506 :隻腕29話(01/21):2006/05/21(日) 23:48:24 ID:???

 『彼』は、天才だった。掛け値なしに、天才だった。

 緩やかに没落しつつはあったが、名と歴史のある名門の家に生まれ。
 学生時代から文武両道に優れ、容姿端麗で弁舌は爽やか。
 大学には主席で入学、主席で卒業。
 その一方で、大会自体が形骸化しつつあったとはいえ、オリンピックの代表選手にもなっている。
 創立されたばかりの宇宙軍に入れば、たちまちエースパイロット。
 単に操縦の技量が高かったのみならず、画期的な新兵器の開発にも関わっていたとも言われる。
 除隊後は投資家に転身、またたく間に大西洋連邦でもトップクラスの大富豪となる。
 名実ともに、『彼』はたった一代で家を再興させてしまった。
 『彼』は天才だった。あらゆる分野において、オールマイティに才能を発揮できる天才だった。

 だが『彼』の才能は、正当には評価されなかった。
 『彼』より前に、『彼』より偉大で、『彼』より衝撃的な『天才』が居たからだ。
 その『天才』は、オリンピックで銀メダルを獲得した選手だった。
 その『天才』は、ノーベル賞候補にもなった学者だった。
 その『天才』は、海軍のエースとして名を馳せた。
 その『天才』は、木星探索で世界を揺るがす発見を成し遂げた。
 その『天才』は、それ以降の世界のありかたそのものを大きく変えてしまった。

 その『天才』の名は、『ジョージ・グレン』。
 後に『ファーストコーディネーター』と呼ばれる存在である。

 ジョージ・グレンの存在は、偉大過ぎた。そして鮮烈過ぎた。
 いかなる天才の成したことも、その業績の前には小さく見えてしまう。
 また、経済分野での成功は、学問の分野での成功に比べ正当に評価されにくい。
 特に投機での成功については、彼は幸運に恵まれたに過ぎない、と見る者がかなり多かった。
 神懸り的な直感に基づく大胆な決断、しかし周囲の人にはその才能が理解できなかったのだ。

 さらに、ジョージ・グレンの存在はこの時代に成功を収めた者たちに向け、ある疑いを投げかけた。
 木星探査出発時の『ジョージ・グレンの告白』。遺伝子操作された『コーディネーター』の暴露。
 その驚きの真実を聞かされた人々は、当然、他の有能な人々に対してもこんな疑いを抱いた。

  『普通の人に、あんなことができるはずがない。
   彼もまた、ジョージ・グレンと同じように『コーディネーター』なのでは?』

 ……多くの場合、事実無根であった。けれども、事実無根であることを証明するのは困難だった。
 どんな物事でも、「そうである」ことの証明に比べ、「そうでない」ことの証明は数段難しい。
 特に『彼』のように多分野において成功を収めた者は、この疑惑からは逃げられなかった。
 どんなに精度の高い検査をしてみせても、その検査結果自体が捏造ではないかと疑われる。

 コーディネーターへの羨望と、羨望の裏返しである憎悪。その双方が高まりつつある時代。
 『彼』に対して向けられた執拗なコーディネーター疑惑は、その時代性あってこそのものだった。


507 :隻腕29話(02/21):2006/05/21(日) 23:50:07 ID:???
 「だが――私は間違いなくナチュラルなのだ! 正真正銘、ナチュラルなのだ!
  ジョージ・グレンさえ居なければ、誰もが私を称えただろう! 誰もが叫んだだろう!
  『アル・ダ・フラガは天才だ』と。『彼こそ人類史上最も優れた人間だ』と!」
 「はぁ…………」

 CE46年、遺伝子研究コロニー『メンデル』。その中に建つとある研究所。
 アポも無しに押しかけてきたその客の演説に、ユーレン・ヒビキ博士は目をしばたかせていた。
 何の臆面もなく、自分は天才だと胸を張る男。そしてその自信に見合う実績を背負う大物。
 色々な意味で、只者ではない。
 天は二物を与えずと言うが、彼は多彩な才能と共に余計なモノまで授かっていたのだろうか?
 そんな自称天才、アル・ダ・フラガは、しかしヒビキ博士の困惑にも構わず、語り続ける。

 「この天才である私でさえ、かのジョージ・グレンを憎んだことがあった。恨んだことがあった。
  この優れた頭脳と肉体を、ブルーコスモスの屑どもに売り渡してやろうかと思ったことさえある。
  だがしかし――私は、思いついてしまったのだよ」
 「何をです?」
 「私はナチュラルであるにも関わらず、これだけの能力を持ち、これだけの成果を挙げてきた。
  それこそ、下手なコーディネーター程度では、足元にも及ばぬほどにね」
 「はぁ……それで?」

 確かにそれは事実だった。
 当時世に出始めていた第一世代コーディネーター。その誰よりも、アルは優れていた。多才だった。
 しかし急に目の前で自慢大会をされても、ヒビキ博士はただただ困惑するしかない。
 そんな博士の反応に、天才アル・ダ・フラガは前にも増し大きな声を上げる。

 「……『それで?』ではないよ! これまでの話を聞き、キミは何も感じないのかね?!
  私ほどではないとはいえ、キミもこの分野では天才と呼ばれている存在なのだろう?
  『最高の人類』を作る研究をしているのだろう? 優れた素材が必要なのだろう?
  私という『最高のナチュラル』を前にして、何故そんな頭の悪そうな態度が取れるのだ?!
  最高の素材と莫大な資金が自ら飛び込んで来たのだ、もう少し嬉しそうな顔をしたらどうだ?」
 「最高の――素材?」
 「その通り! ……何度でも言おう。私は天才だ。ナチュラルとしては最高の人間だ。
  では、もしも、もしもだよ――」

 アル・ダ・フラガ。この世紀の怪人物は、満面の笑みを浮かべたまま、ヒビキ博士に問いかける。
 それは、あまりに無邪気な発想。あまりに肥大した自己評価。
 そして――それは、全ての歪みの始まり。狂気の夢。

 「この私、アル・ダ・フラガが、『本当に』コーディネーターだったなら――
  この天才である私に、さらにコーディネーターの能力が『上乗せ』されたなら――
  いったい、どれだけのことができるとお思いかね?
  それこそが、『人類のさらなる進歩』だとは思わんかね――?」


              マユ ――隻腕の少女――

            第二十九話 『 人の夢、人の業 』


508 :隻腕29話(03/21):2006/05/21(日) 23:51:25 ID:???

――大西洋連邦、北アメリカ大陸東海岸の北部。
落ち着いた古い町並みの中を、まるでそぐわぬ格好の男女が歩いていた。
男は、黒い連邦軍制服に、ヘルメットのようなマスク。
女は、地味で色気のないツナギ姿。
ネオ・ロアノークと、マリュー・ラミアスである。
2人は人の少ない町をのんびりと歩いている。先導するネオに、マリューが従う形。
その奇異な服装を除けば、傍目からは恋人同士が散歩でもしてるかのような構図だったが。

「この辺は伝統ある町でさ〜。歴史浅いこの新大陸じゃ、最も古い町の1つだろうね。
 ほら、ご先祖様がメイフラワー号に乗ってやってきた、とか名乗ってる古い家、よくあるじゃない?
 そんな家ばかりなんだな。この辺りにあるのは。
 ……もっともこの手の連中の先祖が、本当に全員メイフラワー号に乗ってきてたとしたら、
 清教徒たちのボロ船は、北アメリカに辿り着く前に乗員オーバーで沈んでたハズなんだけどね♪」
「……何のために連れ出したかと思えば、歴史の講義?」

軽い口調で語るネオの横顔。隣を歩くマリューは不審に満ちた目で睨みつける。
ベルリンで偶然遭遇し、拘束され……以来、彼女の置かれた状況はいささか不可解だった。
ホテルに監視つきで軟禁され、行動と通信の自由は奪われたものの、その扱いはかなり丁重で。
軟禁中もテレビや新聞などは自由に見れたから、激動を続ける世界情勢はしっかり把握できた。
一回だけ、ジブリールとの面会の予定が組まれたが、ラクスの放送ジャック騒動でうやむやとなり。
その後、何度かネオが訪ねてきて他愛も無い話をしていったが、それきりだ。

マリューは考える。
どうやら彼らは、彼女を断罪する気はないらしい。処分する気もないらしい。
むしろ彼女を何らかの形で利用するつもりなのだろうが……しかし何をさせる気なのか?
これまでの軟禁生活は、おそらくは時間稼ぎだ。準備が整うまでの。
こうしてようやく連れ出したということは、とうとう何かがあるのだろうか?
行く先は軍の施設などではないようだが、一体どこに連れて行かれるのだろう?

