- 62 :舞踏13話 1/20:2006/06/01(木) 21:40:06
ID:???
扉を開け、外に出るとそこは一面、青と白の混在する広大な海原だった。
ミネルバの甲板の上に足を踏み出すと、遮るもの一つない眩い陽射しが、こちら目がけて降り注いでくる。
少々きついほど眩しい真昼の陽光に、私は手の平で目をかばいながら空を見上げた。
…季節は十月。とはいえ、赤道に近いここにそんな時節は関係ない。
空は目の覚めるほど鮮やかな蒼で、水平線から沸き立つように伸びる雲は純白。
底知れなさを感じる藍色の海には、反射する光の破片と波から生まれた水泡が白い模様を織り成している。
まさに南国といった様相の…オーブの大海原に懐かしさを感じながら突っ立っていた私の視界に
仕事着のまま、飛び出していく少年少女たちの姿が入ってきた。
「やーっぱいつ見てもキレイね、地球の海って。 テレビで見るよりよっぽど迫力あるし!」
「うん、すごいよねお姉ちゃん! 建物も地面も、なーんにも見えない!」
甲板へ出たところで立ち止まっていた私の横を走り抜け
勢いよく甲板の縁に飛びついた、ルナ姉ちゃんとメイリン姉ちゃんが柵にかじりつきながら歓声を上げてる。
きゃっきゃと楽しげにはしゃぎ声を立てる少女たちの横で、軍服やツナギを着た少年たちも喜びの声を発してた。
「宇宙から見るとあんなにちっこかったのに、広いんだなぁ地球って。 どこまで進んでも果てがねーや」
「おい、ヨウラン!あれあれ!! 海の上でなんか飛び跳ねてるぜ!!」
「宇宙がこんなに青く明るい色になるなんて……ホント不思議だね、地球って」
「そうだな。 プラントや月都市にも青空を模した映像が投影されてるが、やはり本物には敵わんな」
海面で跳ね上がるシルエットと水飛沫を指差して叫ぶ、ヨウラン兄ちゃんとヴィーノ兄ちゃん。
真上に顔を向け、真っ白い太陽の眩しさに目を細めながら笑顔を浮かべているアゼルとレイ兄ちゃん。
なかなか勤務帯が合わなくて大変だったけど、ようやく全員の予定の空欄が重なったので
こうやって昼食と飲み物とおやつを持って、甲板でピクニック気分を味わうことが出来た。
今集まってるメンツは、全員アカデミー時代からの仲の良い友達。
彼らのうち誰かと一緒にご飯を食べる機会はあったけど、全員一緒ってのは随分久しぶりな気がする。
…おかしいな。 卒業してからまだ一月も経ってないってのに。
短い時間に長い長い間振り回されていたせいか、平穏だったあの日がすごく昔の思い出だったように思える。
- 63 :舞踏13話 2/20:2006/06/01(木) 21:41:02
ID:???
私がぼんやりと思い巡らせてる間に、みんなの話題と興味は目まぐるしく移り変わっていく。
全員左舷側の柵から身を乗り出しながら、何かを指差して騒ぎ立ててるので、私もそちらへと近づいていく。
「え、うそ、あれ羽クジラじゃね?!」
「よく見ろ、大きさが全然違うし、そもそも翼がないだろう。 あれはイルカだ」
「へーっ。 でもなんで、いちいち海面に上がりながら泳ぐのかしら?疲れるんじゃない?」
「ほらほら、こっちおいでー! サンドイッチあげるよー!」
「メイリン、ありゃ野生だから近寄ってこないって。 水族館で飼われてるのとは違うんだからな」
「……スナック菓子、食べるかなぁ?」
ミネルバから少し離れた海面を、まるで並走するように進行方向を合わせながら泳ぐイルカの群。
海上に踊る流麗なフォルムに、すっかり釘付けになってるみんなの姿を見てると、なんだか嬉しい気分になった。
想像なのだけど…プラントで生まれ育った人にとって、大きく異なる地球の環境は慣れないのではと思ってた。
逆に、地球からプラントに上がった私が、しばらくその環境変化に戸惑った経験があったから。
でもまあ、思ったよりみんな楽しんでるみたいで良かった。
イルカに向かって手を振ったり、携帯電話で写真を撮ろうとしているみんなの姿を見ながら、私はそう思った。
「ほらぁ、マユ! そんなトコいないでこっちおいでよ!!」
「あ…うん、今行く!!」
手招くルナ姉ちゃんの声で、思考の内から意識を引っ張り出された私はみんなの下へと駆け寄る。
ミネルバの甲板には、少年少女たちの賑やかさに誘われたかのように、海鳥の群も寄ってきていた。
人馴れしているのかさして怖がる様子もなく、手の届きそうな所まで近づいてくる白い鳥に、歓声が上がる。
「うわー、地球の鳥って結構大きいんだね」
「プラントには環境作りのために放鳥された、害の少ない小鳥しか生息していないからな」
「へー、なるほどなぁ……しっかし、ヘンな鳴き声だなぁコイツ。 猫みてー」
「ヴィーノ兄ちゃん、あれウミネコって名前なんだよ」
「それってまんまじゃない! 昔の人って案外アバウトだったのねー」
すぐそばを飛ぶ海鳥たちを指差しながら、みんなは語らい、笑いあう。
その姿は、心底から地球を楽しんでいるように見えて、込み上げてきた嬉しさから自然と口元がほころんでくる。
- 64 :舞踏13話 3/20:2006/06/01(木) 21:42:07
ID:???
