195 :隻腕二十四話(01/22):2006/02/05(日) 12:01:57 ID:???
――カーテンの隙間から、朝日が差し込む。
ベッドの上の女は、軽く呻いて目を覚まし――隣に寝ていたはずの男が、居ないことに気付いた。

「…………?」

目をこすりつつ、シーツ一枚身に纏い、彼女は起き上がる。
一瞬形の良い尻が露わになるが、どうせ見ている者などいない。
彼女は、まるでホテルの最高級スゥィート並みの部屋の中、男の姿を探す。

……彼は、寝室の隣の間で、すぐに見つかった。
ガウン一枚羽織っただけの姿で、窓際に立ち、朝日を浴びるジブラルタル基地を見下ろしている。

「やぁ、起こしてしまったかね」
「……別に構わないわ、ギル」

ギルバート・デュランダルの言葉に、タリア・グラディスは溜息交じりに答える。
――そう、最高評議会現議長と、ザフト軍最新鋭戦艦ミネルバ艦長は、古くからそういう仲なのだ。

プラントに帰れば夫も子供も居るタリアだったが、ギルバートとの関係に罪悪感を感じたりはしない。
彼女も夫も、子供欲しさにプラントの婚姻統制のシステムに従っただけなのだ。
家族愛や親子の愛情はあるが、夫婦の間に男女の情愛はない。夫もこの不倫関係を承知している。
むしろ男女の関係ということなら、彼女とギルバートの関係の方が結婚生活よりも長いくらいなのだ。

それでも、タリアは考えてしまう。
もしこの男との間に子供を授かることが出来ていたら、どうなっていただろう、と。
彼と、結婚できていたら――

――いや、それを考えていたのは、タリアだけではなかったはずだ。
若き日のギルバートは、まさにそのために研究を重ねる、情熱的な研究者だったのだ。
遺伝子工学を駆使し、婚姻統制に拠らずして子を成すための様々な方策を探っていたはずなのだ。
けれど――優秀だった彼は、優秀過ぎた彼は、残酷な真実を解明し、証明してしまった。
婚姻統制に従う他、方法がないことを示してしまった。
どうしても子供が欲しいと思っていたタリアは、彼に別れを告げ、今の夫と結婚するしかなかったのだ。

――それ以来である。彼女にもギルバートの真意が分からなくなってきたのは。
彼は研究のテーマを大きく変え、政治にも積極的に参加するようになり……ついには最高評議会議長まで上り詰め。
そして、その権限を最大限に使って――

「ねぇギルバート……貴方は、何を考えているの?」
「何を、とは?」
「とぼけないで。貴方、単に売られたケンカを買っているだけではないでしょう?
 皆に言ってないことがあるでしょう? 何をコソコソ企んでいるの?」
「また人聞きが悪い言い方をするものだね、タリア」
「わたしも、こういう言い方はしたくないのだけど――
 可愛い部下が次々と犠牲になり、オモチャにされるのを見ているとね。
 いくら貴方でも、許せなくなりそうだわ」
「…………」

196 :隻腕二十四話(02/22):2006/02/05(日) 12:03:04 ID:???

ギルバートは彼女の鋭い視線を受け、表情を引き締める。
2人の付き合いは長い。誤魔化せること・誤魔化せないこと、誤魔化して良いこと・悪いことは、自然と分かる。
彼は真面目な表情のまま、窓の外に視線をやる。眼下の基地ではなく、もっと遥か遠くに向けた視線。

「なあ、タリア……君は『養子』を考えたことはあるかね?
 養子が取れるなら私と家庭を持っても良い、と思ったことはあったかね?」
「実の子供を諦めて、ということ?
 ……そうね、当時そういう話があったなら、考えていたかもしれないわね。
 けれどコーディネーターの孤児なんて、居ないも同然だったじゃない。戦争を経た今ならともかく……」
「ナチュラルの孤児では、駄目だったかね?」
「それこそ非現実的だわ。コーディネーターとナチュラルの対立は、あの頃からあったし。
 それに……明らかに私たちより劣っているような子を、ずっと愛していく自信なんて……」

ギルバートの問いに、タリアは首を振る。
タリア自身、さほどナチュラルに対する差別意識はない方ではあったが……
それでも、自分自身のこととして考えれば、どうしてもそういうことを考えてしまうのだ。
そもそもギルバートに言われるまで、選択肢にすら上がらない、発想すらできないことなのだった。
……恐らく、多くのコーディネーターが同じような感覚を抱いているのではないだろうか?
決してナチュラルを軽視しているわけではないが、自分たちの「優秀さ」は譲れないアイデンティティの一部。
実の子に対する執着を脱することができたとしても、その点を考えないことには……

――そこまで考えて、タリアはハッとした。
ミネルバの艦長であり、ギルバートの愛人である彼女だからこそ分かった、彼の真意。
今まで不可解でしかなかったいくつもの事実が、合致する。
彼女はようやくにして彼の思惑を理解し――愕然とする。

「ま、まさか……! な、何てことを考えているの、貴方はッ……!」
「私はね、タリア」

その発想に圧倒され、言葉を失ったタリアに対し……
ギルバート・デュランダル、朝日に照らされたその顔は、真剣だ。
彼は己の正義と使命に深い確信を抱き、はっきりと言い切った。

「人類の未来を、より良いものにしたいだけなんだ。
 より高みに、押し上げたいだけなんだ――!」



              マユ ――隻腕の少女――

            第二十四話 『 天国は遥か遠く 』



197 :隻腕二十四話(03/22):2006/02/05(日) 12:04:03 ID:???

――ほぼ同時刻、スエズ基地。経度の関係上、既に日は高く昇っているこの地で。
メイリン・ホークは、浮かぬ顔で軍病院から出てきた。思わず溜息が漏れる。

「……どこ行っちゃったんだろ、シン……」

メイリンは、病院の建物を見上げる。
……確かに彼女は聞いたのだ。艦長から直接聞いたのだ。「シンはスエズの軍病院に搬送されることになった」と。
ザフトが接収してからさほど間のないスエズ基地、他に病院などありはしない。ありはしないはず――なのに。

「入院してない、記録にもないって……どういうこと?」

これが何かのミスで、他所の基地に回されたとか、搬送が遅れているとかなら、まだ分かるのだが。
事情を話し、親切な看護師にこっそり許して貰って、メイリン自ら病院のネットを検索しても……

 そもそもシン・アスカは、ザフトの病院に収容されたことにすら、なっていない――

では、あの時ミネルバからシンを連れ出した白衣の男たちは何だったのだろう?
医療関係者独特の匂いを身にまとった彼らは、病院の人間ではなかったと言うことなのだろうか?
シンは今、どこに居るというのだろうか?

メイリンは、首を捻る。まるで見当がつかない。つかないが……何か、嫌な予感がする。
自分自身、あまり頭の良い方だとは思っていない彼女ではあったが、しかしこういう嫌な勘だけは良く当たるのだ。
しかし、何をどうして良いのか分からないのも、また事実で――

病院の外は、能天気なまでの青空。なんだか取り越し苦労をしているような気分になり、再び溜息。
そのままトボトボと、メイリンは基地を出ようとした、その時……

「……だーかーら! 取材許可は取ってあるって言ってるでしょ!」
「取ってあっても駄目だ! ここは部外者以外立ち入り禁止、撮影禁止!
 何度言ったら分かるんだよ! これだからナチュラルって奴は、頭が悪くて困るんだ……」
「あーッ、今の差別的発言よッ! 訴えてやる、雑誌に書いてやるんだからッ!」
「ええい、うるさい奴め!」

……何やら基地の一角で、トラブルが起きているようだった。
病院にも程近い、建物の前。やけに装備の充実した歩哨と、バンダナをしたジャーナリスト風の娘が揉めていた。
何故か気になったメイリンは、なんとなく、事情でも聞こうかと思い、不用意に彼女たちに近寄って……

「キャッ!」「!!」

とうとう、兵士に突き飛ばされたその娘とぶつかってしまった。2人揃って、地面に尻餅をつく。
尻餅をついたまま、互いの顔を見合わせる。

「あ――ご、ゴメン!」
「い、いえ、こちらこそ……」

2人の娘は、反射的に謝りあって――それが、メイリン・ホークと、ミリアリア・ハウの出会いであった。


198 :隻腕二十四話(04/22):2006/02/05(日) 12:05:09 ID:???