……警戒を強める一方で、マリューは横を歩く男自身への関心を押さえきれない。
その声。その体格。今は仮面に隠された、その素顔。
別人であるはずがない、けれど、あの人であるはずもない……!
マリューの心は、揺れる。表面にこそ出さないが、激しく揺れる。

「歴史の講義……? う〜ん、そうだなぁ。
 うん、『歴史のお話』から始めた方が、いいかもしれないな。
 君にちゃんと理解し、納得してもらうためには、ね」

思い悩むマリューを横目に、仮面の大佐ネオ・ロアノークは呟く。
仮面から覗く口元に、微かに微笑みを浮かべる。全てを見通したような笑み。

「こんな好機だってのに、逃げ出す素振りもなくついて来るってのは、アンタも興味津々なんだろ?
 俺の思惑と俺の正体、見極めないと落ち着かないんだろ?」
「なッ……!?」
「ま、安心しな。今日は全部話してやるよ。洗いざらい全部な。
 そうだな――まずは、あの『クソ親父』の話から始めなきゃならんかな。
 奴の名は『アル・ダ・フラガ』。全ての歪みの始まりとなった、救いようのないエゴイスト――」

509 :隻腕29話(04/21):2006/05/21(日) 23:52:44 ID:???
 「……こちらが現在研究中の人工子宮です。
  遺伝子は、持っているだけでは十分ではありません。適切な形で発現させる必要があります。
  この人工子宮は遺伝子発現のための母胎内環境をコントロールできるため……」

 ヒビキ博士は珍客アル・ダ・フラガを連れ、研究所の中を案内する。
 彼らの眼前に並ぶのは、巨大なガラスの容器に怪しげな機械。中には人工羊水に浮かぶ胎児。
 最先端科学の研究所というより、中世の錬金術師の実験室の方がイメージ的に近い。

 いや――ある意味ここは、錬金術師の流れを汲む実験室なのだ。
 ホムンクルス。瓶の中の小人。賢者の石や万能薬と並ぶ、錬金術の究極目標の1つ。
 ヒトの手により作られ、ヒトの胎を経ずして生まれ、ヒトよりも優れた『完璧なヒト』……
 未だ完成の見えないコズミック・イラのホムンクルス創造。
 既存のコーディネーターを越える、完全なるコーディネーター。最高のコーディネーター。
 この研究所で平行して進められていた幾つかの研究の中で、中核となっていた研究である。
 『人類のさらなる進歩のために』、それが彼らの合言葉だった。彼らの正義だった。

 「というわけで、この人工子宮に限った話ではないのですが……
  この研究所は、生まれてくる赤ん坊の能力をいかに高めるか、という研究をしているのです。
  残念ながら『大人を後天的にコーディネーターにする』研究はしていません。
  フラガさんの援助の申し出は有難いのですが、我々には……」

 研究所を案内しながら、ヒビキ博士は申し訳なさそうに頭を下げる。
 喉から手が出るほど欲しい、研究資金。しかし畑違いのことを要求されてもどうしようもない。
 無茶苦茶な要求をする大富豪に、納得して帰ってもらうつもりで案内していた博士だったが……

 「……やはり私の見立ては正しかったな。この施設なら、私の考えていたコトができそうだ。
  その『スーパーコーディネーター』とやらも、私のプランに統合できれば面白い」
 「あ……あの、フラガさん?」
 「私はね、博士―― 別に、『この私自身』を『コーディネーターにする』気はないのだよ。
  私の能力を後天的に高めるつもりもない。
  いや、そういう研究をさせたことはあったけれどね。アレはダメだ。使い物にならん。
  連中は計画を変更して『強力な生体兵器』の創造にテーマを移したようだが」

 彼の言う『使い物にならない研究』は、後にエクステンデッドへと繋がるが、これはまた別の話。
 アル・ダ・フラガは、ヒビキ博士の説明に、逆に笑みを深くする。

 「私はただ、見たいだけなのだ。私がコーディネーターだったらどれほどの事が出来るのかを。
  そして後を託したいのだ。『私の才能』と『コーディネーターの能力』を併せ持つ者に。
  ……とはいえ、私の子供をコーディネーターにするのではおそらく足りぬ。
  息子のムウもそろそろ3歳になるが、半分でも他の血が入ってしまえばただのヒトだね。
  まるでダメだ。育て方も間違えた。天才の私には到底及ばんだろうよ」

 血を分けた実の息子さえも「ただのヒト」と切り捨ててしまうアル・ダ・フラガ。
 豊富な才能と引き換えに、人間として何か大切なものを獲得しそびれた彼。
 彼はそして、禁じられたタブーを口にする。

 「私が君にコーディネーター化処置して欲しいのは、私の『子供』ではない。
  下らん法律が創造を禁じている、しかし君たちなら作れるであろう、私の……!」

510 :隻腕29話(05/21):2006/05/21(日) 23:53:59 ID:???

――オーブ、行政府。
先の防衛線の混乱続くこの国で、その代表首長の座に戻ってきたカガリは。
忙しい仕事の合間をぬって、その客を迎え入れていた。

「やっほー。お久しぶりね。怪我はもう大丈夫なの?」
「ミリアリア! 良く来てくれたなぁ!」
「ごめんね、ラクスさんについての調査も間に合わなかったし、今さらって感じなんだけど……」
「いや、構わないさ。それより、そっちの子は? どこかで会ったような気もするが……」

互いの再会と無事を喜ぶ、カガリ・ユラ・アスハと、ミリアリア・ハウ。
しかしもう1人、ミリアリアと共にカガリを訪れていた者がいた。
ミリアリアの後ろで、居心地悪そうに身を硬くしている、赤いロングヘアの女の子。

「こっちは……メイリン。メイリン・ホークよ」
「初めまして――ではないですね、カガリ代表。
 でも、こうしてちゃんとお話するのは、これが始めてじゃないかと」

私服姿のメイリンは、言葉を濁す。何をどう言うべきか、考え悩む。
言いにくそうに、何度か言葉を詰まらせながら、それでもメイリンは口を開く。

「私は……今はもう除隊しましたが、元ザフト兵です。
 軍に居た頃は……ミネルバの、オペレーター席に座っていました」
「言われてみれば……! ひょっとしてお前、髪をまとめてなかったっけ? こう、頭の左右に。
 ようやく思い出した。そうか、あの折は色々と迷惑をかけたなァ」

本当に嬉しそうに、ツインテールを身振りで表現しながら、カガリは笑う。
その表情に、メイリンはどう反応したらいいか分からない。

確かに、苦労を共にした時期もある。互いに同じ目標のために戦った時期もある。
けれどその後、互いに銃を向けあったというのに。
メイリンも姉を奪われたし、オーブ軍もまた、ミネルバからは大損害を受けたはずなのに。
……沈黙したメイリンの表情の中に、そんな困惑を読み取ったのか。カガリの表情も少し翳る。
翳りが差したが――それでも、微笑みは残したままで。

「――そうか、ミネルバのクルーか。色々、不幸な成り行きになっちゃったな。
 そちらにも少なからぬ犠牲が出たんだよな。ウチの部下が、手を下してしまったんだよな。
 恨まないでくれ、なんて言ったらムシが良すぎるのかもしれないが――
 一緒に、これからのことを考えよう。平和への道を、探していこう」

2年前の戦争の時は、カガリもザフトという軍そのものを憎み、恨み、戦った時期もある。
けれど、今の彼女は。
恨みも憎悪も無くしたわけではないが、しかしぐッと腹の底に呑み込んで。
……黙って2人の様子を見ていたミリアリアは、カガリの変化に小さく笑うと、口を開く。

「そうね――これからのことを、考えないとね。そのために、私たちは来たんだから。
 私たちが今日来たのは、あの『デスティニープラン』についての話。
 このメイリンが見てきた、エクステンデッドとアル・ダ・フラガについての話、よ――」

511 :隻腕29話(06/21):2006/05/21(日) 23:55:25 ID:???