………あれ。でも、どうしてだろう。
何故、こんなに胸がジンと熱くなるぐらい嬉しいのだろう。 みんながここを気に入ってくれたことを。
――嫌気が差して捨てていった、私の母国の海を好いてくれることを。
納得がいかない感情が生まれていたことに気付いた私は、みんなの方から視線を外し、空を仰ぎ見た。
…もちろん、疑問の答えが書かれていないのは当然だった。この、能天気なまでに晴れ渡った青空に。
そんなもやもやした思いを抱えながら空を見ていた私の耳に、
不意に飛び込んできたのは間抜けな悲鳴と、激しい羽音。
「うわっ、ちょ、痛いッ。 助けてマユ、鳥が襲ってくる……あいたっ」
「ウハハッすげー!! 鳥ってコーンスナック食べるのかよ!!」
「海鳥は主に魚類を摂るはずなのだがな。
恐らくは近隣を通る船舶の乗組員によって、習慣的に餌付けでもされているのかもしれんな」
「あははははっ!ちょっとーレイってばー、冷静に分析してないで助けてやんなさいよー!」
「みんなぁひどいよ! 笑ってないで助け……痛い、痛いってば、許してよぉ…」
スナック菓子の袋を手にしていたことが災いして、餌求める海鳥たちの標的にされているアゼル。
髪をぐいぐいと容赦なく引っ張られ、困惑と痛みに情けなく崩れた彼の顔を見て、私も思わず吹き出した。
腹の底から、こらえきれない勢いで湧きあがって来た衝動のままに、みんなと共に大きな笑い声を上げる。
まあ、本当は助ける方法、知ってたんだけどね。
後生大事に持ってないで、さっさと袋の中身を遠くに撒いちゃえばいいだけなのに。
けれども、息が苦しくなるぐらい笑いが止まらないもんだから、結局それを伝えることは出来なかった。
……解決されなかった疑問は、結局戸惑いに姿を変えて心の底に残ったのだけれど
今はそれを放り投げてでも、友達たちと楽しい一時を共有することの方がよほど有意義なことだろう。
そう結論付けながら、私はみんなと一緒に笑い続けた。 笑って笑って、疲れてへたり込むまで。
- 65 :舞踏13話 4/20:2006/06/01(木) 21:43:04
ID:???
同じ頃、ミネルバと共にオーブ目指して進み続けるオーブ軍所属艦艇、そのうち一隻の中で。
ミネルバから移ってきたカガリは、用意された個室に案内されると早速、現状を把握するための情報収集を始めていた。
アーモリーワンの襲撃から無人機部隊の討伐、大気圏突入とミネルバの辿った運命に振り回されていた彼女。
ゆっくり休める間もなく、疲労も溜まっていたであろうが、彼女はベッドに見向きもせずにモニターと睨み合う。
状況報告にカガリの元を訪れたトダカ一佐は、三時間前と全く同じ姿勢を取っている姿を目にし、
一向に休む気配の無い国家元首へと、困り顔を添えて進言する。
「カガリ様、少しはお休みください。 長旅でお疲れでしょう」
「うん? …ああ、トダカか。 そうも言ってられんさ、この現状。
こっちがぐうすか寝てる間も、状況は刻々と、大きく変化していくんだ。 悪いが休んでいる暇はない」
入室の断りは何度か入れたのだが、直接言葉をかけたところでようやくカガリはトダカの存在に気付いたようだった。
部下の忠言についてはもっともなことだと、微かな笑顔見せながら頷き示したが、言葉の内容はそれを断るもので。
そう対応されてしまえば繰り返し説得することも出来ず、トダカは更に表情に皺を刻ませる。
「実際……とてつもない早さだ。 まるで今回の出来事が予定調和だったかのように、スムーズに事が進んでいる。
軍からメディアへの情報公開も妙に早い上に、気前が良すぎる。 普通は上で散々揉めてから公開されるのにな…」
きし、と椅子の背もたれを軋ませつつ天井を仰ぎ見て、怪訝な表情のままカガリは呟く。
そして、そばに置かれたプリンターから吐き出されたばかりの書類…他所から転送されてきた資料を手に取った。
紙面には、大西洋連邦の現在の動向についての情報が、大まかに記されていた。
セレネ事件現場の映像公開、そしてその原因がザフトにあるという専門家及び文化人たちの意見。
それらのニュースは、真っ先にとある放送局から発信されている……大西洋連邦の電波塔と噂される所から。
そして、与えた情報によって世論が白熱し始めた頃を見計らったように、大西洋連邦は更なる動きを見せる。
――『世界安全保障条約機構』。
彼らはプラントの危険性と地球圏の安全確保を訴え、これに対抗するため、各国を団結せんとこの設立を呼びかけた。
この条約はプラント以外の全ての国家に向けて伝えられ、加盟するよう要請されている。
恐らくは自分の国、オーブも例外ではないだろう。
大西洋連邦とは、かつて敵対した間柄ではあったが、
外交面では一応水に流したことになっている。声ぐらいはかけるはずだ。
……だが、その割に国家元首に対して、本国からの連絡がないことをカガリは不審に思っていた。
現にこの情報も、前々から外交面で連携体勢を取っていたスカンジナビア王国からもたらされた物だ。
こちらから問い合わせるべきか、とも考えたが知らぬふりを貫いた方が無難かと思い、踏みとどまる。
- 66 :舞踏13話 5/20:2006/06/01(木) 21:44:08
ID:???
退室したトダカと入れ違いに、コーヒーカップを両手に持ちながら入室してきたアスランへと、カガリは書面を見せる。
「この同盟の決め事の中には、国家間の枠を超えての軍事的協力を行うという項目がある。
恐らくはそうやって全ての国家の戦力を束ね、プラントへと戦争を仕掛ける気だ。
ある程度の兵力を取り戻したといえ、大西洋やユーラシア、東アジアの強硬派国家だけでは勝つのは難しいからな。
前大戦末期のように…いや、それ以上に地球国家を反プラントに染め、プラントに対抗するつもりだ」
深刻な面持ちでそう語り、娘は手渡されたコーヒーを一口啜る。
疲労を心配してか、いつもより砂糖を多めに入れられた暖かいコーヒーを口にしても、その表情は緩むことない。
そんな彼女を見つめながら、藍髪の青年は悲嘆するように表情を曇らせ、呟く。
「また……戦争になるのか。
多くの人が死に、多くの物が壊され、誰もが傷付いたっていうのに…まだ、それでも繰り返そうとするのか?」
「人類全てが平和を望んでると信じたいが……悔しいことに、いつの世も争いを求める人間がいることは事実なんだ。
今も、月を中心として宇宙軍が着々と開戦準備を整えてるらしい。 同盟の頭数が揃えば、すぐにでも始めるだろうな」
嘆きの言葉に、カガリは琥珀の瞳を眇めながら答える。
天井を見上げその彼方、遥か彼方にあるであろう月を睨みながら。
「そんな事態だけは起こしてはならないんだ。 そのためには、一刻も早く手を打たなければ」
固い決意の表情を浮かべながら、彼女はそう言った。
目の前のアスランに対してではなく、ただ自分のために。 自分の使命感を鼓舞させるために。
まるで一人、戦場に赴くかのような表情のカガリの横顔を見ながら、アスランはほんの少し寂しさを覚えていた。
アスランはかつて彼女に助けられた命で、彼女を出来うる限り守っていきたいと思っていた。
二十歳にも満たない若さで国を背負って立つ、危なっかしいほど頑張り屋な娘を支えていきたいと願っていた。
だが、どうだ。
再び荒れはじめてきた世界を前に、立ち向かおうとする彼女をどうやって守れる? どうやって支えられる?
