- 158 :舞踏14話 1/22:2006/07/15(土) 23:00:10
ID:???
帰国して間もなく開かれた閣議の後、
溜まっていた執務に忙殺される中、僅かにとった休息の時間。
ベッドに潜り込み、まどろみの中に沈んだ彼女は、夢の中にまで現実世界の問題を抱え込んできていた。
――私は、どうすればいい?
――本当に、この道であっているのか?
――この選択で、私は国を、国民を守ることが出来るのか?
――この道は……遺志に反しているのではないか?
ぐるぐる、ぐるぐると。 走馬灯のように巡る疑問。ためらい。そして失敗に対する恐れ。
追い立て、追い詰めるように代わる代わる突きつけられる、悪い未来の予測映像を前に
彼女は固く眼を閉じ、両手で耳を塞いでそれらに背を向け、離れようと走り始めた。
まるで、迫り来る魔物の影法師たちから逃げる、臆病な幼子のように。
見ず、聞かず、何も言わず。 ただ荒い息を吐き、滝のような汗を流しながら走り続けた彼女。
何もない、暗闇ばかりが支配する果てない道を当てなく逃げ続けたが
いつしかそこは、見知った廊下へと変化していく。
生まれた時からずっと彼女が暮らしてきた場所。アスハの邸宅のものへと。
それに気付いた彼女は、確かな逃げ場所を求め、そこへと向かう。
物心付いた時からずっと守ってくれた、広く優しく、力強い背中を探して。
目指す扉に辿り着いた彼女は焦りでもたつく手でドアノブを捻り、まろぶように室内へと飛び込む。
そこは、屋敷の主の書斎。 大好きなあの人がよくいた場所。
はあはあと弾む息をそのままに、部屋の真ん中に立ち尽くす彼女の視線の先。
室内を見回すまでもなく、彼女の求めていた人物はその真正面に佇んでいた。
- 159 :舞踏14話 2/22:2006/07/15(土) 23:01:08
ID:???
壁の半分以上を占める大きな窓の前に置かれたデスクの椅子につき、こちらに背を向けたまま何かを手にしている人物。
臙脂色のガウンを羽織る、長く伸ばされた濃灰の髪が特徴的な中年男性。
自分の入室に気付かないのか、気付いていてもそ知らぬふりなのかこちらを向かない彼へと、彼女は呼びかけた。
――オトウサマ。
ヒュウヒュウと荒息混じりの掠れ声は、彼に届くかどうかも分からないほど小さな音量で。
先ほど感じた恐怖から目の縁に涙溜め込む娘は、振り向かない人影へと再び呼びかけた。
――お父様、助けてください。 私はどうすればいいんですか。教えてください。
今度は幾分大きな声で、はっきりと紡がれたそれは助けを求めすがる言葉。
幼い頃から、自分の投げかけた疑問に答え、あるいは一緒に考えてくれた優しい父へと彼女は教えを乞うた。
きっと、彼なら明確な答えを持っているはずだ。 深く悩める心に、光明を示してくれるはずだ。
期待を抱きながら、彼女はもう一度呼びかけた。
振り向いてほしいと願いながら。優しい言葉をかけてほしいと願いながら。
……しかし、男は一瞥たりともしなかった。
身動きしていないわけではない。 ずっと手にした何かを弄り回し、時折光に翳す仕草もしている。
彼の手の中にあったのは、一筋の光。 三日月のように薄く、曲線描く金属だった。
あれは確か、彼がとりわけ大切にしていた『カタナ』という骨董品だったろうか……。
娘は悲しくなった。 助けを求めているのに、父親はずっと自分の宝物に夢中なように見えたから。
こちらを向いてくれるだけでいい。 ただこちらに気付いて、微笑んでくれるだけでいいのに。
的確な答えなど、もはやいらないとさえ思っていた。
共感でも否定でもいい、ただのひとつでいいから言の葉が欲しかった。
――お父様っ!!
堪え切れなくなった涙の粒を頬に伝わせながら、彼女は叫んだ。
温もりを求めて泣き喚く赤子のような、幼い迷い子が親を探し求めて泣きじゃくるような声で。
心細そうに両手を胸元で固く握り締めながら、詰め寄るように身体を前のめりにしながら彼女は父を呼んだ。
- 160 :舞踏14話 3/22:2006/07/15(土) 23:01:56
ID:???
娘の声の反響も消え、再び静寂の空気が満ち始めるほどの時間が過ぎて。
とめどなく流れる涙を、形良い顎の先から絨毯へと落し続ける娘の目の前で
男は初めて椅子を動かし、彼女の方へと振り向いた。
口元のほとんどを覆う髭。 意思強そうな印象与える太い眉の下に宿る、獅子の威厳満ちる眼差し。
記憶と違わない、懐かしい姿を留める父の姿に、娘はいつしか強張る身を解き、ぼうと彼を見つめる。
椅子から立ち上がり、ゆっくりとした歩調で娘の方へと近づいていく男。
言葉を失くし、その代わりにほろほろと泣き続ける彼女の瞳を二、三歩離れた場所から見つめながら
男は手に提げていた一振りの日本刀をゆるりと持ち上げ、眼前で横に構える。
それは振りかざしたわけではなく、示して見せるかのように。 あるいは差し出しているようにも見えたかもしれない。
眩い輝きを切っ先に宿す刃を前に、娘は驚きに目を丸めたまま動けずにいた。 その意図が理解出来なくて。
彼女は理解出来ないままながらもおそるおそる手を持ち上げた。
目の前にある刀へ向けて、そっと、差し伸ばす。
――だが、その手が届く手前で、突然周囲に変化が起きた。
バタンと背後で扉が開く音が鳴り響くと同時に、猛烈な勢いで部屋の空気が外へと吸い出されていく。
空気だけじゃない。 書斎の壁が、内装がはらはらと剥がれ落ち、散っていく。
まるで世界全てが書割だったかのように。
娘も例外ではなく、引きずり込むように伸ばされる透明な触手に抗いながらも、その身はずるずると後ずさっていく。
ただ、男だけはまるで彫像のように微動だにせず、無言で立ち続ける。
自分の子どもへと静かな視線を向けながら。
そんな彼へと、風をかき分けるようにもがきながら、娘は手を伸ばす。
お父様、お父様と悲鳴混じりに叫びながら。
気付けは、世界は先ほどまでさ迷っていた底深い暗闇へとその姿を変えている。
蘇ってきた恐怖心に顔を蒼ざめさせながら、それでも娘は必死に抗う。 少しでも、父親の元へ近づこうと。
その時、彼は囁いた。 溺れる者のように不様にもがく少女の耳元へ、低くはっきりとした声で。
その言葉に気を取られ、思わず身体に力を篭めるのをやめた瞬間。
彼女は見えざる手に持ち上げられて宙に舞い、暗闇の奥へと引きずりこまれた。
- 161 :舞踏14話 4/22:2006/07/15(土) 23:02:48
ID:???