 アル・ダ・フラガがヒビキ博士に突きつけた命題は、ある意味簡単なモノだった。
  『自分のクローンを作り、それをコーディネーターにせよ』

 コーディネーター化技術は、人工授精技術と合わせて使うことを前提としている。
 一方の体細胞クローンの作成、これも作られたクローン胚を母胎に戻す所は人工授精と同じだ。
 この2つを組み合わせれば、ナチュラルのクローンをコーディネーターにできるのでは……?
 天才アル・ダ・フラガに、コーディネーターの能力を上乗せした超人が作れるのでは……?

 「もっとも、ただそれだけでは不足だ。
  テロメアが短く、早く老いてしまうような超人を作っても意味がない。
  だが下らぬ法律のせいで凍結されているが、そのテロメアを伸ばす研究があったよね?
  その技術を、さらにここに加えることができれば……」

 細胞の分裂回数に応じて短くなっていく遺伝子配列、テロメア。
 体細胞から作ったクローンは、その基になった細胞が分裂した数だけ、予めそれが短い。
 つまり、細胞レベルにおいて、予め「歳をとっている」のも同然なのだ。

 だがこのテロメア、実は失われる一方ではない。極めて限られた条件において、復活する。
 『テロメアーゼ』という酵素の存在が知られている。失われたテロメアを伸ばす働きを持つ酵素だ。
 普通の生殖で生まれる子のテロメアが短くなったりしないのも、この酵素の働きのお陰。
 一方、ガン細胞が際限なく増殖を続けるのも、1つにはこの酵素を司る遺伝子の暴走による。

 旧世紀の終わり頃。初めて体細胞クローンが登場した時から、この酵素の利用は考えられていた。
 これを上手くコントロールすることができれば、体細胞クローンの寿命の問題をクリアできる。
 まあ、現実には数多くのハードルがあり、当時の技術では実現は不可能だったのだが……
 それでも、コズミック・イラのこの時代。基礎研究が少しずつ積み上げられて行った結果。
 数々の法により人間への応用は固く禁じられていたが、実現化の目途くらいは立っていたのだ。

 「それでも……クローンは違法です!」
 「法など変わる。倫理など変わる。しょせんは凡人(ヒト)が定めたモノだ」
 「しかし……」
 「苦労の末に手にした技術、使わんでどうする? 欲しいのだろう、研究資金が。
  『勝てば官軍』だよ、ヒビキ博士! 偉大なる成功が全てを正当化するのだ!」

 アル・ダ・フラガは笑う。自らを天才と認識する彼は、自信に満ちた笑みと共に断言する。
 世の研究者たちがなお躊躇する究極のタブー、それをあっさり侵してなお笑う。
 その圧倒的な自信と迫力に……ヒビキ博士は、呑まれた。魅入られた。虜となった。

 ユーレン・ヒビキ。確かに当時、彼の研究室は人工子宮の研究資金に困ってはいたのだが。
 彼とて、プライド高い優秀な研究者だ。札束で頬を叩かれただけで、折れたりはしない。
 アルの要求を呑んだのは、純粋に研究者として、彼の提案が魅力的だったからで……!

 CE46年。アル・ダ・フラガがヒビキ博士の研究所を訪れた、その年の暮れ。
 最初の実験体が、産声を上げた。
 生まれてきた赤子を見下ろし、アルはどこか不満げに呟いた。

 「…………ほんとにこれが、『私』かね?」

512 :隻腕29話(07/21):2006/05/21(日) 23:56:13 ID:???
――オーストラリア、カーペンタリア基地。
オーブへの攻撃に参加した艦隊が、かなりの損害を受けつつ帰還し、かなり混雑している基地で。
一隻の目立つ戦艦が、基地の片隅に泊まっていた。
アーモリーワンの事件以来、常に激戦区に居た万能戦艦、ミネルバである。
その、甲板の上で。

「……単刀直入に聞こう。レイ、君はクルーゼ隊長と、どういう関係なんだ?」

2人の赤服の男たちが、並んで眼下の喧騒を眺めていた。
∞ジャスティスのパイロット、アスラン・ザラ。レジェンドのパイロット、レイ・ザ・バレル。
どちらも落ち着いた表情で、しかし互いの顔を見ようとはしない。

それは、アスランが以前から抱いていた疑問だった。聞きそびれていた疑問だった。
ミーアやシンやカガリの事など、数多くの問題が出てきたために、後回しにされていたものだった。

「オーブでの戦いの時、君はキラに言ったな?
 『自分はラウ・ル・クルーゼだ』と。『完全版のラウ・ル・クルーゼだ』と。
 あれは一体、どういう意味なんだ?」
「……聞こえていましたか」
「あの時はこっちも戦闘中で、全く余裕はなかったけどな」

アスランの問いかけは、あくまで淡々としている。決して激しく問い詰めたりしない。
激しくはないが――中途半端な誤魔化しは許さない厳しさを込めた視線で。
対するレイも、淡々とした態度で応える。

「その問いに正確に答えるためには、こちらからも1つ質問せねばなりません。
 アスラン――貴方は、ラウについてどれだけの事を知っていますか?」

クルーゼのことを「ラウ」と名前で呼んだレイ。
その態度に、アスランは一瞬眉を寄せたが。

「俺が直接聞いた話ではないが……隊長はクローンだったと聞いた。
 アル・ダ・フラガという人物の、失敗作のクローンだと。失敗作ゆえ、寿命が短かったのだと。
 そして、その生まれを呪ってあんなことをしたのだと」

アスラン自身も、間接的にしか聞いていない話。
メンデルでの遭遇の後、キラやムウを問い詰めるのも憚られ、あまり詳しい話は聞かなかったのだ。
それでも、おそらく当時の三隻同盟軍の面々が共有していた情報は、過不足なく把握している。

「……やはり、理解が浅いようですね。ではこちらからも尋ねてみましょうか。
 どうして、『ただのナチュラル』のクローンがプラントに潜り込めたのでしょう?
 普通にクローンを作ったのなら、ナチュラルはナチュラルのままだ。MSの操縦などできない。
 たとえそれが、かつて天才と呼ばれたアル・ダ・フラガだとしても、まず不可能な話です」
「……言われてみれば……」
「ラウは、単なるクローンではありませんでした。クローンの上に、2つの処置を受けた身です。
 しかし不幸なことに、彼に求められた2つの要素がどちらも中途半端だったんです。
 両方を満たそうと欲張ったがために、ラウは寿命の短い、不完全なコーディネーターになった。
 そして、俺が受けたのは……確実を期し、片方だけの処置で……!」

513 :隻腕29話(08/21):2006/05/21(日) 23:57:23 ID:???

 第一号実験体。2つの処置を施された、アル・ダ・フラガの体細胞クローン胚。
 テロメア長の延長による、常人並みの寿命。コーディネーター化処置による、能力増強。
 2つのことを期待され、慎重に作り上げられた最初の1人。
 そしてそれは、アル・ダ・フラガが用意した代理母の子宮に入れられ、育てられた。
 CE46年、ラウ・ラ・フラガ、誕生――

 しかしその後、時間をかけ、生まれてきた赤ん坊を詳しく調べた結果。
 この第一号実験体は、『失敗作』と呼ばざるを得ないものであると、判明した。
 テロメアの長さは完全には戻らず、いずれ早老症を起こすことが予想され。
 コーディネーター化処置は不完全で、ハーフコーディネーター程度の能力上昇に留まり。
 2つの処置のどちらもが、中途半端な結果に終ってしまったのだ。
 どうやら、クローン胚に対して行った2つの処置が、相互に悪影響を与えてしまったようだった。

 「……ふむ、上手く行かないものだ。私のあとはコイツに継がせようと思っていたのにな」
 「早老症については、寿命そのものは伸ばせませんが、表層的な症状を押さえ込む薬があります。
  能力についても、元となった貴方の能力が高いので、並のコーディネーターよりは優秀でしょう。
  今後彼が順調に成長すれば、我々に貴重なデータを提供してくれるでしょう。
  しかし貴方の望まれたような才能と、その才能を存分に発揮する時間は、残念ながら……」
 「分かった。実験を続けたまえ。キミたちが満足行くまで、実験を重ねたまえ。
  簡単に成功すると考えていた私も、甘かったということなのだろう。
  ……しかし、成功か失敗かも分からぬうちに、『フラガ』の名を与えてしまうのは問題だな。
  今後は考え直さないとな――ラウの奴も、どこかの家に引き取らせよう――」


 ……検討の結果、アル・ダ・フラガのクローン作成は、2つのチームに分かれることになった。
 片方のチームは、テロメア長を伸ばし常人と同じ寿命を持つ、クローン人間の作成を。
 片方のチームは、コーディネーターの能力を100%付加した、クローン人間の作成を。
 一気に両者の統合を図るのではなく、それぞれの基礎研究を深めた上で、相互の影響を調べる。

