- 298 :舞踏11話 1/38:2006/04/07(金) 21:58:25
ID:???
月面の表側に位置する、大西洋連邦軍基地アルザッヘル。
その名の由来となったクレーターを丸ごと改造する形で作られた施設、その港内に3隻の黒い艦艇が入港する。
セレネ移民船団襲撃事件の鎮圧活動を終えた、シュヴァルツヴィントの旗艦ケルビムとその僚艦だ。
襲撃者であるザフト製の無人MS部隊を殲滅した彼らは、事後処理を他の部隊に任せ、この基地まで帰還してきた。
「……賑やかなもんだ。 セレネの事後処理もまだ終わってねえってのによ」
ケルビムの艦橋内。 肘掛に頬杖をつき、前面のコンソールに足を投げ出してシートに座る男が独り言つ。
顔面に気難しげな皺を何本も刻む彼、ラガーシュはメインモニターから望めるアルザッヘルの港を忌々しげに睨んでいた。
…そこは多数の艦艇と無数の機動兵器がひしめく、まさに戦場さながらの慌しさだった。
『ヴァリトラ、ティアマト、ヨルムンガンドは第4エリア上空にて艦載機の収容を開始』
『第3艦隊は7番エリアに入港してください』
『第6艦隊4分隊は第12中継拠点に移動』
反響伴い、あちらこちらから発されるアナウンスは艦橋にも伝わり聞こえてくる。
無秩序な騒音が頭に響くのか、不快そうな表情でラガーシュは頬杖ついたその手で片耳を塞ぐ。
アナウンスの声に従い、船は次々と入港し、次々と発進していく。
その中には、これまで軍内部でも存在を匿秘されていたヴァリトラ級大型空母の姿も見られた。
最高レベルの軍事機密だった艦が、今このタイミングで姿を現したということは
現状がいかに異常事態かということを、軍全体の動きが緊迫化しつつあるということを如実に示していた。
じっと正面を見据えるラガーシュのそばに付き従うように、隣に立つ女性は表情を曇らせながら、呟く。
「大佐…やはり、開戦するのでしょうか」
「恐らく、いや間違いなくそうだろうな。
盟主殿もあのガキも、戦争をおっぱじめたくてしょうがなかったようだからな。
上の連中にも、それを望む奴らは多いしな。きっとあの二人に焚きつけられたら、大喜びで賛同するだろうぜ。
今頃、二人で祝杯でも上げてるだろうさ」
ケルビム艦長であり副官でもあるシャーナへと、ラガーシュは刺々とした嫌悪を含む語調で答えた。
二人が言葉を交わす最中も、続々と入港する艦艇は弾薬や機動兵器を腹一杯収納すると、いずこかに飛び立っていく。
それは、男が推測した未来を、どんな説明よりも納得させるような光景だった。
- 299 :舞踏11話 2/38:2006/04/07(金) 21:59:39
ID:???
やがて、管制官の指示を受けてケルビムもドックに収容される。
艦の補給とメンテナンス、そして激戦に参加した彼らに用意された、一時の休養を頂くためにクルーは全員下船する。
ケルビムとドックとの間に掛けられたタラップを降りてきたラガーシュを出迎えたのは、仮面を被った男だった。
ラガーシュと同じ黒い軍服と階級章を身につけた彼は、下船してきた同僚へと声をかけた。
「ご苦労さまです、ダンナ。 軌道上では大変な事態に巻き込まれたそうで」
「まぁな。 しかも結果が最悪とまではいかないものも、決して良かったとは言えねぇからな。
…特に若ぇ連中にそれを気にしてるヤツが多いかな。やれることやったんだから、気にすんなっつーてんのによ」
ねぎらいの言葉に応じながら、参ったとばかりにバリバリと髪をかき回した男。
深々とため息をついた後、顔を上げて仮面の男、ネオ・ロアノークを見る。
「お前さんも相当苦労したようじゃないか。
少将サマのワガママに、さぞ振り回されたんだろう?」
「ええ、まあ、お察しの通り……。
ホント、あの人はワガママな上に唐突で、しかも身分をわきまえないスタンドプレーヤーですよ」
ネオは顔の上半分を丸々隠す仮面をつけているため、その表情は口元でしか判断できないが
苦労を語るその声を聞けば、どれだけ困らされたのかは大体予想ついた。
お互いさまだねぇ、とラガーシュは苦笑いしながらお互いの身に降りかかった不幸を嘆いた。
「で、その少将殿ですが、お姿が見えませんねぇ。
先に戻ってきたウィルソンにも居られませんでしたし…もしかして、途中下車とか?」
「ああ、その通りだ! あのガキ、救援作業の指揮をほっぽり出して地球に降下しやがったよ!!」
「マジですか……現場に集まっていた人間では彼が指揮をとる立場でしょうに」
あからさまに不機嫌な様子で声を荒げた男へと、ネオもまた同じ思いから声を低めながらそう呻く。
彼らが語っているのは、共通の上官であるケイ・サマエル少将についてだ。
ネオがプラントの一基、アーモリーワンへと向かった際、艦に同乗してきたかの青年は
用事を済ませ、アルザッヘル基地へ帰還するなり、予定が詰まっているからと理由を付けて地球行きの足を確保した。
……連合軍主力戦艦、アガメムノン級に僚艦まで従えるという、時代錯誤な大名行列の如き振る舞いで。
その際、少将である彼はそれらの艦隊を率いる司令、という立場に据え置かれていた。 …そのはずだったのが
「指揮権はあとで到着する艦隊の司令に譲り、一刻も早く降りてこい、って言われたンだとよ。
ワシントンからの指示だとか言ってたが、大方盟主殿の指示だろうよ。
……しかもあろうことか、救助作業中の俺らに、軌道上までシャトルの護衛をしろとかぬかしやがった」
- 300 :舞踏11話 3/38:2006/04/07(金) 22:01:24
ID:???
ふん、と鼻を鳴らして言葉を締めくくったラガーシュは、途中で足を止めていたタラップから降りた。
そして、ドックの出口へと向けてまっすぐ歩みを進めながら、隣を歩くネオへと話しかける。
「しかしまぁ、こっちの状況はなんともまた物々しいようだな」
「ええ、ご覧の通り上はヤル気満々ですよ? …ま、詳しくは後ほど、一杯やりながらでも」
「そうだな、やっと頂いた休息だ。 美味い酒でも飲んでなきゃやってらんねぇ」
見えない酒杯を仰ぐように、くいと手を動かす仕草を示す仮面の男へと、
若干疲れの影混じる顔を向けながらも、彼の提案に頷きラガーシュは歩き出す。
「ところでネオ、お前さんあの西側の区画で行なってる工事、何だか知ってるか?
いまさら拡張工事する必要も無いと思うんだがな…」
ふと思い出した、入港時に目に入った工事現場について、ラガーシュは同僚へと問いかけてみる。
今でさえ十分規模の大きい基地だというのに、随分と大規模、そのうえ突貫工事の様相だったのが気になったのだ。
「あれですか…自分も詳細な内容は聞いていません。少将サマならご存知かも知れませんが。
まっ、俺の予想では『竜』たちの巣穴じゃあないかと予想しているんですけどね?」
彼が口にした『竜』という言葉は、空想の幻獣ではなくとある船のことを指し示していた。
それはあの、つい先日開かれた連合軍による大規模演習でお披露目された、
新造大型空母『ヴァリトラ』級に付けられた、兵士たちの間における通り名だった。
現在運用されている三隻の空母…『ヴァリトラ』『ティアマト』『ヨルムンガンド』は
出典こそ異なるものも、どれも神話の中で語られる竜や蛇の名を冠していることは共通している。
彼の予想は、かの船の桁違いの巨大さを目の当たりにした経験からくるものだった。
1000m級…他の艦船と比較して三倍近くの全長を誇るあの艦を収容するには
新たに専用の区画を作らねば絶対に不可能だろうと考えてのことだ。
現にここで準備されていたMA部隊を収容すると3隻は建造されたドックのある月の裏側へと帰っていく。
開戦すれば、このアルザッヘルが戦争の中心になるだろう…だからここに彼らの巣穴を作る、それがネオの予想だった。
だが、ネオの言葉を聞いてもまだ引っかかるものがあるのか、ラガーシュはふむと唸る。
「それにしちゃあデカ過ぎる気もするんだがなぁ……。
だが、詮索するのも無駄だな。所詮俺らは中間管理職、完成寸前まで正体を知ることは出来んだろうよ」
「まったくです。 …最近は特に、秘密主義の傾向が強まってきてますからねー」
「だなぁ。 それがあの若造が現れた頃からってのが、なんとも不気味で笑えねえ話だ」
どんな話題も、うら若き直属の上司に対する愚痴へと変化していく。
そのような状況にため息をつきながら、二人はドックと通用路を隔てる広いゲートをくぐっていった。
- 301 :舞踏11話 4/38:2006/04/07(金) 22:02:35
ID:???
ラガーシュたちがドックを後にしてから間もなく、ケルビムのクルーたちも皆、艦を降りてくる。
若者から壮年まで、様々な年齢層と人種の集まるその一団に混じりつつ、シンもタラップの上を歩いていた。
最低限の私物を纏めたバッグを肩にかける彼は、浮かない表情でうつむいている。
「どうした、シン」
不意に後方からかけられた声に、少年は顔を上げて振り向くと
そこには、ラフに軍服を着崩した若い男が立っていた。
「ヴァル兄……」
ケルビム艦長シャーナと共に、シュヴァルツヴィント隊の副官を務める男、ヴァルアス・リグヴェート少佐。
彼はシンにとっては上官であり戦場における師でもあり、そして兄のような存在の男だった。
一見眠たそうにも見える、気だるい面差しの彼は暗い表情を見せるシンへと告げる。
「随分と気にしてるようだが…あんま自分責めんな。
あんなクソッタレな状況下じゃあ、なにが起きたって仕方ねえんだ」
乱暴で素っ気ない口調ながらも、その内容は落ち込んでいる少年をいたわるものだった。
ヴァルアスが語っているのは、先ほどの戦闘のこと。
無人機の襲撃を受ける移民船団を救うべく駆けつけた時、
シンの不注意により一隻の船が沈んだという結果についてだった。
実際、現場は所狭しとひしめく船団と、次々と生産されていくデブリによって混乱を極めた状況で
例え、船を救えなかったとしても誰も責められないシチュエーションだったと、彼は指摘したのだ。
しかしそれを聞いてもシンの憂いの表情は晴れることなく、それどころかよりしおらしくなってしまう。
- 302 :舞踏11話 5/38:2006/04/07(金) 22:03:30
ID:???