「―――――お父様ッッ!!!」
自らの叫び声で目を覚ましたカガリは、夜具を跳ね除けながら上半身を起こす。
はあはあと弾む息。 皮膚に不快感を与える大量の汗。 そして震えの止まらぬ身体。
夢とうつつの判断が付かないまま、しばしその体勢で呆然としていた彼女だったが
先ほど出会った父親……彼は既に故人で、二度と会えるはずのない人間だという現実を思い出し、深くうな垂れた。
顔を覆い隠した両手の指の隙間から、微かな嗚咽と雫を零しながら。
あの夢は、己の迷いから生まれた願望が創り上げた映像だったのだろう。
夢の中で父親に叫んだ内容……それは閣議が終わってからずっと頭の中にあった、疑問だったから。
カガリは知りたかった。 二年前にマスドライバー『カグヤ』と共に散った父親の思いを。
もしも今もまだ指導者の立場にいるとしたら、どのような道を選んだのだろうかと。
大西洋連邦と共にプラントを討つのか、中立国同士で手を取り合うのか
――あるいは、前と同じように世界の情勢から眼をそらし、自国だけそ知らぬ顔で争いへの干渉を頑なに拒むのか。
答える者のいない一人きりの寝室で、そんな思いをぐるぐると巡らせていたカガリだったが
不意に頭に閃いた、一つの考えに眼を見開き、顔を上げた。
二度と対話をすることの叶わない、故人の考えを直接知ることは不可能だが
彼の身近にいた人々なら、その一欠片でも知っているのではないだろうかと思う。
……昔の自分は、父親の選んだ道に対して頑なに反論するばかりで、彼の考えに耳を傾けようとしてなかった。
ただ必死に動き回って彼の企みを調べたり、彼に言い返せるほどの答えを探そうと悩むばかりで。
……自分のことばかり考えていて、父親の考えを理解しようとすることがなかった。
しかし、彼と親しかった人ならば、きっと彼の言葉に耳を傾けてるはずだ。
もしかすると、カガリの全く知らなかった内容もあるかもしれない。
その考えに至った彼女は、明日は早々に執務を終えることにして、それから『彼』を訪ねようと思った。
恐らく、誰よりも父親のことを知っているであろう男に、今自分が抱えている疑問を話そうと。
- 162 :舞踏14話 5/22:2006/07/15(土) 23:03:52
ID:???
「あーあ。 せっかく地球に来たってのに、上陸許可が下りないんじゃねぇ」
淹れてきた紙コップ入りのコーヒーを手にしながら、大仰な溜息とともにソファーに座ったルナマリアがぼやく。
その隣にいたメイリンは、姉の言葉に対してそうだねと相槌を打つ。
オーブの軍港に停泊中のミネルバ内にあるレクルーム。そこには数名の若いザフト兵たちがたむろしていた。
ルナマリアのように、ルーム内に設置されたカップベンダーの飲み物を飲んでいる者や、本を読んでいる者。
皆一様に、暇そうな様子でそこにたむろっていた。 くつろいでいるというよりは、所在なさげに。
現在、港に停泊し船体の修理を行っているミネルバでは、整備兵や一部のクルーを除いて休息令が敷かれていた。
しかし、肝心の上陸許可が降りていないため、ここに集う少年少女らは特にすることもなく、暇をもてあましていた。
ジュースのコップを手にして長椅子に座るマユもまた、退屈そうな表情で壁に掛けられたプロジェクターへと視線を向けている。
艦の外壁に設置されたカメラから送信される、外部の風景へと。
「…外、出れないの残念だね。 せっかく故郷に来たのに」
「うん。そうだね」
ぼうとしてたところに、隣に座るアゼルから声をかけられ、少し間を置きながらも言葉を返す。
しかし、彼女の本心は複雑だった。 オーブは自分の中では、捨てた故郷だったのだから。
かつて世話になった恩人、トダカの家を訪ねたいという思いはあったのだが
自分の想い出の中にある大切な場所…生まれ育った家や、家族で遊びに行った公園を目にすることを恐れていた。
――きっとそこは、覚えている姿のままで残っていないから。
変貌した想い出の場所を見てしまったら、泣いてしまうかもしれない。
美しい映像を保ち続けてきた想い出が、色あせて消え去ってしまうかもしれない。
…もちろん、自分の記憶の中にある場所がどうなったのか、知りたいという気持ちも少しはあったのだが。
マユは恐れていた。
胸に抱き続けてきた過去が、宝物のように大事に仕舞っていたモノが壊れてしまうのではないかと。
- 163 :舞踏14話 6/22:2006/07/15(土) 23:04:40
ID:???
うかない表情でうつむき黙り込む少女を前に、少年は何か言葉をかけるべきかと思い悩んでいたその時。
パシュンと音立て開閉した自動扉から、一人の男が室内を窺うように顔を出した。
「おや、皆ここに集まっていたのか。 ちょっと失礼するよー」
黒い軍服纏う男、副長のアーサー・トラインはのんびりとした口調で挨拶をしつつ、部屋に入ってきた。
片手に、陶器製のティーセット一式と四角い金色の缶を乗せたトレイを手にしながら。
「副長珍しいですね。今日はこっちで休憩ですか?」
職場を共にするメイリンからかけられた言葉に、アーサーはへらりと崩れた笑みを浮かべながら手を振る。
「ああいや、違うんだ。 部屋でお茶を飲もうと思って、お湯をもらいに厨房に行ったんだけどねぇ。
今、丁度昼食の準備中で慌しそうだったから、こっちの給湯器からもらおうかなと」
「ディスペンサーにもありますよ? 紅茶でしたら」
「濃縮シロップはどうも苦手でねぇ。 茶葉から淹れる方が、私は好きなんだ」
自販機を指差すルナマリアに対し、首を振りながら彼はやんわりと答え、自販機のそばに設置されている給湯器へと向かう。
「あの、副長。 上陸許可はまだ下りないんでしょうか?」
アゼルの質問に、アーサーは紅茶の缶の蓋に手をかけたまま振り向いた。
「それかぁ……ちょっとまだ分からないんだ。 状況が状況だから」
「何かあったんですか?」
渋い表情を見せる男に対して問いを重ねると、彼は参ったかのように首の裏へ手をやりながら語り始めた。
- 164 :舞踏14話 7/22:2006/07/15(土) 23:05:34
ID:???