 同時に、研究所の別のチームはコーディネーターのための人工子宮の開発を続けていた。
 母胎内環境を人工的に完全に管理することによって、コーディネーターの遺伝子発現を制御する。
 実現すれば、遺伝子操作の効果を100%引き出した、完璧なコーディネーターを作ることができる。
 アル・ダ・フラガは、当初この研究を知らなかったが……
 彼のクローン作成計画の最終段階には、この技術も統合することが検討されていた。
 アルのクローンに、人並みの寿命を与え、コーディネーターにし、人工子宮で育てるのだ。
 それが、彼らの思い描いた、実験のゴール。究極の人類。

 「フラガさん……テロメア延長実験のチームから、少しお願いがあるそうなのですが」
 「何かね、博士?」
 「どうも技術的に、フラガさんの年齢分、一気にテロメアを補うのは難しいようなのです。
  基礎技術の検証のため、もう少し若い人間、幼い子供の細胞で実験を重ねる必要があるとか。
  それも、できればフラガさんに遺伝的に近い人間が居れば有難いと……」
 「ふむ、そんなことか。
  良かろう、我が息子の細胞を好きなだけ使いたまえ。今年で5歳になる。
  まるで愚鈍で使い物にならぬガキだが、こういう使い道でもあれば、奴も幸せだろうよ――」

 そして、その狂気の夢は、あまたの愛されぬ子供たちと、胎児と乳児の屍の山を生み出して――

514 :隻腕29話(09/21):2006/05/21(日) 23:58:31 ID:???

――北アメリカ。古い町並みを抜け、林の中の道を歩くネオとマリュー。
ネオの昔語りを聞かされたマリューの顔色は、蒼白だ。

「じゃ、じゃあ……貴方は……!」
「そう。俺はムウ・ラ・フラガじゃあない。
 アンタが期待してたような、『実は奇跡的に生き残っていた』兄貴じゃない。
 ムウの体細胞から作られ、寿命を補填されたクローン人間。
 生まれた年の違う一卵性双生児みたいなモンなんだ」

ネオは淡々と、感情を抑えた口調で呟く。その表情は仮面に隠されて見えないが。
きっと、その声と同じく、仮面のように無感情な顔をしているのだろう。

「俺は――俺自身には、何の期待もされずに生まれた。
 メンデルの研究者たちの思惑通り、テロメアの長さは常人並みになったんだけどな。
 俺自身には、何の期待もされていなかった。何も求められず、何も望まれなかった。
 アル・ダ・フラガ、あのクソ親父の抱いたバカげた超人の夢の、踏み石の1つに過ぎなかった」

ネオの言葉に、マリューは何と声をかければいいか分からない。
彼女は、ムウのことを思い出す。2年前、深い関係にあった恋人のことを思い出す。
他に変わった所もないのに、子供の頃の記憶、父親の記憶だけが、すっぽり抜け落ちていたムウ。
ネオの話を聞けば、ある程度推測できてしまう。
息子に何も期待しなかった父親。父親が推し進める非人道的な実験の数々。不幸な子供たち。
幼いムウの無意識の防衛反応が、それらを「見なかったこと」にしてしまったのも、良く分かる。

「まあ、あの兄貴も、アレはアレなりに苦労も苦悩もあったんだろうがな……。
 俺も俺で、色々苦労してたんだぜ?
 あのクソ親父はさ、俺の成長のデータを取るため、生活の支援はしてくれたんだが……
 同時にその条件として、俺から『顔』を奪いやがった」
「……『顔』を?」
「何せ俺の顔はムウ・ラ・フラガと瓜2つだからな。
 事情を知らぬ人に顔を見られ、極秘のクローン実験が疑われたら親父にとっても破滅だ。
 だから俺は、仮面を被ることが義務付けられた。幼い頃から、この仮面こそが俺の『顔』だった」
「仮面って……顔の整形とかでなくて?」
「この顔が兄貴と同じように育つかどうかも、調査の対象だったんだそうだぜ。
 今から思えば、なんでそんなモンまで調べる必要あるんだよ、って思っちまうが」

淡々と抑揚なく話すネオ。彼は先の見えない林の中の道を、迷いの無い足取りで進んでいく。
マリューは彼を追いながら、その心のうちを想像する。

……まだ、分からないことがある。
ネオの出生の秘密は分かった。その呪われた生い立ちは分かった。
けれど、今の話だけでは、どうしてブルーコスモスなどに繋がってくるのか分からない。
彼が何を考え、何を目指して行動しているのか、分からない。
それを聞くまでは、いくら隙だらけの状況でも、逃げ出すわけには……。

やがて、木々が途切れ、開けた空間に辿り着く。
そこで彼ら2人を待ちうけていたのは、広大な、アル・ダ・フラガの栄華の跡……。

515 :隻腕29話(10/21):2006/05/22(月) 00:00:08 ID:???

 ……研究は、行き詰まっていた。
 第一号実験体、ラウ・ル・フラガ誕生後、順調に進むかに見えた研究。
 実際、ナチュラルそのままに寿命を延ばす実験は、すぐにネオという成功例が誕生。
 寿命を諦め、クローンをコーディネーターにする実験の方も、しばらく後に成功している。
 しかし……

 アル・ダ・フラガが初めてヒビキ博士の研究所を訪れてから、7年の歳月が流れていた。
 未だ2つの技術の統合は目途が立たず、問題点がどこにあるのかさえ分からない。
 人工子宮の研究も、遅々として進まない。
 どうしようもない閉塞感に、研究所は包まれていた。

 「何がいけないんだ……!? 一体、何が足りない……!?」

 ヒビキ博士は頭を抱え込む。
 彼ら研究所のスタッフは、この分野の専門家だ。この時代の最先端に居た者たちだ。
 逆に言えば、人倫を無視したこの研究、他に追随者もいない。疑問に答えてくれる仲間は居ない。
 何か、新しい発想が必要だった。新しい視点が必要だった。新しい才能が必要だった。
 技術的に隣接しつつ、異なる分野の専門家が、必要だった。


 「え……?! き、君が!?」
 「初めまして、ヒビキ博士。貴方の論文、全て読ませて頂きました。
  博士たちのグループの独創性には、毎回毎回驚かされます。
  もっとも、ここ数年、新たな論文発表がないようですが……。
  自分のような若輩者に声をかけて頂き、本当に感謝しています」

 コズミック・イラ53年。ヒビキ博士の研究所に、新たな若き科学者が迎えられた。
 彼の名はギルバート・デュランダル。
 当時、僅かに12歳。この年で既に2つの博士号を持つ俊才。
 コーディネーターの中でも、規格外の才能だった。
 白衣に身を包んだ黒髪の少年は、ヒビキ博士を見上げて穏やかに微笑む。

 「早速、実験データを見せてくれませんか。特にサンプルの遺伝子情報を。
  私の専門は、遺伝子の組み合わせから様々な情報を読み取ること――
  おそらく実験の失敗は、知られざる複数の遺伝子の組み合わせが原因でしょう。
  再検討すれば、何か新たなる発見があるかもしれません――」


 こうして3人の異なる天才が、メンデルという接点に集まった。
  傲慢にして多才なる究極のナチュラル、アル・ダ・フラガ。
  悪魔に魂を売り渡した善良なる科学者、ユーレン・ヒビキ。
  そして、怜悧な瞳の若き少年科学者、ギルバート・デュランダル。
 この3人がようやく揃ったことにより、実験は次のステージに進みだす――
 特に、この7年全く進展の無かった、人工子宮の研究の分野において。


516 :隻腕29話(11/21):2006/05/22(月) 00:01:09 ID:???
――プラント首都、アプリリウス・ワン。
薄暗い、最高評議会議長のための執務室の中。
ギルバート・デュランダルは1人、チェス盤に向かっていた。
忙しい業務の合間に、半ば無理やりに作った、1人の時間である。

先日の突然の「デスティニープラン」発表会見によって、プラント世論は大きく揺れていた。
親プラント派のナチュラルたちを、後天的に自分たちコーディネーターの領域に引き上げる――
そして、混血と養子縁組によって、現在のプラントの少子化問題に対応する。
それが、プラントの市民の側からみた、デスティニープランの形であった。

最初に来た反応は、困惑だった。続いて、反発だった。
何が悲しくてナチュラルどもの能力を引き上げてやらねばならないのか。
何でわざわざ、敵である連中を自分たちに匹敵するような存在にせねばならないのか。
それはかえって、プラントを危険に晒すことになるのではないか……?