「……うん。
でも、それでも…あの時ちゃんと仕留めておけば…って」
「アホが。 なに背負い込んでんだ」
足元ばかり見ていたシンの頭にごつ、と衝撃が伝わる。
驚き顔を上げると、小突いた拳を上げたまま、呆れ顔で自分を見下ろしているヴァルアスの姿が。
はあ、と大仰にため息をついて彼は言葉を続ける。
「反省することも罪悪を感じることも、それ自体は間違っちゃいねえけどな。
…だが、悩み過ぎてっと前を見てられなくなって、とっさに動けなくなっちまうぜ」
それは慎重に言葉を選びながらの、ゆっくりと発された語り。
男は上手く言えたか自信がないのか、しかめ面で自らのくすんだ緑髪をわしわしと掻き回していた。
しかし、その言葉にシンの心は確かに動かされる。
このままずっとうつむき続けていたら…再び、あの移民船のように危険に晒される誰かがいたとしても
とっさに駆け寄ることが、助けの手を伸ばすのが遅れてしまうかもしれない、と。
だとしたら――もうそんなことは繰り返したくない。
そう思ったシンは、青年の顔を真っ直ぐ見ながら、頭を下げた。
「ありがと、ヴァル兄。 心配かけて、ゴメン」
「別にお前のためじゃねーよ。 チームの誰かが不調だったら、他の全員にしわ寄せがいくからな。
…あと、手前にもしものことがあったら悲しむ人間がいるってことを自覚しな。 ちったあ自分を大切にしろっての」
意志の輝きが戻りつつある赤眼を認めた青年は、止めていた歩みを再開し、少年の脇を通り過ぎながらそう言った。
「……それはそうと。 お迎えが来てるようだぜ、シン?」
「え? 迎えって……」
告げられたシンは、いったい誰なんだろうと思いながら、視線で指し示された方向…ゲートの横を見た。
そこには、三人の軍服姿の人間が立っていた。 うち二人は自分と同じ青色纏う少年で、一人は桃色纏う少女。
――出迎えに来てくれた友人たちの姿を見て、シンの表情はパッと明るんだ。
「ぁ…ステラ!アウル!スティング!!」
彼らの名前を呼びながら、自分を追い越し駆け降りていく少年の背中を見やりながら
ポケットに仕舞っていたシガレットケースを取り出し、中の一本を咥えながら呟く。
「ったく、ガラにでもねぇ説教しちまったな」
火をつけた煙草の、最初の一口を肺の奥まで吸い込み、ゆっくりと吐き出した男の口元には、微かな苦笑いが刻まれていた。
- 303 :舞踏11話 6/38:2006/04/07(金) 22:05:43
ID:???
早足でタラップから降りたシンの姿を認めた少年少女たちは、まっすぐ走り寄ってくる彼を出迎える。
スティングが軽く手を挙げ、アウルが旗振るように大きく手を振る中
一人、走り出したステラは勢いをそのままにシンへと飛びついた。
「シン!」
「うわっととと、ス、ステラ!?」
飛び込んできた少女を受け止めた少年は、そのままぎゅうと抱きつかれて驚きの声を上げる。
突然受けた熱い歓迎に、戸惑うやら恥ずかしいやら、それでも嬉しいやらな心境で顔を赤く染めるシン。
「よう、シン! 久しぶりだな」
「のっけから見せつけてくれんじゃんー?」
「あ、うん、久しぶり………って、茶化すなよアウル!!」
言葉を投げかけながら歩み寄ってきた二人の少年へと、顔を向けたシンは
にまりと含みある笑いを浮かべるアウルの冷やかしに、抗議の声を上げた。
迎えた相手の困り顔の理由が分からないらしく、きょとんと目を丸めている原因の少女を
とりあえず身体から離れさせるべく前へと押しやり、心を鎮めようと大きく息をつく。
そんな彼へと、スティングが声をかけてきた。
「セレネの一件じゃあ大変だったらしいな、シュヴァルツヴィントは」
「……ああ、それか。
ミッションの内容も厳しかったけど、それ以上に…酷い状況だった」
スティングの言葉に、先ほど自分が参加してきた戦闘の光景を思い出し、シンは表情を翳らす。
彼の表情の変化を認めたステラが、覗き込むように顔を近づけてくる。
「シン、元気ない。 どうしたの…?」
マゼンダ色の瞳をしぱしぱと瞬かせながら、心配そうな表情を浮かべて窺ってくる少女。
ここで、明るく笑いながら大丈夫だと言うことが出来れば、理想的だったろうが
心身ともに疲れきっていたシンにそれほどの余力は無く、
笑顔になりきれてない、半端に引きつった表情を浮かべることしか出来なかった。
「船が…たくさん沈んだんだ。
大勢の人を乗せた船が、MSに襲われて……俺、守れなかった」
「船…壊れたの? 人、たくさん壊れちゃったの?」
ステラの瞳が、不安と恐怖の色に揺らめいたのを見て、シンは己の失言に気付く。
彼女の性質を考えれば、聞かせるべきでない内容を口にしてしまった自分を罵りながら、
なんとか上手い言い方はないものかと、頭をフル回転させながら言葉を探す。
- 304 :舞踏11話 7/38:2006/04/07(金) 22:06:48
ID:???
「みんな……『直す』の大変なの?」
うろたえるシンを前に、少女はじぃとその顔を見つめながら静かに首を傾ける。
その言葉に何か閃いたのか、シンは大きく頷くとまくし立てるように話しかけた。
「そ、そうなんだ! 時間はかかるけど…みんな大丈夫だっていう話だったよ!」
「だい…じょぶ……よかったぁ…」
ところどころ詰まる、ぎこちない喋りだったが、それでもステラは安心したらしく
恐れに強張る表情を解き、ふわと花開くような笑顔を見せた。
「ま、シンも俺たちもお疲れさまってことで! なんか軽く食べにいかね?
これから寝るにしても、腹が減ってちゃ寝つけないもんな!」
ぽんとステラの肩に手を置きながら、景気付けのように大きな声で提案したのはアウル。
突然の大声に驚き、シンとステラが揃ってキョトンとする中、スティングも同意の声を上げる。
「悪くない提案だな。 ガーティー・ルーの食事はちっと味気なかったし、美味いもんでも食いにいくか。
…ほら、ステラ。 お前こないだ、甘いのがどうのとか言ってたろう? ここならなんでもあるだろうさ」
「!? 行く、ケーキ食べたい!」
スティングの誘いの言葉に、きらきら輝かんばかりに表情明るませたステラは、大きく縦に頷いた。
「んじゃー決まりっと! 行こうぜ!」
「うん!!」
- 305 :舞踏11話 8/38:2006/04/07(金) 22:08:37
ID:???
促すアウルと共に、軽やかな足取りで歩き始めた少女に、先ほどの翳りはもう微塵も見えない。
笑顔浮かぶ彼女の横顔を見つめながら、安堵に表情を緩ませていたシン。
不意に、その背中が掌によって叩かれる。
「シン、お前嘘付けないタイプだろ」
少年の背中を叩いた人物、スティングは周りに聞こえないよう抑えた声で、ぼそりと呟いた。
え、と抜けた声を上げて彼の顔を見たシンは…やがて、彼が指摘してきた意味を理解し、うつむく。
「…ごめん」
「フォローしなれてないのは仕方ない。 俺らに比べれば、付き合いは短いしな?
それに、ステラは仲間の言葉を疑う人間じゃないから、そうそうボロは出やしないだろうさ」
謝るシンの肩に手を置きながら、なだめるスティング。
そう言われ、シンは顔を上げはしたものも、やはりその表情は辛そうなもので。
唇を噛み、血の色引くほど手を握り締めたまま立ち尽くす彼を見て、スティングは小さくため息をついた。
「…ったく、生真面目だな。
もう少し気楽に行こうぜ。 しばらくは一緒に行動することになるんだからな」
「え、そうなんだ?!」
「こっちで、俺らが奪ってきた新型機の解析を終わらせたら、キャリフォルニアベースまで行くんだとさ。
それ以降の予定はまだ聞いてないが、以前のように『黒き鉄風』と『幻肢痛』の共同作戦もあるかもな?」
「そっか…皆が来るんだったら、賑やかになるな」
その話を聞き、喜びに表情を和らげたシンの横顔を見ながら、スティングは胸中でやれやれと呟いていた。
ステラやアウルと同じで、まったくもって世話の焼けるヤツだと思いながら。
だが、何事に対しても真摯な態度で向き合う少年のことを、好ましく思いながら。
嬉しそうな笑顔を浮かべながら、二人を追いかけよう、と提案する彼へと頷き返しながら
スティングは、気心知れた仲間たちがいるという、心地良い安堵感を感じていた。
- 306 :舞踏11話 9/38:2006/04/07(金) 22:09:55
ID:???
「なーなー、どこの店行くんだよー? 美味いトコじゃなきゃやだぜー?」
「あのな…ここに来たの初めてなんだよ俺も。 美味い店なんて知るか!」
「スティング、さっきケーキの並んでる店、見えたー」
レンタカーの中、後部座席につくステラとアウルと、運転席でハンドル握るスティングとのやりとりが響く。
元気に騒ぐ彼らの声を耳にしながら、助手席に座る俺は窓越しの風景を眺めていた。
月面クレーターの一つ、『アルザケール』に建造されたアルザッヘル基地は
数ある大西洋連邦軍基地の中でも指折りの、巨大な軍事拠点であった。
面積が広いこともさることながら、港の規模、配備されている兵器群も最大規模で
その中で居住する軍人も膨大なことから、基地の中はまるで一つの月面都市のような様相。
どんな大きな搬入車両も通れるように広く整備された道路に、その脇に立ち並ぶ居住施設に商業施設。
全体的に少々殺風景な点に目をつぶれば、確かにそれは都市そのものだったろう。
「…そも、何を食べに行くのか決めてるのか?」
「パスタはあとで食べられるだろうしなぁ……なあ、スシバーってあるかなぁ?」
「………地球の港じゃないんだから、あるわけないだろうが」
「ねえ、さっきのケーキのお店……」
「バーカ! メシ食べに行くのにデザートだけ食べてどうすんだよ!」
「…ぅー……」
「アウル、あんま贅沢言うな! …ほら、ステラも拗ねるな」
めいめいに好きな意見を述べる二人と、なんとかそれを取りまとめようと苦心する一人の声。
大変だな、と思いながらみんなの会話に耳を傾けているものも、自分もその輪に入るほどの気力はなかった。
……少々疲れが溜まっているみたいだ。
頭がヘリウム詰めたようにフワフワしてるし、霞がかったように五感がはっきりしない。
「――シン、眠そう?」
「おーい起きろよシンー。 勝手に決めちゃうぜー?」
「そっとしといてやれ。 疲れてるんだ、寝かせてやれ……」
ふと、自分の名を呼ばれた気がして、返事をしなければという考えが過ぎったが
頃合を見計らったかのように押し寄せてきた、眠気の波にさらわれた俺の意識は深く暗い場所まで堕ちていった。
ほんの二年間の記憶しか詰まっていない、ほころびだらけで傷まみれの魂の内へと――。
- 307 :舞踏11話 10/38:2006/04/07(金) 22:11:13
ID:???