「――うそっ! この国プラントの敵になるんですか?!」
「いやいやそう決まったわけじゃない。 ただ、そうなる可能性も否定できないってだけであって…」
早合点して叫んだルナマリアの驚きの言葉を、アーサーは慌てて訂正する。
「オーブはかつて、中立の立場をあくまで崩さなかったことから大西洋連邦に攻め入られ、占領下に置かれたことがある。
その過去を考えれば、大西洋連邦が音頭を取って立ち上げた世界安全保障条約機構に、
加わろうという意見が上がることもありえる、ってレベルの話さ」
少女の勢いに押され、気弱そうに眉を下げながらボソボソ声で副長が語る内容。
レクルームに集う者たちは、緊張の面持ちでそれに耳を傾けている。
アーサーが入ってくるまで、周りの話題にも気を留めず読書に耽っていたレイも顔を上げ、彼に注目していた。
「その、世界安全……なんとかっていう集まりが、プラントに戦争をしかけてくるってのは本当なんですか?」
「うーん…恐らくそうだろうなぁ。 中心となっているのが、前大戦で敵対した大西洋連邦だから。
現在判明している、条約に賛同の意を表明した国家の大半が、セレネ移民船団襲撃事件で犠牲者を出した国なんだ。
そして、かの事件は事故に見せかけた、プラントによる大規模テロだというような報道が、地球のメディア中で報じられている…
この状況が続くようだったら、遅かれ早かれ争いが起きる…かもしれない」
「そんな! 僕たち、頑張って戦ったのにっ……」
悔しさに顔を歪めながら、呻くように叫んだアゼル。 彼の声を耳にしながら、マユは俯いていた。
自分たちは精一杯頑張ったはずだった。
ミネルバのみんなだけじゃない。ジュール隊や、事件後の現場で救助活動を行った他の部隊も。
生命の危機に晒される移民たちを少しでも救いたい、そんな思いで誰もがあそこで戦っていただろうに。
――なのに、地球はプラントを疑い、非難の声を浴びせかけ、戦争を仕掛けようとしている。
その現実を知らされ、マユは愕然とした思いと共に悔しさを覚えていた。
自分たちのやってきたことは、一体なんだったというのだろう。
あの戦闘の中で、移民船を守るため、暴走機体を止めるために命を賭し、犠牲となったザフト兵たちの意味は…!
自分たちの努力を全くの無と見るどころか、
戦争すら起こしかねない様子すら見せる地球側の姿勢に、マユは理不尽さを覚えていた。
そして、かつての祖国が大西洋連邦の陣営に加わる可能性もあるということを知ったことで、
少女の胸中に、怒りとも憎しみともつかない激情が生まれつつあった。
- 165 :舞踏14話 8/22:2006/07/15(土) 23:06:40
ID:???
「皆の気持ちも分かるが……あの事件を引き起こしたのはザフトの兵器だというのは確かなことだ。
あれが移民船を攻撃している映像を見た人間が、真っ先にザフトの関与性を疑うのはしょうがないことさ」
茶葉を匙で測り入れたポットに湯を注ぎながら、そう呟いたアーサーの声には、悲しみの色が混じっていた。
クルーたちの不満をなだめようとしている彼もまた、現実に対して不条理さを感じているのだろう。
…その言葉に対して、何かを言おうとする者はいなかった。
しょげたように俯く者、憤慨したようにふくれっ面を見せる者、さほど変化のない表情のままアーサーを見つめている者。
彼らの顔を見渡したアーサーは、困り顔でうーんと小さく唸った。
「――まあ、さっきはああ言ったけど、今すぐオーブが敵に回る可能性は低いと思う。
アスハ代表はミネルバから、事の一部始終をご覧になっていたわけだし。
その上で、他国の軍に所属する私たちに対して、これだけ厚い対応をして下さったんだ。 なんとかなるさ。
上陸許可もそのうち下りるだろう。 大丈夫だよ、マユ君」
「えっ…?」
突然名前を呼ばれ、顔を上げたマユ。 男は彼女へと、安心させようと思ってか穏やかな笑顔を向けていた。
「久しぶりの故郷なんだろう? 上陸許可が下りたらすぐ伝えるから、存分に見て回ってくるといい。
地球に降りるなんて、滅多にない機会なんだから楽しまないとね」
少女の複雑な心境を知らないアーサーはそう言い残すと、湯気と芳香の立つティーポットを携え、レクルームを出ていった。
そして、部屋に残された少年少女たち。
ホーク姉妹は身を乗り出して顔を見合わし、今後どうなるのだろうかと小声で囁き交わしている。
アゼルは落ち込んだように俯いているし、レイはしばらくしてから本を片付け、部屋を出て行く。
その中でマユは、多くの感情が行き交い混線する心を抱えたまま、ぎゅうと固く胸元を握り締めていた。
- 166 :舞踏14話 9/22:2006/07/15(土) 23:07:44
ID:???
一日の執務を終え、行政府を出たカガリはその足でとある人物の邸宅へと向かう。
広い造りの公用車の中にいる人間は、運転手一人と彼女だけだ。
本来なら、護衛のアスランが同行するのだが、先にアスハの屋敷に帰らせたのだ。
ついて来なくていい、と言われた瞬間の彼はひどく困惑した様子で、
何か言いたげな顔をしていたのが気になったが、今の自分の姿を彼に見せたくはなかったので、連れてこなかった。
なにせ、これから自分は盛大に弱音を吐きにいくようなものなのだから。
車を走らせること三十分ほどで、彼女は目的の場所に到着した。
本島の中心部に近い、政府高官が多く住まいを構える閑静な住宅街に存在する邸宅。
屋敷の玄関に車を寄せて降り立ったカガリは、出迎えに出て来ていた老執事に案内され、中へと通される。
近辺に存在する建物の中でも、大きい部類に入る屋敷の中を、奥へ奥へと進んでいき……
辿り着いた、両開きの扉をノックしながら執事が中へと言葉をかける。旦那様、カガリお嬢様がいらっしゃいました、と。
入ってくれ、という男の声が返ってきたのを確認した執事の手によって開かれる扉。
娘は扉をくぐり、部屋に入ると部屋の住人へと恭しく頭を下げた。
「お久しぶりです、叔父様」
「ああ、久しぶりだなカガリ。 可愛い姪が会いに来てくれて嬉しいよ」
部屋の奥、窓際に置かれたベッドの上で、上半身だけを起こしてこちらを見る男は機嫌良さそうに笑う。
あまり健康的には見えない、頬こけた細身の中年男性。
――彼の名はホムラ。 かつて、兄であるウズミの後を継ぎ、オーブ代表を務めたことのある男だった。
- 167 :舞踏14話 10/22:2006/07/15(土) 23:08:32
ID:???