しかし説明が重ねられるにつれ、彼らは議長のプランの裏の意図を理解する。
これは、プラント主導による、ナチュラルの管理計画にもなるのだ。
計画では、エクステンデッド化の処置はプラントの科学者たちが行うことになっている。
そして、エクステンデッドが能力を維持するには、定期的なメンテナンスが必要だとも言う。
メンテを一手にプラントが支配するのなら、それは、彼らに首輪をつけて繋いだようなものだ。
エクステンデッドがコーディネーターに反乱を起こすような事態は、避けられる。
……誰もそこまで露骨な表現はしなかったが、どう見てもこの計画はそういう意図なのだ。
コーディネーター並みの能力をエサに、彼らを鎖に繋ぎ、プラントの安全を確保する――

技術的な問題は、現時点では機密として一般には伏せられた。良い面だけが報道された。
評議会での激しい議論。プラント向けの放送。そして、親プラント国からの好意的な声。
少しずつ、デュランダル議長を支持する人が増えてきて――

『……やれやれ、キミは神にでもなったつもりなのかな?
 あんなもっともらしい預言を示したりして。キミは政治家よりも宗教家の方が向いているよ』
「……久しぶりだね、ラウ。私は、キミにすら見捨てられたかと思っていたよ」

暗い部屋の中、チェス盤に向かうデュランダルに、声がかけられる。当然のように応える議長。
いや、それは本当に声なのだろうか? 誰も居ないはずの空間から響く声。
チェス盤を挟むようにして、いつの間にか、ぼんやりと光る人影が座っていた。
奇妙な仮面を被った、白い軍服のザフト軍人。口元に浮かぶ、皮肉に満ちた笑み。
あるいはその全ては、デュランダルの精神の内にしか無いものだったのかもしれないが。

『キミは愚か者だよ。彼らと同じだ。神を気取り禁断の領域に手を伸ばした、愚か者さ』
「ふッ。自覚はしているさ」
『いいや、分かってないな。キミは上手くやっているつもりかもしれないがね。
 夢こそがヒトを殺す。パンドラの箱に最後に残されし『希望』、それこそが最凶の災厄なのだよ』

ラウ・ル・クルーゼは笑う。笑いながら、その姿が再び掠れていく。
たった1人、薄暗い執務室に残されたギルバート・デュランダルに呪いの言葉を残して。

『予言しよう。キミもまた、キミ自身が育てた『闇』に足元を掬われ、破滅するだろう。
 この、守るにも値せぬこの世界もろともにね。終末の時は、再び訪れる――!』

517 :隻腕29話(12/21):2006/05/22(月) 00:02:31 ID:???
 ギルバート・デュランダル――
 16歳の時点で、その能力は心身共にナチュラルの成人に相当する、と言われるコーディネーター。
 その社会においても、彼は極めて早熟で、かつ優秀な存在だった。
 8歳で大学入学、10歳で卒業、12歳までに2つの博士号を獲得。
 いくらコーディネーターが優れていると言っても、これは極めて異例なことだ。
 ……そんな彼の経歴は、12歳で大学院を出てから数年、公式記録上では途絶えている。

 彼が経歴を隠すのも、無理もない。彼はヒビキ博士の下で、禁断の実験に手を染めていたのだ。
 人倫と良識を蹴散らしながら最短距離を疾走するような、そんな実験の日々。
 勝てば官軍。法など変わる。それよりも、人のさらなる進歩のために。ただ、そのためだけに。

 「ヒビキ博士。新たに検討して頂きたいことがあります」
 「……ギル君か。何かね、また新しい発見でも?」

 ギルバートが研究所に来て、1年ほどの間に。
 彼はこの研究所にて、数々の問題を解き明かしていた。
 例えば、テロメア延長とコーディネーター化処理、この両技術が対立する機序の一部を解明。
 ヒビキ博士らのチームが数年がかりでも分からなかった謎を、大きく切り崩していた。

 あるいは、こう言えばいいだろうか。
 何か問題が起きた時、それを解決する能力については、ヒビキ博士は天才だ。
 一方のギルバートは、どこにどういう問題が起きているのかを見つけ出す天才だった。
 逆に言えば2人とも、相手の領域においては、さほど優れていたわけではなかったが……

 「人工子宮について、これまでの失敗の原因になっていたであろう因子を見つけました。
  既に人工胎盤と胎児との間の血流に、問題があることは指摘されていましたが……
  どうやらソレに関与すると思われる遺伝子を、突き止めました」
 「本当か!?」

 ヒトの遺伝子は、その「配列」だけならCEに入る前、旧世紀のうちに全て解明されている。
 けれども、その配列がどういう「意味」を持つのかは、未だに完全には解明されていない。
 どういう状況で、どんな遺伝子がどう働き、どんなタンパク質を作り出すのか。
 それを調べ見つけ出すことが、遺伝子工学博士としての、ギルバートの専門分野だった。

 「当該する遺伝子、そしてそれが生み出すタンパクの働きはまだわかりませんが……
  人工子宮と『相性のいい』サンプルを選出することは、現時点でもできると思います。
  検体提出者たちのデータバンクと、照らし合わせれば……」
 「よし、早速やってくれ。そして合致するサンプルを使って、次の実験に取り掛かろう」

 そして、数日後。ヒビキ博士は、ギルバートの提出したレポートを見て、絶句した。
 数々のサンプルの中、人工子宮との相性が最適とされた、その人工授精卵は……

 「私とヴィアの子が……最高最適の遺伝子型、だと!?」
 「本当です。私も信じられず、何度も確かめましたが、間違いありません。
  偶然なのでしょうが……しかしこれはもはや、運命とでも呼ぶべきもしれませんね」

 淡々と報告をするギルバート。大いに悩むユーレン・ヒビキ。
 しかし……しばらくの躊躇の後、ヒビキ博士は決断する。どうせ、やるからには……!

518 :隻腕29話(13/21):2006/05/22(月) 00:04:27 ID:???
――崖下に波が打ち寄せる、オーブの海岸沿いの道。
1台のオープンカーが、心地よい青空の下、のんびり走っていた。
ハンドルを握る青年。そして、助手席に座っている少女は……

「……メンデル、ね……。アンタも色々あったんだ」
「まあ、僕は育ての両親に恵まれて、何も知らずにのんびり過ごしてこれたんだけどね。
 詳しいことを知ったのは、だいぶ後になってからだし」

助手席でドアの縁に頬杖をつき、周囲を眺めているのは、マユ・アスカ。
ハンドルを握り、重い過去を柔らかな表情で語っているのは、キラ・ヤマト。
当面のゴタゴタを片付け、今はリフレッシュのために呑気なドライブ、といった風情。

かつて激しく憎悪し、嫌悪していたキラ・ヤマトという青年。
そんな彼の過去の話を聞かされて、マユはどういう態度を取っていいのか分からない。
少しムスッとした表情のまま、視線を合わさず、ボーッと景色を眺める。

キラは穏やかな微笑のまま、話を続ける。
実の父・ヒビキ博士の研究。自分の出生。ヒビキ博士の死。養父母の下での幸せな少年時代。
コペルニクスの幼年学校時代。ヘリオポリス。そして――先の大戦。

「僕は、前の大戦で、大切な人を守りきれなかった。敵であるクルーゼも、救えなかった。
 救えなかったどころか……僕は彼の言葉に、反論すらできなかったんだ」

 『知れば誰もが望むだろう! 君のようになりたいと! 君のようでありたいと!』
 『……力だけが、僕の全てじゃない!』
 『それが誰に分かる!? 何が分かる!? ……分からぬさ! 誰にも!』

それは、仮面に顔を隠し続けたクルーゼの、素裸の魂の叫びだった。恐るべき呪いの言葉だった。
世界を変える者として作られ、しかしそれに足る力が無いと断じられ捨てられた、クルーゼの歪み。
養父母の下で平和に育てられてきたキラは、その圧倒的な呪詛を受け止められなかった。
受け止めきれず、フレイも守りきれず、キラはクルーゼに引き摺られるようにして暴走し――
その果てに、キラは壊れた。
心を病み、魂に傷を負い、休息を求め流れ着いた孤児院。そしてそこで、彼はマユと出会って……