――俺の頭に残る記憶の中で一番古いものは、炎と血と煙にくすんだ映像。
耳に飛び込んでくる音声は、鼓膜破らんばかりの轟音のみ。
……いや、それだけじゃない。 父さん、母さんと呼び叫ぶ声。
割れに割れ、かすれにかすれたその声は他ならぬ自分の叫び。
地に伏したまま、それでも少しでも進もうと荒地を這いずりながら、俺は家族を呼んでいた。
どうなったのか、何処へ行ったのかも知れない両親を。
そしてもう一つの単語。 家族内の立場を表す名詞ではない、誰かの名前。
しかし、誰かの名前を叫んでいたという事実しか記憶になく
肝心なその発音は辺りに満たされる爆音にかき消されていた。
頭の中を揺さぶるほどの爆風が、衝撃が断続的に襲いかかってくる中
とめどない涙流しながら、空仰ぎ叫んでいた俺の意識は、テレビの電源を切るようにフツンと途切れた。
それからどれ位経ったのか。 次に目覚めた時、俺が真っ先に目にしたのは、白天井だった。
内装も淡いトーンで統一されていて、清潔な印象を与えるその室内には、穏やかな静寂が満ちていた。
――ここは、何処だろう。
先ほどまでと全く正反対の状況を飲み込めず、戸惑いを覚えながら目を動かし、辺りを見回す。
機材や薬品棚の置かれた室内の様子からして、ここは医療施設…
そして、自分が寝ているのは病室用のベッドのようだった。
「……あら、目を覚ましたようね」
観察の眼差しを向けていた方の、反対側からかけられた声。
人がいたことに驚きながらそちらを見ると、そこにはベッドサイドの椅子に座っている女性の姿があった。
その人は二十歳過ぎぐらいの年齢だろうか。
豊かな質感を誇る腰までの金髪と色白の肌に、海のように深い碧眼の――絵画的な印象の美人。
手にしてた書物を閉じ、身を乗り出してこちらを覗き込んでくる柔和な笑顔は、まるで天使のようだった。
…先ほどまで、地獄の如き惨状に身を置いていたせいか余計にそう思えた。そして、自分は死んだのかもしれないと。
「あの……ここは天国ですか?」
辿り着いた予想を口にすると彼女は目をみはり、続いて笑い出した。
「この船は天国行きの便じゃないわよ。 貴方はちゃあんと生きてるわ」
クスクスとさえずるような笑い声を立てる彼女は、そう告げてきた。
しかし、どうにも実感が湧かない俺は応じる言葉も発せずに、ただただ呆然とすることしか出来なかった。
- 308 :舞踏11話 11/38:2006/04/07(金) 22:13:31
ID:???
「――ん? なんだシャーナ、こんな所にいたのか。 ドクターはどうした?」
カシュンという音と共に開閉されたドアの前に姿を見せた人物は、女の人の顔を見るなり怪訝そうに訊いてくる。
その人は、髪から瞳…纏う服まで全て黒尽くめの、壮年の男だった。
痩せた頬と釣り上がった切れ長目のせいか、気難しそうな印象を与える容貌の彼は
人を捜すように室内を見回し、やがてこちらへと視線を止める。
「ドクターは今、休息をとられてます。 その間、私がお留守番を」
「なるほどな……ま、既に安全海域に入っているし、大丈夫か」
「ええ、私がブリッジにいなくても差し支えはないでしょう」
彼女…シャーナと呼ばれた女性の返事に、ふむと頷いた男。 こちらのベッドサイドへと歩み寄ってくる。
「よう、起きたか坊主。 喋れるか?」
見下ろしながらかけられた言葉に、はいと言葉と頷きで答えておく。
そうか、と呟いた時、彼の眉目が僅かながらに緩んだように見えた。
「名前、言えるか?」
再びの問いかけに、もう一度はいと答えてから………俺は気付いた。
ナマエ…なまえ……自分の名前は………
「……シン、です」
「"sin(罪)"だぁ? そらまた妙な……ああいや、違うか。 東アジア圏にある名前だったか、確か」
男は一瞬顔をひそませたが、自らの勘違いを自問自答で解決させる。
第一印象では、人を寄せ付けなさそうな雰囲気を感じていたけど…意外と口数は多いようだった。
…いや、そんな事を推測している場合じゃない。 たった今気付いた事実を、話さなければならない。
「あのっ……俺どうかしちゃったらしくて……ファミリーネームが思い出せないんです。
それどころか、なんでこんなに体中が痛いのかも覚えていないし、どういう経緯でここにいるのかも…」
それを聞いた男は、口を固く結んで難しそうな表情を作った。
傍にいるシャーナという女性が目を丸くさせ、そして困惑したように男の顔を見上げている。
「一体、何があったんですか? ここは何処なんですか? 俺は一体……」
「あー、まあ落ち着け。 順立てて説明してやるよ…もっとも、俺が知っている範囲に限るが」
自分の心に欠けているピースが数多くあることに気付いた不安から、まくし立てて話す俺を、彼はなだめてくる。
「まずは、場所についてだが…ここは大西洋連邦軍に所属する戦艦の、医務室だ。
ついでに説明しとくが、俺はラガーシュ・イゾルデ。この艦の指揮官で階級は大佐だ」
名乗った男は、女性が部屋の隅から持ってきた椅子に腰かけ、こちらに目線を合わせながら説明を始めた。
- 309 :舞踏11話 12/38:2006/04/07(金) 22:16:02
ID:???
「お前をここに連れてきたのは俺の部下だ。
任務遂行中、戦闘に巻き込まれて倒れているのを見つけ、助けたと報告を受けている」
「せん…とう……」
「ああ、オーブのオノゴロ島で起きた、大西洋連邦軍とオーブ軍との戦闘だ。
……お前、本当に何も覚えていないのか?」
「………オーブ……オノゴロ…」
まともに言葉を返せない俺に対して、ラガーシュさんは眉をひそめ、心配そうな視線を向ける。
俺は、彼の言ってることをよく理解出来ていなかった。
戦闘に巻き込まれた記憶はないし……挙げられた地名に対しても、ピンとこなかった。
いや、それだけじゃない。 何かを思い出そうとしても、頭の中が白濁したようにはっきりとしない。
辛うじて覚えていた名前以外、思い出せるものがないのだ。
「見たところ、お前はオーブの民間人のようだが…避難の際に戦闘に巻き込まれたんだろうな。
だが、お前に家族がいたかどうかまでは知らんが…俺らが保護したのはお前だけだ」
「家族……?」
ぼんやりとしていた思考が突然、不安にざわめき立つ。 追い立てられるように、脅かされるように。
家族…家族のことなら思い出せそうな気がした。 一つの光明を見つけ、必死に記憶の糸を手繰り寄せる。
でも何故、こんなに鼓動が早鐘打つのだろう。 嫌な汗が、手に滲むのだろう。
- 310 :舞踏11話 13/38:2006/04/07(金) 22:17:42
ID:???
――その予感は、赤と黒に塗りたくられた風景という形で脳裏に閃いた。
「…父さんっ、母さんっ!!!」
気絶する直前の光景を思い出した俺は、その時と同じ叫びを上げながら上半身を起こした。
――起こしたつもりだったが、がくんと体勢を崩してしまい、再びベッドの上に倒れこむ結果となる。
「まだ動かないでっ! 貴方ひどい怪我してるのよ!!」
血相を変えて駆け寄ってきたシャーナさんは、そう言いながら包帯の巻かれた右腕の状態を確認してくる。
…ベッドに手を付いた瞬間感じた『足りない』ような違和感に不安を覚えながら、俺はおそるおそる己の右腕を見た。
――そこにあったのは、本来の半分足らずの寸法になった腕。
「…破片か何かで切断されたんだろう。
発見された時には既に、肘から下が無かったそうだ」
渋面浮かべる男から、呻くような低い声で告げられた言葉。 けれど俺は、それに答えることが出来なかった。
欠損した腕の断面から伝わる痛みと、脳裏に蘇った地獄さながらの光景が頭中を埋め尽くし、暴風の如く掻き乱す。
「ぅ…ぁ………あああああぁぁぁあぁっっ!!!」
五体の一つを失い、家族と引き裂かれ、更には己の過去を思い出せない事実を理解した俺は
とめどなく涙を流しながら、悲嘆の叫びをあげた。
長い間、長い間。 泣き続け、疲れきって意識を失う直前まで……。
- 311 :舞踏11話 14/38:2006/04/07(金) 22:19:53
ID:???
――それから数日後、艦は大西洋連合軍の拠点の一つ、キャルフォルニアベースへと帰還する。
それを機に俺の病床は、艦の医務室から基地内にある医療施設へと移された。
まだ身体のあちこちが痛くてベッドから起き上がるのにも苦労したけれど
医師が言うには、あと三週間も経てば支障なく日常生活を送れる程度に回復するだろう、とのことだった。
……もっともそれは、右腕を除いての話なのだが。
安静にするようにと言い渡されていた俺は、日がな一日ベッドの上でぼんやりする生活を送っていた。
ラガーシュさんから色々と聞かされた直後は、そりゃあ落ち込んだりぐずったり、怯えるばかりの毎日だったんだけど
少し日が経つとそれも受容できてきたのか…あの時ほど心は荒れることはなくなった。
むしろ、生まれてこのかたの記憶を失い、頭の中がすっからかんになったせいか…何も考えないでいる時間が多くなってきた。
病室の窓から臨む、暑いくらいに太陽輝くキャルフォルニアの空をずっと眺めていたり
施設のそばに敷かれた道路を、忙しく行き交う軍人や車両をなんとなしに観察していることが多かった。
…時々、自分はこれからどうなるんだろう、と考えることはあったが
何の当ても無く、それどころか要望一つ頭に浮かばないので、結局途中で考えるのを止めてしまう。
――それこそ、生きているのか死んでいるのかよく分からない日々を、過ごしていた。
- 312 :舞踏11話 15/38:2006/04/07(金) 22:20:53
ID:???