「お加減の方はどうですか?」
「今日は体調のいい方だ。 医者からも、少しずつ快方に向かっていると聞いている」
「そうですか、それを聞いて安心しました。 ……すみません、ろくに見舞いにも伺えずに」
「いや、気に病むことはない。 お前も執務で多忙な毎日だろうからな。
……今回も、随分大変な目にあったと伝え聞いている」
ベッドサイドに置かれた椅子に座るカガリの話しかけに、ホムラは穏やかな表情を浮かべながら答える。
しかし、窓から注がれる陽光の下でも芳しくない顔色のせいか、具合悪そうに見える叔父のことを、娘は案じていた。
彼、ホムラが病床に伏すようになってからもう1年以上経つだろうか。
ヘリオポリス襲撃事件の責任をとって退任した兄に代わり、オーブ連合首長国代表として立った彼は
マスドライバー『カグヤ』と共に散ったウズミら五大首長の穴埋めをすべく、一所懸命に行政を支えてきた。
オーブ解放戦後の混迷した状況を改善しようと奔走し、保護という名の占領を行う大西洋連邦との折衝を繰り返す。
…そんな彼が、休む暇もない日々の中、身体疲労と心労から倒れたのはユニウス条約会議が行われる直前だった。
病床に伏したホムラに代わり、前代表の娘であるカガリが急遽オーブ代表として会議に赴き、条約に調印したのだが
過酷な毎日を送り続けてきたホムラの身体は病魔に蝕まれ、公務を行えるような体調ではなかった。
これを機にホムラは、正式にオーブ連合首長国代表の座をカガリに譲り渡し、自らは政治界を退いた。
そして今は、自宅で静かに療養する日々を送っている。
「叔父様、今日お訪ねしたのは……実は相談したいことがあって…」
「相談とな? …ふむ、話してみなさい。私が答えられることならば何でも答えよう」
改まった表情で話を切り出す彼女へと、ホムラは快く頷き、話すように促した。
- 168 :舞踏14話 11/22:2006/07/15(土) 23:09:19
ID:???
煌々と輝く天日の真下。 鮮やかな青色を見せる空と海。
思わず駆け出したくなるような、真白の砂浜が弓なりの道のように続く果てには、波打ち寄せる岩場が見える。
能天気なまでに平和なその風景の中に、彼女と彼はいた。
それぞれの愛機、インパルスと白いザクファントムに乗って。
大きく距離をとって、睨み合うように対峙する二体の巨像は、不似合いな周囲の風景も相成って非現実的だった。
――実際それは、現実世界での出来事ではなかった。
ファンと鳴り響いた、始まりを告げる電子音と共に、先手必勝とばかりに疾走するインパルス。
赤を基調としたカラーリングの機体は、二本に分離させた大剣を両手に握り締めながら、ザクへと駆け寄る。
極小の粒からなる真白の浜砂が、一歩踏み込むごとに土煙よろしく盛大に舞い上がる。
対して、ザクファントムは戦闘開始から左肩のシールドを前面に押し出す体勢のまま、武器を取る様子がなかったが
距離を半分近く詰められたタイミングで、腰部にマウントされた円筒状の物体に手をかける。
相手が手にした物体、ハンドグレネードの存在にすぐさま気付いたインパルスだったが、
速度を緩めることなく、更にザクとの距離を縮めていく。
相手が使用しようとしている武器は手榴弾。
ならば攻撃を仕掛けてくる際に、投擲という省略不可能な過程があることは必然。
その動きを見せてからでも回避行動は可能だという予測と、絶対に当たらないという自信を根拠に、相手へ向けて突撃する。
ザクが動く。 予測通り、投手のように右腕を大きく振り上げて。
相手の挙動の兆しを捉えたインパルスは即座に身を捻り、着地地点を大きく左側へと変更し、進行方向を変えた。
ザクの手を離れ、放物線を描いて落下していく榴弾の落下予測ポイントから軌道を逸らしながら、なおもひた走る。
これだけ距離を置けば、爆発したとしても戦闘続行に支障をきたすほどの損傷は受けないだろう。
相手の第一撃を回避できたと判断したインパルスは、至近に迫りつつあった白いザクへと向けて獲物を振りかざし…
――刹那、視界が白濁した。
- 169 :舞踏14話 12/22:2006/07/15(土) 23:10:08
ID:???
「ちょ、これっ……違う、スモーク!?」
砂混じりの白煙によって完全に支配されたメインモニターを前に、マユは驚愕の声を上げていた。
ザクの装備するハンドグレネードは、炸裂弾以外にも多種のバリエーションが存在している。
その事実を今になって思い出した少女は、思い込みで動いてしまった判断の迂闊さに対して、悔しがる。
スモークグレネードによる白煙は相当濃く、サブを含めた全てのカメラはまともに機能を果たしていない。
慌ててレーダー画面に視線を移すものも、こちらもノイズに揺れる不鮮明な光点と、エラーメッセージが点灯している。
……このアクシデントが、巻き上げられた大量の砂塵によって引き起こされたものだということに、彼女はまだ気付いていない。
焦りの呻きを漏らしていたマユの耳に、ごうと空気の焼け焦げる音が伝わる。
ブースターだ。 気付いた彼女は視点を上へと向ける。
その目に、バックジャンプの要領で奥の岩瀬の方へと飛ぶザクの姿が映る。
「っ…このぉっ!!」
逃げるような素振りを見せるザクを、激昂の叫び上げながら追いかける。
相手と同様に跳躍して追おうかとも考えたが
『ソード』のブースターで届くかどうか、心もとない距離まで逃げられたことに気付き、少女は歯噛みしながらそれを諦める。
あとは――多少海に入ってでも、岩瀬へと接近するぐらいしか手立てがない!