「……けれど、ね。僕は君のお陰で自分を取り戻したんだ」
「あたし、の……?」
「君の叫びで、僕は目が覚めた。君に叱られて、僕は気がついた。
 『フリーダムで暴れ』ることしかできないなら、僕は永遠にあの人の叫びとは向き合えない。
 すぐに答えが見えないにしても、あの問いかけへの答えを探そうと、決めたんだ――」

キラはそして、2年の間、与えられた目の前の問題に全力投球することにした。
すなわち、孤児院の孤児たちの世話。人々を凌ぐ力があっても、全く意味のない分野。

「当時の僕らは、立場的にも微妙だったしね。あまり世の中で目立つような仕事はできなかった。
 アスランのように、偽名を使って社会に入る方法もあったんだろうけど……
 けれど、孤児院の仕事に真面目に取り組み始めてから、僕は思い知ったんだ。
 人間の天職ってのは、遺伝子診断とか生まれ持った能力とかで、決められるものじゃない。
 本当の意味で、人間が『生きる』ってことは……」

519 :隻腕29話(14/21):2006/05/22(月) 00:05:36 ID:???
 「嘘つき! 返して! あの子を返して! もう一人の……!」
 「私の子供だ! 最高の技術で、最高のコーディネーターとするんだ!」

 CE55年。メンデルの研究所の一室で、怒鳴りあう1組の男女。
 男は、ヒビキ博士。女は……身重の女は、博士の妻ヴィア・ヒビキ。
 縋りつく臨月間近の妻を、ユーレンは苛立ちも露わに振り払う。

 「それは誰の為?! 最高のコーディネーター、それが『この子』の幸せなの!?」
 「より良きものをと、人は常に進んできたのだ! それは、そこにこそ幸せがあるからだ!」

 ヒビキ博士は吼える。己の中の僅かな後悔と迷いを振り払うように、大声で叫ぶ。
 そう、それこそが彼らの正義。彼らの拠り所。
 その正義の名の下に、数多くの胎児を実験材料にしてきたのだ。犠牲にしてきたのだ。
 今さら己の子だからと、妻が泣くからと言って、立ち止まることなどできはしない。
 泣き崩れる妻をその場に残し、ヒビキ博士は足早に実験室へと向かう。

 「まったく、この期に及んで何を言い出すかと思えば。
  ここまで来てしまったら、今さら引き返せるはずもないのに……」
 「……良いのですか、奥様を放っておいて。
  お腹の中にいるのはナチュラルとはいえ、今は大事なお体でしょう?」
 「……ギル君、盗み聞きとは趣味が悪いぞ」
 「あれだけ大声を上げられれば、嫌でも聞こえてしまいますよ」

 未だ怒り収まらぬヒビキ博士に声をかけたのは、ギルバートだった。
 今まさに成長期にある彼。研究所に入った時より2回りほど背が伸びたが、まだまだ小柄。
 幼さと大人っぽさの混在した微妙な顔つきで、彼は博士の顔を見上げる。

 「それよりヒビキ博士。また『ブルーコスモス』からの脅迫状が届いています」
 「やれやれ、またか」
 「研究員が家に帰る時はせいぜい注意しろ、みたいなことが書かれていましたよ。
  全く、三流の悪党の脅し文句だ」
 「この研究所は警備が厳しいからな。しかし連中め、どこでココの実験を聞きつけたのやら」

 そう、この時期ヒビキ博士の研究所は、ブルーコスモスからの執拗な脅迫に悩まされていた。
 ブルーコスモス、それはコーディネーター製作に激しく反対する過激な組織。
 『蒼き清浄なる世界のために、遺伝子操作の化け物たちを殲滅せよ』、それが彼らの正義。
 ヒビキ博士らの信念とは、真っ向から対立する存在だった。

 「警戒のレベルを上げておきましょう。
  もうすぐ博士のお子さんも生まれるのです、ここで邪魔されるわけには……」
 「博士! ギル坊! 大変よ!」

 ギルバートの言葉を遮ったのは、2人の所に駆け寄ってきた1人の女性研究員。
 ずっと走ってきたのか、息が荒い。

 「どうしたんですか、バレルさん。そんなに慌てるなんて、らしくないですよ」
 「フラガさんが……アル・ダ・フラガさんのお屋敷に、大きな火事が起きたそうで……!」
 「!!」

520 :隻腕29話(15/21):2006/05/22(月) 00:06:39 ID:???

――北アメリカ、林の中の広い空き地。
焼け焦げた、かつては豪奢な屋敷だったモノの跡に残る、打ち捨てられた廃墟。
かつてのアル・ダ・フラガの、栄光の跡に、ネオとマリューが並んで立っていた。

「なあ、マリュー。お前は、『ブルーコスモス』ってモノを、どう思ってる?」
「どうって……過激なテロリストが作った非合法な集団、じゃないの?」
「う〜ん、確かにテロ組織と言えば、テロ組織なんだが、
 『残虐なテロリストが集団を作った』というのは、順番が間違ってるぜ。
 個々の構成員を見れば、正義感が強く行動力もあり、仲間想いで家族想いで勇敢な連中ばかりさ」
「嘘!」

マリューは思わず叫ぶ。
『ブルーコスモス』と言えば、狭量なナチュラル至上主義に捕らわれた過激派、というのが定説だ。
そんなことを言われても、信じられるはずが……

「マリュー、君は歴史の勉強は苦手なのかな?」
「……何を唐突に、貴方は」
「歴史を少しでも知っていれば、知っているはずだ。
 旧世紀の第二次大戦、ファシストたちの多くは正義感が強く、仲間想いだった。
 また歴史上の独裁者の多くが、家庭では良き父親だったことが知られている。
 敗北し、悪人のレッテルを貼られ、正当に評価されることは少ないが……
 彼らは彼らなりに、自分たちの正義を信じ、それに殉じた者たちなんだ。
 ブルーコスモスも、また然り。アル・ダ・フラガも、また然りさ」

誰もが、己の正義を信じ、己の正義を掲げて戦う。
悪を掲げて戦う者など、子供向けの単純化された物語の中にしか居ない。
己の正義を信じているからこそ、殺し合いという究極の行為を行うこともできる。
正義は、常に自分たちの側にあるものなのだ。悪は、常に敵の中に見出されるものなのだ。

いやむしろ、一般に『悪』と呼ばれる行為に手を染める者たちほど、己の正義を強く欲する。
後ろめたさを振り払うために。躊躇を振り払うために。後悔を振り払うために。
ほとんどの人間は、悪いことと知りつつ悪いことを行えるほど、強くはない。
これは止むを得ないことなのだ、正義のためなのだ、と言い聞かせなければ、精神が持たない。

「まあ、ブルーコスモスの連中が、視野狭窄に陥っていることは認めるがね。
 それでも連中には、正義がある。信念がある。言い分がある。
 それがなければ、とてもじゃないがあんなことは出来ない。あれだけの組織はまとまらない」
「…………」
「それは……君たちも同じじゃないのかね、アークエンジェル艦長、マリュー・ラミアス?」
「…………!」

前の大戦で、脱走そして軍との敵対という、軍人にとって最大級の裏切りを働いたAAの面々。
しかし彼らにも正義があった。信念があった。言い分があった。
あったからこそ、途中で脱落者も出たが、最後まで戦いぬけた。かつての仲間にも銃を向けられた。
事情は全く違えども、そういう部分「のみ」を取り出せば、彼らもブルーコスモスも変わらない。
そんな、詭弁にも近いネオの論。マリューは咄嗟に反論できずに、しかし食い下がる。

521 :隻腕29話(16/21):2006/05/22(月) 00:07:53 ID:???