多分、今日もそうなるだろうと思いながら、ぼうっと外を眺めていたある日。
訓練規定なのか、隊列組んで走る人々を、大変だなぁと思いながら見ていたその時。
病室のドアノブがカチャンと鳴り、開き戸がゆっくりと動いた。
軽く押されただけなのか、のろのろと開いていく入り口。
しかし、立つ人影は一向に見えない。
普通、ドアが開けばすぐに人が入ってくるはずなのに…と、
怪訝に思いながら俺は身をよじってそちらを見つめた。
……五秒、十秒と待っても、影一つ見えない事態に、何事だろうと首を傾げていたところで
ゆさゆさと揺れる、大きな花束が部屋に入ってきた。
しかも、小さな足を伴い、ひとりでに歩きながら。
あまりに奇妙な光景を見て、ぽかんと口を開け間抜けな顔になっている俺の前に歩み寄ってきた花束。
それが、まるでお辞儀をするように前へと傾いた時。
花束の後ろに隠れていた、幼い少女の顔が露わになった。
大きいとはいえ、花束を抱えただけで身体のほとんどが隠れてしまうほど小柄な彼女。
おそらく6、7歳…幼年学校に入ったばかりの年齢だろうか。
品の良いワンピースを着た彼女は、ボブカットの金髪と大きなライトブルーの瞳も相成って、人形のように可愛かった。
「こんにちわ、お兄ちゃん。 おけがは大丈夫?」
「あ…うん、大丈夫。 もうほとんど痛くないし」
「そっかあ、よかった。
これ、お父さんからのおみまいの花束。 今かざるね」
見知らぬ少女は、俺の返事を聞くとにっこり微笑み、そして花束をベッドの上に置いてから、洗面台へと向かった。
ぱたぱたぱたと。小さな靴音奏でながら少女は、部屋の中を歩き回る。
戸棚から見つけた花瓶に水を入れ、花束をほどいて一本一本、見栄えを考えながら挿していく。
ハツカネズミのように、小さな身体でせわしく動き回る彼女の姿を見ていると、
今の今まで死んだように静まり返っていた胸中にいつしか、じんわりと心地良い暖かさが生まれてきた。
「…はい、ここにおいとくね」
「ああ、ありがと」
花を満載に飾り立てた花器を枕頭台に置いた少女へと謝辞を告げてから、
少し間を置いて、俺はさっきから疑問に思っていたことを口にする。
- 313 :舞踏11話 16/38:2006/04/07(金) 22:21:46
ID:???
「あの、君の名前は? お父さんって…もしかして俺を知っている人?」
その質問に、彼女は不思議そうな顔で首を傾けていたが、あ、と思い出したように声を上げる。
「お父さん、はなしてなかったんだ。
私はミラフィ。 で、お父さんの名前はラガーシュっていうの」
「ラガーシュさん……あー、あの黒い軍服の人か!」
自分が目覚めた日、医務室を訪れた黒ずくめの男の名前を思い出した。どうやらこの子は、あの人の娘らしい。
…それにしても、全然似てない親子だなぁと思う。
明るいパステル調の色彩纏う少女と、髪も目も服装も総じて漆黒の男の組み合わせは、狙ったように対称的だったから。
「お兄ちゃんのことはね、お父さんがいろいろはなしてくれたよ。
ヴァル兄ちゃんが助けてくれたってことや、みんなと同じ『コーディネーター』だってことも」
「コー…ディネーター?」
「うん、だから私とはんぶんいっしょ」
「……?」
話すのが楽しいのか、ミラフィと名乗った少女は調子良く話しかけてくるのだが
その中に出てきた単語を理解できず、話の意味を飲み込めない俺に構うことなく、彼女は話し続ける。
「……お兄ちゃん、もし行く場所がないんだったら、ここにいよ?
ここにいれば、ぜったい安全なの。 お父さんとおじいちゃんが、みんな守ってくれるんだから」
朗らかな笑顔を消し、真剣そうな眼差しでこちらの顔を見上げながらの言葉。
じっと見つめてくるライトブルーの瞳に少し戸惑いを覚えつつ、少し考えてから俺は口を開いた。
「今はその…まだ分からない。 先のことなんて考えてないんだ。
ここがどういう場所なのかもまだよく知らないし、他の場所がどんな感じなのかさえ、覚えてないから…」
- 314 :舞踏11話 17/38:2006/04/07(金) 22:23:29
ID:???
…我ながら情けない物言いだと思った。
紛れもない事実とはいえ、小さな女の子に対して弱音と言ってもいいほどの言葉を漏らしている自分に、嫌気が差す。
苦笑いしながらうつむく俺の顔を、彼女は首傾げながら覗き込んできていたが
「じゃあ、お兄ちゃんのおけがが良くなったら、あんないしてあげる!
そうしたらきっと、ここにいたいって思うよ!」
ぱっと輝くように、明るい笑顔を見せながらミラフィはそう提案してきた。
ベッドサイドの椅子から身を乗り出し、リネンの上に両手を付きながらこちらに向けて笑いかけてくる。
…どうやらこの子は、年の割りに随分と世話焼きのようだった。
初対面の俺に対して向けてくる、無邪気な好意がとても嬉しく思えて、自然にこちらも笑顔になる。
「…ありがと、ミラフィちゃん。
歩けるようになったら、案内よろしく」
「うん!」
その返答がよほど嬉しかったのかミラフィは大きく頷いて、ごきげんそうに身体を左右に揺らしている。
「ねえ、お兄ちゃん。 お名前、シンって言うんでしょ?
その…ね、シンお兄ちゃんって呼んでも、いい?」
はにかみ混じりの笑顔浮かべながらの提案は、少女なりの親愛の証なのかもしれない。
そう考えた俺は、縦に頭を動かし、いいよと答えた。
「じゃあ…俺はミラフィって呼ばせてもらってもいいかな?」
「いいよ、シンお兄ちゃん」
彼女と最初に言葉を交わしたこの時間が、入院してから今までで一番心安らいだ時だった。
- 315 :舞踏11話 18/38:2006/04/07(金) 22:24:33
ID:???
「なんだ、早速打ち解けてるみたいじゃねーか」
ベッドサイドに座る少女と談笑している最中、不意に飛び込んできた男性の声。
二人揃って視線を注いだ先、病室の戸口に立つ黒尽くめの男はにやにやと笑いながらこちらを見返してくる。
お父さん、と声を上げるとミラフィは彼の元へと駆け寄り、じゃれつく子犬のように制服の裾にしがみ付く。
「あ、ラガーシュさん。 花束、ありがとうございます」
一週間ぶりに顔を合わせた恩人へと礼を述べると、彼はおう、と答えながら鷹揚に頷いた。
「もうちっと早く見舞いに来てやりたかったんだがな。
帰還してすぐに軍部に呼び出されミーティングの嵐、デスクにはごまんと積まれた報告書…でもって、また出撃だ」
ベッド脇に置かれた椅子に腰かけたラガーシュさんは、苦笑交じりにそう話す。
その内容に、彼の膝の上に座ってぷらぷら足を揺らしていたミラフィは父親の顔を見上げ、不満の声を上げた。
「お父さん、また戦争行っちゃうの?! やーっと帰ってきたのに、いっしょにあそんでくれないの?」
「あー……すまねえなぁミラフィ。 遊園地に連れてってやる約束だったのによ」
ぷうと頬ふくらませ拗ねる娘を見て、ラガーシュさんは困り果てたように眉目を下げ、彼女へと謝る。
そして、つんと顔背けいよいよ本格的に不機嫌な様子となってきた娘を前に、うろたえたように唸り始める。
「…そうだシン! シンに遊んでもらえミラフィ!!
今は安静にってことだから話ぐらいしか出来んが、歩けるようになったらいくらでも遊んでくれるぞきっと!」
「えっ、お、俺ですか?」
「おうそうだ、お前だ! 医者代の代わりだと思って引き受けてくれ!」
突然話を振られて驚く俺の方へと、がばりと頭を下げて彼は言うのだが
こちらを見る、睨みつけるような鋭い眼光と、その身に纏う殺気にも似た気迫は、お願いではなく明らかに命令だった。
……でもまぁ、その頼みを断る理由なんて一つも無いわけで。
「いいですよ。 むしろ、こちらこそお願いします。
ここに来てずっと暇でしたし、一緒にいてすごく楽しいですから」
それは心からの本音だった。 少女がいると何故かすごく心が落ち着くし、そのうえ楽しい気分にさせられる。
そして、彼女と出会ったことで、死んだように止まっていた時間が動き始めたのだ。
自分を変えるきっかけをくれた子がそばにいてくれるなんて、願ってもないことだった。
うつむいていた彼女の顔がぱあっと花咲くように明るんでいくのを見ながら、俺はそう思っていた。
- 316 :舞踏11話 19/38:2006/04/07(金) 22:25:32
ID:???
「ほら、お兄ちゃんはやくはやくー!」
「こーらミラフィちゃん、シン君まだ歩きなれてないんだから、無理させちゃダメよー」
まるで弾み転がるボールのように元気良く前を走る少女へと、金髪の女性が呼びかける。
俺はといえば、長い病床生活で筋肉が衰え、ぐらつくような不安感を残す足で慎重に歩みを進めていた。
――あれから二週間経って、絶対安静の指示を解かれた俺は、約束通りミラフィに基地内を案内してもらっていた。
彼女だけではなく、以前看病してくれた女性士官、シャーナさんも一緒について来てくれている。
同じようにゆっくりとした歩調で、隣についてくれる彼女はリハビリし始めて間もない俺のことを気遣ってくれて
時々ぐらりと傾いてしまう身体を、すかさず支えてくれた。
そんなこんなで、助けられながら医療施設の玄関をくぐり外に出た俺たちは
とりあえず、手近に建っていたMS格納庫へと向かうことにする。
……踏み入ったそこは、まさに小さな戦場だった。
外から見た、建物の大きさとは裏腹に階層の存在しない、高さも奥行きもだだ広い空間。
むき出しの鉄骨や天井から垂れ下がるクレーンの鎖、そこらじゅうに散在する資材の箱と、剥き出しの中身。
据え置かれた巨大な機材の間を、忙しく動き回る人々、運搬用リフトも縦横無尽に走り回る。
そして、それらよりもっと強烈な印象を与えたのは、所狭しと並べられた巨大な鉄人形たち。
様々な形状のパターンがあるにせよ、それらは総じて真っ黒な塗装で統一されていた。
辺りに響く騒音がうるさいのか、嫌そうに顔をしかめながら両手でしっかりと耳栓をしているミラフィの横で
俺は我を忘れて、その無骨なオブジェに見入っていた。
…それはまあ、男子特有の憧れってヤツだったかもしれない。
老若関係なく男ってのは大抵、とてつもなく大きなものや未知の機械といったものに、トキメキを覚えるもんだろう。
あるいは、記憶を失う前の俺は、こういった機械や兵器に興味を持っていたのかもしれない…。
「やいやいてめぇ! 俺様の考えたエクセレントでエキサイティングな改造案が却下たあどういうこった!!?」
「馬鹿言ってんじゃねえ!! ダガーの腕にドリルアタッチメント付けるなんて誰が許すかボケェ!!」
一機のMSの足元で、パイロットらしき軍人とツナギ姿のメカニックがやかましい言い合いを繰り広げている。
おっかない光景に、面食らった表情で顔を見合す俺とミラフィを置いて、シャーナさんはそちらへと駆け寄っていった。
「あらあら、どうした騒ぎかしら?これは」
「ああっ艦長聞いてくださいよー!