即座に判断したマユは、砂浜から進路を変え、海へと踏み入っていった。
『――マユ。 水泳の経験はあるか?』
不意にコックピット内に飛び込んできた、男の声。 それは対戦相手であるザクからの。
「島国育ちなんだから当然でしょ! それがどうかしたの?!」
冷凍庫に入れられた鉄塊のように涼やかな、硬質さを漂わせる声に相反して
苛立っているらしきマユの返答は烈火の如く、怒りを隠そうともしないものだった。
『そうか…なら分かるだろう。 水中から飛び上がることが、どれだけ困難なことか』
マユが彼の言葉にハッとした、その時。
ザクが構えるビーム突撃銃の銃口に、閃光が輝く瞬間を目にすることとなる。
- 170 :舞踏14話 13/22:2006/07/15(土) 23:10:56
ID:???
「うーっ、やられたぁ…」
ガクリと力なくうな垂れながら、戦闘続行不可能のメッセージを表示するモニターの前で、マユは呻く。
…ロックオンに気付いた彼女は、すぐさまその場を離れるべくバックジャンプを試みたのだが
ザクを追うことに集中するあまり、機体の腰部を超えるほど海に浸かっていることに気付かなかったのだ。
結果、海面から飛び上がるに十分な推力を得ることが出来ず、ビームの直撃を喰らう結果となってしまった。
負けた、という憂鬱な思いと共に、彼女の胸中で何故、という言葉が浮かぶ。
それは敗因に対してではなく、シミュレート訓練をしている理由についてだ。
…副長との会話からしばらく経った後のこと。
レクルームをあとにし、自室でぼーっとしていたマユの元に突然、レイが訪れる。
曰く、暇ならばシミュレートに付き合ってくれ、と。
その時の彼女には、特に断る理由も見当たらなかったので、その申し出を受けたのだが…。
「――ねえ、レイ兄ちゃん。なんでいきなり訓練しようなんて思ったの?
それも、いつも使ってるシミュレーターじゃないし…」
マユは胸中の疑問をザクファントムのパイロット、レイへと投げかける。
今は休息中で、訓練規定をこなす義務もなければ、対戦相手が必要というわけでもない。 一人でも出来ることだ。
そして、他にもパイロットはいるというのにわざわざ自室を訪れてまで、自分を誘い出した理由も分からない。
更に言えば――今自分たちが使用しているシミュレーターは、普段使わないような特殊なものだった。
それは、自然現象を限りなく現実に近い形に再現された、地上戦闘用のシミュレーター。
プラントで生まれ育ったため、地球の環境を一切体感したことない若い世代の兵士たち向けに開発されたものだ。
前大戦中、慣れない環境での戦闘に苦しむ新兵は相当多かったらしい。 士官学校でそう教わったな、とマユは思い出す。
先ほど戦闘中、砂塵によってレーダーに不具合が出たのも、海中での身動きが困難だったのも
プログラムで再現された、現実の戦闘で起こりうるアクシデントだった。
『非番とはいえ、パイロットは日頃から自己鍛錬をするべきだ。 ましてや、先行きの見えない情勢だからな。
地上戦闘用のシミュレーターを用いたのは、万が一の可能性を考えてのことだ。
いつ宇宙に戻れるのか――いや、もしかするとミネルバが、地上での作戦行動に組み込まれることもありえるからな』
……淡々と無感情に、つらつらと滑らかに並べ立てられるレイの語りは、まるで説教でもされているような錯覚がする。
そう思いつつ、マユはしかめ面のまま彼の言葉に適当な相槌を入れていた。
『…まあ、これらはどれも後付けの理由にしか過ぎないがな。
本当の目的はマユ、お前と話がしたかったからだ』
- 171 :舞踏14話 14/22:2006/07/15(土) 23:12:01
ID:???
え、と思わず素っ頓狂な声を上げたマユ。 自分に何の用があるのだろうか、まるで心当たりがなかったから。
困惑を覚えながら問おうとするも、それより先にレイが口を開く。
『最近、随分と情緒不安定になってるようだが、何かあったのか?』
「べ、別に何もないよ」
『そんなはずはない。 先ほどの戦闘を見ていれば分かる。
激情に駆られるままに突撃し、闇雲に武器を振り回していただけだ、あれでは。
…お前は、思考の柔軟さと状況判断能力を買われて、インパルスのパイロットに推されたのだろう?』
やっぱり説教になった。 彼の言葉に押される形で黙り込みながら、マユはしゅんとうなだれる。
……しかし、レイの言うことはもっともだった。
さっきの戦闘を振り返ってみれば、自分でも穴に隠れたくなるぐらい恥ずかしい、不様な内容だったから。
そも、最初の判断からして間違っていたのだ。
幾つもの地形が組み合わさった複雑な、ましてや海の存在するフィールドなら
近接戦重視の『ソード』より、汎用性が高く飛行可能な『フォース』を選択した方が、状況に柔軟に対応出来たはずだ。
普段ならこんな判断ミスはしないはずだ、と。 今になって悔しさがこみ上げてくる。
…戦闘中にレイへと向けたそれと違い、自身の愚かさを呪う感情を抱きながら、マユはきゅうと唇を噛み締めていた。
「ごめん、あたし……なんか自分でもよく分からなくなってる。
なんであんな…イライラしてたんだろう」
『別に謝るような事じゃない。シミュレート訓練中のミスに過ぎないからな。
これが実戦だったら支障をきたしただろうが、幸いお前は誰にも迷惑をかけていない』
「うん…」
『しかし、自分のメンタル管理については十分留意しておくことだ。 いいな?』
「……はい」
射撃訓練と寸分変わらぬ技量で、的確に問題を穿つレイの言葉。
それを聞きながらマユは、更に落ち込んだ気分でがっくりと肩を落とし、俯いていた。
- 172 :舞踏14話 15/22:2006/07/15(土) 23:12:53
ID:???