「へぇ、ミリアリアさんはカメラマンなんですか」
「まだ写真だけじゃ食べてけないから、今は“何でもあり”のジャーナリストなんだけどね」

――スエズ基地の近く。基地の「城下町」とでも言うべき市街。
かつて連合軍がこの地を支配していた頃は、連合兵向けの店ばかり並ぶ街であったが……
基地の主がザフトとなった今、そのほとんどが手の平を返したようにザフト兵向けの店と化していた。
この基地で権勢を振るっていた大西洋連邦自体、元々の住民にとっては余所者だ。義理立てせねばならぬ理由はない。

そんな街の大通り、オープンカフェでコーヒーを楽しんでいたのは、メイリンとミリアリアの2人だった。
基地から追い出されるように出てきた2人は、何となく意気投合して。こうして互いに自己紹介をしあっていた。

「さっき揉めてたのもね……最初はあたし、基地に拘束されてたはずの、ガルナハンの人たちに接触したかったのよ」
「ガルナハンの?」
「連合軍が支配してた頃、ここにはレジスタンスを収容してた施設があったそうでね。
 で、スエズが落ちた時に、捕虜のほとんどは解放されて、故郷に帰ったんだけど……
 『ローエングリンゲート』のガルナハンは、まだ連合の支配地だからね。帰れるハズがないの。
 で、色々調べたら――そのメンバーの一部が、未だこの基地に拘束されてるらしい、って情報があって」
「それで、あんな騒ぎに?」
「消去法で、居るとしたらあの建物かな〜、ってね。追い出されちゃったけど」

茶目っ気たっぷりに舌を出して見せるミリアリア。メイリンはコーヒーのカップを手に持ったまま、少し疑問を抱く。

「ミリアリアさん……」
「ミリィ、でいいわよ」
「……ミリィさんは、何でガルナハンの人たちを探してたんですか?」
「ん〜、あの人たち、『ラクス・クライン』のコンサートを見ているはずなのよね。それも、かなり近くから。
 あたしが調べてたのは、『ラクス・クライン』……正確には、2年の沈黙を破って出てきた『最近のラクス』よ」
「最近……の?」
「もう1人とは、案外簡単に接触できたんだけど……そうなると分からないのが、『アッチのラクス』なのよ。
 ま、調査を依頼してきた人とは、今ちょっと連絡取れない状況なんだけど……」
「……??」

何やら遠い目で呟くミリアリア。事情の分からぬメイリンは、混乱する。
最近のラクス? あっちのラクス? もしかして、『ラクス』が2人居る?
メイリンはミネルバのブリッジで見てきた『ラクス・クライン』、その奇妙な言動を思い出す。
あの時の様子を――ひょっとしたら、このミリアリアにしっかり語るべきなのではないだろうか?
いやしかし、ブリッジで見聞きした事は守秘義務に抵触する危険がある。除隊してもその種の義務は残るわけだし……

と――メイリンが1人悩む間に。
ミリアリアは急にハッと顔を上げる。急に腰を浮かし、メイリンの腕を握る。

「え? ええ?」
「伏せて、メイリン!」

ミリアリアが叫び、メイリンの手を引っ張るのと同時に。
ヒュンッ、と何かが彼女の頭を掠め――少しタイミングがズレて、銃声が2つ、響き渡る――!


199 :隻腕二十四話(05/22):2006/02/05(日) 12:06:04 ID:???

スエズの基地「城下街」、その裏通りを、2人の少女が駆ける。
メイリンのツインテールは、片方が失われて垂れ下がり、奇妙な髪型になっている。
けれど、「この程度で済んだ」こと自体、僥倖と言う他ないだろう。
頭を直撃するはずだった狙撃弾が、僅かに狙いを外し髪留めを吹き飛ばしたのだ。

「ちょっ、ちょっと、ミリィさん! な、何がどうなってるんですか、コレ!?」
「知らないわよ、私だって!」

咄嗟に危機を察知し、メイリンを救ったミリアリアも、事情を把握できていないようで。
ひとまず狙撃手に狙われやすい大通りから逃げ出し、路地に駆け込んだものの……この先の当てがあるわけでもない。

「貴女とあたし、どっちを狙ってきたのかしらね……メイリン、何か心当たりある?」
「こ、心当たりなんて……大体、誰に狙われたかも分からないのに……!」
「狙ったのは――きっとザフトよ。間違いない」
「ど、どうして?!」
「他に、今この街でこんな真似できる組織なんて有りはしないからよ。
 まぁ、ザフト正規軍が知ってるかどうかは分からないけど――要は、プラントの関係者ね。
 真昼間から街中に死体2つ、平気で転がそうってんだからね。他の連中なら、別の手段とタイミングを選ぶわ」

それは、修羅場を幾つも潜り抜け、危険な事件に何度も首を突っ込んできた者だからこその、確信だった。
よく見れば――ミリアリアのこめかみあたりからも、血がにじんでいる。
メイリンの髪留めが跳ばされたのと同様、彼女もまた狙撃を紙一重で避けていたのだ。バンダナが血に染まっていく。

「あたしか、貴女か、それともその両方か――
 どうも、突っ込んじゃいけない領域に首突っ込んじゃったみたいね」
「そんな――」
「――居たぞ! あっちだ!」

ミリアリアの苦笑に、メイリンがショックを受ける間もあらばこそ。
路地に、銃を構えた男たちが駆け込んでくる。どう見てもそれは、ザフト軍の一般兵。
彼らが銃を向けるよりも早く、ミリアリアはカメラを構え――彼らに向け、小さなスイッチを押す。
薄暗い路地が、眩いばかりの閃光に包まれる。

「……! 目晦ましかッ!」
「メイリン、こっちよ!」
「え、ちょっと、待って!」

カメラのフラッシュが改造されていて、閃光弾並みの光を放ったのだ――とメイリンが理解するよりも早く。
ミリアリアは、メイリンの手首を掴んで、路地を駆け始める。
少し遅れて、兵士たちが動揺から立ち直ったのか、2人の背後から銃弾が飛んでくる。2人のすぐ傍を掠めていく。
けれど、ミリアリアは動じない。2年の経験に裏打ちされた、度胸と意思力、そして思い切りの良さ。
かつてアークエンジェルが陥った絶望的な危機の数々を思えば、この程度で諦めてなどいられない。

「こうなったら……逃げ延びてやるわよ!
 それだけ大事なコトに、あたしたちが近づいてたというなら……こんな所では、死ぬわけにはいかないわ!」


200 :隻腕二十四話(06/22):2006/02/05(日) 12:07:03 ID:???

――大規模な艦隊が、大西洋を北上していた。
ザフト、及び親プラント国家からかき集めた、ありったけの地上戦力。
圧倒的なまでの、大艦隊。
それが、連合軍の最大の拠点、アイスランド島『ヘブンズベース』を目指し、静かに進んでゆく――

最初から、こうすれば良かったのだ。
ヨーロッパ等に進出し、無闇に支配域を広げて維持できなくなるくらいなら。
施設を占領し、支配を維持するための歩兵戦力は、連合軍に比べザフト側は圧倒的に少ない。
けれど――MSやMAを中心とする決戦戦力ならば、決して連合に見劣りしないのだ。

だから、ザフトが本来取るべき基本戦略は、敵の要所を強襲し、敵の頭を討って決着を図る路線だ。
事実、2年前パトリックが議長を兼任するようになってからのザフトは、基本的にそのような戦い方に徹している。
このあたり、軍事が専門でないデュランダルの弱い部分が出てしまった、とでも言うべきか。
パトリックよりも政治的パフォーマンスは上手だったが、はっきり言って戦争は下手なのだ。

ただ一方で、状況に合わせ柔軟に対応できるのがギルバート・デュランダルの強みだ。
1つの手段や方法に固執することなく、間違いを犯せば修正し、より良い方法があれば取り入れる。
議長になる以前、ただの評議会議員だった頃から、彼はそういう存在だった。

要するに、全ては、手段。
ナチュラルの殲滅が目的化し、過激な方法以外は取れなくなったパトリック。
ナチュラルとの融和を目指すあまり、攻撃の手を緩めざるをえなかったシーゲル。
このどちらとも、デュランダルは異なっていた。
少なくとも――そう見られていた。