こいつ、俺の可愛い可愛いダガーちゃんの腕を工具にするつもりなんですよ!!」
「違ぁぁぁう!! ドリルだっつってんだろ!男のロマンを具現させた姿だぁっ!!
姐さん、絶対ドリル役に立つっすよ!! なにとぞ改造の許可をください!!!」
「まあ、どうしたものかしら……個人機のカスタムまではこちらの関与することじゃないし…」
熱い主張繰り返す二人の間に挟まれ、困り顔で佇むシャーナさん。 恐らく、しばらくこちらへは帰ってこれないだろう…。
- 317 :舞踏11話 20/38:2006/04/07(金) 22:27:01
ID:???
さて、これからどうしたもんだろう、と思いながら頭巡らし周囲に視線を向けていると
資材のコンテナの陰から歩み出てきた、整備兵の一人と目が合った。
彼は俺の方を不思議そうな表情でじっと見ていたが、やがて足元にいる少女の姿に気付くと、こちらへ近づいてきた。
「やっ、お嬢さん! 見学に来たんですか?」
「ううん、今日はシンお兄ちゃんに基地の中を案内してるの」
「ああなるほど。 旦那が連れてきた怪我人って、あんただったんだ」
ミラフィへと話しかけていた彼は、彼女の視線に促され、俺の顔を見るとニッと笑顔浮かべながら声をかけてきた。
……驚いたことに彼は俺とほとんど変わらない年頃の、まだ幼さ残す少年だった。
どう見ても学生にしか見えず、まさか軍隊に所属しているとは思えないほど若い兵士だ。
「…おーい、おにーさーん?」
「っと、ゴメン! ちょっと考えてて……君みたいな若い兵士もいるんだなぁと思って」
思考中の俺の顔を覗き込み、首を傾げている少年へと慌てて返事をし、続けて自分の考えていた内容を述べる。
すると彼は、意外な言葉を聞いたかのように目を丸め、そしてあははと笑い声を上げた。
「ハハッ、確かに連合軍じゃあ俺みたいな若輩者は例外中の例外だな。
でも、この部隊じゃあ珍しいことじゃないさ。 メンバーのほとんどがコーディネーターだからな」
「コーディネーター………」
「うん? どうかしたかい?」
再び耳にした、意味不明の単語に戸惑う俺に気付き、彼は声をかけてくる。
出会ったばかりの少年に、この疑問を言うべきか言わないべきかと迷ったが…いい機会だと思い、意を決して口開く。
- 318 :舞踏11話 21/38:2006/04/07(金) 22:29:57
ID:???
「俺…思い出せない事が多くて…その、コーディネーターってのがなんなのか、分からないんだ」
え、と驚きの声を上げて傍らのミラフィが俺の顔を見つめてくる。
最初はふんふんと相槌を打ちながら話を聞いていた整備兵の少年も、表情を固いものへと変え、押し黙る。
…彼らの反応が芳しくないことに気まずさを覚え、話さなければよかったと思いながら、俺は爪先へと視線を落した。
「……そいつぁマズイな。
あんた、それ知ってなきゃ外で暮らしていけないぜ。 コーディネーターなんだからな」
「えっ、そうだったんだ?」
彼の指摘…俺がコーディネーターだという内容に驚き顔を上げて、相手の顔を凝視した。
「そりゃもう、一目見ただけで分かるさ!
白子(アルビノ)でもないのに真紅の瞳をしてるなんて、『調整』しなきゃありえないぜ!」
それこそ、相手も俺の言葉が意外だったのかオーバーに両手を広げながら声を上げる。
けれど、俺は彼の話す内容がいまいち理解できなかった。『調整』とは一体どういう意味なんだろう?
頭を悩ませていた俺の顔は、よほど狼狽していたんだろう。
様子うかがうようにこちらを見つめていた少年は、やがてふっとため息をつき、
悩み続ける俺の背中をばしんと叩き、快活な声を上げた。
「しゃーねーなぁ、説明してやるよ! 俺、そんなに頭良くないから、かいつまんでだけどな」
そう言った少年の顔には、苦笑いの表情があった。
知識のない人間に対して物事を説明するのは面倒だろうし、彼がそんな顔をするのは当然の事だったろうが
何故か、その表情には嫌悪や煩わしさといった色は皆無で、むしろこちらを気遣うような優しいものだった。
- 319 :舞踏11話 22/38:2006/04/07(金) 22:31:48
ID:???
彼は語った。
『コーディネーター』とは受精卵の時点で、遺伝子操作を施された人間のことだと。
自然な形で生誕した『ナチュラル』と定義される人間と違い、身体面、頭脳面、健康面において遺伝子レベルでの調整を施され
超人的な身体能力と明晰な頭脳、病気に対して強い抵抗力を有した、優れた人類のことだと。
彼は呟いた。
遺伝子操作によって都合良く作られたコーディネーターを、自然の理に背く化物だと蔑むナチュラルと
彼らの抱く嫌悪と危機感により圧政を敷かれ、差別からの解放を、完全な形の独立を求めるコーディネーターとが
いつしか互いに争うようになったのだと。
互いに己の正義を主張し、相手の思想を――存在そのものすらも否定し、やがて両者の間に戦火が生じるほどになったと。
彼らの間の溝は途方もなく深く、六十年近く経った今でも互いの憎悪は弱まるどころか倍加、相乗の勢いで強まっていると。
彼は嘆いた。
コーディネーターの大半は宇宙に進出し、プラントと呼ばれる居住施設を建造し、そこで独自の国家を形成した。
それにより、コーディネーターは直接的な迫害に晒されることがなくなったが、それは宇宙に移り住んだ者に限った話で。
故郷を離れたくない者、プラントへの移住を許されないナチュラルの家族及びハーフコーディネーターを抱える者は
人口の大多数をナチュラルが占める地球に残るしかなく、より激しくなった迫害の矢面に立たされることになったと。
日常生活の上で周囲から差別を受けるどころではなく、コーディネーター撲滅を狙ったテロ行為も珍しくもないことだと。
――つまり、この星は自分にとって生活すること…それどころか生きることすら困難な場所だということを。
- 320 :舞踏11話 23/38:2006/04/07(金) 22:32:58
ID:???
彼の一連の言葉…突きつけられた辛い現実に、目の前が真っ暗になる思いだった。
目眩すら覚え、ただでさえ病床生活で萎えている脚がふらついたが
少年の語る内容を、悲しみに堪えるように固く口結び聞いているミラフィの、服の裾を掴んでくる感覚に、我に返る。
…まだ、絶望に心染めるには早い。 自分を取り巻く現状を、しっかり認識しなければいけない。
足元にいる少女の、健気な姿勢を見てそう思った俺は話し終えた少年へと、問いかけた。
「…状況は、だいたい飲み込めたよ。
で、その上で聞きたいんだけど、ここの部隊にはコーディネーターが多いって言ってたけど…そういうの、大丈夫なの?」
そう、彼は先ほどこの基地にはコーディネーターが多数いると話していたはずだ。
そして、初めて会った時にミラフィは俺に対して、半分一緒だと語っていた。
ならば、彼らはこの状況下でどのように生きているのだろうか? それが気になって、聞いてみた。
「もちろん大丈夫さ! 『ここ』にいる限り、誰もが守ってもらえるのさ、ラガーシュ大佐のおかげで!!」
顔一杯に誇らしげな笑顔を見せながら、整備兵の少年は両手を広げてそう答えた。
…そう言えば、ミラフィも同じことを言っていたと思い、
隣の少女を見下ろすと、彼女もまた明るい表情でしきりに頷いている。
「ああ、アンタ医務室にいたし、この基地についてよく知らないかもな。
ここはさ、キャルフォルニアベースの一角なんだけど、他のエリアからは独立した特別なエリアなのさ。
隊に所属するコーディネーターは、みんなここで生活している。 自分たちの家族と一緒に、な」
- 321 :舞踏11話 24/38:2006/04/07(金) 22:34:23
ID:???
彼が言うには、このエリアはラガーシュさんの指揮する特殊部隊『シュヴァルツヴィント』専用のものだとのことだった。
兵器格納庫や兵舎といった軍基地としての機能の他に、商店や娯楽施設といった日常生活に関わるものも完備されており、
更に、兵士の家族を住まわすための住宅が数多く存在していた。
無論ここには、ナチュラル、コーディネーターに関わらず入居可能で、
基地内の施設を利用して、生活することを許されている。
そして、エリア外からの人間の出入りは最低限に制限されており、
セキュリティや治安維持に関しても常に注意が払われているとのことだった。
「ちなみに俺んちは両親がナチュラルで、妹と弟がコーディネーターなんだ。
噂で、ここの部隊に入れば、家族が安全に暮らす場所がもらえるって聞いてさ。ソッコー駆け込んだわけよ!
俺、まだ下っ端メカニックだけど、外での生活と比べりゃ信じられないほどの給料もらえるしさ、
おまけに大佐は、親父やお袋にまで居住区内での仕事を斡旋してくれたんだぜ!!」
にんまりと白い歯覗かせながら、少年兵は心底嬉しそうに語ってくれた。
ここに来るまでに自分と家族が体験してきた、差別に苦しめられる生活と
今現在、軍の恩恵の元で平和に暮らしている生活を比較しながら説明していく。
「チビたちも前まではしょっちゅう虐められるもんだから、学校行けなかったんだけどよ。
ここに来てようやっと、ちゃんと勉強の出来る環境が出来て、すっげー喜んでんだ。
俺の先輩の奥さんが、学校の先生でさ。 ここに住んでる子供たちのために、小さい学校開いてくれてんだ」
彼が語ったのは、基地の大体の概要と自分と家族の暮らしぶりについてのみだったが
その内容だけでも、ここがコーディネーターにとってどういう場所なのかは、容易に想像ついた。
――ここは、コーディネーターとその理解者たちが寄り添い暮らす、平和なコミュニティなのだと。
- 322 :舞踏11話 25/38:2006/04/07(金) 22:36:04
ID:???
