんだ。
同じように世界から「浮いた」存在だったラクスとの間には、そういう共感があったのかもな。



「……え? アル・ダ・フラガを、知っているのですか?」
「うん。エクステンデッドを作ってた、ロドニアのラボでね。ネオが少し教えてくれた」

……既に知っていた思わぬ名前に、マユはバルドフェルドの昔語りを遮ってしまった。
食器を下げるために温室に戻ってきたラクスは、少し考え込む。

「……マユさん、そのお話、もう少し詳しく聞かせて頂けませんか?」
「詳しく、って?」
「これはそんな気がする、というだけなのですが……そのお話、今度の戦争の根幹に関わってくるかもしれません。
 もちろん、バルドフェルド隊長のお話が終ってから、で構わないのですが……
 そのラボの様子や、その『ネオさん』という方のことまで、詳しく聞かせて欲しいのです」

ラクスは真っ直ぐマユを見つめて、頼み込む。

――そう、ラクス自身は、決して「未来が見える」とか「分かる」とかいった表現を使おうとしない。
「そんな気がする」「かもしれない」といった曖昧な表現。
さもなくば、当たり前の決定事項のように、断定してしまう。
映画を見るようにヴィジュアル的にはっきりと「見えている」わけではないのだから、彼女も表現に困るのだろう。
ヒトの言語体系は、運命が分かってしまう娘のためには、作られていない。

――とはいえ彼女も、たった一度だけ、しっかりと「見えて」しまったことがあったのだ。
圧倒的な迫力で、全てを俯瞰するように、見えてしまったことがあった。
それは――


523 :隻腕二十三話(13/21):2006/01/25(水) 21:45:58 ID:???

 『私たちヒトは――おそらくは、戦わなくとも良かったはずの存在……』

――第二次ヤキン・ドゥーエ戦。2年前の戦争の、最後の大規模戦闘。
エターナルのブリッジで、ラクスは問う。
世界そのものに、己の能力そのものに、問いかけずには居られなかった。

 『なのに――戦ってしまった者達。……何のために?』

戦いが続く。
ムウ・ラ・フラガのストライクが、ラウ・ル・クルーゼのプロビデンスの前に、被弾する。
既に、クサナギのM1アストレイ隊にも甚大な被害が出ている。おそらく、さらに増えるだろう。

 『守るために? 何を? ……自らを! ……未来を!』

エターナルのブリッジから直に見えるところにまで、MSが流れてきて爆発する。
敵も味方も、次々と死んでゆく。
多くの命が散っていく中、ラクスは問いかけを続ける。

 『誰かを討たねば守れぬ未来。それは――何? 何故?』

ラクスの中で、何かが砕け散る。眩いばかりの光が、溢れ出る。
極限の中で、彼女はその限界を突破する。彼女独特の知覚、それが無限の領域に到達する。
――その果てに見えたものを、はて、ヒトの言葉でどう表現すれば良いのか。

 『そして、討たれた者にはない未来。では、討った者達は……?』

 そこには――「世界そのもの」があった。悠久の歴史の流れがあった。
 過去・現在・未来、その全てが彼女の目の前に広がり、俯瞰できる。その雄大さに圧倒される。
 あらゆる時代の、あらゆる戦争。その結末。得たもの。失ったもの。繰り返される歴史。
 あまりにもちっぽけな、自分たち。

 『その手に掴む、この果ての未来が――幸福?』

無限に続くかとも思われた幻視は一瞬で去り、ふと見れば周りは未だ戦場の中。数秒も経ってはいない。
膨大な歴史の流れの中で、ほんの小さな一点にして、全てを集約したような一瞬。
ラクスは呆然としたまま、その唇はなお、祈りの言葉を紡ぎ続けて。

 『…………本当、に?』

彼女の問いかけに、答える者はなく。
激戦は数多の死と嘆きを生みながら、やがて、終焉へと向かう――


524 :隻腕二十三話(14/21):2006/01/25(水) 21:46:59 ID:???