では、彼の目的は――? 交渉も戦略も「手段」に過ぎぬなら、それを駆使する「目的」は?
……それを知る者は現時点でも何人か居たが、しかしこの艦隊を率いる「総大将」は、どうやら知らないようだった。


「ラクス様、そろそろお時間ですが……」
「あ、ちょっと待って、サラさん」

艦隊の旗艦の一室で。
呼びにきた部下、マネージャー的な存在であるバイザーの女に、彼女は慌てて返事をする。
鏡を見てメイクの最終チェックをし、カツラを被る。
纏め上げられた黒髪が隠され、桃色の髪が「まるで最初から生えていたかのように」彼女の頭に装着される。

「……あまり気を抜かないで下さい。そんな無防備なお姿で。
 貴女は『ラクス・クライン』なのですよ? 私の前では構いませんが、他の者の前ではしっかりして頂かねば……」
「……ごめんなさい」

サラの冷たい言葉に、ミーア、否、『ラクス・クライン』は哀しそうに俯く。
必要とされているのは『ラクス・クライン』。『ミーア・キャンベル』では、ない。
皆が求めるのも、従うのも、命を賭けて守るのも――『ラクス』なのだ。
それはとうの昔に承知し、納得していたはずのことだったが――


201 :隻腕二十四話(07/22):2006/02/05(日) 12:07:57 ID:???

 『……君は、『ミーア・キャンベル』だ。『ラクス』じゃない』

うな垂れた彼女の耳に、出発前のアスランの声が蘇る。
このパイロットスーツ姿のまま、絨毯の上で抱き締めあったあの夜。

 『君が演じるのは、『ラクス・クライン』という『役目』であって、そのプライベートじゃない。
  だから……』

ミーアは、俯いたまま、立ち上がる。
桃色のパイロットスーツのファスナーを上げ、きっちりと首まで閉める。

 『だから、これは……ラクスの代わりだからすることじゃあ、ない。
  『ミーア・キャンベル』に対して、『アスラン・ザラ』がすることだ。
  君が演じるのは、そうせねばならない時だけで、いい』

そして、重ねた唇の記憶。
ミーアは己の唇を、静かに自分の指でなぞると――その顔を上げた。
そこに浮かんでいたのは、掴み所のない微笑。多くの者が想像する『ラクス・クライン』の微笑。

「――では行きましょうか、サラさん。わたくしを待って下さっている、みなさんのために」
「は……はい……!」

すっかり「スイッチ」が入り、完全に「理想の歌姫」の生き写しと化した彼女。
そんな『ラクス』の姿に、サラはその険しい表情を崩して、頷いた。
狂信者特有の、恍惚とした笑みで――!



『勇敢なるザフト兵のみなさん。そして我らプラントに協力して下さっている、地球のみなさん。
 わたくしは、ラクス・クラインです』

その放送は、北上する艦隊が間もなくヘブンズベースを射程圏に捉えるか、というタイミングで始まった。
艦隊の全ての艦に映像は届けられる。手の開いているものはモニターを見上げ、作業中の者も耳を傾ける。
いつもの際どい舞台衣装ではなく、薄桃色のパイロットスーツ姿の彼女。胸元にはフェイスの徽章。

『わたくしたちは、これまで、地球のみなさんとの共存を望み、行動してきました。
 けれど……ロゴスに牛耳られた現在の連合軍は、これを常に踏みにじってきました………』

それは、ザフト側の正義を主張し、連合側の非を責める演説。
要約すれば大したことのない内容を、計算されつくした表情と口調で、少々オーバーに訴えかける。
連合軍の最重要拠点、ヘブンズベース攻撃を目前としての、兵士たちの戦意高揚と世界に対する自己正当化。
分かりやすいが、それだけに効果は大きい。
大きい、のだが……


202 :隻腕二十四話(08/22):2006/02/05(日) 12:09:45 ID:???

「クックック……! 来たぞ、来たぞ、来たぞ……!
 待っていたのだよ、『ラクス・クライン』が直接出てくる、このチャンスを!」

その『ラクス・クライン』の生放送を聞き、含み笑いを隠せぬ男がいた。
――ザフトの関係者ではない。プラント関係者でもない。それどころか、彼の居るのは大西洋連邦は北アメリカ。
ロード・ジブリール、その人である。
これだけ分かり易いザフト側のやり方、彼に読めないはずもない

「悪いな、ネオ。今ワタシは少しばかり忙しくてね。そこにいる彼女の件も含め、詳しい話は後で聞こう」
「分かっていますよ。お気遣いなく」
「おい誰か! 至急、例の映像を準備しろ! ワタシも直接出る!」

ジブリールは、無数のモニターが並ぶ部屋で声を上げる。
仮面の大佐はニヤリと笑って、部屋の隅に身を引く。
その大佐に連れてこられた、場違いなツナギ姿の女性は……事態の推移に、まるでついていけない。
ただ呆然と、TV局のスタッフらしき人々がセッティングを進める様子を、見守るしかなく――


――それは、『ラクス』の演説が佳境に入った、まさにその時。
突然、画面が乱れる。音声が乱れる。
ノイズが一通り走った後に、現れたのは――

『放送中、失礼させて頂きたい。ワタシは、ロード・ジブリール。
 無礼を承知で、今まさに、皆さんに見て頂きたい映像があるのです――!』

そう――それはエキゾチックな服をまとい、毛並みの良い猫を膝の上に乗せた、中性的な男の姿。
デュランダル議長のロゴス糾弾演説以降、自らTVなどに出ることも増えていた、大西洋のメディア王――

いや、演説を行っていた『ラクス・クライン』も、未だ画面に映っている。
画面の片隅、分割された小画面に、事態が把握できずに動揺している姿がそのまま映っている。
電波ジャック――以前、スエズ攻防戦の時にザフトにやられたことを、より洗練された形でやり返した格好だ。

『見て頂きたいのは、こちら。この写真です!』

ジブリールが片手を上げると、虚空に浮かぶ(おそらく画像合成による)モニターに、一枚の映像が映る。
歌姫の装束をまとった、黒髪の娘の写真。どうやら雨の中、橙色のザクファントムの盾の下で雨宿りしている様子。
手元には、見覚えのある色合いの桃色のカツラ。それには、今や見慣れてしまった星型の髪飾りのついたままで――!

『少し荒いですが、動画もあります。是非、ご覧頂きたい――』


203 :隻腕二十四話(09/22):2006/02/05(日) 12:10:38 ID:???

「――ミーア! ジブリール! まさか、あれって……あ、あたしの……!」

その一連の映像、『ラクス』の演説からジブリールの割り込みに至る流れは、中立国スカンジナビアにも届いていた。
丁度ジャンク屋の少女に義足の調整をしてもらっていたマユは、思わず立ち上がろうとして、盛大に転ぶ。
ジャンク屋の少女は、慌ててマユを助け起こす。雪に埋もれた温室ではちょっと寒々しい印象の、ヘソの見える服装。

「ま、マユちゃん!? 大丈夫!?」
「うう……だ、大丈夫です、樹里さん。それより、これって……!」

助け起こされながらも、マユの視線は壁のモニターに釘付けで。
その写真と映像、見間違えるはずがない。かつてマユが、『ラクス・クライン』誘拐を試みた時に撮ったもの。
あの桃色の携帯電話で撮影し、ネオに見せ――当時連合の基地だったスエズで、ジブリールに渡したあの映像だ。

音声はないが、あの日あの時のミーアの表情が世界に流される。
ラクスの顔を模した特殊メイクのまま、彼女が浮かべるのは『ラクス』にはない表情。
小分割されたサブ画面の中では、そのミーアが見るも哀れに困り果て、慌てている姿がありありと映っている。
途中でザフト側も利用されていることに気付いたのか、やがて小画面の映像は乱れ、消えてしまったが……
それでも、ここまでの間に映ってしまった映像だけで、ほとんどの人々には分かってしまっていた。
ジブリールの指摘の通り、『あの』ラクスは、偽者だったのだと――

「あたしの……せいだ……」

マユは肩を震わせる。自分の考えなしの行動が、敵同士ながら共感し合ったミーアを、今になって追い詰めている。
自責の念が、マユを責め苛む。幻肢痛に襲われ、右腕の断端を押さえて呻く。
と……そんな時。

「あらあら……大変ですわね」
「!!」

温室に、場違いな程に呑気な声が上がった。
マユが振り向いて見るまでもない、車椅子の上の彼女――もう1人の、『本物の』ラクス・クラインだ。
例によって曖昧な微笑を浮かべたまま、アンディに車椅子を押され、温室に入ってくる。
そんなラクスを、マユは一瞬激しい憎悪の視線で睨み付けたが――すぐに必死な表情になり、すがりつく。

「ら、ラクス!」
「……はい、何でしょう?」
「お願い! ミーアを、あの子を助けてあげて!
 こんなことになっちゃったのも、全部、あたしが悪いから……だから……!」

言葉の途中で、マユは涙ぐむ。
ミーアを、助けたかった。マユのせいで陥った窮地から、救いたかった。けれど、マユには何の力もなくて……
ラクスがマユのために「何でも便宜を図ってくれる」というなら、今こそ力を貸して欲しかった。

「……大丈夫、分かっていますわ。
 バルドフェルド隊長――あの準備、もう出来てますわよね?」


204 :隻腕二十四話(10/22):2006/02/05(日) 12:12:05 ID:???