いつしか、商業区内の美味しいカフェやレストランについての話にまで飛躍した会話を
ミラフィを交え、三人で和気あいあいと楽しんでいる所へ、シャーナさんが戻ってきた。
ようやっと二人の兵士の言い争いから解放された女性は、すっかり疲れた様子だったが
打ち解けた俺たちの顔を見比べると、よしよしと言わんばかりに笑顔で頷いた。
「それじゃあ、邪魔になるといけないからそろそろ行きましょうか」
「はい、シャーナさん。
…色々教えてくれてありがとう。 ここのことがよく分かった」
「いーってことよ、兄弟! またいつでも遊びに来な!!」
整備兵の少年へと、心からの礼を述べると彼は照れくさそうに笑いながら、ひらひらと手を振った。
そんな彼へと深くお辞儀をしてから、俺は二人と一緒にMS格納庫を後にした。
「さて、次はどこに行こうかしら……何かリクエストある? シン君」
陽の光降り注ぐ屋外へ出てから、こちらを振り返ったシャーナさんは、そう問いかけてきた。
行きたい場所……か。 聞かれて俺は、考え込んでしまう。
正直、病室を出るまでは適当に歩き回るだけでいいと考えていたのだけど
先ほどの少年の話を聞いてから、ちゃんと見たいと思うようになった。
コーディネーターたちの、ここでの暮らしぶりというのを自分の眼で確かめたかった。
…けれど。 それも大事なのだけど、もっと行きたい場所があった。 正確には、会いたい人がいた。
「あの、シャーナさん。 俺……俺を助けてくれた人に、会いたいです」
意を決してそう告げてから、俺はシャーナさんの顔を見た。
……なぜだろう。 なぜか彼女は心外そうな、しかもものすごく嫌そうな表情をしていた。
- 323 :舞踏11話 26/38:2006/04/07(金) 22:37:08
ID:???
それでも、シャーナさんはため息混じりにこちらの願いを聞き入れてくれて
格納庫の二つ隣にある兵舎へと、案内してくれた。
「ねえ。 あの人、ここにいるかしら?」
「ええ、いますよ艦長。 朝からずっと詰所に充電中っす」
入り口の受付にいた兵士からそう聞くと、彼女はまたなのね、とふくれっ面で呟いた。
そして、士官たちの個室のドアが立ち並ぶ廊下を歩き、やがて詰所と銘打たれたドアの前に着く。
――女性が扉に手をかけて、数秒の間。
「シン君。 これから会う相手に、あまり期待しちゃダメよ」
念を押された理由が分からず、え?と聞き返したものも、返ってくる言葉はなく
彼女の手によって開閉スイッチが押され、ドアが開かれた。
いくつかのソファーと娯楽用のTVモニター、カップベンダーと一鉢の観葉植物が置かれた室内。
ざっと見渡したところ、その中に動くものは一つもなく、詰所は無人かのように思われたが
ごがあ、と響いた大きないびきを聞いて、ソファーの上に寝ている人物の存在に気付いた。
「やっぱり、また寝てる」
四人掛けのソファーを一人で占領し、肘置きに足を投げ出し横たわっている男の傍に立ち
はあ、と深い深いため息をついたシャーナさんは、腰に両手を当てながらそう言った。
そっと覗き見ると、くすんだ緑色のぼさぼさ髪の、まだ若い男だった。
だらしなく軍服を着崩したまま寝入っている彼を見て、ミラフィがよく寝てるね、と言う。
「ええと……この人が?」
「そう、貴方を救助したパイロット。 ヴァルアス・リグヴェート少佐。
この隊のMS部隊長で、立場的には私と同じラガーシュ大佐の副官ってところね」
「えらい人…なんですね」
日向で午睡をむさぼる野良猫のように、ぐてりと寝ている姿からはあまり想像しにくいことだが
きっとこれは疲れて休憩しているだけで、起きていればその肩書きに相応しい人物なのかもしれないと想像する。
……が、その想像すら否定するように、彼女は諦めきった表情で頭を振った。
- 324 :舞踏11話 27/38:2006/04/07(金) 22:39:33
ID:???
「とは言っても、中身は見ての通りのぐうたら人間よ。
怠け者で居眠りの常習犯で、寝ぼすけで遅刻魔。勤務態度はもはや採点したくないほどひどいわ。
そのうえ、礼儀知らずで態度や言葉遣いはなってない、気に入らなければ上官でも問答無用で殴る喧嘩っ早さ。
自分が認めた、尊敬できるような人物の言葉でもない限り面倒事は聞き入れないしね…。
さらにこれに、大飯喰らいの大酒飲み、一日2箱は軽いヘビースモーカーっていうオマケが付いてくるんだから」
つらつらと流麗に言い立て並べられた、彼の人となりについての語り。
そのあまりの多さに圧倒されながら、ヴァルアスさんに対して悪いとは思いながらも
俺は頭に浮かんだ感想を言わずにはいられなかった。
「ええっと……それってダメ人間ってヤツですか」
「そうね、その表現が的確だわ。 むしろ遠慮せずに、もう少しキツク言ってもいいかも。
まぁ、元々ここの部隊は他所と違って規律も緩いから、無秩序かつ馬鹿騒ぎを愛する集団でね。
古参の人たちほどいい加減な人が多くて、ダメ人間な傾向が強いんだけど…
その中でも彼は別格。 キングオブダメ人間と呼ばれるぐらいの腐りっぷりよ」
「は、はあ……」
いや、それは言い過ぎなんじゃないだろうかと……人となりを知らないながらもそう思ってしまう。
…それ以前に、シャーナさんがここまで言う人だとは思わなかった。
最初会った時から先ほどの兵士の仲裁に至るまで、温和で優しい人だと思ってたのに…。
なんだか幻想を打ち砕かれたような、微妙な脱力感を感じていた。
そんな中、シャーナさんはソファーのそばに屈みこみ、彼の身体を揺すって起こしにかかっている。
「ほら、ヴァル起きなさい!」
「ヴァル兄ちゃんー、お姉ちゃんが起きなさいってー」
ミラフィも一緒になって、顔やら腹やらをぺしぺしぽふぽふと叩いて、彼を起こそうとしている。
ぐぅぐぅと鳴っていたいびきが止み、代わりにあーとか、うーとか呻き声が聞こえてくる。
…よほど寝起きの悪い人なんだろうか。 そう思いながら自分もそばに歩み寄り、様子を窺う。
やがて、ひくひくと震えていた瞼がゆっくりと開き、金色の瞳が現れる。
まだ意識が覚醒しきってないのか焦点合わない目で、
頭上から覗き込んでくるシャーナさんの顔を、じっと見つめていたヴァルアスさんは
――彼女の後頭部へと手を伸ばし、自分の顔に重ねるように引き寄せた。
- 325 :舞踏11話 28/38:2006/04/07(金) 22:40:37
ID:???
「えっ、ちょ、ちょっと!?」
色んな記憶が欠けているというのに不思議な話なんだけど
そんな俺でも、その動きにどのような結果が続くのかは、何故か理解できた。
…その、彼が俺たちの目の前で、シャーナさんにキスしようとしていることが。
見ちゃいけない。 そう思った俺は、一緒にいる少女のことが心配になり、そちらへと顔を向けたが
……おませな少女は、きゃっきゃと黄色い声を上げながら、眼前の光景に喜んでいた。
「っ……なにするのよこのバカぁぁぁっっ!!!」
少女へと気を取られている間に、女性の叫び声が室内に木霊する。続いて、ばちんという痛々しい音も。
がたん、がらがしゃん、などと盛大な音が伴ったのは予想外で驚いたが
ひっくり返ったソファー、その向こうに転げて壁に頭打っている男の姿を見たら、その理由は分かった。
ビンタ一つでこの威力とは、やっぱり彼女もコーディネーターだということなんだろうか。
「ったあ……いきなりなんなんだよ」
ぶつけた頭が痛いらしく、さすりながら顔を上げた男は、いかにも寝起きといった感じの掠れ声で呻いた。
そんな彼の前に仁王立ちになりながら、シャーナさんは怒りとその他の感情から顔を紅潮させている。
「それはこっちの台詞! 突然なにしてくるのよ!!」
「なにってそりゃ目覚めのキっ………いやなんでもない」
女性の問いかけに、彼は当然のように正直な答えを言おうとしたが、
向けられる視線がより苛烈なものに変化したのを見て、もごもごと口つぐむ。
「まったく、だからミラフィちゃんたちを連れてきたくなかったのよ。教育に悪いから」
大仰にため息ついたシャーナさんは、ちらりと流した視線で俺たちの方を見て、そう言った。
その視線を追って、初めてヴァルアスさんは俺たちの存在に気付いたようだった。
ほんのり赤く染まった頬を両手で包んでいる少女の姿を見ると、ニッと笑顔見せながら起き上がった。
「よう、ミラフィ。久しぶりだな。 ちゃんと学校いってっか?」
「うん!」
そばに駆け寄ってきた少女の身体を両手で抱き、頭上に掲げ上げる彼。
いつもの倍も高い視点まで持ち上げられた少女は、楽しそうに笑い声を上げていた。
再会のスキンシップをひとしきり済ませ、ミラフィを床に下ろした後
ヴァルアスさんは俺の方をじっと見て、言葉をかけてきた。
- 326 :舞踏11話 29/38:2006/04/07(金) 22:42:18
ID:???
「お前か。 歩ける程度には傷は治ったようだな?」
「はい、お陰さまで。 …今はまだ、リハビリ始めたばかりですけど」
「そうかい。 一度ぐらい見舞いに行ってやろうかと思ってたんだが、行けなくて悪かったな。
こっちに戻ってから、すぐにアイスランドの軍本部に呼び出されててよ」
「いえ、いいんです。 俺こそ、すぐにでもお礼を言わなきゃいけない方ですよ。
……シャーナさんから、俺を助けてくれたのは貴方だと聞きました。 本当に、ありがとうございました」
感謝の意を篭めて、深く深くお辞儀をしたが、彼は眠そうな顔に皺寄せる。
そして、ふいと顔を反らし、まるでうっとおしがるようにヒラヒラと片手を振った。
「よせよ。別に俺は慈善家じゃあねえんだ。 ただ、気まぐれでお前を拾っただけだ」
「えっ…でも……」
突っぱねるような反応をされて、思わずどもってしまう。
ただ、お礼を言いたかっただけなのに、彼は面倒くさそうにしていたから…。
「軍需施設への突入任務までの待機中に、偶然見つけたんだよ。
焼け野原の地面にぶっ倒れて、血ぃダラダラ流しながら這いずり回ってるお前をな。
そりゃあブザマなもんだったぜ。 必死こいてもがいてたんだろうが、ナメクジにしか見えなかったからな」
そう言いながら、胸ポケットから取り出した箱から煙草を一本咥え抜いた男。
彼の意図が理解出来ず…言葉を発せない俺のそばで、ミラフィが怒った顔で何かを言おうとしていたが
シャーナさんは彼女の肩にそっと手を置き、それを止める。
「……情けねぇ姿だったけどよ。 でもま、誰よりも必死だった。
手前の命が惜しいだけじゃなかったな、あれは。 誰かを身を心配して、捜し回っていた。
あんまりに頑張ってるもんだから、少しだけ仏心を起こしたってワケ。 それがお前を拾った理由」
火の点ってない煙草を咥えたまま、彼はククッと喉鳴らし笑い声を立てた。
そして、再び俺の顔を見る……もうその顔には、不快感の色はない。
- 327 :舞踏11話 30/38:2006/04/07(金) 22:43:53
ID:???