ぶっちゃけ、その時ラクスが何を感じたかは未だに分からん。いくら説明してもらっても、俺にはピンと来なくてね。

ただ……その戦い以来、彼女は変わった。大きく、変わった。
一言で言えば、政治の前面に出ることを、辞めたんだ。
戦後混乱するプラントでは、実は彼女の帰還を望む声は少なくなかった。
パトリック政権をクーデターで倒したアイリーン・カナーバも、何度も政治への協力を要請していたんだ。
だが彼女は、その全てを断った。全てを断り、全ての仕事を拒んで、キラ・ヤマトと共に居ることのできる環境を求めた。
そして辿り着いたのが……マユとラクスの出会った、あのマルキオ導師の孤児院だったわけだ。

何でも彼女の「感じた」ところでは、ラクスはプラントで高い地位に押しあげられる運命にあったらしい。
お飾りの看板として祭り上げられ、身動き取れなくなり、何もできぬまま再び戦争に巻き込まれる――
――どこまで本当かは知らん。どこまで本当かは知らんが、ともかく彼女はその「運命」に、抵抗した。
自発的に、積極的に、どこまでも。

……さてね、俺も彼女の真意までは知らないね。
そのうちまたラクスも戻ってくるだろう。その時にでも、直接聞きたまえ。

ただ彼女が孤児院に身を隠すに際し、俺たちに託したものがあった。
「いずれ、オーブ正規軍にも連合・ザフト両軍にも属さない、独立した『力』が必要になる時が来る」
――そう言って、彼女は俺たちにフリーダムの修復と隠匿を依頼したんだ。
最後の戦いで大破したフリーダムは、ジャンク屋が回収していた。一番用意の難しいNJCさえあれば、なんとかなる。
元手になった金は、クライン家の遺産。マルキオ導師の力で、口の堅いジャンク屋を動員して。
様々な偽装工作には、カガリの姫さんの力も借りた。隠しておく屋敷を提供してくれたのも、姫さんだ。
そして俺たちは――俺とマリュー・ラミアスは、それを保管し守るため、あの屋敷に住み込むことになった。

これが、あの屋敷にフリーダムがあったその理由さ。
まさかマユが乗るとは思ってなかったんだがな。いずれキラが回復して、乗ることになるとばかり思っていた。
さもなくば――俺自身が中継ぎとして乗るか、だ。
あの屋敷にあったMSシミュレーターも、本来は俺自身のリハビリ用さ。マユの訓練に使ったのは、そのついでだ。

それからは――ほとんどマユが知ってる通りだ。
知らないだろうことは……ラクスが暗殺されかけたことと、俺たちが準備をし直したことくらいか?

ああ、そうだ。ラクスに協力を断られ続けていた、プラント政府の人間だろうな。
暗殺者自身もそういう言葉を吐いていたというし、あの「偽ラクス」が登場したのは彼女が倒れた直後だし。
俺たちがこの国に来たのも、ヨーロッパを飛び回っていた「偽ラクス」と接触したかったからだ。
オーブに留まっているより、多少は近いスカンジナビアに居た方が動きやすい。クライン家の縁で、色々と無理も利く。

マユを助けたのは――本当は、マユを助けるハズだったのは、マリュー、つまりマリアだった。
お前を止めようとヨーロッパに入ったんだが、どうもベルリン以降、音信不通でね。
ただ、マリューと一緒にいたジャンク屋の仲間がお前の回収に成功してな。俺たちのところに、連れてきたんだ。

……ん? 偽ラクスと接触して、どうする気だったか、って?
さて、どうする気なのかなァ。俺には俺の目的があるんだが、ラクス本人が何考えてるかまでは知らん。
ラクスと俺は、別に主従関係を結んでるわけでもないしな。目的が重なってるから、行動を共にしているだけさ。
それも、直接聞くんだね。

525 :隻腕二十三話(15/21):2006/01/25(水) 21:48:08 ID:???

「――いくつか、聞いていい?」
「どうぞ」

全てを語り終えたバルドフェルドが去った、雪の中の温室で。
おずおずと、マユは尋ねる。まだ自由にならぬ身体、それをラクスに拭き清めてもらいながら、彼女に問う。
聞きたいこと、問いただしたいことは幾つもあったが……少し悩んだ末、最初にその疑問をぶつける。

「結局、アンタって……キラってオトコ1人のために、何もかも放り捨てたってことなの?」

あくまでマユの言葉は硬い。バルドフェルドには抱いていた親密さを廃した、冷たい態度。
対して、ラクスはどこまでも柔らかな笑みを浮かべたままで。

「そうですわね……。結局、そういうことになるのでしょうか?
 キラは、今のわたくしにとって一番大切な方ですわ」
「……よく臆面もなくノロケられるわね……。責任とか感じないわけ? エターナルのリーダーだったんでしょ?」