画面の中では、なおもジブリールの糾弾が続く。
いつからラクスが『入れ替わって』いたのか、詳細な検討が始まる。容赦なく、偽りの歌姫の仮面を剥ぎ取っていく。

『ですから――ラクス・クラインは、その再登場の頃から既に……』

と、またもや唐突に。
ジブリールの映っていた画面が、乱れる。まるでジブリールがザフトの映像をジャックした、その時のままに。
やがてノイズが収まった時、そこに映っていたのは――

椅子に腰掛け、どこかの室内で穏やかに微笑む、『ラクス・クライン』だった。

パイロットスーツ姿で演説していた彼女と、瓜二つの彼女。
ただ、衣装は比較にならぬほど穏やかで落ち着いたものとなり、髪飾りの形状も違っている。
古くからの『ラクス・クライン』のファンなら、すぐに気が付いただろう。
その髪飾りは、2年前の彼女がステージ上でも私生活でも愛用していたソレと、同一のデザインだということに――

『――あまりわたくしの『影武者』を虐めないで下さい。
 わたくしは、いえわたくしが、『ラクス・クライン』です』

彼女は、穏やかな微笑みを浮かべたまま、言い放つ。
ジブリールは――今度はジブリールが、画面の隅の小画面に閉じ込められた格好。逆転した立場。
信じられない、という表情を浮かべた彼をよそに、『後から出てきたラクス』は淡々と語り続ける。

『『もう1人のわたくし』については、好きにすれば良いと思っていたのですけれどね。
 非難されている姿を座して見ているのは忍びなく、こうして割り込ませて頂きました。
 失礼ですが――貴方に、他人を非難する資格があるのでしょうか? 偽りを用いていると非難する資格が?
 ロード・ジブリールさん。誰もが知る、大西洋の若きメディア王さん。いいえ――』

そして、『もう1人のラクス』は、余裕たっぷりに、その真実を暴露した。

『――『ブルーコスモス』現盟主、『ロード・ジブリール』!』


「――! 止めろ! あの映像を止めるんだ! 早く!」

その一言に、思わず息を飲んだジブリールは……正気を取り戻すと同時に、椅子を蹴って絶叫した。
優秀な彼のスタッフが、二重の電波ジャックからの回復を試みる。
やがて回線への侵入路を特定し、即座にカットしたが――致命的な一言は、既に放たれてしまっている。
がっくりと椅子に腰を下ろすジブリール。
と、数秒遅れて映像のコントロールが回復していることに気付いた彼は、慌てて自分たちの映像もカットして――

最後はグダグダに、訳の分からない状態のまま――その世界を揺るがす一連の放送は終了したのだった。


205 :隻腕二十四話(11/22):2006/02/05(日) 12:13:05 ID:???

「……えらいことになりましたなァ」
「……ちょっと黙っていてくれないかね、ネオ。
 ワタシとしたことが、少し混乱しているようだ……」

――電波ジャックを打ち切った、ジブリールのスタジオ。
慌しく「二重電波ジャック」の犯人の逆探知などに取り掛かる部下をよそに、ジブリールはこめかみを押さえる。
彼が自ら告白するまでもなく、普段の冷静さを失っているのは傍目にも分かる。
苛立ちを隠せぬ彼の様子に、愛猫さえも膝の上から逃げ出してしまった。

ブルーコスモスの盟主――つまりリーダー。
しかし、「ブルーコスモス」は元々非公式な地下組織。その組織構成やトップの情報は、本来は伏せられている。
自ら盟主であることを公言していた先代盟主ムルタ・アズラエルの方こそ、例外的存在だったのだ。
ロード・ジブリールが盟主であることも、当然、極秘事項の1つであって……

それを、こんな場で暴露されてしまったのだ。
この種の秘密は、そうと分かってしまえば不思議と傍証が沢山出てきてしまうもの。
1つ1つでは証拠としては弱すぎるものが、確信と共に集められることで、立体的に事実を裏打ちする。

ジブリールがブルーコスモスの盟主だ、という事実が一般に浸透すれば……
それは彼の一番の武器であるメディアグループの信頼にも響く。
そして非合法なテロ組織である、ブルーコスモスの実態解明の動きにも繋がりかねない。

これが違う形で発表されていたなら、ロゴス糾弾の時と同様、しらばっくれた後に反論する手も取れたのだが……
あの『もう1人のラクス』が取ったやり方は、まさにジブリールが『偽のラクス』に仕掛けたのと同じ手法。
生放送で暴露し、同時に本人の反応を示すことで、見ている者に強い説得力を感じさせるやり口――!

「ええいッ……忌々しいッ! 今頃になって『本物』が出てくるなどッ……!」
「……あー、じゃあ、盟主殿はちょっと忙しそうなんで。
 俺たち、後から出直しますわ。この件についちゃァ、俺の出る幕もなさそうですしね」
「ああ、そうしてくれッ! 全く、ふざけてるッ……!」

苛立ちを滲ませながら、それでも慌しく対策を練る『盟主』に、ネオは軽い口調で断りを入れて。
傍らに立つマリューを促し、外に出る。部屋を出た途端、マリューは堰を切ったように質問をぶつける。

「……どういうことなの? あのジブリールが、ブルーコスモスの盟主、って……!」
「まあ――そのまんまさ。アレが今の盟主殿。アズラエルとはちょっと違うだろ? 自称・頭脳派だとさ。
 前の戦争で武闘路線に傾き過ぎて自滅しそうになってた組織を、上手いこと立て直した功労者でね。
 確かにキレ者なんだが、ちとアクシデントに弱いのがタマに傷ってとこかねぇ。で、同時に……」

仮面の大佐は、ちょっと言葉を切って、ニヤリと笑う。

「同時に、アレが俺の『後ろ盾』でもある。俺が色々と好き勝手やれるのも、アイツの力がバックにあるからさ」


206 :隻腕二十四話(12/22):2006/02/05(日) 12:14:15 ID:???

スカンジナビア王国、旧クライン邸――

「……ふぅ。切られてしまいましたわね。もう少し話したいこともあったのですが」
「おいダコスタ君、逆探知とかはされないだろうな? ココが突き止められると厄介だぞ」
「大丈夫ですよ、隊長。こっちはプラント政府のお膝元で、何度も地下放送してきた経験がありますから。
 中継点をいくつも重ねてるんで、ここまでは辿り着けないでしょう。
 ……とはいえ、これで『仕込み』は全部使っちゃったんで、暫くはこんな真似できませんけどね」

屋敷の一室で、二重電波ジャックを行っていた面々が、作戦の成功に顔を綻ばせていた。
ラクスは椅子から車椅子へと移り、アンディは彼女にコーヒーを差し出す。
アンディの部下らしい「ダコスタ」と呼ばれた青年が、手馴れた様子で機材を片付けていく。
そんな室内で、1人黙り込んでいるのは――

「…………」
「ん? どうした、マユ? そんな怖い顔して」
「ひょっとして……あたしが頼まなくても、同じことしてた?
 ひょっとしてラクス、最初っから全部『知ってた』? 『知ってて』準備してたの?」