カガリは周囲に不安を与えないように、普段通りに振る舞ってるように見えるが、それは虚勢だということを彼は知っていた。
今の彼女は、本当に切羽詰っている心境のはずだ。
普段なら、自分の漏らした不安に対して「大丈夫だ」と笑いの一つでも見せて、安心させようとするはずだから。
そして、勝算が低い勝負に出る時ほど、彼女は一人で飛び出していこうとするのだから。
そんな様相を見せる彼女は…はたから見れば凛々しく、頼りがいのある指導者のような印象だったろうが
アスランはその姿に危うげな強がりと、肩にかかるプレッシャーを必死に押さえ込んでいる印象を感じていた。
そして、もどかしい悔しさを痛感していた。
恐らく自分以外誰も知らない彼女の思いに気付きながらも、手助けする術一つ持たない己の無力さを。
- 67 :舞踏13話 6/20:2006/06/01(木) 21:45:12
ID:???
手にしたカップからの湯気が途絶える頃まで、互いに口開くことないまま動かない二人だったが
無言の空気を破って鳴り響いたコール音に、アスランは壁に据付けられた内線機へと歩み寄り、受話器をとる。
「――カガリ。 スカンジナビア側から連絡だ。
例の件、こちらからも働きかける。 そちらは国論の取り纏めを急いでくれとのことだ」
彼が受話器を置くまで、その背中を少し疲れたような表情で眺めていたカガリだったが
告げられた内容に、そうか、と応えながら大きく頷く。
いつしか凛々しく引き締められていたその顔には、先ほどまでにはなかった感情が微かに浮かび上がった。
それは果てない暗闇の中で、小さくも確かに見えた光明を前にした、希望の色。
「あちらが腹をくくって下さったなら、こちらも動きやすくなる。
他国が同意するか分からない状態で方針を発表しても、説得力がないからな」
すっかりアイスコーヒーへと変わってしまったカップの中身を、ぐいと仰ぎ飲み干した娘は
威勢付いた声でそう言いながら、引き締めた口の端を釣り上げて不敵に笑った。
先ほどまでの様子よりも、元気と勢いを感じられるようになったカガリの姿を、アスランは安堵の表情で見ていたが
ふと、なんとなしに部屋の隅に向けた視線の先にあった、完璧にベッドメークの施された寝台に気付き、眉をひそめる。
「……カガリ。 お前、ちゃんと休息は取ったか?」
ぼそりと、低めた声でアスランは問う。
その台詞が含む、不審げな響きにモニターに向かっていたカガリは、ビクリと身体を強張らせた。
「…………あ、ああ。 大丈夫だ、ちゃんと休んだぞ。心配性だなお前はー」
「今コーヒー飲んだのが休息だってのはナシだぞ」
不自然な沈黙と、不自然にどもった返答。 言い終わる前に、青年はすかさず一言付け加えた。
…図星だったのだろう。 カガリはえ、と言葉を詰まらせてから気まずそうに顔を伏せる。
- 68 :舞踏13話 7/20:2006/06/01(木) 21:46:39
ID:???
そんな彼女を見下ろしながら、それでも動かない彼女に嘆息しながら――彼は実力行使に出た。
背もたれから離れている背中と、ばつが悪そうに揃えられた膝の裏に手を差し入れると、その身体を持ち上げる。
「うわっ! なにするんだアスラン!! 降ろせ!!はーなーせーー!!」
「いいから寝るんだ! 今、根を詰め過ぎて帰ってから倒れたんじゃ意味ないだろ」
突然持ち上げられ、わあわあと喚く娘をまるで子どもを言い包めるようになだめながら、
アスランは彼女の身体を軽々と持ち上げ、大股でベッドへと足を運ぶ。
彼の予想は当たっていたのか、普段ならもっと暴れて抵抗するであろう彼女は、疲労のせいか口ばかりの抵抗で。
やっぱり、などと呆れを覚えながらため息を一つつく。
基礎体力作りを日課としているカガリの身体は、同じ年頃の女性の平均と比べれば筋肉質で多少重いのだろうが
それでも、自分が抱え上げられるほど華奢な彼女が、随分な無茶をしていることを思うとやるせなくなってくるのだ。
少しでも、一時間でもいいから寝かせようと思いながらベッドサイドまで辿り着いたところで
さっきまで騒いでいた娘がすっかり静かになり、顔を赤らめながら何事かをブツブツと呟いていることに気付く。
「……お前なぁ…デリカシーなさ過ぎるぞ」
「え…?」
カガリの非難の言葉、その意味を理解出来ずアスランは怪訝そうに目をしばたかせる。
相手が急にしおらしくなったのも、赤面する理由も見当が付かず…何があったのだろうとまじまじと見つめる。
――そこでやっと彼は気付いた。 彼女の身体を抱える体勢が、いわゆる『お姫様抱っこ』というものだったことに。
ついでに付け加えれば、抵抗する娘をそんな体勢でベッドに運んでいるという事実に。
「あっ、す、すまない!!」
急に感じた恥ずかしさと気まずさと申し訳なさから、狼狽の声を上げながら慌ててカガリから手を離す。
降ろす過程を省いて支えを失った身体はベッドの上に落ち、うわっという叫び声と、軋んだベッドの悲鳴が生まれる。
焦ったあまり、彼女をベッドの上に投げ落とした形になったことに気付き、アスランは重ねてすまないと声を上げる。
「……ともかく、少しでいいから寝るんだぞ」
「分かったよ。 二時間後に起こしてくれ」
落ち着かない心境をごまかすように、再び強く念を押す青年の言葉に対して
娘は掛け布団を引っ被り、彼に背を向ける形で横になりながらそう答えた。
会話のあとに、二人の間にすかさず割り込んできた気まずい空気。
それに背中押されるように、アスランは部屋を出た。 心配するように、時折ベッドの方を振り向きながら。
- 69 :舞踏13話 8/20:2006/06/01(木) 21:48:11
ID:???