背を拭いてくれているラクスを、マユは半ば振り返って睨みつける。
しかし、その厳しい視線にも、ラクスは全く揺らがない。

「感じてますわ。だからコレは、引責辞任のようなモノです」
「……詭弁じゃないの、それ?」
「かもしれませんわね」

ラクスは、少し顎に手を当てて考え込む。言葉を探す。

「ただ……あの日、マユさんに怒られてから、色々考えました。
 わたくしたちが本当に守ろうとしていたのは、何だったのかを。
 一体、どこの誰を守っているつもりだったのかを」
「…………」

 『『皆さん』って誰よ! 一体どこの誰を守ってるつもりだったの、あなたたちは!』

「そして――気付きました。わたくしはこれまで、ソレを知らないままに来てしまったのだ、と。
 ごくあたりまえな、『普通の平和な暮らし』を知らずに、来てしまったのだと。
 それを教えてくれたのは、わたくしがお世話するつもりでいた、孤児院の子供たちでした」
「…………」
「人々の『普通の暮らし』、それこそが、奇跡の連続です。特に子供は、無限の可能性を秘めています。
 皆、定められた『運命』があるというのに、それに挑んで……軽々と、克服してしまう。
 わたくしが働きかければしっかり受け止めて、己の『運命』を変えてしまう。
 もちろん……わたくしの力不足を思い知らされることも、多いのですが。
 孤児院の仕事は、本当にやりがいがありますわ。プラントの芸能界などより、ずっと」
「…………」

526 :隻腕二十三話(16/21):2006/01/25(水) 21:48:53 ID:???
「キラも、もうかなり立ち直られましたけど――彼も今は、孤児院のお仕事に生き甲斐を見出してらっしゃいます。
 いずれわたくしたち2人、マルキオ導師の下から独立して、新たな孤児院を作ろうと思っているのですよ」
「…………」

マユは、答えない。背中を優しく丁寧に拭かれながら、何をどう言うべきか迷う。
ラクスは、そんなマユの肩に手を当てて、身体を回すように促す。
車椅子のラクスでは、簡単にはベッドの反対側に回り込むことができないのだ。
マユは仏頂面のまま、しかし素直に身体の向きを変える。今度は真正面から、2人の顔が向き合う。

「今のわたくしたちがあるのも、マユさんのお陰ですわ」
「……え?」
「あの日のマユさんのお叱りは、かなり応えました。わたくしにとっても、キラにとっても。
 そして、恥じました。お会いした初日、最初の挨拶から、自らを偽り誤魔化そうとした自分を。
 未来ある子供や少年少女にこそ、誤魔化したり偽ったりせず、真正面から向き合わねばならない――
 そのことを教えてくれたのは、マユさん、あなたなのですわ。本当に、ありがとう。
 キラも、あの日から色々と変わりました。彼が立ち直れたのも、貴女のお陰でしょう」
「…………」

深々と、頭を下げられる。本当に嫌味でも何でもなく、真摯にそう感じたのだと分かる態度。
それに対し、マユは――

「それでも――それでもあたしは、アンタのこと、大ッ嫌い」
「……そうですか」
「あたしがもし、同じような立場に居て、同じような力を持っていたとしても……
 ラクスみたいな選択は、しないと思う。ラクスみたいな態度は、取れないと思う。
 説明してもらった今なら、前よりも事情は分かるけど……それでも、あたしは、認めない」

きっぱりと、ラクスを拒絶する。
そんなマユの態度に、それでもラクスは、笑みを浮かべたままで――

「嫌われたものですわね。でも――わたくしはマユさんのこと、好きですわ?」
「……変なこと言わないでよ、もう」

ラクスは――この特異な能力を持つ娘は、既にこのマユの否定を「知っていた」のだろう。
マユだけではない。事情を知ったとしてもなお、少なからぬ者が今のラクスを否定するだろう。非難するだろう。
そして、ラクスは――それを「既に知った」上で、なお己の道を行こうとしているのだ。
とうの昔に、ラクスの精神は、マユのような正論を受け止め、検討し、反省した後なのだ。

そして、なお浮かべる微笑。なお貫く自分のやり方。
そこには昔のような諦観も、昔のような傲慢さもない。真正面から世界に向き合っている。
自分の信じるやり方で、諦めることなく、生きて行こうとしている。
だから、それが分かってしまったマユは――少しだけ、表情を緩めて、苦笑した。

「……ったく、敵わないなァ、ここまで無責任突っ走られると」


527 :隻腕二十三話(17/21):2006/01/25(水) 21:49:51 ID:???