荒削りな状態ながら、一応の調整が済んだ義足で立ち、新調した義手で腕組みし、彼らを睨んでいたのは――
さっき温室で取り乱していた、マユだった。本気で怒っている。

マユの疑問は、もっともだろう。そして、当たっているはずだ。
これだけの準備と仕掛け、マユが言い出してから準備していたのでは、とても間に合わない。
いや、ジブリールの放送が始まってから準備しても、間に合わないはずだ。
正確な日時まで把握してたかどうかは分からないが、しかし予めこの展開を予測し、準備をせねばこうはできない。
そして――そんな真似を可能にする、ラクスの「ある特異な能力」についても、つい先日聞いたばかりだった。

「本当はこうなる前に何とかしたかったのですけれど。これは次善の策に過ぎません。間に合って幸いでした」
「だからって……! もう、これじゃ泣いて頼んだあたしが馬鹿みたいじゃない!」

ラクスの微笑に、マユは癇癪を破裂させる。
全く、人が悪いとはこのことだ。分かっている範囲だけでも教えておいてくれれば、こんな思いをせずに済んだのに。

「けれど……マユさんの訴えは、無意味ではありませんでしたよ」
「……どういうこと?」
「わたくしは、ギリギリまで迷っていたのですよ。ミーアさんを助けるか、突き放すか。
 けれど、マユさんの言葉で……助けてあげようと、決めたのです」

果たして、ラクスが語ったあの短い言葉のどこで彼女を「助けた」ことになるのだろう?
マユには分からない。分からないが、多分、助けることになるのだろう。ラクスが「見た」未来において。
……とりあえず理解はしたが、未だ納得のできないマユは、ふてくされたように吐き捨てる。

「……それでも、ムカツクの! 全くムカツクったらありゃしない! ほんと大ッ嫌いだわ!」
『ムカツク! ムカツク! ラクスゥ! オマエモナー! ……ピギャーッ!!』

マユの罵声にも、ラクスはただ微笑むだけで。
傍らで騒ぐ桃色の球体に、マユは思いっきり八つ当たりの蹴りを叩き込んだ。電子音の悲鳴が部屋に響く。

207 :隻腕二十四話(13/22):2006/02/05(日) 12:15:27 ID:???

――ザフトの艦隊は、混乱していた。
自分たちが慕い、敬愛していたラクス・クライン、この艦隊の総隊長が――ニセモノ。
何をどう考えて良いのかも分からない。

だが、敵を目の前にして、ただ混乱しているわけにも行かない。
作戦の時間は既に決まっていて、動かせないのだ。
軌道上からは、艦隊の攻撃に合わせて降下作戦も行われる予定になっている。
彼らが遅れたら降下部隊は孤立し、死に追い込まれることになる――

だから彼らは、混乱しつつも進軍を続けるしかなかった。彼我の射程圏内に入る。
海上を進む艦船の上に、MSたちが出てくる。
バビ。ノクティルーカ・ザク。そして、正式に量産の始まった、青いグフ・イグナイテッド――

一方、連合軍側も少しの混乱があった。
ブルーコスモス盟主の暴露。これが、軍に潜んでいた少なからぬブルーコスモス構成員に動揺を与えていた。
末端構成員の多くは、盟主の名前も知らない。「自分たちはテレビ屋などのために戦っていたのか」と疑問が湧く。
逆に、軍の上層部には、盟主を既に知っている者が何人もいたが、彼らは彼らで動揺する。
「ジブリールの次には自分たち幹部構成員が暴露されてしまうのではないか」と。

しかし動揺していても、敵は構わずやってくる。
彼らもまた、出撃を開始する。
ダガーL。105ダガー。そして――ネオに先行配備されていた最新鋭量産機、ウィンダム。
ジェットストライカーをつけたそれらMSに加え、大型MA・ユークリッドが、海面を滑って飛び出していく。

そして――互いの軍は、それぞれに動揺を抱えたまま。
明確な始まりの合図もなしに。
両軍は、双方の大軍は、真正面から激突を開始した。


海上に出てきた双方の軍勢は、ほぼ互角に見えた。
全体で見れば、ザフト側が少し質重視、連合側が少し数に勝る、といったところか。
グフとウィンダム。どちらも勝負を賭けて投入した新型MSは、ほぼ同等の戦力アップをもたらしていた。
ただ、連合側には固定砲台などの火力が、ザフト側には軌道上から直接降下・攻撃する別働隊がある。
ぱッと見、双方互角に見える戦場だったが――

海の中では、その均衡は大きく崩れているのだった。
あるいはそれこそが、この戦いを大きく覆しうる、ザフト側の隠れた切り札なのか――?


208 :隻腕二十四話(14/22):2006/02/05(日) 12:16:12 ID:???

蒼い影が、水面下を駆ける。
防衛側のフォビドゥン・ヴォーテクスの部隊が、三叉の槍を構え迎撃しようとするが、遅い。
正面から魚雷を撃ちながら突っ込み、通り過ぎざまに速射砲。
ヴォーテクスの側の決死の反撃も、PS装甲に弾かれて――あえなく、撃沈する。
個々の性能ならザフト系水中MSを大きく上回るはずのフォビドゥンヴォーテクスが、まるで赤子扱いだ。

「ハーッハッハ! このマーレ様の『アビスインパルス』は、無敵だ!」

蒼い影の中、パイロットが哄笑する。
それは、そう、以前スエズ攻略戦で苦汁を舐めさせられた、マーレ・ストロードその人。
彼が乗るMSは――全身青一色の、「アビス」と「インパルス」を足して2で割らないような、奇妙な機体だった。

ZGMF−X56S/ε、アビス・インパルス。
「インパルスバリエーション」の一形態である。
元々インパルスは、シルエットの換装によって様々な戦局に対応できる設計になっている。
しかし、チェストフライヤーやレッグフライヤーもまた、さらなる拡張性を与える換装可能部品なのだ。

このアビスインパルスでは、チェストはノーマルのものを使用。
レッグは水中用の推進器を備えたパーツを用い、シルエットもアビス同様のバインダーを備えたものが用意される。
そして、VPS装甲を活かし耐圧性を高めた設定を選べば、汎用MSのインパルスが水中用MSに変身できる。
元々のアビスと比べれば、少々性能は低下していたが、それでも並大抵の水中用MSよりも高いスペックを誇る。

他にも半獣半人の四足歩行形態を取るガイアインパルスや、ガンバレルを備えたカオスインパルスもあったが。
この戦いでマーレが選択したのは、己の得意分野であり、また苦い思い出のあるアビスを模した、この装備だった。

「フフフ……! 見ている者は見ているのだ! このMSが回ってくるとはな!」

敵を蹴散らしながら、マーレは笑う。
元々水中戦の得意な彼に、このMSだ。誰も勝てるわけがない。

もっとも……マーレにこのインパルスが回ってきた経緯を考えると、なお少し苦い思いが湧き上がるのだった。
このインパルスと追加装備――元々は、ミネルバに配備されるはずだったもの。
ミネルバで待望されていた予備のコアスプレンダー、予備のパーツの数々、新型の追加装備……
それらが、ミネルバ側の事情、パイロットの脱落という現状を受け、急遽「お下がり」で回ってきたのだ。
つまりは、マーレが彼らを越えたわけではない。今なお、マーレはそれよりも劣る存在と見られている――

「……ふッ。なに、戦果を挙げれば良いだけのことだ! ナチュラルを沢山殺してな!」

少し弱気になりかけた自分を、マーレは首を振って振り払う。少し汗をかきながらも、苦笑で不安を吹き飛ばす。
見れば、水中の敵は大方倒してしまったようだった。
友軍のゾノやグーンが倒した分も多いが、一番撃墜数の多いのは間違いなくマーレ。

「では、少し上の敵も叩いてやるかな――我が戦果を目撃する者も、多い方が良い――」

彼は、さらなる戦果を、分かりやすい戦果を求め、機体をゆっくりと浮上させた。


209 :隻腕二十四話(15/22):2006/02/05(日) 12:17:03 ID:???