『――どうしたマユ。 気分でも優れないか』
「いや、そういうのじゃなくって…自分の駄目さ加減に嫌気が差してきたというか……」
力ない返事を後に黙り込んでしまったからか、問いかけてきたレイ。
暗く小さなぼそぼそ声で紡がれるマユの言葉に、しばし沈黙していたが
『…………すまない、どうも俺のコミュニケーション能力では、ルナマリアたちのように上手くいかないようだ』
「へ??」
唐突に放たれた言葉に、マユは驚いた様子で顔を上げて、モニターに映し出される会話相手の顔を見る。
いつも人形のように、感情を表に出さない彼の顔、その眉根に微かな皺が刻まれていた。
怒っているようにも困っているようにも見える、マユはそんな彼の顔をぽかんとしたまま眺める。
『皆、気にしていた。 ここの所、お前の様子がおかしいことを。
理由を聞こうともしていたようだが、あまり話したくないようだったから、躊躇していたと話していた』
「あ……」
『オーブに来たことが関係しているのではないか、と考えているようだったがな。
しかし、お前は過去に関する話題を振ると落ち込むことが多いから、余計に聞き辛かったとのことだった』
彼の語る内容に、マユは呆然としていた。
――レイは自分のことを案じていたのだ。 彼だけでなく、この場にいない友達らも。
胸中に渦巻く不安に振り回されるばかりだったマユは、そんな彼らの思いに今初めて、気付く。
嬉しいような、くすぐったいような感情がぬくもりを伴い、少女の胸に満ちていった。
『俺も無理に聞くようなことはしない。
しかし、精神面に重大な問題が生じ、なおかつ語ることに支障がない場合は相談相手になろう。
俺に話しにくければ、同性のルナマリアたちでもいいだろう。 コミュニケーション能力も申し分ないからな。
自分のメンタルケアのためだ。 誰に依頼しようが、さして問題ない。
他人に迷惑をかけてしまうと考えて、萎縮しないように』
必要以上に堅い言い回しのそれは――つまり、自分たちを頼れ、と言わんとしているもので。
難しそうに眉目をしかめながら、不器用に伝えてくるレイの姿が可笑しくて、マユは思わず吹き出してしまった。
画面の向こうの彼はといえば、何故彼女が笑ったのかが全く理解出来ないらしく、不思議そうに目を瞬かせていた。
そんなレイへと、めいっぱいの笑顔を向けながらマユは言う。
「ありがとう、レイ兄ちゃん」
ただ一言に万感を、心の中を暖かく満たしてくれた喜びと感謝を詰め込んで。
『元気になったのなら、それでいい』
笑顔を見せるマユの姿に安心したからか、レイはそう言いながら表情を和らげる。
緩むように和らげられた眉目と、極僅かに下弦の弧を描いた口元。 それは彼なりの笑顔だった。
- 173 :舞踏14話 16/22:2006/07/15(土) 23:13:45
ID:???
――いつの間にか、室内に差し込む光は随分と傾いていた。
叔父の横たわるベッドに掛けられた真っ白いリネンが、橙の色彩を帯び始めているのを見て、
カガリは初めて、自分が一時間以上話し続けていたことに気付いた。
「すみません、叔父様。 安静にして頂かなければいけないのに、長々と話してしまって…」
「そんなに心配するなカガリ。 今日は調子が良い方だと言っただろう」
「しかし……それでも、少しでも休んで頂いて、早く元気になって頂かなければならないのに…」
「気にすることはない。 こんなのは放っておけばそのうち治るからな。
それよりも私にとっては、後継者のお前と話をすることの方が遥かに重要さ」
病魔に蝕まれながらもなお、その瞳に知性の輝きを失うことないカガリの叔父、ホムラはそう言った。
病床の上で弱々しい笑顔を見せる彼を前に、カガリは更に恐縮する。
…口ではそう言っているが、話を聞いてもらっただけだとしてもこの長時間だ。
顔色も一層悪くなっているように見える。 恐らく、相当体力を消耗しているのだろう。
彼女は後悔すら覚えていた。 己の迷いを解消するためだけに、療養中の叔父に無理をさせたことに。
膝の上に揃えて置いた手でスラックスの布地をぎゅうと握り締め、俯くカガリ。
苦悩する姪子の姿を見ながら、ホムラは溜息のように微かな苦笑を漏らし、そっと言葉をかける。
「――お前の迷いはもっともなことだ。
武装中立の政策はオーブ誕生の時から続くもの…そして、我らアスハ家が掲げた理念だからな。
お前も兄上から伝え聞いているだろう。 オーブの辿ってきた混迷の歴史、その中でアスハ家が導き出した答えを」
- 174 :舞踏14話 17/22:2006/07/15(土) 23:14:54
ID:???
「はい、『再構築戦争』の頃の話は教わっています。
民族や宗教の違いから生じた軋轢、地球環境の悪化や地中資源の枯渇による世界規模の大恐慌…
これらの問題から始まった戦争だと教えられています」
「その通りだ。
そしてその名が示すように、敗者は強者に取り込まれ…
かつて200あまり存在した国家は統廃合され、結果として11の国家として再編されることになる」
ホムラの問いを受けて、思考するように僅かな間瞳を伏せた少女は、脳内で短く纏めた内容を口にする。
おおむね的確に簡略化されたそれを聞き、男は満足げに頷きながら言葉を続ける。
「その戦いで、我が国は領土から遠く離れた異国の地で、多国間同士の戦争に介入した。
遥か昔から友好関係にあった東アジアの島国、ジャパンのな」
彼が口にしたのは――ニッポンとも呼ばれる国家の名称。
前世紀の一時期、オーブの原型となる島々、ソロモン諸島を統治し、
時代遅れだった島に、病院、道路といったインフラを整備、島民に対し教育の場を設けるなど、善良な治政を敷いていた。
後にその主従関係は崩れることになるが、それからも島には彼の国がもたらした文化や
島民の彼の国に対する親愛とも尊敬とも呼べる感情は消えることなく、友好関係は永らく続くこととなる。
その影響は暦の変わった今でも根強く残っていて、公用語や国民の名前、血筋といった形で受け継がれていた。
「彼の国は隣接する二つの強大な国家…今で言うユーラシア連邦と東アジア共和国に攻め入られていた。
国力、戦力ともにその差は明白。 戦況はまたたく間に、悪い方向へと傾いていった。
そんな友好国が未曾有の危機に、我が国は支援のために派兵したのだ。
しかしそれも甲斐なく……結果はお前も知るところだろう」
「はい……ジャパンは全面降伏し、北側をユーラシア連邦に、以南全てを東アジア共和国に併合されました」
「そして、朋友を救えなかった我々は多くの戦力を費やした上に、多大な賠償金を両国へと支払わなければならなかった。
国土を焼くような事態にこそ至らなかったが、オーブは深刻な被害を被った。
これが、国民の間に反戦の意識を広めるきっかけとなった、最初の出来事だな」
ゆったりとしたテンポで語り続けていたホムラは、そこで一旦言葉を区切ると
寝具の掛けられた膝の上で両手を組み、瞑目した。 思い巡らすように、あるいは黙祷するように。
「戦乱の中にあっても、領地を侵害されることなく独立を貫けた我が国であったが、
彼の戦争に参戦したことで、払わされたツケは大きすぎた。 それこそ、国家の基板を揺るがすほどな。
海軍の戦力は四割方失われ、国庫の蓄えの多くは賠償金として持っていかれた。
全く、ことごとく散々な結果だ。 友を救うことは叶わず、そのうえ窮地の極限に追いやられたのだからな」
- 175 :舞踏14話 18/22:2006/07/15(土) 23:15:42
ID:???