――それは、身体を清め終わったマユが、再び服を着終えた、その時だった。
屋敷の本館の方から、足音も荒く男が戻ってくる。バルドフェルドである。

「おい、動きがあったぞ。今『同志』から情報が入った」
「どうしました、バルドフェルド隊長?」
「例の偽ラクスだ。近く行われるヘブンズベース攻略戦で、前線に出てくるらしい。
 多分名目上だけなんだろうが――攻撃部隊の、総隊長扱いだとよ」
「まぁ……」
「ミーアが?」

バルドフェルドの言葉に、2人は思わず声を上げる。
……数秒の沈黙。3人は顔を見合わせて。隻眼の男は、マユに問いかける。

「……誰だマユ、『ミーア』ってのは?」
「…………あ」



「――ミーア、居るかい?」
「あ……アスラン!」

大規模作戦の準備で慌しい、ジブラルタル基地。その一角。
フェイスの徽章を身に付けた赤服のエリート、ザフトの誰もが知る英雄アスラン・ザラが、一室を訪れていた。
彼を案内してきた、大きなバイザーを付けた女・サラが、黙ったまま一礼し、部屋を出て行く。

「あれは……サラとか言ったか。彼女は無事だったんだな」
「コンサートスタッフのほとんどが、まだ行方不明なんだけど……彼女は単身、敵地を突破して脱出してきたんだって」
「凄い人だな。特殊部隊並みじゃないか」

ミーアの説明に、思わずアスランは笑う。ミーアもつられて、微笑みを浮かべる。
ここは、ジブラルタル基地における彼女の部屋。部屋といっても、豪華なホテルのスゥィート並みの間取りと設備。
その一室で、ミーアはどうやらパイロットスーツの試着をしていたらしい。
薄いピンク色の、専用スーツ。胸元には、アスランと同じくフェイスの徽章。
仕事の後特殊メイクを落としていないのか、顔は「ラクス・クライン」のまま。ただ桃色のカツラは取っている。
「ラクス・クライン」の顔に、長い黒髪……いささか、違和感のある絵ではある。

「どう、このスーツ? 可愛いでしょう?」
「ああ。似合ってるんじゃないかな」

クルリとその場で回転してみせるミーア。アスランは微笑みながら、背もたれのない椅子を引っ張りだし、腰掛ける。
身体を動かしたはずみで、痛みに顔を歪める。そんな彼の様子に、ミーアの顔からも微笑みが消える。

528 :隻腕二十三話(18/21):2006/01/25(水) 21:50:51 ID:???

「まだ……痛むのですか?」
「だいぶ、良くなったけどね。ドクターに聞いてみたが、次の作戦への参加は、まだ認められないそうだ」
「……そうですか」
「ミネルバは、ヘブンズベース攻略戦には参加できない。今回、俺たちは見ていることしかできない」

そう――ザフトの総力を上げての大決戦、ヘブンズベース攻略戦。
だが、そこに今回ミネルバは、参加しないのだ。

艦の修理は既に9割がた完了している。
だがアスランが未だドクターストップで、補充のパイロットもMSも届かぬ現状では。
実際に戦えるのは、レイのレジェンドただ1機ということになってしまう。
これでは、ミネルバを投入するメリットはあまりに少ない。

「代わりにどうやら、カーペンタリアの方に向かわされることになりそうだ」
「カーペンタリアに?」
「正確には、カーペンタリア経由で宇宙に上がる、ということらしいな。
 なんでもあの基地に、ミネルバの大気圏脱出用ブースターが置いてあって……
 ブースターを運んでくるより、ミネルバの方から行ってしまった方が早いとか」

大気圏内でも、ミネルバの俊足に敵うような輸送機はそうそうない。ましてや、そんな大きな荷物ともなれば。
連合・ザフトの今の勢力圏を考えれば、大西洋を南下し南氷洋経由でオーストラリアに向かうことになるのだろう。
北大西洋を北上しアイスランドのヘブンズベースに向かうミーアたちとは、ちょうど逆方向になる。