――隠しているカードがあったのは、ザフト側だけではない。
準備に少し手間取ってはいたが――真の恐怖が、ヘブンズベースの地下から出現しようとしていた。

『――生体CPU、リンケージ同調率87%。システムオールグリーン』

黒い巨体がヘブンズベースの地下からせりあがってくる。周囲の連合MSが、怯えるように道を開ける。
その偉容に、敵味方双方の視線が集中する。どちらにとっても、恐怖を具現化したようなその姿。
どこか壊れたような笑い声に、オペレーターの事務的な声が重なる。

『X1デストロイ、発進スタンバイ。スティング・オークレー中尉、発進願います』
「ヒッヒッヒ……ヒハハハハ……! ……さぁ、行くぜェ!」

――スティング・オークレー。「ファントムペイン」、3人のエクステンデッドの最後の生き残り。
その血走った目は、かつてマユたちと笑い合っていた頃の雰囲気を、まるで残していない。

「……おるぅぁア!」

しっかり両足を張ったデストロイは、その円盤状のパーツを前に引き倒し、その巨大な砲をザフト艦隊に向ける。
ケタ外れに巨大なデストロイ、その身長にも匹敵する長さの巨大な砲身。それが4本。
冗談の塊のようなその大砲が、まとめて一気に火を噴いて――比喩でも何でもなく、海を割る。
一発の射撃で、何隻もの戦艦が吹き飛び、生き残った艦艇も大波に揺れる。
敵味方合わせ、巻き込まれたMSの数も数え切れない。

「ヒャーハッハッハ! 最高だぜェ!」

スティングは叫ぶ。この上ない戦闘の歓喜、破壊の光景に、狂い笑う。
今度は円盤外周にズラリと並んだビーム砲が続けざまに火を噴き、基地に迫ろうとしていたグフを次々と貫いていく。
海中のアビスインパルスの奮戦どころの話ではない。たった1機で、戦況を変えてしまう悪魔の兵器――!


「ちぃッ……! デストロイが、もう1機あったとはな!
 だが――ソイツは既に、このインパルスが倒しているのだ!」

海面に出てきたマーレは、この強敵の出現を目撃してなお、唇の端を強気に吊り上げた。
強敵だが、機体のスペック的には勝てぬ相手ではない。マーレとしては少し悔しいが、シンが証明してくれている。
ただ――この装備では、少しマズい。マーレは予備パーツを収納している潜水母艦に向け、叫ぶ。

「換装するぞ! フォースシルエット、射出しろ! あと、ソードシルエットもだ!」


――その姿は、スティングの側でも察知できていた。
水中から飛び出した、見慣れぬ1機のMS。アウルの乗っていたアビスに似ているが、微妙に違う。
それは空中でバックパックを外し、新たなバックパックと合体し――色を変える。間違いない。インパルスだ。

どうやら下半身は水中用そのままのようで、アビスのディティールを一部に残していたが……
機能的には、ほぼノーマルの脚部と遜色はない。推進器を装備した分、フォールディングレイザーがないくらいだ。
フォース装備のインパルスは、飛んできたソードシルエットからエクスカリバーだけを受け取り、しっかりと構える。

210 :隻腕二十四話(16/22):2006/02/05(日) 12:18:04 ID:???

「ヒャハハハ! 面白い! ミネルバも居ないのに、インパルスとはなァ!」
「フハハハ! これぞインパルス最強形態! フリーダムも倒したこのインパルスは、無敵だァ!」

双方のパイロットは、哄笑を上げる。哄笑を挙げつつ、インパルスは接近し、デストロイはMS形態に変形する。
横槍を入れようとする者は居ないわけではなかったが、しかしどちらにとっても大した敵ではない。
インパルスの行く手を阻もうとしたウィンダムは斬り落とされ、デストロイに銃を向けたバビは撃ち落される。
誰にも、邪魔できない。

「そのデストロイ……接近戦に弱いのは、既に割れてるんだよォォ!」

デストロイの側からは恐るべき威力と数のビームが浴びせ掛けられるが、マーレは的確にかわして距離を詰める。
水中戦の戦果ばかりが指摘されがちなマーレではあったが、実は総合的な実力もまた一級。
並大抵のパイロットなら足の竦むようなビームの嵐の中、果敢に接近する。
が、しかし……唐突に。攻撃が当たったわけでもないのに、デストロイの両腕が、爆発音を発して――外れてしまう。

「ハハハハハハ…………は?!」
「ヒャーッハッハ! お前は――『いつのデストロイ』を相手にしているつもりだ!?
 俺の2号機はなァ……ステラが乗せられていたような、『未完成品』じゃねぇんだヨ!」

距離を詰めるマーレの哄笑が、途中で凍りつく。今度はスティングが笑う番だった。
「本体」から切り離された「両腕」は、それぞれが独立した生き物のように空を舞い、角度を変えてマーレを襲う。

そう――それは、以前「計画を前倒しして」投入された1号機には、間に合わなかった機能だった。
奪ったカオスの技術を応用した、量子通信による遠隔操作ユニット。鈍重なデストロイの欠点を補う特殊装備。
1号機はその運用に際し、対MS用の護衛を必要としたが……「完全なデストロイ」には、最早必要ない。
ましてやスティングは、この種の兵器を扱うスペシャリストでもある。適性のない者に対処できるものではない。

「ふ、ふざけるな! こ、この形態のインパルスは、無敵のフリーダムさえも倒した……」
「無駄だァ! この腕も、守りは万全だからな! ……ほらほら、背中がお留守だぜェ!?」

インパルスがデストロイの片腕に向けて撃ったビームライフルの一撃は、腕の外側に張られた光の壁に遮られて。
逆に射撃の際、片手に持った大剣の重さでバランスを崩す。その隙を見逃さず、背後からもう一方の腕が襲いかかる。
5本の指先から放たれるビームを、マーレは回避しきれない。翼が吹き飛び、両足が吹き飛び、頭が吹き飛ぶ。

――どちらも、機体は十分に強かったのだ。どちらも、腕は良かったのだ。どちらにも、勝ち目はあったはずなのだ。
けれど、この結末は――機体性能に頼ってしまった者と、機体性能を十二分に引き出した者との格差。
あるいは、単に「フリーダムを倒した」という事実にのみ着目し、その理由を考えなかったマーレの迂闊さ。
エクスカリバーのような「余計な重量」を握っていなければ、あるいは避けきれたかもしれないのに――!

マーレは慌てて本体を捨て、コアスプレンダー単機で脱出を図るが……
スティングはなおも容赦しない。小型機の片翼をビームが掠め、コントロールを失った機体は墜落していく。

「ち、畜生ッ……! だから、ナチュラルはッ……!」
「ヒャハハハハハ!」

マーレの呪いの言葉は、海面に上がる飛沫に遮られ――後には、スティングの哄笑だけが響き渡る――


211 :隻腕二十四話(17/22):2006/02/05(日) 12:19:13 ID:???

スティングとマーレの闘いに決着がつこうとしていた、その頃――
ヘブンズベース上空でも、この戦いを左右するもう1つの決着がつこうとしていた。

軌道上から、円錐形の降下カプセルがいくつも投下される。MSを何機も載せた、大気圏突入用カプセルだ。
いわば、MS規模、宇宙的規模での空挺降下。
いくつもの流星が、アイスランドを目指して赤い尾を引く。

先の戦争でも、ザフトはこの作戦を多用することで優位を作り出してきたのだ。
通常の空挺降下なら制空権を押さえることで妨害もできるが、軌道上からのこの攻撃を防ぐ手段は皆無。
敵の急所に直接MSを送り込めるこの方法で、ザフトは数多くの基地や拠点を落としてきた。
この作戦が使えなかったのは、地下の大空洞に基地を構えていたアラスカ攻略の時くらいのものだ。
2年前のパナマ攻略の際には、MSではなくグングニルを投下することで決着をつけている。

今回もザフトの面々は、この攻撃に絶大な自信を持っていた。
断片的に入った降下直前の情報では、地上の部隊は苦戦を強いられているようだったが、しかし構いはしない。
彼らが敵防衛隊の後方に降りることで、敵を挟撃することもできよう。
あるいは、防衛隊が地上部隊に引きつけられている間に、敵司令部を落とすこともできよう。
どちらで行くかは、降下してから判断することになるが――彼らは、絶対の自信を持っていた。

降下カプセルが大気圏を突破する。減速用のパラシュートが広がり、ふわりと風をはらむ。
青い空の下、雲の間を抜けながら、降下カプセルの殻を脱ぎ捨て、収容されていたMSが飛び出してゆく。
空の色が変わって見えるほどの、MSの大部隊が出現する――

――と、突然。
ヘブンズベース目指して降下していた彼らは、眼下の基地の近くに、異様なモノを見る。
それは事前の衛星写真では映っていなかったはずの、巨大な構造物。
山が割れ地下から出現した、巨大な臼砲――のようなモノ。
その砲口は、天に向けられている。天以外には向けられない構造になっている。
一体何のために、こんな代物が――!?