ホムラが語ったように、再構築戦争直後のオーブは未曾有の危機に陥っていた。
諸島で構成される国土、その防衛の要である海軍の損失は真っ先に解決しなければならない問題だったが
ユーラシア連邦と東アジア共和国に対して賠償金を支払ったために、それもままならないほど悪化した経済状況。
その上降りかかってきたのは、再構築戦争勃発に至る要因の一つだった、エネルギー問題。
小さな島々で構成される国家であるオーブは、石油や天然ガスといった地中資源の産出が乏しかった。
電力供給については、他国からエネルギー資源を購入して発電していたのだが
地中資源の枯渇が進み、価格高騰していくエネルギー資源。 それに比例して悪化していく発電コスト。
国庫の状況から、ライフラインの維持すらあと何年続けられるだろうかと危ぶまれるほどだった。
しかし、その暗澹とした状況のオーブに、一筋の光明が差し込む。
以前から研究が続けられていた発電方法――火山島の多い地形特性を活かした地熱発電。
その研究から、以来よりも格段に効率良いエネルギー生産を実現させた、画期的な発電システムが誕生した。
自然現象を利用した、低コストで安定したエネルギー源を確保したことにより
現在、国の主産業となっている重工業及び宇宙産業の大発展が決定付けられたとも言われている。
窮地に追い込まれたオーブの復活劇。 その発端となった出来事と共に、一つの氏族が頭角を現し始める。
――その一族こそが、彼らアスハ首長家だった。
- 176 :舞踏14話 19/22:2006/07/15(土) 23:16:29
ID:???
「我が一族は、早い段階から地熱発電の必要性に気付き、研究プロジェクトを推進してきた。
遠かれ近かれ、世界中の地中資源が枯渇する時は必ず来る。
それまでに、資源に頼らないエネルギー生産方法を開発する必要がある、としてな。
――私財をつぎ込んでまで推し進めたプロジェクトは、ギリギリのタイミングながらも国家を救った。
それが、五大氏族の末席だったアスハを頂点へと押し上げた…いわば栄光の始まりだ」
前世紀の頃、アスハ家は五大氏族に列されながらも、その存在は今に比べると地味なものだった。
軍事を取り仕切るロンド家ほどの華々しさもなく、政治の一端を担うだけの…首長の中でも下位に属する氏族だった。
しかし、パトロンになり積極的に推進してきた地熱発電システムの完成を機に、アスハ家の名声は一気に高まる。
戦争の痛手で傾きつつあった国家を立て直した英雄と、国民から広く讃えられる立場になる。
「その後、国民投票による国家代表選出選挙においてアスハ家は多数の支持を受け、オーブ代表の座に着いた。
今まで一度も、代表に選ばれることのなかった氏族にも関わらずな。つまりはそれだけ大きな快挙だったというわけだ。
そうして、新しきオーブ代表になったアスハの家長――お前から見れば曽祖父にあたるな。
彼は国民に対して、先の戦争で受けた被害の愚かしさを訴え、新たなオーブの歩み方を提案した」
「他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない…中立国家宣言ですね」
「その通り。 爺様は他国同士の争いに加わった戦争を目の当たりにして、その無謀さと無益さを痛感した。
友好国の危機を捨て置けないからといって、勝算ゼロに等しい不利な争いに首を突っ込むなんて、愚かしいとな。
爺様の訴えかけに、世論のほとんどが賛同を示した。
…国民も疲れていたのだよ。無駄な争いに振り回され、自分たち自身の生活の安全をおびやかされる事に。
爺様の行った宣言は多くの国民によって支持され、アスハの名声は鉄板のものとなった。
そして、アスハの栄光の象徴とも呼べる思想……中立政策を継いでいくのが、アスハの家長の責務となったのだ」
長く語り続けたホムラはふ、と小さく息を付き、話を区切った。
話し続けて疲れたのだろうか。 痩せた肩を落し、俯きながら。
…二人きりの部屋に、沈黙の気配が澱のように降り落ち、満たしていく。
- 177 :舞踏14話 20/22:2006/07/15(土) 23:17:22
ID:???
「それはつまり……私のやっていることは、アスハとして相応しくない、ということですか」
己の膝ごと握りつぶさんばかりに衣服を強く掴みながら、カガリは呻いた。
腹の底から搾り出したような、低く掠れた声で。
小麦色の肌に青筋が浮き出るほど、力篭められた拳の上に、はたりはたりと水滴が零れ落つ。
落胆したように、絶望したように背中を丸め、肩を落とし。 娘は涙ながらに呻いた。
「……そうだ、と言えばすんなり取り下げるような決意なのか?
なら、さっさと諦めて、全てセイランの言うとおりにすればいい」
「――っ!!?」
静かな、だが厳しさを孕んだ叔父の声に、冷水を浴びせかけられたかのように驚き顔上げるカガリ。
しかし、彼の顔はその言葉と裏腹に、楽しそうな微笑を浮かべていた。
「ほら、分かっただろう。 お前の本当の心が。
宰相に咎められようが、家訓に背こうが、真剣に考え抜いた末に導き出した道なら、捨てられんはずさ。
第一、この程度のしがらみで撤回しようと考えるぐらいの決意では、誰も付き従って来んぞ?」
「お、叔父様っ……」
「たかが一つの氏族の思想が、何だっていうんだ。
お前はアスハの家長である以上に、大勢の国民と母国の命運を背負う、国家代表だろう?」
瞳濡らす娘へと笑いかけながら、彼は言う。 今までと一転して、くだけた口調で。
「…確かに、自分の国の平和を守るだけなら、我関せずの姿勢を貫くなり、強者に尻尾を振っておけばいいだろうさ。
しかし、世界情勢を無視し続けることは無意味だってことは、二年前に答えが出てるし
国土を滅茶苦茶にしてくれた大西洋連邦の言いなりになって、他国との戦いにかり出されるのも癪に障る。
お前の考えた案がリスクを伴うのは確かだが、そんなことはどの案でも一緒だ。
絶対に安全が保証された選択肢なんて都合の良いもの、ありえるはずがないからな」
「…私もそう思います。
条約に加盟したことで、大西洋連邦らを敵に回すことはなくなるでしょうが、
そのために、連邦にかり出された我らの軍は戦場を渡り歩かねばならないでしょう。
例え不利な戦局の場所に派遣されても、連邦の命令無しには撤退することも叶わず、駒として良いように扱われ…」
「分かってるじゃないか。 確かにありうることだな。
自分の指示で動かせるのをいいことに、脅威となりかねない国の軍をこき使い、疲弊させることなんてな。
今回の騒動が治まるまでは良くても、コトが済めばこちらに矛先が向けられる…
とことん疑ってしまえば、そんな最悪の予想すら思い浮かぶ。 それだけ、大西洋連邦は狡猾な輩なんだ。
同じ危険性を孕む――それなら国家の誇りを失わない方を選ぶというのも、悪くない選択だと思うぞ」
不敵な調子で語りながら、彼は血色の悪い唇を釣り上げてニヤリと笑み作った。
- 178 :舞踏14話 21/22:2006/07/15(土) 23:18:22
ID:???