「宇宙でも不穏な動きがあるからな。途中で補充人員を加えて、月軌道に向かうことになるらしい。
 行って見なければ分からないことが多いけれど……」
「じゃあ……次に会えるのは宇宙で、ということになるの?」
「多分な」

アスランの言葉に、ミーアはうなだれて。
椅子に座っている彼に、ゆっくりと近づいて……突然、首筋に抱きついた。

「み、ミーア?」
「怖い……怖いの! あたし、怖いの!」

ミーアはその胸をアスランに押し付けたまま、泣き始める。堪えきれずに、泣き始める。

「で、デストロイに襲われた時も、あ、あたしのために、た、沢山死んだし……!
 また今度は、あたしの号令でみんなが死んで行くのかと思うと……あたし、あたし……!」
「ミーア……」

ミーアの肩が震える。演技でも何でもない。重いプレッシャーに、怯えている。
彼女は――ミーアは、普通の女の子なのだ。ごく普通に生まれ、ごく普通に育った女の子なのだ。
ザフトにいたとはいえ、軍での生活は短かったし――何より、自分の危険は覚悟していても、他人の犠牲はまた別だ。
今さらながら彼女は、「ラクス・クライン」という自分の「役割」の重みに、押し潰されそうになっていた。

529 :隻腕二十三話(19/21):2006/01/25(水) 21:51:52 ID:???

そんな彼女を前に、アスランは――少し戸惑い、躊躇した後、その肩を抱きしめる。
「本物の」ラクスにも、カガリにもなかったその弱さ。
それを目の前にして突き放せるほど、アスラン・ザラという青年は非情でも無情でもない。

「……大丈夫だよ、ミーア。君が責任を感じる必要はない。君は、自分の仕事を果たせばいい」
「アスラン……」
「君も決めたんだろう? 『ラクス・クライン』としての仕事を果たすと。なら、やり遂げなきゃいけない。
 大丈夫、君は1人じゃないんだ。支えてくれる人が沢山いるんだ。だから……」
「――アスラァンッ!」

ミーアを励まそうとしたアスランの声は、途中で遮られて。
彼女は、そのまま彼を押し倒す。椅子が倒れ、柔らかく高級な絨毯の上に押し倒す。
アスランは、逃げるより先に、咄嗟にミーアが傷つかないよう受け止めて……
2人の顔は至近距離で向き合う。アスランの上に、ボディラインも露わなパイロットスーツのミーアが、覆い被さる。
アスランを見下ろすミーアの瞳は、熱く潤み。しばしの沈黙の後、ゆっくりと2人の顔が――



――夜空が見える。
スカンジナビアの、旧クライン邸。雪は止んで雲も晴れ、温室のガラス越しに素晴らしい星空が見える。

屋敷のどこかでは、どうやらラクスが歌っているらしい。
誰に聞かせるつもりもない歌のようだが、静かな夜の空気を伝わって、微かに温室まで聞こえてくる。
彼女の歌を聴きつつ、星空を見上げつつ、マユは1人考える。静かに自分との対話を続ける。
自分は――どこで、何を間違えたのだろう。どうすれば良かったのだろう。
これから、どうすれば良いのだろう?

ラクスたちは、好きにして良いと言っている。好きなだけこの屋敷に留まって良いと言っている。
欲するなら色々と便宜も図ろう、壊れた義手や、失われた足の代わりになる義肢も用意しよう、と言っている。
その一方で、迷惑をかけた代償だ、とも言って、マユには何も要求しようとしない。
……そのあまりの「優しさ」が、かえってマユに迷わせる。

当てのない思索を続けるマユは、いつしかこれまでの記憶を思い出していた。
ラクスの柔らかな歌声に導かれるように、ゆっくりと思い出す。

家族4人の、平凡だが幸せな暮らし。突然起こったオノゴロ島の悲劇。マルキオ導師の孤児院。
ラクスたちに反発し、飛び出した孤児院。アンディとマリアとの出会い。岬の上の屋敷での、穏やかな日々。