その疑問は――程なくして、彼ら自身が身をもって思い知ることになった。


マーレのコアスプレンダーが撃墜され、海面に落下したのと、ほぼ同じタイミングで――
ヘブンズベースの空が、閃光に染まる。
山の中から空に向けて放たれる、目も眩むほどの光。円錐形の広い範囲に撒き散らされた、破壊の光。

暗号名『ニーベルング』。北欧神話における冥界の名。あるいは旧世紀の歌劇における、地下に住む小人の一族。
その実体は、基地の地下に固定された巨大な拡散陽電子砲。最強にして一発限りの対空砲。

それは、ザフトの降下作戦に苦しめられ続けた連合側が、基地防衛のために開発していた秘密兵器だった。
大規模な降下部隊を丸ごと飲み込めるその照射範囲。掠めただけでMSを戦闘不能に追い込むその破壊力。
それらの代償に、設備は大型化し、地下に据え置きになり、また一発の照射で自壊してしまうのだが――
この戦闘においては、十分にその役割を発揮していた。防げぬはずの空挺作戦を、完膚なきまでに叩き潰していた。

降下部隊は、戦うよりも先に大損害を受け――かろうじて生き残った者も、その多くが既に戦える状態ではなかった。
デストロイに蹴散らされる地上の艦隊も含め、この戦い、どう見てもザフトの負けだった。

212 :隻腕二十四話(18/22):2006/02/05(日) 12:20:03 ID:???

「ああ……! あああ……!」

そんな、総崩れとなったザフトを後方から見ながら――ミーアは、震えていた。
グゥルに乗った桃色のザクの中、彼女は顔面を蒼白にして、震えていた。

『ラクス・クライン』としての虚飾を引き剥がされた彼女。
せめて自分にできることを、と思い、愛機に飛び乗り、出てきたのだが……
けれど最早誰も彼女に従おうとはせず、ザク1機で出来ることなどほとんどなくて。

 『お前のせいだ……!』
 『お前がウソなんてつくから……悪いことと知ってながら、話に乗ったりするから……!』
 『調子に乗っていたんだろう? 皆に『ラクス様』と慕われて、嬉しかったんだろう?』
 『責任は、取らなきゃいけないよなァ?』

弱気になった彼女の耳に、幻聴が聞こえる。四方八方から責め立てられる。
『ラクス』のために、と思って戦場に立ち、散っていった兵士たちの呪詛の声――だと、彼女は認識する。
それは本当は……偽りを貫くにはいささか善人過ぎた、ミーア自身の良心の声。

もう、戦場の勢いは止められない。
総隊長・ミーアの信頼の急落で、指揮系統は乱れきっている。各部隊の隊長が、勝手に判断をし、行動する。
踏みとどまって戦う者あり、逃げ出す者あり、撃墜された仲間の救助を試みる者あり……
そして、そんな連携の乱れる彼らを、デストロイと、それに従うユークリッドやウィンダムが狩り立てていく――!

いつしか、後方にいたはずのミーアの所まで、敵の流れ弾が飛んでくる。
呆然としていた彼女の機体をビームが掠めるが、彼女は避けようともしなかった。

「ああ……ここで死んじゃった方が、いいのかもね……」

虚ろな微笑みを浮かべ、彼女は小さく呟く。
敗戦の将の役割は、敵に討たれることだ――どこかで聞いたようなフレーズが、彼女の脳裏に浮かぶ。
遠くで、デストロイが巨大な砲身を向けるのが見える。
ああ。あの閃光に飲み込まれるなら、苦しまずに逝けるだろう。間違いなく死ねるだろう――

「……バカヤロウッ!!」

そんなミーアの自殺願望交じりの思念は、唐突に割り込んできた通信に断ち切られた。
黒い影が桃色のザクに抱きついて、勢いのままにグゥルを蹴り、大きく飛びのく。
直後、デストロイから放たれた太いビームが、寸前までザクが居た空間を飲み込む。グゥルは跡形もなく消滅する。

「……何やってんだ、アンタッ!?」

それはドムトルーパーだった。肩に刻まれた数字は003。ヒルダ隊隊長、ヒルダ・ハーケンの機体。
熱狂的な「ラクス信者」とでも言うべき彼女は、そのラクスの名を騙っていたミーアを、容赦なく叱りつける。

213 :隻腕二十四話(19/22):2006/02/05(日) 12:21:03 ID:???

「そりゃ、アタシらも言いたい文句は山程あるけどね――
 こんなとこで犬死されちゃ、アンタのために命張った部下が浮かばれないんだよ!」
「ヒルダ、さん……!」
「とりあえず、偽者でもパチモンでも飾りモンでも、アンタが指揮官だ! 役割を果たしな!
 アタシらは軍隊だ! 命令なきゃ動けない奴も、少なくないんだよ!」
「…………!」

ヒルダの厳しい叱責に、ミーアは少しだけ自分を取り戻す。
そうだ。確かにそうだ。自分には、やらねばならないことがある。
罰を受けるのも裁きを受けるのも、その後だ。
彼女は震える手を伸ばし、通信機のスイッチを入れる。

『こ、こちら、『ラクス・クライン』……う、ううん、『ラクス様の影武者』です。
 あ……あたしは代理だけど、そ、それでも、艦隊総隊長として、命じます!
 ……総員撤退! 作戦目標の達成を諦め、各自の判断で撤退して下さい!』

それは、多くの者が望んでいた正式な命令。同時に、ヘブンズベース攻略戦の敗北を告げる一言。
各艦艇から全面撤退を告げる信号弾が上がる。通信が届かなかった者たちも、撤退を開始する。

「……よーし、上出来だ。アタシらも帰るよ! しっかり捕まってな!」
「は、はいッ!」

ヒルダはニヤリと笑うと、桃色のザクを背負うような格好で、ドムトルーパーのホバーを全開にする。
海面を滑るようにして、転進を始めた旗艦に向かう彼女。残る2機のヒルダ隊のドムも合流する。

「……そういえば、ニセモノさん」
「な、なんですか?」
「アンタ、本当の名前は? 『ニセのラクス様』じゃ、呼びづらくて仕方ないよ」

ヒルダの問いに、彼女は数秒躊躇ってから。ゆっくりと、答える。

「……ミーア。ミーア・キャンベル、です」
「へぇ。結構普通の名前なんだね。
 ……ミーア、アンタも色々あったんだろうし、これからも大変だろうけど………………頑張りな」
「ヒルダ、さん……」

てっきり文句なり嫌味なりを聞かされると思っていたミーアは、思いもかけぬ応援の言葉に、目をしばたかせる。
ヒルダは構わず、優しく呟く。何かと誤解されやすい隻眼の容貌、しかし今浮かぶのは、意外と柔らかな微苦笑。

「ラクス様の名を騙ったのは許せないけど、でもアンタ、悪気があったわけじゃないだろ。
 アタシらと同じように、『本物のラクス様』を慕ってただけだ。居なかったから、代役してただけだ。
 ……近くに仕えてずっと見てりゃ、それくらい分かるよ。ずっと変だと思ってたんだ」
「…………」

その言葉に――ヒルダのドムの背の上、桃色のザクの中で、ミーアは思い出す。
アスランと2人きりでの、あの夜のことを。
同じように『ラクス』としてでなく、『ミーア』として言葉をかけてくれた、男のことを――

214 :隻腕二十四話(20/22):2006/02/05(日) 12:22:10 ID:???