「待機中とはいえ、大事な任務ほっぽりだして拾ってやったんだ。感謝しな?
…まあ、結果的には俺らの方こそお前に感謝しなきゃいけなかったんだがな」
「えっ、それはどういうことですか…?」
「お前に命を救われたんだよ。
回収している間に突入命令が下され、少々遅れて作戦対象に向かったんだがな…
ところが、向かう先だったモルゲンレーテって軍需会社に爆弾が仕掛けられててよ。
さて行くかって所で、木っ端微塵に吹っ飛んじまったワケ。
…命令直後に突入してたら、全員巻き込まれてバラバラ焼死体になってたかもしんねぇ。だからお互い様だ」
語り終えたヴァルアスさんの口元に、ニィと不敵な笑みが刻まれる。
彼の話す内容は相当の毒舌ぶりだったけど…それでも、言葉の節々に隠れている彼の人格が分かったような気がした。
言い方は悪いけどフォローは入れているし、俺に気負わせないようにお互い様だと言っているように思えた。
…顔はまあ、堅気とは思えない凄みがあって怖い人だけど、案外気のいい人かもしれない。
とりあえず、礼は言えたところで…俺は意を決して、彼に尋ねることにした。
最初に目覚めた時から胸中に抱いていた、もやもやを。
「あの…俺を助けてくれた時、その場に俺以外誰もいませんでしたか?
あと、その時誰かの名前を呼んでいませんでしたか、俺……」
気がかりだったのは、おそらく居たはずの自分の家族たち。
父と母、そしてもう一人居たはずの誰か……名前も顔も思い出せない彼らのことが、知りたかった。
一番最初に接触したと思われるヴァルアスさんなら、知っているかもしれないと思って……。
だが、難しそうに歪んだ彼の渋面が、なによりも真っ先に物語った。
「悪いがわかんねぇな。
周囲には死体すらなかったし、お前が引いてた血の跡を見たところ、随分移動してたみたいだったしよ。
それに、俺が拾った時、既にお前気ぃ失う寸前だったからな。 それらしい言葉は何も聞いてないぜ」
「そう…ですか。 ありがとうございます」
何も情報を得られなかったのは残念だったけど、既に諦めていたことだったので、それほど落胆はしなかった。
――ただ、自分が呼んでいた名前が分からなかったことは、不思議なぐらい悲しかったけれど。
- 328 :舞踏11話 31/38:2006/04/07(金) 22:45:37
ID:???
「ところでこっちも聞くが…お前今後の身の振りは考えてんのか?」
今度は相手側から投げかけられた問いに俺は顔を上げ…少しためらった。
それは、最近になって考えるようになった問題で、
つい先ほど整備兵の少年から考えさせられる内容を聞かされていたので、考えを整理しきれていなかったのだ。
まだ…明確な答えにまでは至っていない。
「…まだ考えてるところです。 以前のことはほとんど覚えてなくて、当てもありませんし…」
「だったら、自分の納得いく道が見つかるまではここに居な。
軍人にならなくても一般人向けな、基地内の仕事があるしな。 大佐にかけあってやるよ」
そこまで言うと、彼は大あくびと共に再びソファーの上で横になり、目を閉じた。
やがて、高いびきが響き始めるまで三十秒もなかったろう。
…一方的に話を切り上げて寝に入ったヴァルアスさんを前に、呆然と立ち尽くしていると
隣に近づいてきたシャーナさんが、彼のそばにしゃがみこみ、口に咥えられたままの煙草をそっと抜き取った。
そういえばあの煙草は、取り出したものも火を点けられることはなかったことを思い出す。
「貴方の恩人はこんな人よ。 驚いたでしょ」
「いや、でも…悪い人じゃなさそうですし…俺のことを気にしてくれてたようですし」
「んー…まあね。 あいつは今はどうしてるんだ?って何度か聞かれたことがあるわ」
穏やかな笑みを浮かべながら、眠る彼の横顔を眺めている彼女を見て、ふと理解した。
どうやらこの二人は、親密な男女の間柄にあるようだと。
「ねえ、シン君。 彼の言うとおり、しばらくはここで暮らした方がいいわ」
シャーナさんは不意に表情を深刻そうなものに変えると、そう呟いた。
「貴方の故郷、オーブはコーディネーターに対してとても寛容な国だわ。
けど、現在あそこは地球連合軍の占領下になってるの。今は危険地域よ…コーディネーターにとっては特に。
ツテを頼りに帰るのはいいとしても、時間を置いて様子を見るべきだわ」
そう説明すると、シャーナさんは真っ直ぐこちらを見つめてきた。
まるで、俺の答えを待つように。 促すように。
それを受け……俺はゆっくり息を吐いた後、口を開く。
「すみません、今はまだ決断できるほどの情報もないし、度胸もありません。
……だけど俺、ここが好きだと思っているのは本当です。 覚えていない母国よりも、ずっとずっと。
もう少し、時間を下さい。 ちゃんと考えなきゃいけない答えだと思うので」
- 329 :舞踏11話 32/38:2006/04/07(金) 22:46:55
ID:???
…その日は、あちらこちらに連れていこうとするミラフィに振り回され、随分と歩き回った。
初めて間もないリハビリの内容としては少々厳しいものだったような気もするけど、
それでも苦よりも楽しさの方が上回り、非常に充実したものだったと思う。
その夜。 疲れた身体をベッドに横たえ、間もなく眠りの縁へと沈んでいった俺は
一番古い記憶を再生した、モノクロームの悪夢の世界へと迷い込んだ。
それは不完全な情報によって作り出された、ノイズとブランクにまみれた映像。
ごうごうと、狂ったように吹き荒ぶ風が鼓膜を震わせる音。
単に立ち込める煙のせいで見えないのか…あるいは出血のショックで目が霞んでいるのか、はっきりとしない視界。
それだけじゃない。 その夢はただの映像だけではなく、感覚も伴っていた。
身体の上に降りかかってくる砂塵が、頬を打つ痛み。
漂う黒煙が、時折突風と共に襲いかかって来る熱波が目の表面を刺激する痛み。
地に伏せ、這いながらでも進もうとして掴んだ砂利が与えてくる、鋭利で冷たい痛み。
その場にあるもの全てがことごとく、俺の身体を苛み痛めつけてくるのだ。
地獄のような状況の中、俺はたった一人だった。
たった一人で、嘆きと絶望の只中でもがき苦しんでいた。
そばにいるべき人たちが誰もいない。何処へ行けばいいのか分からない。
走り出そうにもまともに身体が動かない。 手で砂利を掴み、足で地面を蹴ろうが芋虫程度も進めやしない。
孤独と焦燥と無力感……身体中を駆け巡る悲しい感情と激しい痛みに苛まれていた。
そんな中、俺はただひたすらに泣いていた。 叫んでいた。
何故、誰もいなくなってしまったのだと。
僕を今まで育ててくれた人たちは、愛してくれた人たちは一体何処へ行ってしまったのだと。
――大切な人たちを失ってしまった事実に対して、深い悲しみを感じていた。
何故、自分がこんな目に遭わなければならないのだと。
周りにいたであろう人、あったであろう物を無残に壊し尽くされなければならないのだと。
――世界をこんな姿に変えてしまった何者かに対して、激しい憤りを感じていた。
やるせない、行き場のない感情を抱えたまま、ただがむしゃらに荒地を這い進んでいたが
疲労からだろうか、それとも怪我のせいだろうか。 地を掴む手に、やがて力が入らなくなってくる。
視界が外周からだんだん暗くなっていき、轟音が遠くなっていくのを実感しながら
俺の意識はより深くより暗い、何もない場所まで沈み込んでいった。
――俺はこれから先、このような悪夢を何度となく見るようになる。
- 330 :舞踏11話 33/38:2006/04/07(金) 22:48:31
ID:???
…その後、毎日のように歩行のリハビリや、失った利き手を左手で代用する練習を重ねる日々。
右腕の切断面もきれいになり、痛みにうなされることもなくなったぐらいの頃。
夜になって、ラガーシュさんが俺の病室を訪れた。 珍しいことに、いつも足元にひっついている娘の姿はない。
ベッドサイドに置かれた椅子に腰を下ろすと、彼は軽い調子で話しかけてきた。
「よう、シン。 具合はどうだ?」
「歩き回る分にはもう不自由ないです。 左手で字を書くのも慣れましたし。
早くここに慣れたいんで、昼間は基地内を散歩するようにしてます」
「そうかい。 変わった場所だろう?」
「軍隊の基地、って考えると不思議ですけど、すごくいい場所です。
住んでる人たちも気さくで親切な人ばかりで…俺にも良くしてくれます」
「そりゃあよかった」
笑うように目を細めたラガーシュさんは、とても満足げで。
うんうんと相槌打つ彼へと、俺は一つ聞いてみた。
「あの、今日はミラフィは…?」
「ん? あー、今日は親父さんところに行ってるよ。
最近ワシントンに詰めてて、家を空けていたからな。 久しぶりに帰ってきたんで喜んでたよ」
「親父さん……ミラフィのお祖父さんってことですか?」
「そうだ。 俺の義父で、更に言えば俺らシュヴァルツヴィントの直属の上司だ」
にまり、口の端上げて笑いの形を作りながら、膝の上に片肘立てて頬杖をつく。
「大西洋連邦軍の重鎮であり、『ブルーコスモス』の実力者の一人でな。
俺らのような地球に残ったコーディネーターを集めて、隊の設立に尽力してくれた人だ。
今、ここで安全に暮らせているのもあの人の後ろ盾があるからさ」
- 331 :舞踏11話 34/38:2006/04/07(金) 22:50:36
ID:???