「――同じ志を共にする国家と手を携えあい、新たな勢力を創る。 潔い道じゃあないか」
ふふ、と気分良さそうな笑い声を立てながら、ホムラはベッドボードに背を預ける。
「おそらく…いやきっと、お前の考えを支持する首長はいるはずだ。
だから、少しでも味方を増やすつもりで、一人一人を説得しに回ってこい。
お前が不安や迷いをさらけ出すようなことをしなければ、今より多くの人間が賛同してくれるはずだ。
しかし、決して一人よがりにならないように。 周囲の人間に眼差しを向け、耳を傾け、気を配れ。
例え不安を覚えたとしても、周囲に伝えないように…己の決定にしっかりと覚悟を持って、挑むんだ」
「はい、叔父様。 ご忠告、しかと胸に刻みます」
「悪いが、今の私に出来るのはこんなアドバイスぐらいだ。
出来ることなら隣に付いてやって、もっとたくさんの事を教え込みたいのだが…これだけ話しただけで、もうクタクタだ」
「いえ、十分すぎるほど教えて頂きました。 本当に、ありがとうございました。
…けれど、私はバカな人間なので、またすぐに行き詰まって、教えを乞いに来るでしょう。
だから叔父様、早く御身体の調子が良くなるよう、どうかご自愛して下さい。 頼りない姪子のためだと思って」
明るさと活気を取り戻した声でそう言いながら、カガリは微笑んだ。
たった今、窓から差し込む斜陽の色と良く似た橙色の瞳はまだ潤んでいるものも、固い意志の光が戻りつつある。
丸めていた背中もしゃんと伸ばし、真っ直ぐこちらへと向き合ってくる姪の姿。
ホムラはそんな彼女を、眩しいものでも見るかのように細めた目で見つめていた。
「ああ、ゆっくり養生しておくよ。 …さあカガリ、もう行きなさい。
時間には限りが有る。 次の会議までに、一人でも多くの首長を説き伏せなければならんだろう?」
「はい、行ってきます! それでは叔父様、ごきげんよう」
男に促され、席を立ったカガリは彼へと向かい、深く敬礼する。
しばらく、頭を下げ続けた後。 顔を上げ、踵を返えせば、彼女はもう振り返ることなく。
颯爽とした足取りで扉の方へと向かい、ホムラの寝室を退出していった。
パタン、と扉が閉まる音を聞き届けて。 部屋に一人きり残された男は、力の抜けた身体をベッドの中に沈めた。
頬のこけた顔に、疲労を色濃く見せながらも彼は笑っていた。 弱々しくとも、満足げな表情で。
「血の繋がりが無いというのに、どうしてあなたたちはこうもソックリなんだろうなあ。
――でも、あの子なら大丈夫だ。 あなたの願いを、あなたが出来なかった事をきっとやり遂げるさ……なあ、兄上」
- 179 :舞踏14話 22/22:2006/07/15(土) 23:19:13
ID:???
……時同じくして斜陽の頃。 オーブ本島、ヤラファスにある国際空港に、一機のチャーター機が降り立つ。
渡されたタラップから姿を現したのは、ブラックスーツにサングラス姿の、まだ若い青年。
まるで個性を押し隠すように黒を纏う彼は、後ろに数人の男を従えて、タラップを降りていく。
飛行機から降り立った彼らへと、建物から空港職員たちが駆け寄ってきて、入国手続きを始める。
しかし、その内容は簡易的なもので、差し出されたパスポートにさっと目を通しただけで終わる。
手荷物の検査すらなく、入国許可をもらった彼らは空港のロビー方面へと歩みを進めていく。
「――ねえ、まだこの格好してなきゃダメなんだ?」
男たちに周りを固められて歩く、スーツ姿の青年はネクタイを緩めながら、言う。
「出来れば、もう少しご辛抱下さい。閣下」
「趣味じゃないんだよね、スーツとか」
あくまで促す程度に、控えめに願う男の言葉に首を振りながら、
青年は整髪料で後ろへ流されていた前髪をかき回し、本来あるべき場所へと戻す。
「仕方ありません、状況が状況ですから…。 これが一番安全かつ、行動を制限される可能性が低いのです」
「…確かにそうだろうけどさ」
やんわりと諭され、一応納得したように呟いているが青年は変装を解く手を止めようとしない。
大ぶりのサングラスを外せば、その下から現れる涼しげな印象を見せる紫の眼差し。
流石に服を脱ぐまでには至らなかったが、早々に変装を解いていく勝手気ままな青年。
そんな彼を横目に見ながら、小さく溜息をついた男は、苦悩の種である自分の上司へと声をかける。
「閣下、先ほど入りました報告ですが…昨日、オノゴロの軍港にザフト軍籍の艦艇が一隻、入港したと」
「この情勢下で? もしかしたら世界中から非難されるかもしれないというのに、随分と情の厚いことだ」
「ところが…彼の艦にはオーブ代表が乗艦していて、そのため停泊許可が下りた模様です。
先の、セレネ移民船団襲撃事件に置いて武装集団の討伐作戦に参加し、そのまま地球に降下してきたとの事でしたが…」
「――その船、ミネルバって名前だよね?」
ひたり。 突然歩みを止めた青年が口にした名称に、左様ですと男は頷く。
ああ、と青年は肩を下げ、大げさに落胆の溜息を一つつく。
「もっと大勢、部下を連れて来れば良かったなあ。 これじゃあ満足に遊べもしないよ」
まるで子どもか動物と戯れることを楽しみにしてたかのように、軽々しく言った青年。
周囲に控える人々は言葉を失い、彼へと驚愕や疑念の入り混じる眼差しを向けていた。