それから時計の短針が四半分ほど進んだ頃。
オーブ連合首長国を構成する群島の一つ、軍事拠点の中核を成すオノゴロ島に存在するオーブ国防軍の軍港にて。
港の、海に面した側を大きく見渡すことの出来る位置に建つ軍施設の窓際で、数人の人物が集い、言葉を交わしている。
海面が乱反射させる陽射しが逆光となり、人物たちの姿はシルエットしか窺えないが、体格からして全員成人男性だろうか。
皆倣ったように、窓に向かって立ちながら外を眺めている。
彼らの視線の先に見えるのは、入港してくる三隻のオーブ軍艦艇、そして少し遅れて続く一隻の見慣れぬ戦艦。
それらを見ながら、男のうち一人が窓に背を向けつつ、大仰な溜息と共に言葉を漏らした。
「――全く、厄介なモノが来たものだ」
嘆くように頭を振れば、天辺の辺りがてらりと光る。
彼の傍らにいた影もまた、その言葉に追随するように頷いた。
「本当ですな。 まして、今は世界情勢が混迷している最中ですぞ。
このような時期にザフトの船を迎え入れるなぞ、状況を理解していないにもほどがありますな」
「代表は何を考えておられるのやら……このご時勢、義理人情で政治を動かすとは」
「やはりじゃじゃ馬姫は、いつになっても変わりませんな。
もう少し御自分の置かれている立場を、しっかり認識してもらわねば…」
微かな嘲りの音を含んだ笑い声を、慎ましやかに紡ぎながら二つの影は会話する。
彼らの背後、港に望む巨大な一枚板の硝子の向こうでは、優美なフォルムの艦が今まさに港に接岸するところであった。
- 70 :舞踏13話 9/20:2006/06/01(木) 21:49:20
ID:???
入港してきた濃灰色の戦艦とドックの間に、掛けられるタラップ。
渡された架け橋から、艦長であるタリアを先頭として多くの軍人たちが、列を成して港へと降り立つ。
ほどなくして、別のドックに入港した護衛艦からも降りてくる人影がある…カガリとアスランだ。
彼らはミネルバクルーらへと歩み寄ると、いくつか言葉を交わした後に共に歩いていく。
ドックの入り口に立つ、出迎えらしき一団の方を目指して。
迎えの一団を構成しているのは、オーブ政府において重要な役職にいることを象徴する、臙脂色のスーツを身に纏う人々。
恐らくは国家元首を迎えに来たのであろう彼らの間から、一人飛び出してくる人物がいた。
「カァガリぃぃーー!! 無事だったかーい!?」
奇妙なウェーブにセットされた紫苑の髪をなびかせながら、両手を大きく広げ全速力で走ってくる青年の姿に
アスランとミネルバクルーらは面食らい、思わずその場で足を止める者もいれば、ひきつった顔で後ずさる者もいた。
青年が叫んでいる名前の持ち主、カガリはといえば彼の方をきょとんとした顔で見ていたが
体当たり同然の抱擁を受ける直前に、すぃと横へ身をずらし、目標を失った手へと己の右手を打ち合わせた。
「出迎えご苦労、ユウナ」
一方的なハイタッチをしながらそう告げて。 娘は足早に一団の方へと歩いていった。
抱擁をさらりと避けられてしまった、ユウナと呼ばれた青年の方はといえば呆気にとられた表情で、
歩き去っていく娘の姿を、背中越しに見ることしか出来なかった。
彼に構う様子もなく出迎えの者たちの元へ近づいていったカガリは、彼らへと今帰ったぞ、と鷹揚に挨拶をする。
「お帰りなさいませ、代表。 ご無事で何よりです」
「留守中ご苦労だったな、ウナト。 予定より帰りが遅くなってしまったが、上手く取り纏めてくれたようだな」
集団の中から一歩前に歩み出て、恭しく頭を下げてきた禿頭の男へと、カガリは笑みを添えたねぎらいの言葉をかける。
「留守中の出来事についての報告は、後ほどいたします…まずは行政府までご足労願います」
「ああ、分かった。 私も色々と、皆に伝えねばならんことがあるからな。
だが、すまんが先に行っておいてくれ。 恩人の彼らに、挨拶をしておきたい」
そう告げて、出迎えの者たちを帰した後、カガリはミネルバクルーたちの方へと戻り、タリアの前に立った。
- 71 :舞踏13話 10/20:2006/06/01(木) 21:50:22
ID:???
「艦長、今回は本当に世話になった。
あの混乱の最中から、五体無事に脱出出来たのは貴方がたの尽力があったからこそだ」
「いえ、代表。 我々の方こそ代表の御助力と御厚意に助けられました。
オーブ領海での航行を許してくださった上に、寄航まで許可していただけるなんて…」
「当然のことさ。 …しかし、この有様では貴軍の基地まで戻るのも大変だろう」
タリアと、握手を交わしたカガリはドックに接岸された艦体を見上げ、眉をひそめてそう言った。
ザフト軍最新式の新造艦として鳴り物入りの進宙式を向かえる予定だった、ローマ神話の戦女神の名を冠した戦艦。
しかし式典直前に、軍施設を襲い新型MSを強奪した謎の部隊を追撃する任務に就いたミネルバは
オーブ代表カガリ・ユラ・アスハの護送、そしてセレネ移民船団を襲撃した無人機への攻撃と次々に作戦を押し付けられた。
休む間もなく、駆け抜けるように戦場を渡り歩いた戦艦の装甲には、処女航海とは思えないほどの無数の傷が刻まれていた。
さらに、急遽大気圏突入を試み、その上無人機の妨害によって突入体勢を崩されたせいもあって
破損部分を中心に装甲は焼けただれ、防御性能は著しく低下している状態であった。
「ここで出来る限りの修理をしよう。 機材や資材はいくらでも提供するから、気にせずに使ってくれ。
希望があれば人材も貸すが…外部の人間が介入すると色々と面倒だろう。見られたくない場所は自分らでやってくれ」
自分をここまで運んでくれた傷だらけの女神を見上げつつ、カガリはそうタリアに告げた。
確かに彼女の言う通り、ザフトの最新式戦艦の構造を軍以外の人間に見られることは不都合極まりないことで。
それを慮った上で、気前良く施設の使用と資材の無償提供を約束してくれた娘の懐深さに、タリアはすっかり痛み入った。
- 72 :舞踏13話 11/20:2006/06/01(木) 21:51:36
ID:???