「で、でも……!」
「俺にも、俺の正義がある。
 アル・ダ・フラガに、ヒビキ博士に、何の期待も受けずに創られ、捨てられた身だ。
 復讐しようにも、アルはもうこの世に居ない。ヒビキ博士もこの世に居ない。
 誰かさんのように、世界そのものへの復讐を考える気もない。
 けれど、奴と同じ過ちを犯している連中がいる。同じ道を歩もうとしてる連中がいる。
 俺には、そいつらを許しておくことができない。
 俺はそんな連中と戦うために、ブルーコスモスに身を寄せ、組織の中に深く食い込んだ。
 ブルーコスモスの正義の一部が、俺の正義と合致したんだ」
「……ネオの、正義」
「そしてそれは、今の地球連合の正義とも一致する」
「地球連合の……正義」

それは――どういう「正義」なのだろう?
ネオが許せないという、アル・ダ・フラガと同じ過ちとは?
……そんなマリューの疑問は、しかし急に向けられた質問に掻き消される。

「マリュー・ラミアス。元地球連合軍少佐。
 君も、地球連合の正義と共に歩んだ時期もあったんだろう?
 君たちが、軍を裏切った経緯は、確かに同情に値するものだが……
 君たちの正義は、どこに行った? 君たちは、当初の正義をすっかり捨ててしまったのか?」
「私、は……」

マリューの脳裏を、ハルバートン提督の微笑みがよぎる。
そう、確かに、彼女たちの正義と地球連合軍の正義とが合致していた時期はあったのだ。
あったからこそ、徴兵されたわけでもないのに軍人になったのだ。
手酷い裏切りを受け、もう彼らの正義に期待が持てず、違う道を選ぶことになったのだが……

「……この、ペンダント」
「あッ……!」
「……中の写真、兄貴じゃないんだな。ムウと出会う前に付き合っていた、恋人か何かかい?」
「それは……!」
「別れた相手の写真を持ち続けているはずもないし…………死んだのか。戦死したんだな」
「…………」

マリューの首にかかるペンダント、それを手にとるネオの腕を、マリューは止められなかった。
力なく、彼の言葉に頷く。
MA乗りだった彼。喪われた愛。その後の傷を癒してくれたムウ。再び喪われた愛。
ネオは、うなだれるマリューを、優しく抱きしめた。

「……連合軍に、忠誠を誓えとは言わない。いつでも逃げられるよう、中腰でもいい。
 コッチがあんたを利用しようとしてるように、そっちもコッチを利用しても構わないんだ。
 だが……俺たちの正義と、君の正義。
 本当に、重なるところは無いのか……?」

優しく囁く、ネオ・ロアノーク。
その表情は、仮面に隠され、まるで見えない。ただ柔かな言葉が、マリューの心に染み渡って……。

522 :隻腕29話(17/21):2006/05/22(月) 00:09:31 ID:???
 「……終わりですね」
 「……そうね、もう終わりね、ギル坊」

 CE55年、5月の末。荒れ果てた研究所で、ギルバートとバレル女史は溜息交じりに呟く。
 壊れた機械が転がり、人の気配の消えうせた研究所。かつての活気は微塵も感じられない。

 研究所の最大のパトロンであった、アル・ダ・フラガは死んだ。屋敷の失火だった。
 放火殺人だったとも、ブルーコスモスのテロだったとも噂されたが、真相は闇の中だ。
 そして、アルの死とさほどの間も置かずに……ヒビキ博士もまた、死んでしまった。
 ブルーコスモスの構成員による、襲撃だった。妻のヴィアも同時に命を落とした。
 ヴィアの胎と人工子宮、それぞれから生まれた双子の赤ん坊は、行方不明となった。

 「あるいは……博士とフラガ氏は、ここで亡くなって、かえって幸せだったのかもしれない」
 「どういうこと、ギル坊?」
 「博士が襲撃された、まさにその日に――私はとうとう、解き明かしてしまったのですよ。
  クローンのテロメア延長技術と、クローンのコーディネーター化技術、この2つの対立の問題を。
  どうしてお互いに邪魔しあうのか、その仕組みを完全に解き明かして……
  同時に、この問題に解決方法がないことを、完全に証明してしまいました。
  ついでに、クローン人間が人工子宮と適合できない、という事実についても……。
  私がレポートをまとめている間に、博士は殺されてしまいましたがね」

 ギルバートは大きな溜息をつく。彼は問題点を探すことにかけては、天才だった。
 しかし、見つかった問題点に常に解決法があるとは限らない。
 「解決策は存在しない」という結論が真実なら、もはやどうしようもない。
 永久機関と熱力学第一法則の関係のようなモノだ。卓越した知性は、時に絶望しかもたらさない。
 アル・ダ・フラガとヒビキ博士、2の天才が望んだ、3つの流れの統合。
 それが不可能であることを証明してしまったのは、最後に生き残ったもう1人の天才だったのだ。

 「バレルさんは、何故、今頃になってこんな所に?」
 「ちょっと『忘れ物』を取りに、ね。こんな『お宝』を放置しておく手はないわ」

 ギルバートの問いに、ヒビキ博士のサポートをしていた研究員の1人、バレル女史は妖艶に笑う。
 肩から提げていたのは、大きなクーラーボックス。凍結した受精卵などを運ぶのに使われるものだ。
 この荷物の中からもう1人、不幸な青年が生み出されることになるのだが……それはまた、先の話。

 「坊やは、これからどうするの?」
 「メンデルにある別の研究所から、来て欲しいと言われています。
  しかしいずれは、プラントに渡るつもりです。そこで、力を蓄えます」
 「力……?」

 ……数年後。ギルバート・デュランダルは己の言葉の通り、プラントに渡る。
 タリア・グラディスと運命的な出会いをし、そして別れ……彼は、政治家への道を歩み始める。
 評議会のオブザーバー、そして評議会議員を経て、プラントのトップたる最高評議会議長へ。

 より強く、より先へ、より上へ。人類の進歩こそがより良き未来を切り開く――
 法など変わる。倫理など変わる。偉大なる勝利が、全てを正当化する――
 ……天才少年が多感な時期に叩き込まれた、アル・ダ・フラガとユーレン・ヒビキの信念。
 それは、ギルバート・デュランダルという男の中心に据えられて……

523 :隻腕29話(18/21):2006/05/22(月) 00:10:43 ID:???
――オーブの海岸に沿った道を進む、オープンカー。
幹線道路を離れた彼らの右手には、波の打ち寄せる美しい砂浜。

「僕はね……コーディネーターとしての可能性を、極限まで引き出された存在だ。
 良い意味でも、悪い意味でも」
「悪い……意味?」

キラの昔語りが一段落し、しばしの沈黙の後。唐突な話に、マユは思わず鸚鵡返しに聞き返す。

「たぶん僕の実の父親、ヒビキ博士は知る術もなかったことだろうけど……
 僕には、子供を作る能力がない」
「子供が……?」
「2代目以降のコーディネーターの、出生率低下問題は君も知っているだろう?
 僕は、形の上では第1世代だけど、生殖能力に関しては第3世代よりもなお劣る。
 ……これもまた、つい最近になって知ったことなんだけどね」
「…………」
「僕だけの問題じゃない。ラクスも、第2世代コーディネーターだ。
 プラントの婚姻統制で選ばれた相手との間にしか、子供を作れない身体だ。
 二重の意味で、僕たちの間には、子供が作れないんだ」

キラの横顔に、かすかに憂いの色が混じる。
人類の夢、スーパーコーディネーターとして生まれた彼に、密かに背負わされていた十字架。
誰よりも優秀な素質を持つのかもしれないが、しかし愛する人との子供を抱くことはできない……
それは本当に人類の夢なのだろうか? 人類の理想なのだろうか?

沈黙する2人。その行く先に、目的地が見えてくる。海沿いに立つ1つの建物。
ユニウスセブンの津波で崩壊した、かつての孤児院に良く似た新しい家。
キラの運転する車は、ゆっくり減速し、再建されたログハウスの前に止まる。

「……あ! おかえり、キラ!」
「お疲れさまー! どこ行ってたの?!」
「バカ、キラは僕らのために戦ってたんだよ! あの金色ので!」
「みんな、お留守番いい子にしてたよー!」

キラの帰りに気がついて、孤児院の中から子供たちが飛び出してくる。飛びつく子供もいる。
子供たちは車から降りたキラを取り囲み、騒がしくも暖かく迎え入れて。
キラはマユの方に振り返ると、爽やかに笑う。

「僕には子供は望めない。けれどね、マユ……僕は決して不幸じゃないんだ。
 僕には、愛すべき子供たちがいる。もう既に、ここにいるんだ」

子供たちの笑顔に囲まれて、キラは微笑む。父性愛に満ちた笑顔、そこにはもう、憂いの色はない。
彼の持つ生来の優しさと、彼が築き上げた自信とが融和して。実に穏やかな表情。

「僕が、力だけでないことを知る者は、ちゃんと居る。ここに居る。
 そして、そういう関係を築くためには、目の前の日々の生活を、積み重ねていくしかない。
 その『日々の積み重ね』こそが平和への道。僕らに課せられた『宿題』への、僕なりの解答なんだ。
 ――この答えを自信もって言えるようになるまで、2年もかかってしまったけれどね」