  静かな この夜に 貴方を 待ってるの
  あのとき 忘れた 微笑みを 取りに来て

アッシュの襲撃、そしてフリーダムとの遭遇。撃退、防衛、そして、拘束。
ユウナ。ウナト。オーブ軍の人々。ユニウスセブン落下の危機、そして宇宙へ――

  あれから 少しだけ 時間が過ぎて
  思い出が 優しくなったね


530 :隻腕二十三話(20/21):2006/01/25(水) 21:52:53 ID:???
空の上での戦い。インパルスとの出会い。共に突入した大気圏。迫る戦争。インパルスの前に飛び出すフリーダム。
オーブを、世界を守るため、必死で駆け抜けた日々。

  星の降る場所で 貴方が笑っていることを
  いつも 願ってた
  今遠くても また会えるよね

オーブ沖海戦。艦隊派遣決定。カーペンタリア湾での、インパルスとの衝突……そして、思い知らされる自分の未熟。
彼女は初めて、「戦争」というものの片鱗を見る。

  いつから 微笑みは こんなに 儚くて
  ひとつの 間違いで 壊れてしまうから

ミーアとの出会い。ジブリールとの出会い。コニールとの出会い。
オーブを出た少女が初めて知る、世界の様相。多面的な世界。それぞれの思惑、それぞれの正義。

  大切な ものだけを 光にかえて
  遠い空 越えてゆく強さで

スパでの馬鹿騒ぎ。ロドニアのラボ。スエズ防衛戦。ベルリン。北海での決着。フリーダムの、敗北。
傷つき、凍てついた心に映る光景には――色がない。モノクロームの記憶。

  星の降る場所へ  想いを貴方に届けたい
  いつも 傍にいる
  その冷たさを 抱きしめるから
  今遠くても きっと会えるね――

  静かな 夜に――

考えねばならぬことは山ほどあり、考えねばならぬ相手も何人もいる。
けれど、マユはまず思ってしまう。一番最初に、考えてしまう。

――果たして、兄は、シン・アスカは――互いに向け合った刃のあちら側で、どんな光景を見てきたのだろう?
フリーダムを倒しマユを倒した今、どんな想いでいるのだろう?
彼は――微笑むことが、できているのだろうか?
マユは横たわったまま、ピンクの携帯電話を握り締める。
回収されたフリーダムのコクピットにあったという、思い出の品。今の彼女と過去を繋ぐ、唯一の絆。
マユの唇が、小さく動く。

「お兄、ちゃん…………」


531 :隻腕二十三話(21/21):2006/01/25(水) 21:53:53 ID:???


「………ュ」

――真夜中の、スエズ基地。
ザフトの一大拠点となったこの基地の片隅に、部外者の立ち入りが厳しく制限されているエリアがあった。
建物には夜中でも煌々と明かりが灯り、何やら作業をしているようだが、その内容を知る者はほとんど居ない。
暗闇の中、建物の前には、自分が何を守っているのかも知らぬ歩哨がしっかり武装して立っている。

その、建物の中で――

「……今、何か聞こえた気がしましたが……気のせいですわよね?」

白衣の女性研究者が、首を傾げた。肩の前で螺旋を描く金髪が揺れる。
彼女は書類を手にしたまま、その部屋の中央に並ぶ巨大な装置に歩み寄る。

「それとも……『彼』が夢でも見て寝ぼけたのでしょうか?
 まあ、調整中は眠っているも同然ですから、ありえなくもないですが……」

彼女は可能性を検討しつつ、その中を覗き込む。
虹色に光るソレは――カバー付きの卵型のベッド。それが部屋の中にズラリと並べられている。
その中の1つに、裸の青年が1人、横たわっている。ピクリとも動かない。

「夢の中でなら――いくらでも思い出に浸って頂いて構わないのですがね。
 オーバーエクス・オメガワン。
 どうせ起きている間は、思い出すこともできなくなるのですから――」

そういって、彼女は微笑む。歪な笑み。
カプセルの中には、眠り続ける黒髪の青年。
かつてインパルスを駆り、裏切りのフリーダムを撃破したザフトの英雄。
狂犬。血染めの赤。暴力装置。オーバーキル。ジョーカー。狂戦士。
数多の異名の上に、今や「フリーダム殺し」の名を抱く、シン・アスカ――!

「……マユ……」

青年の口元は、再び小さく呟いて。
眠ったままのその目から、涙が一筋流れる。

建物の外、延々と広がる砂漠の上は、晴れ渡った夜空。今にも降ってきそうな満天の星空。
夜はどこまでも静かで、どこまでも穏やかで――


                      第二十四話 『 天国は遥か遠く 』 につづく