「ありがとうございます。 それでは、お言葉に甘えさせて頂きます」
深々とお辞儀をした女艦長に対して、カガリは満足そうな笑顔を浮かべながら、頷いてみせた。
そして、表情をきりと引き締めると低めた声で話す。
「…セレネの一件は、貴君らの奮闘によって多くの人々が命救われたと思っている。
しかし、世論は悪い方向へと傾いてきているようだ……だが、最悪の事態だけはなんとか防がなければならない。
もう、あんな不毛な大戦争を起こすわけにはいかない。 だから、私は私なりの方法で足掻いてみせる」
貴君らと刃を交えたくはないからな、と。
眉目を緩めてそう付け足してから、彼女はその場を離れて、迎えの者たちが向かったゲートへと歩き去っていった。
その一部始終を、口は開けっ放しながらも一言も発せないまま見ていた紫髪の青年、ユウナは隣にいるアスランへと問う。
「……カガリ、あっちで何かあったのかい?」
何故そう思ったのか、という言葉を加えない不明瞭な問いかけだったが、
アスランはその意図を理解していたかのように、さらりと答える。
「色々、あったんですよ。 それが今の彼女を突き動かしています」
「ふうん。 確かに気合入ってるよね。今までよりもずっと、堂々としてるように見える。
………でも、これからが大変だ。 心折れるようなことがなければいいんだけどさ」
え、と声を上げてアスランはユウナの顔を見上げた。
これから起こるであろう何かを、すでに知っているような口ぶりが引っかかって。
しかし、ユウナはつかみどころのない緩んだ笑顔を浮かべたまま手を振ると、何も言わずにカガリの後についていく。
残されたアスランは、若き代表に降りかかるであろう未知の困難を思いながら、呆然と立ち尽くしていた。
- 73 :舞踏13話 12/20:2006/06/01(木) 21:52:31
ID:???
彼から少し離れた場所で、同じように心ここに在らずな様子の娘がいた。
国の重鎮たち、そしてタリアに対するカガリの立ち振る舞いの堂々とした様子に見入っていたマユ。
その背中へと、静かに響く低い声が投げかけられる。
「戦っておられるのだよ、カガリ様は。 二度と戦争を起こさせまいと、政治の舞台でな」
「…トダカさん」
振り向けば視界に入った、こちらへと歩いてくる軍服姿の壮年の男。 その名をマユは口にする。
少女の隣に立ったトダカは、今は小さく見えるばかりのカガリの背中を見つめながら、言葉を続ける。
「あの方は君のことを気にしておられたよ。
真っ向から言葉をぶつけられて目が覚めた。 もう、君のような思いをする国民を作りたくない、と。
二度と国土を戦火に焼かせない。 なんとしてでもこの流れを食い止めると言っておられた」
そう語る男の、以前よりも刻まれる皺が多くなった横顔に浮かぶのは、誇らしげな表情。
自分の半分ほどしか生きていない娘の背姿を見送りながら、そんな表情を見せていた。
――これが、彼女の人徳なのだろうか。
かつて、いや今もずっと尊敬し続けているトダカが尊敬の眼差しを向ける、カガリの姿を共に見ながらマユは思う。
彼女が知る、戦前に見た男勝りなお姫様の姿と、その頃よりほんの少しばかり大きくなった礼服姿の国家代表。
記憶の中の映像と、現在進行形で視界に映る人物像とを重ね合わせながら、マユは考え込んでいた。
曖昧にしか分からないけど、何故か二年間の間に別人になったかのように何かが変わった彼女のことを。
直接言葉を交わした時に感じた人柄…今まで自分が想像していた彼女と、実際の彼女との大きなギャップのことを。
自分の中で形作っていた、戦争を引き起こした罪深き一族の人間という人物像と相反する姿に、マユは戸惑いすら感じていた。
そして、彼女自身はまだ自覚していなかったが、今まで憎悪の対象としてきたカガリに対する敵意も揺らぎつつあった。
「――そうだ、マユ君。 上陸許可が出たら私に連絡してくれ」
「え?」
考え込んでいたところで、突然トダカに声をかけられてマユは顔を跳ね上げる。
心ここに在らずな心境だったこともあり、彼が話しかけてきた内容の意図が飲み込めず、頓狂な声を上げてしまう。
菫色の瞳をぱちぱちと瞬かせる少女へと、男は穏やかな微笑みを向けながら口を開く。
「約束したろう。 いつか、この地を訪れた時は私の家に遊びに来てくれと。
家内に君と会ったことを話したら、会いたがっていたよ。 腕によりをかけたディナーを用意して待っている、とな」
「……ありがとうございます、トダカさん! 必ず、連絡します」
二年前、プラントへの旅立ちの時…別れの間際に見た、優しい笑顔とそっくりの
…いや、あの時とは違って悲しみの色のない、嬉しそうな男の表情を見つめながら、マユはにっこりと笑った。
彼女の幼い顔にもまた、トダカと同じように再会を喜ぶ笑顔が花咲いていた。
- 74 :舞踏13話 13/20:2006/06/01(木) 21:53:52
ID:???
オノゴロ島の軍港から、オーブ執政の中枢である行政府に移動したカガリは
道中、車内にて首長たちからかいつまんで報告されていた、現在オーブが立たされている状況について思案していた。
想像していた通り、大西洋連邦はオーブに対しても新たに立てられたばかりの同盟への加入を持ちかけてきていた。
この同盟は、『セレネの悪夢』という前代未聞の大事件が起きたことを重く見た大西洋連邦が
原因を作った――あるいは事故と見せかけて故意に事件を起こしたやもしれぬプラントに対抗すべく、作り上げたものだった。
セレネ移民船団の中にオーブ国籍の人間がいなかったため、今回の事件はオーブにとって無関係とも言えたのだが
彼らは、これからも同様の事件…最悪、戦争が勃発する危険性を訴え、未然に防ぐべく手を組もうと提案してきたのだ。
自国の世論はまだ調べていないため不明だが――
地球上の国家の大多数が『世界安全保障条約機構』に賛同の意を示しているのが現状だった。
マスメディアの過剰な煽りもあってか、多くの地球人類が『セレネの悪夢』をプラントのテロ行為だと思っている。
再び戦争の火種を投げつけてきたのはコーディネーターだと、ナチュラルたちは声高に叫んでいた。
今、世界の大半が新たな騒乱の兆しに対して、強く警戒をしている。
特に、移民船団に乗っていた国民が死亡した国家は、ヒステリックなまでに反応し、
未だ事故の原因について詳細な発表がないプラント政府に対し、激しい糾弾を投げかけている。
道理のいくことだ。 多くの人が死んだという事実は、戦争に対する恐怖へと直結するに十分な要素。
誰もが二年前の戦争、あの未曾有の悲劇を思い出しながら嘆き、怒り、怯え、感情のままに叫んでいる。
- 75 :舞踏13話 14/20:2006/06/01(木) 21:54:55
ID:???