524 :隻腕29話(19/21):2006/05/22(月) 00:12:05 ID:???
……オーブの軍港から、連合軍の艦隊が続々と出て行く。
オーブに派遣されていた艦隊が、撤退するのだ。
出て行く彼らを、カガリ自ら港に立って、敬礼して見送る。

タイミングが違えば、もう少し交渉は難航していたかもしれない。
連合側との対立は避けられぬ情勢になったとはいえ、連合にはオーブを攻撃する選択肢もあったのだ。
と、いうより、その可能性を言い含められていたからこその、駐留部隊指揮官たちのあの態度だった。
誰だって、相手が敵になるかもしれない、と思えば、態度も固くなろう。トゲトゲしくもなろう。
彼らも、「人並みに弱さを持っていた」というだけで、決して生まれついての悪人ではない。

『……以上をもって、我がオーブは地球連合との同盟を破棄することになる。
 だが、これは決してプラントの側につくことを意味しない。
 プラントの方針、特に先日発表された『デスティニープラン』には、大きな疑いがある。
 我々は、デュランダル議長から提示されたそのプランを、受け入れるわけには行かない』

風に乗って、カガリの演説の録画放送の声が聞こえてくる。
連合軍撤退が正式決定する前、彼女がテレビを通して行った演説だ。
ミリアリアとメイリンの訪問を受け、デスティニープランに対する疑いを深めた上での決断。

オーブは再び、中立国に戻る。決してプラントの側につくわけではない。
この言質が取れたからこその、連合軍の撤退。連合軍の同盟破棄受け入れだった。
残されたオーブ軍の戦力は、決して多くはない。
Sフリーダムやアカツキなど、ごく僅かなエース級の戦力は優れているが、しかしそれだけだ。
連合側から見て、同盟関係を維持し走狗として使うことに、もうさほどの意味はない。
カーペンタリア基地への攻撃も失敗したし、オーストラリアへの橋頭堡としての価値ももう低い。
ならば、元の鞘である中立国に戻り、両陣営にとっての緩衝地帯になっても損は少ない……
連合側の思惑としては、こんなところだった。

『……我がオーブは、中立の立場に戻る。
 しかし、それは我が国に閉じこもり、国際情勢に無関心を貫くという意味ではない。
 どちらの陣営にもつかぬ者だからこそ、できることがある。
 我らは、仲介者を目指したい。
 両陣営の言い分、どちらも丸ごと受け入れられはしないけれど……でも、だからこそ。
 戦争の枠組みも、開戦当初からは大きく変わったのだ。ならば、話し合いの余地もあるはずだ』

かつてオーブは、『オーブの理念』として3つの方針を掲げていた。
侵略せず、侵略を許さず、他国の争いに介入せず。
……しかし、その理念を堅持したウズミは、最後には他国の侵略を許してしまい、自ら散った。
侵略を恐れたセイラン家は、最初の1つのために残りの2つを放棄した。
今、カガリは、他国の争いに積極的に、しかし可能な限り非暴力的手段で、介入しようとしている。


連合軍艦隊が、オーブを離れていく。
去っていく連合軍兵士の全てが、納得しているわけではない。
見送るオーブ軍兵士の全てが、彼らを許したわけではない。
それでも、カガリとオーブ軍は、最大限の礼をもって、敬礼をして彼らを見送る。

525 :隻腕29話(20/21):2006/05/22(月) 00:13:03 ID:???

「……カガリ様。お客様です」
「ん……こんな所に、か?」

水平線に消えていく連合軍艦隊を、いつまでも敬礼したまま見送っていたカガリは。
秘書に声をかけられ、振り返る。
ちょっと場違いな、油に汚れた作業員風のその男は……

「……マードック! コジロー・マードックか!」
「忙しい中すまねぇな、カガリの嬢ちゃん。
 ……ああいや、姫さん、いや代表殿にこんな口使いしちゃいけねぇか」
「いや、構わないさ。それより、どうした? 何か困ったことでも?!」

かつてのアークエンジェルの整備主任、コジロー・マードック。
スカイグラスパーで何度も無茶をしていたカガリにとって、彼は口うるさくも頼れる男である。
彼に限らず、カガリはかつての仲間が面会を求めた場合、可能な限り時間を割くことにしていた。

「困ったこと、と言うか……嬢ちゃんの耳には入れておいた方がいいと思ってな。
 黙っておくべきかどうか、かなり悩んだんだけどよ……」
「??」

何か言いづらそうに口篭るマードック。彼らしくもない煮え切らない態度に、首を傾げるカガリ。
マードックは、少しの躊躇の後、懐から1通の手紙を取り出す。

「艦長から……マリュー艦長の名前で、手紙が来てな。消印見ると、出されたのは北米からだ」
「ラミアス艦長から?!」
「ノイマンとかにも確認してみたんだが、どうもAAの元クルーの全員に同じ手紙が来てるらしい。
 何故かヘリオポリスからの学生組には、声をかけてないようだがね」

カガリたちにとって、ベルリンで音信を絶って以来、全く行方不明になってしまったマリュー。
そのマリューからの、手紙。元アークエンジェルクルーに対する、手紙。
それだけでも不可解なのに、ヘリオポリスからの志願兵たちは除外した、というのは……?

「で、彼女は何て?!」
「……脱走と反逆の罪が特別に赦され、復隊することが決まったそうだ。
 でもって、今なら俺たちも特別に赦されるから、共に復隊しないか? とさ。
 また一緒に仕事したいそうだ。当時のアークエンジェルのライトスタッフを、揃えたいんだと」
「なッ……!?」


526 :隻腕29話(21/21):2006/05/22(月) 00:14:02 ID:???
先の大戦の折、脱走兵として、反逆の罪に問われたアークエンジェルのクルーたち。
戦後、彼らは人事が一新された連合軍上層部と、1つの裏取引を結んだ。
連合軍は、彼らの罪を積極的に追及することはしない。事実上、これ以上の捜査もしない。
その代わり、彼らは軍から追放され、また見てきた全てのことについて、沈黙を要求された。
最高責任者であったマリューは、国外追放。地球連合の領内に戻ってきたら逮捕すると、脅された。
彼らに沈黙を強いるための『人質』は、地球連合の国内にいる、クルーたちの家族。

……そう、マリューと共にAAに残った兵士たちは、決して天涯孤独の者ばかりではない。
彼らはごく普通の連合軍兵士だったのだ。故郷もあれば家族もいる。
マリューやムウ、マードックのように家族の居ない者は、実は少数派だったのだ。

そんな彼らが連合軍に弓を引く覚悟を決めたのは、彼らにも正義があったからだ。
連合軍の進む道は間違っている、と。自分たちの反逆は、大局的に見て連合のためになるのだ、と。
ひょっとしたら家族に迷惑をかけることになるかもしれないが、それでも、彼らは……。

そんな想いで戦っていた彼らは、だから、その裏取引を受け入れた。
2年前の停戦の時点で、彼らの願いは達成されていたのだ。
アークエンジェルのクルーたちは軍服を脱ぎ、それぞれの生活に散っていった。
マリューは、オーブに渡って造船技術者に。ノイマンは、観光遊覧船の操舵手に。
マードックは、オーブの工事現場で、作業用MSの整備担当に……。

あれから2年。地球とプラントの間の戦争は再開され、連合軍は再び右傾化した。
アークエンジェルのクルーたちは、それを苦々しく思いながらも、何もできずに居たのだ。

そこに、このマリューの手紙だ。どう考えても、何かおかしい。
再び連合軍と戦うために召集をかける、のなら分かる。
なのに、今の連合軍に復隊する形で、かつてのクルーに彼女が召集をかけるというのは……。
いや、しかしだからこそ、何かマリューには計算と思惑がある、とも言えなくはないだろうか?

「俺も、判断に迷ってるんだがな。
 アークエンジェルの仲間たちの中で、今の連合軍の方向性を一番嫌ってるのは、多分艦長だ。
 たとえ脅されたとしても、言われるままにこんなことをする人でもない。
 筆跡も間違いなく艦長自身のモノだ。
 ……なぁ嬢ちゃん、コイツはどういう意味なんだろうな? 艦長は、何をする気なんだ?
 俺は、どうすればいい?」

マードックに問われても、カガリが答えられるわけがない。
もはや連合軍艦隊は水平線の向こうに消え、心地よい潮風がカガリの頬を撫でるが。
どこまでも青い青空の下、カガリたちは何か嫌な予感に襲われる――


                   第三十話 『 中立都市コペルニクス 』 につづく