俺は、彼の語った内容に驚いた。
『ブルーコスモス』という単語の意味は、ここの人たちとの会話の中で教えられている。
確か、コーディネーター排斥を掲げる団体で、テロ行為すら実行するほどの過激派集団のはずだ。
「何故…ブルーコスモスの人がコーディネーターを保護してるんですか?」
「ま、確かに妙な話かも知れんな…
だが、なにもブルーコスモスのメンバー全員がコーディネーター撲滅を叫んでるわけじゃあないんだ。
確かに遺伝子調整された人間を不自然なものとして否定しているが、
コーディネート技術を完全に封印し、これ以上生まれないようにすれば、それでいいじゃないかって考えもある。
ナチュラルとコーディネーターの融和を願う穏健派もいるってわけなんだよ」
ゆっくりと語られる彼の話の内容に驚きながら、俺はその話に聞き入っていた。
「殺さなくったって、いずれは消えていく運命なんだからな、コーディネーターは。
現にプラントじゃあ、第二世代の生殖能力低下が見られ、第三世代がなかなか生まれてないっつー話だ。
そして、ナチュラルと交わり続ければ、コーディネーターの能力も血が薄まると共に消えていくってコトらしい。
何も好き好んで、人間同士で盛大に殺し合いたいヤツばっかりじゃあないってわけだよ」
「そう…だったんですか。
本当に、来るんでしょうか。 ナチュラルもコーディネーターも関係なく、共存できる時代が…」
「ああ、来るともさ。
もっとも、今のままじゃあダメだ。 互いに努力して、歩み寄らなけりゃあな」
ラガーシュは深く頷き、はっきりとした語調でそう言った。
その表情には、不敵に思えるほどの自信が表れていた。
「俺らは、シュヴァルツヴィントはその未来を信じてここにいる。
軍に所属し、ナチュラルの盟友を助けるべく、常に戦場を駆け巡っている。 信頼を勝ち取るためにもな。
…三日後には、部隊を編成してオーストラリアへ向けて出発する予定だ。 あっちもきな臭くなってるしな」
- 332 :舞踏11話 35/38:2006/04/07(金) 22:51:36
ID:???
そこまで語ると彼は言葉を切り、しばし黙り込んだ。
病室の窓の向こう、基地内の照明がぽつぽつと窺える夜の闇へと視線を向けている。
何か言うべきだろうかと、沈黙する空気の中考え込んでいると、彼は唐突に口を開いた。
「…あー、次戻ってくるのは、正直いつだか分からん。
だからその前に、お前に一つ確認しとかなきゃならんことがある」
「? なんですか?」
「その、お前の身の振りについてだ。 すぐには考えられんだろうが、一応聞いておきたかった。
今後どうしたい? やりたいことがあるのなら、俺は協力を惜しまんつもりだ」
問いかけ。 いつか訊かれるであろうと思っていた内容。
俺はしばし目を閉じて、胸中に抱いていた言葉の最終確認をしてから、それを口にした。
「俺、ここにいたいです。 昔のこと思い出せませんし、国に帰りたいとは思ってません。
それよりも、ここのことが好きになりました。 この基地に暮らしている人たちのことが、好きなんです。
…だからどうか、ここに置いてくれませんか? もちろん、皆の役に立つように働きます。給料はいりませんから」
「まがりなりにも軍の基地だぜ? それでもいいのか、お前さん」
「確かに俺は、戦争で色々失くしました…記憶も、右腕も、家族も。 …けど、それでもいいんです。
家族を守るために戦ってるラガーシュさんたちを、ほんの少しでも手伝いたいんです。そして……」
――意を決して、伝える。
何度も夢で体験した、全てを失くした瞬間から感じた思いを。
「出来ることなら、俺も大切な人たちを守れるようになりたいんです。
自分が受けたような、生命を脅かされる理不尽な暴力から守れる力が欲しいんです」
それが、俺の心の底からの願いだった。
とりあえず、自分の抱いていた考えは全て伝えられた。 そこで話を切ることにする。
…俺が話している間、難しい顔で無言を通していたラガーシュさんの反応が気になり、ちらと見ると
彼は懐から、銀色をした平べったい長方形の物体を取り出し、それに口付けて何かを呷り飲んでいた。
確か、あれはスキットルという物だったと思う。 ウィスキーとかを携帯するための……
「…まあ、そう願うのもアリ…なのかもな。
分かった。この基地での居住を許可しよう。 書類も用意しといてある」
ぐいと制服の袖で口元拭うと、ラガーシュさんは手にしていた封筒から何枚かの書類を取り出した。
その全てをベッドを覆うリネンの上に広げ、俺の見やすい方向に置くと、ペンを差し出してくる。
「何はともあれまずは戸籍の登録からだな。とりあえず名前だけ書いとけ」
「あ、はい…」
彼に促され、ペンを手に取りながら…ふと思いだす。 自分がファーストネームしか覚えていないことを。
どう書けばいいのだろう…ファミリーネームの欄は空白でいいのか、でたらめに書くべきなのだろうか。
- 333 :舞踏11話 36/38:2006/04/07(金) 22:55:03
ID:???
「どうした、書く場所が分からんのか?」
書類を前に考え込んでいると、横手から伸びてきたラガーシュさんの指が、書面の一箇所をトントンと叩く。
別にそれが問題じゃあないのに…と思いながらも、示された場所へと視線を落した。
――そこで初めて、気が付いた。 既にファミリーネームの欄に記入されていた、『Isolde』という文字列に。
「…無いってのは面倒だろうからな。適当に付けといてやったよ。
シン・イゾルデ、なかなか悪くねえ響きだろう?」
驚きのあまり、思わず顔を上げて男の顔を凝視すると
彼、ラガーシュ・イゾルデはしてやったりと言わんばかりの愉快げな笑みを浮かべていた。
「ここは、全員一つの家族みたいなもんさ。今更俺に家族が一人増えたからって、どうってこたぁねえ。
ミラフィがよ、お前のことをすごく気に入っているんだ。 良ければ兄貴になってやってくれ」
その瞬間、崩れるように顔の筋肉が緩んでいくのを実感した。
半開きになった口からは、なかなか言葉が出てこない。 伝えたい感情は、胸に溢れているというのに。
目頭が熱くなってきたのに気付き、慌てて目を閉じたが間に合わず、こみ上げていたモノは瞼の外に零れ落ちた。
すごく嬉しかった。 彼は俺をこの場所に受け入れてくれただけではなく、自らの姓を与えてくれたことが。
素性の知れない上に、記憶も片腕も失っているこんな自分を、家族として迎えたいと言ってくれたことが。
「……あり…がとうございますっ……ラガーシュさん」
詰まりながら、やっとの思いで伝えた感謝の言葉。
堪えきれない嗚咽に肩を震わせる俺の頭を、彼は乱暴気味にわしゃわしゃとかき回しながら、笑い声を上げた。
「ははっ、他人行儀だなぁオイ。
礼節きっちりしてんのはいいが、そのうち慣れろよ? 俺は親父なんだからな」
――それが、俺が新しい名前と家族を得た、今までで一番嬉しかった瞬間だった。
- 334 :舞踏11話 37/38:2006/04/07(金) 22:56:13
ID:???
「……ン…?………シンー?」
「………おおぉい! 起きろってばシーン!!」
「うわあっ?!!」
耳元ギリギリで叫ばれた呼び声に、眠りは一気に覚め、俺の意識は一気に現実へと引き戻された。
未だに残る余韻に、ビリビリと鼓膜が悲鳴を上げている耳を押さえながら声の方を見ると
首を揃えて顔を近づけて、まじまじとこちらを見てくるステラとアウルの顔が目に入った。
走っていたはずの車は、いつの間にか止まっている。 もう店に着いたのだろうか?
「たぁっく、いつまで寝てんだよー。
お前が賛成してくれないもんだから、スティングに勝手に決められちゃったじゃん!」
「俺はお前たちの意見をなるべく汲むように、考慮したつもりだが?」
「だからってファミレスはねーよファミレスは! せっかくのオフなんだぜ?!」
「ふぁみれす……って、甘いお菓子ある?」
「ああ、あるぞ。 パフェもホットケーキもアップルパイも、色々あるぞ。
生の魚は無いだろうがシーフード料理ぐらいならあるだろう。 …ほら、丸く収まったじゃねえか」
「…っくそー。 なんでこんな安っぽいランチなんだよー…」
朗々と説明するスティングの隣で、言い負かされた形のアウルが悔しげに唸り声を上げる。
ステラはと言えば、目当てのスイーツが食べられると聞いて、鼻歌が出るほどの喜びようを見せている。
…相変わらずの元気を見せる彼らを前にしながら、俺は先ほどの夢のことを思い返していた。
戦争によって、記憶と右腕を奪われた俺。
シュヴァルツヴィントに拾われ、家族と姓を得て新たな人生を歩み始めた俺。
家族と仲間たちに励まされ、支えてもらっていたからこそ、今この自分がいる。
失くした腕の代わりとなる、銀の腕をもらった。
忘れてしまった知識、これから必要な知識も、誰もが快く教えてくれた。
なによりも、この不甲斐ない新入りの俺を、皆が愛してくれた。
俺は、今持つ全てを与えてくれた皆に対して、なんとか報いたいと、力になりたいと思っていた。
――しかし、現実にはそう上手くいかなかった。
先日の戦闘でも仲間を助けるどころか、助けられる場面が多かった。
…あの民間船についてもそうだ。 自分の不注意のせいで、何百人もの命が失われた。
ヴァル兄はいつまでもクヨクヨ気に病むなと言っていたけど、やはり今思うとそう簡単には割り切れない事実だった。
幾度となく見た悪夢に苛まれながら、誰かを守れる人間になりたいと願っていた。
傷付き、命脅かされ、家族と引き裂かれ、号泣しながら地面に這いつくばっていた
あの日の自分を助けることが出来るような、そんな人間になりたいと願っていたのに。
……未だに自分は、ほとんど自分のことで手一杯の、無力な人間に過ぎない。
決意した瞬間を夢の中で目の当たりにしたことで、その事実が無性に悔しく思えてきた。
- 335 :舞踏11話 38/38:2006/04/07(金) 22:57:53
ID:???
セレネの時のように、無関係の人間を巻き添えに死なせたくない。
自分の周りにいる、大切な家族や親しい仲間、友人たちを失いたくない。
――もう、あの悪夢のように全てを失って泣き喚くだけの、無力な自分でいたくない。
胸中に渦巻いていた悔しさは、やがて決意へと姿を変えていく。
今よりももっと強くなりたい。
より大勢の人を助けるためにも。自分が得てきた思い出と、その中にいる人々を失わないためにも。
握り締めた右の拳が、キリと金属の軋む音を立てるのを耳にしながら、俺はそう思った。
…その右腕包む袖を、くいくいと引っ張ってくる白く華奢な手。
はたと我に返り顔を上げると、小首を傾けながらステラが自分の方をじっと見つめてきている。
「シン、具合悪いの? ずっとぼんやりしてる…」
「ああ、いや…うん、大丈夫だよステラ。 さっき少し寝て、元気出てきたから」
「…だったら、さっさと車から降りような? あんまりステラに心配かけるなよ?」
車のドアに手をかけながら車体に身を預けるスティングの、苦笑交じりの言葉に
俺はとっさにごめん、と謝りながら助手席から立ち上がった。
向こうの方から、うんざりした様子のアウルの呼び声が聞こえてくる。
もう既にファミレスの入り口に立ち、待ちわびている少年の方へと、俺たちは三人揃って歩いていった。
…難しく考えるのは、とりあえず一人の時にしよう。
今はとにかく、久しぶりの休息とステラたちとのランチを楽しんで、身体を休める時だろう。