――だが、その流れに乗ることが果たして正しいのか?
カガリは真一文字に口を結んだまま、固く目を閉じて今一度自分に問いかける。
絶えず繰り返してきた、問いかけを。
彼女は自身の目で見てきた。 今のプラントを。デュランダル議長の人となりを。新たに創られていく兵器を。
ミネルバの格納庫を案内された時、彼女はザフトの新型機の前で、軍備増強を続けるデュランダルの方針を非難した。
だが、今冷静になって考え直せば……結局それはお互い様なのだ。兵器開発なぞ、オーブでも行っていることだ。
新たに開発されていた、地上戦に適応あるいは特化した新型MSやミネルバについても
地上に存在するザフトの拠点、カーペンタリアやジブラルタルの防衛用と考えれば、不自然な点は消える。
……もちろん、今のプラント政府の真意なぞ分からないのだから、本当は地球侵略のために開発されたかもしれないが。
あの、デュランダルという男が、能面のように生っ白い顔の裏にどんな一物を秘めているのか、計り知れないが。
それでもカガリには、かの事件をザフトの策謀と決め付けたくない理由があった。
それは、偶然巻き込まれる形になったカガリが目の当たりにしてきた、『セレネの悪夢』の一部始終。
デュランダルとの会談のために訪れたアーモリーワンが襲撃され、成り行きでザフトの新造艦『ミネルバ』に乗った彼女は、
彼らが移民船団を救うべく、無人機部隊相手に奮戦している姿を見ていた。
現場と上層部の思惑が、必ずしも一緒とは限らないことは分かっている。
だがそれでも彼女は、少しでも被害を抑えようと命懸けで戦っていた少年少女たちの姿を無視出来なかったのだ。
だから彼女は、作戦の完全遂行のため大気圏突入を行い、危険な海域に不時着したミネルバを自国の領域に招き入れた。
その行為がどういうことか、どんな不都合を招くかも理解した上で、連戦に疲れ切った勇士たちを迎える決心をした。
言わば、ザフトを匿ったようなもの。 これは十中八九、大西洋連邦から咎められるであろう行為だ。
無言で瞑目しつつ、思索を続けていたカガリだったが、やがて伏せていた瞼を持ち上げる。
以前から考え続けてきた――ここ数日の情勢変化を目にして決心したこと。
自分が考える、オーブの歩むべき道について、首長たちに伝えなければと思いながら。
- 76 :舞踏13話 15/20:2006/06/01(木) 21:55:57
ID:???
カガリと共にオーブに帰還した、アレックスことアスランは行政府に帰ると早々に、自分の仕事に取り掛かっていた。
現在、別室で首長らと会議をしているカガリの、次に控える執務を円滑に行えるように書類の整理をする。
秘書の職務の範疇なのだが、本来の役目である代表の護衛が必要ない場合は、デスクワークの手伝いをするようにしていた。
もちろん、詰所で昼寝していようが関係のない仕事をこなしていようが、給金に変動はないのだけれど
何もせずにボーっとしているのは性分に合わないらしく、アスランは秘書らと共に執務の準備を行っていた。
代表が目を通し、サインを記入しなければならない書類を種類別に重ね合わせ、クリップで留める。
そんな単純作業を繰り返すアスランの脳裏には、いくつもの思いが過ぎっていた。
現在の世界情勢。 この混乱の原因となった『セレネの悪夢』の、未だ判明しない全容。
これからのオーブの行く末。 世界中からの避難の槍玉に挙げられる形となった、プラントの運命。
楽観的な予想と結びつかないことばかり考えながら、アスランは表情を暗く、苦々しいものへと変える。
気がかりといえば――あのミネルバという艦のことも心配だった。
一旦はオーブに逃げ込んだものも、長く留まるわけにはいかない。
比較的近いカーペンタリア辺りにでも移動すべきだろう。
しかし、悪化の一途を辿る状況下で、無事にカーペンタリアまで辿り着けるだろうか。
進水式も行っていない、あの若い戦艦が。
記憶の中に残るクルーの面々を思い起こしながら、アスランは目を伏せた。
マユ…といったか。 彼らの中でもとりわけ幼いあの少女は、確かオーブ出身だと名乗っていた。
彼女はかつての母国に対して、いい感情を持ってないようだった。…正確には、国家を治める者に対してか。
凄まじい憎悪の眼差しでカガリを睨みつけていた表情を思い出して、アスランは小さく溜息をつく。
あの子は今、どんな心情なのだろうか。
偶然にも再び訪れることになった母国の姿と、それを治めるカガリの姿を見て…。
そんな、どこからも答えの帰ってくるはずのない不毛な問答を、ぐるぐると繰り返している最中、
ぽんと肩に手を置かれた感触で、アスランは我に返る。
驚き振り返れば、秘書の一人が後ろに立っていた。
「アレックス君、君宛てにメールが入っていたよ。 プラントから…みたいだけど?」
「え……?」
――プラントから、何故。 しかも自分個人のアドレスにではなく、行政府宛てに。
戸惑いを覚えるアスランに対し秘書は、君のパソコンに転送しておいたよ、と言い残して自分のデスクへと戻っていく。
謝辞をその背中に投げかけてから、アスランは早々にメールチェックをし、それと思われる新着メールを開いてみる。
真っ先に見た、差出人の欄――そこに記されていた名前に、彼は目を瞠った。
- 77 :舞踏13話 16/20:2006/06/01(木) 21:57:03
ID:???