――それは、あの夜のその後。

 『――すまない、ミーア。今日は、これで勘弁してくれないか』
 『アスラン……?』

 絨毯の上、唇を重ねあった2人。だがアスランは、ゆっくりと身体を離す。
 これで終わり、とは思ってなかったミーアは、ちょっと肩透かしを食らった格好で。
 桃色のパイロットスーツの合わせ目から豊かな胸の谷間が覗くが、アスランは視線を逸らし、見ようとしない。

 『『ラクス』という役割上のことじゃあないから――俺はこれ以上することができない』
 『どういう……こと?』
 『俺にはもう1人、決着をつけなきゃいけない相手がいる。義理を果たさねばならない相手がいる。
  彼女との関係を綺麗にするまで……俺には恋愛などをするような、資格がない。権利がない』

 床に直に座り込んだアスランの横顔は、苦渋に満ちて。
 ミーアも同じくぺたんと座り込んだまま、見つめることしかできない。

 『カガリを――1度は愛を誓い、未来を誓った相手を、俺は討ったんだ。この手で、倒してしまったんだ』
 『…………』
 『彼女が生きているかどうかは、分からない。ただ、死んでも仕方ないと思って、俺は斬りつけた。
  仕方ないとは思ったけれど――白黒はっきりさせるまで、不義理なことは、できない』
 『…………』
 『戦争が終ったら、あるいは一段落したら――俺は、彼女を探しに行くつもりだ。
  生きていたなら直接、死んでいたなら墓前に、返さなきゃならないものがある。言わねばならない言葉がある。
  それまで俺には――不誠実なことは、できないんだ』
 『…………』

 アスランは、服の胸元、首から下げたお守りらしきものを握ったまま、呟く。
 そんな彼に、ミーアは寂しく微笑むことしかできない。
 ……なんでこんなに不器用で、なんでこんなに馬鹿正直で、そして、なんでこんなに優しいだろう。
 その不完全な誠実さが、かえって人を傷つけてしまうことなどまるで自覚なくて。
 でもそれこそが、ミーアが、後暗さを抱えつつ『ラクス』を演じる彼女が、彼に惹かれる理由でもあったから――

 『わかったわ。もう、アスランを困らせたりしない。貴方の気が済むまで、急かしたりしない』
 『……すまない』
 『ただ――もう一度だけ。もう一度だけ……キスして。
  あたしがこれからも、頑張れるように。アスランがこの先、迷ったりしないように――』
 『…………ああ』

 そして2人はゆっくりと、今度は勢い任せではない、深い口付けを交わして――
 2度目のキスは、微かに涙の味がした。


「……みんな、優し過ぎるんだから……!」

彼女の呟きと一滴の涙は、誰にも届くことはなく。ドムトルーパーとザクは、海面を走り続けて。
ヘブンズベース攻略戦は、ザフトの全面敗走で、ここに決着する――!

215 :隻腕二十四話(21/22):2006/02/05(日) 12:23:05 ID:???

『……ヘブンズベースを巡る連合軍とザフトの戦闘は、ザフトの撤退によって決着しました。
 連合軍は、遭難者及び投降者は、捕虜として丁重な扱いを行うと明言し……』

――そこは、どこかの病院らしき建物。夕陽差し込む広い部屋。
つけっ放しのニュースの音声が、聞く者もない病室に響く。

「んッ……!」

いや――その音声のためかどうか分からぬが。
ベッドの上の人物が、呻き声を上げる。綺麗な金髪が乱れ、彼女は久しぶりに、その目をゆっくりと開けた。

「……ここ、は……?」

声が掠れる。周囲を見回すが、まるで見覚えのない景色。
ベッドの上に起き上がろうとして、また呻き声。身体が自由に動かない。起き上がれない。
彼女は自らの右腕を目の前に持ってきて、左手で触る。前腕の筋肉の落ち具合を、確認する。

「……この様子じゃ、2週間くらいは経ってるようだな。
 そんなに長くさぼったことないから、正確な日数までは分からんが……」

趣味・筋力トレーニング。そう公言して憚らぬ彼女だから分かる、自分の身体の異常。経過した時間。
彼女は苦しみながらも、今度こそ頑張って身体を起こす。腕に刺さっていた点滴を引き抜く。
窓の外には――オアシスらしき景色と、その向こうに広がる砂漠の光景。
ここは、どこだろう?

と、彼女は、ふとあることに気付く。
ペタペタと自分の身体を触り、服装が病人用のパジャマになっていることに気付く。
周囲を見回し、枕元のサイドボードにでも置かれているかと探してみるが、見つからない。
彼女はがっくりと肩を落とす。

「……仕方ないか。命があっただけでも儲けものだ。大事なのはモノじゃなく、その思いだから――」

彼女が寂しげに呟いた、その時。
病室の戸が開き、数人の男がワラワラと入ってきた。誰もが入った途端に、驚きに凍りつく。
制服姿でなく、地味な私服姿だったので一瞬分かりにくいが――先頭の男の角ばった顔は、間違いない。

「か、カガリ様! お目覚めになられたのですか!?」
「……アマギか。どうやら心配をかけたようだな」

大いに驚き、また大いに喜ぶ部下たちに、カガリは鷹揚に応える。
彼らの涙を見るまでもなく、彼らがどれだけ心配していたのかは容易に想像がついた。
想像はついたが……だがしかし、彼女にはそんな感傷に浸っている余裕はない。

「アマギ。私はどれだけの間眠っていたんだ? あれからスエズは、タケミカズチはどうなった?
 何故私は助かった? 他の者たちは? ここは一体、どこなんだ?
 ……どうやら私には、知らねばならぬことが沢山あるようだな」

216 :隻腕二十四話(22/22):2006/02/05(日) 12:24:07 ID:???

スカンジナビア王国、旧クライン邸――の近くの、とある工場。
2人の男が、今まさに組み立て途中のMSを見上げていた。

「……どうかね? コイツは使い物になるのかい?」
「ん〜、どうしたって全般的な性能低下は免れないぜ。
 何せ完璧にブチ壊されちまってるからな。もし材料があるなら、ゼロから作り直した方が早いくらいだ」

男の問いかけに、バンダナを巻いた青年は答える。しかしその言葉とは裏腹に、どこか楽しげな口調で。

「でもだからこそ、俺の腕の見せ所、ってわけでね。幸い、地上で仕入れたジャンクパーツもあるし……
 『最強』は約束できないが、『最適』なモビルスーツに仕上げて見せるぜ!」
「頼もしい話だな」
「それに……アンタらが用意した、この『追加パーツ』も使ってみたいしな。久しぶりに腕が鳴るぜェ……!」

隻眼の男の言葉など、ほとんど聞いてないバンダナの青年。ワクワクしているのが傍目にも分かる。
そんな彼の様子に、バルドフェルドは肩を竦めた。

「ま、世にジャンク屋は山ほどいるが、1人でMSをデッチ上げちまうのはお前くらいのモノだからな。
 いい仕上がりを期待してるよ、ロウ・ギュール――!」


旧クライン邸、屋敷の本館。
どうやらリハビリ用に整えられたらしい、板敷きの大きな広間。壁際には歩行介助用のバーが張られていたりする。
そんな部屋で、マユは義足の微調整をしていた。走ってみたり、歩いてみたり。跳ねてみたり、しゃがんでみたり。
時折ジャンク屋の樹里が近づいて、様々なデータを確認し、さらなる微調整を加える。

その広間にも、モニターが1つ。カガリが見ていたのと同じような、ヘブンズベース攻防戦の顛末が流されている。
マユは歩みを止め、モニターを見つめる。淡々と流れるニュースに、右腕の疼きを覚える。左足の断端もまた、疼く。

と――同じく広間にいたラクスが、すッと立ち上がる。ずっと無言でマユを眺めていた彼女。
どうやらこのリハビリルーム、元々はマユのためというより、ラクスのために用意されたものらしい。
けれど、車椅子から降りた姿は、ここに来て初めて目にするものだった。
綺麗な姿勢の立ち姿。大女優さながらに、ただ立つだけで人の目を惹き付けるオーラがある。
そうして立ち上がったラクスの目は……モニターを見ながらも、見ていない。
目の焦点は、モニターの映像の、はるか向こうを見つめている。はるか向こうを見つめながら、ラクスは断定する。

「ヘブンズベースが落とせなかった以上――次は、オーブです」
「え…………!」

それは……その宣言は、間違いない。
ラクス・クラインが持って生まれた特異な能力。必ず当たってしまうという、あの「予言」。
その宣言に――未だ自分の進むべき道を見出せていないマユは、動揺を隠せない。

窓の外には、なおも降り続ける雪。悩んでいられる時間は、もうあまり残ってはいない――!


                      第二十五話 『 運命の道化師 』 につづく