「――以上が、大西洋連邦から打診されてきた書面の内容です。
代表がお戻りになられるまで、回答は控えるとはお伝えしましたが、
先方は、一刻も早く方針を決めて頂きたいとのことでした。
…いかがなさいますか、代表?」
会議室の卓に、オーブの主要な権力者たちが頭を並べる中、書面を読み上げ終わった中年の男
オーブの宰相を務めるウナト・エマ・セイランは一巡皆の顔を見渡すと、
最後に上座に座る金髪の娘へと、伺いの視線を向けた。
それをきっかけに室内の全員から見つめられた娘……実質、オーブの最高指導者であるカガリ・ユラ・アスハは
机上に両肘を立て、組んだ手を口元に当てながら沈黙している。 固く固く、眼を閉じながら。
もちろん、このような場で居眠りをしているわけではない。
身動き一つ、言葉一つ発しない彼女の身体からは、静かな気迫が漂う。
「……代表?」
長い、沈黙。 人々が息を詰める中、痺れを切らしたウナトが口を開く。
僅かに震えた部屋の空気に応じたように、娘は瞼を上げた。
「――そうして、全ての国を束ね上げ、此度の事件を口実にプラントへと宣戦布告をする……
それが、大西洋連邦が描いた開戦へのシナリオだな」
最初は、独り言を呟くように小さく。 後半は断言するかのように大きく、強く。
そして顔を上げると、人々からの視線を受けながら言葉を続けた。 己が辿り着いた決断を。
「私はそのような馬鹿げた争いに参加する気はない。 同盟への加入は認めん」
- 78 :舞踏13話 17/20:2006/06/01(木) 21:58:08
ID:???
彼女の力篭った言葉は、水面に大石を投げ込んだかのように騒々しい動揺の波紋を広げた。
部屋に集う首長たちの間に沸き起こる、ざわめき。 誰もが隣人と顔を見合わせ、言葉を交わす。
大勢が一斉に話す、無秩序なざわめき。 誰が何を言っているのか判別するのは容易ではなかったが
そんな、何故、無茶な、などと否定的な音を含んだ言葉が少なからず混じっていることは、カガリにも分かった。
続きの言葉は、すぐには出さない。 彼らの動揺が少し収まってきたところで席を立ち、皆の顔を見渡す。
「文書によれば、この同盟は地球国家の安全を確固たるものにするため
国家間の協力を強める目的で打ち立てられたとあった。
だが、諸君らには裏に隠された意味を理解してほしい!
この同盟は明らかに、プラントを危険分子とみなし、戦争を仕掛けるための員数集めを目的としている。
…確かにこの一件は、少なからずプラントに非があることは確かだろう。
しかし、だからと言って再び戦争を起こそうとする大西洋連邦の動きに、私は同調できない。
オーブは同盟への不参加及び、開戦反対の意志を表明し、諸国にも冷静な対応を訴えていくべきだと考えている」
朗々と響く声で、カガリは己の考えを語り、人々へと訴えかける。
琥珀色の瞳に爛々と輝く意志の炎を宿し、彼らの顔一つ一つに言い聞かせるように眼差しを向けながら。
再び彼らの間に動揺が生まれるものも、娘に気圧されてか遠慮がちに小さな声が上がっている。
その中、微かに顔面を引きつらせていた禿頭の男が、それを破るように声を荒げた。
「しかし代表! この状況で、またもそのような曖昧な立場に立つのは危険です!
オーブが孤立し、二年前のように国土を焼くことになるやもしれませんぞ!!」
宰相、ウナトが放った否定の意見に対して、幾人かの主張が肯定の意を示す。
「皆が危険を感じるのも無理もない。 だが、回避する手立てはある」
反対意見を受けたカガリは動じることなく、そう告げて反論を抑える。
「…そもそも、前大戦で我らオーブを含めて中立の立場に立つことを宣言した国家が
最後までそれを貫けず、自分らの国土に攻め入られるような結果に終わったのには、原因がある。
南アメリカ連邦が大西洋連邦に武力制圧されたのも、我が国が攻め入られたのも、中立国同士で助け合わなかったからだ。
個々の力で、徒党を組む彼らに対抗できるわけがない。 だから、武力制圧されたり、あるいは恫喝に屈することになった。
これを踏まえて、私は同じ考えを持つ国家と協力を結び新たな同盟を立て、連名で中立宣言を行う。
もちろん、我らの同盟に加入した国家を脅かしてくる者には、同盟国全ての力を持ってして抵抗するつもりだ」
不敵にも見える笑みを添えながら、彼女は言う。
以前から胸中に抱いてきた考え。 かつて仲間たちと共に、世界中の戦場を見続けてきた娘が見い出した一つの道標。
自信に満ちた様子でそれを掲げるカガリの言葉に、所々から感嘆の声が聞こえる。
- 79 :舞踏13話 18/20:2006/06/01(木) 21:59:24
ID:???
それを耳にしながら、ウナトは唖然としていた。
自分達の描いた筋書きに反して――カガリが確固とした自らの考えを持っていたのだから。
彼女は今まで、宰相である自分に対してそのような考えの片鱗すら見せていなかった。
だから、今回の条約についても彼女が悩んでいるうちに、こちらが話を進めることが出来るとウナトは思っていたのだ。
予想外の展開に舌打ちでもしたい気分だが、今は彼女の提案に否定意見を出し、周りに賛同させないようにせねばならない。
「そ、そのような事、理想論に過ぎません!! 第一、その考えに他の国が同意するかどうかもっ……」
「大丈夫だ。 この提案は以前から、スカンジナビア王国より話を持ちかけられていたものだ。
現在、各国に呼びかけているところで、赤道連合、南アメリカ連邦から同盟に参加するとの回答を受けているとのことだ。
こちらの回答があり次第、連名で全世界に開戦反対の意志を表明するそうだ」
反論をすかさず封じられ、ウナトは顔面を強張らせ、ぐぅと唸り声を漏らす。
「ですがっ…もし、世界安全保障条約に同意しなかった我々に対し、連合が仕掛けてきた場合は!!」
「そのようなことになる可能性は確かにあるが、決して高いものではない。
先の大戦で消耗した戦力も、まだ完全には回復させていない状態で、しかも本来の相手はプラントだ。
プラントと我々を同時に相手にして戦争をするなんていう無茶を、進んで行うようなことはまずないだろう。
我々の基本姿勢は、今回の戦争に対して静観することなのだからな。 こちらの同盟国に、手を出さない限りは」
なおも食い下がるウナトに対し、雄弁に言葉を返すカガリ。
狡猾な性格の自分の父親を相手に、怯まない姿勢で挑む姿を見ながら、ユウナ・ロマ・セイランは驚きを覚えていた。
今までの彼女は、その若さもあって宰相のウナトに都合よく言い包められることもあった。
オーブの首長を代表する人間としては、まだまだ未完成な所があったはずだ。
ところがどうだ。 プラントから帰って来た彼女は、見違えるほどの気迫を漂わせていた。
帰国時にアレックスが言っていた通り、強い使命感に突き動かされるかのように彼女は活発に動き、自らの考えを訴えかけている。
実際、ここに集う首長たちの中には彼女の言葉に動かされつつある者も少なくないだろう。
彼らの表情の一つ一つを眺め、観察しながらユウナはそう思っていた。
――しかし、それだけでは駄目だ。
熱弁振るうカガリの姿を、眇めた眼差しで見つめていた青年は発言するべく挙手をする。
「代表、貴方のご意見はよく理解出来ました。 …しかしその案には一つ、回避しがたい問題がありますね」
発言しだした青年へと、カガリを含め室内の者全員から視線が注がれる。
大勢からの注目を集めながらも、彼はいつもの飄々とした調子を崩さない。
面長な顔に含みある笑みを刻みながら、声の調子を強めることなく語り始める。
「貴方は他国と新たな同盟を築き、中立の立場を貫くことを宣言し
加盟国へ侵攻する者には、同盟全ての力を持ってして抵抗するとと仰られましたね?
そうなると、オーブ以外の同盟国が攻撃を受けた場合は、我々も軍を派遣し援護を行うということになりますよね。
――貴方は、その行為が我が国が掲げる理念…他国の争いに介入しないという誓いに背くことについて、どうお考えですか?」
青年の発した言葉に、娘の表情に緊張が走った。
- 80 :舞踏13話 19/20:2006/06/01(木) 22:00:40
ID:???
「っ、それは……それについては、確かに皆気がかりな所だろうが…だが私は、それでも……」
「貴方の亡きお父上、前代表で在らせられたウズミ様の唱えた理念に背くことになりますよね?
大変なご決断かと思いますけど……本当にその理念を捨てる覚悟はおありですか? それを、お聞きしたかったんです」
先ほどまでの堂々とした様子から打って変わって、視線を落し、言葉に詰まるカガリ。
そんな彼女へと、ユウナは変わらぬ調子で畳み掛けるように問いを重ねる。 急き立てるように、追い詰めるように。
――痛いところを突かれた、と。 カガリは胸中で歯噛みしていた。
中立を貫くという考えに辿り着いた彼女が、ひた隠しにしていた一つの迷いを、見事に指摘されたことに。
他国を侵略せず、他国からの侵略を許さず、他国同士の争いに介入しないという、オーブが掲げ続けてきた信念。
自分の父が、己の命を賭してまで貫き通したその思想を、彼女は未だ捨て切れずにいた。
それが、自分の目指す道を阻害するものだということは十分理解しているのだが
それを捨てねば、皆に訴えかけた言葉の全てが中途半端な意味しか持たなくなるのだが
――それでも、死んでいった父が遺した意志を無視すること対するためらいはだけは、押し殺すことが出来なかったのだ。
悔しげに唇を噛み締めながら、ユウナからの問いに答えることなく押し黙る娘を前に、人々はざわめく。
恐らくその中には、大きな事を言っておきながらうろたえを見せる代表への、不満や落胆の言葉もあっただろう。
俯く彼女を遠巻きに見ながら、オーブの権力者たちは様々な表情を浮かべつつ相談し合っていた。
「…とにかく。 この状態では今回の閣議で結論を出すのはまず無理でしょうな。
我々にも考える時間が必要です。 代表、ひとまず今回は閉会として、結論は次に回しましょう」
部屋に集う皆へ向かって、閉会を提案したのは動揺から立ち直ったばかりのウナト。
彼の言葉にカガリはうなだれたまま、わかった、とだけ答えた。
それを機に、閣議の進行を取り仕切っていた首長の一人が閉会を告げると、人々は列を成して会議室から退室していく。
やがて人の居なくなった会議室には、うつむき続けるカガリだけが取り残される。
…いや、そこにはもう一人留まっている人間がいた。
彼女の迷いを目ざとく見つけ、追求してきた青年が。
- 81 :舞踏13話 20/20:2006/06/01(木) 22:01:47
ID:???
どこか斜に構えたような、くだけた笑いを口元に刻むユウナはカガリの傍らへと歩み寄ると
彼女の耳元に顔を寄せ、そっと言の葉を落とし込む。
「カガリ、君は無理に動かなくていいんだよ?
僕や父上がついているんだからね。 そんなに一人で頑張らずに、僕らに任せてくれればいい。
君はまだ若いんだし、女の子なんだから。 婚約者であるこの僕が、ちゃあんと守ってあげるからさ」
まるでぐずる子どもをなだめるように優しく、シロップのように甘たるい声で囁きかけながら、
うつむき続ける彼女の髪を、そっと梳きながら撫でる。
カガリはといえば、顔を上げることもなく言葉を発することもなく、心ここに在らずな様子で。
しばしその様子を黙って見つめ続けていたユウナだったが、
やがて、娘の頭をポンポンと叩くと、その場を離れ会議室を出ていった。
バタン、と厚い木製の扉が閉ざされる音。 今度こそ一人きりになったカガリ。
「……駄目だ、こんな事では…」
静まり返った空間の中、揃えた膝の上に乗せた手を固く握り締めながら、ただ一言呟いた。
――全ての悪因は、己が内の迷いを解決できないままだったからだ。
オーブが掲げる理念を捨てることに対してためらったまま、急いて物事を進めようとしたことにカガリは後悔を覚えていた。
閣議で大々的に知らせた自分の方針も、この失態のせいで危うげなものだと首長たちに伝わったかもしれない。
他国の協力を得てまで準備したオーブの新たなる道導が、自分の心の問題によって台無しになろうとしている。
そう思いながら彼女は、悔しさと己の浅はかさに対する怒りに身を震わせながら、きつく目を閉じていた。
このままの流れでは、間違いなくオーブは世界安全保障条約に加盟することになることだろう。
大西洋連邦が先導する、プラントに対する戦争に否が応でも協力せねばならない状況になることだろう。
「それだけは、あってはいけない…」
今、ここで立ち止まるわけにはいかない。 諦めるわけにはいかない。
なんとしてでも、一人でも多くの首長をこちら側の味方に付け、中立国間での同盟を築き上げねばならない。
カガリは、自分がしなければならないことを十分理解していた。
しかし、動けない。 胸中にあるたった一つのためらいが、突き立つ杭のように己の動きを封じ込める。
仮に、そのまま無理やり動いたとしても、人々の疑念を晴らすことは出来ないだろう。
先ほどと同じ、迷いの晴れない無様な姿を晒すだけの結果に終わるだろう。
父親が死してなお貫いた理念を、捨て去る覚悟がない限り。
閉じた瞼の裏側に、最後に目にした父親の姿が浮かぶ中、彼女は一雫、涙を落した。
「――貴方ならどうするのですか、お父様」